2013年11月08日 (金曜日)

先月の31日に、喜田村洋一弁護士(自由人権協会代表理事)に対する弁護士懲戒請求の異議を日弁連に申し立てたところ、5日に同協会から審査の決定通知が届いた。全文は次の通りである。

■審査開始通知書=ここをクリック

この懲戒請求事件の原因は、読売(江崎法務室長を含む)が2008年から1年半の間に、わたしに対して3件の裁判(請求額は約8000万円)を提起したことである。このうち特に問題になっているのは、2008年2月に江崎法務室長が提起した著作権裁判である。

この裁判は、江崎氏がわたしに送付した催告書(わたしは、これを怪文書と主張)を新聞販売黒書(現・メディア黒書)に掲載したのに対して、江崎氏が削除を求めたものである。江崎氏の主張は、催告書は自分が作成した著作物であるから、わたしにそれを公表する権利はないというものだった。

ところが裁判所は、催告書の作成者は江崎氏ではなくて、喜田村弁護士か彼の事務所スタッフの可能性が極めて強いと認定して、江崎氏を敗訴させたのである。つまり催告書の作成者が江崎氏ではないわけだから、もともと江崎氏は自分の著作者人格権を根拠に裁判を起こす権利がなかったのだ。それにもかかわらず、あえて裁判を起こしたのである。

※著作者人格権は、他人に譲渡することはできない。

この裁判の代理人は喜田村弁護士だった。もちろん彼が、この「でっちあげ裁判」に加担していたことになる。そこで2010年2月に、著作権裁判の判決が最高裁で確定(これが懲戒請求の事由)したのを受けて、喜田村弁護士の懲戒請求に踏み切ったのである。

次に紹介するのは、喜田村弁護士が書いた著作権裁判の訴状である。インターネットでは初公開である。

■著作権裁判の訴状=ここをクリック

その他の資料:

(第2東京弁護士会への公開質問状=ここをクリック)

(第2東京弁護士会からの回答書=ここをクリック)  

(第2東京弁護士会が下した議決書=ここをクリック)

(著作権裁判・黒薮勝訴の弁護団声明=ここをクリック) 【重要】

懲戒請求は、著作権裁判の勝訴を根拠として提起したもの。

(著作権裁判・知財高裁判決=ここをクリック)【必読】

(黒薮側準備書面1=ここをクリック)【重要】

(参考・写真で見る「押し紙」回収現場=ここをクリック)???

2013年11月06日 (水曜日)

伊方原発訴訟の最高裁判決にかかわった調査官の氏名を開示するように求めた情報公開請求を最高裁が拒否したことは、既報した通りである。最高裁の通知は次の通りである。

(司法行政文書不開示通知書=クリック)

通知書の末尾に連絡先の電話が明記されているので、念のために最高裁に問い合わせてみた。問い合わせの趣旨は次の通りである。

問い合わせの趣旨:通知書の中に、「1、開示しないことにした行政文書の名称」とあるが、開示請求のフォーマットでは、「司法行政文書の名称」となっている。わたしがこの欄に記入したのは、行政文書の固有名詞ではない。行政文書の特定のしようがないので、次のように記入した。

 伊方原発訴訟[昭和60年(行ッ)133]にかかわった最高裁の調査官の全氏名。

 調査官の氏名が記されたなんらかの文書の開示を求めたのである。文書の名称を指定したわけではない。

 ところが通知書は、「開示しないことにした行政文書の名称」としたうえで、 不開示理由を次のように述べている。

 1の文書は存在しない。

? つまり「伊方原発訴訟[昭和60年(行ッ)133]にかかわった最高裁の調査官の全氏名」が行政文書の名称であり、それが存在しないから、開示しないと述べているのだ。

 本当にだれが伊方原発訴訟を担当したのか記録として残していないのか?

この質問に対して最高裁の職員は、行政文書には調査官の記録はないが、その他の文書には残っている可能性があると答えた。

「具体的には」

「裁判の記録です」

「それは一般に公開されていますか」

「探せば出てくるかも知れない」

結局、職員はどの文書に記録として調査官の氏名が残っているのかを把握していなかった。

これは恐ろしいことだ。だれが実際に伊方原発訴訟の判決を書いたのかを特定できないというのであるから、密室で判決内容を決めて、記録を破棄したということにならないだろうか。

わたしは自分が当事者になった最高裁の判決文を読み返してみた。この裁判は、2008年に読売が「新聞販売黒書(現・メディア黒書)」の記事で名誉を毀損されたとして、約2200万円の賠償を求めて、さいたま地裁へ提訴したものである。地裁と高裁は、わたしの勝訴。しかし、最高裁がわたしを敗訴させ、読売を逆転勝訴させることを決め、判決を高裁に差し戻した。

(対読売裁判の最高裁判決=ここをクリック)

これを受けて加藤新太郎裁判官が、110万円の支払いを命じた裁判である。

最高裁判決は次の通りであるが、どこにも調査官の氏名は記されていない。

形式的には4人の判事が判決を書いたことになっているが、その前段階でどの調査官がどのような検証をしたのかが、裁判の当事者にもまったっく分からないのだ。恐ろしい裁判制度というより言葉がない。

最高裁は裁判員制度の充実に熱心になっているが、改革の順番を間違っているのではないか?

2013年11月05日 (火曜日)

9月30日付けで最高裁に申し立てた情報公開に対して、10月28日付けで開示拒否の回答があった。

申し立ての内容は次の通りだった。

伊方原発訴訟[昭和60年(行ッ)133]にかかわった最高裁の調査官の全氏名。

最高裁が情報開示を拒否した理由は、調査官が誰だったかを示す司法行政文書が存在しないから、というものだった。回答書の全文は次の通りである。

(最高裁からの回答書=ここをクリック)

最高裁に上告(上告受理申立)される事件の件数は、年間で4000件を超える。当然、15人の最高裁判事だけでは、これらの事件を処理できない。

そこで登場するのが調査官と呼ばれる将来を嘱望されているエリート判事たちである。彼らが「影の判事」となって、上告された事件の処理に参加する。

当然、実質的に最高裁判決を下している「影の判事」の氏名を知りたいというのが国民感情である。裁判は公開で行うのが原則であるからだ。

日本国憲法も次のように述べている。

 第八十二条  裁判の対審及び判決は、公開法廷でこれを行ふ。

そこでわたしは福島第一原発の事故が起きたことで、事実により判決が間違っていたことが立証された伊方原発訴訟の最高裁判決にかかわった「影の判事」を知りたいと思った。間違った判決を下していなければ、福島第一原発の事故が発生しなかった可能性が高いからだ。

ところが伊方原発訴訟にかかわった調査官が誰かを示す司法行政文書は、存在しないとの回答があった。「影の判事」の名前が明記された別の書類が存在する可能性はあるが、少なくともそれが誰なのかは情報開示請求によっては開示されない。

ちなみにこの裁判を担当した元最高裁判事の味村治氏(故人)は、退官後、 原発炉メーカー・東芝に監査役として天下っている。

2013年11月01日 (金曜日)

10月31日に喜田村洋一自由人権協会代表理事に対する弁護士懲戒請求の申立を行った。申立理由書の草案は、本サイトで紹介したとおりだが、公式に日弁連に提出したものには、若干の修正を加えた。

■懲戒請求異議申立書の全文=ここをクリック

■証拠説明書=ここをクリック

最も大きな変更点は、排斥期間に関する記述を付け加えたことである。排斥期間とは、一定期間のうちに権利行使しなければ消滅する権利のことである。期間は3年。

問題になっている催告書(黒薮は怪文書と主張)を読売の江崎・法務室長が送り付けて来たのは、2007年12月21日。そして、わたしが懲戒請求を第2東京弁護士会に申し立てたのは、2011年1月31日である。従って懲戒請求を申し立ては時点で、3年の期間が過ぎている。

これを理由のひとつとして第2東京弁護士会の決議書(秋山清人弁護士が執筆)は、わたしの申し立てを退けている。

しかし、この催告書を執筆したのが喜田村弁護士か彼のスタッフであるという認定が最高裁で確定したのは、2010年2月である。この時点までは、喜田村氏が作者である可能性が高いという司法認定は決定していなかったのだ。

江崎氏も一貫して、催告書は自分が執筆したと主張してきた。

わたしが懲戒請求に踏み切ったのは、上記の判決が最高裁で確定したからである。それまでは江崎氏が作者であることが認められる可能性も残っていたのである。当然、この時点で喜田村氏の懲戒を求める根拠は存在しなかった。

と、なれば当然、懲戒事由が発生た起点は、判決が確定した2010年2月である。ところが第2東京弁護士会は、江崎氏が催告書(怪文書)を送付した2007年12月21日を懲戒事由が発生た起点にしているのだ。

改めて言うまでなく、2007年12月21日に催告書を送付した江崎氏は弁護士ではないので、弁護士懲戒請求の対象にすらならない。江崎氏ではなく、喜田村弁護士の行為を検証するのが懲戒請求を申し立てた目的である。

こんなことは法律の素人でも分かることではないだろうか?

◆排斥期間について  

?排斥期間についての修正・加筆箇所は次の部分である。

なお、排斥期間についての主張は、第二東京弁護士会へ提出した準備書面(3)でも展開しましたが、これに対する評価は議決書には書かれていません。そこで以下、準備書面(3)の該当部分を引用します。

「 対象弁護士は本件懲戒請求の申立の時期が、3年間の除斥期間を過ぎていることを理由に無効を主張している。確かに本件催告書の送付は平成19年12月21日で、本件懲戒請求を申し立てたのは、平成23年1月31日であるから、3年間の期間は過ぎている。      しかし、除斥期間の起点は、懲戒請求の事由が発生した時点である。    

 そこで起点がいつになるのかという点について検討する。      

 結論を先に言えば、懲戒請求の根拠となった事由は、本件著作権裁判の判決が最高裁で確定した平成21年12月である。最高裁が本件催告書の作成者を対象弁護士か彼の事務所スタッフの可能性が高いと認定したことが、懲戒請求の原因である。この点を最高裁が認定していなければ、本件懲戒請求を申し立てることはなかった。

? ちなみに最高裁の判例にも、除斥期間を延長した例がある。それはじん肺などで、病状が現れるまで潜伏期間が存在するケースである。 

   (筑豊炭田事件平成16.4.27最高裁三小判)??本件懲戒請求についても、原因の特定時期という観点からすれば事情は同じだ。本件催告書の本当の作成者が江崎氏ではないことが明    らかになったのは、本件著作権裁判の終盤である。従って、3年間を理由にした除斥対象にはならない。 さらに弁護士倫理という観点から考えても、本件懲戒請求申立を除斥の対象とする理由はない。と、いうのも弁護士倫理に「時効」は存在しないからだ。懲戒請求制度の目的そものもが、「一般にその組織が内部秩序、規律を維持するために、一定の義務違反に対し人的な制裁をその構成員に対して行う制度」(日弁連のホームページ)であるから、本件を検証するのは当然だ。」

この判例の他にも、次のような判例がある。「ウィクペディア」から引用しておこう。

※2004年(平成16年)4月27日最高裁第三小法廷判決、民集58巻4号1032頁 三井鉱山じん肺訴訟 ? 民法724条後段所定の除斥期間は,不法行為により発生する損害の性質上,加害行為が終了してから相当の期間が経過した後に損害が発生する場合には,当該損害の全部又は一部が発生した時から進行する。

※2004年(平成16年)10月15日最高裁第二小法廷判決、民集58巻7号1882頁 関西水俣病訴訟

水俣病による健康被害につき,患者が水俣湾周辺地域から転居した時点が加害行為の終了時であること,水俣病患者の中には潜伏期間のあるいわゆる遅発性水俣病が存在すること,遅発性水俣病の患者においては水俣病の原因となる魚介類の摂取を中止してから4年以内にその症状が客観的に現れることなど判示の事情の下では,上記転居から4年を経過した時が724条後段所定の除斥期間の起算点

※2006年(平成18年)6月16日最高裁第二小法廷判決、民集60巻5号1997頁 北海道B型肝炎訴訟

乳幼児期に受けた集団予防接種等によってB型肝炎ウイルスに感染しB型肝炎を発症したことによる損害につき、B型肝炎を発症した時が724条後段所定の除斥期間の起算点となるとされた事例

2013年10月28日 (月曜日)

次に紹介するのは、喜田村洋一弁護士(自由人権協会代表理事)に対する懲戒請求の異議申立の理由である。既に述べたように、第2東京弁護士会は、この案件については審査しないことを決めた。そこで日弁連に対して異議を申し立てることにして、次の草案を作成した。

数日中に日弁連へ提出の予定になっている。

異議申立の理由:

第二東京弁護士会が下した議決の誤りは次の「1」「2」に集約できます。「3」については、喜田村氏の行為が出版関係者にとっての命である言論表現の自由をいかに脅かしているかに関する記述です。この点についても参考にしてください。

貴協会には、弁護士活動が社会全体に及ぼす重大な影響を再認識した上で、公平な裁決を下していただくことを切望します。

1、議決書(秋山清人弁護士による執筆)が本件催告書のデタラメな内容そのものの検証を避けている問題

第二東京弁護士会が下した議決の第1の誤りは、懲戒対象になっている喜田村洋一弁護士の弁護士倫理を映している本件催告書の内容そのものに対する検証をまったく行っていない点にあります。

結論を先に言えば、第二東京弁護士会は、本件催告書の作成者が誰かという争点を、わたしと読売新聞社(江崎徹志法務室長個人も含む)の間で発生した4件の裁判の判決に基づくかたちで検証していますが、本件催告書に綴られた内容が、怪文書と受け取られても仕方がないデタラメな内容である事実については、まったく言及していません。

この点を無視することで、喜田村氏を懲戒請求から「救済」しています。

本件催告書の内容は周知のように、次に引用する読売・江崎徹志法務室長作成の文書(以下、本件回答書)が著作権法上の著作物に該当するので、本件回答書をウエブサイト「新聞販売黒書(現・MEDIA KOKUSYO)」から削除するように求めたものです。それに応じない場合は、刑事告訴も辞さないという脅迫めいたものでした。

前略? 読売新聞西部本社法務室長の江崎徹志です。

??? 2007年(平成19年)12月17日付け内容証明郵便の件で、訪店について回答いたします。?? 当社販売局として、通常の訪店です。

喜田村氏は、これが江崎氏個人の著作物であるから、わたしがウエブサイトにそれを掲載する権利はなく、削除しろと述べたわけですが、しかし、著作権法でいう著作物とは、次の定義に当てはまるものを指します。

思想又は感情を創作的に表現したものであつて、文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するものをいう。 ?

本件回答書は、著作権法でいう著作物には該当しません。

喜田村氏は、本件回答書が著作物に該当しないことを知っていました。それを立証する証拠としては、たとえば『佐野眞一が殺したジャーナリズム』(宝島社)に掲載された喜田村氏の「法律家がみた『佐野眞一盗用問題』の深刻さ」 と題する文章があります。この中で喜田村氏は、著作物を次のように定義しています。

したがって、著作権法との関係で盗作や盗用を考えるにあたっては、対象となる作品や文章が著作物にあたるかどうかが一番重要である。 ?  

その観点で、何が著作物かを上の要件に即して考えると、まず、著作物は「表現」でなければならないから、「思想、感情若しくはアイデア、事実若しくは事件など」で、表現でないものは、著作物になりえない。

??  たとえば、「○月○日、△△で、AがBに?と言った(AがBを手で殴りけがをさせた)」というような事実ないし事件そのものは、表現ではないから、著作権法の対象ではない。同様に、「ある事件についての見方」とか、「ある事件を報じるにあたっての方法」といったアイデアに属するものも、表現ではないから、著作権法の保護は受けられない。

?  また、創作性がなければならないから、ごく短い文章で、誰が書いても同じになるようなものであれば、これも著作物ではない(もっとも、短いからダメということではないのであり、たとえば俳句などは17音しかないが、それでも著作物に該当しうる)。 ?

喜田村氏は本件回答書が著作物ではないことを知っていながら、それが江崎氏の著作物であるからウエブサイトから削除するように本件催告書の中で自らの主張を展開したのです。しかも、それに応じない場合は、刑事告訴も辞さない旨を述べたのです。

たとえ第二東京弁護士会が判断したように、本件催告書の作成者が誰かを特定できないとしても、喜田村氏は本件著作権裁判で江崎の代理人を務めたわけですから、少なくとも本件催告書の内容を把握していたはずです。

弁護士職務基本規定の第75条は次のように述べています。

弁護士は、偽証若しくは虚偽の陳述をそそのかし、又は虚偽と知りながらその証拠を提出してはならない。

と、すれば本件催告書のテーマとなっている本件回答書が著作物に該当しないことを江崎氏に説明した上で、本件著作権裁判を提起しないようにアドバイスするのが、弁護士の当然の義務だったはずです。

それにもかかわらずあえて本件催告書を法廷に持ち込み、それを前提に東京地裁と知財高裁で、奇論ともとれる主張を展開しました。これは明らかに弁護士職務基本規定に違反しています。懲戒請求で審査対象になるのは当然です。

本来、催告書の目的は、意思を相手に伝達することですから、第2東京弁護士会は、催告書の著作物性など文章の形式を検証するよりも優先的に、本件催告書の中で喜田村氏が述べた内容が弁護士倫理に反しないかどうかを見極めなければならないはずです。怪文書をどう見るかを議論する際は、書かれた内容の検証が中心で、文章の形式は枝葉末節にほかなりません。

ところが第二東京弁護士会は、弁護士倫理を問う懲戒請求であるにもかかわらず、この点にふれていません。

繰り返しになりますが、本件催告書の中身は、本件回答書をめぐる係争について言及したものであり、本件著作権裁判でわたしの勝訴が確定する2010年2月まで、法廷で審理の対象になりました。わたしの弁護団も本件催告書の内容そのものを問題視しました。

第二東京弁護士会も認めたように、本件催告書の送付行為そのものは排斥期間を過ぎていますが、本件催告書をめぐる本件著作権裁判の審理は排斥期間を過ぎていません。事実、第二東京弁護士会は本件催告書をめぐる裁判の判決に基づいた決議を下しています。それゆえに、本件催告書の支離滅裂な内容だけが特別に検証対象から除外される理由もありません。

裁判判例の採用基準の不公平性について

第二東京弁護士会が下した議決の第2の誤りは、議決内容の根拠とした複数の裁判判例の採用基準が公平性を欠く点です。喜田村氏にとって好都合な判例の一部だけを恣意的に採用している点です。

第二東京弁護士会が根拠とした裁判の判例は次の通りです。

?仮処分申立事件(申立人・江崎。江崎の勝訴)、

?著作権裁判(原告・江崎。黒薮の完全勝訴)

?名誉毀損裁判1(原告・読売他。地裁、高裁で黒薮が勝訴。最高裁は読売を逆転勝訴させることを決め、判決を高裁へ差し戻した。)

?名誉毀損裁判2(原告・読売。読売の完全勝訴)

?損害賠償裁判(原告・黒薮。地裁、高裁で読売が勝訴。現在、最高裁で継続中)

このうちわたしが「不公平な扱い」と感じているのは、本件催告書の作成者は誰かという争点に対して、第二東京弁護士会が議決の根拠とした判例です。

この争点に対する判例は2件あります。わたしが勝訴した?本件著作権裁判の知財高裁(東京)? の判例(最高裁も認定)と、読売が勝訴(ただし、最高裁で継続中で判決は確定していない)した?本件損害賠償裁判の福岡高裁判決です。

?は被告であるわたしの完全勝訴で、喜田村氏か彼のスタッフが本件催告書の作成者である強い可能性を認定しました。最高裁もそれを追認しました。

一方、?は、被告の読売が地裁・高裁で勝訴して、現在は最高裁で継続している裁判です。この裁判の福岡高裁判決は、本件催告書の作成者について、喜田村氏とは特定できないと結論づけています。

つまり本件催告書の作成者は誰かという争点に対する本件著作権裁判と本件損害賠償裁判の判断は、異なる結論となったのです。

第二東京弁護士会が下した議決の最大の誤りは、争点が著作権にかかわる事柄であるにもかかわらず、最高裁が認定した本件著作権裁判の判例は完全に無視して、現在も継続中で読売が地裁・高裁で勝訴した本件損害賠償裁判の判例を根拠に、喜田村氏を懲戒請求から「救済」したことです。

最高裁で確定した判例よりも、審理中の判例を優先したのです。あるいは著作権問題にもかかわらず、著作権裁判の判例よりも損害賠償裁判の判例を優先したのです。 ? 「喜田村救済」という決論を先に立てて、検証したからではないでしょうか。

なお、第二東京弁護士会が議決の根拠とした本件損害賠償裁判は、審理の過程で司法制度の信頼にかかわる極めて不自然な展開を見せました。たとえば福岡地裁の段階で、裁判長の交代があり、新たに就任した田中哲朗裁判長(現・福岡高裁宮崎支部)は、わたしの本人尋問の実施を拒否しました。陳述書の受け取りも、弁護団から厳しい抗議が行われるまで拒否し続けました。

ちなみに田中裁判長は、ほぼ同じ時期に進行していた別の読売関連の裁判(平山裁判)にもかかわっていました。平山裁判は、読売新聞販売店の元店主が起こした地位保全裁判です。仮処分の申し立て裁判の第1審では元店主が勝訴したものの、第2審では田中裁判長がそれを覆す判決を下しました。

田中氏は、平山裁判の本訴でも裁判長に就任し、読売を勝訴させました。 ? その田中裁判長が、本件損害賠償裁判の裁判長として新たに就任した時点から、わたしの支援者の間からは、公平な裁判に対する疑念の声が上がっていました。事実、既に述べたように、わたしの本人尋問も、陳述書の受け取りも拒否したのです。

第二東京弁護士会が本件懲戒請求事件における議決の根拠とした本件損倍賠償裁判の判決は、この田中裁判長が執筆したものを、福岡高裁の木村元昭裁判長(現・福岡家裁)が追認したものに過ぎません。

しかも、木村元昭裁判長についても、審理の公平性に疑問があります。木村氏は、本件損害賠償裁判の他にも読売関連の裁判を担当した経緯があり、その中で複数の疑問が浮上しています。

田中、木村両裁判官に対する批判は自著『新聞の危機と偽装部数』(花伝社)の中で、詳細に展開しているので、証拠として同著を提出します。

貴協会には、第二東京弁護士会が議決の根拠とした本件損害賠償裁判の判決が本当に公平なものかどうかを、弁護士の立場から慎重に検証した上で、結論を出していただくことを希望します。

、読売関連の訴訟と弁護士活動

言論表現の自由に対する負の影響  喜田村氏が代理人を務めた本件著作権裁判、本件名誉毀損裁判1、本件名誉毀損裁判2、さらには清武裁判、七つ森書館裁判、平山裁判、真村裁判などの読売関連の裁判が出版人の命である言論表現の自由に及ぼした負の影響については別途、準備書面で明らかにします。このうちわたしが当事者となった3件の裁判についての概要は次のとおりです。

?本件著作権裁判の影響 ? わたしがもし敗訴していたら、報道の際に重要文書(怪文書も含む)を全面公開できなくなる判例が生まれていた。

?本件著作権裁判1の影響 ? 重要な文章表現のひとつであるメタファー(隠喩)の使用が名誉毀損に該当する判例が生まれた。

?本件著作権裁判2の影響 ? 重大な社会問題(「押し紙」)が水面下で進行している事実があっても、100%の裏付けがなければ報じてはいけないという判例が生まれた。

このうち?本件著作権裁判は、知財高裁の判断によると、もともと提訴する権利がなかったわけですから、裁判制度を悪用した言論弾圧にほかなりません。 これではジャーナリズムが殺されてしまいます。司法界の腐敗を象徴する現象です。

貴協会が、公正中立な立場で裁決を下されることを切望します。

参考資料:

(第2東京弁護士会への公開質問状=ここをクリック)

(第2東京弁護士会からの回答書=ここをクリック)  

(第2東京弁護士会が下した議決書=ここをクリック)

(著作権裁判・黒薮勝訴の弁護団声明=ここをクリック) 【重要】

懲戒請求は、著作権裁判の勝訴を根拠として提起したもの。

(著作権裁判・知財高裁判決=ここをクリック)【必読】

(黒薮側準備書面1=ここをクリック)【重要】

(参考・写真で見る「押し紙」回収現場=ここをクリック)???

2013年10月24日 (木曜日)

海老名市の基地局問題で、不明だった基地局の持ち主会社が分かった。

海老名市の住民グループ「携帯基地局による健康被害を考える会」が、電磁波の影響で体調を崩しているAさん(女性)宅の庭先にある携帯基地局の所有会社を市当局に問あわせていたところ、回答があった。

それによると基地局はもともと(株)YOZANの所有だったが、2006年 に倒産して、その後は使用されていないとのことだった。稼働開始は1997年6月である。ただしこれは別会社だったという。

つまりAさんは、少なくとも1997年から2006年までの9年間、基地局の電波を浴び続けたことになる。

なお、わたしが(株)YOZANについて、調べたところ、ウィキペディアに「2008年3月1日に、ソフトバンクテレコムへ事業譲渡された」という記述があった。

現在は使われていないという市の説明であるが、アンテナとケーブルは繋がっている。使われていないというのであれば、すぐにでも撤去すべきだろう。

ちなみに基地局のアンテナが立っている電柱の地権者は、海老名市である。

2013年10月22日 (火曜日)

9月30日付けで、最高裁に対して、次2件について情報公開を請求した。 請求からまもなく1ヶ月になるので、なんからの回答があると思う。

情報公開1:最高裁の調査官のリスト (2011年度、2012年度、2013年度)??

情報公開2:伊方原発訴訟[昭和60(行ッ)133]にかかわった最高裁の調査官の全氏名?????

「最高裁判所における訴訟事件の概況」によると、最高裁に上告(上告受理申し立てを含む)される事件の件数は、2010年度の場合、4521件にもなるという。

この数字を知って、読者はこんな疑問をいだくに違いない。15人の最高裁判事は本当にすべての事件に関する書面に目を通しているのか?

当然、不可能である。と、すればどのように事件を処理しているのだろうか。

最高裁には調査官と呼ばれる司法関係者がいる。この人たちが、資料の読んで、処理方法を決めているらしい。

このようなシステムでは、上告の意味がない。事実、明らかな間違いと思われる最高裁判決があとを絶たない。その代表格が「押し紙」、携帯電磁波、原発に関連した判決である。

伊方原発訴訟は、「伊方原発の安全性をめぐって争われ、建設に反対する住民側の敗訴に終わった行政訴訟。 日本初の科学訴訟といわれ、原発のメルトダウンについて初めて触れた訴訟である。」(ウキペディア)

この裁判の最高裁判決が完全に間違っていたことは、福島第一原発の事故により、事実で立証された。そこでこの裁判にかかわった調査官の名前を明らかにするように、最高裁に求めたのである。

また、2011年度、2012年度、2013年度の調査官リストを求めたのは、「押し紙」と携帯電磁波の裁判における調査官のかかわりを取材するのが目的である。

2013年10月17日 (木曜日)

喜田村洋一弁護士(自由人権協会・代表理事)に対する懲戒請求事件の議決書の関連して、第2東京弁護士会へ送付した公開質問状の回答が、17日に届いたので公表する。

(回答書=ここをクリック)  

(公開質問状=ここをクリック)

(議決書=ここをクリック)

(著作権裁判・黒薮勝訴の弁護団声明=ここをクリック) 【重要】

懲戒請求は、著作権裁判の勝訴を根拠として提起したもの。

(著作権裁判・知財高裁判決=ここをクリック)【必読】

(黒薮側準備書面1=ここをクリック)【重要】?

(参考・写真で見る「押し紙」回収現場=ここをクリック)???

2013年10月16日 (水曜日)

喜田村洋一・自由人権協会代表理事に対する弁護士懲戒請求の裁決が9月4日にわたしの手元に届いた。(ただし裁決日は、5月2日)。結果は、既報したように、喜田村氏に対する事案の審査を懲戒委員会に求めないというものだった。つまり第2東京弁護士会は、喜田村氏がやったことは、弁護士として何の問題もないと判断したのだ。

議決の全文は次の通りである。執筆者は、秋山清人弁護士である。

(議決書の全文=ここをクリック)

また、この議決書に対して、わたしが第2東京弁護士会の山岸良太会長らに送付した公開質問状は次の通りである。

(公開質問状の全文=ここをクリック

公開質問状に対する回答はなかった。公人であるにもかかわらず、なさけない限りである。

わたしが喜田村氏の懲戒請求を第2東京弁護士会へ求めた理由を再度、整理してみよう。

◇弁護士懲戒事件の経緯 ?

この事件の根底には、「押し紙(新聞の偽装部数)」など、新聞販売問題がある。

発端は、古く2002年までさかのぼる。この年、YC広川の真村久三店主が読売から商契約の解除を通告されたことを受けて、読売新聞社を相手に地位保全裁判を起こした。 裁判は高裁から最高裁まで真村氏の勝訴だった。

裁判が進行していた時期、読売はYC広川を「飼い殺し」にしていた。しかし、敗訴が濃厚になると、それまでの政策を改めざるを得なくなった。そこで係争中に中止していた担当員による訪店を再開する旨を真村氏に知らせた。

真村氏が弁護士に読売の真意を確認してもらったところ、次のメールが弁護士事務所へ送られてきた。

前略 読売新聞西部本社法務室長の江崎徹志です。 ?2007年(平成19年)12月17日付け内容証明郵便の件で、訪店について回答いたします。 当社販売局として、通常の訪店です。 ?以上、ご連絡申し上げます。よろしくお願いいたします。

わたしはこの回答書を新聞販売黒書に掲載した。すると江崎氏がEメールで回答書の削除を求める内容の催告書を送付してきた。

そこで今度は、その催告書を新聞販売黒書に掲載した。これに対して江崎氏は、催告書は自分で作成した著作物であるから、削除するように求めて、東京地裁へ仮処分命令を申し立てた。

判決は、江崎氏に軍配が上がった。 そこでわたしは本訴で争うことにした。

2009年3月30日に言い渡された判決は、わたしの勝訴だった。さらに東京地裁は重大な事実認定を行った。提訴の根拠は、催告書が江崎氏が書いた著作物であるから削除すべきだというものだったが、催告書の作成者を江崎氏の代理人である喜田村洋一弁護士か彼の事務所スタッフの可能性が高いと認定したのである。

つまり喜田村弁護士が催告書を作成したにもかかわらず、催告書の名義を江崎氏に偽って提訴に及んだのである。

もともと催告書の作成者ではない江崎氏には、裁判を起こす権利がないのに裁判を起こしたのである。そこで催告書を作成して、でっち上げ裁判を幇助した可能性を認定された喜田村弁護士に対して懲戒請求を申し立てたのである。

このような行為は弁護士職務基本規定75条の次の条文に抵触するというのがわたしの主張である。

【75条】弁護士は、偽証若しくは虚偽の陳述をそそのかし、又は虚偽と知りながらその証拠を提出してはならない。

ちなみに知財高裁は、喜田村氏の行為を次のように認定している。

【最重要】知財高裁の認定部分=ここをクリック

法律関係者のみな様は、この事件をどう解釈されるだろうか。わたしは日本の司法制度の信頼を著しく失墜させたあるまじき行為だと思うのだが。どう考えても、懲戒対象になると思うが。

◇その他の参考資料

著作権裁判の勝訴に際して発表された弁護団声明【懲戒請求の原因となった著作権裁判についての説明】

黒薮の懲戒請求申立書

黒薮の準備書面(1)【重要】

写真で見る「押し紙(偽装部数)」の実態

2013年10月16日 (水曜日)

先週、海老名市の携帯基地局問題を取材した。取材に応じてくれたのは、「携帯基地局による健康被害を考える会」のメンバー4人だった。電磁波による被害に苦しむAさん(女性)から、被害の実態を聞いた。

Aさんは退職後、自宅の玄関から4メートルのところにある電柱の上に設置されたU字型の携帯アンテナから放出されるマイクロ波を、ジャワーのように、浴び続けてきた。玄関さきの庭に立つと、ほぼ真上からマイクロ波を放射されるかたちになる。そこで延々と趣味のガーディ二ングをする日々を送っていたのだ。

しかし、驚くべきことに基地局は稼働していないと説明を受けていた。そのために自宅直近の基地局から放射される電磁波に対する対策は取れず、体調不良を重症化させてしまったのである。

この電話会社の名前は、現在、調査中である。わたし個人としては、刑事告訴してもいいのではないかと考えている。

Aさんの日誌によると、体に異変が起こったのは、2011年5月27日だった。

趣味のガーディニングをしいる時に、右耳に「ぶあん?ぶあん?」という奇妙な感覚を覚えた。最初の頭鳴だった。しかし、電磁波による影響を疑うことはなかった。

この日を皮切りに、Aさんはたびたび同じ感覚に見舞われるようになった。

6月29日の夜、NHK番組・「歴史秘話ヒストリア金閣寺と銀閣寺」を見ているとき、「じーん」というセミの鳴き声が伝わってきた。最初は、番組の音響演出だと思ったという。ところが番組が終わっても、セミの鳴き声はやまない。

7月1日には、「じーん」という音や「ぶあんー」という音響だけではなくて、目覚まし時計の音も聞こえた。

体の異変を察したAさんは海老名市の病院を受診した。しかし、医者に電磁波過敏症の知識はなく、ビタミンB2を飲むようにアドバイスした。

医師の指示に従ったがまったく効果はなかった。

次にインターネットで探した横浜市の病院へ足を運んだ。しかし、やはり診断はつかず、医者は、

「気長になおしなさい。なれるより仕方がない」

と、アドバイスしただけだった。

その後、Aさんは精神錯乱を体験することもあったという。

◇原発の被害と電磁波の被害は類似している

ちなみに電磁波による健康被害は、頭鳴や耳鳴りを皮切りに、さまざまなものが報告されている。精神錯乱については、これまでの取材の中で、3件の顕著なケースを確認している。従って決して、Aさんの場合も、思い込みではない。客観的に神経が障害を受けていた可能性が高い。

たとえば兵庫県の川西市の基地局問題を取材した時、ある主婦から、基地局が稼働し始めた後、中学生だった娘さんの情緒がおかしくなったという証言を得たことがある。拙著『あぶない!あなたのそばの携帯基地局』(花伝社)から、彼女の証言を引用しておこう。

最初、わたしは思春期か受験が原因に違いないと思いました。しかし、口論の末に泣きじゃくるなど、明らかに正常の域を超えていました。どこか異様なものを感じましたね。幸いに、娘は高校には合格しましたが、体調不良で起きられなくなりました。遅刻と欠席が重なって、進級が危うくなったほどです。

ちなみに原発の放射線による影響と、広義の電磁波(マイクロ波)の影響が類似していることを懸念する声も広がっている。次に示すのは、『チェルノブイリ被害の全貌』(アレクセイ・V・ヤブロコフ他 岩波書店)に収録されている「チェルノブイリ大惨事後に見られたがん以外の各種疾患」と題する論文である。がん以外の被害の実態を次のように要約している。

 ???(略)脳の損傷がリクビダートル(事故処理作業員)や汚染地域の住民とその子どもたちなど、放射線に直接さらされた人びとに見られた。若年性白内障、歯と口の異常、血液、リンパ、心臓、肺、消化器、泌尿器、骨および皮膚の疾患によって、人々は老若を問わず苦しめられ、健康を損なわれている。内分泌系の機能障害、とりわけ甲状腺疾患の広がりは予想をはるかに超え、甲状腺がんが1例あれば甲状腺の機能障害は約1000例あるというほど、大惨事後に著しく増加している。

遺伝的損傷と先天性異常が、特にリクビダートルの子どもや、放射性同位体によって高濃度に汚染された地域で生まれた子どもに認められる。免疫異常と、ウィルス、細菌、および寄生虫による疾患が、重度汚染地域に蔓延している。チェルノブイリ事故によって放出された放射線に被曝した人びとの総罹患率は、20年以上にわたり依然として高い。???

 これの症状の幾つかは、電磁波の影響によって生じた健康被害と共通している。

?◇ ウソが当たり前に、基地局は稼働していた

Aさんは体不調の原因を探りながら、試行錯誤する日々を送ってきた。ある時、Aさんは自宅のすぐそばにある電柱にさまざまな機械類が設置してあるのに注意した。以前から、円筒形の巨大なトランスや角形の機械など多種多様な装置が取り付けてあったが、これまでは特に注意を払うこともなかった。電柱の上には、フォーク型のアンテナも立っていた。

よくにた形状のアンテナは、自宅から100メートルの地点にもあった。「携帯基地局による健康被害を考える会」が撤去を求めているアンテナである。

Aさんはこの住民グループが配布したチラシを思い出した。幸いにそのチラシを保管していたので、取り出して読み返してみた。チラシには、自分が体験しているのと同じ症状が紹介されていた。

その後、Aさんも住民運動に参加するようになる。しかし、自分の体調不良は、100メートル先の基地局と、電柱のトランス、送電線が原因であると考え、直近の基地局には注意を払わなかつた。稼働していないと知らされていたからだ。

問題になった電柱については、住民グループからの要請を受けて、機械類を設置した会社が個別に説明に訪れたという。

繰り返しになるが、電柱の頂上に設置されたフォーク型のアンテナについては、ケーブルが切断させて稼働していないという説明を受けたという。

実際、ケーブルが切断されている状況を、住民グループが目撃している。(現在、住民グループが携帯電話会社を公式に特定する作業中)

ところがAさんから話を聞いたあと、わたしが現場を視察したころ、驚くべき事実が明らかになった。実際には、ケーブルが繋がっていたのだ。

「確かに切断されていました」

「みんなでそれを確認しました」

住民たちも驚き、怒りを現わにした。  つまりだれかが住民に知らせないままケーブルをつないで、基地局を稼働させていたのだ。Aさんは、それを知らされないまま、電柱の真下でガーディニングをするたびに、延々とマイクロ波を浴び続けていたのである。

もちろん自宅にもマイクロ波が入り込み、四六時中、被曝していた可能性が高い。

なお、この地区では、問題になっている持ち主不明の基地局近辺を中心に複数の住民が健康被害を訴えている。シールドで電磁波対策を取っている人もいる。

U型アンテナの下では、たとえば福島県木曽町で、奇形植物が群生した事実がある。また、長野県坂城町では、同じくU字型の半径100メートル以内で、癌が3件、白血病1件、精神錯乱、脳卒中などを確認している。

このアンテナは従来は、PHSのもので、電波も微弱と聞いていた。が、被害が出ていることは、事実である。ジャーナリズムでは、事実が理論に優先する。今後、原因を調査する必要がある。

◇空前の内部留保・4兆7250億円  

このところ電力会社と電話会社は、空前の利益を出している。NTTドコモの内部留保は、日本で3位。4兆7250億円に達している。

ちなみに2011年3月期の内部留保ランキングは、

1/トヨタ自動車/13兆8630億円

2/本田技研工業/7兆7826億円

3/NTTドコモ/4兆7250億円

4/キヤノン/4兆3141億円

5/パナソニック/4兆1662億円

6/日産自動車/4兆24億円

7/三菱商事/3兆4946億円

8/東京電力/3兆2652億円

9/ソニー/3兆876億円

10/関西電力/2兆4595億円

それにしても海老名市で、どの電話会社がこのような策略をめぐらしたのだろう。総務省に対して、情報公開の請求すべきだろう。人命にかかわる情報は、国のセキュウリーよりも優勢されなければならない。公開を拒否した場合は、それ自体を問題視して、情報を拡散すべきだろう。

2013年10月11日 (金曜日)

◆吉竹幸則(フリージャーナリスト・元朝日新聞記者)

名古屋編集局では、部長会を開き、その日の紙面について評価・検討するのが日課です。内容は、「部長会行政」という表題で、支局にもファクスで流れます。

ある日の部長会で「河口堰に反対しているのは他地区の外人部隊ばかりだ」と、部長が発言しているのが目にとまりました。同じ日の別の項目では、名古屋社会部が実施した独自の地域世論調査を、「地域の声が分かる」と部長は自画自賛していました。

しかし、以前に行った中部地区住民を対象にした同じような地域世論調査では、河口堰反対の方が多いという結果が出ていたことを私は知っていました。私は「あなたが重要性を指摘した地域世論調査では、この地域の住民は、河口堰に反対の方が多い。『堰反対は外人部隊ばかり』という発言は事実と違うのではないですか。相反する発言を、同じ日の部長会でするのはおかしい。もう一度、私の取材内容を検証すればどうか」と、支局から電話で指摘をし、河口堰問題を話すきっかけにしたのです。

でも、部長の答えは予想通りです。「豊田のおめぃに、河口堰は関係ないだろ」との怒鳴り声が返ってきました。私が「私に河口堰報道をさせないための豊田転勤だったのですね」と尋ねると、「うるせぇ」と電話は音を立てて切れました。

◇「俺の悪口を書ける週刊紙の記者なんか、いねぇ」  

このあと、名古屋本社に出掛けた時のことです。廊下ですれ違った部長は私を呼び止めました。暗い隅に私を連れ込むと、経営幹部の人物の実名を挙げ、「俺はその人から、名古屋の編集局長を約束されている。おめぃみたいな名古屋の奴は、まともに生きられないようにしてやるからな」と脅したのです。

私はこの程度のことではもちろんひるみません。「これでは、編集局長になる前に週刊誌沙汰になるのでは…」と、反論。すると「フン。俺は週刊誌の記者はよく知っている。俺の悪口を書ける週刊紙の記者なんか、いねぇ」と気色ばみました。「週刊誌の記者をよく知っているとは、どういうことですか」と聞くと、また「うるせぇ」と言って去って行きました。

この時、部長が「編集局長を約束した」として口にしたのは、私が予想していた通りの経営幹部の名前でした。私の直訴に部長は焦り、ついに後ろ盾の人物の実名をその口で、直接喋ったのです。これは、何よりの収穫でした。

部長がウソをついていない限り、将来の名古屋編集局トップ人事を「約束する」くらいだから、部長がこの人物と「急接近している」との社内のウワサも本当だったのかも知れません。

この経営幹部は、名古屋本社の社会部長、編集局次長、局長、代表も歴任。名古屋を去った後も、名古屋編集局人事に隠然たる力を持ち、遠隔操縦しているというのが、社内の大方の見方でした。社内で理不尽なことが起きると、必ずと言っていいほど、その影がちらついて見えたのも、以前に書いた通りです。

私の体験上も、この二人が本当に結びついているなら、何でもありだとは思っていました。他にこんな露骨な報道弾圧に手を染めそうな人物は、少なくとも私の体験からは社内で見当たらなかったからです。でも、雲の上の話です。私には何の確証も取りようがありません。河口堰報道弾圧の背後に、この幹部がいたと断定するつもりは毛頭ありません。

ただ、キャリアの東京本社両部長が、ノンキャリアの部長を、なぜ、ここまで恐れ、言いなりになったのか。朝日の社内力学を考えると、部長のこの言葉で、すべての辻褄が合ったことだけは確かだったのです。

◇系列テレビ局へ天下り

その後、ある日突然に部長から社会部会開催の通知が豊田支局にも届きました。名古屋社会部は、愛知、三重、岐阜の3県の地方支局も管轄です。部会開催は、三県の記者を名古屋まで呼び出すことになり、費用もかかれば、がら空きになったところで、大事件でも起きたら大変なことになります。部会の招集は、人事の発令とか、選挙実務の徹底など、必要不可欠な時に限られています。

私は「人事も選挙もないこの時期に部会を開くのは何故だろう。よほど大きな不祥事でもあり、注意喚起でもするつもりなのか」と首を傾げつつ、仕事を早々と済ませ、名古屋に出掛けました。しかし実は、その日は、この経営幹部が系列在京テレビ局幹部に栄進することになり、名古屋本社でもこの幹部を囲んで送別会を催すことになっていたのです。

テレビ局は、斜陽の新聞産業に比べ、給与水準も高く、定年間際になると多く朝日幹部は系列テレビ局に天下りしたがります。この経営幹部は将来の社長含みの転進です。そうなると、朝日本体の社長に続く朝日グループナンバー2。当然、朝日幹部のテレビ局への天下りを左右する立場になり、朝日本体へも強い影響力を、今後も持ち続けることになります。

案の定、部会はほとんど議題らしい議題もなく、最後に送別会への参加を促されただけで終わりました。名古屋社会部が長かった私でも、こんな部会招集を経験したのは、後にも先にもこの1回きりでした。組織の私物化そのもののこんな送別会に出るのは馬鹿馬鹿しい限りです。もちろん私は、送別会には参加せず、そのまま豊田に戻りました。

◇サンゴ事件からリクルート事件へ

この経営幹部は、部長同様、朝日社内では毀誉褒貶の激しい人物でした。何より、今でも朝日最大の不祥事の一つして語り草のサンゴ事件当時の東京編集局長、つまりこの事件の最大の当事者の一人だったのです。

サンゴ事件と言っても、古い話でもう記憶にない方も多いと思います。1989年、サンゴがダイバーによって傷つけられているという写真を撮りたいばかりに、東京本社のカメラマン自らがサンゴに傷つけたのが発端です。

もともと遠く沖縄まで写真を撮りに来たのに、何も撮れずに帰れないというカメラマンの出来心が発端です。許されることではありません。でもそれ以上に、この訴えを現地沖縄のダイバーから受けながら、朝日はうやむやで済まそうとしたのではないかという点が、世間から強く批判され、問題を大きくしました。

朝日は社長辞任で収めました。しかし、社内では、この対応を直接指揮した当時の東京編集局長、つまり、この経営幹部の責任が一番重く、社長と一緒に辞めるべきでは、との不満が渦巻いていたのです。だが、編集局長の地位は退いたものの幹部は、取締役に居座り、ますます権勢を強めていったのです。後から考えると、徐々に衰退していた社内モラルが急速に壊れてしまったのは、この時です。

朝日の中でこの幹部を批判する勢力がなかった訳ではありません。しかし、その急先鋒で、発言力もある社外にも有名なベテランのスター記者や、部下の信望も厚く、代わるべき「社会部出身のエース」と言われた人物ら3人が、不思議なことにリクルート社長から接待を受けていたという週刊誌報道で、次々失脚していったことも、この幹部が居座れる環境を作りました。

この部長が記者時代、リクルート事件報道の立役者だったことは、前にもこの欄で書きましたが、リクルート社長の接待リストを手に入れ、小出しに続報記事にしていると、当時、社内のもっぱらのウワサでした。しかし、リストの全容は、この人物以外、知る者はいません。

「リストには朝日関係者も、数人以上はいる」「いや数十人だ」などと取り沙汰され、この人物がいつ全容を暴露するか、社内は疑心暗鬼、戦々恐々にもなっていました。

◇ブラック・ジャーナリズムの噂

このことがこの人物を社内でアンタッチャブルにする一つの原因でもあったのですが、部長自ら私に語った通り、週刊誌記者と親しいことも、社内では多くの人間は知っていました。この3人に限っての週刊誌報道は、単なる偶然なのか。それとも、部長の何らかの意図・関与によるものか。週刊誌にも取材源の秘匿があります。社内で真相の分かる人は、私も含めて皆無だったはずです。

ただ、「なぜ、幹部と敵対するこの3人だけが……」との詮索が流れるだけで、後ろ盾が意識され、部長は、ますますアンタッチャブルになりました。居座った幹部は権勢を強め、仕事の実績より、上司のお気に入りが出世する派閥人事がはびこって行きました。

「報道の使命・責務」などという言葉は、建前論で語られても、この頃から本気で記者が口にすると、鼻でせせら笑われる風潮が強まったのです。記者は報道に真剣になるより、上司の顔色をうかがうことが多くなりました。何を言われようと居座り、社内権力を握った方が勝ち。「職業倫理」という歯止めをなくし、力の論理が横行。やがて、朝日がサラ金から、訳の分からない大金を受け取る武富士問題も起きた遠因を探れば、この頃にあったと私は考えています。

いずれにしても。サンゴ事件は、朝日を浄化するより、モラルハザードを加速させ、少しずつ腐敗していた組織が一気に堕落するきっかけになったのは確かです。

そんなこんなで無駄な時間を過ごすうち、もう師走です。私の「豊田は長くて1年」という約束も過ぎようとしていました。堰の工事は大詰めを迎え、反対運動している住民は、ハンストで最後の抵抗をしていました。私も呼応して編集局長室の前で、ハンストに入ろうかとも考えました。しかし、情けないことにその勇気が出ませんでした。

その頃、局長が大阪の編集局長に異動するとの情報が、私の耳にも入ってきたのです。局長には、指示に従い、デスクや部長に説得した結果も伝えていました。でも、なしのつぶて。もう何を言っても無駄だということは、当然、私も分かっていました。

◇リクルート事件の立役者が記事を止めた理由

しかし、記者なら、あとで「言った」「言わない」は愚の骨頂です。これまで局長に言い続けたことを後々の証拠にするためにも、文章にして残して置く必要があると、考えました。私は、局長宛に長文の「長良川河口堰について」という文書を送りました。

それでも、仮にも局長宛の手紙です。「失礼の段があれば、お許しください」と、出来るだけ丁寧な言葉で始めたつもりです。「あれも書きたい」「これも言っておかなければ」と思ううち、45頁の長文になりました。

「『環境』を一つのテーマにすることを公約した朝日新聞が、『取材した事実』を報道しないことがあるなら、将来に大きな禍根を残す」として、何を報道すべきか、私が取材した経過、集めた証拠資料、建設省の言い訳のカラクリなど、こと細かく書き連ね、報道開始を促しました。

堰建設が「地域に与える影響」として、環境問題に限らず、建設費負担で地域財政を圧迫、水道料金も大幅値上げになること。「堰と政治・行政改革」として、55年体制を維持する政治資金供給のため、必然として生まれた「無駄な公共工事」、政・官・業の癒着が、いかに今日では政治と行政の歪み、腐敗を生み、国民負担の増大に繋がっているかも、政治記者の経験も踏まえて指摘したつもりです。

バブル崩壊の兆しが見えていました。このまま税金を垂れ流し、高齢化社会を迎えたら、この国はどうなるのか。どうしてもそこだけは、訴えざるを得ません。「公費天国」「談合」報道に取り組んだ部長が、腐敗の源泉、本丸の「無駄な公共事業」を前に、何故、記事を止める側に回るのか。調査を強く促しました。

もちろん、以前のこの局長の言葉通り、「直訴する時は、首をかけて」も当然の話です。私はこの直訴文とともに、辞表も一緒に書き、自分の机の下に忍ばせました。本来なら「一身上の都合により」と書くべきところ、「河口堰報道弾圧に抗議して」と、はっきり書いて置きました。

もっとも、何を書いても、局長は何の返事もしてこないだろうと、思っていました。ところが、年末ぎりぎりになって、局長から私宛の手紙が支局に届いたのです。しかし、文面を見て、私は愕然とするしかありませんでした。

手紙は、「長文のメモを受け取りました。局長として後任に引き継ぐ筋合いのものではないと判断するので、以下、個人からの貴兄への私信として、受け取ってください」から始まっていました。しかし、私が編集局長という「公人」に送った文書です。返事も「私信」であろうはずはありません。

「報道の自由」という公益性に関する話でもあります。手紙の文面は、私が後に朝日相手の裁判で証拠としても提出しており、以前の本欄「言行一致で表現・報道の自由を守る覚悟を 、5・3の憲法記念日に複雑な思い」で取り上げました。

立派なご託宣を社会・読者に垂れている新聞の編集局長のことです。さも部下の記者にも立派な文章を書いて来ると、本欄の読者の皆さんも思われているかも知れません。お読みになっていない読者のために、もう一度再録しておきましょう。

◇「もう一度忠告したい・・・」

「読ませてもらって、もう一度忠告したい。第一に貴兄の目的は何なのか。掘り起こしたデータを紙面化することにあるなら、特定の人間を批判することが目的と受け取られるような拙劣な手紙を軽率に送らない方がいい。

第二に、掘り起こしたデータを生かしたいなら、何度も言うようだが、出稿部の中で、正規のルートで上げていくべきだ。貴兄は、取材資料をもとに、社会部デスク1人ひとりに説明し、紙面化への努力をアピールしたか。1年半か2年前、貴兄の素材は一度デスクレベルで、検討されたと聞いている。それから長い時間がたった。データは今でも使えるのか。当時出たとされる疑問点をクリアするような、補強データを新たにつかんでいるのか。

もし建設省が全面否定するような場合は、どうするのか。どうできるのか――こういった点をひとつひとつデスク諸公(1人のデスクが否定的なら、他のデスクというように)に根気よく、話してみたか。小生には貴兄がそうしたとは、とても思えない。出稿母体での手順を踏んだ論議を飛び越えて、局長室が采配を振うことがよいこととは、小生は思わない。

第3に、状況認識について、思い詰めたり、焦ったりしてはいけない。新聞記者は冷静でなければいけない。小生は名古屋に来る前にも、『討論のひろば』特集などを読んでいたし、来てからも社説等も調べた。その後の紙面切り抜きをみても、名古屋・社会部が全体として、報道姿勢を180度転換したとは、とても思えない。にも拘わらず、工事が進行しているのは、建設省が強行しているからであって、朝日新聞が弱腰だからというのは論外であり、そんな風に絡めて考えることが間違っている。

貴兄のつかんでいるデータがすごいものなら、必ず陽の目は見るだろう。そうなりにくいなら、まだデータとして弱いからで、さらに努力して補強する気持ちが湧いてくるだろう。

繰り返す。他人の中傷と受け取られかねない長大の゛やけっぱち゛文書をつくる暇があるなら、貴兄の取材資料一点にしぼって、デスク1人ひとりに話し合うことが最善ではないのか。貴兄と名古屋社会部のために、そうすることを要望します。 ご健闘を祈る」

◇朝日は「報道の自由を守る」と繰り返すが

何が「ご健闘を祈る」だ。何より私の策略にまんまとはまり、証拠に残る直筆の「やけっぱち」「拙劣」な手紙を送ってくる編集局長の「軽率さ」に驚きましたが、この文面に対する私のコメントは、先に取り上げた本欄に書いた通りです。しつこいと思われてはいけませんので、ここでは再録しません。お読みになっておられない方は、ぜひ、先の本欄をご覧ください。

私自身、辞表を書いてはみたものの恥ずかしながら、「記者」という職業に未練があったこともありましたが、とにもかくにも馬鹿馬鹿しくて、この文面を読んで、とてもじゃないですが、用意していた辞表を編集局長に叩きつける気さえ起きませんでした。

その後も、本欄で後々書くいくつかの場面で、直訴文と一緒にこの手紙を世間に公開する誘惑に、何度も駆られたことは事実です。しかし、この程度の人物が幹部です。週刊誌からまともに取材されたら、右往左往するだけです。お粗末な文面を見て、「本当に朝日を潰しかねない」と、公開がますます恐ろしくなり、アクセルを踏みつつ自分でブレーキもかけることも、私の習い性になっていったのです。

この局長はその後、1999年の箱島信一社長の誕生で、朝日のお目付役である監査役に抜擢されています。背後に様々な派閥力学があったと、私は社内のウワサで聞きました。しかし半面、この人物は116事件の追悼式では、犠牲者の霊前で朝日を代表、「報道の自由を守る」と、毎年力強く誓ってもいるのです。残念ながら、これが「朝日」という組織の内幕だったと言わざるを得ません。

申し訳ありません。ここまで書いて来たところで、今回もまた与えられた紙数が尽きました。次回は編集局長が代わり、新しい局長との闘いが始まったことから始めたいと思います。ぜひ次回もご愛読頂ければ幸いです。

≪筆者紹介≫ 吉竹幸則(よしたけ・ゆきのり)

フリージャーナリスト。元朝日新聞記者。名古屋本社社会部で、警察、司法、調査報道などを担当。東京本社政治部で、首相番、自民党サブキャップ、遊軍、内政キャップを歴任。無駄な公共事業・長良川河口堰のウソを暴く報道を朝日から止められ、記者の職を剥奪され、名古屋本社広報室長を経て、ブラ勤に至る。記者の「報道実現権」を主張、朝日相手の不当差別訴訟は、戦前同様の報道規制に道を開く裁判所のデッチ上げ判決で敗訴に至る。その経過を描き、国民の「知る権利」の危機を訴える「報道弾圧」(東京図書出版)著者。

2013年10月10日 (木曜日)

◆吉竹幸則(フリージャーナリスト・元朝日新聞記者)

安倍首相は、予想されていたこととはいえ、消費税増税を正式に記者会見で表明しました。しかし、何故、無駄な公共事業でここまでの大借金を溜め、増税を国民にお願いするしか道がなくなったのか。残念ながら、安倍首相の言葉に、これまでの自民党長期政権時代の責任、真摯な反省の言葉は何もありませんでした。

次世代に大借金をツケ回しするのではあまりにも無責任です。こんな政権を選択した私たち国民にも、責任の一端はあります。ですから、消費税増税は受け入れるしかないと、私は思っています。しかし、それは増税で確実に借金が減る保証があっての話です。「景気対策」のためなら、増税しないことが何より一番です。

自民党の今の顔ぶれを見ても、私が政治記者をしていた時代とそれほど大きく変わったとは思えません。増税で予算枠が拡大されたことをいいことに、また政・官の利権拡大のために「景気対策」と称し、これまで同様、無駄な公共事業に走ることは目に見えています。

その証拠に民主党時代、曲がりなりにも凍結状態だった多くのダムが建設に向けて動き出しています。でも、その大半はこの欄で私が報告している長良川河口堰同様、無駄な事業です。消費税増税の前提は、「徹底的に財政の無駄を省く」だったはずです。しかし、財政の見直し、行財政改革は具体性に欠け、ほとんど手付かずのまま、「消費税増税に見合う景気対策」では、すり替えも甚だしいと言わざるを得ません。

「監視役」は、ジャーナリズムしかないのです。しかし新聞だけ、消費税をまけてもらおうと、こそこそ政府に働きかけをしている新聞界の姿を見ると、本当に情けなくなります。もし、「新聞が国民にとってかけがえのない『知る権利』を守る必需品」として本当に軽減税率を適用すべきだと思うなら、何より「権力の監視役」を果たし、新聞界が国民の信頼・支持を回復することから、始めるべきだと私は考えます。

◇名ばかりの豊田支局長に

「公共事業は諸悪の根源」のこのシリーズも、7回目です。今回は、東京本社での政治記者をしている時も、長良川河口堰報道を止められ、私が愛知県の豊田支局に赴任させられた時のことを報告して行きたいと思います。朝日が「権力の監視役」どころか、いかに国民・読者の「知る権利」を裏切って来たか、より具体的にお分かり戴けるのではないかと思います。

私が政治部から1992年正月に赴任した愛知県の豊田支局は、それまで名古屋本社の社会部長が統括する1人勤務の地方通信局の一つでした。「トヨタ自動車の隆盛に伴い、取材拠点を強化する」として、二人勤務の支局へ昇格させ、「トヨタへの手前、初代支局長は、政治部経験者がいい」が、私の人事の表向き理由です。

しかし、支局は支局長、支局員の二人制。トヨタ担当は、私に何の指揮権もない経済部員の兼務者。支局長に指揮権はなく、支局長は今までの通信局長と同様に、一人で地域を走り回り、地方版を中心に記事を書くという職務分担だったことは前回も書きました。

名古屋社会部本隊に戻せば、私が河口堰報道再開を強く求めてくるのは目に見えています。豊田なら、河口堰は管轄外。私を名古屋社会部長の監視下に置き、河口堰報道をさせないのが、最初からの人事の狙いだったのは、私のような単純バカにすぐに分かります。

◇「君が一人で騒いでみても、孤立するだけだ」

この部長に何を言っても無駄なことは、これまでの経過からも明らかです。着任早々、慣例通り名古屋本社に出掛け、部長にも赴任の挨拶はしました。しかし、通り一遍のことしか話しませんでした。

東京本社の幹部ですら、部長の行状を知っていても、何の自浄作用も働かせませんでした。よほどの裏事情があるはずです。東京本社を去る時、ある幹部から「君が一人で騒いでみても、孤立するだけだ」との忠告も受けていました。

「部長は春には転勤になる。それまでは自重せよ。部長が名古屋からいなくなれば、君も名古屋社会部本隊に戻れる。それから河口堰報道を始めた方が得策だ」との助言もありました。今は無駄な闘いをするより、部長が春にいなくなるのを待とうと思い直していたからです。

久しぶりの名古屋です。先輩、同僚、後輩にも顔を合わせました。東京の頃も、ある程度状況は聞いてはいましたが、名古屋本社の中は、想像以上に荒廃していました。部長は私の特ダネを止めながら、他の部員には「特ダネを書け。地方版などどうでもいい」との指示を出しているというのです。そのため、地方版の身近な記事に生き甲斐を感じていた年配の地方記者は、やる気をなくし、地方版さえまともに埋まっていませんでした。

◇地方版を記事で埋めることに専念

私は調査報道や事件・政治の取材に長く携わりました。しかし、そんな大上段に振りかぶった記事が新聞のすべてとは、思っていません。身近で親しめる地方版やスポーツ、家庭欄も、新聞にとっては大事な記事なのです

私の経験でも、最初から狙って一面の特ダネが書けるはずもないのです。細かい記事を書きつつ、人間関係を作る。相手から「この記者なら」と信頼を得た時に、大きな特ダネ情報がもたらされるのが、常でした。

それに何より、中部圏では、朝日は弱小新聞に過ぎません。圧倒的な部数を誇るのが、中日新聞です。中日は、豊富な資金力にものを言わせて、各地に配置した多数の記者の人海戦術で、濃密な地方版を最大の売り物にしています。朝日が中日に対抗するには、地方版の充実は避けて通れない課題だったのです。

ただ、中部圏での全国紙比較では、朝日は他を大きく引き離していました。地元権力に媚びない調査報道と、読売、毎日には少なくとも負けない地方版の量と質の両輪が支えです。地方記者採用が多い名古屋本社の先輩が、地道な努力で地元に人脈を築き、歯を食いしばって作り上げた伝統・遺産でもあったのです。

私の特ダネも、多くの読者が読んでくれての話です。私の調査報道を潰し、地方版さえまともに作れない部長は、これまでの名古屋本社を支える両輪を二つとも破壊しているとしか考えようがなかったのです。

私は、とにかくこの部長の在任中は地方版を埋めることに専念しようと心に決めました。1日100行以上、週の半分は、私の原稿で担当の愛知県東部に配られる三河版のトップ記事を書く。それを自分自身へのノルマとして課しました。

部長のやっていることへの最大のアンチテーゼ、との思いもあったのですが、それ以上に私の古巣でもある名古屋本社の支え・伝統をこれ以上、壊されたくなかったのです。

◇「おめぃはデスクに聞くと・・・ 」

私にとって豊田は駆け出し以来、10数年ぶりの地方支局勤務です。この時の経験は、以前のこの欄「領土侵略なき戦後日本の繁栄 憲法9条を支えたのは、技術力」でも書きました。正直、やってみると、結構楽しかったのです。人の好い地元の人たちへの取材は、緊張感ばかり強いられてきたこれまでに比べ、ほっとさせられるものがありました。

豊田は、トヨタ自動車の工場ばかりとのイメージで赴任しました。しかし、市域の半分以上は農地、山林。豊かな自然がありました。特産の梨や桃が実ると、市の職員が知らせてくれ、格好の地方版の記事になり、たまには試食にもありつけます。

身近な記事に、読者の反応がすぐ分かります。殺伐な事件を追ったり、海千山千の政治家、官僚取材で見えなくなっていた人々の本当の暮らし、心が見えたように思います。何より、私は夜討ち朝駆けの慢性的睡眠不足から、ようやく解放されました。その結果、三河版だけが大幅に原稿が溢れるようになったのです。

そんな時です。部長が突然、支局に電話をかけて来ました。

「おめぃはデスクに聞くとなかなか書いているって言うじゃないか。俺はおめぃを評価している訳じゃない。だが、デスクも言っとるから、査定はちゃんとした。俺の言うことを聞けば間違いない」

私は生返事をして電話を切りました。昇給に響く3月の査定は、最上級の評価になっていたのです。部長の電話は、私への懐柔のつもりだったのかも知れません。

◇ジャーナリズムか腐敗の記念碑か

しかし、聞いていた部長の「春の異動」は消えていました。私が名古屋を去ってから本格化した河口堰工事は、その間も着々と進んではいたのですが、ただ、長良川は堰本体が完成しても、堰上流15キロのところで川床が急に1メートル余り、高くなっている「マウンド」と呼ばれる場所があります。自然の塩止めになっていて、満潮時でも海水をそれ以上、上流部に遡上させない堰と同様の効果があったのです。

例え堰本体工事が完成しても、締め切ってマウンドも浚渫で削らない限り、海水は遡上しません。つまり、マウンドさえ残っていれば、堰はいつでも開放出来、本州で唯一ダムのない川として知られる長良川の清流は守れます。そのため、堰の完成が間近になっても諦めず、反対運動はより熱く盛り上がっていました。

朝日の社内事情で大幅に遅れたのですが、この段階で私の記事が陽の目を見れば、まだぎりぎり間に合い、堰の運用は止められます。だから私は名古屋本社に戻ることを選択したのであり、完成した河口堰は、無駄な公共工事は二度としないと誓うモニュメントにすればいい、と考えていました。少なくとも、ジャーナリズムが官僚や政治家に取り込まれていた記念碑として、堰を残したくはなかったのです。

部長の転勤がなくなった以上、もうおとなしく待つ訳には行きません。私の方から積極的に動き、何とか河口堰報道を復活させるしか道はありません。当時、名古屋本社の編集権を持つ最高責任者・編集局長は、大阪本社出身者でした。大阪出身なら、東京の派閥人事・人脈と距離を置いているのではないか。この人物に対し、淡い期待があったのも事実です。

◇「銃弾に屈するな」の編集局長に期待したが

この編集局長と私はそれまで直接の面識はありません。でも、人格者と聞いていましたし、何より、阪神支局に賊が押し入り、二人の記者が死傷した116号事件当時の大阪本社社会部長です。

「銃弾に屈するな」と、「報道の自由」に積極的な発言もしていました。これまでの経過を丁寧に話せば、この編集局長なら、部長の横暴をひょっとしたら止めてくれるのではないか。私には、甘かったかも知れませんが、そんな思いもあったのです。

残された時間から考えても、もう編集局長直訴以外に方法はありません。ただ、これまでの経過からも,事を荒立てては逆効果になるぐらいのことは私にも分かります。編集局長の支局視察の際に話そうと、私は戦略を立てました。新たに支局が開設されると編集局長視察があり、その夜に懇親会も開かれるのが慣例だったからです。その場なら、じっくり話も出来ます。

赴任当初から、局長秘書役の編集業務部から「懇親会場も準備しておくように」言われていましたから、その日を待ちました。しかし、赴任から3ヶ月。一向に視察日時の連絡がありません。編集業務に問い合わせると、「局長は豊田には行かないと言っている」と、意外な答えが返ってきました。理由も尋ねましたが、担当者は言葉を濁しました。

こうなれば、名古屋本社に直接乗り込み、直訴するしかありません。事前に話せば、局長が逃げる恐れが十分あります。4月になり、局長にアポなしで行き、二人で話そうとしました。

しかし、局長は、「無断で部屋に入ってくるなんて、何だね。河口堰のことなら、私に話しても仕方がない」と、最初から腰が引けていました。局長室に入って、「無断で」と怒られたことも初めてです。引き下がらないと、「君はデスクや部長に話をせず、いきなり局長のところへ来るなんて、どういう了見だ」と、怒鳴られる始末です。

◇逃げ腰、また逃げ腰

私もさすがにムカッと来ました。「社会部内で話が出来れば、局長のところへ来ません。このままでは、名古屋編集局として将来に大きな禍根を残す」と、強引にごくかいつまんで概要を話し、食い下がりました。

しかし、「まず、デスクや部長に話しなさい。私は知らない。君がどうしてもと言うなら、首をかけて社長、そう社長のところへ行ったらどうだ。とにかく私は話を聞かん」と、けんもほろろ。これまで聞いていた人物評とは、まるっきり人が違いました。

名古屋本社の編集権は編集局長にあります。この言葉にうっかり乗り、社長に直訴すれば、筋違い。「中堅にもなってそんなことも知らないのか」と、逆手にとられかねません。私はきちんと事実がわかれば対応も変えてもらえるかもしれないと、半ば強引に政治部の時に作った河口堰の「取材経過」を、局長に預けて帰りました。

しかし、1カ月待っても、なしのつぶて。局長からの連絡がない以上、このためにだけ豊田を離れると、「職場放棄」などと言い掛かりをつけられる心配がありました。実はこの頃、警察記者時代の先輩から、私の立場を心配して一つの注意の電話が支局にかかっていたのです 。 局長とも職務上、密接な関係にあった先輩によると、会合に行くため、局長、社会部長と同じ車に乗り合わせた時のことです。「普通なら、あんなところに赴任させたら、腐って記事を書かなくなる。そうすれば、もっと飛ばしやすいのだが、あいつは記事の出稿量は相変わらず多い。やりにくい」と、その時の会話で部長が言い、局長も「まったく」と相槌を打って、二人で含み笑いをしていたというのです。

先輩は「いくらなんでも我慢ならん」と私に教えてくれたのです。だから私も、必要以上に普段の行動に注意しなければならなかったのです。

7月になって、名古屋本社に行く名目があり、やっと局長に会えました。今度はさすがに「社長に言え」とは言いませんでした。しかし、「社会部内の話だ。私は知らない。部長、デスクに君はきちんと話をしたか。私に言っても筋違いだ」と、相変わらず、突き放されるだけで終わりました。

もちろん言われるまでもなく、私はデスクとそれなりに話はしています。しかし、経過を薄々知っているデスクは、巻き込まれるのを恐れて、「その話はとにかく」と逃げ回っていたのです。局長にデスクとは何度も話をしたことも伝えましたが、同じ言葉を繰り返すだけでした。

局長の指示は、「部長にも、きちんと話をしろ」ということでした。もちろん、普通に話をしても、けんもほろろであることは目に見えています。ただ、編集局長の手前も形式上、どうしても話をしておかなければなりません。私は話が出来るきっかけがないか、タイミングを探りました。そんな時です。絶好の機会が訪れたのです。【続】

≪筆者紹介≫ 吉竹幸則(よしたけ・ゆきのり)

フリージャーナリスト。元朝日新聞記者。名古屋本社社会部で、警察、司法、調査報道などを担当。東京本社政治部で、首相番、自民党サブキャップ、遊軍、内政キャップを歴任。無駄な公共事業・長良川河口堰のウソを暴く報道を朝日から止められ、記者の職を剥奪され、名古屋本社広報室長を経て、ブラ勤に至る。記者の「報道実現権」を主張、朝日相手の不当差別訴訟は、戦前同様の報道規制に道を開く裁判所のデッチ上げ判決で敗訴に至る。その経過を描き、国民の「知る権利」の危機を訴える「報道弾圧」東京図書出版)著者。