
このところ、「弁護士から裁判提起をほのめかされたことがある」という情報提供が相次いで寄せられている。個々の件について調査中なので、いまの段階では、弁護士名の公表はひかえるが、武道の有段者が素人を恫喝しているような印象がある。
柔道や空手の流派によっては、路上での武術の使用は禁止されているが、法律の専門家には規制がない。
この種の事件でいま問題になっているのは、弁護士が大量の懲戒請求を受けた件である。組織的に行われた「攻撃」である。一説によると懲戒請求の件数は、1人の弁護士につき900件を超えているという。懲戒理由は同じらしい。
これに対して、弁護士側は懲戒請求者全員に対して、損害賠償裁判を起こすことを宣言した。その方針を記者会見を開いて発表した弁護士もいる。ただし、実際に提訴に及ぶ前に和解に応じる旨も明らかにした。
その和解条件のひとつに、不当懲戒を認めて10万円を支払うというものがある。
◆莫大な和解金が入る構図
弁護士を軽々しく懲戒請求すること自体には問題がある。当然、正当な理由がなければ懲戒は認められるはずがない。弁護士であれば、そんなことは分かっているはずだ。懲戒請求の対象になるのは、懲戒理由の中身であって、量ではないからだ。署名を提出するのとは意味が異なるのだ。
と、なれば懲戒対象弁護士は、答弁書を1枚作成して、それをコピーして書面を準備し、弁護士会へ提出するだけですむ話だ。
ところが懲戒請求された弁護士らは、懲戒請求者1人につき10万円の支払を提案しているのだ。それに応じなければ、提訴することも宣言している。
懲戒請求者が900人とした場合、全員が和解に応じれば、弁護士は9000万円もの和解金を得ることになる。訴訟をして弁護士が勝訴し、かりに20万円の損害賠償が認められた場合は、その判例を根拠にして、和解に応じなかった懲戒請求を提訴すれば、さらに莫大な額の金銭が入ってくることになる。
おそらく1億円を超えるだろう。
読者はこのような構図をどう考えるだろうか。構図がおかしいと感じないだろうか。
実際、おかしいと感じた人もいて、先に述べた戦術を選んだ弁護士の1人に対して、今年の5月、懲戒請求を申し立てた。この人は大量懲戒請求には加わっていない。無関係である。構図自体に問題があると考えて、懲戒請求したのである。
ところが、これに対して懲戒対象弁護士が選んだのは、やはり名誉毀損裁判だった。
◆軽々しい裁判提起
軽々しく裁判を提起したり、提訴をほのめかす風潮が生まれている。それが言論を委縮させていく。日本は、一歩ずつ言論の自由のない国へ近づいている。警察や政府がそれを主導しているのではない。「市民」の側が自分で自分の首を絞めはじめているのである。

新聞販売業界の衰退がいちじるしい。次に示す数値は、2001年と2017年の従業員数の全国総合計である。日本新聞協会のデータである。
《総数》
2001年:46万4827人
2017年:30万909人
《専業(男子)》
2001年:6万3488人
2017年:3万7860人人
《専業(女子)》
2001年:1万8348人
2017年:1万1324人
《新聞奨学生》
2001年:1万6333人
2017年:4252人
《副業(アルバイト)》
2001年:13万4181人
2017年:13万3496人
ちなみに販売店の軒数も、2万1864軒(2001年)から、1万6378軒(2017年)に減った。■出典
◇ベトナム人やモンゴル人らが配達
この17年間で専業の従業員(男子)は、おおむね半減している。販売店の核になる人材が激減しているわけだから、事業そのものが縮小していることを物語っている。新聞業界の衰退を最も如実に反映している。
また、新聞奨学生は、かつての3分の1になってしまった。新聞奨学生の激減については、労働条件が相対的に劣悪なことが原因で、新聞配達とは別のアルバイトに人材が移動している結果である。新聞奨学生が減った分を、外国人労働者(ベトナム人、モンゴル人など)に頼っているのが実情だ。実際、副業者(アルバイト)の数は、この17年間、ほとんど横ばいだ。
新聞販売業界の縮小傾向には、まったく歯止めがかかっていない。販売店が消滅するのは時間の問題である。
ただ、他の業務(宅配など)との連携を模索している新聞社もあるようだ。しかし、関係者は、「きわめて難しい」と口をそろえる。日課に無理があるというのだ。
朝刊の配達が終わるのが7時ぐらいで、その後、仮眠を取らなければならない。午後からは、折込広告のセッティングなどがある。さらに夕刊後には、新聞拡販。新聞の仕事だけで手一杯なのだ。
2018年08月20日 (月曜日)

洗脳の基本的原理は、影のように忍び足で近づき、大衆の脳にある種の価値観を埋め込むことである。そのためには怪しまれないことが大前提になる。
「尾畠春夫」、「ボランティア」という2つのキーワードで、インターネットのニュースを検索すると、次々と記事の見出しがパソコンの画面に現れる。「尾畠春夫」とは、行方不明になった幼児の捜索にボランティアとして加わり、幼児を発見した「英雄」だ。尾畠氏は、その後、広島の被災地へ足を運び、そこでもボランティアとして復旧作業に協力している。
東京オリンピックへ向けて、マスコミが「ボランティア」を盛んにPRしている。災害が発生するたびに、ボランティア活動を大々的に報道している。そこには、人に優しいボランティアの姿が映し出される。
その映像を見て、多くの人が「無償で働き、それにより友愛が生まれ、社会が良くなる」という考え方に染まるだろう。いわゆる心がけの重要性を説く観念論哲学の拡散である。洪水のようにあふれるボランティアのニュースの中で、知らないうちに人々の意識に変化が生じるのだ。
これが世論誘導の輪郭なのだ。
その結果、被災地に投入される公的資金も限定されてしまい、2011年の3・11の後、いまだに避難生活を余儀なくされているひともいる。国が公的支援を放棄するに至ったのだ。
◇ただ働きの思想の普及
困っている人を無償で援助する行為を批判する人はだれもいない。実際、人助けそのものは立派な貢献である。だから批判の余地がまったくない。が、問題はその背景にある哲学なのだ。
「無償で働き、それにより友愛が生まれ、社会が良くなる」という考えは、実は著しい経済的格差が生まれている日本の社会構造、社会システムを支えるための哲学でもあるのだ。こうした意識を植え付けられた人々は、労働運動には参加しないだろう。「賃金を上げろ」とも言わないだろう。常に「和」を心がける人間に変質するからだ。
ボランティアのニュースをマスコミが洪水のように垂れ流すことによって、日本の支配層が求める従順な人間づくりが大規模に進行しているのである。
◇日本人は従順な民族ではなかった
しかし、こうした政治的側面が強い世論誘導は、今に始まったことではない。1960年代に文部省の中央教育審議会が打ち出した人づくりの方針-「期待される人間像」がその原点にある。そして、日本の文教政策は基本的には現在まで同じ路線を走ってきたのだ。
「日本人は大人しい国民性」だと言われてきたが、従順さは生まれながらの性質ではなく、意図的な国策の結果にほかならない。夏目漱石の「坊ちゃん」や石川啄木の「雲は天才である」(電子版)などを読めば、戦前の日本人がいかに自由闊達だったかが分かる。権力に対して決して従順ではなかった。
本来、マスコミは同時代で起きている洗脳のからくりを解明して、それに警鐘を鳴らさなければならない。しかし、日本の記者クラブ主導のマスコミは、世論誘導が進行中であることにすら気づいていない。
ヒトラーがベルリンオリンピックを政治利用したように、安倍首相は東京オリンピックを政治利用しようとしている。そのためのキーワードがボランティアなのだ。それを支援しているのが電通など、大手広告代理店である。

「押し紙」は、日本の新聞社の恥部だが、今だにその存在を新聞人が認めていないことを読者はご存じだろうか? 「押し紙」問題を指摘すると、必ず次のようなニュアンスの言葉が返ってくる。
「あなたが言っている『押し紙』とは、残紙のことだろう」
新聞販売店が自分の意思で新聞の仕入れ部数を決めているので、「押し紙」ではないという恐るべき詭弁である。たしかに帳簿上は、販売店が仕入れ部数を決めたことになっているが、その背景に新聞社による優越的地位の濫用がある。
2016年7月、『月刊Hanada』に「押し紙」についての記事を掲載したところ、読売の滝鼻太郎広報部長が編集部に抗議文を送付してきた。次に紹介するのは、抗議に対する筆者の反論である。背景を知らない人にも理解できるように反論文を構成している。
滝鼻氏の抗議の中身は、究極のところ真村訴訟の福岡高裁判決が読売の「押し紙」を認定したとするわたしの判例解釈は間違っているというものだ。
【反論文の全文】
貴殿から送付されました抗議書に対して、記事の執筆者である黒薮から回答させていただきます。まず、貴殿が抗議対象とされている箇所を明確にしておきます。と、言うのも貴殿の抗議書は、故意に問題の焦点を拡大しており、そのために議論が横道へそれ、本質論をはずれて揚げ足取りに陥っているきらいが多分に見うけられるからです。
貴殿が問題とされている箇所は、枝葉末節はあるものの、おおむね『月刊Hanada』 (7月号)に掲載された「公取が初めて注意『押し紙』で朝日も崩壊する」(黒薮執筆)と題する記事の次の引用部分です。この点を確認し、共有する作業から、わたしの反論を記述します。
「裁判の結果は、真村さんの勝訴でした。2007年12月に、最高裁で判決が確定しました。裁判所は「真村さんが虚偽報告をしていたのは批判されるべきだが、その裏には読売の強引な販売政策があった」との見解を示し、真村さんの地位を保全したのです。この裁判で裁判所は、新聞史上初めて、押し紙の存在を認定したのです」
抗議書によると、貴殿は、2007年12月に最高裁で確定した第1次真村裁判の判決(西理裁判長)が貴社による「押し紙」政策を認定しているとするわたしの判例解釈は誤りだという見解に立ち、抗議の書面を送付されたわけです。
さらに貴殿は第2次真村裁判についても抗議書の中で言及されておりますが、これについてはわたしは本件記事の中ではまったく言及しておらず、貴殿の主観によって導かれた議論のすり替えに該当しますので、補足的に後述するにとどめ、まず、第1次真村裁判の判決が、なぜ貴社の「押し紙」政策を認定したと解釈し得るのかを説明させていただきます。
◇真村事件とは
貴殿もご存じのように真村裁判は、貴社がYC広川(福岡県広川町)の営業区域を隣接店へ譲渡する方針を打ち出されたことに端を発する事件です。その隣接店の店主は、暴力事件を起こしたこともあるSという人物の弟でした。Sは〝大物店主〝でした。Sについては、S尋問調書(平成17年○月○日)にも記録されております。この人物の存在なくして、貴社西部本社の新聞販売政策を語ることはできません。
第1次真村裁判は、真村店主が貴社の方針に抗議したのに対抗して、貴社が強制改廃を言い渡し、それを受けて、真村氏がやむなく提訴するに至った経緯があります。
◇「押し紙」と「積み紙」
この裁判の最大の争点となったのは、YC広川にあった「残紙」の性質をどう解釈するのかという点でした。具体的に言えば、「押し紙」と解釈するのが妥当なのか、それとも「積み紙」と解釈するのが妥当なのかという論点です。これについても、貴殿は本件議論の前提事実として認識されているものと思います。
「押し紙」とは、貴殿も抗議文の中で示されているように、「新聞発行業者が、正当かつ合理的理由がないのに、販売業者が注文した部数を超えて新聞を供給」する結果として発生する「残紙」のことです。端的に言えば、手口の差こそあれ、「押し売り」された新聞のことです。
これに対して「積み紙」とは、販売店の側が、販売(配達)部数を超えた数量の新聞を注文した結果として発生する「残紙」を意味します。販売店が販売予定のない新聞をあえて注文する行為に走る背景には、次のような特殊な事情が存在します。販売店に割り当てられる折込広告の枚数は、新聞の搬入部数に一致させる基本原則がある。当然、残紙に対しても折込広告はセットとして割り当てられる。
このような構図のもとでは、折込広告による収益が、「押し紙」による損害(「押し紙」分の新聞の卸代金)を相殺し、さらに水増し利益を生むことがままある。これこそが販売店が販売予定のない新聞をあえて注文する最大の理由にほかなりません。他にもありますが、本論からはずれるので言及は控えます。
「押し紙」と「積み紙」のバランスを取りながら、時には販売店主との談合により、広告主を欺きつつ、販売店と新聞社の経営安定を図る戦略が、貴殿ら日本の新聞人が構築されたビジネスモデルになっていることは、貴殿も十分に認識されているものと思います。それがいま、大きな世論の批判を受けていることも周知の事実です。それゆえに本件記事は、極めて公益性の高いテーマで貫かれているといえます。
真村裁判で貴社は、YC広川の残紙(約130部)は「積み紙」であり、それが貴社の信用を失墜させる要因なので、同店の懲罰的な改廃には正当な理由があるという趣旨の主張を展開されました。一方、原告真村氏の弁護団は、同店の残紙は、優越的地位の濫用のもとで生じた「押し紙」なので改廃理由には該当しないと主張しました。つまりこの裁判の最大の争点は、YC広川の残紙がどのような性質のものであるかという点でした。裁判所はこの点を検証したのです。
福岡高裁判決は、貴社の行為を次のように認定しています。引用文中の「定数」とは新聞の搬入部数のことです。
「このように、一方で定数と実配数が異なることを知りながら、あえて定数と実配数を一致させることをせず、定数だけをABC協会に報告して広告料計算の基礎としているという態度が見られるのであり、これは、自らの利益のためには定数と実配数の齟齬をある程度容認するかのような姿勢であると評されても仕方のないところである。そうであれば、一審原告真村の虚偽報告を一方的に厳しく非難することは、上記のような自らの利益優先の態度と比較して身勝手のそしりを免れないものというべきである。」
判決のこの箇所では、貴社が実配部数と搬入部数の間に齟齬があることを認識していながら、正常な取引部数に修正しなかった事実が認定されています。つまり貴社が注文部数を決めていたのです。さらに裁判所は、その背景に、貴社の部数への異常とも言える執着があることを、次のように認定しています。
「販売部数にこだわるのは一審被告(黒薮注:貴社のこと)も例外ではなく、一審被告は極端に減紙を嫌う。一審被告は、発行部数の増加を図るために、新聞販売店に対して、増紙が実現するよう営業活動に励むことを強く求め、その一環として毎年増紙目標を定め、その達成を新聞販売店に求めている。このため、『目標達成は全YCの責務である。』『増やした者にのみ栄冠があり、減紙をした者は理由の如何を問わず敗残兵である、増紙こそ正義である。』などと記した文章(甲64)を配布し、定期的に販売会議を開いて、増紙のための努力を求めている。
米満部長ら一審被告関係者は、一審被告の新聞販売店で構成する読売会において、『読売新聞販売店には増紙という言葉はあっても、減紙という言葉はない。』とも述べている。」
ここでは貴社が販売店に新聞部数を押し付けるために実施した具体的な言動が記録として刻印されています。貴社の米満部長が、「読売新聞販売店には増紙という言葉はあっても、減紙という言葉はない」と公然と発言している事実。これなどは販売店が注文部数を決定できない貴社の販売政策をずばりと突いています。
◇自由増減を宣言する前は?
さらに判決は、貴社が販売店に対して新聞部数の「自由増減」を認めていなかった事実にも言及しています。「自由増減」とは、販売店が自由に注文部数を決定する権利を保証する制度を意味します。
貴社は皮肉にも真村店主に対して「自由増減」を言い渡しましたが、その経緯は次の通りです。
既に述べたように真村氏は、自店の営業区域を防衛しようとして貴社の方針に服従しなかったために、貴社から販売店の改廃を宣告されました。この改廃宣告に先立つ段階で貴社は、YC広川を「死に店」扱いにすると真村氏に通告しました。
「死に店」扱いとは、癌などの「死病」に例えて説明すると、患者本人ではなく医師が自分の判断で、延命措置をとらないことを意味します。つまり担当員の販売店訪問は取りやめ、販売政策に関する指示も提示しなければ、補助金も支給しない。さらに福利厚生を受ける権利も剥奪する方針を意味します。要するに情け容赦なく、販売店を「自然死」に追い込むことです。
真村氏は池本担当員から決別宣告のように、「死に店」扱いを明記したメモを突きつけられました。そこには、池本氏の自筆で、新聞に関しては「供給持続する」、ただし「自由増減」と明記されていたのです。貴社の「押し紙」を柱にしたビジネスモデルから真村店主を「村八分」にするがゆえに、真村氏に関しては、例外的に自由増減が適用されたのです。
このメモは、「池本メモ」と呼ばれ、後に裁判所へも「押し紙」政策の証拠として提出されました。
貴社がYC広川に対して「自由増減」を宣告する前の時期、そもそも真村店主には自由に注文部数を決める権限がなかったわけですから、貴社が「注文部数」を決めていたことになります。従ってYC広川の残紙は、貴社が真村氏の意思とは無関係に、販売政策に従って部数を決めた結果発生した「押し紙」にほかなりません。この事実ひとつを見ても、貴社の販売政策は独禁法の新聞特殊指定に抵触しております。
実際、福岡高裁判決は、「池本メモ」について次のように貴社の優越的地位の濫用を認定しております。
「池本は、同一審原告に対し、今後、新聞供給は継続すること、注文部数その他につき自由に増減できること、増紙業務は依頼しないこと、読売会活動には不参画とすること、業務報告は不要であるし、池本ら担当員も訪店を遠慮すること、平成14年1月からは増紙支援をしないこと、所長年金積立は中止し、従業員退職金の補助等をしないこと、セールス団関係は、一審原告真村が直接処理すべきこと、特別景品は可能な限り辞退されたいこと、などを申し渡した。」
真村店主は「池本メモ」を突きつけられ、貴社の「鎖」を解かれ、貴社による「押し紙」を柱としたビジネスモデルの歯車から除外されたわけです。従って貴社本来の販売政策は、「押し紙」を前提としたものであるという結論になります。
以上が、本件記事の中でわたしが「この裁判で裁判所は、新聞紙上初めて、押し紙の存在を認定した」と記した理由です。
◇PC上の架空の配達地区
なお、貴殿も抗議書の中で言及されているように、裁判所が判決の中で真村氏による虚偽報告を批判しているのは事実です。「押し紙」を経理処理するためにPC上の「帳簿」に26区と呼ばれる架空の配達地区を設けていたのも事実です。
しかし、それは貴社を独禁法違反から守るために行った「押し紙」隠しの行為にほかなりません。事実、裁判所もこの点を批判した上で、次のような重要な記述を追加していますが、貴殿は最も肝心なこの追加部分を抗議書の中では故意に隠しています。それは次の記述です。判決は、真村店主の虚偽報告を批判した上で、次のように述べています。
「しかしながら、新聞販売店が虚偽報告をする背景には、ひたすら増紙を求め、減紙を極端に嫌う一審被告の方針があり、それは一審被告の体質にさえなっているといっても過言ではない程である。」
ここでも貴社の部数至上主義を上段にかかげた体質が厳しく批判されております。
なお、福岡高裁判決は、貴社に対して真村氏へ慰謝料200万円を支払うように命じています。この200万円という額が慰謝料としていかに破格の高額であるかは、貴社の顧問弁護士にご確認ください。裁判所が高額な慰謝料支払いを命じた背景には、貴社の「押し紙」政策など、優越的地位の濫用によって真村店主が多大な損害を受けたことを裁判所が認めた事情があることは論を待ちません。
◇「一般の読者の普通の注意と読み方」が基準
ちなみに「押し紙」の定義について、参考までに補足しておきます。一般の人々は「押し紙」、あるいは「積み紙」という業界用語の背景にある特殊なビジネスモデルのからくりを知るよしもありません。従って彼らは、販売店の残紙を広義に「押し紙」と呼んでいます。新聞以外の商取引では、売り手が販売予定のない商品を購入する状況はおおよそ想像できず、商品が店舗に多量に余っていれば、それはすなわち「押し売り」の結果と判断するのが自然だからです。それが社会通念です。
貴殿は抗議書の中で、「本件記述は全く事実に反する誤った内容であり、読売新聞の名誉を著しく毀損しています」と述べておられますが、「ある記事の意味内容が他人の社会的評価を低下させるものであるかどうかは、一般の読者の普通の注意と読み方を基準として判断すべきものである(31年7月20日、最高裁第二小法廷判決)となっており、一般の読者が「押し紙」という言葉が狭義に定義する意味を理由に、名誉毀損を主張するのはまったく的外れです。
たしかに「押し紙」というその字面、その語感から「押し売り」を連想する人は多いですが、一般の人々が問題にしているのは、販売店で過剰になっている新聞の存在そのものです。従って販売店主に批判の矛先が向けられることもあります。
「押し紙」とは、社会通念上では、漠然と残紙全般を意味しており、業界の特殊用語としての狭義の「押し紙」とは若干区別しなければなりません。
たとえ残紙が狭義の「押し紙」であろうが、「積み紙」であろうが、広告主を欺いている事実に変わりはありません。
貴社の販売店、たとえばYC久留米文化センター前やYC大牟田中央、それにYC大牟田明治に約40%から約50%の残紙があった事実は、裁判のプロセス中でも明らかになっております。確かにこれらの残紙は狭義の「押し紙」とは認定されていませんが、少なくとも残紙であることは事実であり、広告主に対する貴社の責任は免れません。
第2次真村裁判について、わたしは本件記事の中ではまったく言及しておりません。それにもかかわらず貴殿の抗議書には、第2次真村裁判に関する記述があります。しかし、2つの裁判を繋ぐうえで不可欠な論理的な整合性が完全に欠落しております。
◇第2次真村裁判
それを踏まえたうえで、ここでは真村氏の名誉のために、次の点にだけ言及しておきます。第2次真村裁判は、真村氏が起こした裁判であることは事実ですが、その原因はすべて貴社にありました。貴殿は、このあたりの事情を正確に取材されたでしょうか。あまりにも事実認識が誤っています。
2007年12月に第1次真村裁判の判決が最高裁で確定した半年後、貴社は真村氏が「黒薮」に読売の販売政策に関する情報を提供したなどと言いがかりをつけて、YC広川を強制改廃しました。これに対して真村氏は再び貴社に対して地位保全裁判を提訴せざるを得ませんでした。そして裁判は、つい先日まで続いたのです。
何の権力も持たない無辜の一個人を法廷に15年近く法廷に縛り付け、人生を台無しにした貴殿たちの行為は、司法制度を濫用した著しい人権侵害です。それを言論機関が断行したことは、日本の新聞史の大きな汚点として記録されています。
貴殿も周知のように、第2次真村裁判は、仮処分申立てと本訴が同時進行しました。仮処分は1審から4審まで真村氏の勝訴でした。裁判所は貴社に対して、YC広川の営業を再開するように命じました。ところが貴社は、この司法命令に従わず、1日に3万円の間接強制金を徴収される事態となりました。資金力で司法命令を踏み倒したのです。
一方、本訴は地裁から最高裁まで貴社の勝訴でした。しかし、仮処分裁判の判決内容と本訴の判決内容が、正面から対立する不可解な現象が裁判記録として書面で残っております。たとえば仮処分裁判の第2審と本訴高裁判決のケースはその典型といえるでしょう。仮処分裁判の第2審で木村元昭裁判長は、真村氏を全面勝訴させました。
その直後、木村判事は、なぜか沖縄県の那覇地裁に転勤になりました。そして再び福岡市へ戻ってくると、今度は福岡高裁へ異動となり、なぜか真村裁判の本訴第2審の裁判長に、裁判長交代のかたちで就任しました。そして今度は、真村氏の主張を情け容赦なく切り捨てたのです。
当然、木村判事が仮処分裁判で書いた判決と本訴で書いた判決を対比し、検討してみると、同じ人物が書いたものとはとても思えないまったく正反対の記述内容となっております。矛盾だらけで支離滅裂の論理性、仮処分判決と本裁判決との整合性などどこにも確認することができません。それが記録として、福岡地裁に永久保存されております。
しかし、この点に関しては、貴殿が抗議書で指摘され、名誉毀損を主張されている本件記事の記述とはまったく関係がないことなので、ここでは言及を避けます。同様に、第1次真村裁判の福岡高裁判決で西裁判長が貴社の「押し紙」を認定した事実と、第2次真村裁判で木村裁判長が、「押し紙」に対する自分の見解を示したことを、貴殿が抗議書の中で無理やりに関連付けられたことも、整合した論理の欠落と言わなければなりません。
本件記事でも書いたように、2007年に福岡高裁が初めて「押し紙」が認定された事実を削除することは出来ません。
つまり第1次真村裁判で初めて狭義の「押し紙」政策が認定されたのは、客観的な事実であり、この事実は、第2次真村裁判で木村裁判官が認定した「押し紙」に関する見解により、変化する性質のものではありません。
貴殿の事実認識の方法が極めて主観的で、事実認識の方法が誤っているというのが、わたしの見解です。
以上が抗議書に対するわたしの回答です。繰り返しになりますが、不明な点などありましたら、真村裁判の裁判資料をもとに、分かりやすく説明しますのでご連絡ください。
2018年08月17日 (金曜日)

テレビ朝日が「遺伝子組換え等のイベントで金銭払い“肯定ツィート”」(15日)と題するニュースを配信した。この記事は、日本のマスコミの体質を露呈している。コメントする前に全文を紹介しよう。
遺伝子組み換え作物などの教育イベントについて、主催者側のPR会社が、一部の学生に金銭を支払ったうえで、肯定的なコメントをSNSに投稿させていたことが分かりました。専門家からは疑問の声が上がっています。
日本モンサントは、2日に大学と共催で、遺伝子組み換え作物などの教育イベントを行いました。高校生や大学生ら54人が参加しましたが、PR会社が金銭を支払った学生27人に対し、ツイッターにイベントに関する肯定的な感想を投稿するよう促していたことが分かりました。投稿のなかには、「遺伝子について楽しく学べた」「遺伝子組み換えって危険なイメージがあったけど変わった」などがあります。
こうした宣伝手法について、日本モンサントとPR会社は、「投稿は学生の意思で、業界のガイドラインを遵守(じゅんしゅ)し、#ambassadorと書かれているため宣伝だと分かる」としていますが、投稿時、この表記のない書き込みが複数ありました。
PR会社は「学生側のミス」と主張しています。遺伝子組み換え食品について、政府は、安全性が確認できたものに限り流通を認めていますが、内閣府の調査によりますと、減少傾向にあるものの、35%が「不安を感じる」と答えています。こうしたテーマの宣伝方法として、消費者問題に詳しい弁護士は疑問を呈しています。
日弁連消費者問題対策委員会・板倉陽一郎弁護士:「社会を二分するような問題に『こちらが良い』と何となく思ってもらうための手法。違法ではないが、難しい問題を皆で議論しないといけない時に簡単にどっちかに誘導しようというのは皆、不幸だと思う」■出典
◇故意に主語を省略する
まず、奇妙なのは記事で批判の対象となっているPR会社の社名が匿名にしてあることだ。PR会社とは、恐らく大手広告代理店である。モンサント社の名前は出ているが、広告代理店の方は匿名なのだ。
だれが金銭を払い、ツィッターを使って世論を誘導したのかを報じていないのである。PR会社は公的な要素が強く、匿名にする必然性はまったくないのに、自粛しているのである。
記事のタイトルもおかしい。主語が省いてあるのだ。本来であれば、広告代理店の名前を主語にしなければならない。日本のマスコミは、主語を故意に外す手口をよく使う。
たとえば筆者が取材している携帯電話基地局についての報道でも、主語を省いた例がある。読売が2011年9月に「増える環境過敏症」と題する連載記事を5回に渡って連載したのだが、4回目の記事に次のような表現がある。
同市(筆者注:延岡市)大貫町の三階建てマンション屋上にアンテナ三本が建ったのは〇六年秋。
アンテナが自力で建つはずがなく、本来であれば行為の主体を明確にするために、次のよう書くのが、初出記事の原則である。
KDDIが同市大貫町の三階建てマンション屋上にアンテナ三本を立てたのは〇六年秋。
日本のマスコミが自粛に自粛を重ねてきたことは周知の事実となっているが、いくら批判されても体質はまったく変わっていない。
【参考記事】なぜ遺伝子組み換え食品は危険なのか?米国で危険が指摘されている商品を日本で普及させる安倍内閣の愚策、種子法の廃止から猛毒イソシアネートの放置まで

「ファンド」とは、「複数の投資家から集めた資金を用いて投資を行いそのリターンを分配する仕組み」(ウィキペディア)のことである。「官民ファンド」は、国策に基づき政府と民間で出資して設けるファンドである。
経済産業省に、(株)海外需要開拓支援機構というファンドがある。俗に「クール・ジャパン機構」と呼ばれている。同社のウエブサイトによると、事業内容は次のようになっている。
クール・ジャパン機構は、日本の魅力ある商品・サービスの海外需要開拓に関連する支援・促進を目指し、2013年11月、法律に基づき官民ファンドとして設立されました。
「日本の魅力(クールジャパン)」を事業化し、海外需要の獲得につなげるため、「メディア・コンテンツ」、「食・サービス」、「ファッション・ライフスタイル」をはじめとする様々な分野でリスクマネーの供給を行っています。
あいまいな定義だが、クールビズの概念には、地球温暖化防止に関するプロジェクト(環境省)なども含まれており、その範囲はかなり広い。「官民ファンドがクールビズを展開している」と言われても、大半の人には、具体的に何をやっているのかよく分からないだろう。分からないからこそ、要注意なのだ。
2017年4月の時点における海外需要開拓支援機構に対する出資内訳は次の通りである。
政府:586億円
民間:107億円
しかし、44億円の損失を出していることが、ビジネスジャーナルの報道で分かった。同ウエブサイトは、次のように報じている。
クールジャパン機構は安倍政権の成長戦略の目玉だった。外国人が“クール”ととらえる日本の魅力を情報発信して、海外で商品を販売したりサービスを展開。観光によるインバウンドの増加を図る狙いで13年11月に設立された。17年4月時点の出資金は693億円。政府出資が586億円、民間出資が107億円だ。会計検査院は17件、310億円を投融資して44億円の損失が生じていると指摘した。「非効率な運営」「事実上成果ゼロ」との批判の声が上がる。■出典
◇電通、博報堂、アサツー ディ・ケイ
ちなみに海外需要開拓支援機構を構成している企業は次の通りである。赤で表示したのは、広告代理店である。
アサツー ディ・ケイ
ANAホールディングス
エイチ・ツー・オー リテイリング
大垣共立銀行
京葉銀行
ジェイティービー
J.フロント リテイリング
商工組合中央金庫
大日本印刷
太陽生命保険
大和証券グループ本社
髙島屋
電通
凸版印刷
博報堂DYグループ
パソナグループ
バンダイナムコホールディングス
フジ・メディア・ホールディングス
みずほ銀行
三井住友銀行
三井住友信託銀行
三越伊勢丹ホールディングス
LIXILグループ
日本政府(経済産業省)
◇3年間で90億円が博報堂へ
意外に知られていないが、クールビスを口実とした国家予算の支出は、10年以上も前から、その額の大きさゆえに問題になってきた。
たとえば、2007年6月8日に、民主党の末松義規議員が、環境省から博報堂へ3年間で約90億円もの国家予算が、環境関連プロジェクトを口実に支出されていた事実を国会で追及している。第1次安倍内閣の時代である。
質疑を引用しておこう。
末松 博報堂とは年間どのくらいの費用というか契約をやっているんですか。27億円という話を聞きますが、それは事実ですか。
南川参考人 今年度につきましては、年間トータルで27億円の契約をいたしております。
末松 広告については1億6500万円という話が出ていますが、それも事実ですね。
南川参考人 確定作業はこれからでございますが、ほぼ昨年と同じで1億6500万円だというふうに考えております。
末松 最後の質問なんですけれども、博報堂とは、では、ことしと去年とおととし、これはずっと30億円近くのお金で契約をしてきたんですね。(略)
南川参考人 企画競争をして、外部の審査も行った上で、そういった契約をしております。
◇契約額に1億円をプラスの不可解
「平成27年度低炭素社会づくり推進事業委託業務」では、これも博報堂に対して、8億6285万円が支出されている。しかも、この額は当初の契約額に1億円が上乗せされた額である。下記の契約書に示された変更事項がそれを示している。

筆者は、中央省庁と広告代理店の不可解な取り引きの実態を2016年に大がかりに取材した。その結果、クールビスを口実に巨額の国家予算が支出されていることを知った。
この問題に関する記事は、メディア黒書のカテゴリー「大手広告代理店」に数多く収録されている。しかし、今後、2度目の検証を進めていく方針だ。古い記事も合わせて紹介していきたい。
中央省庁の一部は伏魔殿になっているといっても過言ではない。しかも、それに大手広告代理店が絡んでいるのだ。
【参考記事】内閣府向けの手作りの請求書が4年間で約64億円分の異常、電通とは別の顔、児玉誉士夫と博報堂の闇を検証する
写真:統一協会系の雑誌の表紙に登場した安倍首相

8月14日付けのテレグラフ紙(英国)が、「スマホのブルーライトで失明早まる可能性、研究」と題する記事を掲載している。これは英国の電子版科学誌「サイエンティフィック・リポーツ」に掲載された米国トレド大学の実験結果を紹介したものである。
それによると「ブルーライトによって、目の光受容細胞を死滅させる有害化学物質の発生が誘発され」て、「黄斑変性症の進行を早める可能性がある」という。黄斑変性症は、視野が徐々に狭くなって、最終的には失明に至る恐ろしい病気だ。同記事によると、「50歳以上の人々の約7人に1人には、この疾患のなんらかの兆候がみられるが、治療法はまだ見つかっていない」。■出典
ブルーライトは、可視光線と呼ばれる領域の電磁波である。パソコンやスマホのバックライトとして利用されているほか、LED照明器具にも使われている。光がブルーとはいえ、他の光との合成などにより白熱灯のように見えるものも普及している。
同じLED照明器具とはいえ、オレンジ色の照明器具については、現段階では危険視する研究結果はない。
ブルーライトの危険性が日本で報道されはじめたのは、ここ数年である。その人体影響が否定できなくなったからだ。報道することは産業界の権益と著しく対立するが、報道せざるを得なくなっているのである。
次のインタビューは、ブルーライトのリスクについて、理学博士の渡邉建氏にインタビューしたものである。2015年2月4日の記事だ。ブルーライトと睡眠障害の関係などについても言及している。
■①危険が指摘され始めたLED照明(ブルーライト)による人体影響、理学博士・渡邉建氏インタビュー
■②危険が指摘され始めたLED照明(ブルーライト)による人体影響、理学博士・渡邉建氏インタビュー

新聞販売店から「押し紙」が回収される光景が消えつつあるようだ。「押し紙」が減ったことがその原因ではない。「押し紙」に相当する部数を最初から印刷しなくなっているのが原因のようだ。
この種の話はかねてから耳にしてきたが、このほど新聞販売店の関係者から内部告発があった。現役の従業員なので、告発者の名前も新聞社名(中央紙)も明かさないが信憑性のある情報だ。
「押し紙」とは、新聞社が販売店に搬入する過剰な新聞のことである。たとえば購読者が1000人しかいない販売店に、1500部の新聞を送りつけ、差異の500部についても、卸代金を徴収すれば、この500部が「押し紙」である。
表向きは、販売店に搬入した新聞は全部配達されているという建前があるので、大半の新聞社は残紙が発生することを承知の上で、過剰な部数を搬入する。
「押し紙」は本来であれば、古紙回収業者によって回収される。
ところが最近は、帳簿上は搬入された全新聞が配達されたことにしておいて、「押し紙」部については部数だけ(配達部数として)計上し、実際は最初から印刷もしなければ、搬入もしないのだという。
理由は経費の節約である。新聞の用紙代、印刷代、運搬費、それに古紙回収費を節約するのが目的である。さらに「押し紙」回収をビデオ撮影されるリスクもなくなる。
新聞社経営が急激に傾くなかで、新聞人はこうした方針を決めたのだろう。これが40年、あるいは50年と日本の新聞ジャーナリズムの先頭に立ってきた人々の判断である。
◇広告代理店の倒産
今回の情報提供では、折込広告についての言及はなかったが、「押し紙」とセットになっている折込広告が印刷されていなかった事例は、過去に発覚している。次の記事を参考にしてほしい。
■折込広告「折り込め詐欺」から「中抜き詐欺」へ、253万枚のうち67万枚を秘密裏に「廃棄」、被害額約250万円、広告代理店・アルファトレンドが広告主に提訴され、全額賠償+弁護士費用で和解
この事件を起こした広告代理店は、事件が発覚したのち倒産した。
次の動画は、従来の「押し紙」回収場面である。
■写真:「押し紙」と一緒に大量廃棄される選挙用のチラシ

裁判や告訴などの法的手段の提起をほのめかして相手を「恫喝」する行為が増えている。こうした行為を広義には、スラップと呼んでいるが、厳密には、訴権の濫用である。
ちなみに、スラップ(Strategic Lawsuit Against Public Participation)とは「公的参加に対する戦略的な訴訟」のことである。公害など公共性のある問題に取り組んでいる個人やグループなどに対して、対抗措置として提起される訴訟のことだ。
それゆえに私的な問題を理由に「嫌がらせ裁判」を起こす行為(訴権の濫用)とは区別しなければならない。
最近、急増しているのが、その「嫌がらせ裁判」である。しかも、弁護士に依頼するのではなく、本人訴訟で起こすケースが増えている。筆者は、この問題を数年前から取材しているが、提訴の根拠が希薄なものが非常に多い。権利を回復するために裁判を起こしているというよりも、裁判そのものをゲーム感覚で楽しんでいるのも特徴だ。自分が弁護士にでもなったような気分に浸っているのである。
しかも、名誉毀損裁判の場合、原告が圧倒的に有利な法理になっているので、簡易裁判所で提訴すると、ほんの数回の審理で判決が下り、原告が10万円、20万円といった「こずかい」を手にしたりする。カジノよりも、こちらの方が勝率が高い。
もちろん多忙な人は、こうした訴訟を起こす余裕などない。この種の裁判の原告になっているのは、たいてい法律家を自称する老人や、仕事がないフリーランスの人である。
筆者も、国際派の歌手で作家の八木啓代氏から、本人訴訟を起こされたことがある。結果として仕事を妨害された。
■歌手・八木啓代氏が起こした裁判、黒薮・志岐が勝訴、訴権の濫用を視野に損害賠償請求の反訴へ
◇刑事事件のハードルは高い
日本は訴権が重視される国なので、恫喝裁判に対して訴権の濫用で反訴しても、裁判所が提訴自体を違法と判断することはほとんどない。筆者が調べたところでは、訴権の濫用が認められたケースは過去に3件しかない。幸福の科学事件、武富士事件、ソーラーパネル設置事件の3件だ。
これらのケースで、訴権の濫用が認められたのは、提訴の根拠が不十分だったからである。あるいは勝訴できる見込みがまったくないのに、提訴に及んでいたからである。
三宅雪子氏が5人の元支援者を刑事告訴した事件がネット上で話題になっているが、筆者は、この事件は重大な問題を孕んでいると考えている。5人(匿名の人を含めると7人)の起訴を求めるだけの十分な根拠があったのかどうかという点である。
刑事事件の受理・起訴のハードルは極めて高い。常に冤罪の恐れがあるからだ。当然、弁護士も告訴には慎重だ。冤罪事件を起こせば、懲戒請求を受けて、自分が失職するリスクもあるからだろう。
三宅雪子氏は訴権の濫用が広がる時代の空気の中で、今回の刑事告訴に及んだようだ。この事件で、落合洋司弁護士が、本当に三宅氏の代理人を務めているのか、筆者は強い疑いを持っている。

8月2日付けの本サイトで内閣府から大手広告代理店に多額の広報費が支出されている問題を指摘した。例にあげたのは電通だった。
【参考記事】内閣府から電通へ9100万円、熊本地震復興の広報活動が名目、請求書明細は開示されず業務不履行の疑惑も
情報源は、内閣府から入手した約1000枚の請求書や契約書(2016年度分)である。あまりにも量が多く十分な精査は完了していないが、抜き打ち的に検証するだけでも、高額の業務契約書が発見できる。
次に示すのは、内閣府と博報堂の契約書の内容である。
◇2件が全く同じ業務内容
驚くべきことに、内閣府と博報堂の取り引きでは、まったく同じ名目の広報業務が2件発注されている。「社会保障と税の一体改革」(主に「社会保障・税番号(マイナンバー)制度」)と題するPRプロジェクトである。
契約額は、1件目が約1億7200万円。2件目が約1億6600万円だ。
業務内容(調達の範囲)もまったく同じである。
1,広報戦略の立案
2,新聞・雑誌広告原稿の制作・掲載等
3,テレビCMの制作等
4,交通広告の制作・実施等
5,空港ビジョンの放送実施等
6,ジャクラビジョン(自動車教習所)の放送実施等
7,コンビニレジ画面広告の放送実施等
8,ラジオ広告の制作・放送実施等
9,インターネット広告等原稿の制作・掲載等
10,政府広報オンライン特集ページ更新等
11,その他、上記(1)~(10)に付帯する業務
確かに新聞広告を全国の新聞に掲載したり、テレビでCMを流せば、それなりの料金が発生するが、新聞広告の制作などは、プロなら半日もあれば十分に出来る。業務がパターン化されているわけだから、(1)から(11)の業務全体を完成する日数も、おそらく3日もあれば十分だろう。
◇安倍内閣の下で起きている大問題
ちなみに上記業務に対する請求書明細は、黒塗りになっており、知ることができない。請求書にインボイスナンバーも付番されておらず、正規の会計処理が行われていない疑惑もある。
【参考記事】内閣府の裏金づくり疑惑の根拠、広告代理店が演じてきた負の役割
筆者は、内閣府と大手広告代理店の不透明な金の流れを、2016年から取材してきたが、状況はまったく変わっていない。これは実は、安倍内閣の下で起きている大問題のひとつなのだ。
こうした内閣府の問題を放置して自民党総裁選挙はないだろう。
【写真】元社員コピーライターで、博報堂DYホールディングス代表取締役社長 兼 博報堂取締役会長

7日に発売された『紙の爆弾』(9月号)に黒薮が執筆したルポが掲載された。タイトルは、「三宅雪子元参院議員“告訴”騒動にみるツイッターの社会病理」。これはツイッターの社会病理を考える記事の第一弾である。
このルポで取りあげている刑事告訴が虚偽であれば、大変な恫喝事件ということになるだろう。たとえ告訴そのものが事実であるにしろ、告訴の十分な根拠があったのかどうかが問われる。
冒頭の部分を紹介しよう。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「心理作戦」という戦法がある。相手に精神的なゆさぶりをかけて、自分に有利な状況を作る戦術のことである。たとえば仮病で同情を惹く。暴力団員を装って交渉を優位に進める。その中でも最近、とりわけ増えているのが、裁判の提起など法的措置をほのめかして、相手を恫喝する手口である。それは著名人についても例外ではない。
2017年5月10日、一件の「告知」がインターネット上のツイッターに投稿された。
「本日、以下のアカウントに対して名誉毀損で告訴状を提出致しました。@gacktmama0113,@torch2012,@nanachan77,@makimakiia,@him_beereほか2名 私の名前を出してのツイート、家族知人、仕事先への接触を固くお断りします」
これを投稿したのは、元衆院議員の三宅雪子である。刑事告訴が事実であるにしろ、単なる「心理作戦」であるにしろ、告知に自分のアカウントがあった5人は動揺した。
三宅のツイッターのフォロワーは、約5万8000人。ツィートの拡散が繰り返されると少なくとも15万人ぐらいの人の目に「告知」が知れるだろう。
5人のうちのひとり主婦の新垣里美(仮名)が当時の心境を打ち明ける。
「電話が鳴るたびに、警察からの連絡ではないかと緊張しました。取り調べを受けるときにそなえて、資料を準備し、説明の順序も頭の中で整理していました。たまらない心理状態でした。告知を受けた5人の中には、緊張で体調がおかしくなった人もいます」
が、警察からも検察からも連絡はなかった。2018年8月で、「告知」から15カ月になるが、告訴の真相を知る手がかりはない。新垣が続ける。【続きは、『紙の爆弾』】

坂道を転げ落ちるようにABC部数を減らしている読売新聞に対して、最近、「あれは本当にジャーナリズム企業なのか」という声があがっている。原発推進を煽ったり、異常なまでに新聞拡販に熱をあげたり、新聞社でありながらプロ野球球団を経営したり、首相と会食を繰り返したり、さらには次々と裁判を起こしたりと、歴史的に見ても同時代的に見ても好奇心を刺激する集団だ。
もちろん新聞の発行部数も尋常ではない。ギネスに登録されている。読売とは何か?
次に紹介するバックナンバーは、2013年1月23日付けのものである。
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23日付け東京新聞が「シリーズ日米同盟と原発」で、原発を導入した読売新聞の正力松太郎を取り上げている。「新聞王 原発の父に 豪腕で初の建設へ」と題するルポである。
ルポの中身は、米国が正力松太郎を利用して、原子力の「平和利用」を日本に持ち込もうとしたというものである。
名誉欲か、それとも政治的野心か、今となってはほとんど知るすべはない。が、マスコミ界から政界入りし、原子力の平和利用で旗振り役を務める正力は、米国にとって頼もしい存在だった。日本の反核世論封じ込めを狙う米国の対日戦略に沿うものだったからだ。
米国公文書館に保管されている文書によると、CIAは読売の正力を「ポダム」と呼び、朝日の緒方(竹虎)を「ポカポン」と呼んでいたという。米国がメディア戦略として新聞を利用していたことを示唆する事実である。
CIAの文書は、読売のポダムを高く評価している。
ポダムは協力的だ。親密になることで、彼が持つ新聞やテレビを利用できる。ポダムとの関係ができてきたので、メディアを使った反共工作を提案できる。
読売新聞や日本テレビを利用した反共宣伝の戦略が、CIAから提案された背景には、国際社会の中でソ連が影響力を強めていた事情もある。その結果、日本では、メディアを世論誘導に利用する戦略が、国民が知らないところで進行していたのである。その先兵となったのが、読売の正力である。
このような事実について、読売は反省しているのだろうか。
最近、読売の主筆兼会長で新聞文化受賞者の渡邉恒雄氏が『反ポピュリズム論』(新潮新書)を出版した。著書の内容については、改めて言及する機会があるかも知れないが、わたしの関心をひいたのは反ポピュリズム論よりも、むしろ渡邉氏がみずから政界を動かしているエピソードを独白している点である。
たとえば「自自連立で小沢・野中の橋渡し」を行ったことを告白している。有権者から選挙で選ばれていない者が、日本の政治を動かしているのである。 新聞人が政界工作の役割を演じる是非は別として、新聞人としての誇りなど捨ててしまったのかという思いにかられる。
ちなみに渡邉氏が率いる読売グループは、最近、読売の方針にそぐわない者に対して次々と裁判を起している
このような人物が新聞業界に君臨していることに対して、強い批判の声が上がらないのも不思議だ。戦いを回避する傾向すらある。それどころか出版業界全体が再販問題や消費税問題で渡邉氏の政治力に期待しているとの説もある。
正力・渡邉といったタイプの人物が日本のメディア界に君臨してきた事実は重大だ。
【写真】正力松太郎
