1. 小沢一郎・森裕子サイドは、捏造捜査報告書の流出犯として検察を名指するが、自分たちに向けられている疑惑の説明責任はどうなのか? 流出ルートは2つだけ、参院選を前に検証が不可欠

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2016年05月06日 (金曜日)

小沢一郎・森裕子サイドは、捏造捜査報告書の流出犯として検察を名指するが、自分たちに向けられている疑惑の説明責任はどうなのか? 流出ルートは2つだけ、参院選を前に検証が不可欠

夏の参院選で新潟県選挙区から森裕子(生活の党、敬称略)が野党の統一候補として出馬するようだ。参院選を前にしたこの時期、森が自論を展開した検察による捏造捜査報告書流出事件(発端は、小沢一郎氏が検察審査会により起訴された事件と裁判)について再検証してみる必要がある。

捏造捜査報告書の流出ルールは、窃盗のケースは別として次の2つしかない。

①検察側が持ち出した可能性

②裁判の被告・小沢側が持ち出した可能性

この問題に踏み込む前に、小沢氏と森氏の関係に踏み込んでみよう。

そもそも森裕子はどのような経緯で新潟選挙区の野党統一候補として台頭してきたのだろうか。議員数が衆参あわせてたった5人の弱小政党、「生活の党と山本太郎となかまたち」から野党統一候補を選ぶことは、むしろ例外の域に属するが、なぜ森なのか。

◇エープリル・フールの米山隆一(維新)のブログ

これに関して政治の裏舞台からこぼれ出たある話がある。話の出所は、2012年の衆院選で落選した民進党(当時は維新の党)の米山隆一のブログ(16年4月1日付け)である。

■米山隆一のブログ

(ただしこのブログは、筆者が第3者を通じて米山事務所に内容の信憑性を問い合わせてもらったところ、「エープリル・フール」の作り話であるとのことだった。米山自身もその後、ブログの最後で、「 ※ご承知の通り今日はエープリールフールです。第3行目以降は、事実と、希望と、法螺が混在しております。何が事実で、何が希望で、何が法螺かは、ご判断にお任せいたします(笑)。」と加筆した。それゆえに読者は、米山隆一のブログを鵜呑みせずに、ひとつの参考として読んでほしい。)

ブログによると米山は、3月ごろに、東京墨田区の向島にある料亭で小沢一郎と会談した。その際に、小沢から、参院選で森を野党統一候補に推すようにもちかけられたという。その見返りとして、米山が立候補を予定している次回の衆院選で、小沢が「田中票」を取りまとめるというのだ。

小沢が新潟県でどの程度の影響力を発揮できるかは未知だが、故田中角栄の愛弟子だった関係で、田中真紀子には極めて近い存在だ。その「田中の票」を取り込めば、米山が当選する確率が高くなる。当然、米山にとっても悪い話ではなかった。

◇日本のメルケル、日本のサッチャー

米山がブログで綴っていることが事実とすれば、小沢はなぜ森のために工作に走ったのだろうか。かりに米山がブログで綴っていることがまったくの嘘だとしても、小沢が異常に森裕子の肩入れしているのは動かしがたい事実である。

たとえば次の動画をご覧いただきたい。タイトルは、「小沢一郎 森ゆうこを後継指名」。番組概要は次のように述べている。

■「小沢一郎 森ゆうこを後継指名」

「2013年5月26日に行われた森ゆうこサポーターズ総決起集会。この中で、小沢一郎生活の党代表は、検察と戦った森ゆうこ議員に、涙ながらに謝意を述べるとともに、自分の後継者となることを期待。」

裏事情をよく知らない者にとっては、なぜ、小沢が「森ゆうこ議員に、涙ながらに謝意」を述べたのか不思議に感じるだろう。画面上の小沢には、涙腺がゆるんだ老人のような印象さえある。

小沢の発言からキーワードを拾い出してみよう。

「警察や検察と(注:森氏が)闘ってくれたおかげで、自分は晴れて無罪になった」

「個人的なことを申し上げて恐縮だが、森氏は恩人

そして圧巻は森を指した次の言葉だ。

「自分の跡を継げる人(後継指名)、日本のサッチャー、メルケル」

「警察や検察と(注:森が)闘ってくれた」とは、半年前に小沢が無罪を勝ち取ったばかりの刑事裁判における森の献身的な支援を意味しているようだ。

つまり森が小沢の無罪に並ならぬ貢献をしたことが、小沢が森を強く推している理由なのだ。

◇東京検察審査会の闇

検察審査会が小沢一郎に対して起訴相当の議決を下し、小沢が刑事事件の法廷に立たされることが決まったのは、2010年9月だった。

検察審査会というのは、「検察」の名前を付しているが、検察の組織ではない。まぎらわしいが、これは検察がある事件を不起訴にし、それを不服とする有権者が審査を申し立てた場合、不起訴が妥当かどうかを判断する最高裁事務総局の組織である。検察審査員は、裁判員制度の裁判員を選ぶのと同じような抽選方法で、有権者の中から選ばれる。

小沢が検察審査会の審査を受けることになった引き金は、改めていうまでもなく、俗にいう小沢一郎事件である。事件の発端は2009年に小沢が市民団体から、政治資金規正法違反で東京地検特捜部に告発されたことである。しかし、東京地検特捜部は、嫌疑不十分で小沢を不起訴とした。

この判断を不服とした市民団体が検察審査会に対して審査を申し立てた。そこで検察審査会が開かれ、審査員たちが検証を重ね、小沢に対して起訴相当の議決を下した。審査員たちは、検察とは別の判断を示したのだ。

これを受けて東京地検特捜部は小沢事件を再検証したが、やはり不起訴の結論を出した。とはいえ、これで小沢の無罪が確定したわけではない。市民側は検察の判断に納得しなかったので、再び権利を行使。小沢事件は検察審査会で2度目の審査にかけられることになったのだ。

これは小沢にとっては大きなプレッシャーになったに違いない。と、いうのも、検察審査会が同じ事件で同じ人物に対して2度にわたって起訴相当の議決を下した場合、強制的に刑事事件の法廷に立たされるルールがあるからだ。逆に不起訴になれば、潔白の身となる。3度目の審査は認められていない

2度目の審査で検察審査会は小沢に対して再び起訴相当議決を下した。その結果、小沢は刑事事件の法廷に立たされることになったのだ。この日は、ちょうど小沢が菅直人と党首の座を争う民主党代表選の投票日だった。当時、民主党は政権党だったから、もし小沢が菅に勝っていれば、総理に上りつめるシナリオがあった。

しかし、起訴相当議決が下った人物が総理になるとすれば、世論の反発は免れない。が、幸か不幸かマスコミによる「小沢潰し」もあって小沢は菅に敗れた。

◇森と志岐による綿密な調査

小沢一郎が刑事法廷に立つことが決まった直後から、永田町界隈で奇妙は噂が流れはじめる。それは、小沢を裁いた検察審査会は架空だったのではないかという噂だ。つまり審査員が存在しない「やらせ」の審査会を最高裁事務総局が設置して小沢を失脚させたのではないかというのが、その内容だった。

この疑惑の解明に正面から取り組んだ人物がいた。森裕子と市民運動家の志岐武彦であった。特に志岐は市民オンブズマンの協力を得て、東京地検特捜部や検察審査会が置かれている東京地裁に対して情報公開請求を繰り返し、膨大な内部資料を入手して中身を精査した。この事件の報道検証も行った。

その結果、さまざまな疑問点が見えてきたのだ。たとえば小沢に対する起訴議決が下された2010年9月14日前後の新聞報道を調査したところ、議決日の6日前(9月8日付け)に読売新聞など主要6紙が、小沢事件を審査する検察審査会の今後の日程について、これから「審査は本格化する見通し」と報じていた。ところがその直後に、急遽、小沢に対して起訴相当議決が下されたのだ。

当然、この6日の期間に審査員が集まって審査会を開催していなければ話の辻褄が合わない。ところが志岐が東京地裁から情報公開請求で引き出した審査員の日当・旅費に関する膨大な請求書を調べたところ、この6日の期間に審査会に参加した審査員たちの日当と交通費の請求を証拠づける請求書が存在しないことが分かったのだ。

志岐は、後に出版する『最高裁の黒い闇』(鹿砦社)の中で、架空検察審査会の疑惑を裏付ける7つの根拠をしめした。ここでは言及しないが説得力がある内容だ。

一方、森は国会議員の特権を使って、最高裁から検察審査会の審査員くじ引きソフトに関する資料を開示させ、それが架空審査会の温床となる「いかさまソフト」であることを解明した。その詳細についてもここではふれないが、結論を言うと、最高裁事務総局が恣意的に審査員たちを選べる仕組みになっていたのだ。もちろん「架空審査員」を選ぶこともできる。

森は志岐からも情報を入手して、国会で検察審査会を管轄する最高裁事務総局の責任を追及するようになった。最高裁事務総局にとって、森は最も恐ろしい政治家となったのである。

◇疑惑だらけの『週刊朝日』のスクープ

2012年4月、東京地裁が小沢裁判の判決を下す直前になってある転機が訪れる。検察が小沢一郎を取り調べた際に作成し、後に検察審査会に提出した報告書(事実を捏造したもの。以下、「捏造捜査報告書」)を、何者かが外部へ流出させたのだ。まず、それを『週刊朝日』がスクープした。検察審査員たちは捏造捜査報告書に誘導されて、小沢を「黒」と思い込み、起訴相当議決を下したといわんばかりの趣旨だった。

私はこの時点で、小沢に無罪判決が下ることを確信した。事実、東京地裁は2012年4月26日、小沢に無罪判決を下したのだ。

さらに追い風を受けた小沢にとって幸いする第2の怪事件が5月に起きた。歌手で作家の八木啓代のもとに、ロシアのサーバーを通じて、何者かが捏造捜査報告書を送りつけたのだ。八木は、それをみずからのウエブサイトで公開した。

一連の動きの中で、捏造捜査報告書を作成した検察に対する批判の世論が起こった。「検察が検察審査員を誘導していた」そんな声がどこからとも聞こえてきたのである。

こうした状況の下で森と八木は、「司法改革を実現する国民会議」を結成。2人は共同代表に就任して検察批判の狼煙をあげる。

2013年5月26日に行われた森ゆうこサポーターズ総決起集会で小沢が、「警察や検察と(注:森が)闘ってくれたおかげで、自分は晴れて無罪になった」とか、「個人的なことを申し上げて恐縮だが、森氏は恩人」と語ったのは、どうやら森たちによる検察批判の動きを意味しているようだ。

◇森が志岐を提訴

が、こうした動きに違和感を持つ人物がいた。ほかならぬ志岐武彦である。志岐が東京の自宅で当時を回想する。

「私はこのころは最高裁の謀略で架空審査会が設置され、小沢さんを刑事法廷に立たせたと考えていましたから、検察の捏造捜査報告書による誘導説を取り始めた森さんの動きに違和感を持ちました」

両者の間に溝が生まれた。実際、森が『検察の罠』(日本文芸社)を出版すると、志岐も負けじと『最高裁の罠』(K&Kプレス)を出版した。小沢が刑事法廷に立つことになったのは、検察が審査員たちを捏造捜査報告書で誘導した結果なのか、それとも最高裁事務総局が架空審査会を設置する謀略をめぐらせた結果なのか、この点をめぐって森と志岐の間に鮮明な対立が生まれたのだ。

インターネット上でも、両者は互いに攻撃の火花を散らした。歌手の八木啓代は、森に加勢した。ツイッターで志岐のことを「妄想癖」「虚言癖」などと罵倒し続けた。

後に八木は、名誉毀損で10万円の賠償命令を受けることになる。

森にとっては志岐との「論争」が災いしたのかも知れない。2013年の参院選に落選した。

森の落選から3カ月後、志岐の自宅に東京地裁から一通の特別送達が届いた。なんとそれは訴状であった。原告は森裕子。志岐の言動により名誉を毀損されたとして500万円の金銭請求と言論活動の一部禁止を請求する内容だった。
結論を先にいえば、この裁判は、半年であっさりと決着が付いた。志岐の完全勝訴だった。

訴状で森側は、たとえば志岐が次の内容を公言したことが名誉毀損にあたるとしている。「原告(森)が、検察の捏造報告書を入手して、X氏に渡し、X氏に指示をして、ロシアのサーバー経由でこれを八木氏に流し、八木氏とともにこの捏造報告書について騒ぎ立てをすることにより、『審査員が存在し、報告書で誘導された』と国民をだまそうとした」とする内容。

しかし、志岐がそんなことを公言した事実はなかった。判決の中でも、そのような事実認定は否定した。

逆に訴状で、森が捏造捜査報告書の流出ルートを争点にしょうとしたために、検察だけではなく、小沢側にも捏造捜査報告書の扱いについて説明を求める声が高まったのである。森たちは捏造報告書の流出犯として検察を批判するが、自分たちの説明責任はどうなのかという疑問である。

◇小沢・森の説明責任

司法関係者によると、捏造捜査報告書が外部へ流出するルートは2つしかない。ひとつは検察内部の人間による持ち出しで、これは森らが強く主張している。他のひとつは、小沢サイドからの持ち出しである。窃盗のケースは別として、それ意外はありえない。

夏の参院選を前に小沢と森には、この点について説明責任があるのではないか。検察側は、調査の結果、検察内部の人間がやったことではないと説明しているが、小沢サイドからの説明は不十分ではないか。

志岐が被告にされた裁判の中で、志岐側の山下幸夫弁護士は小沢と小沢の代理人・弘中惇一郎の証人尋問を要求したが、実現しないまま、裁判は早々と決着した。尋問を実施すべきだった。

※敬称略