
海外の違った文化圏に定住して、改めて外部から日本を観察してみると、それまで見えなかった社会の断面が輪郭を現すことがある。それと同じ思考方法を小説が提供してくれる場合がある。しかも、後者の方は、時代の壁を軽々と飛び越えて、ひとつの時代、ひとつの社会を客観視させてくれる。
1990年に米国の作家・ドライサーが発表した『シスター・キャリー』(岩波文庫)は、米国資本主義が内包していた理不尽な構図を描いている。ドライサーの代表作『アメリカの悲劇』に劣らない名作である。
田舎町からシカゴへ出てきた娘・キャリーは、妻子もちの男とニューヨークへ駆け落ちする。しかし、男は事業に失敗。どんぞこへと落ちぶれていく。これに対して、キャリーは演劇の才能を認められ、アメリカンドリームを象徴するような出世の階段を昇る。女優として成功したのだ。
やがて経済的な格差が原因で2人の関係は破綻する。
男は生活もままならなくなり、鉄道労働者のストライキが勃発すると、鉄道会社に雇われて機関士となる。スト破りに協力したのである。が、それもつかの間のことで、一文無しのホームレスーになる。
こうした弱肉強食の社会の中で、唯一の救いの手は、キリスト教の慈善運動によって差し伸べられる。下層階級に落ちぶれてしまうと、それに頼る以外に生きる道は閉ざされているのだ。
幸運と才能さえあれば巨額の富に手にできる一方で、アメリカンドリームに失敗すれば、社会の底辺に突き落とされる。公的な支援はなにもない。人間の良心だけが、わずかな救済になる社会。それが1990年代の米国資本主義だったのである。
男は、最後に自殺して共同墓地に埋葬される。
この小説は、プロレタリア文学ではないが、スト破りの実態がかなり克明に描かれている。ドライサーの先見性を物語っている。当時としては、極めて珍しい視点だったのではないか。
タイトル: シスター・キャリー
版元:岩波書店
著者:セオドア・ドライサー(村山淳彦訳)
2017年12月11日 (月曜日)

政治資金の処理方法に不正があるとして、筆者と市民運動家の志岐武彦氏が自由党の森ゆうこ氏を刑事告発した事件で、新潟地検は12月8日、不起訴の決定を下した。新潟地検は、2016年10月と2017年1月に、それぞれ2つのケースに対する筆者らの刑事告発を受理して「詐欺」と「所得税法違反」で捜査していた。
この事件は、森氏の地元である新潟県の経済誌、『財界にいがた』でも繰り返し取りあげてきた。
◇何が問題なのか?
政治献金は、政治家の活動を支えるために不可欠なものである。そのために政治家は、有権者から政治献金を集める。その際、地元の政党支部などに対して献金をした有権者は、ある優遇措置を受けることができる。それが「還付制度」といわれるものだ。
たとえばA議員の政党支部に100万円献金して、税務署で所定の手続きを取れば、献金額の30%が戻ってくる。100万円を献金した場合は、30万円が戻るので、寄付者の負担は70万円に軽減される。政治資金を集めやすくするために政治家に配慮した制度なのである。
森氏はこの制度を利用して、自分で自分の政党支部へ献金を行い、自ら還付を受けていたのだ。自分で自分の政党支部へ献金したわけだから、寄附金はもともと自分のものである。この「寄附金」に加えて、30%の還付金も自分の懐に入れていたのだ。
還付金制度は租税特別措置法の41条18・1で定められている。しかし、例外として、「その寄付をした者に特別の利益が及ぶと認められたものを除く」と定めているのだ。つまり森氏がやったことは違法行為であるというのが、筆者らの主張だった。
◇情報公開請求へ
『財界新潟』の報道によると、森氏は過去12年間で自身の政党支部へ9100万円を寄付していた。かりに森氏が、全ケースで還付金を受ける手続をしていたとすれば、2730万円の還付金を受けた計算になる。
新潟地検が森氏を不起訴にしたことで、政治家は森氏と同じ手口で還付金を受けることが容認されたことになる。全国から永田町に集まった「烏合の衆」が、このような形で還付金を受け、私服を肥やすことになる。検察は、政治家によるマネーロンダリングを容認したのである。
改めて言うまでもなく、還付金の財源は血税である。
森氏は、森友・加計事件では、辣腕ぶりを発揮しているが、みずからの足下を自己検証すべきだろう。受け取った還付金は返すべきだろう。
筆者は、今後、検察審査会への不服の申し立て、新潟地検に対する情報公開請求などを進める予定だ。
【参考記事】高市早苗総務大臣と森裕子議員の政治献金を悪用したマネーロンダリング、与野党政治家の劣化が顕著に

11月末に公表された政治資金収支報告書(2016年度分)によると、自民党の政治資金団体である国民政治協会に対して、広告代理店の大手、電通と博報堂が政治献金を支出していることが分かった。詳細は次の通りである。
博報堂:115万円(6月20日付け)
電通:240万円(6月30日)
240万円(11月30日)
企業が自民党へ献金する目的のひとつに、公共事業の受注競争を優位に進めたいという思惑があるようだ。政治献金で規模の大きな仕事を受注できれば、政治献金の支出負担を相殺したうえに、それをはるかに上回る額の公共事業収入を得られるからだ。
2016年度に博報堂と電通が得た政府広報費についての情報は、現時点では、後述する理由で、筆者の手元にないが、2015年度分は情報公開制度で入手している。それによると電通が約25億円、博報堂が約20億円である。
下記の表を参考にしてほしい。
これだけ莫大な額の広告費を獲得できれば、政治献金の負担など皆無に等しい。
ちなみに博報堂が制作したテレビCMに関する金銭の明細は一部が不明のままになっている。さらに広告主である内閣府の裁量だけで、書面も作成せずに湯水のように国家予算が博報堂へ支払われていた事実も、筆者の調査で明らかになっている。開示された資料の大半は黒塗りだ。内閣府や内閣官房から博報堂への天下りも、複数確認されている。元内閣参与の児玉誉士夫の側近が、博報堂の関連会社の役員を務めていた時期があった事実も確認している。
博報堂の会計に関する問題については、筆者は弁護士を通じて、会計検査院に調査を求めている。参考までに陳述書と申立書を再録しておこう。
■陳述書
■申立書
会計検査院に申し立てを行ったのが、今年の5月8日であるから、すでに半年が過ぎているが、現在のところ音沙汰はない。
【参考記事】 会計検査院に提出した審査要求書と陳述書を全面公開、国家予算の「闇」は昔から何も変わっていない
◇情報開示まで1年が必要か?
既に述べたように、2016年度に内閣府から広告代理店へ流れた広告費の明細は、現在、情報公開を請求中である。最初に開示を求めたのは、2016年の夏だった。その時は、「年度が改まる2017年の5月ごろには公開できるので、2016年度が終了した時点で請求してほしい」と言われた。
内閣府の言い分にも理があったので、筆者は2016年度が終わった今年の春に、情報公開請求を行った。ところが量が膨大になるという。それでもかまわないから全部を開示するように求めた。内閣府は、「開示作業に1年は必要」と言う。筆者はそれでも問題ないと回答した。
その後、内閣府から資料の一部が開示されたが、大半は開示されていない。それでも開示期限まで半年になった。やましい部分がないのであれば、さっさと開示すればいいわけだが、それが出来ない実態があるようだ。
森友・加計事件と同じような情報隠しの体質があるようだ。日本のメディアは、大手広告代理店を批判しない体質だから、ジャーナリズムの光が当たらないところで、想像以上に深刻な腐敗が進んでいる可能性もある。
2017年12月06日 (水曜日)

フェイクニュースという言葉が市民権を得てきた。フェイクニュースは、偽りのニュースという意味である。虚像を流すことで、世論を誘導するのが目的である。
実は、フェイクニュースは過去にも大きな問題になっている。たとえば朝日新聞による珊瑚事件である。この事件は、1989年に朝日のカメラマンが自分で珊瑚に傷をつけて、その写真を撮影し、環境破壊をテーマとした新聞記事を捏造した事件である。
1993年には、NHKスペシャル『奥ヒマラヤ 禁断の王国・ムスタン』にやらせが含まれていたことが発覚した。取材に同行していたフリーのフォトジャーナリストに高山病になった演技を強要して、それを撮影し、いかに過酷な取材をしたかを強調するために、作品の一場面に組み込んでいたのだ。詳細については、理不尽の演技を強いられたフォトジャーナリストが著した『ムスタンの真実―「やらせ」現場からの証言 』に詳しい。
知人の放送関係者によると、テレビのドキュメントでは、やらせは半ばあたりまえになっているという。発覚していないだけで、日常茶飯なのだという。と、いうのもテレビ番組の制作費が乏しく、時間をかけて事実を記録するだけの経済的・時間的な余裕がないからだ。テレビ番組の制作しているのは、たいていテレビ局の下請けの制作会社である。
◇事実の誇張
このところテレビは盛んに朝鮮をバッシングしている。そのための映像の量は、膨大になっている。しかし、朝鮮の漁船が日本列島の日本海側に次々と流れ着いている映像などは、簡単に捏造できるのだという。
「100%ウソの情報を流しているとは思えないですが、ほんの小さな事実をあたかも大事件のように誇張している可能性は高いです」(放送関係者)
朝鮮に対するバッシングが進む背景で、日本政府はどんどん軍事予算を増やしている。笑いが止まらないのは、日米の軍事産業である。朝鮮半島の問題が長引けばながびくほど、軍事産業の懐が潤うしくみになっているのだ。そのための財源は、増税でまかなう。
◇中野重治の理論
こうした状況の下で、日本のメディアが流す情報をどの程度信用すべきなのか不透明な部分が広がっている。基本的に日本のマスコミ情報は信用してはいけないというのが、筆者の見解だ。
特にあやしいのは世論調査である。JNNの世論調査(2日、3日に実施)によると、安倍内閣の支持率は、52.7%で、不支持の45.7%を大きく上回ったという。まず、ありえない数字である。データの裏付けが公開されないのだから、フェイクニュースの可能性を強く疑うべきだろう。
朝鮮にさまざまな問題があることは否定しない。しかし、テレビ映像には、かなりの誇張がある可能性も高い。金正恩の画像にしても、もっともイメージが悪いもの、あるいは悪党のイメージをかき立てるものが使われていることは、まず、間違いない。
筆者は、特に映像については注意している。カメラの使い方やその後の編集でどうにでもイメージ操作できるからだ。しかも、映像は人間の脳に直接的な強い印象を与える。洗脳や世論誘導には極めて有効だ。
作家の故・中野重治が、確か『日本語について』という本の中で、書き言葉の方が話し言葉や映像よりも真実を見極める際の道具としてより有効だという意味のことを論じていた。中野によると、話し言葉には常にアクセントや声の強弱、それに身振り手振りが伴っているので、それによって視聴者が騙されることが多いのだという。そのために、なんとなく立派に聞こえた演説を文章に「翻訳」してみると、実につまらない内容であることも少なくないという。
これに対して書き言葉は、アクセントもなければ、声の強弱も、身振り手振りの助けも借りられない。それゆえにある状況を書き言葉に「翻訳」してみると、物事の本質が浮かび上がりやすいのだという。中野は、書き言葉の力で、事実をひとつひとつ確認して、真実を見極める作業の意義を強調する。
正論である。が、書き言葉を使う側がフェイクニュースを意図していれば、中野重治が唱える理想論も機能しなくなる。日本のメディアは、いまそういう危機にあるのだ。

【動画説明】段ボールに梱包された折込広告(水増し分)が、販売店から搬出される場面。ビデオの最後に登場する「紙」の収集場所の実態も凄まじい。この収集場所から、段ボールは再びトラックに積まれ、四国へ向かった。しかし、尾行車両は、瀬戸大橋を渡ったところで古紙回収のトラックを見失った。
新聞人による「押し紙」と折込広告の「折り込め詐欺」が後を絶たない。1980年代から、これらは大きな問題になってきたが、彼らはまったく聞く耳をもたない。まるで批判が耳に入らないかのように、新聞部数の詐欺的なかさ上げと、それに連動した折込広告の水増しを続けている。
恐るべき腐敗が進行しているのだが、感覚が麻痺してしまい、罪悪感すらもないようだ。それどころか、たとえば毎日新聞などは「事実へまっすぐ」というキャッチフレーズで、自社の新聞をPRしている。言行不一致とはこのことである。
「押し紙」問題は、新聞業界内部の問題である。これに対して「折り込め詐欺」は、新聞業界の枠を超え、さまざまな分野の職種との関連性を持っている。それゆえに、「押し紙」問題に取り組んでいる筆者らは、広告主に実態を伝える重要性を認識している。
新聞社を批判しても解決しない。大半のメディア研究者もこの問題にだけはタッチしたがらない。新聞について論じるときも、ABC部数には「押し紙」が含まれていないという間違った事実認識を前提にしている。
新聞販売店を取材したところ、「折り込め詐欺」の最大の被害者は、パチスロ業者だという声が多い。パチスロ業者はABC部数が実配部数だと勘違いしているので、簡単に騙されてしまうという。たとえば新聞の実配部数が2000部しかないのに、ABC部数が2500部になっていれば、2500枚の折込広告の発注する。
◇1700部に対して2400枚の折込広告
次の数値は、山陽新聞・岡輝販売センターが2005年6月17日に、新聞に折り込んだ折込広告の枚数である。新聞の実配部数が1702部しかないのに、パチスロ業者のスーパーハリウッドとラスベガスは2400枚を発注している。
他の業種も含めた詳細は次の通りである。
おかやまコープ:2000枚
旭化成ホームズ:2400枚
ハピーズ岡輝店:2300枚
スーパーハリウッド:2400枚
マクドナルド:2150枚
ぜにや質舗:2350枚
岡山日産自動車:2200枚
アンペン:2300枚
ボックスクラブ:2400枚
ハウジング山忠:2400枚
マルイ:2200枚
ジャスコ:2400枚
ケンタッキーFC:2000枚
ハリウッド:2000枚
ゴルフファイブ:2300枚
ヤマブシタケ研究:2150枚
アイシティー :2400枚
ZOA岡山店:2400枚
山陽新聞社:1950枚
ラスベガス:2400枚
興味深いことに、最も発注部数が少ないのは、山陽新聞社の1950部である。「折り込め詐欺」がビジネスモデルに組み込まれていることを知っているから、少なめの枚数に留めたのだろう。とはいえ実配部数の1702部に対応させることは、さすがにはばかったようだ。詐欺が露骨になるからだ。
【参考動画】

最高裁判所は、6日、HNKの受信料の支払いをめぐる憲法判断を示す。この訴訟は、受信料を支払わなかった男性が、NHKから提訴されたのが発端である。裁判では、「契約の自由」が争点となり、地裁と高裁は、NHKの公共性を理由にNHKの訴えを認めた。
このところNHKの強引な受信料徴収が社会問題になっている。契約しない世帯を繰り返し訪問し、時には声を荒げて契約を迫る。高齢者や母子家庭にも配慮しない。新聞人による恫喝めいた新聞拡販と、放送人によるしつこい受信料徴収は、日本のメディアの2大恥部といっても過言ではない。記者も、それが恥ずかしい行為だとは感じていないようだ。
◇口答の片務契約の異常
NHKの受信料徴収を疑問視する人は、おおむね次の2タイプに分類できる。受信料を支払った上で、その不当性を主張するタイプと、受信料を支払わずにその不当性を主張するタイプである。
筆者は後者である。とはいえ契約を考慮したこともある。繰り返しNHKの集金人がやってくるので、ある時、筆者からNHK支局に電話して、契約書を送付するように申し入れた。
NHKから契約を求めてきたわけだから、契約内容を知るのは当然の権利だった。契約前にどのような条項になっているのかを知りたかった。
ところが、契約書と称して送付されてきたものは、単なる申込用紙だった。もちろん契約当事者の権利と義務などは何も記されていない。普通、契約という場合、双方が権利と義務を確認した上で、捺印するものなのだが、NHKの受信契約書には、それに該当する条文はまったく存在しない。
つまりNHKの権利だけを認めた口答の片務契約である。
それでも筆者は、NHKに口答の契約内容を確認したいので、説明に来るように伝えた。すると、相手は「上司と相談してから考える」と言った。
これを機にNHKの訪問はぴたりと止まった。そこで筆者は、説明に来ないのであれば、筆者が支局へ足を運び、契約に関する説明を聞きたいと申し入れた。が、不思議なことにこれも断られた。
そこで契約してもいいが、条文がある契約書を作成するように伝えておいた。内容に合意できれば、契約すると伝えておいた。
◇「押し売り」の評価
NHKの受信契約に条文が存在しないのは大きな問題である。有料のニュース・サイトであれば、加入の有無は自由であるから、契約書は必要ないが、金銭の徴収に強制が伴うNHKの受信料のケースでは、少なくとも条文が存在する契約書が必要だろう。契約書が存在しない契約など、ほとんど聞いたことがない。
口答の契約という形式を認めるとしても、その内容については問題がある。NHK側の権利だけを一方的に保障した片務契約であるからだ。NHKには、視聴者と一緒に健全なジャーナリズムを育てようという気持ちなどまったくない。
「契約の自由」をめぐる論争以前の問題として、書面による条文が存在しない片務契約の異常性こそが、NHKの受信料契約をめぐる最大の問題ではないか。
契約を強制する行為が「押し売り」という評価を受けているゆえんにほかならない。

総務省が11月30日に公表した政治資金収支報告書(2016年度分)によると、新聞関係者から政治献金が行われていたことが分かった。献金元は、日本新聞販売協会(日販協)の政治団体である日販協政治連盟。献金先は、管義偉官房長官や高市早苗・前総務大臣、それに元産経新聞記者の山谷えりこ氏など、27名。秘書への暴行で刑事告訴されている豊田真由子・前議員も含まれている。
献金先と金額は次の通り。
漆原良夫:40万円
豊田真由子:6万円
政経文化研究会:8万円
清和政策研究会:20万円
中川雅治:34万円
柴山昌彦:16万円
山谷えりこ:30万円
新藤義孝:10万円
北村経夫:14万円
中根一幸:6万円
管義偉:20万円
斉藤鉄夫:16万円
薗浦健太郎:10万円
高市早苗:30万円
和田よしあき:10万円
その他、12名に各5万円の「お小遣い」。
献金の最大の目的は、新聞に対する消費税の軽減税率の適用を確実なものにすることだと思われる。軽減税率の適用問題は、新聞関係者が最も懸念している問題のひとつである。すでに適用は決まっているが、依然として、疑問を呈する声も多い。
新聞発行本社で構成する日本新聞協会は、新聞の不偏不党の旗を掲げている関係で、政治連盟を結成して直接に政治献金を支出するわけにはいかない。料亭での会食が限度だ。そこで新聞販売店の同業組合である日販協に、献金を支出する役が回ってきたというのが一般的な見方である。
2017年11月30日 (木曜日)

国会で森友・加計事件の追及が再会されたとたんに、朝鮮がミサイルを発射した。その前には、力士による暴行事件があり、メディアはミサイルと暴行に関するニュースのオンパレードとなった。特にテレビはこうした傾向が顕著になっている。読者は、笑みを浮かべた麻生副総理の顔を想像するのではないだろうか。
報道人にニュースを選ぶ職能がないのか、それとも別の事情があるのか?報道の読みとり方について創価大学の元教授・故新井直之氏は、次のような貴重な指摘をしている。
新聞社や放送局の性格を見て行くためには、ある事実をどのように報道しているか、を見るとともに、どのようなニュースについて伝えていないか、を見ることが重要になってくる。ジャーナリズムを批評するときに欠くことができない視点は、「どのような記事を載せているか」ではなく、「どのような記事を載せていないか」なのである。
日本のメディアが最も報道を控えている重要テーマのひとつに、電磁波問題がある。読者は、高圧電線や携帯電話の基地局の近くに住んでいるひとが癌になった例を聞いたことがないだろうか?筆者は取材で、乳ガンや子宮癌が多い事実を掴んでいる。白血病の例も把握している。
携帯電話の基地局から発せられるマイクロ波と癌の関係を裏付ける疫学調査は、過去にイスラエル、ドイツ、ブラジルなどで実地されている。次に紹介するのは、ブラジルの例である。以前にメディア黒書で紹介したものだが、再度、紹介しておこう。
◇ブラジルの疫学調査
ブラジルのベロオリゾンテ市は、ブラジル南東部、標高約 800 メートルに建設された計画都市である。人口は約240万人。
この市をモデルとして携帯電話の通信に使われるマイクロ波と癌の関係を調べる調査を地元の州立大学が実施したことがある。結果が公表されたのは、2011年5月。おりしもWHO傘下のIARC(国際がん研究機関)が、マイクロ波に発癌性(遺伝子毒性)がある可能性を認定した時期である。
調査は役所が保管している携帯基地局の位置を示すデータ、市当局が管理している癌による死亡データ、それに国勢調査のデータを横断的に解析したものである。対象データは、1996年から2006年のもの(一部に欠落がある)である。
結論を先に言えば、基地局から半径500メートルの円周内で、癌のリスクが高くなることが分かった。1万人あたりの癌による死亡数と、基地局からの距離は、次のようになっている。明らかな相関関係が浮上する。
距離 100mまで:43.42人
距離 200 mまで:40.22 人
距離 300 mまで:37.12 人
距離 400 mまで:35.80 人
距離 500 mまで:34.76 人
距離 600 mまで:33.83 人
距離 700 mまで:33.80 人
距離 800 mまで:33.49 人
距離 900 mまで:33.21人
距離 1000mまで: 32.78人
全市 :32.12 人
検証対象のエリアに複数の基地局がある場合は、最初に設置された基地局からの距離を採用した。そのために汚染源の基地局を厳密に特定できない弱点はあるが、大まかな傾向を把握していることはほぼ間違いない。
結論として、基地局から200メートル以内は極めて危険性が高い。
◇複合汚染こそが問題
とはいえ、マイクロ波が単独の発癌因子とは断言できない。というのも、複合汚染が地球規模で急激に進み、さまざまな「毒」が人体をも汚染しているからだ。

たとえば、新しい化学物質は毎日のように誕生している。その発生件数を見ても、脅威的な数字である。米国のケミカル・アブストラクト・サービス(CAS)は、新しい化学物質に対してCAS登録番号を発行しているが、その数は1日に1万件を超える。
新しい化学物質により自然環境は常に変化している。静止した状態にはならない。
航空機事故を解析する際に、「1つの重大事故の背後には29の軽微な事故があり、その背景には300の異常が存在する」とするハインリッヒの法則が引き合いに出されることがままあるが、環境と病気の関係も同じ原理で、複数の因子が重なったときに、発病のリスクが高まるのだ。
たとえば、子宮頸癌の原因がHPV(ヒト・パピローマ・ウイルス)であることは定説になっている。しかし、HPVに「感染した人全員がかならず子宮頸癌になるわけではない。たとえば感染した状態で、ある環境因子にさらされてDNAがダメージを受けるなどの条件が重なった場合、発癌リスクが高くなる」(利部輝雄著『性感染症』)のである。
原因と結果の因果関係が複雑なだけに、公害においては理論よりも「異変」の事実を優先して対策を取らなければならない。医学的に「異変」が解明されるのを待っていたのでは、公害を拡大させてしまうからだ。
このあたりの認識が欠落しているのが、日本の総務省だ。事実、次に紹介するように、日本の安全基準は、「安全基準」にはなっていない。
◇総務省のマヌケな規制値
このように携帯電話の基地局から発せられるマイクロ波は、癌を発症させるリスクがあるのだ。ところが驚くべきことに、日本の総務省は、何の対策も取っていない。現在のマイクロ波の規制値を定めたのは、1999年で次の数値である。
日本の基準:1000 μW/c㎡ (1.8GHz)
極めて古い数値なのだ。電磁波問題が本格的に指摘されるようになる前の時代のデータに基づいた数値なのだ。
ところがその後、欧米でマイクロ波の人体影響に関する研究が進み、たとえば2012年に発表されたバイオ・イニシアティブ報告では、次のような数値が出ている。
バイオ・イニシアティブ報告:0.003~0.0006μW/c㎡ (1.8GHz)
数値を比べると分かるように、日本の基準値よりも桁違いに低い。研究の結果、マイクロ波についての見解が大きく変化したからである。研究結果に基づいて、厳しい数値となったのだ。

マイクロ波には熱作用と非熱作用があるといのが、現在科学の常識である。熱作用というのは、物質を加熱する作用のことで、典型的な実用例としては、電磁レンジがある。これに対して非熱作用とは、熱作用を除くすべての人体影響を意味しているのだが、最も大きな追求の的になってきたのが、遺伝子毒性の有無である。遺伝子を破損する作用の有無である。
原発のガンマ線などでは、遺伝子毒性があるというのが定説になっているが、最近の研究で、ガンマ線よりもはるかにエネルギーが低いマイクロ波にも遺伝子毒性があるらしいことが分かってきたのである。
実際、2011年5月には、IARC(国際がん研究機関)が、マイクロ波に遺伝子毒性がある可能性を認定した。
ところが日本の総務省は、いまだにマイクロ波の規制値は、熱作用さえ考慮に入れておけば問題ないと考えている。それゆえに1000 μW/c㎡という常識では考えられない規制値を放置しているのだ。
◇規制値のトリック
しかし、たとえば0.003μW/c㎡といった数値を規制値とした場合、携帯電話やスマホの通信は可能なのだろうか。結論を先に言えば、通信は可能である。実際、携帯電話基地局の周辺でマイクロ波を測定してみても、1μW/c㎡を超えることはほとんどない。と、すればなぜ総務省は、1000 μW/c㎡というバカな数値を放置するのだろうか?
それは住民との間で、基地局をめぐるトラブルが発生した場合の対処方法と関係がある。たとえばAさんという住民が、基地局を撤去するように電話会社に申し入れたとする。この場合、電話会社はマイクロ波の測定を実施する。そして1μW/c㎡程度のかなり低い数値を示す。それは偽装の数値ではない。本当の数値である。そして次のように説得するのだ。
「弊社は安全性を最重視して、総務省が定めた安全基準の1000分の1の数値で、基地局を操業していますから、絶対に安全です」
しかし、1μW/c㎡という数値そのものが、バイオ・イニシアティブ報告の基準から見れば、危険きわまりない数値なのである。
本来、ジャーナリズムの役割は、こうしたトリックを暴露することなのだが、日本のメディアは、電磁波問題をほとんど報じない。電話会社・電力会社・電気メーカーが大口広告主であるからだ。政府から受け取る広報費も莫大だ。
【写真】本稿に掲載した写真は、さまざまな形状の携帯電話基地局である。

【写真の解説】ビニール梱包されているのが「押し紙」。新聞紙で包装されているのは、水増しされ余分になった折込広告。岡山県内の毎日新聞販売店。
2017年10月度の新聞のABC部数が明らかになった。長期低落の傾向には変わりがないが、前月比でみると、中央紙も地方紙も+に転じている傾向がある。その背景には、「10月部数」が紙面広告の媒体価値を決める評価基準として採用される新聞業界の慣行があるようだ。つまり新聞社は10月に「押し紙」を増やすことで、紙面広告の媒体価値も詐欺的に高くしているのである。
同じことは「4月部数」についても言える。
その結果、年間を通じて次のようなパターンが観察される。
①3月から4月にかけて「押し紙」を増やしてABC部数をかさ上げする。
②4月から5月にかけて「押し紙」を若干減らし、販売店の負担を軽減する。
③9月から10月にかけて「押し紙」を増やしてABC部数をかさ上げする。
④10月から11月にかけて「押し紙」を若干減らし、販売店の負担を軽減する。
筆者が調査したところ、少なくとも2000年から、このような操作をしていることが裏付けられた。販売関係者によると、こうした数値の偽装は、それよりもずっと昔からやってきたという。
以下、10月部数の詳細を紹介しよう。()前月比、[]前年費。
朝日:6,121,605(-14,732)[-290,113]
毎日:2,960,278(+18,031)[-123,574]
読売:8,734,925(+20,940)[-206,400]
日経:2,695,255(-7,329)[-28,640]
産経:1,578,032(+58,387)「-46,232」
年間ベースでみれば、朝日が約30万部減、毎日が12万部減、読売が20万部減である。
不自然なのは産経の数字だ。産経はこの一年で約4万6000部を減らしたが、9月から10月にかけては、一気に約5万8000部増やしている。おそらくこの5万8000部は、11月には減部数になるだろう。筆者はそう推測している。広告の媒体価値を上げるだけの操作の可能性が高い。
日刊紙全体の数字は次のようになっている。
全日刊紙:37,021,153(+77,735)[-975,166]
はやり前月比は増えているのである。
◇「押し紙」とは?
ただ、ABC部数には「押し紙」が含まれているので、減部数分が必ずしも読者の減少とは限らない。この点を把握しておかなければ、新聞社経営に関する議論はまったく成り立たない。
「押し紙」とは、新聞社が新聞販売店に対して、搬入する新聞のうち、配達されないまま回収される新聞のことである。たとえば2000部しか配達していない販売店に3000部を搬入すると、過剰になった1000部が「押し紙」である。偽装部数ともいう。
ただし、予備紙(配達中の破損などに備えて余分に確保しておく新聞で、通常は、搬入部数の2%)は、「押し紙」に含まれない。
公正取引委員会の見解は、実際に配達する新聞の部数に予備紙をプラスした部数が、正常な新聞販売店経営に必要な部数であって、それを超えた部数は、機械的にすべて「押し紙」と定義している。新聞社は、「押し紙」についても、卸代金を徴収する。
◇横綱審議委員長の北村正任という人物
余談になるが、横綱審議委員長の北村正任氏が、元毎日新聞社の社長だった事実を読者はご存じだろうか。彼は、白鵬について「相撲界の膿を出すとか言ったが、何を意味するのか分からない。何か横綱としておかしいのではないかという意見が多かった」と述べた。が、彼自身は新聞業界の膿、「押し紙」「折込詐欺」を黙認してきた人である。
日馬富士の傷害事件と、毎日新聞社の「押し紙」問題は、どちらが重大だろうか。前者は一時的なもので、後者は少なくとも数十年続いている。しかも、まったく反省していない。批判されても止めない。なかには「押し紙」は一部も存在しないと開き直っている輩もいる。北村氏には、相撲界を浄化できない。

商品の溢れたきらびやかな世界に生きる少数の上流階級がある一方、社会の矛盾を背負ってその日ぐらしに明け暮れる下層階級がある。ドライサーの『アメリカの悲劇』は、1930年ごろの米国資本主義の実態を克明に描いている。
この物語の主人公はキリスト教の伝道を仕事とする貧しい一家に育った青年である。といっても、両親は教会から伝道師としての生活を保障されているわけではない。半ばボランティアによる活動で、日本でいえば、新興宗教の熱烈な信者のような存在である。
この伝道師の家に育った主人公は、青年期になると、生活の中でなによりも伝道が最優先される生活に疑問と反発を感じるようになり、おしゃれを楽しんだり、食事をしたり、ガールフレンドとデートするなど資本主義がもたらしてくれる快楽を追い求めるようになる。お金だけが生きる目的となっていく。
そんな時、青年はそれまでは想像もしなかった上流社会との接点を手に入れ、その階級を登り始める。そこには貧困とは対照的な、天国が開けていた。
そして皮肉なことに、上流階級に属するガールフレンドとの結婚が現実になりはじめたころに、下層階級のかつてのガールフレンドの妊娠が判明する。主人公は、堕胎手術を引き受けてくれる医者を捜すなど、さまざまな隠蔽工作を試みるが、ことごとく失敗に終わる。そして最後に妊娠したかつての恋人を人気のない山中の湖に誘い出し、ボートから転落させて殺害する。
しかし、犯罪を隠すことは出来ずに、逮捕され、裁判にかけられ、死刑宣告を受ける。死刑が執行された後、残された両親は、ふたたび貧困を背負いながら、かつてのような伝道の生活に戻っていく。
これが80年前のアメリカ社会の実態であるが、階級社会は当時から何も変わっていないのではないか?。それどころか新自由主義の下でますます社会格差は拡大している。そしてその制度を維持するための宗教-観念論の浸透という点でも同じである。この小説は、一体、アメリカ社会とは何かを問いかける。
『アメリカの悲劇』が出版されたのは1932年である。その7年後には、スタインベックの『怒りの葡萄』が出版されている。『怒りの葡萄』は、トルネード(砂嵐)に農地を荒らされて生活の糧を失ったオクラホマ州の農民たちが、新天地を求めてカリフォルニア州へ移動し、たどりついた先に、農園での過酷な労働が待ち受けていた史実に基づいた物語である。
この小説も米国の資本主義の矛盾を告発している。興味深いことに、『怒りの葡萄』にも、伝道師が登場するのだが、こちらの宗教家は、社会の矛盾の中で宗教の無力を自覚して、労働運動に乗りだす。ラテンアメリカの解放の神学のモデルを連想させる。
これら2つの小説からは、アメリカ資本主義の中で、宗教がいかに圧倒的な位置を占め、しかも、「治安維持」という観点から負の役割を果たしてきたのかがうかがい知れる。日本で急激に普及し始めている安倍内閣による観念論教育が、『アメリカの悲劇』の中で指摘されているような宗教と同じ役割を果たさないことを願うのみだ。
※余談になるが、筆者は10年ほど前に『アメリカの悲劇』を読み始めたが、途中で中止した。先日、市立図書館でリサイクルに出ていたので貰ってきたのだが、図書館員は『アメリカの悲劇』の価値が分からないのかも知れない。この小説は、「英語で書かれた20世紀のベスト小説100」の16位である。
■『アメリカの悲劇』
版元:集英社他
著者:セオドア・ドライサー
翻訳:宮本陽吉他

千葉県の毎日新聞・販売店の元店主が起こした「押し紙」裁判で明らかになった新聞の偽装部数の実態を数字で紹介しよう。被告は毎日新聞社(当時、朝比奈豊社長)である。結論を先に言えば、「押し紙」率が約7割にもなっていた。約7割にも達した例は、大阪の高屋肇氏が経営していた毎日新聞・蛍池店と豊中店だけではなかった。関東でも同じような異常な実態があったのだ。
2013年1月から2015年7月までの期間に毎日新聞社が、原告の販売店に搬入した新聞の総部数は、4万8702部(搬入部数)だった。これに対して、実際に配達されていた部数は1万5095部(実配部数)だった。差異は、3万3607部。ここから予備紙(通常は実配部数の2%程度)を差し引いた部数が「押し紙」である。
この販売店の場合、搬入される新聞の約7割が「押し紙」だったことになる。
毎日新聞社は毎日、毎日、こりもせずに新聞を「押し売り」してきたのである。月ごとの数字は次の通りである。左の数字が実配部数、右の()ないの数字が搬入部数)
【H25】
1月 540 (1,584)
2月 528 (1,559)
3月 524 (1,559)
4月 501 (1,559)
5月 501( 1,559)
6月 500 (1,559)
7月 501 (1,559)
8月 490 (1,559)
9月 493 (1,572)
10月 497 (1,572)
11月 509 (1,572)
12月 502 (1,572)
【H26】
1月 502(1,597)
2月 498 (1,573)
3月 499 (1,573)
4月 492 (1,573)
5月 484 (1,573)
6月 480 (1,573)
7月 486 (1,573)
8月 482 (1,573)
9月 479 (1,573)
10月 477 (1,573)
11月 478 (1,573)
12月 473 (1,573)
【H27】
1月 472( 1,576)
2月 466 (1,573)
3月 460 (1,573)
4月 456 (1,576)
5月 455 (1,573)
6月 450 (1,573)
7月 420 (1,573)
合計 15,095( 48,702)
◇100%独禁法違反
この「押し紙」事件の特徴は、原告の店主が2012年7月に毎日新聞社との間で商取引の契約を締結した時点の実配部数が546部だったのに、それを承知のうえで、毎日新聞社が、当初から「押し紙」を送り続けた事実である。元店主は、繰り返し「押し売り」に「NO」を表明してきた。きっぱりと断っていたのである。それを立証する膨大な録音も残っている。
もし裁判所が公平な法の番人であれば、毎日新聞社は、「押し紙」によって元店主が受けた損害を全額賠償しなければならない。また、公正取引委員会も、独禁法違反で、同社に対して指導に乗りださなければならない。新聞社だけを特別扱いすべきではないだろう。
◇社会部出身の朝比奈豊社長
ちなみにこの「押し紙」裁判に先立って、毎日新聞社は、元店主に対して店舗からの退去を求める裁判を起こしている。元店主は、「押し紙」が原因で毎日新聞への新聞代金の納入ができなくなった。そこで毎日新聞社は、店主との商取引を一方的に破棄した経緯があった。
ところが元店主は、産経新聞や東京新聞も配達していたので、引き続き店舗を必要とした。こうした事情を知りながら、元店主に店舗からの退去を一方的に求める裁判を起こしたのである。裁判を好む読売と体質が類似していないだろうか。
提訴時には、社会部出身の朝比奈豊氏が社長を務めていた。同氏は社会部の出身でありながら、新聞の押し売りを公然と認めてきたのである。一行たりとも「押し紙」を報道していない。いや、ひとつだけ例外があった。
【参考記事】毎日新聞と伊藤一郎、偽装部数追究のジャーナリストを「自称フリーライター」呼ばわり
毎日新聞社の第3者委員会「開かれた新聞委員会」も「押し紙」問題にはふれない。上記の記事も問題にしていない。ジャーナリズムを駄目にした諸悪の根元には絶対にタッチしないらしい。
【写真】毎日新聞の「押し紙」、新聞で梱包されているのは、廃棄される折込広告。岡山県内で撮影。

便器を中学生らが素手で磨かされた事件が関心を集めている。J-Castニュースは、その実態を次のように伝えている。
男子トイレ内の便器を女子中学生が「素手」で掃除している写真を巡って大騒ぎが起きている。トイレ掃除をすることによって生徒達の心を磨くことができる、ということだが、写真を見た人から「これって虐待にならないか?」「感染症のリスク高すぎるだろ」といった批判が出て、大量にネットの掲示板やブログに書き込まれる事態になっている。■出典
この記事が指摘しているように、素手によるトイレ掃除は、「トイレ掃除をすることによって生徒達の心を磨くことができる」という、考えに端を発した道徳教育である。安倍内閣のもとで積極的に推進されている道徳教育=観念論と軌道が一致している。
しかし、このような心がけを重視する発想は、今に始まったものではない。その原型は1960年代、日本が高度経済成長のレールの上を走り始める時代に、文部省の中教審が提言した「期待される人間像」である。だれから期待されるのかを示す主語が省略されて、日本語としては未熟だが、それはともかくとして、心の教育に期待を寄せたのは、ほかならぬ財界である。文句を言わず従順で、心がけがいい人間の大量生産を、日本の財界は「期待」してきたのである。
その期待にこたえて、とんでもない文教政策を進めてきたのが、自民党と文部科学省の先輩である。
その文教政策の土台となってきたのが観念論である。
◇義務教育の中での観念論教育
古い記憶になるが、筆者が小学校3年生の時、確か社会科のテストだったと記憶しているが、「公園で立て看板が倒れていましたが、どうすべきですか?」との設問があり、「なおす」「そのままにしておく」の2つの選択肢があった。筆者は、「そのままにしておく」を選んだ。結果、「×」を貰った。抗議したが、もちろん受け入れられなかった。
中学校の教育現場では、もっと極端な心の教育を体験した。たとえば、校舎(当時は木造だった)の廊下の柱に「光り輝けボロ校舎」という標語が張ってあった。校長の毛筆による制作だった。これもおかしな日本語だが、この標語に象徴されるように、筆者らは真冬に冷水を使って、校長室や職員室の床を雑巾がけすることが、尊い行為だと教わったのである。後にこの校長は、教育功労賞を受けることになる。
朝礼の時には、全校で呪文を唱える儀式があった。次のような呪文である。
・今日一日にすべてを集中しよう。
・すべての物に感謝しよう。
・草にも木にもよいことをしよう。
・足下をふり返ろう。
・進んで求めよう。
これも教育功労賞の校長の発案だった。筆者の卒業前には、この呪文を石碑に刻んで、校庭の芝に埋め込み、卒業記念碑とする作業も行われた。筆者は、後年に恥じをかくことになりかねないので、思いとどまるように意見を述べたが、もちろん無視された。
こうした道徳教育の最大の誤りは、背景に観念論哲学の思想があることだ。観念論哲学とは何かを説明するには、膨大な字数が必要なので、ここでは深くは踏み込まないが、端的に言えば、「心がけがよくなれば、それで社会はよくなる」という単純な考えである。それはある意味では真理を含んでいるが、根本的に完全に間違っている。
観念論の対極にある唯物論を支持する人々は、客観的な仕組みを変化させることが、社会をよくする基本的な道筋であるという立場を取る。当然、心がけは、副次的なものとしかみなさない。重視しない。逆に、心というものは、外界の変化によって左右されるとする立場を取る。
このようにふたつの哲学は対立している。観念論が正しいのか、唯物論が正しいのかという検証をさけて、教育現場における道徳教育の評価は絶対にできない。安倍内閣の文教政策を検証する際に避けることができない点なのである。
ところがこまったことに、日本の学校教育では、観念論と唯物論の違いすらも教えない。その結果、大半の人が両者の決定的な違いを理解していない。結果、唯物論とは、快楽のために物を浪費することを奨励する哲学、といったとんでもない誤解が一人歩きする。
観念論は支配階級のための哲学である。財界は道徳教育=観念論で従順な人間の「大量生産」を期待している。安倍内閣に心を重視する道徳教育を求めているのだ。組合運動でも組織して、ものごとを客観的に変えていく型の人間は、歓迎しない。
◇前近代的な世界-日本相撲協会
道徳教育=観念論の弊害は、すでに露骨なかたちで現れている。前出の「トイレ騒動」はいうまでもなく、たとえば次のニュース、「『お手本になる人がね』白鵬の態度に勝負審判も首ひねる」についても、審判団がおそらく無意識のうちに「汚染」されている観念論による影響と考えるべきだろう。
22日にあった大相撲九州場所11日目の結びの一番で、寄り切りで敗れた横綱白鵬が、土俵に戻らず軍配への不満をアピールしたことについて、土俵下で勝負審判を務めた親方たちも首をひねった。■出典
白鳳が判定に疑問を持ったことが、「悪」であるはずがない。貴乃花が弟子の人権を優先したことも、「悪」であるはずがない。重症を負った弟子の弁である。
「みんなで話しているときにちょっとだけ携帯電話をいじっていたら、急に日馬富士がやって来て殴り始めました。灰皿やカラオケのリモコンなどで手当たり次第に僕を殴りました。僕は両手で頭を抱えました。だいたい40~50回ぐらい殴ったと思います」■出典
日本相撲協会は、完全に狂っているのである。便器磨きを強要する学校の比ではないだろう。マスコミが批判しないのもおかしい。

