2026年08月03日 (月曜日)
人々を苦しめている巨悪は、あなたが腕組みをして、視線をそらしたところで、少しも軽減されはしない!!(キューバのジャーナリストからの訴え)

以下に紹介するのは、キューバのジャーナリスト、セサル・ゴメス・チャコン氏が、世界ジャーナリスト評議会のグループチャットに投稿し、拡散を呼び掛けた詩である。「帝国」による経済封鎖の下でキューバが直面している実情を訴え、支援を求めている。最も苦しいのは、抑圧された第三世界の国々に連帯の合図を送った時代の「記憶」なのだという。「私は覚えている。私たちの医師たちが白衣をまとい、ハイチで、アンゴラで、エチオピアで、アフリカ各地で、イタリアで、パキスタンで、子どもたちを死の淵から救い出したことを。」「世界が燃えていたとき、私の国の人々は、自分たちがわずかしか持っていなかったにもかかわらず、そのわずかなものを差し出した。」キューバが歩んできた道を回想しながら、トランプ政権下で「ジェノサイド」の域に達したとする経済封鎖の意味を問いかける。卓越した詩作である。(上写真は、2017年、コロンビア内戦が終わった後、社会復帰を目的にキューバが無償で受け入れた医学生の卵。第一陣の200人。出典はPrensa Larina)
執筆者:セサル・ゴメス・チャコン
私はここにいる。月ひとつない、この夜の入り口に腰を下ろしている。胸はむき出しになり、痩せた身体には、肋骨の一本一本まで浮かんで見える。息が、少しずつしか入ってこない。まるで見えない拳が私の喉をつかみ、眠っているあいだに、ゆっくりと、ほとんど優しくさえ思えるほど静かに、締めつけているかのように。喘息ではない。熱帯の湿った空気のせいでもない。
これは--封鎖だ。奴らはそれを「制裁」と呼ぶ。けれど私には、それがアメリカの手に思える。眠る私の首を探り当て、ゆっくり、ゆっくりと締めつけ、朝、目を覚ますころには、私の唇を紫色に変えている手。私は毎朝、目覚めるたびに数える。
パンはあるか?電気はあるか?熱を出した子どもの薬はあるか?
そして答えは、港の重苦しい空気の中を漂ってくる。
「ない。ワシントンが、今日もお前たちに息をさせないと決めたからだ」
かつて私は、ほかの国々の人々が生きられるよう願い、詩を紡いだ。だが今日、自分の両手を見ると、それは縛られている。縄ではない。鎖でもない。覚書によって。大統領の署名によって。小麦を積んだ船が私の海岸に接岸することを禁じる、冷たい法令のインクによって。
火の消えたかまどの前で、裸足の母親がマランガ(芋の一種)を塩水で煮て、それを「夕食」と呼ぶ姿を見るということが、どういうことか分かるだろうか。高熱で燃えるような娘を腕に抱き、病院へ駆け込んだのに、本来なら抗生物質が置かれているはずの棚が空っぽだったときの気持ちが、分かるだろうか。
その無力感は、私の内臓を腐食する酸のようだ。その酸は、空から降ってきたのでも、地面から湧いてきたのでもない。北からやって来る。
私たちを少しずつ死なせることを宣告した帝国からやって来る。目に見える血を一滴も流さずに、私たちを徐々に失血させる。そうすれば世界はそれを眺めながら、こう言えるからだ。
「彼ら自身の問題だ。何か悪いことでもしたのだろう」と。だが、私を粉々に打ち砕き、魂を木っ端みじんにするものは、自分自身の飢えではない。
それは「記憶」だ。私は覚えている。キューバの船が海を越え、他国の人々の命を救うために航海したことを。
私は覚えている。私たちの医師たちが白衣をまとい、ハイチで、アンゴラで、エチオピアで、アフリカ各地で、イタリアで、パキスタンで、子どもたちを死の淵から救い出したことを。
世界が燃えていたとき、私の国の人々は、自分たちがわずかしか持っていなかったにもかかわらず、そのわずかなものを差し出した。
そして今日。メキシコや、いくつかのアジア諸国など、美しく連帯の手を差し伸べてくれている例外を除けば、同じこの世界が、私たちがゆっくりと殺されていく間、私たちに背を向けている。
ああ、なんという恩知らずだろう!その痛みは、物不足よりも深く突き刺さる刃だ。かつて私たちが救った人々が、今日では顔をそむけ、私の喘ぐ声が聞こえないふりをしている。
小さな誇り高い島、わたしの祖国の苦しみ、死に向かって喘いでいるというのに……。
私は「ジェノサイド」を感じる。靴を持てない若者の裸足の足、そのしびれの中に。革も、釘も、糸も――すべてが北によって禁じられているために、靴を手に入れられない。
私はそれを感じる。交換部品が禁じられているため工場が止まり、それを見つめる労働者の震える手の中に。
私はそれを感じる。繰り返えされる停電の中に。居間で燃え尽きていく一本一本のろうそくの中に。印刷されることのない一冊一冊の本の中に。先送りされていく一つ一つの夢の中に。
これは比喩ではない。分子レベルで行われる、外科手術のように精密で、静かな殺人だ。一発の銃弾も撃たずに、私たちは殺されている。そしてその凶器は、米国財務省の印章が押された一枚の文書だ。
私は正義を求める。喉から声を振り絞るだけではない。血を失い衰弱した、この身体の一つ一つの細胞すべてで、私は正義を求めている。
世界よ、目を覚ませ!
私を見てくれ。
あなたが病に倒れたとき、あなたを治療したのは私だ。あなたが悲しんでいたとき、踊ることを教えたのも私だ。今日、私はあなたの目の前で消耗し、衰えていく。そしてあなたの沈黙は、処刑人への加担となっている。
私は施しを求めているのではない。あなたの「勇気」を求めている。一つの国、一つの民を封鎖することはテロリズムなのだと、私と一緒に叫んでほしい。
もし明日、私が倒れたら。
もし明日、帝国の棍棒の重みに押しつぶされ、私の灯が消えたなら――
そのとき、誰があなたを救うのだろう?誰が自分たちの息子や娘を送り、あなたの子どもたちを治療してくれるのだろう?
世界よ、行動してくれ。
手遅れになる前に。
今、私を救ってほしい。
だが、それは慈善のためではない。
正義のために。
私がかつてあなたのためにしたことへの見返りを求めているわけではない。
しかし、記憶とは、感謝の心に火をともす閃光なのだ。
救う方法があることを知りながら、私が沈んでいくのを見て、なぜあなたが顔をそむけるのか、私には理解できない。
そして今日、私を救うことは、あなた自身の「人間性」を救うことでもある。
私は今も、この苦しみの片隅から、あなたへ手を差し伸べている。
どうか――
この手を、振りほどかないでほしい。
今日、心をどこかへ置き忘れてしまったかのような人類へ、それでもなお、限りない愛を込めて……。
そして願うのはただ一つ。
この言葉を、意識して、心で読んでほしい。
それ以上の迷惑を、あなたにかけるつもりはない。
執筆者:セサル・ゴメス・チャコン (César Gómez Chacón.)
キューバのジャーナリスト、代表作にアンゴラ内戦を取材した『Cuito Cuanavale. Viaje al centro de los héroes(クイト・クアナバレ――英雄たちの中へ)』
Fuente:Grupo de WhatsApp del Global Journalist Council:
EL MAL NO TE VA A HACER MENOS PORQUE CRUCES LOS BRAZOS Y MIRES HACIA LA DIRECCIÓN OPUESTA DEL QUE SUFRE!!
Aquí me tienes, sentado en el umbral de esta
noche sin luna, con el pecho abierto y las costillas contadas. El aire me llega a sorbos, como si alguien apretara un puño invisible alrededor de mi garganta. No es el asma, no es el trópico húmedo: es el bloqueo. Ellos dicen "sanciones", pero yo lo siento como una mano gringa que me busca el cuello mientras duermo y aprieta, despacio, casi con ternura, hasta que amanezco con los labios morados. Cada mañana me despierto contando: ¿hay pan? ¿hay luz? ¿hay medicina para la fiebre del niño? Y la respuesta flota en el aire denso del puerto: "No, porque Washington decidió que hoy tampoco respires".
Yo, que una vez poeticé para que otros pueblos vivieran, hoy me miro las manos y las veo atadas. sin cuerdas, sin cadenas: con memorandos, con firmas presidenciales, con la tinta helada de un decreto que prohíbe que un barco cargado de trigo toque mi costa. ¿Saben lo que es ver a tu madre descalza en el fogón apagado, revolviendo una Malanga y agua con sal y llamándolo cena? ¿Saben lo que es cargar a tu hija en brazos, ardiendo en fiebre, y correr al hospital para encontrar un estante vacío donde debería estar el antibiótico? Esa impotencia es un ácido que me corroe las entrañas. Y el ácido no viene del cielo, ni del suelo: viene del Norte, de un imperio que nos sentenció a morir de a pocos, a desangrarnos sin una gota de sangre visible, para que el mundo mire y diga "allá ellos, algo habrán hecho".
Pero lo que me rompe en mil, lo que me parte el alma en astillas, no es el hambre propia. Es la memoria. Porque yo recuerdo los barcos cubanos surcando océanos para salvar vidas ajenas. Recuerdo médicos míos, con sus batas blancas arrancando niños de la muerte en Haití, Angola, Etiopía, en toda África, en Italia, en Pakistán. Recuerdo que mi pueblo dio lo poco que tenía cuando el mundo ardía. Y hoy, salvo ecepciones hermosamente solidarias como la de México y algunos otros pocos países asiáticos, este mismo mundo nos da la espalda mientras nos asesinan en cámara lenta. ¡Ah, la ingratitud! Es una puñalada más honda que la escasez. Duele más saber que aquellos a quienes salvamos hoy miran para otro lado, fingen que no oyen mi estertor, mi agonía de isla pequeña y digna....
Siento el genocidio en el hormigueo de los pies descalzos del adolescente que no tiene zapatos porque el cuero, los clavos, el hilo, todo está prohibido por el Norte. Lo siento en el temblor de la mano del obrero que mira su fábrica parada porque la pieza de repuesto está vetada. Lo siento en cada apagón, en cada vela que se consume en mi sala, en cada libro que no se imprime, en cada sueño que se pospone. Esto no es metáfora: es un asesinato molecular, quirúrgico, silencioso. Nos están matando sin disparar un tiro, y el arma homicida es un documento con el sello del Departamento del Tesoro. Yo, pido justicia no con la garganta, sino con cada célula de mi cuerpo exangüe.
¡Mundo, despierta! Mírame: soy yo, el que te curó cuando estabas enfermo. Soy yo, el que te enseñó a bailar cuando estabas triste. Hoy me consumo frente a tus ojos, y tu silencio es cómplice del verdugo. No te pido limosna, te pido coraje. Te pido que grites conmigo que bloquear a un pueblo es terrorismo. Porque si mañana caigo, si mañana me apago bajo el peso del garrote imperial, ¿quién te salvará a ti? ¿Quién enviará a sus hijos a curar a los tuyos? Actúa mundo, antes de que sea demasiado tarde. Sálvame ahora pero no por caridad, sino por justicia, y no es que te quiera cobrar por lo que hice por ti pero la memoria es el destello que enciende la gratitud y no entiendo que mires hacia otro lado cuando sabes que me hundo teniendo salvación, y porque salvarme hoy es salvar tu propia humanidad. Yo, desde esta esquina del dolor, aún te tiendo la mano. No me la dejes caer.
Con amor infinito por una humanidad hoy distraída...
Y sin causar mucha más molestia que una consciente y simple lectura de estas letras
