1. チェ・ゲバラはお金のことを考えてボリビアへ行ったのか?革命家に残業代はあるのか――神谷裁判が問いかけた左派の変質

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2026年06月26日 (金曜日)

チェ・ゲバラはお金のことを考えてボリビアへ行ったのか?革命家に残業代はあるのか――神谷裁判が問いかけた左派の変質

日本共産党福岡県委員会の職員だった神谷貴行氏が、解雇された後、日本共産党に対して残業代の支払いを請求した裁判で、福岡県委員会は6月22日、原告の請求を全部認諾した。

神谷氏のブログによると、「請求の認諾(民事訴訟法266条)とは、被告が原告の請求を全面的に認める訴訟上の手続であり、確定判決と同一の効力を有するもの」とのことである。神谷氏の全面勝訴となり、300万円が共産党福岡県委員会から神谷氏に支払われる。

この裁判は、政党の専従はサラリーマンなのか否か、という問いを提示した。

正直なところ、腑に落ちない事件である。というのも、政治団体の職員は、原則としてサラリーマンではないというのが私の見解だからである。特に、共産党のような社会変革を目指す政治団体では、専従はサラリーマンである以前に革命家である。それが世界の左派運動の原点である。チェ・ゲバラは、お金の計算をしながらボリビアへ向かったわけではない。ニカラグアのサンディニスタ民族解放戦線の青年たちも、命をかけて自己犠牲の精神で独裁政権を倒す運動に加わったのである。

ニカラグアの革命運動を描いた記録文学『山は果てしなき緑の草原ではなく』(オマル・カベサス著、太田昌国訳、現代企画室)には、解放戦線の学生の次のようなモノローグがある。

「辛いのは孤独だ。孤独に比べれば他はたいしたことないのさ。孤独こそは恐ろしく、その感情はちょっと言いようがない。実際、ゲリラには深い孤独がある。仲間がいないこと。それに都会の人間にとってあたりまえのように身の回りにあった一連のものがないこと。

忘れ始めた車の騒音の孤独。夜になって電気を懐かしく思い出すことの孤独。色彩の孤独、山には緑色と黒っぽい色しかないんだ、緑は自然そのものだ。オレンジ色はどうした?青い色がない、水色がない、紫色や藤色もない。そういった現代の色がないんだ。

君の好きな歌がない孤独。女がいない孤独。セックスがない孤独。家族に会えな孤独。君のお母さん、君の兄弟、学校の仲間に会えない孤独。教授たちに会えない、労働者にあえない、隣人に会えない孤独と喪失感。街を走るバスへの孤独、街の暑さや埃への孤独、映画に行けないという孤独。

だが、君がどんなにこれらのものを望んでも手に入れることはできないのだ。欲しいと望んでも手に入らないという意味で、それは君自身の意思に対する孤独の強制だ。なぜなら、君はゲリラを捨てることはできないからだ。君は戦うためにやってきた。そして、それは君の人生の決断だからだ。その孤独、孤独こそが、最も恐ろしいもの、最も辛く、苦しいものなのだ。」

共産党福岡県委員会が認諾したのだから、とやかく言うべきことではないのかもしれない。しかし、専従がサラリーマンになってしまえば、残念ながら社会変革など実現できないのではないか。キューバ革命にも、ニカラグア革命にも自己犠牲の精神と情熱があった。

神谷氏に支払われる300万円は、資本家が搾取によって得た財源ではない。おそらく、多くの労働者が自らの賃金から「カンパ」した資金である。その資金を、裁判所という国家権力の機構の支援を得て手にしたことになる。そこに私は、どこか滑稽な印象を受ける。

この事件は、日本の左派勢力の劣化を物語っている。

【写真:神谷氏のブログより】