1. 日本の新聞社に立ちはだかる紙新聞から電子新聞へ大きな壁、日本の巨大販売網がかえって障害に

電子新聞へに関連する記事

2013年08月27日 (火曜日)

日本の新聞社に立ちはだかる紙新聞から電子新聞へ大きな壁、日本の巨大販売網がかえって障害に

日本の紙新聞を電子新聞へ切り替えることはできるのだろうか。電子化は米国からの流であるが、両国には、新聞社経営の制度に決定的な違いがあり、日本で電子化が成功する見込みはほとんどない。新聞販売網の違いや、英語と日本語の市場規模の問題、さらには新聞社のコンテンツ制作能力にも問題がある。

◆米国では、販売網の未整備が電子化を助ける

◆日本語とデメリットと英語のメリット

◆コンテンツで一部ブログに劣る日本の新聞

「アメリカで起こっている現象は、やがて日本にも上陸する。」これは具体的な根拠もなく、昔からよく言われてきた一般論である。実際、この推測どおりになったことも多い。たとえば政界を例にあげれば、構造改革=自由主義の導入は、米国と英国の経済政策に追随するかたちで浮上した。

メディアの分野に焦点を当てると、新聞の電子化が「米国追随」の典型にほかならない。紙の新聞から、インターネットを利用した電子新聞への切り替えである。いずれ紙新聞は、電子新聞にかわる。

しかし、日本の新聞社が紙新聞から電子新聞への切り替えに成功する可能性はほとんどない。そのことを新聞社も自覚しているのか、新聞社の方針も、新聞の電子化とはほど遠いところにあるようだ。少なくとも、紙新聞に見切りをつけられないようだ。

たとえば、昨年、国民生活センターに対して、新聞拡販に関する苦情が約1万件も寄せられたという。新聞の電子化が難しいことを認識した上で、新聞社が現有読者のつなぎとめを徹底した結果にほかならない。

ちなみに米国のNYT(ニューヨークタイムス)やWSJ(ウォールストリートジャーナル)は成功の兆しが見えている。日本でも日経新聞に関しては、軌道に乗っていると聞く。

なぜ、日本の一般紙は、電子化が難しいのだろうか。日米の両国では、制度上の決定的な違いがあるのだ。

◆米国では、販売網の未整備が電子化を助ける  

本の新聞社は、日本の通津浦々まで販売網を持っている。この販売網が読売の(自称)1000万部をはじめ、巨大な新聞王国を築き上げてきた要因にほかならない。しかし、景品類を使って部数を維持しているために、自発的に新聞を読むというよりも、一種の習慣として新聞を購読している人が大半を占めると想像できる。

これらの読者層をネットに切り替えるのは、至難の業である。みずからの主体性で情報を探すタイプではないからだ。

高齢者の中には、パソコンの使い方を知らない人も多いわけだから、電子化の市場そのものが、60才以下ぐらいに限定される。

これに対して米国の新聞社は、もともと配達網を日本ほど整備していない。新聞少年が夕方に、新聞配達する程度で、僻地では新聞配達は行われていない。

しかし、このような新聞販売網の不完全さを逆手に取ると、かえって電子新聞の勧誘はやりやすい。新聞が届かない地域では、むしろ電子化によって、タイムリーにニュース配信を受けることが可能になるからだ。

ここに日米の決定的な違いがある。電子化にするには、むしろ販売網が整備されていない状況の方が優位なのだ。

◆日本語とデメリットと英語のメリット

第2に言語の問題がある。日本の新聞は、日本語で書かれ、日本人を対象にしたメディアである。これに対して米国の新聞は英語なので、電子化することで、むしろ市場を米国の一地方(米国の新聞は、USA・TODAYを除いて地方紙)から、米国全土に広げることができる。さらに国境を超えることもできる。

NYTやWSJは、日本でもヨーロッパでも購読できるようになった。つまり英語圏の新聞は電子化により、日本語新聞とは比較にならないほど、市場を拡大できるのだ。これが米国と日本の決定的な2点目の違いである。

日本の新聞社が電子化で成功するためには、「翻訳部門」を設けて、世界規模の市場で競争しなければならない。インターネットに国境はないわけだから、市場を日本に限定するのは間違っている。それではインターネットの利点を享受できない。

◆コンテンツで一部ブログに劣る日本の新聞

米国の電子新聞ハフィントンポストの記事が、2012年度に米国報道界で最も権威のあるピュリツァー賞を受けた。調査報道が高い評価を受けたのである。

かつて新聞の電子化が話題になりはじめたころ、日本では、こんな意見が大半を占めていた。新聞社の強みは、コンテンツを制作する職能である。この点では、「素人」が手掛けるブログや電子新聞は、遠く及ばない。実際、大半のネット記事は、新聞記者が執筆している。

「餅屋は餅屋」という見方が強かったのである。しかし、現在では新聞報道の質が極めて低くなり、権力と対峙する姿勢が完全に失われた記事が出回っていることは論を待たない。権力批判を展開すると、再販制度を取り上げあげられたり、新聞の偽装部数(「押し紙」)問題を刑事事件として扱われる恐れがあり、自由なジャーナリズム活動が出来なくなっているのだ。

さらに、これはわたしの私見になるが、大半の記者は日本の政治がどのようなカラクリになっているのかが、よく理解できていないようだ。そのために主観的な記事が多い。

たとえば25日の朝日に記者の著名で、自民党の中での「宏池会」の流を組む議員を保守のリベラル派と捉え、民主党と共闘して、2大政党制の再構築を提言したものがあったが、この論説などは、自民と民主のいずれもが、構造改革=新自由主義推進党であることと、軍事大国化を基本方針にしている点を、完全に見落としている。

両者に枝葉末節の違いはあっても、根本的には対立構造にはなっていない。

つまりわたしから言わせれば、新聞記者の多くは政界の構図がよくわかっていない。この程度の記事であれば、ネット上のブログでも読める。