2026年09月22日 (火曜日)
鹿砦社の松岡利康社長が、救援連絡センターの機関紙『救援』に抗議、事実とは異なる浅野健一氏の記述

『救援』に掲載された浅野健一氏の評論の中に、事実とは異なる名誉毀損に該当する誤記がったとして、鹿砦社の松岡利康社長は、救援連絡センターへ抗議を申し入れていたことが分かった。
発端は、今年の3月16日に同志社国際高校の武石知華さんと船長が亡くなった辺野古の事故である。一部のメディアは、亡くなった武石さんが米軍基地の設置に反対するスタンスの持ち主であったかのような報道を行なった。しかし、遺族はそれを否定。Noteで「知華をまるで自分たちの仲間であったかのように語ることは到底、容認できません」と綴っている。船に乗り込んだことを、政治的な思惑は結び付かないという。
こうした状況の中、沖縄タイムスは、「おわび」を掲載するに至った。
一方、浅野健一氏が代表世話人を務める「人権と報道・連絡会」は5月17日に学習会を開催した。このチラシの見出しには、「抗議船転覆事故乗り越え、辺野古新基地建設防止を強化しよう」とある。このチラシの最後に、主催者の連絡先が記されている。個人名(Aさん)、住所、メール、携帯電話番号、ファックス、それに「人権と報道・連絡会」のURLも記されている。
問題となったのは、このチラシの連絡先である。Aさんの下に抗議が殺到したらしい。これを知ったネットメディア「さくらフィナンシャルニュース」が、「人権と報道・連絡会」の代表・世話人の浅野健一氏の連絡先などを公表したのである。
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松岡氏が問題にしているのは、浅野氏が『救援』に掲載した評論、「辺野古研修・同志社国際高校教員自死の衝撃」の次の箇所である。
5月中旬から、日本会議系サイトが私の自宅の郵便番号、住所、固定電話と携帯電話の番号、メールアドレスを世界中にさらした。また、その違法投稿を、あけび書房・岡林信一社長、鹿砦社・松岡利康社長らがリツィートした。
松岡氏は、自分が浅野氏の個人情報をリツィートした事実はないとして、『救援』に抗議文を送り、証拠を公開するように求めた。これに対して、救援連絡センターの代表で、関東学院大学名誉教授の足立昌勝氏から次のような回答があった。
松岡様
抗議の文章を読みました。
この件は、松岡さんと浅野さんの個人的問題であり、救援連絡センターとはまったく関係ありません。浅野さんが救援に書いた文章に反論があれば、ぜひ救援誌上で反論権を行使し、反論の文章を書かれてはいかがでしょうか。
抗議文には、次の一文があります。
「私はセンターとの関係を悪化させたくありませんし、毎月『紙の爆弾』に寄稿いただ
いている足立先生の寄稿も継続したく思っておりますので、よろしく御高配のほどお
願い申し上げます。」
このような形で私の名前を出されることは、非常に迷惑です。このようなことが続けば、私の紙の爆弾への寄稿があたかも非難されているように海(ママ)けられざるを得ません。
前回の抗議文にも名前が出されていました。
ぜひ、このような私の名誉にかかわることをやめていただきたいと思います。
先にも述べたとおり、もし反論があるならば、救援誌上で反論を述べていただきたいと思います。
なお、救援連絡センターでは、救援に関する検閲は行なってはいません。
浅野さんの文章は、本人の責任で書かれたことであり、救援とは全く無関係です。
以上、よろしくお願いします。
足立氏の回答の主旨は次の通りである。
① この件は、松岡さんと浅野さんの個人的問題であり、救援連絡センターは関係がない。
② 浅野さんが救援に書いた文章に反論があれば、『救援』で反論してほしい。
③ 名誉にかかわることなので、自分の名前は出さないでほしい。
④ 救援連絡センターでは、救援に関する検閲は行っていない。
足立氏は、松岡氏と浅野氏の個人的な問題と言っているが、『救援』は機関紙であるから、記事を掲載した側にも責任はある。免責にはならない。反論権を与えるは当たり前である。また、『救援』の記事について疑義を申し立てる場合、代表者の名前を公表するのは当たり前だ。不名誉なことでもなんでもない。さらに事実を検証することと、「検閲」は分けて考えるべきだろう。公共性のある出版物を、「検閲」禁止を理由に、ファクトチックなしに公表していいはずがない。
なお、現時点で松岡氏が問題の記事をリツィートしたことを示す証拠は提示されていない。松岡氏は、Xのアカウントを持っていないから、リツィートできるはずがない。鹿砦社のXはあるが、筆者は「デジタル鹿砦社通信」に寄稿している関係で、毎日同社のXを見ているが、そのようなリツィートを見た事はない。
なお、浅野氏は「さくらフィナンシャルニュース」が日本会議系のメディアだと述べているが、これも再検証が必要だ。筆者は一時期、このウエブサイトの編集の仕事を請け負ったことがあるが、少なくとも当時は、日本会議とは何の関係もなかった。
客観的な事実を正確に伝えることは、記者として初歩の初歩ではないだろうか?
【参考記事】
