公共事業は諸悪の根源 ジャーナリズムでなくなった朝日 その9【前編】
◆吉竹幸則(フリージャーナリスト・元朝日新聞記者)
メディアの最大の仕事は「権力監視」。ジャーナリストなら常識であり、「見識」です。それに反し「政府が右と言えば、左という訳にはいかない」と公言しているNHK籾井勝人会長が居座ったままです。
メディアへの暴力行使を礼賛したとも取れる文章を発表した経営委員の長谷川三千子氏、都知事選の応援演説で対立候補を「人間のくず」呼ばわりした作家の百田尚樹氏も…です。
居座りの極めつけは、小松一郎・内閣法制局長官でしょう。政府の法案提出についてまで言及するのはご愛嬌としても、「憲法の番人」としての「見識」が全く感じられません。
憲法は国是であり、時の内閣の解釈で憲法が実質くるくる変わるようでは、「立憲国家」とは言えません。時の権力の意向と一線を画し、これまで法制局がなぜ集団的自衛権の発動を一貫して憲法違反として否定して来たか?
それは、いかなる理由があろうとも「武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」との9条に明確に違反するからです。これが「立憲国家」としての法制局の「見識」であり、時の権力に安易に迎合しない「節度」と言うものでしょう。
◇「ナチスの手口を学んだら」
「欧州でもっとも進んだ憲法」と言われていたのは、ドイツのワイマール憲法でした。それがナチスによって都合よく解釈され、歯止めのない軍事国家にひた走りました。「ナチスの手口を学んだら」と発言したのが、麻生副総理です。その意向を受けて、小松長官が「頭の体操」で、これまでの法制局の「見識」「節度」をかなぐり捨て、解釈を180度転換するなら、ナチスの二の舞です。
自民は昔から金にだらしなく、数を頼んだ横暴も数多くありました。しかし、少なくとも歴代内閣には、政府が任命権を持つ重要ポストは、それなりの「見識」を持った人を任命するという最低限の「節度」はあったように思います。
それでも世間の批判を強く浴びる不適任な人と判明した場合、トカゲの尻尾切りではあっても、辞任を求めたりする「見識」もありました。自民が戦後政治の中で、長期政権たりえた秘訣も、こんな「節度」「見識」を辛うじて持ち合わせたことにあったようにも思います。
しかし、安倍政権にそんな「節度」「見識」を求めても無理なようです。自分たちの考えを同じくする「節度」のない「お友達」を集め、憲法まで自分たちの思い通りに解釈を変えて、運用する。これでは、立憲国家でなく安倍独裁国家です。
確かに中国や韓国の指導者の発言にも、「見識」「節度」は感じられません。しかし、この国が両国と対抗するのは、決して軍事力でなく、憲法前文にある「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼」する「見識」「節度」であるべきだと思っています。
曲がりなりにも国際社会でこの国が積み上げてきた「節度ある外交」…。それを安倍政権が根底から崩してしまうなら、その先にこの国の未来は見えて来ないのではないか。私は最近そんな絶望感に襲われています。