酔っ払い文化こそ朝日再生の道、官僚の作文で解決しない朝日の体質
昨年来の原発・従軍慰安婦報道批判を受け、私の古巣でもある朝日新聞は、「信頼回復と再生のための行動計画」を発表。「外部の声に耳を傾ける」と、バッシング勢力に屈するかのような再生案を示した。
しかし、それでは今でも自信を無くしている編集現場をますます委縮させるだけだ。ジャーナリズムは人々の「知る権利」に応え、権力監視するのが本来の仕事だ。外部の声を尊重するだけで、使命を果たせるはすもない。朝日が力強いジャーナリズムに、いかに生まれ変わるか。具体策も、熱意さえ伝わって来ない従来通りの官僚体質の作文で、再生が図れるとは私には思えない。
朝日が昨年来続けて来た慰安婦、原発報道の検証のための第3者委員会や「再生のための委員会」で、社外委員らとともにまとめた改革案では、「経営と編集の分離」とともに、「公正な姿勢で事実と向き合う」「多様な言論の尊重」を挙げ、読者とともに「課題の解決策を探る」としている。
読者からの意見・指摘を紙面に反映出来る編集から独立した「パブリックエディターの導入」、多様な意見を載せる「フォーラム面」、訂正記事を集める「訂正コーナー」の新設、読者と対話する「車座集会」の開催を具体策として示している。
今回問題になった調査報道についても、「さまざまな形で充実」としているものの、「広い視野と多角的なものの見方を心がける」としただけ。事実を掘り起こし、検証する記者の力量をどう高めて正確な記事を書くか、肝心要の部分では目立った具体策もなく、「情報技術の駆使」など小手先の改善策に終始している。
◇読者の「知る権利」を軽視
慰安婦、原発誤報問題で、朝日が批判を浴びた最大の元凶は、私が本ブロク「朝日は派閥官僚体質の病根を絶て 社長辞任では解決しない朝日の再生」で、詳しく書いた通りだ。根っこにある病巣は、読者の「知る権利」に応えることへの真剣さに欠け、内部論理を優先。責任を取らず、利権漁りに走って、社内言論さえ封殺して来た幹部の派閥官僚主義に起因する。
私は、当たり前に記事になるはずの長良川河口堰報道を幹部から止められた。編集局長に異議を申し立てたら、記者職を剥奪されている。拙書「報道弾圧」〈東京図書出版〉に詳述しているが、これも表裏一帯の関係。その後、私の定年までの18年間は、朝日の派閥官僚体質との内部での闘いだった。
だから。報道倫理が欠如した朝日幹部の体質が現場記者に伝染、ジャーナリズムとしての力が、何故ここまで落ちたか。今回の問題に至る真の原因は、私が一番よく知っている。朝日の経営者は、長年、編集出身者が占めている。いくら「経営」と「編集」を分離してみても、編集幹部の体質が変わらない限り、何も変わらないのだ。