2016年02月24日 (水曜日)

2002年に福岡地裁久留米支部で始まった真村訴訟とそれに関連して派生した2つの裁判-平山裁判、黒薮裁判-でも、裁判長の不可解な人事異動が記録として残っている。

真村訴訟というのは、YC(読売新聞販売店)と読売新聞西部本社との間で争われた地位保全裁判だ。読売がYCの真村店主に解任を通告したところ、真村氏(厳密には原告は3名)が起こしたものである。読売側の代理人には、喜田村洋一・自由人権協会代表理事らが就いた。

この裁判は真村氏の完全勝訴だった。争点となった「押し紙」政策の存在を裁判所が認定した。これについての詳細は、ここでは言及せず、福岡高裁判決の全文のみをリンクしておこう。

■真村訴訟・福岡高裁判決

◇歴史に刻まれた木村元昭氏の名前

真村裁判の判決は2007年12月に最高裁で確定した。最高裁が真村氏の地位を保全したのだ。従って本来であれば、真村氏はYCの経営を持続できたはずだが、読売は判決が確定してから7カ月後に、真村氏を一方的に解任したのである。その結果、真村氏は再び地位保全裁判を起こさなければならなかった。これが第2次真村訴訟である。

第2次真村訴訟では、仮処分申立てと本訴が同時進行した。

仮処分の裁判では1審から最高裁での特別抗告まで、真村氏の勝訴だった。このうち第2審(福岡地裁・異議申し立て)を担当したのは、木村元昭裁判官だった。木村氏は、真村氏を勝訴させた直後、那覇地裁に転勤になった。

一方、本訴の審理も進み、福岡地裁の判決が出たのは、2011年3月15日だった。この時点で仮処分申立ては、第3審まで終わっていたので、地裁での本訴の敗訴は、第1次真村裁判が始まって以来、真村氏には初めての敗訴だった。

当然、真村氏は福岡高裁へ控訴した。が、控訴審がはじまってまもなく、裁判長が交代することになった。新しい裁判長は、那覇地裁から福岡に戻ってきた木村元昭氏だった。真村氏を仮処分申立ての第2審で勝訴させた判事だった。当然、真村氏は救われたような思いになった。

ところが控訴審の判決は、真村氏の敗訴だった。木村氏が執筆した2つの判決-仮処分の判決と本訴の判決-を読み比べてみると、実に興味深い。同じ人間が執筆したとは思えないほど正反対の判断をしているのだ。(詳細については、拙著『新聞の危機と偽装部数』の6章「人権問題としての真村裁判」に詳しい)

はからずも2010年代の裁判の不可解な実態が、「木村元昭」の名前と共に永久に記録されたのである。その意味では貴重な記録だ。

◇田中哲郎裁判官の登場

話は前後するが、第1次真村訴訟の判決が最高裁で確定したころから、読売はわたしに対する裁判攻勢に打ってでる。既に述べたようにわたしは、1年半の間に3件の訴訟を起こされ、約8000万円の金銭を要求されたのだ。読売の代理人弁護士として、この裁判の先頭に立ち、自分たちの主張の正当性を主張したのは、喜田村弁護士らだった。

そのころYC久留米文化センター前の平山春男店主も裁判に巻き込まれた。残紙を断った数カ月後に店主を解任されたのが原因だった。読売は平山氏に店主としての地位が存在しないことを確認する裁判を起こし、平山氏は地位保全裁判を起こした。この裁判でも喜田村弁護士が登場した。

平山裁判の裁判長に就任したのは、福岡地裁久留米支部から異動になった田中哲郎裁判官だった。実は、この裁判官は、第1次真村裁判の判決を下した人であった。真村氏を勝訴させた人である。その人物が平山裁判の裁判長に就任したのだ。

◇田中判事から木村判事へ判事へバトン

平山裁判が進行していた2011年の秋、わたしは読売を反訴した。さらにその後、読売がわたしに対して3件目の裁判を起こしたのを機に、わたしは読売に対する請求内容を変更し、3件の裁判が「一連一体の言論弾圧」であるという主張の裁判を起こした。請求額は5500万円だった。

ところがこの裁判は、途中から裁判長が田中哲郎氏に変更になった。

読者は、おそらく判決の結果を想像できるだろう・・・・。平山裁判も黒薮裁判も読売の勝訴だった。田中哲郎氏に至っては、わたしに対する本人尋問すら認めなかった。わたしの陳述書も最初は受け取ろうとはしなかったのだ。そのために江上弁護士ら弁護団は、田中氏に対する忌避を申し立てたのである。

わたしは福岡高裁へ控訴した。そこに登場したのは、木村元昭裁判官だった。木村氏がどのような判決を書いて、わたしを敗訴させたかは、別に述べる機会があるかも知れない。

読者は最高裁事務総局が決めた人事に不可解なものを感じないだろうか?

2016年02月22日 (月曜日)

 国策を左右しかねない要素をはらむ訴訟を担当する裁判官が恣意的にコントロールされている疑惑がある。具体例を2つ示そう。

まず、携帯電話の基地局撤去を求める裁判である。携帯基地局からは、マイクロ波と呼ばれる高周波電磁波が放射されている。WHOの外郭団体である世界癌研究機構は、2011年にマイクロ派に発癌性の可能性があることを認定している。ドイツやブラジルなどでは、携帯基地局と発癌の関係を調査するための疫学調査も行われている。(詳細は、次の記事で)

■携帯基地局から200メートル以内、発癌リスクが極めて高い、ブラジルの調査でも判明、日本では秘密保護法の施行で情報ブロックも

◇田中哲郎裁判官、基地局裁判の地を転々

携帯電話の基地局の撤去を求める裁判は、1990年代に九州から始まった。水俣病に取り組んできた弁護士らがみずからの経験から、電磁波という新世代公害の危険性をいち早く認識したからである。が、残念ながら裁判では、原告が敗訴を繰り返してきた。

その背景には、無線通信網の整備という国策が影響しているようだ。企業の巨大利権もからんでいる。日本の場合、司法が内閣から独立しているとはおおよそ考えにくく、生田暉雄弁護士の言葉を借りれば、「国政を推進する最高裁」事務総局の存在が大きい。諸悪の根源である。

裁判所は、国策を推進するためのお墨付きを与える機関であると考えるのが正しい。

2004年6月、携帯基地局の撤去を求める裁判で2件の判決があった。沼山津裁判と御領裁判で、いずれも敗訴。舞台は熊本地裁だった。

これら2件の裁判の判決を下したのは、田中哲郎裁判長だった。

それから2年後の2006年2月に、今度は福岡地裁を舞台とした三潴裁判の判決があった。この裁判が結審する直前に、田中哲郎氏が福岡地裁に転勤してきた。そして三潴裁判の裁判長に就任。原告住民を敗訴させる判決を下したのである。

そのころ携帯基地局の撤去を求める裁判は、宮崎県延岡市でも行なわれていた。2012年10月、宮崎地裁延岡支部は、住民敗訴の判決を下した。当然、住民側は控訴して、舞台は福岡高裁宮崎支部に移った。

ところが控訴審が始まってまもない2013年、田中氏が福岡地裁から福岡高裁宮崎支部に転勤してきたのだ。そして裁判長交代のかたちで、携帯基地局の撤去を求める控訴審の裁判長に就任したのである。そして予想通りに住民の控訴を退ける判決を下したのである。

実は、この田中裁判官に関しては、読売裁判でも不自然な人事異動の事実が残っている。【続】

【写真】基地局の近くで発生した奇形ひまわり。

2016年02月19日 (金曜日)

 

毎日新聞の購読申し込みのフリーダイヤル(0120-468-012)に新聞の定価を尋ねたところ、再販価格が完全に崩壊していることが分かった。

周知のように再販価格とは、同一商品は同一価格で販売することを原則とする再版制度の下で、メーカーが決めている販売価格である。メーカーによる価格指定は独禁法で禁止されているが、再版制度は独禁法の例外として設けられている。そして新聞にはそれが適用されている。

毎日新聞の場合、公表されている(再版)価格は次の通りである。

「朝刊・夕刊のセット」:4037円(税込み)
「朝刊のみ」:3093円((税込み))

2006年に公取委が再版制度(新聞特殊指定)を撤廃しようとしたところ、新聞関係者が政治家を抱き込んだ大キャンペーンを繰り広げて、この既得権をなんとか防衛したことを記憶している読者も多いのではないだろうか。新聞関係者は、再版価格の厳守など正常な新聞販売を約束して、再版制度の存続を認めてもらったのである。

が、それから10年。毎日新聞の価格は、ばらばらになっている。

次に示すのは、私が新聞購読の情報を得るために電話した時の担当者との会話である。担当者は、購読価格は新聞販売店で交渉できるとはっきりと言った。「販売店ごとにそのサービス分の100円から300円」ぐらい引いているとも断言した。会話は次の通りである。(完全な反訳ではないが、ほぼ、このままの会話である。)

毎日「毎日新聞お客様センターでございます」

・・・・・「朝刊だけ取りたいと思っているんですけど」

毎日「はい」

・・・・・「今、いくらで配達していただけますか?」

毎日「そちらお住まいは何県でいらっしゃるでしょうか」

・・・・・「埼玉県です」

毎日「朝夕刊セットの地域ですので、まあ、朝夕刊が4027円なんですけれども、朝刊のみという場合はですね、夕刊がサービスという扱いになりますので、まあ、販売店ごとにそのサービス分の100円から300円ぐらい引いております」

・・・・・「店によって(価格が)違うんですか?」

毎日「そうです」

・・・・・「・・・」

毎日「販売店に直接相談されるか・・・」

・・・・・「交渉すると、すこし安くしてもらえるわけですね」

毎日「そうです。交渉しだいです」

◆値引きの背景に「押し紙」の存在

なぜ、毎日新聞の定価がまちまちなのか、その理由を都内の元販売店主は次のように説明する。

「販売店は『押し紙』を安価で販売して、少しでも『押し紙』で生じる損害を埋め合わせているわけです。定価が1000円でも、1500円でも、それで購読してもらえれば、古紙回収業者に回収させるよりは特ですから」

いよいよ新聞産業に終焉が近づいている。政治家と会食せざるを得なければならないゆえんにほかならない。逆説的にいえば政治家は、こういう時勢を逆手に取って新聞に軽減税率などの優遇措置を与え、新聞を「政府広報」に変質させる。そして世論誘導により軍事大国化と新自由主義の導入を狙ってくるのだ。

次の動画は、「押し紙」回収の場面である。ビニールの新聞束が解かれないまま、トラックに積み込まれる様子が撮影されている。

2016年02月16日 (火曜日)

 フリーランスのジャーナリスト、編集者、カメラマン、映画監督などが国に対して起こしている特定秘密保護法違憲訴訟の控訴審がまもなく始まる。スケジュールは次の通りである。

日時:2月29日(月)

   15:00~

場所:東京高裁101号法廷 

当日は、原告から豊田直巳(フォトジャーナリスト)、早川由美子(映画監督)、明石昇二郎(フリージャーナリスト)、岩本太郎(フリージャーナリスト)の4氏が意見陳述を行う。

 

 

 

 

 

2016年02月15日 (月曜日)

新聞販売店の所長に、匿名を条件に大物店主と呼ばれる人物と新聞社の担当員の特殊な関係や最近の販売店事情などを語ってもらった

---昔は新聞社販売局の担当員を3年も務めれば、自宅が新築できるといわれていましたが、なぜだか分かりますか?ひとつには、大物店主からの賄賂があるからなんです。業界用語で「ヨーロッパ」と言いまして、賄賂にも相場があります。400万円、600万円、800万円です。

黒薮:何に対する賄賂ですか?

---新聞販売店の経営権の獲得です。大物店主と呼ばれる人は、経営規模を大きくするために、次々と新しい販売店の経営権を手に入れようとします。別の店主が引退したり、強制的に廃業させられた後、その店の経営権を手にいれるために、担当員に賄賂を渡すわけです。その相場が400万円、600万円、800万円なので、「ヨーロッパ」というわけです。

黒薮:金額の違いは何によって決まりますか。

---販売店の場所と新聞購読者数です。特に場所がポイントですね。新聞販売店の経営が軌道に乗るか、乗らないかは場所に大きく依存しています。たとえば新興住宅地など、人口が急増している地域の販売店を手に入れると経営は軌道に乗ります。800万円ぐらいのお金は大きな負担ではありません。

黒薮:大物店主の店には「押し紙」も多いと聞きましたが。

---そのとおりですが、「押し紙」を引き受ける条件として、新聞社が補助金をバックする暗黙の約束があります。補助金があれば、「押し紙」は大きな負担にはなりませんから。こうして新聞社は、大物店主と結託して、ABC部数をかさ上げして、広告収入を増やすわけです。

大物店主の販売店が急に倒産したという話が時々ありますが、これは両者の関係が悪くなり、補助金などをカットされた結果、新聞の卸代金が支払えなくなったのが原因である場合が多いです。

黒薮:「押し紙」の責任はだれにあると考えますか?

---新聞社が悪いわけでも、販売店が悪いわけでもありません。例外も多いですが、基本的には「共犯関係」ですね。新聞社は、販売店に補助金を支給することで、「押し紙」を引き受けてもらいます。それによりABC部数をかさ上げし、広告収入を増やします。一方、販売店は、かさ上げされたABC部数に応じて、折込広告を受注できるので、「押し紙」があっても、それほど負担にはなりません。「押し紙」に相当する折込広告を広告主を欺いて廃棄するわけですから罪悪感はありますが、それが新聞社のビジネスモデルですから、それに異論を唱えると新聞業界にいられなくなります。販売店は、折込広告の収入で成り立っているようなものです。

新聞社の販売局には、「押し紙」に反対している担当員もいます。しかし、そういう人は、遠くへ転勤させられるなど、冷や飯を食わされています。出世できないようになっています。

黒薮:販売店主の自殺が増えていると聞きましたが。

---埼玉県や群馬県、それに東京でも店主の自殺がありました。精神病を患った人も多いです。新聞販売店経営は、昔はよく儲かる仕事でしたが、今はやり手がいなくなって、新聞社の販売会社が店を管理するケースが増えています。従業員の待遇も悪いですから、絶えず人が入れ替わります。

2016年02月12日 (金曜日)

 日本の法曹界には、スラップという概念がないと言われている。それに近い概念として、「訴権の濫用」があるが、少なくとも数年前までは、スラップという言葉すらなかった。

スラップとは、「Strategic Lawsuit Against Public Participation」の略語で、「公の場で発言したり、訴訟を起こしたり、あるいは政府・自治体の対応を求めて行動を起こした権力を持たない比較弱者に対して、企業や政府など比較優者が恫喝、発言封じ、場合によってはいじめることだけを目的に起こす加罰的あるいは報復的な訴訟」(スラップ情報センター)のことである。

が、これだけでは、具体的にスラップとはどういう行為を指しているのかよく分からない。その結果、若干誤解が生じているようだ。

◇オリコン裁判

2006年11月17日、一通の訴状が東京地裁に提出された。原告は、音楽ヒットチャートで有名なオリコン。被告は、ジャーナリストの烏賀陽弘道氏だった。月刊誌『サイゾー』に掲載された記事に引用された烏賀陽氏のコメントが名誉毀損に問われたのである。

しかし、版元は訴外になっていた。さらに烏賀陽氏のコメントは、編集部で勝手に変形されたもので、烏賀陽氏の意図とは異なっていた。

東京地裁での一審は、烏賀陽氏が敗訴した。しかし、控訴審でオリコンが請求を放棄して、烏賀陽氏が勝訴した。

本書は、烏賀陽氏がみずからが巻き込まれた事件を契機に、米国を取材してスラップの概念と実態を日本に紹介したものである。

◇パブリック・イシュー

日本では一般的に、高額訴訟=スラップという誤解があるが、厳密にいえば、スラップにはいくつかの要件がある。本書で烏賀陽氏は、それを詳しく紹介している。

誤解されがちな要件をピックアップしてみよう。

たとえば刑事告訴はスラップには当てはまらない。と、いうのも刑事事件の扱いは、検察官の手に委ねられ、「意のままに裁判を始めて相手に苦痛を与えることができるかどうか、原告の意思だけで決められない」からだ。その点、民事訴訟のほうが、自由自在に被告に苦痛を与えることができる。

また、スラップと定義するためには、パブリック・イシュー(公共性のあるテーマ)が必要になる。「私的な問題にかかわる提訴はスラップに該当しない。嫌がらせや報復、沈黙を目的として民事訴訟を提起しても、問題が私的であれば、スラップには当たらない」。

代表的なパブリック・イシューを拾い出してみると原発問題などがある。

烏賀陽氏が本書で指摘している最も重要な点は、スラップ裁判では、パブリック・イシューが争点から外れている点である。

たとえば中国電力が、2009年に原発の設置に反対する人々を工事妨害で提訴した事件がある。(上関原発事件)この裁判の争点は、被告とされた住民に工事妨害があったかどうかだけに矮小化されてしまい、肝心の原発設置の是非という公共性が極めて高い問題は放置された。

本来、議論すべきは、むしろ後者であるはずなのだが。

◇「押し紙」裁判

わたし自身がかかわった裁判でも、パブリック・イシューが争点にならなかった例がある。読売新聞社が、2009年にわたしと新潮社を提訴した事件である。読売は、わたしが『週刊新潮』の中で推定した読売の「押し紙」率が事実に反するということなどを理由に提訴したのだが、争点になったのは、わたしの推定値の信憑性、推定の根拠のひとつにしたデータの信憑性、さらには「押し紙」の定義などだった。

その一方で、日本の新聞各社がみずから公言している公器としての新聞が、実配部数を偽り、広告主を欺き、さらに「押し紙」の廃棄により重大な環境破壊を引き起こしている問題は、検証されなかったのだ。

それどころかわたしが敗訴したことで、「押し紙」問題は報道もされなくなったのである。

◇だれがスラップの概念を「輸入」すべきだったのか? 

国際化の中でバイリンガルの弁護士が急増している。本来、米国の弁護士資格を有している彼らが、スラップの概念を「輸入」して、訴権の濫用に警鐘を鳴らすべきだったのだ。ところがその仕事を烏賀陽氏に委ねたことになる。

新自由主義=構造改革の下で行われた司法制度改革でも、スラップの問題はなにひとつ対策が取られなかった。米国から学ぶのであれば、肝心な点を学ぶべきだろう。彼らが見習ったのは、裁判員制度と名誉毀損裁判の賠償金を高額化することぐらいだった。

■烏賀陽弘道著『スラップ訴訟とは何か』(現代人文社)

2016年02月10日 (水曜日)

2015年12月度のABC部数を紹介しよう。中央紙、ブロック紙、地方紙と、そのほか若干の諸紙をあわせた日刊新聞の発行部数は、38,504,441部で、前年同月比で、-715,131部である。

このうち中央紙では、朝日が約19万部、読売が約11万部減った。新聞ばなれが歯止めがかからない実態が明らかになった。中央紙の発行部数と、前年同月比(括弧内)は次の通りである。

朝日新聞:6,622,811(-186,238)

毎日新聞:3,164,919(-112,143)

読売新聞:9,032,106(-110,647)

日経新聞:2,732,604(-385)

産経新聞:1,567,836(-38,185)

■2015年12月度のABC部数

◆「押し紙」を含む

「押し紙」とは、広義には新聞社が新聞販売店に対して供給する過剰な新聞部数を意味する。残紙ともいう。たとえば2000部しか配達していない販売店に対して3000部を搬入すれば、差異の1000部が「押し紙」である。この1000部に対しても、新聞社は卸代金を徴収する。普通の新聞とまったく同じ扱いにしているのだ。

かりにジャーナリストが「押し紙」問題で新聞社を追及しても、自分たちは一度も「押し紙」をしたことはないと真面目な顔で反論してくる。新聞社サイドには、たとえそれが詭弁であっても別の公式見解があるのだ。

しかし、「押し紙」隠しの実態は、2002年に提起された真村訴訟の中で完全に暴露された。しかも、それが裁判で認定された。(下の画像が「押し紙」の回収場面である。広告のスポンサーに対する背信行為である。)

◆「押し紙」隠しの手口を暴露した真村訴訟

この裁判の原告・真村久三氏は、20代と30代は自動車教習所の教官として働いてきたが、40歳で新聞販売店の経営を始めた。読売新聞社が販売店主を公募していることを知り、転職に踏み切ったのである。自分で事業をしてみたいというのが、真村氏のかねてからの夢だった。

幸いに真村氏は店主に採用され、研修を受けたあと、1990年11月にYC広川の経営に乗りだした。ところがそれから11年後、読売新聞社との係争に巻き込まれる。

発端は読売新聞社が打ち出した販売網再編の方針の下で、YC広川の営業区域の一部を隣接のYCへ譲渡する提案を受けたことだった。YC広川の営業区域は小さかったが、販売店の自助努力で読者を大幅に増やしていたので、真村氏は譲渡案を受け入れる気にはなれなかった。理不尽な要求に思えた。自分で開墾した畑がようやく豊富な作物を生むようになったとたんに、奪い取られるように感じたのだ。

そこで真村氏は読売の提案を断った。これに対して読売は、真村氏との取引契約を終了する旨を通告した。

2001年に真村氏は、提訴に踏み切った。この裁判は俗に真村訴訟と呼ばれる有名な裁判で、真村氏が勝訴することになる。
争点になったのは、広義の「押し紙」問題だった。なぜ、地位保全裁判で「押し紙」が争点になったのか、順を追って説明しよう。それなりの理由があるのだ。

次に示す数字は、真村氏が読売新聞社に提出した業務報告書(2000年12月度)に記された新聞の部数内訳である。

今月定数(注:搬入部数):1625部
実配(注:実配部数)  :1589部
※「注」は黒薮注。

この業務報告書の実物写真は、右に示した。
たくさんの数字が並んでいるが、混乱を避けるために、「今月定数」と「実配」だけに注目してほしい。両者の差異は、わずか36部である。

YC広川では、配達後の36部の新聞が過剰になっていたことになる。「今月定数」が1625部であるから、36部の「残紙」は、全体の2%である。

この程度の「残紙」部数では、厳密には「押し紙」とは言えない。と、いうのも新聞が配達中に破損するリスクを想定して、若干の予備紙を確保しておく必要があるからだ。「残紙」の許容範囲である。

この書類だけを見れば、真村氏の販売店には、「押し紙」が1部も存在しないことになる。極めて健全な店ということになる。が、実態はそうではなかった。

実は、約130部の新聞が「残紙」となっていたのである。と、すればなぜ真村氏は、この部数を「残紙」として読売本社へ報告しなかったのだろうか。
答えは、業務報告書に「残紙」部数、あるいは「押し紙」部数を書き込む欄が存在しないからである。かりに「押し紙」部数という記入項目があれば、それだけで独禁法違反の証拠になる。それゆえに業務報告書には、「残紙」とか「押し紙」の項目は、もとより存在しないのだ。

読売新聞社の宮本友丘専務が、新潮社とわたしに対する裁判の中で、「読売新聞の販売局、あと読売新聞社として押し紙をしたことは1回もございません」と証言(2010年11月16日)した根拠も、おそらくは業務報告書の書式が念頭にあったのではないか。

実際、経理書類の上では、「押し紙」は1部も存在しない。だから宮本氏は別にウソを述べたわけではない。

業務報告書に「残紙」部数、あるいは「押し紙」部数の記入欄がない事実。
それが実態とすれば、真村氏は実質的には過剰になっていた約130部の新聞を経理書類上でどのように処理していたのだろうか?

結論を先に言えば、「実配」の項目に加算して報告していたのである。つまりYC広川が配達して、読者から購読料を徴収している新聞部数の一部として報告していたのだ。とはいえ、この約130部については、読者が存在しないのであるから、架空読者ということになる。

◆架空の配達地区を設置

そこで必然的に浮上してくる経理処理の方法は、帳簿上で架空の配達区域を設けて、そこに架空読者を登録することである。改めて言うまでもなく、架空読者の新聞購読料と消費税は、販売店が自腹で負担する。

実際、真村氏はPC上に「26区」と命名した架空の配達地区を設け、架空読者を登録していたのである。真村裁判では、この「26区」をどう解釈するかが判決の分かれ目となったのだ。

「26」区のような経理処理の方法を客観的に見ると、問題があることは否定できない。虚偽に該当するからだ。実際、読売新聞社は、真村氏を解任する理由として、虚偽報告を主張した。真村氏が26区を設けるなど虚偽の報告をしていたことで、信頼関係が崩れたので解任は当然だと主張したのである。

これに対して真村氏は、虚偽報告を行っていたことを認めたうえで、虚偽報告をせざるを得なかった理由として、読売新聞による「押し紙」政策の存在を主張したのである。つまり「実配」として報告していた残紙は、「押し紙」であり、それを経理処理する上で虚偽報告にならざるを得なかったと主張したのだ。

かくして真村氏が「実配」として報告していた約130部の残紙が強制された部数なのか否かが、真村裁判の争点となったのだ。裁判所がそれを強制された部数と認定すれば、読売新聞社の側に非があることになる。一方、真村氏は「残紙」部数を経理処理するためにやむなく帳簿類を改ざんしたことになり、解任理由はなくなる。

判決は、すでに述べたように真村氏の勝訴だった。ただし裁判所は判決の中で真村氏が虚偽報告をしていた事実については批判した。批判したうえで、次のように述べている。福岡高裁判決から引用しておこう。

しかしながら、新聞販売店が虚偽報告をする背景には、ひたすら増紙を  求め、減紙を極端に嫌う一審被告の方針があり、それは一審被告の体質に  さえなっているといっても過言ではない程である。

さらに「押し紙」による公称部数のかさあげについて判決は、次のように認定した。

このように、一方で定数と実配数が異なることを知りながら、あえて定  数と実配数を一致させることをせず、定数だけをABC協会に報告して広  告料計算の基礎としているという態度が見られるのであり、これは、自ら  の利益のためには定数と実配数の齟齬をある程度容認するかのような姿勢  であると評されても仕方のないところである。そうであれば、一審原告真村の虚偽報告を一方的に厳しく非難することは、上記のような自らの利益  優先の態度と比較して身勝手のそしりを免れないものというべきである。

■真村訴訟・福岡高裁判決全文

真村訴訟の中で、ABC部数に「押し紙」が含まれている事実と、その隠蔽方法が明らかになったのである。

2016年02月08日 (月曜日)

読売新聞西部本社の江崎徹志法務室長が、2008年に起こした著作権裁判の検証の2回目である。この裁判では、江崎氏が書いた次の文章が著作物であると述べた催告書が争点になった。

前略  読売新聞西部本社法務室長の江崎徹志です。
    2007年(平成19年)12月17日付け内容証明郵便の件で、訪店について回答いたします。当社販売局として、通常の訪店です。

催告書は、この文章が著作物であると述べているのだが、裁判所は催告書の内容自体を争点にしなかった。わたしの弁護団は書かれた内容を問題視したが、裁判所は争点にしなかった。

争点になったのは催告書の方である。次の文面である。

冠省 貴殿が主宰するサイト「新聞販売黒書」に2007年12月21日付けでアップされた「読売がYC広川の訪店を再開」と題する記事には、真村氏の代理人である江上武幸弁護士に対する私の回答書の本文が全文掲載されています。

しかし、上記の回答書は特定の個人に宛てたものであり、未公表の著作物ですので、これを公表する権利は、著作者である私が専有しています(著作権法18条1項)。  貴殿が、この回答書を上記サイトにアップしてその内容を公表したことは、私が上記回答書について有する公表権を侵害する行為であり、民事上も刑事上も違法な行為です。

そして、このような違法行為に対して、著作権者である私は、差止請求権を有しています(同法112条1項)ので、貴殿に対し、本書面到達日3日以内に上記記事から私の回答を削除するように催告します。  

貴殿がこの催告に従わない場合は、相応の法的手段を採ることとなりますので、この旨を付言します

■出典(原文)

この文章の著作物性が争点になったのだ。

◇「思うこと」と「客観的な実在」の混同

催告書が江崎氏の著作物であるとして、著作者人格権に基づいた救済を求める喜田村弁護士の主張は、たとえば4月14日付け準備書面の「2 本件『催告書』の著作物性」の章に書かれている。

■4月14日付け準備書面

一部を引用してみよう。

 著作物は、「思想又は感情を創作的に表現したものであつて、文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するものをいう」(著作権法2条1項1号)と定義されている。

 このうち「思想又は感情〔の〕表現」との要件については、本件「催告書」の内容が被告による原告の「回答書」無断掲載が違法であることを論じ、救済を求めたものであるから、これを満たすことが明らかである。

こうした思考のどこに誤りがあるのだろうか。結論を先に言えば、「思うこと」と「客観的な実在」の混同である。よくありがちな間違いで、いわゆる観念論の思考と、唯物論の思考の違いである。

「思うこと」とそれを言葉で表現した文章が存在することはまったく別次元なのである。なにかを心の中で考えたり、感じたりしても、それを言葉として表現できるとは限らない。むしろ出来ない人の方が多いのだ。

この催告書には、客観的な「思想又は感情〔の〕表現」はどこにもない。

わたしはこの催告書に著作物性があるかないかを、何人かの専門家に質問してみた。その結果、多少の著作物性があると回答した人もいた。しかし、削除を求めるほどのオリジナリティはないという意見だった。

東京地裁は、著作物性はないという判断を示している。知財高裁は、この点についての判断を避けている。

ちなみに喜田村氏らの敗因は、催告書の名義人を「江崎」に偽って提訴に及び、著作者人格権による救済を求めたことだった。虚偽を前提に、準備書面を作成し、それを裁判所に提出し、みずからの主張を展開していたのである。それが裁判の中で発覚したのだ。

仮に催告書が著作物として認定されていたら、日本の出版業界は、報道・出版活動に大きな支障をきたしていただろう。その意味でこの裁判はさらなる再検証を要する。

【参考資料】

■原告準備書面(2008年7月14日)

■被告による求釈明

■著作権裁判訴状

■知財高裁判決

 

2016年02月05日 (金曜日)

2008年2月25日に読売新聞西部本社の江崎徹志法務室長が、東京地方裁判所にわたしを提訴してから、今年で8年になる。この裁判は、わたしが「新聞販売黒書」(現MEDIA KOKUSYO)に掲載した江崎氏名義のある催告書の削除を求めて起こされた著作権裁判だった。

その後、読売はわずか1年半の間にわたしに対して、さらに2件の裁判を起こし、これに対抗してわたしの方も読売に対して、立て続けの提訴により「一連一体の言論弾圧」を受けたとして、約5500万円の損害賠償を求める裁判を起こしたのである。さらにこれらの係争に加え、読売の代理人・喜田村洋一弁護士(自由人権協会代表理事)に対する懲戒請求を申し立てたのである。

喜田村氏は4件の裁判のいずれにもかかわった。

提訴8周年をむかえる著作権裁判は、対読売裁判の最初のラウンドだった。

読売・江崎氏の代理人には、喜田村弁護士が就任した。一方、わたしの代理人は、江上武幸弁護士ら9名が就いた。

しかし、この裁判の発端は、福岡県広川町にあるYC広川(読売新聞販売店)と読売の間で起こった改廃(強制廃業)をめぐる事件だった。当時、「押し紙」問題を取材していたわたしは、真村事件と呼ばれるこの係争を取材していた。

◇公募で新聞販売店主に

YC広川の店主・真村久三氏は、もともと自動車教習所の教官として働いてきたが、40歳で新聞販売店の経営を始めた。読売が販売店主を公募していることを知り、転職に踏み切ったのである。脱サラして自分で事業を展開してみたいというのが、真村氏のかねてからの希望だった。

幸いに真村氏は店主に採用され、研修を受けたあと、YC広川の経営に乗りだした。1990年11月の事だった。ところがそれから約10年後、読売新聞社との激しい係争に巻き込まれる。

その引き金となったのは読売新聞社が打ち出した販売網再編の方針だった。真村氏は、YC広川の営業区域の一部を隣接するYCへ譲渡する提案を持ちかけられたのだ。が、YC広川の営業区域はもともと小さかったので、真村氏は譲渡案を受け入れる気にはならなかった。それに自助努力で開業時よりも、読者を大幅に増やしていた。

読売の提案を聞いたとき真村氏は、自分で開墾した畑を奪い取られるような危機を感じたのだ。

当然、読売の提案を断った。これに対して読売は、真村氏との取引契約を終了する旨を通告した。その結果、裁判に発展したのだ。これが真村訴訟と呼ばれる有名な訴訟の発端だった。が、係争が勃発したころは、単に福岡県の一地方の小さな係争に過ぎなかったのだ。江上弁護士も、読売の実態をあまり知らなかったし、後にこの判決が「押し紙」問題の有名な判例になるとは予想もしていなかった。

■真村裁判・福岡高裁判決

真村事件の経緯は膨大なので、ここでは省略するが、結論だけを言えば、裁判は真村氏の勝訴だった。喜田村弁護士が東京からやってきて加勢したが及ばなかった。判決は、2007年12月に最高裁で確定した。

◇真村訴訟

わたしが読売との係争に巻き込まれたのは、真村訴訟の判決が最高裁で確定する数日前だった。真村氏が福岡高裁で勝訴したころから、YC店主が次々と江上弁護士に「押し紙」(残紙)の相談を持ちかけるようになった。店主のあいだで新しい店主会-新読売会を立ち上げる動きもあった。

こうした状況下で、読売も方針を転換したのか、それまで「死に店扱い」にして、訪店を控えていたYC広川への訪店を再開することにした。そしてその旨を真村氏に連絡した。

しかし、読売に対して不信感を募らせていた真村氏は即答を控え、念のために江上弁護士に相談した。訪店再開が何を意味するのか確認したかったのだ。江上弁護士は、読売の真意を確認するための内容証明郵便を送付した。これに対して、読売の江崎法務室長は、次の書面を送付した。

前略  読売新聞西部本社法務室長の江崎徹志です。
    2007年(平成19年)12月17日付け内容証明郵便の件で、訪店について回答いたします。当社販売局として、通常の訪店です。

わたしは、新聞販売黒書で係争の新展開を報じ、その裏付けとしてこの回答書を掲載した。何の悪意もなかった。しかし、江崎氏(当時は面識がなかった)はわたしにメールで次の催告書(PDF)を送付してきた。

冠省 貴殿が主宰するサイト「新聞販売黒書」に2007年12月21日付けでアップされた「読売がYC広川の訪店を再開」と題する記事には、真村氏の代理人である江上武幸弁護士に対する私の回答書の本文が全文掲載されています。

しかし、上記の回答書は特定の個人に宛てたものであり、未公表の著作物ですので、これを公表する権利は、著作者である私が専有しています(著作権法18条1項)。  貴殿が、この回答書を上記サイトにアップしてその内容を公表したことは、私が上記回答書について有する公表権を侵害する行為であり、民事上も刑事上も違法な行為です。

 そして、このような違法行為に対して、著作権者である私は、差止請求権を有しています(同法112条1項)ので、貴殿に対し、本書面到達日3日以内に上記記事から私の回答を削除するように催告します。  

貴殿がこの催告に従わない場合は、相応の法的手段を採ることとなりますので、この旨を付言します。

わたしは、今度はこの催告書を新聞販売黒書で公開した。これに対して、江崎氏は、催告書は自分の著作物であるから、著作者人格権に基づいて、削除するように求めてきたのである。

が、催告書の作者は別にいたのだ。東京地裁と知財高裁は、喜田村洋一弁護士か、彼の事務所スタッフが本当の作者である可能性が極めて強いと認定して、江崎氏の訴えを退けたのだ。

彼らは催告書の名義人を「江崎」に偽って提訴し、法廷で著作者人格権を主張したのだ。もともと提訴権がないのに、虚偽の事実を前提に裁判を起こしたのである。

このあたりの事情については、弁護団声明を参考にしてほしい。弁護団は、この事件を「司法制度を利用した言論弾圧」と位置づけている。

■弁護団声明

◇怪文書・恫喝文書

さて、提訴8周年にあたる今年は、喜田村弁護士が執筆したとされる「江崎名義」の催告書の内容を検証しよう。著作権裁判では、とかく文章の形式が検証対象になり、書かれた内容には重きがおかれない傾向があるが、ジャーナリズムでは、書かれた内容そのものを検証する。

結論を先に言えば、これは怪文書である。あるいは恫喝文。しかも、それが自由人権協会の代表理事によって作成されたのだ。

繰り返しになるが、この催告書の作者は、催告書の中で、江崎氏が江上弁護士に送付した書面を新聞販売黒書から削除するように求めてきたのである。その送付された書面を再度引用してみよう。

前略  読売新聞西部本社法務室長の江崎徹志です。
    2007年(平成19年)12月17日付け内容証明郵便の件で、訪店について回答いします。当社販売局として、通常の訪店です。

つまり催告書は、上に引用した書面が江崎氏の著作物なので削除するように求めているのだ。そしてそれに従わない場合は、民事訴訟か刑事訴訟も辞さない旨をほのめかしているのだ。

著作権法の知識に乏しいわたしは、著作権法でいう「著作物」の定義を調べてみた。すると次のような記述があった。

  一 、著作物 思想又は感情を創作的に表現したものであつて、文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するものをいう。

江崎氏が江上弁護士に送付した書面は、どの角度から見ても、著作物ではない。念のために複数の専門家に問い合わせみたが、この書面が著作物だとする人はひとりもいなかった。

それにもかかわらず催告書は、江上弁護士へ送られた書面は江崎氏の著作物なので、それを削除しなければ、民事訴訟か刑事訴訟も辞さない旨を述べているのだ。わたしは、この文書を怪文書・恫喝文書としか評価できなかった。それゆえにそれを新聞販売黒書に載せたのだ。読売の法務室長が奇妙な文書を送ってきたという思いで。これ自体が大きなニュースだった。

◇喜田村弁護士が言及した著作物の定義

その後、わたしは著作物に関する喜田村弁護士の言動を注視するようになった。と、2013年の5月になって宝島社から『佐野真一が殺したジャーナリズム』という本が出版された。この本に、喜田村弁護士が「法律家がみた『佐野眞一盗用問題』の深刻さ」と題する一文を寄せた。

その中ではからずも喜田村氏が著作物の定義に言及していることが分かった。取材の協力者のひとりが情報を寄せてくれたのだ。同書の中で、喜田村弁護士は「著作物」について、次のように記している。

略)まず、著作物は「表現」でなければならないから、「思想、感情若しくはアイデア、事実若しくは事件など」で、表現でないものは、著作物になりえない。
 たとえば、「○月○日、△△で、AがBに~と言った(AがBを手で殴りけがをさせた)」いうような事実ないし事件そのものは、表現ではないから、著作権法の対象ではない。同様に、「ある事件についての見方」とか、「ある事件を報じるにあたっての方法」といったアイデアに属するものも、表現ではないから、著作権法の保護は受けられない。
 また、創作性がなければならないから、ごく短い文章で、誰が書いても同じようになるようなものであれば、これも著作物ではない。(略)

■喜田村弁護士が明記している著作物の定義

裁判所は、催告書の作者が喜田村弁護士である高い可能性を認定したが、たとえ作者が名義人の江崎氏であっても、代理人弁護士の喜田村氏が、催告書の内容を確認していないはずがない。読めば、内容それ自体がデタラメであることが分かったはずだ。なぜ、訴訟を思いとどまらせなかったのだろうか。なぜ、催告書の内容が間違っていることを指摘しなかったのだろうか。

これが訴権の濫用でなくして何だろうか?

著作権裁判の検証は、これから9年目に入る。

■著作権裁判訴状

■知財高裁判決・全文

2016年02月03日 (水曜日)

1月31日付け毎日新聞(電子版)が、毎日新聞社が実施した世論調査の結果を公表した。タイトルは、「内閣支持率51% 甘利氏問題は影響せず」。

タイトルに象徴されているように、安倍内閣の支持率が50%を超え、逆に不支持率が7ポイントも低下して、30%になったというものである。まるで、夏の国政選挙で自民党の圧勝を予測している人々の推論の裏付けのような内容だ。記事の冒頭を引用してみよう。

   毎日新聞は30、31両日、全国世論調査を実施した。安倍内閣の支持率は51%で、昨年12月の前回調査から8ポイント上昇した。支持率が5割を超えたのは2014年3月調査以来。不支持率は30%と前回より7ポイント低下した。

甘利明前経済再生担当相が28日、自身と秘書の金銭問題で辞任したのを受け、甘利氏を閣僚に任命した安倍晋三首相の責任を尋ねたところ、「任命責任は重くない」との回答が46%、「任命責任は重い」が42%でほぼ同水準だった。甘利氏の問題は支持率に影響せず、安全保障関連法への世論の批判が薄れたことや、外交面での実績などがむしろ数字を押し上げたとみられる。

■出典

◇新聞社の経営上の汚点

データの集計が間違っているという証拠があるわけではない。ただ、調査した毎日新聞社が、あるいは新聞業界全体がどのような実態の下にあるのかは、データの信憑性を見極めるうえで重要な要素になる。それはちょうど賄賂を受け取っている政治家、あるいは汚点のある政治家の方針を、一定の距離を置いて評価せざるを得ないのと同じ原理である。

毎日新聞社の大きな汚点のひとつは、念を押すまでもなく「押し紙」である。メディア黒書でも、繰り返し報じてきたように、2004年に、毎日新聞の「押し紙」の実態を示す内部資料が外部にもれ、翌年、『FLASH』(光文社)など複数の媒体に掲載された。

それによると全国の毎日新聞社の販売店に搬入される新聞のうち約36%が「押し紙」だった。詳しくは次の記事を参照にしてほしい。

【試算】毎日新聞、1日に144万部の「押し紙」を回収、「朝刊 発証数の推移」(2002年のデータ)に基づく試算

「押し紙」という経営上の汚点が、国家権力による新聞ジャーナリズムへの介入の根拠になることは言うまでもない。逆手を取られるとメディアコントロールの恰好の道具になるのだ。それゆえに公取委も取り締まらない。

新聞社の汚点の根拠は、次のとおりである。

「押し紙」が独禁法に違反している事実。

「押し紙」により、公称部数を偽っている事実。その結果、広告主を欺いていることになる。特に公共広告は、公称部数の大小で価格が設定されるので、問題が大きい。次の動画が「押し紙」回収の一場面である。(本文とは関係ありません。)

販売店サイドの問題としては、「押し紙」部数に該当する折込広告が、配達されていない可能性がある。(最近は、折込広告の搬入枚数をあらかじめ減らしているとも聞くが、過去には、折込広告を廃棄したという販売店主の証言もある)。

「押し紙」以外の要素として、考慮しておかなければならないのは、新聞業界が安倍内閣に対して、新聞に対する軽減税率の適用を求めている事実である。
ロビー活動を展開しているわけだから、原則として安倍内閣に負の要因となる記事は書けない。

新聞の巨大部数が、再販制度という既得権で守られている事実。

こんなふうに汚点だらけなのだ。当然、新聞社には世論調査をする資質がないというのが、わたしの評価である。

◇毎日の「自称フリーライター」報道

さらに記者の資質の問題もある。たとえば2009年に、読売が新潮社とわたしを提訴した際、毎日新聞は「部数巡る記事で読売が『新潮』提訴」と題する記事を掲載した。

この記事の中で、わたしの肩書を「自称フリーライター」と報じたのだ。次の記事をご覧いただきたい。

■毎日新聞の記事

「自称」という言葉を職業を示す言葉と一緒に使った場合、「本当は・・・ではない」とか、「本当は・・・に値しない」という侮辱的な意味になる。

刑法321条には、「事実を摘示しなくても、公然と人を侮辱した者は、拘留又は科料に処する」とある。そこでまずわたしは毎日の「開かれた新聞委員会」に提訴したが、謝罪も何もなかった。同委員会の田島泰彦・上智大学教授が個人的に謝罪されただけだった。

こういう集団が新聞を作っているのである。あまり信用できないと考えた方が無難だろう。

◇調査の条件が書かれていない

さらにおかしなことに、1月31日付け毎日新聞の記事には、世論調査の実施方法が書かれていない。どういう方法で、誰を対象に調査して、どのような質問をして、このような数値にたどり着いたのかが不明だ。自社で調査したのか、それとも他社に調査を依頼したのかも、さっぱり分からない。

質問の内容により、答えは変わる。答えを誘導することもできるのだ。

いずれにしても、報道の初歩も踏まえていない。

◇疑問だらけの日本新聞協会の世論調査

以前、わたしは日本新聞協会が実施したとされる消費税に関する世論調査の実態を取材したことがある。調査の結果は、国民の8割が生活必需品に対する軽減税率適用を求め、新聞・書籍に対しても、その4分の3が賛成している、というものだ。ところが、実際にこの調査を行ったのは、新聞協会の監事・西澤豊氏が会長を務める中央調査社という会社だったのだ。

しかも、実際に面接調査をしたのは、4000人の候補者のうち1210名だけだった。新聞と書籍をごちゃ混ぜにして質問するなど、質問内容にも結果を誘導した跡がある。

これは新聞関係者による世論誘導の典型例のひとつである。詳細は、MNJの次の記事を参照にしてほしい。

消費税軽減税率、新聞への適用是非を問う世論調査の発注先会長は新聞協会重役 

◇巨大メディアによる世論誘導

今後、他のメディアも安倍内閣の支持率が上昇していると報じる可能性が高い。その結果、投票を放棄するひとが増え、小選挙区制の下で、自民党が圧勝することになる。

日本の巨大メディアは、日本の権力構造の中に組み込まれており、世論誘導の役割を担っていると言っても過言ではない。日本がどんどん「劣化」している大きな要因といえよう。

2016年02月01日 (月曜日)

歌手で作家の八木啓代氏が、市民運動家の志岐武彦氏と、わたし(黒薮)に対して起こした名誉毀損裁判の口頭弁論が次の予定で開かれる。

日時:2月2日(火) 13:30分~

場所:東京地裁 624号法廷

なお、この裁判のジャーナリズムによる検証と資料公開は、判決後にスタートします。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
この裁判の前訴にあたる志岐氏が八木氏を提訴した裁判は、地裁で志岐氏が勝訴し、現在は控訴審の段階に入っている。地裁判決、八木氏によるツィートに対する裁判所の認定は次の通りである。

■判決

■判決文のうちツイートを評価した部分(一覧表)

ちなみに元国会議員の森裕子氏が志岐氏を訴えた名誉毀損裁判は、志岐氏の勝訴だった。

2016年02月01日 (月曜日)


【現在、この基地局は撤去されて存在しない。この動画は、撤去前のものである。基地局と住宅の距離に注意してほしい。結局、ソフトバンクはこの局を一度も稼働することなく撤去した。】

 

このところ携帯電話の基地局設置をめぐる住民と電話会社のトラブルが増えている。東京練馬区では、NTTドコモが2階の寝室のベランダからおおよそ10数メートルの地点に基地局を設置して問題になっている。

調布市でも昨年、民家が密集する住宅街の中にソフトバンクの基地局が設置され、大きな問題になった。幸いにこの基地局は撤去された。本稿で紹介しているYouTubeの動画は、撤去される前の時期に、わたしがインタビューした時のものである。

携帯電話の基地局をめぐる電磁波問題の基本情報を提供しておこう。

◇電磁波とは何か?

そもそも電磁波とは何だろうか。最低限必要な範囲で、電磁波の正体を説明しておこう。

電磁波の「電」とは電気のことである。その電気が空間に放たれたものが電波である。しかし、電気や電波には、その影響が及ぶ領域がある。炎に手を近づけていくと、熱を感じる領域があるように、電気や電波にも、影響が及ぶ範囲がある。この領域を「電場」という。

電波は、われわれの生活に利便性をもたらした。携帯電話やスマホはその典型と言えよう。通信の革命と言っても過言ではない。が、その背景にある負の側面、あるいは「闇」の部分は、マスコミによってすっかり隠されている。

マスコミの大口広告主である電気・通信業界の権益がからんでいるからである。

電波による交信で絶対に欠くことができないものがある。それはアンテナである。電波はアンテナから発せられ、アンテナで受け止められる。それゆえに携帯電話の普及には、携帯基地局の設置が絶対的に必要になるのだが、この基地局が住民と電話会社のトラブルのもとになっているのだ。

次に電磁波の「磁」について考えてみよう。「磁」は何を意味するのだろうか。「磁」とは磁気、あるいは磁場を意味する。磁石が鉄を引き寄せることは周知であるが、その際に働く吸引力が「磁気」で、磁気が及ぶ範囲のことを「磁場」という。

電流が流れると、その周りには「電(場)」と「磁(場)」が発生する。電磁波とは、電気によって生じる「電場」と「磁場」を伴った波のことである。電波の形状と性質をより厳密に描写した言葉ということになる。

ちなみに単純に電磁波=電波と理解しても許容範囲である。枝葉末節にこだわりすぎて、物事を複雑に解釈すると、かえって電磁波問題を理解する妨げになりかねない。

電磁波問題とは、人体が電磁波(電波)を被曝し続けたときに生じる被害を公害の観点から指摘することである。広義に捉えれば、電磁波による人体影響だけではなく、生態系への影響も電磁波問題の範疇に入る。

電磁波問題の検証作業には1年、2年、あるいは5年、20年という長い歳月を要する。短期間の電磁波被曝では影響が現れなくても、長期にわたる被曝により影響が現れる場合もあるからだ。携帯電話の普及が始まったのち、長い歳月を経て、ようやく基地局の危険性が指摘されるようになったのも、安全性の検証には、長期の被曝による人体影響を調べる必要があったからである。

電磁波はエネルギーが低いものでは、家電機器などから漏れる「低周波電磁波」がある。また高いものでは、レントゲンのエックス線や原発のガンマ線など、さまざまな種類がある。従来は、ガンマ線やエックス線などエネルギーが高いものについては、遺伝子に対する毒性があると考えられてきたが、既に述べたように、最近では全ての電磁波に毒性があるという見解が主流になってきた。

このあたりの事情について、電磁波研究の第一人者である荻野晃也氏は、『携帯電話基地局の真実』の中で次のように述べている。

これらの電磁波のうちで、原爆の被爆者・被曝者などの研究から、「電離放射線(黒薮注:電離放射線とは、ガンマ線やX線を指す。詳しくは後述する。)が特に発癌の危険性が高い」と思われてきたのです。ところが、最近の研究の進展で「電磁波全体が危険な可能性」があり、「共通した遺伝的毒性を示す」と考えられるようになってきたのが、現在の「電磁波問題」の本質だといってよいでしょう。

また、北里大学の名誉教授・宮田幹夫氏らがまとめた『生体と電磁波』にも、次のような記述がある。

エックス線もガンマ線も電磁波である。人工の電磁波に比べてエネルギーが非常に大きいため、物質への浸透性が強く、生体へのダメージも非常に大きい。しかし、極低周波から超高周波まで、人工電磁波も生体へのダメージは大きく、身近にある場合は障害を生じる。放射線と電磁波はメカニズムが異なるが、同じように体内にフリーラジカルを生産し、DNAを破損してがんの原因を作る点では、同じような環境汚染源としてみることができる。

広島と長崎に投下された原爆の影響で、癌や白血病が増えたこともあって、かねてからガンマ線と癌の関係は定説となってきたが、実はマイクロ波など他の種類の電磁波でも、遺伝子に対する見解が変化してきたのである。

◇電磁波の分類

既に述べたように電磁波には、ガンマ線、X性、マイクロ波など様々な種類があるが、これらは何を基準に分類されているのだろうか。結論を先に言えば、それは電波の波打ちの頻度である。1秒間に打つ波の頻度、つまり周波数の違いにより、電磁波は分類され、ヘルツという単位で分類される。

波打ちの頻度が多ければ多いほど、周波数が高いことになる。少なければ少ないほど周波数が低いことになる。

たとえば電力会社が供給する電気の周波数は、東日本で50ヘルツ(一秒に50回)、西日本では60ヘルツ(一秒に60回)である。一方、携帯電話(第3世代)の周波数は、2000MHz(メガヘルツ)である。これは一秒間に20億回の波打ちが発生することを意味している。この領域の電磁波は、マイクロ波という呼び方で分類されている。

さらにガンマ線の周波数は、「10の19乗」から「23乗ヘルツ」にもなる。

従来から、ガンマ線やX線など極めて周波数の高い電磁波は、電離放射線と呼ばれている。「エネルギーが高く、分子や原子を構成する電子を『バラバラに離してしまう(「電離」といいます)』」(荻野晃也著、『携帯電話基地局の真実』)電離作用を伴うからだ。それが遺伝子を傷つけたりする。

これに対して、赤外線、マイクロ波、低周波電磁波など、ガンマ線やX線に比べるとはるかにエネルギーが低い電磁波は、電離作用を伴わないので非電離放射線と呼ばれる。

現在、電離放射線に遺伝子に対する毒性があることを否定する研究者はいない。それはすでに定説となっている。

これに対してマイクロ波など非電離放射線の毒性については論争がある。既に述べたように、すべての種類の電磁波が人体に悪影響を及ぼすという考えが有力になってきたものの、現在の時点では論争に決着が着いているわけではない。

従って「予防原則」に基づいて、危険性を想定した対策を取っておかなければ、後に、取り返しがつかない悲劇を生む可能性がある。

■電磁波の分類図

◇携帯電話の電磁波

携帯電話に使われているのは、マイクロ波と呼ばれる領域の電磁波である。たとえば広く普及している第3世代携帯電話の周波数は、2000メガヘルツである。これは1秒間に20億回の周波が観測されることを意味する。電子レンジは、約25億回。とてつもない波の動きが熱エネルギーを発生させる。

こうした高周波の電磁波を携帯電話の受話器から直接に、あるいは携帯基地局の周辺で長期に渡って浴び続けたとき、人体影響が生じるリスクがないのかを考えるのが、俗にいう携帯電話の電磁波問題である。従って、パナウエーブ(白装束集団)の考えとはまったく性格が異なる科学である。

当然、長期にわたる科学的な観測が不可欠になる。たとえば10歳でスマホを使い始めた子供が、30歳になったとき、あるいは40歳に、さらには老齢に達したとき、電磁波被曝による負の影響を受けていないか、というような長期の問題なのだ。

◇安全基準

長期にわたる被曝を前提としているのか、電磁波問題に敏感な欧米では、地方自治体が独自に電磁波強度の基準を設定している。そのうちのいくつかを、日本の総務省が定めている基準値と比較してみよう。対象は1800メガヘルツの基地局である。

日本:1000μW/cm2

イタリア:10μW/cm2

スイス:6.6μW/cm2

EU:0.1μW/cm2(提言値)

ザルツブルグ市:0.0001W/cm2(室内目標値)

この数値を見ただけで、総務省がいかに電話会社のビジネスに貢献しているかが明らかになる。数値の大きな差異から異常な実態と言っても過言ではない。ちなみにザルツブルグ市の値でも、通信は可能だ。

◇参考資料

講演要旨(馬奈木昭雄弁護士)『人体実験を許すな。~携帯電磁波の危険性~』

『ルポ 最後の公害、電磁波に苦しむ人々 』(黒薮哲哉、花伝社)

危険が指摘され始めたLED照明(ブルーライト)による人体影響、理学博士・渡邉建氏インタビュー①

危険が指摘され始めたLED照明(ブルーライト)による人体影響、理学博士・渡邉建氏インタビュー②