「番記者」が安倍首相に誕生日プレゼント、安倍内閣との癒着を露呈、Twitterが報じる
左の写真はTwitterやFacebookで紹介されたものである。投稿者によると、安倍晋三首相の誕生日に、番記者たちがプレゼントを贈った場面なのだという。
不思議なことに、若い女性ばかりである。ここに映っているのは、たった5人の記者なので、全社の「安倍番」が、首相にプレゼントを贈ったわけではないようだが、日本の新聞・テレビの実態を考えるうえで、無視できない場面である。
この5名が所属する社は、みずから社名を明かすべきだろう。
安倍首相に媚びを売ってなんとかスクープを得たいという野心から、こうした行動に走ったのではないか。しかし、「癒着の構図」はいまに始まったことではない。たとえば、新聞文化賞の受賞者・渡邉恒雄氏の『君命も受けざる所あり』(日経新聞社)には、次のような場面が出てくる。
大野(黒薮注: 伴睦)さんの家には毎晩、各社の記者が来ていた。副総裁の口からいつどんな話がでるかわからないから、記者たちは大野さんを囲んで聞き耳を立てている。ところが大野さんはいつも政局と関係がない雑談ばかりなのだ。
しかも「君たちのグループ」を「君たちのパトロール」と言ってみたり、「医者のカルテに」と独特の「大野英語」で説明したり、笑いが絶えなかった。
それが一段落すると記者たちはぞろぞろと引き揚げる。私は彼らと一緒に帰るふりをして、こっそり引き返した。裏口に回ってお手伝いの女性に大野さんを呼んでもらい、そこから私だけの取材が始まる。
忙しくもあったろうし疲れてもいたろうが、大野さんはいつも時間を作ってくれた。
「ナベさん、君だけに話すんだが」
と前置きして、極密の情報を教えてくれるのはそんなときだった。
他社に先駆けて重要な情報をつかむ快感があった。大物政治家に信頼されている喜びもあった。
渡邉氏はすぐれた記者の典型を、みずからの体験と重ね合わせて記したのではないかと思うが、逆説的にみれば、この場面からは、政治家と癒着した新聞記者の実態がリアルに読みとれる。日本の新聞ジャーナリズムが駄目になった原点がかいま見えるのだ。
実際、渡邉氏は初期はともかくとして、ジャーナリストとして卓越した仕事をしなかったようだ。もちろん人物評価は、ひとそれぞれなので、渡邉氏を高く評価している人も多いが、少なくとも作品だけで評価すれば、際だった調査報道は何かという疑問が浮上する。どんな実績があるのか?記者として何をしたのか、という肝心の疑問があるのだ。
たとえば同じ新聞記者でも、朝日新聞の本多勝一氏には、『戦場の村』が、共同通信の斉藤茂男氏には『わが亡きあとに洪水はきたれ! 』があるのだが。