1. カウンターグループの「釘バット」、左派のイメージダウンに貢献か、反差別運動に対する公権力のスタンス

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2018年07月04日 (水曜日)

カウンターグループの「釘バット」、左派のイメージダウンに貢献か、反差別運動に対する公権力のスタンス

裁判の判決の中には、政治判断が色濃く反映したものが時々みられる。たとえば特定秘密保護法を合法とする判決などは、その典型である。

筆者が取材した裁判の中にも、この種の判決がある。第2次真村裁判がそうだった。日本の権力構造の歯車に組み込まれている新聞社を守るという観点から、販売店主を敗訴させたと推測される例である。この裁判がいかに不自然なものであったかは、拙著『新聞の危機と偽装部数』に詳しく記録している。

携帯電話の基地局撤去をめぐる裁判でも、ユビキタス社会の実現という国策を優先して、ことごとく原告が敗訴させられている。

ちなみに、  ユビキタス社会とは、「『いつでも、どこでも、何でも、誰でも』がコンピュータネットワーク、インターネットを初めとしたネットワークにつながることにより、 様々なサービスが提供され人々の生活をより豊かにする社会である」(ウィキペディア)

今、わたしが政治判断が働いていると感じている裁判は、李信恵氏が起こしてきた差別的な表現をめぐる一連の裁判である。もちろん客観的に見て、被告の言動が名誉を毀損していることは否定できないので、政治判断による誤った判決とはいえないが、それにもかかわらず次のような力関係が働いていることはほぼ間違いないだろう。

つまり公権力としては、言論を規制する判例を次々と作ることで、言論の許容範囲を狭くしたい。表現を統制したい。これを政策の獲得目標として据えたとき、表現を争点とした裁判は、公権力にとって極めて利用価値が高いのだ。言論の幅を狭くする格好の機会であるからだ。

それゆえに表現をめぐる裁判は公権力にとっては大歓迎で、李の勝訴は記者クラブを通じて華々しく報じられるのだ。

ちなみに李氏は、自分が被告となったM君リンチ事件の裁判でも、免責されている。控訴審でどうなるかは今のところ不明だが、裁判にはめっぽう強い人物ということになる。

◇「釘バット」と凶器準備集合罪

言論をめぐる裁判や運動に対する公権力のスタンスには、注意する必要がある。利用価値があるものは、容赦なく利用する。裏面があるのだ。

公安警察と広義しばき隊の関係も要注意である。元しばき隊隊員の神原元弁護士は、ツイッターで、自身に対する懲戒請求者の個人情報を公安警察に提供することを提案しているが、他の側面からも公安警察と広義しばき隊の関係を検証する必要がある。

たとえば、広義のしばき隊が公安警察の監視対象になっているという話をよく聞く。インターネット上でもこの種の記述を時々みかける。しかし、筆者は、この話はかなりあやしいと感じている。

監視対象ではなく、むしろ彼らを放置する方針を取っているというのが実態ではないか、というのが筆者の考えである。仮に公安警察が、広義しばき隊を本気で取り締まりたいと考えているのであれば、口実はあるはずだ。たとえば凶器準備集合罪である。

  二人以上の者が、他人に害を加える目的で凶器を準備したり、凶器の準備があることを知って集合する罪。刑法第208条の3の第1項が禁じ、2年以下の懲役または30万円以下の罰金に処せられる。 (デジタル大辞泉)

次の写真は、いわゆる「釘バット」である。

取り締まらない理由は実に単純で、左派のイメージダウンに貢献してくれるからだ。

◇日本のカウンター運動

日本のカウンター運動を客観的に見たとき、民主主義を前へ進めるどころか、ブレーキをかけているような印象を受ける。もちろん、ヘイトスピーチなど相手を侮辱する行為そのものは誤りであると、筆者は感じる。しかし、それに対する反対運動の方法も間違っている。言論統制を進めるために、特定秘密保護法や共謀罪法案を設けた公権力に、彼らは上手に利用されているのではないか。

自分たちが正義のつもりでやっていることが、社会にどのような負の影響を及ぼすかのかまでは気づいていないようだ。