2023年07月11日 (火曜日)

執筆者:藤井敦子

 

2023年(令和5年)6月17日、毎日新聞の宮城裕也記者は、「『ベランダ喫煙』でトラブル」というタイトルの記事を掲載した。その中で、日本禁煙学会が掲げる受動喫煙症についての記載を無批判に紹介したことに対して、わたしは毎日新聞に意見を送った。

6月30日までに回答を得る予定であったが、30日を過ぎても何も言ってこない。私が送った内容が担当部署にまで上がっていない可能性もある。そこで私は、7月5日、電話で毎日新聞に再度確認を行った。

その結果、担当部署にはきちんとわたしの主旨が伝わっていることをわたしは確認した。また、電話対応に出た担当者も私の意見内容を知っていた。

私は再度、7月7日(金)の夕方5時までに、宮城記者から直接回答するように依頼した。回答がない場は、毎日新聞社としては、受動喫煙症診断書の交付プロセスは何ら問題がないと考えていると理解し、それを前提に今後発信していくとも伝えていた。
7日(金)夕刻5時になっても回答はなかった。

◆毎日新聞社に告げた事実

私は毎日新聞社に、A家3名それぞれに対して書かれた受動喫煙症診断書に「何が問題があるのか」を事前のメールにて詳しく説明していた。下記のとおりである。

・A夫には過去25年の喫煙歴があったこと。

・それにもかかわらず、それを隠していたこと。

・日本禁煙学会理事長・作田医師は25年の喫煙歴があるA夫に受動喫煙症の診断書を書いたこと。

・日本禁煙学会が過去の喫煙を不問にしていること。

・A娘については診断書を作田医師は診察をせずに書いたこと。

・そのことで横浜地裁に医師法20条違反と認定されたこと。

・私が日本赤十字医療センターにその旨を伝えた結果、除籍となったこと。

・A妻の診断書で作田医師は「1階のミュージシャンが「四六時中」喫煙している」と書いたこと。

・2月9日の本人尋問で作田氏はそれが一般論からのコメントであることを認めたこと

これらの事実はどれをとっても見過ごされるような問題ではないが、毎日新聞社は無視することで問題から逃げた。正面から向き合う姿勢はなかった。

◆ジャーナリズムとしての役割り

「受動喫煙症」という病名は国際基準であるICD10コードが割り当てられておらず、厚労省にも公式には認められていない病名である。従って本来なら、公の場は記事ではこの言葉を使わないのが原則だ。使うのであれば、注釈を付けるのが報道機関のあるべき姿勢である。

にもかかわらず、毎日新聞社は受動喫煙症があたかも「世の中で公式に認められている病気」であるかのように、一切の注釈なく、全国津々浦々まで発信したのだ。

毎日新聞は不正確な記事を書き、それにたいする疑問があがると、ベールをかってしまう。かつて私が問いかけた疑問に対し真摯に回答した日本赤十字医療センターの対応と比べればはるかに劣っている。

毎日新聞社は事実と真摯に向き合い、訂正すべきは箇所は訂正するという謙虚な姿勢が欠落している。自浄作用は全く働いていない。宮城裕也記者の記事は、日本禁煙学会のプロパガンダに完全に成り下がっている。

■参考記事はNOTEで

2023年07月10日 (月曜日)

日本新聞協会と公正取引委員会の「押し紙」をめぐる密約疑惑をレポートした記事の転載である。出典は、『紙の爆弾』(6月7日号)。

裁判所は、弱者にとって「駆け込み寺」なのだろうか。こんな自問を誘う判決が、「押し紙」裁判で続いている。「押し紙」裁判とは、新聞社が販売店に対して課している新聞の仕入れ部数のノルマが独禁法の新聞特殊指定に違反するとして、販売店が損害賠償を求める裁判である。今世紀に入るころから急増したが、わたしが把握している限りでは、販売店が勝訴したケースは2件しかない。しかも、この2件は、政界に対する影響力が弱い地方紙を被告とした裁判である。朝日・読売・毎日・産経・日経の中央紙を被告とした裁判では、ことごとく新聞社が勝訴している。

「あなたがたが、わたしどもを訴えても絶対に勝てないですよ」

新聞社の担当員から、面と向かって釘を刺された販売店主もいる。が、それにもかかわらず「押し紙」裁判は絶えない。その背景に、販売店主たちが裁判官を水戸黄門と勘違いしている事情がある。しかし、裁判所は弱者を救済するための存在ではない。権力構造の維持を合法化するための機関にほかならない。

◆ブラックリストの野村武範・裁判官が大阪地裁へ

去る4月20日の朝、わたしは新幹線で東京から大阪へ向かった。元販売店主の濱中勇志さんが読売新聞大阪本社に対して、約1億2400万円の支払いを求めた裁判の判決がこの日の午後に予定されていたからだ。濱中さんの販売店では、搬入される新聞の約五〇%が、俗にいう「押し紙」になっていた。

裁判を担当したのは、池上尚子裁判長ら3人の判事である。池上裁判長は、ラジカルな市民運動体の女性リーダーが鹿砦社を訴えた裁判で、鹿砦社に損害賠償を命じた人物である。奇妙な判決だった。しかし、読売「押し紙」裁判の審理では、誠実に審理している印象があったので、わたしは一抹の期待を持って大阪へ向かった。

新大阪駅で濱中さんの代理人・江上武幸弁護士と合流して、タクシーで大阪地裁へ向かった。車中、わたしは江上弁護士に、仮に読売が敗訴した場合に起きる社会的影響を語った。「押し紙」制度は、読売に限らず全国のほとんどの新聞社が実施してきた。従って新聞社が敗訴した場合、その影響は果てしない。「押し紙」制度にメスが入れば、わたしの試算では新聞業界全体で、少なくとも年間932億円の販売収入を失う。根拠は次の通りである。

日本全国で印刷される一般日刊紙の朝刊発行部数は、2021年度の日本新聞協会による統計によると、2590万部である。このうちの20%にあたる518万部が「押し紙」で、新聞1部の卸卸価格が1500円(月額)と仮定する。この場合の被害額は77億7000万円(月額)になる。この金額を1年に換算すると、約932億円になる。さらに「押し紙」がなくなれば、ABC部数が減少して、広告収入も激減する。

「押し紙」問題に公権力機関がメスを入れば、新聞社は経営規模に見合った予算の調達が困難になりバブルのように崩壊する。この構図を公権力機関が逆手に取って新聞社の殺生権を握れば、新聞・テレビをみずからの「広報部」として組み込むことができる。「押し紙」問題はジャーナリズムの根源的問題なのである。それゆえにわたしは「押し紙」判決の行方に関心を持ってきた。

大阪地裁の1007号法廷の薄暗い廊下で、扉が開錠されるのを待った。次々と傍聴者が集まってきた。わたしは、法廷の出入り口に張り出されている裁判のスケジュール表に視線を向けた。と、次の瞬間、「アッ」と声を上げそうになった。わたしの頭の中にある裁判官ブラックリストの人名が視界に飛び込んできたのだ。濱中さんの裁判は、結審した後に裁判長が池上裁判長から、野村武範裁判長に変更になっていたのである。

「濱中さんの負けです」

わたしは、近くにいた江上弁護士に言った。

数年前、わたしは産経新聞の「押し紙」裁判を取材していた。尋問が終わって裁判が結審に近づいたころ、コロナ感染拡大の影響で東京地裁は閉鎖に近い状態になった。と、突然、裁判官が交代した。裁判長に就任したのが野村判事だった。

野村裁判長は審理を再開すると、早々に裁判を結審して、原告の元販売店主の訴えを退けた。産経新聞を勝訴させたのである。

前任の裁判長は、産経に対して和解に応じるよう繰り返し勧めていた。裁判は、元店主が圧倒的に優位に立っていた。わたしは中央紙の「押し紙」問題にも初めてメスが入るのではないかと期待していた。ところが意外なことに、判決は産経の勝訴だった。

わたしは強い不信感を抱き野村武範裁判長の履歴を調べてみた。すると異動歴が不自然であることが分かった。次のようになっている。読者には東京高裁での在籍日数に着目してほしい。

 

2017年4月1日:名古屋地裁判事・名古屋簡裁判事

2020年4月1日:東京高裁判事・東京簡裁判事

2020年5月10日:東京地裁判事・東京簡裁判事

 

野村判事は、東京高裁に40日在籍しただけで、東京地裁へ異動して産経「押し紙」裁判の担当になっていたのだ。さらに東京地裁から大阪地裁へ異動して、今度は読売「押し紙」裁判の裁判長に就任したのである。後に、異動の日付けが判決の20日前、5月1日であることが分かった。

江上弁護士に事情を話すと、

「敗訴が分かって、緊張せずに判決が聞けるよ」

と、苦笑した。予想どおり、野村裁判長は元販売店主の請求を棄却した。そして、驚くべきことに、読売の「反訴」を認め、濱中さんに対して約1000万円の支払いを命じる記述を読み上げたのである。元店主が補助金を架空請求していたというのがその理由である。

ただ、判決の末尾に捺印したのは池上尚子裁判長である。従って公式には判決を書いたのが池上裁判長で、それを読み上げたのが野村裁判長ということになる。しかし、両者間で案件の引き継が行われたわけだから、判決内容について何らかの検討が行われた可能性もある。それが原因なのか、判決文の内容に論理的な整合性がない箇所がかなり見うけられた。たとえば読売による独禁法違反(「押し紙」行為)を部分的に事実認定していながら、それに対する損害賠償責任は免責している点である。損害を与えれば、たとえその金額が1円であっても、賠償するのが社会通念なのだが。

◆権力構造に組み込まれた世論誘導装置

搬入される新聞の部数が過剰になっていて、販売店が被害を受けているにもかかわらず販売店はなぜ勝訴できなのか。この点を法的な観点から説明するためには、「押し紙」の定義を明確にしてなければならない。独禁法の新聞特殊指定は、次の行為により新聞社が販売店に損害を与える行為を「押し紙」と定義している。

1,販売業者が注文した部数を超えて新聞を供給すること(販売業者からの減紙の申出に応じない方法による場合を含む。)。

2,(注:新聞社が)販売業者に自己の指示する部数を注文させ、当該部数の新聞を供給すること。

ここで言う「注文した部数」とは、池上裁判長の解釈によると販売店が新聞の発注書に記入した部数のことである。この記入した部数には、すでに配達予定のない「押し紙」が含まれているが、池上裁判長は、発注書の数字は店主が希望して「注文した部数」であると解釈しているのだ。従って、たとえば「注文した部数」の50%が残紙になっていても、それは押し売りされた部数ではないという解釈になる。「押し紙」ではなく、販売店が自主的に注文した「予備紙」と解釈する。

この奇抜な解釈の新聞特殊指定は、1998年に改訂されたものである。改訂前の特殊指定は真に「押し紙」を取り締まる内容で、新聞の商取引で意味する「注文部数」とは、新聞の実配部数に予備紙(通常は2%)を加えた部数であって、それを超えた部数は理由の如何を問わず「押し紙」と定義していた。それを根拠として、公正取引委員会は、1997年に北國新聞に対して、「押し紙」の排除勧告を出したのである。その際に、日本新聞協会に対しても、「押し紙」問題に注意を促したのである。

それを受けて新聞協会と公取委は、話し合いを重ねた。その結果、公取委は、新聞特殊指定を現行のものに「改悪」したのである。「押し紙」問題を解決するために話し合っていながら、実際には従来の特殊指定を骨抜きにして、販売店が「押し紙」裁判を起こしても、絶対に勝訴できない法体系にしたのだ。そのことが池上判決ではっきりしたのだ。

余談になるが当時の公取委の委員長は、後に日本野球機構コミッショナーに就任する根來泰周氏である。

わたしは公取委に対して、新聞協会との話し合いの議事録を情報公開するように請求した。公取委は公開に応じたものの、肝心の「押し紙」に関する話し合いの部分は全て黒塗りにした。それは両者の間で密約が交わされた疑惑を示唆している。「押し紙」問題が浮上して話し合いを重ねていながら、「押し紙」制度を合法化する方向で改訂したわけだから、密約があったとしか思えない。

実際、その後、「押し紙」問題はますます深刻化して、濱中さんの例にみられるように、搬入される新聞の半分が残紙といった事態が当たり前に生まれたのでる。

公権力機関は、新聞社と系列テレビ局を権力構造に組み込んで、「広報」の役割を担わせている。それは巧みな世論誘導装置にほからならない。裁判所は、公権力機関であって「駆け込み寺」ではない。そのことが池上判決を通して見えてくる。

2023年07月08日 (土曜日)

今年の2月から、NTTドコモと住民の間で基地局の設置をめぐるトラブルが大阪市北区東天満で起きている。NTTドコモは、2,3年前にビルに基地局を設置した。その後、今年になって5Gの基地局を増設した。

その際に、すぐ近くのオフィス兼住宅に住む住民から苦情が持ち込また。NTTドコモは、通電工事をペンディングにして、住民と話し合いを続けていたが、7月11日に工事を再開する旨を住民に通知した。

住民から相談を受けたわたしは、NTTドコモと工事を請け負っている株式会社ミライト・ワンに対して、計画を断念するように申し入れた。住民に対しては、裁判所へ調停を申し立てるように勧めている。

◆電話会社が提供する偽りの情報

基地局設置をめぐるトラブルで、わたしが電話会社の広報部や工事担当者と話す機会は、このところ増えている。電話会社の主張は、次の3点に集約される。

❶総務省の定めた規制値を遵守して基地局を稼働するので、健康上の被害は起こりえない。

❷マイクロ波(携帯電話の電磁波)についての研究は50年のデータの蓄積があり、「危険」を警鐘する論文は1件も存在しない。

結論を先に言えば、❶も❷も事実ではない。

◆総務省の規制値の嘘

次に示すのは、規制値の国際比較である。数字が高いほど危険性が増す。

日本の総務省の規制値:1000μW/c㎡

ブリュッセル:19.2μW/c㎡

ロシア:10μW/c㎡

スイス:9.5μW/c㎡

欧州評議会の勧告値:0.1μW/m2 (室内は0.01μW/c㎡ )

ザルツブルク市の目標値:0.0001μW/c㎡(※現在は、廃止されている)

欧米でも日本並みに、国が定める規制値はかなり高く設定してある。しかし、日本と違って、欧米では国とは別に自治体などが独自に規制を厳しくしている。その典型が欧州評議会の勧告値である。国と自治体でダブルスタンダードになっているのだ。

また、条例で基地局の設置を規制しているので、日本のように自由に基地局を設置できる状態にはない。

なぜ、欧米では規制値がダブルスタンダードなったのか?

答えは簡単で、マイクロ波の研究が進むにつれて、マイクロ波に遺伝子毒性(発がん作用)があることが判明したからだ。規制値を厳しくせざるを得なくなってきたのである。そこで国に先立って、地方自治体が規制値を決める動きが広がり、規制値のダブルスタンダードが生じたのである。

WHOの外郭団体である国際がん研究機構(IARC)は、2011年にマイクロ波に発がんの可能性があることを認定した。発がん性の5段階評価のちょうど真ん中のレベルだが、2024年までに格上げすることを検討している。

【参考記事】基地局からの距離と発がんの関係を示すブラジルの疫学調査 

 

◆マイクロ波の危険性を示す実験

携帯電話(スマホ)で使われる電磁波と発癌の関係を指摘するアメリカの国立環境衛生科学研究所最新の研究結果が2018年に公表された。11月1日付けのMWN(Micro wave News)によると、同研究所は、NTP(米国国家毒性プログラム)の最終報告で、動物実験でマイクロ波と癌の関係が明白になったと発表した。

NTPは10年に渡る長期プロジェクトで、予算も3000万ドル。最大級のプロジェクトである。最終報告によると、動物実験の期間である2年間に、オスのラットの心臓に悪性腫瘍が増えたことを示す「明確な証拠」が得られたという。一方、マイクロ波を放射しなかった実験群のラットでは、心臓の腫瘍は発生しなかった。

また、脳や腎臓については、腫瘍の発生率こそ心臓よりも高いが、これらの相互関係は弱いと結論づけた。

ちなみにイタリアでも同じ時期に、同じ類型の動物実験が行われ、やはり発がん裏付ける結果となった。

【参考資料】
基地局問題での調停申立てのひな型
   ■ここからダウンロード

 

2023年07月06日 (木曜日)

執筆者:江上武幸(弁護士)

 

既報のとおり、読売新聞大阪本社と西部本社は、一審で全面勝訴判決を受けたにもかかわらず、判決文の閲覧制限の申立を行いました。読売が閲覧制限を求めたのは、原告販売店の購読部数や供給部数が記載された個所です。

当事者以外の第三者、例えば、新聞や週刊誌の記者、フリーのジャーナリスト、大学の学者・研究者等が、押し紙問題を調査報道し、研究発表するために判決の閲覧謄写を請求しても、肝腎の部数については黒塗りした判決文しか入手できないことになります。もちろん、全面開示を求める訴えをする道は残されていますが、そのためには多大な労力と時間と経費を費やす覚悟が求められます。

国民にかわって憲法上の知る権利を行使する使命を担う新聞社が、自社を当事者とする裁判の判決について閲覧制限を求めるという身勝手な姿勢を示したことは、厳しく非難されるべきです。

押し紙問題はインターネット上ではすでに公知の事実となっており、何ら隠しだてするところはありません。

そうは言っても、押し紙裁判の被告になった新聞社が、判決に購読部数と定数が記載されておれば、ABC部数(公表部数)や折込広告部数がいかに実態とかけ離れた部数であるかが一目瞭然となるため、その部数を知られないよう判決の閲覧制限を求める誘惑に駆られることはあり得ることです。しかし、良識を備えた新聞社であれば、自社の利益と国民の知る権利及び裁判の公開の原則を天秤にかけた場合、後者を優先すべきであるとの判断を下すのは当然のことです。

押し紙裁判を提訴する原告は、購読部数と定数(供給部数)を整理した別紙「押し紙一覧表」を作成して訴状に添付するのが一般的です。しかし、訴状に添付した資料と裁判所が判決に添付した資料の重みは決定的に違います。

押し紙問題に関心を寄せる公正取引委員会やABC協会、国会議員あるいは大学の学者・研究者等は、判決に購読部数と供給部数が明示されておれば、裁判で争われた販売店の押し紙の実態を正確に知ることが出来、各々の立場で押し紙問題を分析し解決の方向を指し示すことができます。

ちなみに、黒藪さんは、読売新聞社以外の新聞社で、判決文の閲覧制限を申し立てた例があるかどうか調査してみるとのことです。

どの業界にも超えてはならない一線があります。新聞社にとって、判決文の閲覧制限を申し立てるのは言論機関にあるまじき一線を越えた暴挙といって差し支えないでしょう。

読売新聞は発行部数1000万部の世界一の新聞であることを豪語してきましたが、2007年(平成19年)6月の真村福岡高裁判決以降、福岡県内の複数の読売新聞販売店から押し紙問題の相談を受けた私の経験では、当時、すでに3割から5割近い部数が読者のいない新聞で占められていました。

日本特有の宅配制度のもとで、読売新聞に限らず多くの新聞社は優越的地位を濫用し、実際の購読部数よりはるかに多い新聞を販売店に買い取らせる「押し紙」を行ってきました。「押し紙」は我が国の新聞社の「ビジネスモデル」であると評されたことがあるほどです。

新聞社がこのような有様ですから、日本に民主主義の精神が根付かなかったのもむべなるかなと思います。

他方、押し紙問題の解決に真摯に取り組んだ新聞社が多数あることも指摘しておく必要があります。私の知る限りでは、熊本日々新聞社と新潟日報社は独占禁止法を忠実に守って押し紙とは無縁の新聞社経営を行ってきています。ほかにも同じような新聞社があると思います。このような新聞社があることを知ることが出来たことは救いです。

私は、わが国のモラル崩壊の元凶は小選挙区制と新聞の押し紙にあると確信をもっていえるようになりました。また、最近では押し紙裁判の担当裁判官の意図的ともいうべき人事配置の問題についても歴史に刻んでおく必要があると感じるようになっております。そのことに踏み込む力量は持ち合わせていませんが、ユーチューブの報道番組を見ていると、かっての新聞記者を凌駕する知性と情報発信力の持ち主が多数活躍されており、その中の誰かが司法の闇に切り込んでくれることを期待しているところです。【2023年(令和5)7月5日】

 

2023年07月05日 (水曜日)

携帯電話の基地局設置をめぐる電話会社と住民のトラブルが絶えない。この1年間で、わたしは40~50件の相談を受けている。今月に入ってからも2件の相談を受けた。両方とも、問題を起こしている電話会社は楽天モバイルである。相談者はいずれも、知らないうちに基地局が設置されていたと訴えている。

宮城県丸森町のケースでは、町が所有する土地に楽天が基地局を設置した。工事中はシートで工事現場が覆われていたので、その内側で工事が行われていることには気づかなかったという。筆者は、工事を請け負った業者に事情を聞くために何度も電話したが、一度も応答することはなかった。

わたしに情報を提供した町民によると、地方都市に特有の閉鎖的な空気があり、町役場の方針に反旗を翻しにくいという。町会議員に相談するようにアドバイスした。裁判所に調停を申し立てる方法があることも伝えておいた。

◆東京都大田区のケース

【続きは、デジタル鹿砦社通信】

2023年07月04日 (火曜日)

社団法人Colabo代表・仁藤夢乃氏が『週刊金曜日』に接触して、同誌が掲載した『人権と利権』の書籍広告に対して、「差別」を助長する本と認めさせ、株式会社・週刊金曜日が謝罪告知を行った事件の続報である。連載❶で述べたように、この広告スペースには、わたしの新刊書『新聞と公権力の暗部』の広告も掲載されていた。これら2冊の版元はいずれも鹿砦社である。当然、「押し紙」を告発したわたしの本のイメージダウンも招いてしまった。

そのことが主要な理由ではないが、わたしはこの問題を調査することにした。言論の自由、あるいは寛容性を考える上で看過できない問題を孕んでいるからだ。純粋なジャーナリズムの旗をかかげた週刊金曜日が特定の書物に対して、十分な調査をしないまま、仁藤氏からの外圧により特定の出版物に「差別本」のレッテルを張った事実は考察に値する。

◆◆

事実関係を調べるために、わたしは仁藤氏と週刊金曜日の植村隆社長に対して、次の問い合わせメールを送付した。いずれも『人権と利権』のどの箇所に問題があるのかを問うたものである。この点を明確にしなければ、議論が前へ進まない。

次の文面である。

仁藤氏宛て】
 はじめまして。貴殿にお尋ねしたいことがあり、連絡させていただきました。わたしはフリーランス記者の黒薮哲哉という者です。週刊金曜日が掲載し、貴殿が不服を申し立てられた『人権と利権』と同じスペースの広告で紹介された『新聞と公権力の暗部』の著者です。週刊金曜日が『人権と利権』を差別本だと判断し、それを謝罪という形で公にした影響で、「押し紙」問題を扱ったわたしの本の信憑性が低下するのではないかと危惧する声が寄せられました。そこで念のために教えていただきたいのですが、貴殿は『人権と利権』のどの箇所に問題があると判断されたのでしょうか。具体的に教えてください。また、なぜ最初に鹿砦社に抗議されなかったのでしょうか。今週中にご回答いただければ幸いです。(下記のメールまでお願いします。xxmwg240@ybb.ne.jp)

【植村社長宛て】
 はじめまして。貴社にお尋ねしたいことがあり、連絡させていただきました。わたしはフリーランス記者の黒薮哲哉という者です。週刊金曜日が掲載し、仁藤夢乃さんが不服を申し立てられた『人権と利権』と同じスペースの広告で紹介された『新聞と公権力の暗部』の著者です。週刊金曜日が『人権と利権』を差別本だと判断し、それを謝罪という形で公にした影響で、「押し紙」問題を扱ったわたしの本の信憑性が低下するのではないかと危惧する声が寄せられました。そこで念のために教えていただきたいのですが、貴社は『人権と利権』のどの箇所に問題があると判断されたのでしょうか。具体的に教えてください。今週中にご回答いただければ幸いです。(下記のメールまでお願いします。xxmwg240@ybb.ne.jp)

◆◆
ちなみにわたしはこれまで週刊金曜日とトラブルを持ったことはない。以前は、よく原稿を書いていた。社内には知り合いも在籍しており、良好な関係にある。しかし、最近の『週刊金曜日』の誌面には違和感を感じていた。

何に対して違和感を感じているのかといえば、ひとつには「差別問題」を報じるときの一方的なスタンスである。たとえば、『人権と利権』の謝罪告知を掲載した号に、ジャーナリスの安田菜津紀氏が「ツイッターにヘイトスピーチを投稿されたとして投稿者に損害賠償を求めた」裁判についての記事が掲載されている。タイトルは、「東京地裁は『差別的な表現』と認定、投稿者に賠償命令」である。執筆者は、沖縄タイムス編集委員の阿部岳氏である。

この記事に次のような記述がある。

「この男性(被告)は『深く反省している』と言って和解を求めた。裁判所も強く勧めたため、安田さんはやむかなく男性が誹謗中傷加害被害者のためのプログラムを受講することを条件に和解に応じた。」

阿部氏は和解交渉に際して、安田氏がとった措置を肯定的に報じているのだが、安田氏が「誹謗中傷加害被害者のためのプログラム」なるものの受講を和解の交換条件にしたことにわたしは戦慄する。1970年代に部落解放同盟浅田派が繰り返していた「差別者」に対する糾弾会を連想させるからだ。当時、差別者のレッテルを張られると大変な目にあわされた。

◆◆
『週刊金曜日』の同じ号に掲載されている3人の新聞記者による座談会(沖縄タイムス・阿部岳、神奈川新聞・石崎学、毎日新聞・藤沢美由紀の各氏)、「差別の背後にある政治を変えるため、それぞれができこと」に至っては、著しい取材不足を感じた。取材不足でないとすれば、故意に市民運動体に不利になる情報を隠したとしか思えない。

たとえば在日コリアンに対する差別問題についての座談では、カウンター運動を展開している人々の活動が肯定的に紹介されている。しかし、カウンター運動を語る場合、運動の一部に暴力的な体質があることにはまったく触れていない。単に運動を美化して、「レイシストは全員実名報道」にするなどと発言している。

一体、なにを以てレイシストと言っているのかは不明だが、わたしもカウンター運動によりレイシストのレッテルを張られた一人である。ネット上のリストにわたしの名前が出ていた。ツイッターに、「今夜もレイシストをやつけて酒がうまい」と言った呟きもあった。

カウンター運動が起こし、多くの知識人が隠蔽に奔走した「M君リンチ事件」を取材したことがその原因である。この事件は、2014年の深夜にしばき隊なるグループが、大阪市の北新地で起こしたものである。
内輪もめが引き金となって、M君を酒場へ呼び出し、瀕死の重傷を負わせたものである。裁判所も暴行の事実を認定している。

この事件を熱心に取材していたのが鹿砦社である。ところが鹿砦社は、取材の過程で次々と露骨な差別に遭遇する。たとえば、事件を起こしたグループのリーダーが記者クラブで開いていた記者会見への参加を拒否され続けた。また、鹿砦社やM君が記者クラブに会見を申し込んでも、認められたことは一度もなかった。

結局、新聞・テレビは、リンチ事件について何の報道もしなかった。事件を起こしたグループの代理人を務めていた神原元(自由法曹団常任幹事)は、リンチは無かったと主張しているが、裁判所の次の認定を読めば、それが事実であることが分かる。

【大阪高裁・判決引用】
被控訴人(注:李氏)は、本件傷害事件と全く関係がなかったのに控訴人により一方的に虚偽の事実をねつ造されたわけではなく、むしろ、前記認定した事実からは、被控訴人は、本件傷害事件の当日、本件店舗において、最初にMに対し胸倉を掴む暴行を加えた上、その後、仲間であるAがMに暴行を加えている事実を認識していながら、これを制止することもなく飲酒を続け、最後は、負傷したMの側を通り過ぎながら、その状態を気遣うこともなく放置して立ち去ったことが認められる。

本件において控訴人の被控訴人に対する名誉毀損の不法行為が成立するのは、被控訴人による暴行が胸倉を掴んだだけでMの顔面を殴打する態様のものではなかったこと、また、法的には暴行を共謀した事実までは認められないということによるものにすぎず、本件傷害事件当日における被控訴人の言動自体は、社会通念上、被控訴人が日頃から人権尊重を標榜していながら、AによるMに対する暴行については、これを容認していたという道徳的批判を免れない性質のものである。(控訴審判決、10P、裁判所の判断)
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これ以外にも、M君にあてた謝罪の手紙など多くの証拠がある。しかし、これらの事実は隠蔽して、逆に新聞・テレビはカウンター運動のリーダーの李信恵氏を反差別運動の騎士として熱心に報道した。

『週刊金曜日』が掲載した3人の新聞人による座談会は、まったくかつてのマスコミと同じスタンスでカウンター運動を美化しているのである。

このような脈絡の中で、週刊金曜日の植村社長が『人権と利権』に「差別本」のレッテルを張ったとすれば、『週刊金曜日』はラジカルな市民運動の機関紙に変質してしまったことになる。市民運動との距離がなくなっている。ジャーナリズムは終わった。

2023年07月03日 (月曜日)

携帯電話基地局の設置をめぐるトラブルが絶えない。わたしのところへ相談が殺到している。電磁波による人体影響についての知識が住民の間に浸透してきた反映であるから、ある意味では歓迎すべき事態である。とはいえ相談者にしてみれば、基地局問題は深刻なテーマであるから、理想的には、問題が起こる前段で対策を取るのが望ましい。本稿は、そのためのノウハウである。

よくある相談のひとつに、「住宅を留守にしている間に基地局が設置されていた」という苦情がある。具体的にどのような状況なのだろうか。

Aさんは、集合住宅の最上階に住んでいる。長期の海外出張から自宅に戻ると自分のマンションの真上に基地局が立っていた。それに気づいたのは、深夜、ブーンという唸るような振動音で眠りを妨げられたことである。屋上に何か機械でも放置されているのではないかと思い、翌日、管理人に尋ねてみると、基地局が立ったと知らされた。

実際、マンションの外から、自分の部屋を見上げてみると、真上に巨大なアンテナが立っていた。深夜に眠りを妨げた音は、基地局が発する低周波音だった。

※低周波音は、感知の度合いに個人差があり、聞こえる人も聞こえない人もいる。
 風車による公害も、原因は同じ低周波音である。

通常、集合住宅(分譲マンション)に基地局を設置する場合、マンションの管理組が総会を開いて4分の3の議決を得なければならない。ところが、住民の大半は総会に参加する代わりに、管理組合の理事長に委任状を託す。その理事長は、電磁波についてはまったく知らない場合が多い。しかも、電話会社やマンション管理会社から接待を受けていることが多い。その結果、理知長は基地局の設置を承諾してしまう。

Aさんは、自宅に住めなくなり、自宅を売却しようとしたが、買い手がみつからない。結局、自宅を放置して、賃貸住宅へ引っ越さざるを得なくなったのだ。電話会社と管理会社に抗議したが、「総務省の規制値を守っているので問題ない」とはねつけられてしまった。その規制値は、たとえば欧州評議会に比べて1万倍もゆるいのだが。

このような事例が実際に何件も起きている。

次に紹介するのは、トラブルを回避するために、ある男性が自分が住むマンション管理会社に充てて事前に送った申入書である。ひな型として使えるので、多少修正したものを掲載する。著作権を放棄しているので、自由に使える。

■申入書のひな型

 ●●マンション●●号室の山下太郎です。

 このところ携帯電話基地局の設置をめぐる電話会社と住民の間のトラブルが増えています。そこでトラブルを回避し、住民の分断を回避するために、貴社に対して事前に申し入れをします。今後、電話会社に対して貴社の側から設置を要請することはやめてください。また、電話会社の側から貴社に対して打診があった場合も、承諾することのないようにしてください。

携帯電話基地局で使用される電磁波による人体影響については、ネットで検索すれば大量に記事が表示されますが、ごく簡単に説明しますと、総務省が定めている安全基準が30年以上も更新されておらず、その結果、たとえば欧州評議会の規制値(厳密には勧告値)に比べて1万倍の緩い数値になってしまいました。実質的には規制になっていません。

欧州で規制値がきわめて厳しく設定されているのは、微量の電磁波でも1日24時間、365日に渡って被曝すると遺伝子を傷つけて癌を引き起こすとする疫学調査の結果が2010年ごろから次々と明らかになってきたからです。これに対して日本の総務省の規制値は、遺伝子毒性をまったく考慮していません。それゆえに規制値を厳しくしないわけです。

携帯基地局の位置と発がんの関係を調べたドイツやイスラエル、それにブラジルの疫学調査では、基地局に近くほど癌の発生率が高いことが判明しています。基地局から半径300メールから400メートルの範囲内に住む住民は、範囲外の住民に比べて癌の発生率が3倍ぐらい高くなっています。それが欧州評議会の厳しい規制値設置へとつながったわけです。

以上のような事情ですから、今後、貴社として基地局設置には絶対に協力しないようにお願い申し上げます。これは貴社が適正に対処すれば簡単に回避できる問題です。

2023年07月01日 (土曜日)

『週刊金曜日』(6月30日付け)に、同社の植村隆編集長の名前で「おわび」と題する告知が掲載された。森奈津子編著の『人権と利権』(鹿砦社)の書籍広告を同誌に掲載したことに対する謝罪の弁である。告知によると、この本は「『Colabo問題、LGBT問題について提起する』としておりますが、その内容は当社の広告掲載基準(内規)で、『掲載できない』としている『差別、プライバシーの侵害など基本的人権を侵害するおそれのあるもの』に該当するものと考えられます」と述べた上で、「Colaboの仁藤夢乃代表やLGBT関係者の皆様の人権を傷付け、その尊厳を否定する結果となってしまいました」と謝意を表明している。

実はこの件に関して、わたしには無関心ではいられない事情がある。と、いうのも『人権と利権』と並列するかたちで、わたしの新刊書『新聞と公権力の暗部』(鹿砦社)の広告が掲載されていたからだ。厳密に言えば、鹿砦社が発行する『紙の爆弾』と『季節』の広告もセットになって、『週刊金曜日』の裏表紙に掲載されたのだ。

当然、『人権と利権』が人権を侵害した書籍だという烙印を押されれば、同じスペースに掲載された書籍に対しても、信頼性の低い書籍だというイメージが拡散してしまう。当然、わたしとしても事実関係を調査する必要がある。

もちろん『人権と利権』の内容に深刻な問題があれば、植村社長が取った措置もやむを得ない。「深刻な問題」と書いたのは、言論や思想の幅には個人差があり、ある程度は他人の言論に対して寛大になる必要があるからだ。考え方が異なることを理由に、処罰めいたことをするのは適切ではない。法律で規制するレベルになると、ファシズムの領域になる。

わたしが『人権と利権』を読んだ限り、特別に大きな問題になるような箇所はなかった。実名(あるいは通称)が使われている箇所もあるが、「公人」であるから問題はない。

しかも、植村社長が謝罪を決めるに際して、事前に鹿砦社と森奈津子氏から事情を聴取した形跡もない。インターネット上の情報によると、上村社長と文聖姫編集長は、仁藤氏のもとにみずから足を運び謝罪したという。実際、両氏の親密そうな写真もネットで公開されている。

そもそも、仁藤氏が鹿砦社に抗議せずに、『週刊金曜日』に接触したことも尋常ではない。通常、書籍や記事で名誉を毀損された場合、抗議の対象とするのは版元と著者である。広告を掲載した媒体に抗議して、書籍の「隠蔽工作」を進めた前例をわたしは知らない。事件の経緯そのものが不自然なのだ。

今後、植村社長と文編集長は、具体的に『人権と利権』のどの記述に「基本的人権を侵害」する恐れがあるのかを示すべきだろう。両氏は、今回のような謝罪が鹿砦社や同社に関係する執筆者の心情を害していることを自覚していないのではないか。

◆『週刊金曜日』と市民運動

わたしは『週刊金曜日』には決して悪意を持っていないが、今回のような事態には無関心ではいられない。最近の同誌の誌面からは、新聞人が中心となった市民運動団体のための「連合同人誌」のような印象を受けていたが、今回の事件もColaboなどに対する配慮かも知れない。

ジャーナリズムが批判対象とする範囲から、市民運動を除外するのは間違っている。たとえば2014年に大阪市の北新地で暴力事件を起こしたニセ左翼の団体があるが、まじめにもの事を考えている在日韓国人の人々にとっては迷惑な存在である。一部の野党が没落したのも、票ほしさに反社会的なグループと共同歩調を取ったからではないか。しかし、『週刊実話』と鹿砦社を除いてだれも報道しなかった。

もともと『週刊金曜日』は、広告に依存しないことで、既存メディアでは扱えないテーマを扱う方針だったと聞いているが、市民運動の批判だけはタブーなのだろうか。

わたしはColaboをジャーナリズムの監視対象にした鹿砦社の方針は高く評価すべきだと思う。

『新聞の秘密』(日本評論社)は、半世紀前に出版された本である。執筆者は新聞社販売局の社員だったと聞いている。「清水勝人」という著者名は匿名らしい。

この本には、新聞社の営業秘密が詳細に記されている。「押し紙」を隠すために、新聞社がどのような裏工作をしているのかなどが、詳細に述べられている。新聞社の営業上の秘密は、清水氏を皮切りに、多くの人々が問題視してきたが、隠蔽状況はほとんど変わっていない。裁判所も、営業秘密を隠蔽する方向で新聞社に協力している。

たとえはABC部数をかさ上げするために、新聞社が販売店に「押し紙」を搬入すると同時に、損害を補填するための補助金を支給している事実は、新聞社にとっての重大な営業秘密である。公になってしまうと、新聞の信用が失墜してしまうからだ。

しかし、「押し紙」は新聞ジャーナリズムの信用にかかわる根本的な問題なので、極めて公益性が高い。

『新聞の秘密』は、新聞社の営業秘密をはじめて暴露した素晴らしい本である。残念ながら現在では書店で入手できない。国会図書館では入手可能だ。

2023年06月29日 (木曜日)

濱中裁判(読売を被告とする「押し紙」で、読売が勝訴。原審は大阪地裁)の判決文に対して読売が閲覧制限をかけ、それを野村武範裁判官が認めた件に関する続報である。この判決をメディア黒書で公開するに際して、読売に対して黒塗り希望箇所を問い合わせていたところ、29日の夕方に回答があった。

本来であれば、回答の全文を公開するのがジャーナリズムの理想であるが、読売側がそれを嫌っているので、回答のポイントをわたしの言葉で説明しておこう。ポイントは次の2点である。

❶読売は民事訴訟法92条を根拠に、判決文の閲覧制限を申し立てた。92条は次のように述べている。

第92条
次に掲げる事由につき疎明があった場合には、裁判所は、当該当事者の申立てにより、決定で、当該訴訟記録中当該秘密が記載され、又は記録された部分の閲覧若しくは謄写、その正本、謄本若しくは抄本の交付又はその複製(以下「秘密記載部分の閲覧等」という。)の請求をすることができる者を当事者に限ることができる。

一 訴訟記録中に当事者の私生活についての重大な秘密が記載され、又は記録されており、かつ、第三者が秘密記載部分の閲覧等を行うことにより、その当事者が社会生活を営むのに著しい支障を生ずるおそれがあること。

二 訴訟記録中に当事者が保有する営業秘密(不正競争防止法第2条第6項に規定する営業秘密をいう。第132条の2第1項第三号及び第2項において同じ。)が記載され、又は記録されていること。

前項の申立てがあったときは、その申立てについての裁判が確定するまで、第三者は、秘密記載部分の閲覧等の請求をすることができない。

秘密記載部分の閲覧等の請求をしようとする第三者は、訴訟記録の存する裁判所に対し、第1項に規定する要件を欠くこと又はこれを欠くに至ったことを理由として、同項の決定の取消しの申立てをすることができる。

第1項の申立てを却下した裁判及び前項の申立てについての裁判に対しては、即時抗告をすることができる。

第1項の決定を取り消す裁判は、確定しなければその効力を生じない。

❷読売は、黒塗り希望箇所を提示するように求めているわたしの要求に対して、回答を控えると回答してきた。その理由として次のように述べている。「弊社の見解は、弊社の閲覧等制限の申立て及び裁判所の決定内容に含まれ、それ自体が営業秘密にかかわる事項になりますので、(訴訟当事者ではない第三者である貴殿に)弊社からお答えすることは控え」る。

細かい指摘になるが、引用した文章は論理が曖昧でどうにでも解釈できる余地がある。達意という作文の機能をはたしていない。閲覧制限の申立書と野村裁判官が下した決定内容に、閲覧制限の範囲(黒塗りの箇所)についての読売の見解が含まれており、それ(黒塗りの部分)自体が「営業秘密にかかわる事項」なので、回答できないと述べているのだが、この記述だと、読売が提出した申立書はいうまでもなく、判決文の中のどの箇所が黒塗りになっているかも「営業秘密」になるという解釈になってしまう。つまり申立書と判決の全文の非公開を求めているように解釈できる。しかし、裁判所は、黒塗りにした箇所以外は公開していると説明している。

◆今後の対応

ただ、「営業秘密」の中身が具体的な販売政策を指している可能性もあるので、❶と❷を踏まえた上で、わたしは読売の法務部へ次のように再質問をした。

文中にある「営業秘密」とは、具体的に何を指しているのかをご説明ください。たとえば部数内訳のことを言っているのか、補助金制度の運用方法のことを言っているのかなどをご説明ください。どうにでも我田引水に解釈できるようであれば、文書で意思疎通を図る意味がありません。揚げ足取りの原因になります。

わたしが読売からの回答の細部にこだわるのは、2008年に当時の法務室長が、自由人権協会代表理事の喜田村洋一弁護士と協働して、わたしに対してとんでもない裁判を起こした過去があるからだ。それがどのような事件であったかは、次の転載記事を参考にしてほしい。若干長くなるが、判決文も含めて全文を引用しておこう。

なお、読売が「営業秘密」の箇所を具体的に提示しないのであれば、わたしとしては他のジャーナリストとも共同して、野村裁判官が下した判決の取り消しを裁判所へ申し立てざるを得ない。というのも、濱中裁判では読売による独禁法違反は認定されており、「営業秘密」の中に、あるまじき行為が含まれている可能性もあるからだ。

【転載記事】読売・喜田村洋一・自由人権協会代表理事らによる口封じ裁判から9年目に、今後も検証は続く(2016年12月20日付け)

12月21日は、読売新聞社(西部本社)の江崎徹志法務局長がメディア黒書(旧新聞販売黒書)に対して、ある文書の削除を求める仮処分を申し立てた日である。代理人弁護士は、喜田村洋一・自由人権協会代表理事だった。2016年の12月21日は対読売裁判が始まって9年目にあたる。

江崎氏の申し立ては、わたしがメディア黒書に掲載した江崎名義の1通の催告書の削除を求めるものだった。しかし、江崎氏は法務室長という立場にあり、実質的には、江崎氏個人ではなく、読売新聞社との係争の始まりである。

事実、その後、読売から3件の裁判、わたしから1件の裁判と弁護士懲戒請求を申し立てる事態となった。

◇真村事件から黒薮裁判へ

この裁判の発端は、福岡県広川町にあるYC広川(読売新聞販売店)と読売の間で起こった改廃(強制廃業)をめぐる事件だった。当時、わたしは真村事件と呼ばれるこの裁判を熱心に取材していた。

係争の経緯については、長くなるので省略するが、2007年の12月に真村氏の勝訴が最高裁で決定した。日本の裁判では、地裁と高裁で連勝すれば、最高裁で判決が覆ることはめったにない。そのために最高裁の判断を待つまでもなく、高裁判決が出た6月ごろから真村氏の勝訴確定は予想されていた。

そのためなのか、読売も真村氏に歩み寄りの姿勢を見せていた。係争になった後、中止していた担当員によるYC広川の訪店を再開する動きがあった。そして江碕氏は、その旨を真村氏に連絡したのである。

しかし、読売に対して不信感を募らせていた真村氏は即答を控え、念のために代理人の江上武幸弁護士に相談した。訪店再開が何を意味するのか確認したかったのだ。江上弁護士は、読売の真意を確かめるために内容証明郵便を送付した。これに対して、読売の江崎法務室長は、次の書面を返信した。

前略  読売新聞西部本社法務室長の江崎徹志です。
    2007年(平成19年)12月17日付け内容証明郵便の件で、訪店について回答いたします。当社販売局として、通常の訪店です。

わたしは、メディア黒書で係争の新展開を報じ、その裏付けとしてこの回答書を掲載した。何の悪意もなかった。むしろ和解に向けた動きを歓迎していた。

しかし、江崎氏(当時は面識がなかった)はわたしにメールで次の催告書(PDF)を送付してきたのである。

冠省 貴殿が主宰するサイト「新聞販売黒書」に2007年12月21日付けでアップされた「読売がYC広川の訪店を再開」と題する記事には、真村氏の代理人である江上武幸弁護士に対する私の回答書の本文が全文掲載されています。

しかし、上記の回答書は特定の個人に宛てたものであり、未公表の著作物ですので、これを公表する権利は、著作者である私が専有しています(著作権法18条1項)。  貴殿が、この回答書を上記サイトにアップしてその内容を公表したことは、私が上記回答書について有する公表権を侵害する行為であり、民事上も刑事上も違法な行為です。

 そして、このような違法行為に対して、著作権者である私は、差止請求権を有しています(同法112条1項)ので、貴殿に対し、本書面到達日3日以内に上記記事から私の回答を削除するように催告します。  

貴殿がこの催告に従わない場合は、相応の法的手段を採ることとなりますので、この旨を付言します。

わたしは削除を断った。先に引用した、

前略  読売新聞西部本社法務室長の江崎徹志です。
    2007年(平成19年)12月17日付け内容証明郵便の件で、訪店について回答いたします。当社販売局として、通常の訪店です。

と、いう回答書は著作物ではないからだ。催告書の形式はともかく、書かれた内容自体はまったくのデタラメだった。著作権法によると、著作物とは、「思想又は感情を創作的に表現したものであつて、文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するものをいう」。上記の回答書は、著作物ではない。催告書の内容そのものが間違っている。

そこで、今度はこの催告書をメディアで公開した。これに対して、江崎氏は、催告書は自分の著作物であるから、著作者人格権に基づいて、削除するように求めてきたのである。

そして喜田村弁護士を立てて、催告書の削除を求め、仮処分を申し立てたのである。(回答書の削除は求めてこなかった。)

こうして江崎氏名義の催告書が、著作物かどうかが争点となる係争が始まったのだ。書かれた内容の評価とは別に、催告書が著作物かどうかという点に関しては、一応は議論の余地があった。書かれている内容そのものがデタラメであっても、それに著作物性があるかどうかは、別問題である。

結論を先に言えば、仮処分申立は、江崎氏の勝訴だった。催告書が著作物と認めれらたのだ。

判決に不服だったわたしは、本訴に踏み切った。代理人は江上弁護士ら、真村裁判の弁護団が無償で引き受けてくれた。わたしは東京・福岡間の交通費もふくめて、1円の請求も受けなかった。

◇重大な疑惑の浮上

本訴の中で重大な疑惑が浮上した。

既に述べたように、この裁判は、江崎氏が書いたとされる奇妙な内容(例の回答書が著作物であるという内容)の催告書が争点だった。内容が奇妙でも催告書が江崎氏の著作物であると認定されれば、わたしは削除に応じなければならない。

仮処分では負けたわたしだが、裁判の途中から様相が変わってきた。特に江崎本人尋問を機に流れが変わった。

確かに催告書の名義は江崎氏になっているが、催告書は喜田村弁護士が作成したものではないかという疑惑が浮上してきたのだ。

著作者の権利は、著作権法では、「著作者人格権(公表権などが含まれる)」と「著作者財産権」に別れるのだが、前者は他人に譲渡することができない。一身専属権である。

江崎氏は、著作者人格権を根拠に、わたしを提訴したのである。と、なれば江碕氏が催告書の作者であることが、提訴権を行使できる大前提になる。仮に他人が書いたものなら、それはたとえば、わたしが村上春樹氏の作品を自分のものだと偽って、著作者人格権による権利を求める裁判を起こすのと同じ原理である。

催告書の本当の作成者が喜田村弁護士だとすれば、喜田村氏らは催告書の名義を「江碕」偽り、それを前提にして、著作者人格権を主張する裁判を起こしたことになる。

◇東京地裁・知財高裁の判決

東京地裁は、わたしの弁護団の主張を全面的に認めて、江崎氏の訴えを退けた。喜田村洋一弁護士か、彼の事務所スタッフが催告書の本当の作者である可能性が極めて強いと認定したのである。

このあたりの事情については、地裁判決直後の弁護団声明を参考にしてほしい。弁護団は、この事件を「司法制度を利用した言論弾圧」と位置づけている。

次の引用するのは、知財高裁判決の重要部分である。催告書の名義人偽り疑惑について、次のように言及している。

上記の事実認定によれば、本件催告書には、読売新聞西部本社の法務室長の肩書きを付して原告の名前が表示されているものの、その実質的な作者(本件催告書が著作物と認められる場合は、著作者)は、原告とは認められず、原告代理人(又は同代理人事務所の者)である可能性が極めて強い。

繰り返しになるが、江崎氏は、元々、著作者人格権を主張する権利がないのに、催告書の名義を「江崎」に偽って提訴し、それを主張したのである。

■判決の全文(知財高裁)

喜田村弁護士は、自分の行為が弁護士としてあるまじき行為であることを自覚していたはずだ。弁護士職務基本規定の第75条は、次のようにこのような行為を禁止している。

弁護士は、偽証若しくは虚偽の陳述をそそのかし、又は虚偽と知りながらその証拠を提出してはならない。

ところが名義を偽った催告書を前提にして、裁判所へ資料を提出し、自己主張を展開したのだ。

裁判が終わった後、今度はわたしの方が攻勢に転じた。喜田村弁護士が所属する第2東京弁護士会に対して、喜田村弁護士の懲戒請求を申し立てた。2年後に、申し立ては却下されたが、多くの法律家が前代未聞のケースだとの感想を寄せた。弁護士会の判断は誤りだと話している。現在、再審を検討している。曖昧な決着はしないのが、わたしの方針だ。

今後も検証は続く。

2023年06月28日 (水曜日)

「押し紙」問題が指摘されるようになったのは、1970年代である。日本新聞販売協会が販売店の苦痛をくみ上げ、1977年にアンケート調査を実施して「押し紙」の実態を公表したのが最初だ。(全国平均で8.3%)。その後、1980年代の初頭から85年まで、共産党、公明党、社会党が超党派で新聞の商取引に関する問題を国会質問で取り上げた。その中に当然、「押し紙」問題も含まれていた。

しかし、日本がバブル経済に突入すると、折込広告の需要が急増したために、「押し紙」が存在しても損害を受けない販売店が増えた。特に都市部ではその傾向が顕著になった。残紙が販売店に利益をもたらす「積み紙」の性質に変化したのである。これは販売店にとっては触れられたくないことであるが、客観的な事実である。販売店は、「もうかる仕事」だった。

しかし、バブルが崩壊すると徐々に折込広告の需要が減った。それにともない残紙が販売店の負担になってきたのである。言葉を替えると、残紙の性質が「積み紙」から「押し紙」に再び変化したのである。

◆新聞社と販売店の共通認識

新聞社と販売店の間には、残紙の責任が誰にあるのかという議論がある。販売店は新聞社に責任があると主張する。注文部数を新聞社が設定しているからである。

これに対して新聞社は、残紙の責任は販売店にあると主張してきた。折込広告の水増しをしたり、より多額の補助金を獲得するために、販売店が自主的に仕入れ部数を増やして、広告主や新聞社を欺いてきたとする主張である。たとえば、読売の代理人で自由人権協会代表理事の喜田村洋一弁護士は、20年以上もこの持論を展開してきた。読売に「押し紙」は1部も存在しないと主張している。

販売店の主張が正しいにしろ、新聞社の主張が正しいにしろ、紛れのない客観的な事実は、読者に配達されない新聞が大量に発生している事実である。この点に関しては、読売の濱中裁判でも裁判所が認定した。それゆえに、読売は判決文に閲覧制限をかけてきたのではないか。

判決の結果とは別に、 残紙は重大な社会問題なのである。というのも残紙を含む部数がABC部数として報告されているからだ。100万部を自称して広告営業を展開しても、実際には50万部しかない可能性もある。当然、折込広告の一部は廃棄されている。大量の広報紙が廃棄されてきた事実も、東京の江戸川区などで発覚している。残紙を隠すための2重帳簿(順路帳)も存在する。

今後、この点に公正取引委員会や裁判所、それに警察などがどのようなかたちでメスを入れるのか注視しなければならない。放置することがあってはならない。
 
◆「押し紙」の定義をめぐる議論

「押し紙」裁判のもうひとつの争点は、「押し紙」の定義である。

1964年に改訂された新聞特殊指定が定めた「押し紙」の定義は、新聞の実配部数に予備紙(2%)を加えた部数を「注文部数」と捉え、それを超えた部数は理由のいかんを問わず、「押し紙」に該当するというものである。「押し紙」を取り締まるために、このような定義が定められたのである。

1964年に新聞特殊指定で定められたこの定義に関しては、裁判所も認定している。

しかし、1997年になって新聞人はやっかいな問題と対峙する。公正取引委員会が1964年の新聞特殊指定を根拠として、北國新聞に対して「押し紙」の排除勧告を行ったのだ。その際、新聞協会に対しても、「押し紙」問題で釘を刺した。北國新聞と類似した状況が他の新聞社でも見られるという警鐘だった。

これを受けて、以後、日本新聞協会と公正取引委員会は話し合いを重ねるようになる。そして1999年に公正取引委員会は、新聞特殊指定の改訂を行った。改訂された特殊指定は、主旨こそ同じだったが、たとえば従来の「注文部数」という用語を「注文した部数」に変更した。

実は、この「注文した部数」が濱中裁判で争点になった。濱中さんは、1964年の新聞特殊指定に基づいて、新聞特殊指定でいう「注文部数」とは、既に説明したように、実配部数に予備紙を加えた部数であると主張した。従って「注文部数」を超えた部数は、すべて「押し紙」であるという主張だ。

これに対して裁判所は、1999年に改訂された新聞特殊指定に明記された「注文した部数」という用語を持ち出して、「注文した部数」とは販売店が注文書に書き込んだ外形的な数字であると認定した。つまり残紙はすべて販売店が注文したもので、そもそも「押し紙」など存在しないという論理である。

そもそも公正取引委員会と新聞業界は、北國新聞の「押し紙」問題を受けて、話し合いを重ねたのである。その結果、1999年に特殊指定を改訂して、より「押し紙」をしやすい規定に変更したとすれば、「押し紙」を取り締まるという新聞特殊指定の趣旨にすら合わない。
外形的な注文部数の中に残紙が大量に含まれているからこそ、社会問題になっているのであるのに、外形的な注文部数が真の注文部数であるという見解に立ってしまうと、この問題は永遠に解決しない。

 

 

2023年06月27日 (火曜日)

読売新聞大阪本社が「押し紙」裁判の判決文に対して、閲覧制限を申し立て、裁判所(野村武範判事)がそれを認めた件について、その後の経緯を報告しておこう。

既報したように、5月30日付けのメディア黒書に、濱中裁判(大阪地裁で行われた読売の「押し紙」裁判で、読売が勝訴するも、ある一時期の商取引に関しては、読売による明確な独禁法違反を認定)の判決を掲載した。これに対して、読売は、裁判所に閲覧制限を申し立てたことを理由として、判決文の公開を中止するように申し入れてきた。

■読売新聞「押し紙」裁判(濱中裁判)の解説と判決文の公開

閲覧制限の申し立てが行われた場合、裁判所が判断を下すまで、当該文書の公開は禁止されている。読売の言分には、一応の道理があるので、わたしは暫定的にメディア黒書から判決文を削除した。

※ただ、情報を公衆に提供するというジャーナリズムの使命からすれば、削除は検閲を認めるに等しく適切ではないという考えもある。言論統制への道を開くという懸念である。

 その後、野村武範裁判官は、読売の申し立てを認める判決を下した。しかし、判決の全文ではない。読売が非開示を申し立てた部分だけである。

裁判所の判断を受けて、わたしは念のために読売に判決文全文の非開示を希望しているのか、それとも黒塗りの部分だけなのかを問い合わせた。過去に読売が、自由人権協会代表理事の喜田村洋一弁護士を立てて、やえこしい裁判を起こしてきた経緯があるからだ。(文尾の記事を参照)

ところがわたしに対して申し入れを行った読売の法務担当者からは、明確な返答がない。以前に連絡したとおりだ、などと曖昧な答えが返ってくる。しかも、読売がわたしに送付した文書類の扱いは、メールのやりとりも含めて公表しないように念を押している。公開した場合は、裁判を提起する可能性までほのめかしている。裁判になれば、なぜか圧倒的に強い読売のことであるから、わたしとしては慎重に対処する必要があった。

そこでわたしは次のメールを送信した。

(略)書面で意思を伝達する意義は、相手に対して情報を正確に伝達することですから、もう一度お尋ねします。貴社は法的な観点から、判決文の全文を非公開にすべきだとお考えなのでしょうか、それとも裁判所が非公開を決めた箇所だけを非公開にすべきだとお考えなのでしょうか。ご回答ください

しかし、読売からは返答がない。そこで法務担当者に対して、社長宛に公開質問所を送付する意思を伝えた。現時点での到達点はここまである。

繰り返しになるが、わたしは読売が何を希望しているのかよく分からない。出来る限り、読売に配慮するように努めているが、要求の中身があいまいで、現段階では対処の方法がない。

「押し紙」はジャーナリズムの根幹にかかわる問題である。濱中裁判の判決を公の場に晒して、議論することは日本のジャーナリズムの実態を検証する上で欠くことのできないプロセスだ。しかし、大企業の業務にも配慮する必要がある。それゆえに、わたしは読売に対して、隠しほしい情報を黒塗りにするように求めているのである。もちろん応じる意思がある。「のり弁」でもOKだ。

 

 参考記事:喜田村洋一弁護士(自由人権協会代表理事)と読売裁判に関する全記事

 参考記事:野村武範裁判長が執筆した判決文にみる論理の破綻、「押し紙」は認定するが賠償は認めない、産経新聞「押し紙」裁判の解説、判決全文を公開