読売の検索結果

2015年10月22日 (木曜日)

読売ジャイアンツの野球賭博、新聞協会会長の白石興二郎氏(読売)は辞任を

次に示すのは、野球賭博が発覚した読売ジャイアンツの首脳陣である。

取締役最高顧問:渡辺恒雄
取締役オーナー:白石興二郎
代表取締役会長:桃井恒和
代表取締役社長:久保博

この4名は新聞人でもある。

改めていうまでもなく、渡辺恒雄氏は新聞業界の重鎮である。白石興二郎氏は、日本新聞協会の現会長である。桃井恒和氏は、読売新聞社の社会部長などの経歴がある。久保博氏もやはり読売新聞社の出身である。

◇特異な日本の新聞業界

プロ野球は代表的な興行のひとつである。その興行を事業とする組織の幹部を新聞人が担っている事実を、読者は奇妙に感じないだろうか? しかも、読売ジャイアンツの経営にかかわる人事は、聞くところによると、出世コースらしい。

わたしが知る限りでは、新聞業と興行が合体した例は、日本を除いてほかにはない。両者は異質なものであるからだ。

それにジャーナリスト(広義の新聞記者)として仕事をしてきた者が、興行の世界へ投げ込まれるのは、非常な屈辱だと思うのだが、これに関しても当事者からの嘆きの声を耳にしたことはまったくない。記者として真実を追及した者であればあるほど、屈辱的な人事に感じられると思うのだが。

ちなみに新聞社の主筆が一国の首相と会食を重ね、新聞記者もそれを黙認しているという話も、海外ではまったく聞いたことがない。

◇内部告発とは無縁の新聞記者

しかし、読売新聞社と読売ジャイアンツの関係は、特異な日本の新聞業界を象徴する現象のひとつにすぎない。わたしが最初に日本の新聞業界に違和感を持ったのは、東京に移住した1990年だった。80年代は大半を海外で過ごしたので、日本の慣習がよく分からないままの移住だった。

住居をきめてすぐに訪ねてきたのが、毎日新聞の新聞勧誘員だった。戸口でいきなり洗剤4箱を差し出してきたので、わたしは驚いて身を引いた。新聞を購読してもらいたいという。断ると洗剤だけでもいいので受け取ってくれという。そこで「ありがとう」と言って洗剤を受け取り奥に入ると、玄関から「契約をしてください」という声が聞こえてきた。

「契約はしない」

「なら、洗剤を返してくれ」

「受け取ってくれと言ったではないか」

こんなやり取りの後、わたしは勧誘員に洗剤を返した。
次にやってきたのは、人相の悪い読売新聞の勧誘員だった。こちらは、自分はヤクザの幹部と懇意にしていると自己紹介してから、

「今、新聞契約をすると、○○組の者に、煩わされなくてすむぞ!」

と、言った。

この勧誘員も追い返したが、この時、わたしは日本の新聞ジャーナリズムの正体とは何かを本気で疑った。新聞購読は、ジャーナリズムの質を読者が評価して、決めるものだという考えがあったからだ。わたしは、日本の新聞記者は、みずからが制作した新聞の販売方法に対して恥ずかしいという感情を抱かないのかと疑った。

その後、わたしは偶然に「押し紙」問題を取材することになるのだが、現在まで一貫して感じているのは、新聞業界の足元にはジャーナリズムの根本にかかわる大変な問題が山積している異常さである。それにもかかわらず、同じ「敷地内」にいる記者がまったく内部告発をしない異常さである。長い目でみれは、これは癌を放置するに等しい選択肢なのだが。

重大な問題の内部告発を控えていれば、みずからが制作している新聞の信頼性そのものに疑いの視線が向けられるからだ。読者の質が高ければ高いほど、新聞の情報に疑いの目を向ける。

◇野球賭博は氷山の一角

今回の野球賭博の発覚は、見方によれば闇の中からたまたま頭をだした不祥事のひとつに過ぎない。新聞業界には、改めなければならない問題が山積している。

今回の賭博問題で、白石興二郎氏は、日本新聞協会の会長を辞任すべきだろう。

2015年10月06日 (火曜日)

朝日は47万部減、読売は13万部減、長期低落傾向に歯止めはかからず、8月のABC部数

【サマリー】2015年8月度の新聞のABC部数が明らかになった。この1年で朝日は約47万部を減らし、読売は約13万部を減らした。新聞の長期低落傾向に歯止めがかかっていないことが分かった。

2015年8月度の新聞のABC部数が明らかになった。中央5紙の長期低落傾向には、まったく歯止めがかからず、新聞産業が奈落の底へ一直線に進んでいる実態が明らかになった。具体的な数字は次の通りである。(括弧)内は、対前年同月差である。

朝日新聞  6,783,437 (-468,840)
読売新聞  9,101,798(-132,046)
毎日新聞  3,248,393(- 55,430)
日経新聞  2,726,561 (- 37,422)
産経新聞  1,599,127 (-  1,865)

1年の間に朝日は約47万部、読売は約13万部を減らしている。

読売はガストなどファミレスで新聞を無料提供しているが、従来のこのPR戦略に加えて、最近では英字新聞「The Japan News」も配布している。そのThe Japan Newsの発行部数は、2万2106部である。対前年同月差は、-1238部である。読売本紙に比べて、事業規模は極めて小さい。

読売KODOMOは、18万6228部で、対前年同月差は2万6439部の減部数となった。

地方紙・ブロック紙は、この1年で総計27万4851部を減らした。

なお、ABC部数には「押し紙」が含まれているので、ABC部数がそのまま実配部数を反映しているわけではない。

■2015年8月度のABC部数

2015年10月01日 (木曜日)

「押し紙」70年⑫ 第2次真村裁判、黒薮の取材を受けたことが改廃理由に、この裁判でも喜田村洋一・自由人権協会代表理事が読売代理人に

【サマリー】  第2次真村裁判とは、第1次裁判の判決確定により、YC広川・真村店主の地位が保全された7か月後に、読売がやはり真村氏に対して断行した販売店改廃に端を発した地位保全裁判である。結論を先に言えば、真村氏は敗訴した。

 この第2次裁判は、さまざまな問題を含んでいる。たとえば真村氏の解任を認める理由として、わたし(黒薮)の取材を受けたことなどがあがっている。
言論・表現の自由にかかわる問題が浮上したのである。しかも、新聞社がかかわっているのである。

 この裁判でも、やはり自由人権協会の喜田村洋一代表理事が、読売代理人として福岡へ通い続けたのである。

さて、第2次真村裁判を紹介しよう。

すでに述べたように2007年12月、第1次真村裁判の判決が最高裁で確定して、YC広川の真村店主は、店主としての地位を守った。ところがそれから約半年を経た2008年7月、読売は真村氏との取引契約が満期になったのを機に、契約更新を拒否した。真村氏は店主としての地位を失ったのである。

一見すると契約満期に伴う更新拒否であるから、法的に問題がないように思われるが、販売店を開業するにあたっては多額の投資をしていることや、新聞販売業が家業としての側面を持っていることなどからして、継続的契約とみなされ、正当な改廃理由がないのに、更新を拒否することはできない。

ところが読売は、最高裁で真村氏の地位保全が確定した7か月後に、YC広川を強制改廃したのである。見方によれば、司法に対する正面からの挑戦といえるだろう。自己中心的な新聞人の体質を露呈した事件ともいえよう。

◇真村氏が再び法廷へ

当然、真村氏は再び地位保全裁判を提起せざるを得なかった。第1次真村裁判の終了から、たった7か月のブランクを経て、再び地位保全裁判の法廷に立つことになったのである。

江上武幸弁護士ら真村氏サイドは、仮処分の申し立てと、本訴を平行する戦術を取った。仮処分を申し立てたのは、早急に販売店の業務を再開して生活の基盤を確保する必要があったからだ。

第2次裁判が検証対象とした期間は短かった。2007年12までの真村氏の行動に関しては、店主を解任される正当な理由は存在しないという司法認定を受けたわけだから、それ以後の時期、つまり2008年1月から、解任される7月末までの7か月のあいだに、真村氏を解任するだけの真っ当な理由が存在するかどうかが、検証点になる。

当然、江上武幸弁護士らは、第2次裁判での真村氏の敗訴はあり得ないと見ていた。わたしは当時、少なくとも10人ぐらいの知り合いの弁護士に、見解を問うてみたが、口をそろえて真村氏の敗訴はあり得ないと返答した。

実際、仮処分の申し立てでは、真村氏が勝訴した。1審から、4審にあたる最高裁への特別抗告まで真村氏の勝訴だった。喜田村洋一・自由人権協会代表理事ら読売側は、真村氏の「首切り」を執拗に主張したが認められなかった。

◇読売、司法命令に従わず

仮処分の第1審で勝訴した後、読売は仮処分命令に従い、真村氏を店主として復帰させるものと思われた。が、驚くべきことに喜田村弁護士らは、仮処分命令に従わなかったのだ。

これに対して江上弁護士らは、間接強制金を請求した。裁判所もこれを認め、読売は1日に3万円の「制裁金」を真村氏に支払うことになったのである。読売は2審、3審、4審と敗訴したので、「制裁金」の累積は、約2年半で約3600万円にもなった。

ちなみに間接強制金は、本訴で敗訴した場合、支払い元へ返済しなければならない。ある意味では理不尽な制度である。

読売が仮処分命令に従っていれば、真村氏は事業を再開でき、自分で生活の糧をえることが出来た。しかし、読売が命令に従わなかったから、真村氏は業務を再開できず、やむなく「制裁金」を受け取り、生活費や販売店の店舗のメンテナンスにあてていたのである。

本訴の最初の判決(福岡地裁)は、2011年3月15日に下された。審理は2年8か月に及んでいた。予想に反して真村氏の敗訴だった。裁判には圧倒的に強い読売が勝訴したのである。

この時点で、真村氏に3600万円の「制裁金」を読売に返済する義務がのしかかってきた。実際、後日、喜田村弁護士らは、真村氏の資産を仮に差し押さえる措置に出てくる。

■喜田村弁護士らが作成した不動産仮差押命令申立書

本訴では控訴審も上告審も、真村氏の敗訴だった。裁判所は、第1次裁判終了から後の7か月のあいだに、真村氏を解任に値する理由があったと判断したのである。

その理由は暗い好奇心をかきたてる。詳しくは、日を改めて報告するが、代表的な理由をひとつあげよう。

真村氏がわたし(黒薮)の取材に協力したことである。喜田村弁護士らが作成した準備書面には、黒薮批判も登場する。言論・表現の自由にかかわる問題である。喜田村氏らの書面は、記録として永久保存しているので、機会があれば公開しよう。【続】

2015年09月30日 (水曜日)

「押し紙」70年⑪ 読売裁判と喜田村洋一・自由人権協会代表理事のかかわり

【サマリー】真村裁判の判決が確定した後、敗訴した読売が攻勢に転じる。2008年2月から読売は、わたしに対しする2件の裁判提起をはじめ、YC久留米文化センター前の店主の解任、それに伴う地位不存在を確認する裁判を起こした。これらの裁判に、読売の代理人としてかかわってきたのが、自由人権協会の代表理事である喜田村洋一弁護士だった。

 真村氏は今も係争中だ。1人の人間を10数年に渡って法廷に縛り付けることに、人権上の問題はないのだろうか?自由人権協会とは、何者なのか?新聞社とは何か?

真村裁判の詳細については、次の記事に詳しい。

■「押し紙」70年⑩、「押し紙」隠しの手口を暴いた真村裁判・福岡高裁判決

既に述べたように、真村裁判はYC広川の真村久三店主が読売新聞西部本社に対して起こした地位保全裁判で、最大の争点は、真村氏が経理帳簿上で「押し紙」の存在を隠すためにせざるを得なかった部数内訳の虚偽記載、虚偽報告が解任理由として正当か否かという点だった。裁判所は、真村氏による虚偽報告が事実であることは認定したが、そうせざるを得ない背景に読売の販売政策があるので、解任理由には該当しないと判断したのである。

判決は2007年12月に最高裁で確定した。真村氏は、YC広川の店主としての地位を守ったのである。

ちなみに販売店の改廃は、新聞社側が「改廃」を通告して、有無をいわさずに新聞の供給をストップする方法が取られることが多い。しかし、YC広川に関しては、読売もこのような強引な方法は採用しなかった。

真村氏の弁護士と読売の弁護士との間に、係争の決着が着くまでは、一方的な販売店改廃は行わないという紳士協定が結ばれていたからである。喜田村洋一・自由人権協会代表理事が東京から駆けつけて、読売の加勢に乗り出す前の時期であった。

◇半年で4件の裁判に

真村裁判の判決が確定したのは2007年12月。が、年が改まり2008年になると予想しない事件が次々と発生する。真村裁判で敗北した読売の攻勢が始まったのだ。主要な動きを時系列に記録して、記憶に留めておこう。

【2月】読売の江崎徹志・法務室長が黒薮に対して、著作権裁判を起こした。江崎氏の代理人は、喜田村洋一弁護士。この裁判の「永久保存資料」(黒薮保管)の中に、喜田村氏が主張する著作物とは何かが記された書面が残っているので、機会があれば原文を紹介しよう。弁護士活動を考えるうえで貴重な記録である。極めて興味深い。

【3月】「押し紙」問題を江上武幸弁護士らに相談して、広義の「押し紙」(残紙)の受け入れを断ったYC久留米文化センター前の平山春雄店主が、店主を解任された。これに先立って、読売は平山店主の地位不存在を確認する裁判を起こしていたことが、後に分かった。代理人は、喜田村洋一弁護士ら。平山氏の側も地位保全裁判を起こした。

【3月】前記の平山事件をウエブサイトで報じた黒薮に対して、読売側が2330万円の金銭などを請求して名誉毀損裁判を起こした。代理人は、喜田村洋一弁護士。2330万円の中には、喜田村氏の弁護士費用として200万円が含まれていた。

【7月】読売が真村氏経営のYC広川を強制的に改廃した。真村氏はただちに地位保全裁判を起こした。これが第二次真村裁判である。この裁判でも、読売側の代理人として、やはり喜田村弁護士が東京から駆けつけ、福岡の弁護士らに加わったのである。

第二次真村裁判は一応の決着はついたが、そこから派生した別の裁判で、真村氏は今も読売と係争中である。1人の人間を10数年に渡って法廷に縛り付けることは、人権問題にほかならない。自由人権協会とは何者なのか?新聞社とは何か?

2015年09月29日 (火曜日)

「押し紙」否定論者の読売・宮本友丘副社長がABC協会の理事に就任していた、実配部数を反映しないABC部数問題に解決策はあるのか?

【サマリー】  「押し紙」否定論(読売に「押し紙」は存在しないという理論)に立つ読売の副社長・宮本友丘氏が、日本ABC協会の理事に就任していることが分かった。ABC部数は、新聞の実配部数を反映していない。その原因は、ABC部数の中に、広義の「押し紙」(残紙)が含まれているからだ。

 宮本理事にABC部数の問題にメスを入れる力はあるのだろうか?

「押し紙」否定論(読売に「押し紙」は存在しないという理論)に立つ読売の副社長・宮本友丘氏が、日本ABC協会の理事に就任していることが分かった。宮本氏は、週刊新潮が掲載した「押し紙」問題の記事に対して、読売が名誉毀損で新潮社とわたしを提訴した際に証人尋問に立った人物である。そして「読売新聞社として押し紙をしたことは1回もございません」と証言したのである。

読売の代理人・喜田村洋一・自由人権協会代表理事の質問に答えるかたちで、次のように証言した。

 喜田村弁護士:この裁判では、読売新聞の押し紙が全国的に見ると30パーセントから40パーセントあるんだという週刊新潮の記事が問題になっております。この点は陳述書でも書いていただいていることですけれども、大切なことですのでもう1度お尋ねいたしますけれども、読売新聞社にとって不要な新聞を販売店に強要するという意味での押し紙政策があるのかどうか、この点について裁判所にご説明ください。

宮本:読売新聞の販売局、あと読売新聞社として押し紙をしたことは1回もございません。

喜田村弁護士:それは、昔からそういう状況が続いているというふうにお聞きしてよろしいですか。

宮本:はい。

喜田村弁護士:新聞の注文の仕方について改めて確認をさせていただきますけれども、販売店が自分のお店に何部配達してほしいのか、搬入してほしいのかということを読売新聞社に注文するわけですね。

宮本:はい。

◇新聞協会、「残紙のことですか?」

「押し紙」問題を考える際には、「押し紙」の定義を明確にしなければならない。が、「押し紙」の定義はひとつだけではない。

「押し紙」は存在しないと主張している新聞人にとって、「押し紙」とは、新聞社が販売店に押し売りをした「証拠がある新聞」のことである。彼らにとって、証拠がない新聞は「残紙」である。あるいは「積み紙」。そんなふうに「押し紙」と残紙を使い分けることで、厳密な意味での「押し紙」は存在しないという理論を堂々と展開してきたのだ。

実際、宮本氏は上記の裁判の陳述書の中でも次のように述べている。

読売新聞社においては、新聞販売店が独自の判断で注文部数を自由に増減できる「自由増減主義」が、販売政策の基本原則です。定数を注文するのは販売店であって、発行本社ではなく、販売店の経営社が独自の裁量で決めています。

こうした「押し紙」否定論は新聞人たちの独自の主張であって、一般的に「押し紙」という場合は、新聞販売店で過剰になっている新聞全般を意味する。押し売りの証拠があろうとなかろうと関係がない。

社会通念からして、販売予定のない新聞を購入することなどありえず、とすればそれはなんらかの口実で押し売りされた新聞に違いないと考えるのが一般的だからだ。確かに新聞社に対する忠誠心などから、販売予定のない新聞を受け入れている販売店もあるが、一般の人々はこうした特殊な裏事情は関知していない。多量の新聞が過剰に販売店にあふれ、廃棄されている事実を、重大な社会問題として認識し、広義の意味で「押し紙」問題と呼んでいるのである。

が、新聞人は後者の事情から視線をそらしてきた。それどころか、「押し紙」という言葉を、みずからの造語「残紙」にすり替えて、問題の直視を避けてきたのである。かつてわたしは新聞協会の職員に、協会は「押し紙」の存在を認めているのか否かを尋ねたことがある。その時、職員は、

「残紙のことですか?」

と、切り返してきたのであった。これはあまりにもしばしば見られる新聞人の対応にほかならない。みずからの過ちは絶対に認めない彼らの体質をよく反映している。

◇公益性が極めて高い「押し紙」問題

新聞のABC部数に広義の「押し紙」、あるいは残紙が含まれてることは、新聞関係者の間ではすでに周知の事実となっている。ABC部数は、実際に配達している新聞部数を反映しなければ意味がない。広告主が、PR活動の基礎データとして利用するからだ。

つまりABC部数においては、過剰になっているいる新聞の性質が「押し紙」であるか、それとも「残紙」であるかという点は重要ではない。過剰になった新聞の中身が「押し紙」であろうと、「残紙」であろうと、ABC部数が実配部数を正しく反映していない実態こそが問題なのだ。

ABC協会の読売・宮本友丘理事は、この問題にどう向き合うのだろうか。

読売VS新潮社の裁判では、ABC部数が実配部数を反映していない問題は争点にはならなかった。争点になったのは、「押し紙」に関する記述そのものが、読売の名誉を毀損したか否かという点だった。当然といえば、それまでだが、これは同時に担当裁判官の視野の狭さを物語っている。

このあたりが日本の裁判官のトンチンカンな部分なのである。公益性が極めて高い問題に対しては、名誉毀損の問題とは別に、訴因となった事件の本質的な部分を検証するのが欧米の常識である。

そもそも名誉毀損の問題は、新聞人がみずからのペンと紙面で反論すれば、それですむことではないだろうか。何のために30年、あるいは40年ものあいだ記者を続けてきたのだろうか。

2015年09月15日 (火曜日)

「押し紙」70年⑨、人権問題としての読売の真村事件と真村裁判、裁判所は読売による「押し紙」を認定したが・・・

【サマリー】 「押し紙」問題を考えるうえで、無視する事ができないのが、真村裁判である。判決の中で裁判所は、新聞社による「押し紙」行為をはじめて認定した。実質的に読売による優越的地位の濫用を認定したのである。

  この真村裁判から派生した裁判は、少なくとも7件起きている。これらの裁判に読売の代理人として常にかかわってきたのが、喜田村洋一・自由人権協会代表理事である。

 真村裁判の全容を伝える連載(1) ・・・。

「押し紙」問題を考えるうえで、無視する事ができないのが、真村裁判である。これは2002年に読売新聞の販売店(YC)の店主ら3名が提起した裁判で、判決の中で裁判所は、新聞社による「押し紙」行為をはじめて認定した。実質的に読売による優越的地位の濫用を批判したのである。

新聞史に残る歴史的な判決にほかならない。

事件の背後には、読売が福岡県の久留米市を中心とした筑後地区で進めていたYCの再編策があったようだ。読売と懇意な関係にあるSという有力店主が読売の協力を得て、次々とYCの経営権を我がものにするようになったことが事件の根底にある。

こうした状況の中で3人のYC店主が、読売から改廃を突きつけられた。

当時、YC広川(広川町)を経営していた真村久三氏も、改廃を宣告された店主のひとりだった。もちろん改廃通告に至るまでには、話し合いや交渉が行われたが、最終的に読売は改廃という店主にとって最も打撃を受ける手段に打って出たのである。

◇東京から喜田村洋一弁護士が読売の援護に

真村氏は久留米市に事務所を構える江上武幸弁護士に相談した。相談を受けたとき、江上弁護士は、それほど深刻には受け止めなかったという。相手方が大新聞社だったので、弁護士が間に入って話し合えば円満に解決できると思ったらしい。が、江上弁護士は、後日、「虎の尾」を踏んだことに気づく。

真村裁判という呼び方から、とかく真村氏だけが原告のように思われがちだが、厳密に言えば、原告は3人のYC店主である。このうち真村氏をのぞくふたりは、裁判の大きな関心事にはならなかった。と、いうのも1人はすでに販売店を改廃されていた関係で、最終的に和解で決着し、もう1人の店主については、読売があまり露骨に攻撃対象にすることがなかったからだ。

そんなわけで真村裁判とは、実質的には真村氏と読売(西部本社)で争われた裁判なのだ。この裁判には、わざわざ東京から辣腕弁護士が読売の支援に駆けつけた。その人こそ、自由人権協会代表理事の喜田村洋一弁護士である。

喜田村氏は、読売に「押し紙」は一部も存在しないと主張し続けた法律家である。

判決は2007年12月に、最高裁で確定した。

◇真村裁判から派生した裁判

真村裁判からは、複数の裁判が派生している。真村判決の詳細に入る前に、派生した裁判を概略しておこう。

真村裁判の地裁判決が下されたのは、2006年だった。真村氏の勝訴だった。この勝訴に励まされて、YC小笹(福岡市)の元店主・塩川茂生氏が、ただちに「押し紙」裁判を起こした。この裁判を塩川裁判という。

真村氏は、2007年の控訴審でも勝訴した。控訴審でYC側が勝訴したこともあって、YC店主らの間に希望が生まれたようだ。

こうした状況の中で、同地区の店主らが次々と江上弁護士のところへ「押し紙」の相談に訪れるようになった。そして「押し紙」の被害を受けたYC店主らが、新読売会と呼ばれる団体を自主的に立ち上げた。

当時、取材を続けていたわたしは、ようやく新聞社経営の闇にメスが入る時が来たと思った。こうした予測は、2007年12月に真村判決が最高裁で確定した時、確信となった。

しかし、わたしの予想は楽観的すぎた。

まず、真村判決が確定する直前に、わたしに対して喜田村洋一弁護士から催告書が送られてきた。メディア黒書に掲載した読売の文書の削除を求めてきたのである。この事件は2008年2月に本訴へとエスカレートする。

※この事件は、スラップとも関連があるので、保管している準備書面などを順次公開する予定。著作物に関する喜田村弁護士の考えも記されている。

この年の3月1日、新読売会に加わっていたYC久留米文化センター前の平山春雄店主の店を3人の読売社員が訪れ、改廃を宣告した後、関連会社の社員が、翌日に新聞に折り込む予定になっていた折込広告を搬出した。

この事件をわたしはメディア黒書で速報した。そのなかで折込広告の搬出行為を、「窃盗」と表現した。もちろん「窃盗に類するほど悪質」という意味の隠喩(メタファー)として、表現したのである。

が、その2週間後、わたしのもとに読売から訴状が送られてきた。やはり喜田村弁護士が執筆したもので、「窃盗」で名誉を毀損されたなどとして2230万円のお金の支払いを要求してきたのだ。

一方、YCを改廃された平山氏は、読売に対して裁判を起こした。読売も平山氏に対して地位不存在を確認するための裁判を起こした。この裁判にも、東京から喜田村弁護士がかけつけた。

さらに特筆すべき点は、最高裁で勝訴判決が確定した真村氏のその後である。真村氏は、半年後、理不尽にもYCの経営権を奪われることになる。当然、真村氏は再び提訴した。これが第2次真村裁判である。喜田村氏が読売の代理人として、この裁判に加わったことはいうまでもない。

◇一連の裁判のまとめ

2002年 第1次真村VS読売(地位保全)

2006年 塩川VS読売(押し紙)

(2007年 第1次真村裁判の勝訴確定)

2008年  読売(厳密には江崎法務室長が原告)VS黒薮(著作権)

            読売VS黒薮(名誉毀損)

            平山VS読売(地位保全)

            第2次真村VS読売(地位保全)

2009年 読売VS新潮社+黒薮(名誉毀損)

ちなみに真村氏は今なお読売と係争中だ。ひとりの人間を10年以上に渡って法廷に縛り付ける行為は、それ自体が重大な人権問題といえるだろう。(続)

2015年08月25日 (火曜日)

「押し紙」70年⑧、日露戦争の時代から「押し紙」があった、読売・宮本友丘元専務は自社の「押し紙」を全面的に否定

【サマリー】日本新聞販売協会が編集した『新聞販売百年史』によると、日露戦争の当時から「責任紙」と呼ばれる「押し紙」が存在した。しかし、それは表向きは契約によって取り決められたノルマにあたるために、「押し紙」には該当しないという論理の根拠でもあった。

 問題は、こうしたゆがんだ論理が現在にまで受け継がれ、新聞販売店に配達されない新聞が多量に残っている事実があるにもかかわらず、「押し紙」とは見なされていないことだ。弁護士の中にも、自由人権協会代表理事の喜田村洋一弁護士のように読売には「押し紙」が存在しないという見解の者がいる。

「押し紙」の歴史をさかのぼると、実は日露戦争の時代に行き着く。少なくとも日露戦争のころには、すでに「押し紙」が慣行になっていたとする記述が新聞販売に関する文献の中にある。

先日、国会図書館で閲覧を申し込んだ資料が開示されるのを待つあいだ、新聞関係の便覧が収録された棚の前で書籍を物色した。すると『新聞販売百年史』という本が視線にとまった。発行元は、日販協(日本新聞販売協会)である。

日販協は全国の新聞販売店の同業組合である。現在は、政治連盟を作って政界工作を行うなど問題が多い組織だが、かつては「押し紙」問題にも果敢に取り組んでいた。当然のことだが、新聞販売に関する情報に関しては詳しい。

『新聞販売百年史』の「拡張紙、責任紙と積み紙、抱紙」と題する節(487ページ)に、「押し紙」に関する記述がある。もっとも「押し紙」という言葉の代わりに、「責任紙」という言葉を使っているが、文脈からすれば「押し紙」の意味である。以下、ポイントとなる部分を引用してみよう。

この恒例拡販、不定期の拡張を問わず、拡張の場合は、本社と売捌人との間に、責任部数の契約を行うのを常とした。たとえば、

1,何月何日現在の取扱部数を基本数と定め

1,其の基本数以上に増した部数を純増と称し

1,純増1部に付き金銭幾何の拡張料を交付する

1,従って若干の増紙部数を契約する。其の引受け部数に対して、同数若くは幾倍、または幾数の拡張紙を幾日間交付する。

1,増紙は2ヶ月または3ヶ月の縛りとする

 といった条項がとりきめられるのである。この場合の引受部数はすなわち「責任紙」であって、それを「縛り」と称し、2ヶ月~3ヶ月間は、引受数のものが売れても売れなくても、代金は売捌人として本社へ支払わねばならないのである。責任紙とは引受部数に対するある契約期間代金支払いの責任あることを意味する。

この責任紙の制度もまたいつごろから始まったか不明であるが、日露戦争後盛んに行われるようになった。しかしこれは売捌人としては可なり苦痛なものである。

■出典PDF

厳密に法的な観点からすれば、責任紙の部数を契約で取り決めているわけだから、「押し紙」には該当しないが、新聞販売店と新聞社が対等な立場にあったとは考えられず、この責任紙 を拒否すれば、販売店は経営を持続させてもらえない事情があったと推測される。その意味では、やはり責任紙は「押し紙」を意味すると考えるのが妥当だ。

◇「押し紙をしたことは1回もございません」

日本新聞協会も、新聞社も「押し紙」は一部も存在しないという見解を取ってきた。明治時代の責任紙の論理がそのまま「押し紙」否定論の理論的主軸として受け継がれている。それゆえに配達されない新聞が新聞販売店に山積みになっていても、「あれは新聞社が押しつけた新聞ではない」という詭弁を弄することになるのだ。

参考までに、「押し紙」を否定する新聞経営者がどのように「押し紙」を否定するのか、具体例を紹介しよう。次の引用は、読売が『週刊新潮』とわたしに対して、名誉を毀損されたとして5500万円のお金を支払うように求めた「押し紙」裁判で、読売の宮本友丘専務(当時)が、読売の代理人である自由人権協会代表理事・喜田村洋一弁護士の質問に答えるかたちで証言した内容である。

喜田村:この裁判では、読売新聞の押し紙が全国的に見ると30パーセントから40パーセントあるんだという週刊新潮の記事が問題になっております。この点は陳述書でも書いていただいていることですけれども、大切なことですのでもう1度お尋ねいたしますけれども、読売新聞社にとって不要な新聞を販売店に強要するという意味での押し紙政策があるのかどうか、この点について裁判所にご説明ください。

宮本:読売新聞の販売局、あと読売新聞社として押し紙をしたことは1回もございません。

喜田村:それは、昔からそういう状況が続いているというふうにお聞きしてよろしいですか。

宮本:はい。

喜田村:新聞の注文の仕方について改めて確認をさせていただきますけれども、販売店が自分のお店に何部配達してほしいのか、搬入してほしいのかということを読売新聞社に注文するわけですね。

宮本:はい。

なお、喜田村弁護士は、YC久留米文化センター前店(福岡県)を廃業に追い込んだ裁判でも、読売の「押し紙」を否定している。YC広川の裁判でも、やはり「押し紙」の存在を否定した。

2015年08月13日 (木曜日)

「押し紙」70年⑥ 1980年代の国会における新聞販売問題の追及、読売「北田資料」も暴露

サマリー】1980年代に入ると国会質問の場で共産・公明・社会の3党が超党派で、景品を使った違法な新聞拡販や「押し紙」問題などを追及した。質問回数は、1980年3月5日から1985年4月13日までの期間、総計で16回である。

 当然、「押し紙」問題も取り上げられた。共産党の瀬崎博義議員は、読売新聞・鶴舞直配所の内部資料を暴露した「北田資料」を根拠に、「押し紙」(広義の残紙)を取り上げた。

1980年代に入ると新聞販売の諸問題は、国会で反響を呼んだ。これについてはメディア黒書でも繰り返し記述してきたが、新聞史における大事な歴史的転換期なので、改めて何が起こったのかを記しておこう。

結論を先に言えば、共産・公明・社会の3党が超党派で、景品を使った違法な新聞拡販や「押し紙」問題などを追及したのである。質問回数は、1980年3月5日から1985年4月13日までの期間、総計で16回である。

具体的な質問日時と質問者は次の通りである。

■新聞に関する国会質問リスト

こんなことはかつてなかった。政党にとっても、新聞社を攻撃することは大きなリスクを背負うからだ。

これらの質問を水面下で準備したのは、新聞販売の業務に携わる社員と店主で組織する全販労(全日本新聞販売労組)の事務局長を務めていた沢田治氏である。沢田氏は滋賀県で毎日新聞の販売店を経営するかたわら、組合運動の指揮を取っていた。

国会質問に立った共産党の瀬崎博義議員と公明党の草川昭三議員は、いずれも滋賀県選挙区から国会へ送りだされていた。沢田治氏は地元出身の瀬崎博義議員と草川昭三議員に接触し、膨大な裏付け資料を提供し、国会質問を依頼したのである。

共産党の市川正一参院議員も質問に立っているが、彼も関西を基盤とした政治家であることから、沢田氏が接近したのである。市川氏の秘書が筆坂肇氏であったことから、沢田氏は筆坂氏に資料を届けていたという。かつて沢田氏は、わたしに対して、筆坂氏を次のように評していた。

「とにかく理解力がすごかった。多量の資料を短期に整理して体系づけた」

◇北田資料

1982年3月8日、瀬崎議員は国会質問で、俗にいう「北田資料」を取り上げた。これは読売新聞の北田敬一店主(奈良県読売新聞鶴舞直配所)が暴露した自店の経営実態を裏付ける内部資料である。その中に「押し紙」(残紙)に関する資料が含まれていた。(読売は、「押し紙」は一部たりとも存在しないと主張してきたが、ここでいう「押し紙」とは、広義の残紙のことである。必ずしも押し売りの証拠があるとは限らない。)

瀬崎氏は、この北田資料を国会質問の中で暴露したのだ。瀬崎氏は、次のように述べている。

これで見てわかりますように、51年の1月、本社送り部数(注:搬入部数のこと)791、実際に配っている部数556、残紙235、残紙率29.7%、52年1月送り部数910にふえます。実配数629、残紙数281、残紙率30・9%に上がります。・・・・・・・

■瀬崎氏による国会質問録DPF

これが国会で「押し紙」問題が取り上げられた最初である。
しかし、これら一連の新聞販売問題をメディアが取り上げることはなかった。唯一の例外が新聞研究者で創価大学の新井直之教授だった。新井氏は月刊誌『潮』に連載していた「マスコミ日誌」で、次のように述べている。

(略)新聞社側には、国会で共産党議員がその資料をもとに問題を取り上げていることから、(注:全販労が)共産党系組織として警察に働きかけ、裏からの切りくずしをはかっているとも聞く。しかし「生まれたばかりの組織で、支援してくれるものはどこもこばまない」(佐藤議長)というのが全販労の考え方で、共産党系組織というのはいいがかりに過ぎない。この問題について、公明党、社会党議員も国会で取り上げているのも、その現れである。

新聞販売の過当競争や、販売店従業員のタコ部屋的状況は周知の事実で、各社は、公取委の批判や全販労の告発に、十分に、誠意をもって答え、対応すべきであろう。新聞が、自ら内部にかかえている矛盾や後進性を克服せずして、真の国民のための新聞ということは、決してできない。

驚くべきことに新井氏が指摘している新聞販売店の実態は、新聞社の系統によっては、今もほとんど変わっていない。

2015年08月07日 (金曜日)

1年半で朝日は67万部、読売は72万部の減部数、2015年6月のABC部数

【サマリー】2014年1月から2015年6月の1年半における新聞のABC 部数の推移を調べたところ、朝日が約67万部、読売が約72万部の部数を減らしていることが分かった。これに対して産経は約1万部増やしている。

 しかし、新聞のABC部数には「押し紙」が含まれている場合があるので、実際にどの程度の新聞が配達されているのかは不透明のままだ。「押し紙」は独禁法に抵触し、公権力がこれを逆手に取れば、暗黙のうちに新聞紙面をコントロールできる。

2015年6月時点における主要紙のABC部数は、次の通りである。

【2015年6月】
朝日新聞:6,790,953部
読売新聞:9,108,078部
毎日新聞:3,249,928部
日経新聞:2,739,027部
産経新聞:1,604,115部

■2015年6月のABC部数

これらの数字を1年半前、つまり2014年1月の数字に比較してみると、中央紙のうち産経は部数を増やしているが、他紙は部数の低落傾向から脱却できていないことが分かる。

読売は1年半で約72万部を減らし、朝日は67万部を減らしたことになる。両社の減部数は、約139万部にもなる。これは関東圏でいえば、東京新聞2社と上毛新聞社を失ったに等しい。

【朝日新聞】
2014年1月:7,461,786部
2015年6月:6,790,953部
差異     :  670,833部

【読売新聞】
2014年1月:9,825,985部
2015年6月:9,108,078部
差異     :  717,907部

【毎日新聞】
2014年1月:3,356,507部
2015年6月:3,249,928部
差異     :  106,579部

【日経新聞】
2014年1月:2,761,699部
2015年6月:2,739,027部
差異     :   22,672部

【産経新聞】
2014年1月:1,593,075部
2015年6月:1,604,115部
11,040部

【中央5紙を除く日刊紙】
2014年2月:16,073,597部
2015年6月:15,439,934部
 差異     :   633,663部

◇「押し紙」とメディアコントロール

しかし、これらの数字は販売店が実際に配達している部数(実配部数) を正しく反映しているとは限らない。日本の新聞業界には、「押し紙」制度が慣行として定着しているからだ。

「押し紙」とは、新聞社が販売店に対して実配部数を超える新聞部数を搬入するために発生する過剰部数を意味する。「押し紙」は卸代金の請求対象になる。当然、実際には配達・販売されていなくても、販売収入として経理処理される。そのために粉飾決算の疑惑も指摘されてきた。

新聞人の中には新聞ばなれの時代においても、自社だけは経営が好調だと、機会があるごとに自慢話をしている者もいるが、粉飾問題を考慮した場合、実際の経営実態を反映していない可能性が高い。

新聞人は「押し紙」も堂々と販売収入として計上しているので、「押し紙」が多い新聞社は、経営が好調に見えても内情は別だ。

「押し紙」は独禁法で禁止されており、これを逆手に取れば公権力は新聞紙面を暗黙のうちにコントロールできる。公権力に批判的な紙面づくりを展開する新聞社は、「押し紙」問題で摘発されるリスクが高くなるからだ。

2015年07月08日 (水曜日)

読売の広告収入、ピーク時の1700億円から800億円へ半減、自民・大西議員の発言がプレシャーになる理由

【サマリー】2015年1月に開かれた読売新聞社の新春所長会議で、渡邉恒雄グループ本社会長・主筆は、読売の広告収入が、ピーク時の1700億円から800億円までに落ち込んでいることを明かした。広告収入は新聞社の大きな収入源である。それが落ち込んでいる事実は、新聞社の広告を柱としたビジネスモデルの危機でもある。

 が、この点を逆手に取れば、メディアコントロールも可能になる。自民党・大西英男議員の「マスコミを懲らしめるには、広告料収入をなくせばいい」という発言は、こうした状況下で飛び出した。

1972年、新聞研究者の新井直之氏が『新聞戦後史』(栗田出版)を著し、新聞ジャーナリズムのアキレス腱が実は新聞社のビジネスモデルにあることを、戦前の例をひきながら鋭く指摘した。

1940年5月、内閣に新聞雑誌統制委員会が設けられ、用紙の統制、配給が一段と強化されることになったとき、用紙制限は単なる経済的な意味だけではなく、用紙配給の実権を政府が完全に掌握することによって言論界の死命を制しようとするものとなった。

新井氏が指摘したことを、長い歳月の後、今度は自民党の大西英男議員がゆがんだかたちで指摘した。大西議員の発言は次の通りだった。

「マスコミを懲らしめるには、広告料収入がなくなるのが一番。政治家には言えないことで、安倍晋三首相も言えないことだが、不買運動じゃないが、日本を過つ企業に広告料を支払うなんてとんでもないと、経団連などに働きかけしてほしい」

改めて言うまでもなく、広告収入が新聞社経営に及ぼす影響は計り知れない。それゆえにメディアコントロールの道具として悪用されやすい。公権力や企業の目の付けどころになる。

新聞社の広告収入の実態を読売新聞を例に紹介しよう。

◇折込広告も不況

今年1月に開かれた読売新聞社の新春所長会議で、渡邉恒雄グループ本社会長・主筆は、読売の広告収入が、ピーク時の1700億円から800億円までに落ち込んでいることを明かした。(『新聞情報』、2015年1月24日)

渡邉氏は次のように言う。

読売新聞も販売部数は1年で66万部減少したし、広告収入も、ピーク時に1700億円あったものが800億円にまでほぼ半減し、昨年も800億円を超すことがありませんでした。そのため、読売新聞社としても、多少緊縮した財務政策を取らざるを得ませんでした。不況脱出遅れのために、特に大変な困難に直面されたのは、ここにいらっしゃるYC所長の皆様方であります。まず、第一に折り込み収入が不況で激減して以来いまだに回復しておりません。

読売に限らず、他の新聞社も同じような窮地に追い込まれている可能性が高い。と、いうのもABC部数の大小により広告価格が設定される基本原則がある事情から察して、読売よりもABC部数が少ない他社は、広告営業においても、読売よりもはるかに苦戦を強いられるからだ。

こうした新聞社の斜陽を逆手に取って自民党の大西議員らが着目したのが、
どうやら広告主を抱き込むメディア戦略だったようだ。古くて新しい手口である。経営部門をターゲットにした戦前の手口の復活だ。

◇不毛な紙面批判

しかし、一方に広告主に対して広告出稿をストップさせる手厳しい戦略があるとすれば、他方にはそれと鋭く対立する友好的な戦略もある。それが新聞に対する軽減税率の適用である。軽減税率の適用は、新聞人による政界工作の成果もあり、適用が確実視されている。

つまり、新聞ジャーナリズムをコントロールするために、出版とは無関係なところで、「アメとムチ」の政策が進行しているのである。

安保法制は今、こうした状況の下で、ジャーナリズムを骨抜きにして、成立しようとしている。

わたしは「メディア黒書」で、「いくら新聞紙面の批判をしても、新聞ジャーナリズムは改善しない」と繰り返してきたが、その原因は、新聞社のビジネスモデルが間違っているからである。

2015年05月13日 (水曜日)

渡邉恒雄会長が新聞社の多角経営を自慢、「読売新聞は全く安泰です」、ジャーナリズムから情報産業への変質の危険性

新聞社の衰退が指摘されるようになって久しいが、読売の渡邉恒雄会長は、今年4月の入社式に行った挨拶で、読売の経営が依然として安定していることを強調してみせた。多角経営の優位性を次のように述べている。新聞人の言葉というよりも、むしろ財界人の言葉である。

「各新聞社とも今、活字不況時代ということもあって、経営は相当苦しいですが、読売新聞は全く安泰です。しかも新聞だけではなく、全ての分野の経営において成功しています。

野球では巨人軍があるし、出版部門では、一番古い総合雑誌としての歴史を持つ「中央公論」を中心とした中央公論新社があるし、1部上場会社で、最近視聴率も上げている日本テレビも読売新聞が筆頭株主で姉妹関係にあります。

また、非常に大きな不動産や土地を持ったよみうりランドも1部上場会社ですが、読売新聞から会長、社長等を出し、筆頭株主も読売新聞です。

ただいま皆さんに名演奏を聴かせてくれた読売日本交響楽団もグループの一員です。

そのほか読売理工医療福祉専門学校や読売自動車大学校、読売・日本テレビ文化センターなどがあります。

読売が持っている不動産では、プランタン銀座や、ビックカメラ(有楽町店)、マロニエゲートのほか、札幌駅前にはワシントンホテルグループのホテルがあります。非常に多角的に経営し、すべて万全の財務基盤を持って、文化的な貢献をしています」

渡邉氏が具体的にあげた業種で出版やジャーナリズムとはまったく関係がない分野としては、次のようなものがある。

※読売ジャイアンツ(プロ野球)
※よみうりランド(レジャー)
※読売日本交響楽団(音楽)
※読売理工医療福祉専門学校(学校)
※読売自動車大学校(学校)
※プランタン銀座(不動産)
※ビックカメラ・有楽町店(不動産)
※マロニエゲート(不動産)
※ワシントンホテルグループ(旅行)

読売はさまざまな分野へ進出している。読売新聞社はもはや新聞社単体というよりも、多種多様な事業を展開する巨大グループの一企業と言ったほうが適切だ。

◆新聞産業の衰退

新聞社が大規模な多角経営を行っている例は、日本のケースを除いてあまり聞いたことがない。ジャーナリズムという職種上、経済界と一定の距離を置かなければ、特定の企業や特定の業界のPR媒体に変質する恐れがあり、それなりの自粛が働くからだ。一般企業との区別は、新聞人の誇りでもある。

しかし、日本の新聞社では、読売ほど大きな規模ではないが、多角経営が一般化しているようだ。たとえば朝日新聞社は、東京・銀座に、新ビル「銀座朝日ビル(仮称)」(地下2階地上12階建ての)を建設する。毎日新聞社も不動産物件の所有者である。

新聞の読者離れに歯止めがかからないわけだから、多角経営に乗り出さなければ、新聞社本体の経営が悪化していく事情は理解できるが、それにより真実を伝えるジャーナリズムの役割が衰退し、単なる情報産業と化してしまう危険性も高い。

◆出版人としてのプライド

読売新聞社は、新聞販売店やフリーのジャーナリストに対して、たびたび裁判を起こしてきた事実がある。しかも、改憲問題などで、本来であれば読売の改憲論とは相容れないはずの護憲派・自由人権協会の弁護士を使っている。

そこには新聞人の核をなすはずの自分の思想への強いこだわりが感じられない。言論に対しては言論で対抗するという出版人としてのプライドも感じられない。企業法務が最優先されている印象がある。これも多角経営がもたらした弊害ではないか。

渡邉恒雄氏が語った内容は、新聞人というよりも、財界人の視点で貫かれている。記者が大企業の中の一員になってしまえば、ジャーナリズムもお金儲けの道具に変質しかねない。

2015年05月11日 (月曜日)

前年同月差は朝日が-65万部、読売が-58万部、2015年3月度のABC部数

2015年3月度のABC部数が明らかになった。それによると中央紙は、対前月差では、大きな変動はなかったものの、対前年同月差では、朝日新聞が約65万部、読売が58万部のマイナスとなった。

中央紙の販売部数は次の通りである。()内は、対前年同月差。

朝日新聞:6,801,032(-649,200)
毎日新聞:3,254,446(-67,296)
読売新聞:9,114,786(-576,151)
日経新聞:2,740,031(-28,588)
産経新聞:1,607,047(+17,800)

◆ABC部数と「押し紙」

ABC部数を解析する場合に、考慮しなければならないのは、ABC部数が必ずしも実配部数(実際に配達されている新聞の部数)を反映しているとは限らないという点である。

日本の新聞社の多くは「押し紙」政策を採用してきた事実があり、これが原因で「ABC部数=実配部数」という解釈を困難にしている。両者は別物である。

「押し紙」とは、新聞社が配達部数を超えて販売店に搬入する部数のことである。たとえば2000部の新聞を配達している販売店に、2500部を搬入すれば、差異の500部が「押し紙」ということになる。

新聞社は「押し紙」についても新聞の卸し代金を徴収する。また、「押し紙」部数をABC部数に加算することで、紙面広告の媒体価値をつり上げる。

広告主からも、「押し紙」政策を批判する声が挙がっているが、日本新聞協会は、「押し紙」は存在しないとする立場を貫いている。しかし、「押し紙」は、新聞業界では周知の事実となっており、それを足下の大問題として検証しないこと自体が真実を追究するジャーナリズムの姿勢からはほど遠い。

「押し紙」は独禁法に抵触するので、公権力がそれを逆手に取れば、メディアコントロールの道具になる。その意味では、極めて危険な要素だ。

■2015年度・3月のABC部数