2026年05月19日 (火曜日)
浅野健一氏の「『石ころを石礫に』講演会で見えた元大学教授の本音

浅野健一氏の新刊書『石ころを石礫に』の出版を記念する講座が、5月16日に東京の神保町界隈で開かれた。山上哲也事件の裁判員裁判を初回から判決まで傍聴した浅野健一氏と、フランスのジャーナリスト、西村カリン氏が講演した。浅野氏は、これまでの自身の仕事や新刊書について語った。西村氏は、傍聴を通じて感じた日本の裁判の在り方などを批判した。後者については示唆に富む内容だったので、20日付の「メディア黒書」で改めて紹介したい。
わたしが浅野氏の出版記念講座に参加したのは、浅野氏とあけび書房の係争について、当事者から何らかの言及がなされることを期待してのことだった。メディア黒書でも報じてきたように、浅野氏は、あけび書房から出版された『石ころの慟哭』(辻井彩子著)の出版差し止めを裁判所に申し立てた。同書の著者であり、浅野氏の法廷取材をサポートした辻井彩子氏が、浅野氏の『石ころを石礫に』(三一書房)の記述を自著に盗用したというのが、浅野氏の主張である。
辻井氏は、資料や文章の作成などを担当し、その成果物を浅野氏に提供していた。浅野氏は当初、自著をあけび書房から出版する予定だったが、急遽、三一書房に変更した。そこで辻井氏は、浅野氏に提供したデータ資料などを使って『石ころの慟哭』を執筆し、あけび書房から出版した。これに対し、浅野氏が激怒して出版差し止めを申し立てたのである。
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浅野氏は講演の中でこの件について触れなかった。裁判の中で明らかにするというのである。その裁判(仮処分ではなく本訴)は、5月中に提訴するとのことだった。
※仮処分申し立てについては、申し立て日が4月16日だが、まだ審尋が開かれていない。
裁判の中であけび書房との係争について、自身の公式見解を明らかにするというのであれば、この場であえて問いただす必要もないと、わたしは考えた。そこで、講演者への質問として、浅野氏の「押し紙」についての見解を問うてみた。次の質問を書面で行った。
「浅野さんはメディアについて提言されてきましたが、新聞社の『押し紙』について批判されないのはなぜでしょうか」
「押し紙」とは、ABC部数をかさ上げして広告料金を高く設定する新聞社の販売政策である。たとえば、3000人しか読者がいない販売店に対して5000部の仕入れを強要する手口である。差分の2000部によって生じる販売店の損害を相殺するために、新聞社が販売店へ補助金を提供していることが、最近の調査で明らかになっている。明らかな詐欺だが、タブーされていて、だれもふれない。
ここ数年に起こされた「押し紙」の損害賠償を求める裁判では、中央紙において、搬入される新聞のうちおおむね30%から50%が「押し紙」になっていることが明らかになっている。
「押し紙」は50年以上前から水面下の社会問題となっているが、日本のメディアにおける最大の汚点であり、日本新聞協会は、「販売店が自主的に買い取ったものであり、新聞社側の問題ではない」と主張してきた。読売新聞の代理人で、人権派として有名な喜田村洋一自由人権協会代表理事も、「読売には1部も『押し紙』は存在しない」と主張してきた。
【参考記事】中央紙の年間の「押し紙」収入420億円から850億円──内閣支持率82%? マスコミ世論調査を疑う背景と根拠
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実は10年近く前、浅野氏がまだ同志社大学の教授だった時期に、わたしは浅野氏から、同志社大学で「押し紙」について講義してほしいという依頼を受けた。わたしは浅野氏の要望に応え、おそらく100人を超える学生を前に、プロジェクターを使って「押し紙」について説明した。「押し紙」を回収している場面を撮影したビデオも上映した。
ところがその後、浅野氏が「押し紙」について言及したという話を聞いたことがなかったので、『石ころを石礫に』の講演の場で質問してみたのである。講演の中で浅野氏は自身のメディア論も語っていたので、「押し紙」についての質問は突飛なものではなかった。
これに対する答えは意外だった。自分は機会があるごとに「押し紙」問題に言及してきたというのである。わたしはまったく聞いたことがなかった。そして最後に、さらに驚くべき言葉を口にした。同じ講演会に参加していた鈴木エイト氏を名指しし、2人で協力して「押し紙」問題に取り組むよう「アドバイス」したのである。
この時、わたしは、やはり10年近く前に上智大学の田島ゼミ(田島泰彦教授)で「押し紙」について講義したことを思い出した。講義の後、田島氏はわたしを近くの喫茶店へ誘った。そこには、新聞労連執行部に所属する新聞記者が待っていた。田島氏はこの記者をわたしに紹介し、「今後、自分は『押し紙』問題には関わらないから、この記者とコンタクトを取って問題を解決してほしい」と述べたのである。
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わたしは昔から、新聞の研究者なるものを信用していない。唯一の例外があるとすれば、「押し紙」問題にも積極的に言及してきた創価大学の故・新井直之氏だけである。
大学教授には、自分のゼミから学生を新聞社へ就職させる役割がある。そのため、新聞ジャーナリズムを考えるうえで避けては通れない「押し紙」問題を、あえて回避しているのである。この問題を避ければ、新聞研究者としての資質を問われかねないのだが。そこで、わたしに「押し紙」について講義させることで、自分は「押し紙」問題を避けていないというアリバイを作ったのである。
あるメディア研究者がこんな話をしていた。日本新聞協会が入居するプレスセンター最上階のレストラン「アラスカ」へ行くと、定年が近づいた新聞記者が大学教授と会食している光景を目にすることがあるという。再就職に向けた活動である。新聞社から大学への再就職を念頭に置いた人脈づくりなのだ。無論、筆力のある新聞記者は文筆業を続ける。
『石ころを石礫に』をめぐる今回の事件は、そもそも浅野氏が自分で単行本を書き下ろさなかったことに端を発している。週刊誌の記事やフェイスブックの記事を組み合わせ、編集者やゴーストライターに渡せば本が完成する、といった安易な考えは、とんでもない思い違いである。
