1. 新聞の没落は止まらず、2015年12月度のABC部数、真村訴訟が暴いたABC部数に含まれる「押し紙」隠しの手段

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2016年02月10日 (水曜日)

新聞の没落は止まらず、2015年12月度のABC部数、真村訴訟が暴いたABC部数に含まれる「押し紙」隠しの手段

2015年12月度のABC部数を紹介しよう。中央紙、ブロック紙、地方紙と、そのほか若干の諸紙をあわせた日刊新聞の発行部数は、38,504,441部で、前年同月比で、-715,131部である。

このうち中央紙では、朝日が約19万部、読売が約11万部減った。新聞ばなれが歯止めがかからない実態が明らかになった。中央紙の発行部数と、前年同月比(括弧内)は次の通りである。

朝日新聞:6,622,811(-186,238)

毎日新聞:3,164,919(-112,143)

読売新聞:9,032,106(-110,647)

日経新聞:2,732,604(-385)

産経新聞:1,567,836(-38,185)

■2015年12月度のABC部数

◆「押し紙」を含む

「押し紙」とは、広義には新聞社が新聞販売店に対して供給する過剰な新聞部数を意味する。残紙ともいう。たとえば2000部しか配達していない販売店に対して3000部を搬入すれば、差異の1000部が「押し紙」である。この1000部に対しても、新聞社は卸代金を徴収する。普通の新聞とまったく同じ扱いにしているのだ。

かりにジャーナリストが「押し紙」問題で新聞社を追及しても、自分たちは一度も「押し紙」をしたことはないと真面目な顔で反論してくる。新聞社サイドには、たとえそれが詭弁であっても別の公式見解があるのだ。

しかし、「押し紙」隠しの実態は、2002年に提起された真村訴訟の中で完全に暴露された。しかも、それが裁判で認定された。(下の画像が「押し紙」の回収場面である。広告のスポンサーに対する背信行為である。)

◆「押し紙」隠しの手口を暴露した真村訴訟

この裁判の原告・真村久三氏は、20代と30代は自動車教習所の教官として働いてきたが、40歳で新聞販売店の経営を始めた。読売新聞社が販売店主を公募していることを知り、転職に踏み切ったのである。自分で事業をしてみたいというのが、真村氏のかねてからの夢だった。

幸いに真村氏は店主に採用され、研修を受けたあと、1990年11月にYC広川の経営に乗りだした。ところがそれから11年後、読売新聞社との係争に巻き込まれる。

発端は読売新聞社が打ち出した販売網再編の方針の下で、YC広川の営業区域の一部を隣接のYCへ譲渡する提案を受けたことだった。YC広川の営業区域は小さかったが、販売店の自助努力で読者を大幅に増やしていたので、真村氏は譲渡案を受け入れる気にはなれなかった。理不尽な要求に思えた。自分で開墾した畑がようやく豊富な作物を生むようになったとたんに、奪い取られるように感じたのだ。

そこで真村氏は読売の提案を断った。これに対して読売は、真村氏との取引契約を終了する旨を通告した。

2001年に真村氏は、提訴に踏み切った。この裁判は俗に真村訴訟と呼ばれる有名な裁判で、真村氏が勝訴することになる。
争点になったのは、広義の「押し紙」問題だった。なぜ、地位保全裁判で「押し紙」が争点になったのか、順を追って説明しよう。それなりの理由があるのだ。

次に示す数字は、真村氏が読売新聞社に提出した業務報告書(2000年12月度)に記された新聞の部数内訳である。

今月定数(注:搬入部数):1625部
実配(注:実配部数)  :1589部
※「注」は黒薮注。

この業務報告書の実物写真は、右に示した。
たくさんの数字が並んでいるが、混乱を避けるために、「今月定数」と「実配」だけに注目してほしい。両者の差異は、わずか36部である。

YC広川では、配達後の36部の新聞が過剰になっていたことになる。「今月定数」が1625部であるから、36部の「残紙」は、全体の2%である。

この程度の「残紙」部数では、厳密には「押し紙」とは言えない。と、いうのも新聞が配達中に破損するリスクを想定して、若干の予備紙を確保しておく必要があるからだ。「残紙」の許容範囲である。

この書類だけを見れば、真村氏の販売店には、「押し紙」が1部も存在しないことになる。極めて健全な店ということになる。が、実態はそうではなかった。

実は、約130部の新聞が「残紙」となっていたのである。と、すればなぜ真村氏は、この部数を「残紙」として読売本社へ報告しなかったのだろうか。
答えは、業務報告書に「残紙」部数、あるいは「押し紙」部数を書き込む欄が存在しないからである。かりに「押し紙」部数という記入項目があれば、それだけで独禁法違反の証拠になる。それゆえに業務報告書には、「残紙」とか「押し紙」の項目は、もとより存在しないのだ。

読売新聞社の宮本友丘専務が、新潮社とわたしに対する裁判の中で、「読売新聞の販売局、あと読売新聞社として押し紙をしたことは1回もございません」と証言(2010年11月16日)した根拠も、おそらくは業務報告書の書式が念頭にあったのではないか。

実際、経理書類の上では、「押し紙」は1部も存在しない。だから宮本氏は別にウソを述べたわけではない。

業務報告書に「残紙」部数、あるいは「押し紙」部数の記入欄がない事実。
それが実態とすれば、真村氏は実質的には過剰になっていた約130部の新聞を経理書類上でどのように処理していたのだろうか?

結論を先に言えば、「実配」の項目に加算して報告していたのである。つまりYC広川が配達して、読者から購読料を徴収している新聞部数の一部として報告していたのだ。とはいえ、この約130部については、読者が存在しないのであるから、架空読者ということになる。

◆架空の配達地区を設置

そこで必然的に浮上してくる経理処理の方法は、帳簿上で架空の配達区域を設けて、そこに架空読者を登録することである。改めて言うまでもなく、架空読者の新聞購読料と消費税は、販売店が自腹で負担する。

実際、真村氏はPC上に「26区」と命名した架空の配達地区を設け、架空読者を登録していたのである。真村裁判では、この「26区」をどう解釈するかが判決の分かれ目となったのだ。

「26」区のような経理処理の方法を客観的に見ると、問題があることは否定できない。虚偽に該当するからだ。実際、読売新聞社は、真村氏を解任する理由として、虚偽報告を主張した。真村氏が26区を設けるなど虚偽の報告をしていたことで、信頼関係が崩れたので解任は当然だと主張したのである。

これに対して真村氏は、虚偽報告を行っていたことを認めたうえで、虚偽報告をせざるを得なかった理由として、読売新聞による「押し紙」政策の存在を主張したのである。つまり「実配」として報告していた残紙は、「押し紙」であり、それを経理処理する上で虚偽報告にならざるを得なかったと主張したのだ。

かくして真村氏が「実配」として報告していた約130部の残紙が強制された部数なのか否かが、真村裁判の争点となったのだ。裁判所がそれを強制された部数と認定すれば、読売新聞社の側に非があることになる。一方、真村氏は「残紙」部数を経理処理するためにやむなく帳簿類を改ざんしたことになり、解任理由はなくなる。

判決は、すでに述べたように真村氏の勝訴だった。ただし裁判所は判決の中で真村氏が虚偽報告をしていた事実については批判した。批判したうえで、次のように述べている。福岡高裁判決から引用しておこう。

しかしながら、新聞販売店が虚偽報告をする背景には、ひたすら増紙を  求め、減紙を極端に嫌う一審被告の方針があり、それは一審被告の体質に  さえなっているといっても過言ではない程である。

さらに「押し紙」による公称部数のかさあげについて判決は、次のように認定した。

このように、一方で定数と実配数が異なることを知りながら、あえて定  数と実配数を一致させることをせず、定数だけをABC協会に報告して広  告料計算の基礎としているという態度が見られるのであり、これは、自ら  の利益のためには定数と実配数の齟齬をある程度容認するかのような姿勢  であると評されても仕方のないところである。そうであれば、一審原告真村の虚偽報告を一方的に厳しく非難することは、上記のような自らの利益  優先の態度と比較して身勝手のそしりを免れないものというべきである。

■真村訴訟・福岡高裁判決全文

真村訴訟の中で、ABC部数に「押し紙」が含まれている事実と、その隠蔽方法が明らかになったのである。