検察が在特会元幹部を名誉毀損で在宅起訴、人間の内心を法律で規制する危険性、ヘイトスピーチを逆手に取った言論規制の強化
共同通信が、4月23日付けで、「ヘイトに名誉毀損罪初適用」「在特会元幹部を在宅起訴」と題する記事を掲載している。短い記事なので、まず、全文を掲載しよう。
拡声器を使って朝鮮学校の社会的な評価をおとしめる発言をしたとして、京都地検が名誉毀損罪で、在日特権を許さない市民の会(在特会)の西村斉元幹部(49)=京都市右京区=を在宅起訴していたことが23日、分かった。20日付。
学校側の弁護団によると、ヘイトスピーチ(憎悪表現)を巡る刑事事件で名誉毀損罪が適用されるのは初。
京都朝鮮学園が昨年6月、西村被告の発言はヘイトスピーチにあたるとして京都府警に告訴、その後地検が任意で捜査していた。 ■出典
起訴の理由は、名誉毀損である。しかも、民事ではなく刑事事件である。
ヘイトスピーチそのものは容認されるものではないが、人間の内心の自由、あるいは思想の自由を、検察が法の力で規制する行為は危険きわまりない。しかも、刑事事件のかたちで、表現の自由、あるいは内心の自由に規制をかけてきたのである。
これは安倍内閣の下で進んでいる言論抑圧策の一端とみるべきだろう。広義のスラップ多発の流れの中の動きである。ヘイトスピーチを逆手に取って、言論に対する規制を強化する策略にほかならない。
「在特会」憎さに喜んでいる場合ではないのである。
なぜ、表現や人間の内心を法律で規制することに問題がるのだろうか。改めていうまでもなく、人間はひとりひとり異なった物の見方、あるいは思想をもち、しかも、自分の考え方を絶対的な基準にして、社会や人間を評価するものであるからだ。例外なしに、自分の思想こそは絶対に正しいと信じている。「正しいこと」の中味はそれぞれ異なるのだ。
従って、法の力で言論を封殺したところでなんの効果もない。憎しみや憎悪を蓄積させるだけで、問題の解決にはならない。むしろ、暴力の温床となる可能性のほうが高い。
特に、何かの思想に固執している人ほど、その傾向が強い。人間の内面を法律で押さえ込むことは、ほとんど不可能と言っても過言ではない。従って、内心に対する規制は無意味なのだ。
思想の評価には、歴史的な時間を要する。それを尊重するのが民主主義である。
もちろんヘイトスピーチが暴力にエスカレートすれば、取り締まるべきである。それは現行の法律で十分可能であり、正当な行為である。
ヘイトスピーチに対しては、正常なかたちの市民運動、あるいは住民運動で対抗すべきだろう。名誉毀損刑事事件というかたちは誤っている。