1. 報道は誰のための記録か――浅野健一氏の逆立ちした匿名報道論

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2026年06月03日 (水曜日)

報道は誰のための記録か――浅野健一氏の逆立ちした匿名報道論

元同志社大学の教授でジャーナリストの浅野健一氏といえば、事件の実名報道に苦言を呈してきたことで知られている。浅野氏は、公人を除き、被害者も被疑者も匿名にするべきだと主張してきた。たとえば、次のインタビュー記事には、その主張の根幹が示されている。

■「人が壊れそうになる」報道は変われるか? 匿名報道の識者語る問題点

浅野氏が原則的に匿名報道を主張する背景には、多くの新聞が警察などから得た情報を十分に検証せずに報道していることへの問題意識があると考えられる。警察発表への依存や検証姿勢の甘さは確かに検討に値する論点である。しかし、私は報道の原則は実名であるべきだと考える。というのも、記事やルポルタージュは歴史的記録としての役割を持つからである。どこで誰が何をしたのかを後世に正確に伝えるためには、関係者の氏名を含め、事実をできる限り正確に記録しておく必要がある。当然、実名報道が不可欠になる。

この点に関して、浅野氏は実名報道が持つ記録としての意義を十分に評価・理解していないように見える。実際、前出の記事の中で、インタビュアーから、

「なぜ日本のマスコミは実名を必要とするのか?」

と問われ、次のように答えている。

「理由はないんです。昔からそうやっているからだけですよ。特にそれが悪いと思っていなかったでしょう。昔からずっとやっていた。」

少なくともこの発言からは、実名報道が持つ歴史的記録としての機能への言及は見られない。

私は、報道の原則は実名であり、匿名は例外であるべきだと考える。報道は単なる情報伝達ではなく、後世に残る記録でもあるからだ。事実を正確に伝え、将来の検証に耐えうる記録を残すためには、人名を含めた事実関係をできる限り明らかにすることが求められる。それがジャーナリズムである。

また、匿名報道を原則とした場合、報道内容の事後的な検証が困難になり、結果として誤報の発見や訂正が遅れる可能性もあるのではないだろうか。事件などの防止にもならない。匿名化によって当事者の保護が図られる一方で、記録性が損なわれる危険性もある。

ちなみにThe New York Times、The Washington Post、BBC、The Guardianなどは、犯罪報道においては、被害者に配慮しながらも実名を報じるのが基本である。