2019年10月02日 (水曜日)

10月1日から、消費税が10%に引き上げられた。同時に、特定の商品に対する軽減税率も適用された。新聞もこの優遇措置を受ける商品のひとつである。理由は、新聞が日常生活の必需品であること、あるいは文化的な商品であることなどとされている。

しかし、新聞業界は、「押し紙」、「積み紙」、さらには折込広告の水増し問題などを内包している。そのために、全国各地で裁判などが多発してる。しかも、これらの問題は、1970年代から続いている。国会でも度々問題になっている。が、新聞人は解決に乗り出さない。

「押し紙」は1部もないと主張しているのだ。たとえば「押し紙」が1部もなくても、「積み紙」の存在は明らかだ。

この問題を放置して、なぜ、新聞人が税の優遇措置を受けなければならいのか、筆者はまったく理解できない。

そこでビジュアルに広義の「押し紙」問題の実態を知らせる。次に紹介する写真を参照にこの問題を考えてほしい。

【押し紙】

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【新聞で包装されているのが水増しされた折込広告】

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【江戸川区の広報紙】

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【選挙公報】

 

 

 

 

 

 

 

折込広告の水増し行為は、広告主にとっては許しがたい行為にほかならない。4年前、広告代理店・アルファトレンドが折込詐欺で広告主から提訴され敗訴した事件をメディア黒書で繰り返し報じたところ、同社があっけなく倒産したことがある。広告主の怒りを物語っている。

【参考記事】広告代理店・アルファトレンドが倒産、折込広告の詐欺発覚で

 

現在、取材中の江戸川区の選挙公報水増し事件が発覚したのは、公益通報があったからだ。その公益通報を最初に受けたAさんが、自分のブログで廃棄される選挙広報や江戸川区民報などの写真を公表したところ、国吉延男氏(YCと広告代理店を兼業、江戸川区北葛西3-1-18 )が、Aさんのブログを管理するKDDIに対して、Aさんの個人情報を明かすように求めて裁判を起こした。

この裁判で勝訴した店主は、渋谷区にあるしぶや総和法律事務所を通じて、Aさんに対して、公益通報者を密告するように求めてきたのだ。Aさんに対する刑事告訴や民事訴訟もほのめかしている。一部を引用してみよう。

 本来であれば、貴殿に対し、直ちに民事上および刑事上の責任を追及するところですが、通知人としては、まず上記記事を投稿した経緯や上記画像の入手方法等について貴殿から事情を伺い、そのうえで今後の対応について検討しようと考えております。つきましては、本書面を受領してから7日以内に、弁護士鈴木宛て(03ー6416ー1933)にご連絡くださるようにお願いいたします。

メディア黒書はスラップという観点から、この事件を問題視し取材することにした。国吉氏は、日本新聞販売協会の元会長で現相談役であることが判明している。同協会に取材を申し入れたが、応じる気配はない。

 

2019年09月27日 (金曜日)

佐賀新聞社を被告とする「押し紙」 裁判の証人尋問が、11月1日に開かれる。詳細は次のとおり。

日時:2019年11月1日 午前10時~午後5時

場所:佐賀地方裁判所 3階
     (佐賀県佐賀市中の小路3-22)

午前10時:証人・佐賀新聞販売局長 井出研一
午前11時:証人・元佐賀新聞販売局長 江口賢郎
午後11時30分:証人・元佐賀新聞販売局員・三神部会担当 武富一也
午後2時10分:証人・元佐賀新聞販売局員 原 正則
午後3時10分:証人・原告 寺﨑昭博

原告・寺崎さんは、証人尋問を前に証人尋問の傍聴を呼びかける文書を発表した。その内容から察して、尋問ではABC部数の水増しや、それに伴う折込広告の水増し問題にも言及するようだ。呼びかけ文をPDFで紹介しよう。

原告・寺崎氏のお願い文

■佐賀新聞「押し紙」裁判の全記事

 

【「押し紙」事件の経緯】
原告の寺崎さんは、2009年4月に佐賀新聞・吉野ヶ里販売店の経営者になり、2015年12月末で廃業した。負担させられていた「押し紙」の割合は、当初は10%程度だったが、ピーク時の2012年6月には約19%に。その後、佐賀新聞社が全販売店を対象に「押し紙」を減らしたこともあり、廃業時には約14%だった。

寺崎さんは、繰り返し佐賀新聞社に対して「押し紙」を減らすように求めたが、同社は申し出には応じなかった。担当員や販売局長らを交えた面談の際には、販売局長が、「残紙があって苦しいのはわかるが、『残紙』は販売店の責任だから切ってやることはない」と発言するなど、佐賀新聞社は「押し紙」政策を改めようとはしなかった。

その結果、新聞代金の納金が遅れるようになり、販売局長から、「これ以上納金の遅れが続き、その金額が信認金を超えれば改廃になる」と告げられた。

実際、納金が遅れるようになり、寺崎さんは2015年の12月末日付で廃業に追い込まれた。

「押し紙」問題がはじめてクローズアップされたのは、1970年代である。日本新聞販売協会が1977年に残紙のアンケート調査を行い、全国の新聞の8.3%が残紙になっているという結果を発表した。1980年に入ると、新聞販売問題は、国会質問の場で議題になった。85年までに15回に渡って、共産党、公明党、社会党の3党が15回に渡って「押し紙」問題を取り上げた。

国会質問のなかで、最もインパクトを与えたのは、瀬崎博義(共産)議員による「北田資料」の暴露である。これは読売新聞鶴舞直売所の北田店主が、暴露した同店の資料で、それによると3割から4割程度が残紙になっていた。

ちなみに読売は、「押し紙」をしたことは一度もないと主張してきた。

■■
残念ながら国会質問を繰り返しても、「押し紙」問題は解決しなかった。日本経済が好調で、折込広告の需要が増えたからだ。「押し紙」があっても、折込広告の水増しで、損害を相殺できる構図が生まれると、店主らも「押し紙」問題にはふれなくなった。その結果、洪水のように「押し紙」が押し寄せ、産経新聞・四条畷販売所の今西龍二さんのように、「押し紙」小屋を建設する店主も現れたのである。

今世紀になって、1990年代に蓄積された「押し紙」が発覚しはじめた。
「押し紙」率が40%や50%は、特に珍しくない状態が生まれた。

2007年、福岡高裁が真村訴訟で、読売新聞の「押し紙」政策を認定する判決を下した。これを機にメディアが「押し紙」問題を取り上げるようになった。しかし、2009年に読売新聞社が、『週刊新潮』とわたしに対して5500万円の支払を請求する名誉毀損裁判を起こすと「押し紙」報道は消えた。

この裁判で読売の代理人を務めたのが、喜田村洋一・自由人権協会代表理事である。読売には、1部も「押し紙」は存在しないと主張したのだ。この弁護士が作成した書面は、事実の信憑性が疑わしいので、今後も検証する必要がある。わたしに対する著作権裁判でも読売の代理人を務め、虚偽の事実を前提に提訴していた高い可能性が判決で認定された。信用できる人間ではない。

【参考記事】読売の滝鼻広報部長からの抗議文に対する反論、真村訴訟の福岡高裁判決が「押し紙」を認定したと判例解釈した理由

2019年09月26日 (木曜日)

千葉地裁松戸支部は、NHKから国民を守る会に所属する東京都立川市の市議・久保田学氏が起こした訴訟について、スラップを認定する判決を下した。

発端となったのは、フリージャーナリストの「ちだい」氏がハーバー・ビジネス・オンラインに掲載した「居住実態のほとんどない元AV男優のニコ生主」と題する記事。久保田市議は、居住実態がほとんどないという摘示は事実に反し、名誉を毀損されたと主張して、200万円を請求する裁判を超した。

これに対して、「ちだい」氏側は、久保田氏に対して居住実態を立証する証拠の提示を求めた。裁判所も、久保田氏にそれを命じた。これに対して久保田市議は、住民票を提出した。【続きは、ウェブマガジン】

 

2019年09月25日 (水曜日)

19日に結審した横浜・副流煙裁判は、既報してきたように、団地の同じ棟に住む家族と家族が法廷で火花を散らした。2階に住む原告A夫、A妻、A娘の3人が、1階に住む藤井将登さんに対して、藤井さんの煙草が原因で化学物質過敏症などに罹患したとして、4500万円の金銭支払を求めたものである。判決は、11月28日に言い渡される。

取材してきた筆者の目から見れば、まったくの言いがかりである。スラップの可能性が高く、今後、検証を要する。

裁判では争点にならなかったが、この事件には真相を解明しなければならない別の問題もある。神奈川県警の刑事や警察4人が、藤井さん夫妻を取り調べ、将登さんの部屋の写真を撮影した事実である。しかも、取り調べは2回に渡って行われた。

なぜ、こうした事態になったのか、藤井敦子さんが、取り調べを行った横浜市の青葉署の望月刑事に電話でインタビューした。その録音を入手したので、公開する。

インタビューの中で原告A夫、A妻、A娘は、警察に被害届も告訴状も提出していないことが判明した。それにもかかわらず藤井夫妻は犯罪者扱いにされた。なぜ、任意の取り調べだったのか。その背景に、原告の代理人・山田義雄弁護士と神奈川県警の斉藤実本部長が関与があったようだ。人脈の濫用ではないか?

 

2019年09月24日 (火曜日)

横浜の副流煙裁判は、9月19日に開かれた口頭弁論で結審した。判決日は11月28日に決まった。

原告、被告の双方から最終準備書面が提出された。PDFで紹介するのは、被告の最終準備書面である。裁判所が争点として提示した次の4つのテーマに沿って被告の主張がまとめられている。

副流煙の量はどうだったのか?

原告は化学物質過敏症に罹患しているか

化学物質過敏症に罹患しているとすれば、その原因は何か

副流煙の発生源は被告宅か

なお、争点から外れるために準備書面には記述されていないが、この事件では、神奈川県警が被告の藤井さん一家を2回に渡って取り調べる異常事態が発生した。しかも、任意捜査である。なぜ、こんなことが可能になったのだろうか?人脈でも?

この件については、被告の妻、藤井敦子さんが、捜査に関与した警察に電話インタビューしたので、明日のメディア黒書で会話の一部終始(音声)を紹介する。

被告最終準備書面(全文)

住民を公然と騙してビジネスを拡大してきた業界がある。それは電話業界である。彼らの決まり文句は、「災害時の通信網を確保するためには、基地局の設置が必要」というものだ。携帯電話の基地局設置に反対する住民運動が起きるたびに、電話会社は、そういうふうに説明してきた。公共の利益を強調して、みずからを善人に見せかけてきたのである。

ところが大災害が起きるたびに電話が通じなくなる。それが年々明らかになってきた。地球温暖化が電話会社の嘘を暴きはじめたのだ。先日、台風の被害を受けた千葉県南部でも、電話が不通になった地域が続出した。

もともと災害時でも携帯電話であれは通じるという説明は論理が破綻している。と、いうのも携帯電話の通話の仕組みは、トランシーバーのように受信機と受信機を直接繋ぐようにはなっていないからだ。受信機から発せられた電波は、基地局で受信され、ケーブルを伝って移動するので、ケーブルが切断されたら、携帯電話も使えなくなる。実に単純な原理なのだが、大半の人々は電話会社の嘘を鵜呑みしてきた。【続きはウェブマガジン】

2019年09月13日 (金曜日)

原発問題に特化した季刊誌『NONUKES』(鹿砦社)の最新号に、ノンフィクション作家で精神科医の野田正彰氏のルポ、「原発事故で亡くなった人々の精神鑑定に当たって」が掲載されている。福島の事故のあと自殺した人々の内面に光を当てた力作で、作品の大半は野田氏が作成した精神鑑定書で構成されている。実際に、裁判所へ提出された精神鑑定書である。

ルポに登場するのは3人の死者である。3人に共通するのは、福島に根を張って生きてたきた人々である点だ。飯舘村に生まれ、飯舘村の生活と文化を身に付けてきた人々である。人間は加齢と共に生活環境に順応する力を失っていくものだが、そんな事情に配慮することなく、原発事故は容赦なく住民を他の生活空間へと追いやった。

酪農ができなくなった菅野重清さんは、妻の実家があるフィリピンへ妻子を避難させ、ひとりで郷里へ戻った。鑑定書は、自殺に至るまでの生活史を次ぎのように記録している。

山里の開拓農家に生まれた少年が健やかに育ち、地元の中学校を出て、父母から酪農の生業を受け継ぎ、フィリンピンから嫁を迎え、三人の姉は遠くへ嫁ぎ、父母も亡くなって世代は変化し、一家四人が楽しく暮らしていた。彼は五五歳になり、円熟した働き盛り。堆肥小屋も建て、さらに牛を増やし、息子に酪農を継いでもらいたいとそっと思いながら、着実に生きていた。

そこへ襲いかかったのが東京電力が起こした原発事故だった。遺書には、「原発さえなければ」と書かれていた。

 


大久保文雄さんも、飯舘村で生まれ、飯舘村で生きてきた。享年102歳。住民たちが次々と村を離れていくなかで、「おら、行きたくねーな」と繰り返していた。鑑定書は、大久保さんの生活状況を次のように記録している。

開拓農家の長男という社会的条件、ゆっくりと成熟した村の男としての人格が相俟って、幸せな人生を生きてきた。文雄にとって、ゆるやかに見おろす田畑、かなたに盛り上がっていく丘は、彼と彼の親族が生きた歳月、流した汗、去っていった家族の体が土となり、森となり、景色となったものであろう。この周に暮らす村人との交流は、文雄の感情を静かに流れる水であり、風であったと思われる。

ところが原発事故がこうした牧歌的な生活を破壊したのである。2011年4月12日、大久保さんは飯舘村の自宅で自ら命を絶った。村が死に絶えていくのを見るに忍びなかったのだろう。

 

◆◆
享年84歳のAさん(女性)も飯舘村で生まれた。Aさんは原発事故のあと、福島市内のマンションに移り住んだ。が、そこでの生活環境は郷里の生活とは異質なものだった。都会である。緑のおびただしい飯舘村へ一時帰宅したさいに、家のすぐ裏にある先祖の墓に参った。再び村を離れる前に、Aさんは自宅の「箪笥から反物のさらしを取って袋に入れてきたと考えられる」。福島市のマンションへ戻り、このさらしで首を吊って命を絶ったのである。

鑑定書は、Aさんのケースを例に人間が環境に順応することの難しさについて次のように述べている。

確実に山里に適応してきた中高年、老人は、根こそぎにされる変化にとりわけ弱い。情報を集め、整理し、新たな決断をするという思考プロセスを持っていない。

 

◆◆◆
ルポといえば、新聞記事の延長のようなものが大半を占める。その多くは事件の構図そのものは正確に描いているが、登場している人物の内面が軽視されている。そのためか傍観者の報告書を読んでいるような印象を受けがちだ。

原発が引き起こした自殺の問題に焦点をあてた野田氏のこのルポは、被害者が対峙した具体的な事実をひとつひとつ確認し、言葉で記録することで、ひとが死へと追い込まれていく心理を浮かび上がらせている。さながら死者の書だ。

プロのノンフィクション作家だから、当然の力量だと言ってしまえば、それまでだが、優れたルポとは何かを考えさせる。福島の原発事故を描いた最も優れたルポのひとつである。

 

2019年09月12日 (木曜日)

「9.11」といえば、2001年に米国ニューヨークで起きた同時多発テロを連想する人が多い。日本のメディアも、18年前の悲劇を回想する記事を掲載している。一方、チリの「9.11」、軍事クーデターについては全く報じていない。少なくともわたしがインターネットで検索した限りでは、1件も発見できなかった。こちらは46年前の悲劇である。

ある事件がもつ意味は、個々人によって異なるわけだから、米国の同時多発テロをメディアが再検証して、チリの軍事クーデターについては再検証しない姿勢をとやかくいうつもりはない。わたしにとってはチリの「9.11」が、世界史の中の重用事件の上位に位置する。ラテンアメリカ諸国でも、わたしと同じ認識が一般的で、9月11日が近づくと、多くのメディアがチリの軍事クーデターを回想する。

チリでは11日、1973年の9月11日のラジオ放送を再現する企画が催された。主催したのは、Museo de la Memoria y los Derechos Humanos(注:「記憶と人権博物館」の意味)。ミシェル・バチェレ大統領の時代の2010年に、チリの軍事クーデターの記憶を後世へ遺すために設けられた博物館である。バチェレ大統領の父親も、軍事政権の時代に投獄され、拷問死している。バチェレ大統領自身も元亡命者である。

チリの人々にとって、あの事件はまだ終わっていないのだ。実際、未だに行方不明の人もいる。広島の人々が8月6日になると原爆の閃光を思い出すように、チリの人々は46年前の軍事クーデターの日を記憶している。

皮肉なことに、チリの軍事クーデターは、米国政府とは何かという問題を提起してくれる。グローバリゼーションを考える上で欠くことができない。

アジェンデ政権が成立したのは、1970年である。共産党、社会党、キリスト教民主党の連合政権で人民連合(UP)と呼ばれた。アジェンデは医師から政治家へ転じた経歴の持ち主である。

世界史の中での人民連合の評価は、歴史上はじめて選挙により社会主義を目指す政府を樹立したことである。それまで社会主義革命は、武力によるものとされていたのだ。当時のチリは、深刻な貧困が広がっていたとはいえ、南米の中では先進国だった。早くからイギリスの議会制民主主義を導入していて、政治制度も成熟していた。

アジェンデは、政権につくと米国資本の鉱山を国有化するなど、急進的な社会主義の方向を打ち出した。それが貧困や社会格差を是正する道だったからだろう。その政策は、一定の支持を集めたが、富裕層が激しく反発した。フライパンを叩いて、「チリにパンと自由を」と叫びながら行進する右派のデモが繰り返されたりした。米国は経済封鎖に踏みきり、資本家のよるストライキもはじまり、チリは混乱に陥る。

しかし、1993年の総選挙で、予想に反して、アジェンデ政権の与党が勝利した。この時点で、合法的にアジェンデ政権を倒せないことが明確になり、クーデターの動きが浮上してくるのである。

9月11日、クーデターの日の朝、陸軍のアウグスト・ピノチェト将軍が、アジェンデに対して、国外への亡命を提案した。そのための輸送機を準備するというのである。ピノチェトといえども、当初は、無血クーデターを狙ったのである。しかし、アジェンデはこれを拒否。その後、大統領官邸が空爆され、アジェンデは死亡した。

チリ全土にテロが広がり、歌手のビクトル・ハラやノーベル文学賞詩人のパブロ・ネルーダ(写真右上、右側の人物)も殺害された。ネルーダの死因は、最初は白血病による病死とされていたが、その後、毒殺の疑惑が浮上して、数年前には、墓を掘り返して、遺骨の調査も行われた。

 

◆◆
チリの軍事クーデターの背後に米国CIAがいたことは、既に歴史の事実として定着している。当時、米国によるラテンアメリカへの介入は、事実上、米国政府の国策として定着していて、チリへの介入以前にも、グアテマラやキューバに対する介入を試みている。当然、チリに対する軍事介入も当初から予測されていた。

改めて言うまでもなく、軍事介入の目的は、米国の多国籍企業の権益を守ることである。

グアテマラへの介入(1954年)の背景に、UFC(ユナイティド・フルーツ・カンパニー)など果実会社の権益があったのと同様に、チリの軍事クーデターの背景には、鉱山を経営する米国の多国籍企業の権益があったのだ。

チリには広大な砂漠が広がっているが、その地下には資源が眠っている。それがしばしば暴力を誘発してきた歴史がある。

 

◆◆◆
次に示すのが、米国によるラテンアメリカへの介入を示す年表である。

■1954年 グアテマラ

■1961年 キューバ

■1964年 ブラジル

■1965年 ドミニカ共和国

■1973年 チリ

■1979年 ニカラグア内戦

■1980年 エルサルバドル内戦

■1983年 グレナダ

■1989年 パナマ

【参考記事】安保関連法案の報道で何が隠されているのか?左派メディアも伝えない本質とは、多国籍企業の防衛作戦としての海外派兵、前例はラテンアメリカ

 

◆◆◆◆
チリの軍事クーデターから何を教訓とすべきなのだろうか。それは米軍の役割の再評価である。沖縄の米軍は、日本を守るために駐留しているというプロパガンダが広がっているが、チリの軍事クーデターをフィルターして見るとそうではない。アジア諸国に権益を持つ多国籍企業を政変から防衛するために駐留しているのである。

日本が米軍と行動を共にし始めたのも、日本の多国籍企業を防衛するためである。グローバリゼーションの中で、それが財界の要求になっているからだ。国際貢献というのは口実に過ぎない。

鳩山由紀夫には、沖縄の米軍基地を県外へ移設すると公約したにもかかわらず、それを断念した過去がある。その時、鳩山は、アジェンデと同じような選択肢を米国から突き付けられたのだ。鳩山は、提案を受け入れ、アジェンデは断ったのだ。それがそのままふたりの政治家の資質の違いである。

何が両者の違いを決定的にしたのか?それはおそらく階級の違いだろう。アジェンデは政治家になってから、アンデス山脈にある鉱山に何度も足を運び、鉱山労働者と膝をまじえて語り合った。だから最後まで、ファシストに屈しなかったのである。それに比べて、鳩山の場合は、彼が属した階級そのものが、政治家として育つ地盤を提供しなかった。

米国政府との癒着がどれほどの不幸を生んできたかを検証し、今後の日米関係を考えるべきではないだろうか。

2019年09月11日 (水曜日)

千葉県船橋市にある約50店の新聞販売店でつくる船橋市新聞販売同業組(吉岡宏組合長=読売・船橋中央店)は、船橋市と協力して住民の「見守り」活動に乗り出すことになった。全国の警察と覚書を交わして連携を取りながら「見回り活動」を実施している読売新聞販売店の活動に追随する動きである可能性が高い。

【参考記事】全国読売防犯協力会を考える、本部は読売新聞東京本社内に設置、元警察官ら5人が勤務①

業界紙の報道によると、船橋市新聞販売同業組は「船橋市地域見守り事業の協力に関する協定」を市内湊町の船橋市役所で締結した」という。

吉岡組合長は「船橋市内には約50の販売店があり、朝日、毎日、読売、産経それぞれが新聞を毎日配っている。約500の区域を500人の従業員が、配達することで地域の隅々にまで目を光らせる。また、集金でも約300人が働いている。彼らは船橋市内の様子を熟知しており、変化に敏感だ」

見守り事業の目的は、孤独死をふせぐことだそうだが、吉岡組合長は警察に防犯協力している読売の店主であり、同じ方向性がこの事業の根底にある可能性もある。

孤独死を防ぐための見守り事業そのものは、否定すべきことではないが、何が目的でこうした活動に新聞販売店が乗り出してきたのか、その背景を考えてみる必要があるだろう。本来は、孤独死の防止は行政の仕事なのだが。販売店の仕事ではない。

◆「赤」のブラックリストに
なぜ、見守り事業が問題なのだろうか。それはこの種の活動が住民監視に変質することがままあるからだ。新聞社と公権力の癒着はいまや公然となっている。その公権力が、新聞販売網という日本の津々浦々まで入り込んだ組織網を使って、住民を監視しすれば、警察による見回りよりも遥かに効果がある。

警察が戸別訪問するためには、それなりに理由を要する。ただ様子をうかがうために、不特定多数の民家を訪問することは不可能だ。ところが新聞の集金を目的に戸別訪問すれば、少なくとも玄関には踏み込むことができる。その時、乱雑に靴が散らかっていれば、家の中で会議でも行われていることがうかがい知れる。そこで警察に通報しておけば、警察は、「赤」のブラックリストにこの家を登録できる。

◆グアテマラ内戦中の自警団
グアテマラ内戦の時代(1960年~1996年)、軍事政権の下で「自警団」と呼ばれる住民監視の制度があった。これは住民が町や村を巡回して、解放戦線のシンパと思われる人物を発見したときは、警察に通報する制度である。住民の方が路地裏の細部まで知っているから、効果的な監視ができることに着目した制度である。

戦時中の「隣組」も同じ発想だ。

まったく同じ発想に基づいた住民監視が、日本でも広がっているのだ。船橋市新聞販売同業組は、近い将来に、読売と同様に警察と覚書を交わすのではないか。

住民監視する前に、折込詐欺の監視の方が先ではないか?

2019年09月09日 (月曜日)

横浜・副流煙裁判の口頭弁論が次のスケジュールで開かれる。

日時:19日(木)13:10 
場所:横浜地裁、502号法廷

裁判は19日の口頭弁論で結審する予定だ。前回の口頭弁論で裁判長が結審を提案したが、原告の山田義雄弁護士が最終準備書面を作成したい旨、希望を伝え結審が延期されていた。

この裁判は、マンションの2階に住む大野夫妻と娘の3人が、同じマンションの1階に住む藤井さん宅から発生する煙草の煙が原因で、化学物質過敏症などに罹患したとして、藤井将登さんに対して4500万円の損害賠償を求めたものである。原告は、準備書面の中では、藤井家の煙が原因で、大野家の夫と娘が癌になったとまで主張している。

ところが裁判の中で、実は大野家の夫に約30年の喫煙歴があったことが判明した。つまり嘘を前提に裁判を起こし、4500万円もの高額の金銭要求をした疑惑があるのだ。この点は結審後の検証点になりそうだ。

原告は裁判所に、医師の診断書を提出している。しかし、化学物質過敏症が最も重篤だと主張してる娘の診断書については、日赤病院の作田学医師により、無診断のまま作成されている。無診断による診断書の作成は、医師法の20条に違反している。

さらに、不思議なことに提訴の前段に、神奈川県警の刑事らが藤井家に2度も押しかけて取り調べを断行したあげく、室内の写真を撮影するなど、捜査権の濫用も問題になっている。藤井家の主婦・敦子さんが、その背景を調べたところ、大野家から警察に対して、被害届や告訴状は提出されていないことが分かった。

神奈川県警と原告の接点は、原告の山田義雄弁護士と警察の「交渉」(文書として記録されている)しかない。何を根拠に警察が山田弁護士の要求を受けて、金銭がらみでどう喝まがいの係争に関与したのか、今後の解明点も残っている。

◆副流煙は原告宅へは流れ込んでいない

ちなみに藤井さんは、化学物質過敏症という病気が客観的に存在することや、煙草の煙が人体に有害である点については認めている。その上で、喫煙の際には他人の安全に十分に配慮していたと主張している。

筆者は事件の現場を検証したが、藤井さんの夫が煙草を吸っていた場所は、主に防音室の中である。ミュージシャンという職業上、マンションに引っ越してきた際に防音工事を行ったのだ。音を完全に遮断するために部屋は透き間なく密封されている。さらに窓は2重窓の構造になっている。従って煙が外部へ漏れる状況は、部屋に出入りする時を除いてあり得ない。

一方、原告の大野家は、外部から煙草の煙が流入しないように、窓をビニールシートで覆うなどの対策を取っている。従って、たとえ藤井家から煙りが漏れていても、それが大野家に流入することはあり得ない。

さらに藤井敦子さんが気象庁の発表している年間の風向のデータを調べたところ、おおむね大野家が風上の位置関係になることが裏付けられている。

 

◆「その先に藤井夫妻が立って・・・」

つまりどの観点から検証しても、藤井家の煙が大野家に流れ込むことはない。

ちなみに大野家の妻は、本人尋問の中で次のように娘の症状について証言している。トラブルの背景を考える上で参照になる。

「毎晩毎晩同じ三つの夢を見るんですね。一つは息が吸えなくて、タバコの煙で息が吸えなくて、空気吸いたくて窓を一所懸命開けるけど開けられないということと、その先に藤井夫妻が立って怖いということと、がんの宣告、余命1か月の宣告というこの三つを毎晩毎晩見て、朝起きると硬直したような形になっているので、精神的にもかなり追い詰められているので、メンタルクリックの先生のところに、これもまたやっとの思いで連れていきました。」

この証言でも明らかなように、藤井家の煙が原因で化学物質過敏症や癌になった根拠はなにもない。妄想である可能性が高い。

こうした裁判を起こされ、藤井さん夫妻は大変な迷惑を受けている。山田弁護士は、大野夫妻に対して提訴を断念するようにアドバイスすべきだったのではないか。スラップが横行している時代、弁護士の責任が問われる。

根拠のないことを前提に高額な金銭を請求すれば、当然、ジャーナリズムのターゲットになる。

2019年09月07日 (土曜日)

れいわ新選組がブームになっている。「共同通信の世論調査によると、れいわ新選組(れいわ)の政党支持率が4.3%となり、7月の参院選後の前回調査から、2.1ポイント増えた」(Tokyo MX)という。

1990年代の初頭に小沢一郎氏が政治改革の旗をかかげて登場し、影響力を強めて「政権交代」を実現した現象に類似している。が、小沢氏は、その後で場当たり的な政界再編を繰り返して人気を失い、現在はほとんど影響力を持たない政治家になってしまった。いわゆる「オザシン」の数も減り続けている。

今、政界では小沢一郎ブームと同じことが起こっている。【続きはウェブマガジン】