2015年10月15日 (木曜日)

このところメディア黒書に対して、新聞販売店からの情報提供が急増している。「押し紙」問題の取材を始めたころは、全国各地から「たれこみ情報」が寄せられていたが、その後、店主さんらにわたしとの接触を禁じる方針を徹底させる新聞社もあって、徐々に情報提供が減り、ここ数年はぴたりと販売店からの情報が途絶えた。

あったとしても、自分の店に関するものではなく、たとえば東京の日暮里で販売主が自殺したとか、埼玉の販売店でも店主の自殺があったといったもので、簡単に裏付けが取れないものが大半を占めていた。が、このところ状況が一変していて、ここ2,3か月で、立て続けに販売店からの内部告発を受けた。

◇新聞販売店の経営が急激に悪化

これらの話を聞く限りでは、新聞紙と販売店の経営が相当に悪化しているようだ。「押し紙」の負担が重く、新聞社も「押し紙」部数を減らさざるを得ない状況に追い込まれているが、店主さんの要望に応じてくれる社はあまりないのが実態だ。ABC部数を大きく減らしている社は、実配部数そのものよりも、むしろ「押し紙」を減らしているとみて間違いない。

「押し紙」問題は、厳密にいえば、戦前からあったようだ。日本新聞販売協会が編集した『新聞販売百年史』には、戦前の「押し紙」に関する記述がある。

わたしが不思議に感じるのは、公称部数の虚偽による不当な販売収入の確保と、高い紙面広告料金の詐欺的な確保は、半世紀以上も継続している問題であるにもかかわらず、新聞記者が内部告発を自粛する点である。内部告発者は、長い新聞史の中で一人もいないのではないか。

たしかに新聞記者が「押し紙」問題を知らない場合もある。しかし、少なくとも今世紀に入るころからは、新聞業界関係者にとって、「押し紙」は周知の事実となっている。

当然、この問題を内部告発することが、記者(ジャーナリスト)の資質であり役割にほかならない。ところが日本では、そうはならない。新聞社の命である信用力を落としても、報道自粛を選択している。自殺行為に等しい。このあたりに日本の新聞ジャーナリズムのレベルがよく現れている。結果、延々と同じ問題が続いている。

◇スパイの使用に対しては記録→公表

それどころか、なかにはスパイを使って、わたしの取材の進捗状況を探らせる社もある。が、こうした行為は、何年も前から関知しており、スパイに関する記録だけでもかなりの量に上っている。いずれ公表されて、恥をかくことになるだろう。

今後、わたしは「押し紙」問題の取材を本格的に再開する。情報源は明かさないので、新聞販売店からの情報提供を望む。連絡先は、次の通りである。

電話048-464-1413(ファックスは不可)

メール:xxmwg240@ybb.ne.jp

2015年10月14日 (水曜日)

吉竹幸則(フリージャーナリスト・元朝日新聞記者、秘密保護法違憲訴訟原告)

 国会を取り囲む多くの人々の声もむなしく、違憲安保法制が成立し、もう1か月が経とうとしている。安倍政権の暴走を止められなかった最大の責任は、もちろんアベノミクスにごまかされ、安倍政権に議席を与え過ぎた国民にある。

でもこんな時にこその護憲メティアであったはずだ。しかし、その姿はあまりにも弱々しく、政権の横暴に立ちはだかる力になり得なかった。やがて迎える憲法9条改正の正念場。二度とこの轍を踏んではならない。事態が一段落したこの時期だから、護憲メディアの代表格・朝日新聞の軌跡と責任を追い、再生のために何が必要かを考えてみたい。

◇失われた権力との緊張感

今回の安保法制報道。改憲メディアの読売、産経はその姿をますます露わにした。本来、中立であるべきNHKは籾井体制の下、政権に都合の悪い国会中継もせず、ジャーナリズムであることさえ捨て去った。

すでに多くの人たちが批判している。だから、ここでは触れない。問題は対抗すべき護憲メディアの力が、あまりにも弱かったことにある。それが何故か。本稿では、私の古巣でもある朝日が、何故まともに安倍政権に立ち向かえなかったか、原因を探ってみることにする。

結論を先に言う。朝日は、「権力監視がメディアの役割」と口では常々言ってきた。しかし、権力に対し緊張感が決定的に欠如していた。だから、つけ込まれ、周到に戦略を練って来た相手に、闘う前から負けていた。それがすべての元凶だ。

ジャーナリズムなら、権力と常に一定の距離感を保たなければならない。緊張関係さえ失わなければ、政権の真の狙いが何かは見えて来る。そこに焦点を当て、対抗軸を読者に示せばいい。

でも、緊張感に欠け立ち向かう気力がなければ、一定の安倍批判を展開しつつも、総括的になる。一つ一つの記事に力がなく、報道総体としての連携も欠く。その結果、安保法制の本質・危険性を体系的に読者に伝えることが出来ない。

朝日幹部も記者も、本気で「権力監視が使命」と考えていたのか。なら、紙面も取材ももっと貪欲になれたはずだ。何をもって読者の「知る権利」に重点的に応えるか。私の記者経験から言っても、狙いを定め取材源に切り込めば、自ずと多くの情報を引き出せ、特ダネも連発出来る。

しかし、今回の安保報道では、こうした特ダネが決定的に不足していた。通り一遍、そこそこの論評・安倍批判は出来ても、隠された一つ一つの事実を掘り起こし、事実の力で全体像に切り込み、読者に伝える説得力、力強さに欠けていた。

◇安倍首相との会食

 抽象論はここまでにして、いかに国家権力への警戒心、緊張感が不足していたか。2012年末、安倍政権誕生以来の朝日の軌跡を辿り、具体的に見てみよう。

政権発足間もなくの翌13年1月15日、朝日も加盟する日本新聞協会は、新聞、書籍などに「軽減税率を求める声明」を出した。「首相動静」を見れば、朝日に限らず、読売、産経も含め主要な新聞社幹部が、その前後に安倍氏と相次いで会食しているから、話の内容はだいたい想像はつく。

その時の新聞協会会長は、秋山耿太郎・朝日新聞社会長。政治部の後輩でもある当時の木村伊量社長が幹部二人と連れだって安倍氏と会ったのは2月7日、帝国ホテルの中華料理店だった。その後も何度も朝日編集幹部は、安倍氏と会食を重ねている。もちろん密室での会食だ。安倍氏と朝日幹部が何を話したか、真相は知る由もない。

翌14年8月。朝日は1980年代からの旧日本軍による従軍慰安婦強制連行報道で、根拠の一つとしていた「吉田清治証言に信ぴょう性がなかった」として、証言に基づいて書いた記事を取り消した。

従軍慰安婦問題は、日本軍の強制連行の有無にかかわらず、若い女性が戦争の犠牲者になった点で、日本には重い責任がある。しかし、日本軍に強制連行の根拠として朝日が依拠した吉田証言は、1990年後半には、信ぴょう性のないことは知る人ぞ知る話ではあった。

確かにいつかは訂正しなければならなかった問題かも知れない。でも、それまでほおかぶりしていた朝日が、何故、この時期に突然の訂正なのか。慰安婦問題で日本の責任を追及して来た市民団体などからは、朝日幹部と安倍首相の会食に着目。「朝日は消費税と慰安婦報道を絡め、安倍政権と取引したのではないか」と疑いの目を向けた。

朝日は、1997年にいったん検証はしている。しかし、誤報で自らに責任が及ぶのを何より恐れるのが、官僚化した朝日幹部だ。社内のセクト主義、派閥意識も加わって、それまでうやむやにして来た。だから、この時期の突然の記事取り消しは、詮索されてもやむを得ない面がある。

◇現場記者と幹部のギャップ

一方、この訂正は、安倍氏も含め戦前の日本を美化したい勢力にとっては、格好の朝日攻撃材料だ。その機会をとらえ、従来から安倍政権と気脈を通じて朝日を批判してきた新聞や週刊誌メディアは「事実を捻じ曲げ、日本を貶める反日朝日」と、一斉にすさまじい攻撃を浴びせ続けた。

果たして朝日幹部は、この展開を覚悟して、訂正に踏み切ったのか。外部の方々にはにわかに信じられないことかも知れないが、内部にいた私には、幹部はこうした事態を予期、相手の攻撃に備えて身構え、十分な準備をして踏み切ったとは、到底思えない。

実はこの頃、朝日の後輩から私に1本の電話が入っている。後輩によると、幹部は記者を集めた社内集会で「訂正したのだから、その後にあんなに叩かれるとは思わなかった」と、嘆いていたというのだ。後輩は、「何と脇の甘い幹部か」と誰かに愚痴を聞いてもらいたかったのだろう。

後輩の話を聞いて、「やはり」と思った。実は朝日社内で対権力・取材相手で常に緊張関係を保ち仕事をしていたのは、私のように調査報道に長く携わっていた記者ぐらいのものだ。

調査報道では相手にとっても死活問題。取材に穴があれば、相手に突っ込まれ、訴訟沙汰に発展する。一つでもスキを作った方が負けの真剣勝負。自ずと緊張関係が生まれる。しかし、幹部の多くにそんな取材経験はない。派閥意識の蔓延した社内で遊泳術に長けてはいても、対権力で本当の緊張感を持ち合わせていない。

◇時代の変化に対応できず

実は55年体制の中での朝日は、それでも通用していた面があったのも事実だ。

戦後長く続いてきたこの体制の要諦を一言で言えば、建前としての改憲と護憲、親米と反米。本音はどちらも軽軍備で経済最優先…である。朝日は当時の社会党ともども、9条改憲で重軍備・自衛隊の海外派兵に求める米の過度な軍事要求をかわす歯止め役を担わされていた。

財界も含め権力側にとっても朝日は、余計な軍事費を使わないためにも必要な存在…。調査報道のように自分たちの地位が根底から揺るがされることがない限り、ちょっと進歩的で気の利いた論評なら、「さすが朝日」と持ち上げられ、大した覚悟も緊張感もいらなかった。

こんな旧態依然たる体質にどっふり漬かって育ったのが、幹部の多くだ。記者の取材した記事を止めて、権力者との取引に使おうと発想する幹部が出る土壌も、そんなところにあるのだが、慰安婦報道の訂正でも、緊張感の欠如がもろに出たのではないだろうか。

「日本軍の強制連行」の記事部分で訂正さえ出しておけば、慰安婦問題で旧日本軍の責任を厳しく追及する韓国に苦慮する安倍政権に、むしろ貸しを作れる…。その程度の軽い気持ちだったとしても、何の不思議もない。

しかし、安倍政権はそれを「借り」と感じるような55年体制延長線上の「甘ちゃん」政権ではない。政権の最初からの狙いは、米国と軌を一にした集団的自衛権の容認・憲法改正にある。朝日の護憲主張は、本気で邪魔なのだ。

◇官僚体質の弊害

 もともと多くの反戦報道を展開して来た朝日だ。しかし、吉田証言に頼った慰安婦記事(もちろん慰安婦報道全体ではない)が一番の弱点であることは、反朝日の人たちの間では半ば常識になっていた。別の言い方をすれば、最も朝日を弱体化させたい時期に追及出来るよう、それまで権力側に泳がされていただけとも言える。

ここからは私の想像になる。朝日の弱みを知り尽くしている安倍政権にしてみれば、会食でその話を持ち出せば、消費税もある手前、朝日も何らかの対応をすると踏んだはずだ。案の定、朝日幹部は反応した。

世論操作に長ける安倍政権は、いずれ慰安婦報道で朝日が訂正を出すとの感触を得ると、対朝日攻撃で周到な準備を始めた。政権の最大の課題は、改憲・集団的自衛権容認。やがて審議にかける安保法制。その前に朝日に訂正を出させれば、「反日デッチ上げメディア」のレッテルも張れるし、安保法制制定を阻もうとする朝日の力を大幅に削げる…私の推測は当たらずとも遠からずだと思う。

その後の展開は、読者の皆さんの知る通りである。朝日幹部は権力の本当の恐さも知らず、危機管理、防御の仕方も分かっていないから、安倍政権の罠にまんまとはまった。相変わらずの官僚体質だから、自分たちの責任を何とか軽くしたい一心での言い訳ばかりの訂正会見をしたお粗末ぶりは、多分、安倍政権の「期待」以上だったはずだ。「謝らない朝日」と親安倍政権メディアに容赦なく叩かれ、2度目の謝罪にまで追い込まれ、読者からの信頼感も大幅に失った。

すべては安倍政権の思惑・シナリオ通り。そのスキをついて、予定通り集団的自衛権容認の閣議決定、安保法制の国会審議へと突き進む、朝日は闘う前にすでに負け、護憲勢力全体の隊列まで乱した。

◇山本太郎らの国会質問をどう報じたのか?

朝日は慰安婦報道訂正後、読者の批判に応え「社内改革」を約束、外部委員を招いて再生案をまとめた。しかし、護憲メディアとしての報道体制の再構築は出来たのか。次に朝日の安保法制報道ぶりを検証してみる。

安保国会での見るべき論議は、低調だった衆院では与党推薦も含め3人の憲法学者が、集団的自衛権容認は「憲法違反」と断じたことだろう。この日から世論の潮目は完全に変わった。

しかし、この日の朝日の紙面は、一面脇の目立たない扱い。その後、反対運動の盛り上がりで尻馬に乗り、やっと「憲法違反」を前面に押し立て、立て続けに安倍批判を始めたが、世論の後追い。報道機関として、憲法学者のような矜恃も持たず、ニュースの価値判断すら間違った恥ずかしい話である。

論戦は参院に移り充実、白熱した。その中でも出色は、①民主党白真勲氏の「自衛隊が米軍核弾頭を運搬出来るのか」と質問②生活・山本太郎議員の「安保法制は、第3次アーミテージ・ナイレポートの完コピだ」との指摘③共産党の仁比聡平議員が自衛隊内部文書を入手、「総選挙直後の昨年12月、河野克俊統合幕僚長が訪米、安保法制について『来年夏までに終了する』と、法案成立時期まで内々伝えていた」との暴露質問――だろう。

私から見れば、いずれも安保法制の核心であり、3つの質問とも1面トップで扱うべき問題だったと思える。しかし、朝日はこの時の白議員の質問はそれなりにしても、後は小さくして見逃し、詳しく知っている人すら少ないかも知れない。

何より、こうした事実の指摘・掘り起こしは記者の仕事。記事にして国会論議に反映させてこそ、ジャーナリストの本懐だ。事実指摘で先を越され、国会質問されてからの後追い報道は、ジャーナリズムとしては恥ずかしいことなのだ。

◇米国いいなりの外交

私は名古屋社会部記者時代、手掛けた愛知県警や県庁の裏金報道を止められ、当時、東京本社から来た編集局長と対立したこともあり、長く名古屋暮らしを強いられた。東京本社政治記者に転勤になったのは、40歳を前にしての頃だったが、その頃はまだ、優秀で志の高い記者が何人もいた。

政治に素人の私を心配してくれたそんな先輩から、「政治部に行くならその前に、吉田茂、マッカーサー、それに宮沢喜一氏の回想録だけは読みなさい。それで日本政治の半分は分かる」と、アドバイスを受けた。

私は警察回りの夜討ち朝駆けで眠い目をこすりつつ読んだ記憶がある。お蔭で政治記者として走りまくって、先輩の言ったことが実感として分かるようになった。

日本では政治を動かす政治家、官僚にそれ程独自の政策がある訳ではない。特に外交ではほとんど米国の言いなり。それにどう対応、対処するかで日本の政策が決まっていた。

以来、私は米国が日本に何を要求しているか。実現するため、政権はどんな形で対応しているか。二つの基軸・視点で政治・外交の行方を見て行くと、大きく方向性を見間違うことはなかった。その後も朝日幹部との確執が続き永田町取材から離れたが、その視点から岡目八目で政治を見ると、ますます方向性がよく分かった。

今回も安保法制も、永田町に行かなくても安倍政権の狙い、政策、方向性も見通せた。安倍氏は国家主義者を装って、「自国の防衛は自分でせねば」と発言している。しかし、世界の軍事は悲しいことだが、依然核バランスの上に成り立っている。もし安倍氏か本気で軍事大国を目指すなら、軍事費は今の10倍、核兵器をもたざるを得ない。いくら何でも財政難の日本でそれは不可能。安倍氏発言の裏は何かと疑った。

最初に思い出したのは、安倍氏が尊敬してやまない祖父の岸信介元首相のことだ。岸氏は当時右翼の大物との深い親交があり、やはり国家主義者を装った。しかし、そのころすでに「9条は日本にプレゼントし過ぎた。自衛隊を米軍の世界軍事戦略に組み込みたい」というのが米国の本音だ。

岸氏は、「自主憲法制定」の美名で9条改憲に動いた。しかし、その裏に米国の意向の働いていたのではないかとの見方は、「岸氏がCIAから資金提供を受けていた」とされる米国秘密文書が、最近公開され始めたことから徐々に裏付けが出てきている。安倍氏も岸氏同様、対米要求をすべて受け入れることで政権維持を目指す対米従属主義者でないのか—-それが私の疑念であった。

◇第3次アーミテージ・ナイ・レポート

安倍政権発足前からの米国の対日軍事要求は、いわゆる「2プラス2」、2005年、日米両国の外務・防衛担当の4閣僚が集まる日米安保協議委員会で検討が始まった在日米軍再編計画と自衛隊の参画である。その協議の結果は、山本議員も質問したように、2012年8月にオバマ政権の外交・軍事ブレーン二人によって作成された「第3次アーミテージ・ナイ・レポート」での提案に集約されている。

主な提言は以下の通りである。

「原発再稼働」「シーレーン保護」「TPP交渉参加」「日韓歴史問題の直視」「インド、オーストラリア、フィリピン、台湾等との連携」「日本の領域を超えた情報・監視・偵察活動、平時、緊張、危機、戦時の米軍と自衛隊の全面協力」「日本単独で掃海艇をホルムズ海峡に派遣、米国との共同による南シナ海における監視活動」「国家機密の保全」「国連平和維持活動(PKO)の法的権限の範囲拡大」「共同訓練、兵器の共同開発」「日本防衛産業の技術輸出」。

つまり、提言の大半は安保法制の中身そのもの。安倍政権の政策に反映していないのは、「日韓歴史問題の直視」だけだ。他のすべての項目を実行するため、安倍氏が国家主義者を装う方策と考えれば、すべて合点が行く。

白議員が追及した自衛隊による核弾頭運搬も、安保法制の目的が米軍と自衛隊の一体化にあるなら、戦場で弾薬を米軍から「運べ」と言われたら、何でも運ばなければならない。「核弾頭も弾薬」と言うのが政府見解。核弾頭の運搬を「法文上排除しない」(中谷防衛相)ことにしておくのも、安倍政権にとっては当然のことなのだ。

仁比議員が暴露した河野幕僚長訪米も、自衛隊と米軍一体化を法案成立直後に実行するため、成立時期をあらかじめ米国に伝えるのが目的だ。つまり3人の出色質問は、すべて在日米軍再編に基づく対日要求に120%応える安倍政権の動きを角度を変えて、質問したものである。

◇理想的な報道とは

 私は、集団的自衛権容認に基づく安保法制の狙いが在日米軍再編に合わせた日米軍の一体化ととらえ、フリージャーナリストとして2年前から幾つものブロク記事を書いてきた。今も朝日記者なら、早くから取材の焦点をそこに絞って、多くの記者を配置。まず秘密文書も渡してくれそうな人脈づくりから始め、取材体制を整える。

そうすれば、山本議員が指摘した安保法制とアーミテージレポートの酷似性は、今年早々、法案原案発表直後に簡単に書けた話である。もちろん、核弾頭輸送容認もだ。そうすれば衆院段階から、もっと論議を充実する方向で誘導出来た。

そもそも日米安保協議で決まった内容・密約は、「特定秘密」の固まりだ。仁比議員が入手した自衛隊内部文書は、その交渉経過の一端を明らかにしたものだが、政府には、この程度の文書なら数百枚数千枚、いや、もっと多く眠っているに違いない。

核弾頭運搬も安倍首相は、「法文上出来ても、現実に運ぶことは政府は想定していない」と否定した。しかし、わざわざ安保法制で「出来る」ようにしたのだから、日米協議の合意文書には、どのように運ぶか、その手順を定めたものなどいくつもの密約が含まれているはずだ。

人脈が出来ていたなら、そのうちの何枚かは手に入る。入手した極秘文書を特ダネとして報じれば、安倍氏のウソを暴けたし、国会での展開も別の局面を迎えた。調査報道が力を持つのは、この様な極秘文書を手に入れた時だ。文書に語らせれば、日米軍隊の一体化が法案の狙いであることを体系的、より説得力を持って読者に知らせられる。

今回の朝日報道が迫力不足で平板、連携、説得力に乏しいと感じるのは、早い時期に安倍政権の狙いを絞り切れず、取材体制構築が出来なかった特ダネ不足が原因だ。

もちろん権力が隠している極秘文書を入手すれば、秘密保護法に抵触する。その場合、記者の「報道の自由」を政府が本当に保証するかの試金石にもなるし、もし「記者逮捕第1号」の「栄誉」に浴せば、少なくとも「護憲朝日」を期待する読者からは、拍手喝さい。慰安婦報道で失った信頼の1部でも取り戻すことは出来たはずだ。

◇小手先の改革は無意味

何故、出来なかったか。朝日がまとめた改革案の中身に答がある。前述の通り、慰安婦報道も見ても、朝日の弱点・改革すべき点は「権力監視」を言いつつも緊張感が欠如した幹部を中心とした「ゆるゆるの社内体制」と、吉田証言のウソを察知出来なかったり、事実の本質を見抜けないデスク、記者の取材力量の不足・詰めの甘さにある。またそれは、相互に関連した問題でもある。

しかし、朝日のまとめた改革案は、「読者の意見を聞くパブリックエディター制度の導入」「多様な意見を載せるフォーラム面の新設」「訂正記事を集めるコーナーの新設」など、小手先のものばかり。

肝心の「対権力への緊張関係」を失っている幹部を中心とした社内体質をどう改革するかには、何も触れていない。相変わらず自分たちの体質・責任を正面から問われるのを恐れる幹部が作った外部委員会だから、結論がこの程度になることは、最初から想定出来た話でもあった。

人選された外部委員は朝日の社内体質を知らず、新聞社内の報道現場も経験していない。素人ばかりでは、「権力監視」に緊張感を作り出せる組織のあり方を提言出来るはずもないのだ。

後輩らの話だと改革案以来、「読者の声を反映する」として、朝日ではそれまで以上に編集現場に幹部の介入を強めているという。憲法学者こぞって国会で安保法制違憲を表明する憲政史上初めての異例の展開でも、一面トップ扱いが出来なかったのも、そのなせる業だろう。何故なら総じて対権力でさらに緊張感が欠け、安倍政権に腰が引けているのは、現場編集者より幹部だからだ。

改革案でも、おまけ程度には「調査報道をさまざまな形で充実 」とは提言している。しかし、中身は「見過ごされている問題に光を当て、情報技術も駆使して公表された資料から問題点を分析するデータジャーナリズムなど、デジタル時代に対応した新しい調査報道スタイルも追求」などだ。

しかし、私に言わせれば、この程度の小手先の甘い考えで調査報道は充実しない。権力内部に深く入り込む人脈が作れ、ひた隠しにしている資料を持ち出せる圧倒的な取材力を持つ記者が必要だ。

それだけでない。入手した文書の真贋も徹底的に検証しなければならないし、本物と分かれば、報道全体の中でその文書で何を伝えるか、伝えられるか、深い分析力も欠かせない。そんな記者は一朝一夕では育成出来ない。

幹部は「調査報道の充実」を口では言えても、調査報道の現場は知らない。私も含め大半の調査報道記者は、幹部にへつらわないから飛ばされて朝日を去っている。後輩を育てる先生役も不在だから、真の取材力の強化、調査報道のノウハウも伝わらない。

すべて、ないない尽くし。事態を切り開く決定的な力を持った特ダネが不足したのも当然のことだが、改革案にそのための対策など、何もないのに等しいのだ。

9月26日付の紙面では紙面審議会での発言内容を紹介、安保法制報道の総括をしている。それを見ても、朝日が安倍政権を追い詰めることが出来なかった根本欠陥を掘り下げ、今後、どう立ち向かうか、メディアとしての責任を自ら厳しく問い詰める姿勢、「このままではいけない」との危機感を編集幹部の発言から感じることは出来なかった。

◇「甘え体質」からの脱却を

盛り上がった安保法制反対のデモ。「今のメディアにもう期待出来ない」と、失望の声をよく聞いた。私は、「さもありなん」と思いつつも、朝日OBとしては寂しくも感じた。でも、その人も自分たちのデモが翌日の紙面でどう扱われかをさかんに気にかけ、大きく扱われることを望んでいた。まだ、メディアへの期待がすべてなくなった訳ではない。

今、朝日に求められることは、55年体制の「甘え体質」から一刻でも早く抜け出し、権力との真の緊張関係を取り戻すことだ。精彩を欠いた今回の安保報道。紙面で読者に知らせなければならないことの何が不足し、書けなかった原因はどこにあるのか。責任回避に走る官僚意識を捨て去り、幹部の責任も含めもう一度、一から真摯に組織のあり方を見直して欲しい。

安倍政権が本気で憲法改正に乗り出せば、護憲勢力はどの政党・勢力とか、メディアの区別を言っておれる場合ではない。総がかりで9条を守り抜くためにも、朝日はその一角を占めて力を発揮出来るのか、本気でやるつもりはあるのか。ガン細胞を切らずして、手足に薬を塗るようなおざなり改革をいくら並べても仕方がない。権力への緊張感を絶やさず、根本的な取材力強化―-私が古巣に望む「改革」は、たったその一点である。

≪筆者紹介≫ 吉竹幸則(よしたけ・ゆきのり)

フリージャーナリスト。元朝日新聞記者。名古屋本社社会部で、警察、司法、調査報道などを担当。東京本社政治部で、首相番、自民党サブキャップ、遊軍、内政キャップを歴任。無駄な公共事業・長良川河口堰のウソを暴く報道を朝日から止められ、記者の職を剥奪され、名古屋本社広報室長を経て、ブラ勤に至る。記者の「報道実現権」を主張、朝日相手の不当差別訴訟は、戦前同様の報道規制に道を開く裁判所のデッチ上げ判決で敗訴に至る。その経過を描き、国民の「知る権利」の危機を訴える「報道弾圧」(東京図書出版)著者。特定秘密保護法違憲訴訟原告。

 

2015年10月13日 (火曜日)

エルサルバドルのFMLN(ファラブンド・マルティ民族解放戦線 、Frente Farabundo Martí de Liberación Nacional)が、設立から35年をむかえた。1980年10月10日、5つのゲリラ組織が統一してFMLNを結成すると、首都へ向かって大攻勢をかけた。首都陥落は免れないという見方が広がったが、米国レーガン政権が介入して、以後、12年間にわたり内戦が泥沼化したのである。

FMLNに関しては、日本にはほとんど情報がないし、あったとしても、とても正確とはいえない情報が一人歩きしている。

たとえば、公安調査庁は、FMLNについて次のように述べている。全文を引用しよう。

「ファラブンド・マルティ民族解放戦線」(FMLN)は,マルクス・レーニン主義を信奉する反米・親ソ・親キューバ武装組織「民族抵抗武装軍」(FARN),「中米労働者革命党」(PRTC),「エルサルバドル共産党」(FAL),「ファラブンド・マルティ人民解放軍」(FPL)及び「人民革命軍」(ERP)の5組織で構成する連合組織である。1980年10月に設立された。親キューバ・親ソの反米共産主義国家の樹立を目指し,爆弾テロ,暗殺,放火などを実行した。1992年5月,政府との和平協定に基づき,新たな政党として政治活動を行うと宣言し,同年9月に合法政党活動のための綱領を発表した。同年12月に武装解除した。

この記述は、FMLNにテロリストのレッテルを張ることを意図したものにほかならない。最低限必要な情報すらも欠落しており、とても現地に足を運んで正確に事実関係を調べたものとは思えない。

まず、第1にFMLNが内戦終結後に合法政党になり、2009年に政権の座に就いた事実が欠落している。現在、FMLNの政権は2期目に入っている。エルサルバドルは、FMLNの政権下にある。

第2の間違いは「反米共産主義国家の樹立を目指し,爆弾テロ,暗殺,放火などを実行した」という箇所である。内戦中、軍人以外をターゲットにして、テロや暗殺を繰り返していたのは、米軍の支援を受けていた政府軍の側である。それが客観的な見方であり、エルサルバドルにおける人権侵害の実態だった。それがエルサルバドル問題の本体だったのである。

内戦当時の1980年代、わたしは米国のワシントン州立大学に在学していたのだが、学内でも、エルサルバドルの問題を考えるイベントがよくあった。たとえばエルサルバドルの全学連の学生による報告会があった。その時、次のような内容の話を聞いた。

ある農村の住民が、同じように税金を払っているのに自分たちの村には、電気も水道も整備してもらえないので、神父に相談した。神父を通じて政府に申し入れたところ、政府は村に軍隊を投入してきた。そして「抗議」を組織したリーダーを探し始めた。疑いをかけられた人々は、その場で射殺されたり、誘拐されて行方が分からなくなった。

エルサルバドルの学生は全米の大学を回って、軍による人権侵害の実態を訴えたのである。

全学連の一行が母国エルサルバドルに帰国すると、入国管理局で拘束された。そこで彼らの生命の安全を確保するために、米国の支援者が緊急に署名を集め、抗議の電報を送るなどの対処をしたのである。

米国内でも米軍の支援を受けた政府軍の暴力が大きな問題になった。難民が米国にも押し寄せ、エルサルバドルへの軍事介入(軍事予算の提供と米軍司令官の派遣)に反対する世論が広がった。

◇『戦争の証言』

当時、米国で出版された書籍のひとつに、『戦争の証言』(Witness to the War )と題する米国人医師が書いたものがあった。

著者の医者はカリフォルニア州の農業地帯で医療活動を展開していたのだが、ある時期から、農場で働くエルサルバドル難民の中に拷問の傷跡が残っている者や、精神に障害をきたしている者が多い事実に気づく。

この医者は、戦地での医療支援の必要性を感じて医者が不足しているFMLNの解放区に入る。もちろん身の安全を確保するために、事前にFMLN側とコンタクトを取っていた事は言うまでもない。

『戦争の証言』の中で印象に残っているのは、この医者がFMLNの兵士になぜ解放戦線に加わったのかを質問する場面だった。この兵士は、元々、大地主の家で家畜の世話をしていた。番犬の世話は彼の役割で、毎日、餌として肉やミルクを与えていたという。犬が病気になった時は、獣医のところへ連れて行った。

その一方では、自分の子供には、肉もミルクも与えることができなかった。病気になっても、医療とは無縁だった。この兵士は、真の暴力とは何かを医者に問うたという。

◇川に死体

わたしは1985年を皮切りに何度か、エルサルバドルに足を踏み入れたことがあるが、軍隊に射殺されたばかりの農民を目撃したことがある。死体は路上にうつ伏せに横たわり、血の海が広がり、あたり一面に収穫したばかりの野菜が散乱していた。人々が厳しい表情で遺体を取り囲んでいた。

入国管理局では、職員がバックの中の薬を指して、まじめに「ゲリラにとどけるのか?」と尋ねた。職員は、わたしにメガネを外すように命じ、パスポートの写真と素顔を何度も見比べた。

町の人々は、川によく死体が捨ててあると話していた。少しでもFMLNのシンパの疑いがかかると、殺害や誘拐の対象になっていたのだ。

こうしたテロをサポートしていたのが、米国のレーガン政権である。

◇中米5カ国で紛争を解決

公安調査庁の情報を読むかぎり、1992年にFMLNと政府の間で和平が成立したような印象があるが、これも舌足らずな記述である。間違いではないが、正確ではない。

当時、中米では同時に3つの内戦が進行していた。エルサルバドル、ニカラグア、それにグアテマラである。これらを概して「中米紛争」と呼ぶのだが、
中米紛争の終結に貢献したのは、米国でもキューバでもない。他の第3国でもない。

コスタリカのアリアス大統領の提案で、中米5カ国(コスタリカ、ニカラグア、エルサルバドル、グアテマラ、ホンジュラス)が中米紛争の解決に共同で乗り出して、会議を重ね、みずからの手で和平を実現させたのである。今にして思えば、この地域の民主主義は、この時代から芽生えはじめていたことになる。

大事な点は、中米の人々が自分たちの意思で自分たちの地域の在り方を決めたことである。今の沖縄の人々に似ている。

公安調査庁といえども、国費で調査するわけだから、もう少しまじめに取材活動をすべきだろう。最低限客観的な事実ぐらいは把握しなければならない。

2015年10月09日 (金曜日)

ABC部数の実態とは何かを指摘する新聞販売現場からの声が「黒書」に寄せられた。「黒書」は、定期的に新聞のABC部数の変化を紹介しているが、これらのデータは欺瞞(ぎまん)だという指摘である。

声を寄せたのは、新聞販売店の元店主と思われる人である。次のような指摘だ。(ただし、赤字は黒薮が印した。)

販売現場を離れて10年経つので、参考にしてください。各社の販売部数は年間予算が組まれています。それを月別展開し、ABC協会に報告させます。この部数はご存知のように実部数ではありません。あくまで予算部数であり、販売局承認の政策的部数です。今、新聞界も長期低落傾向は間違いありませんが、ABC部数だけで減少部数を判断するのは正確ではありません。正確な部数は販売店の所長しかわかりません。

   今、販売店は労務難、折り込み広告の減少、読者減で経営はかなり厳しくなって、余分に部数を抱えることが出来ない状況なので、販売担当員は補助金を出すか、同額分の部数を切ることをデスクと相談して実行します。

  新聞各社の実情は概ねこんなものでしょう。なのでABC部数が減少するのです。これは販売部長、局長了解のもとで実行されるのは言わずもがなです。

文中に「各社の販売部数は年間予算が組まれています」とあるが、これは次のような仕組みを意味しているようだ。普通の商売では、販売収入というものは、あくまで商品の販売成績の結果である。たとえば100円の商品を1000個販売する実績をあげれば、販売成績は10万円である。こんなことは改めて念を押すまでもなく常識である。

ところが新聞業の場合、新聞社があらかじめ販売収入の目標を決める。たとえばA店という新聞販売店の1日の売り上げ目標を10万円と決める。新聞1部が100円とすれば、10万円を売り上げを達成するために必要な部数は1000部である。

そこで1000部の新聞をA店に一方的に送りつける。A店が実際に1000部を配達しているかどうかは関知しない。たとえば600部しか配達していなくても、1000部を搬入して、1000部分の代金に相当する10万円を徴収する。配達されなかった400部は、広義の「押し紙」として処理される。

しかし、読者がいない400部もの新聞代金を販売店が負担すると経営が破綻する可能性があるので、補助金を支給する。この補助金も投稿者が指摘している新聞社の「予算」に含まれている。

結局、ABC部数といのは、新聞社の予算によってどうにでも操作できるというのが、投稿者の結論である。

◇不正を黙認という大罪

新聞社の土台にあたる部分で、予算の調整により公称部数の操作が行われてきた事実は重い。それを新聞記者が黙認してきたわけだから、新聞の信用そのものにかかわる。このように恣意的に、あるいはさして熟慮することなく「押し紙」報道を自粛している人々が制作する新聞を本当に信用していいのかという根本的な疑問が生じる。

新聞記者が集団で不正に口を閉ざしてきたのは、おそらく高給待遇を失うリスクを負ってまで、内部告発する意味はないという判断が働いているためだと思われる。

しかし、これだけ重大な社会問題を黙認すれば、公権力はこの部分につけいって「汚点」を逆手に取り、新聞が紙面上で本格的な政府批判などを始めた時に、「押し紙」を合法的に取り締まり、新聞社を経営破綻に追い込む策に打ってでかねない。その不安が新聞人たちを自粛させている。

日本の新聞が政府公報の域を一歩も脱することができないゆえんにほかならない。口をそろえて中央紙がTPPをPRしているのがその好例だ。これではジャーナリズムとしての存在価値がまったくない。国民を新自由主義の論理で洗脳することになってしまう。

2015年10月07日 (水曜日)

【サマリー】9月17日に成立した安保関連法案に対して財界が歓迎の意を表明している。経済同友会と経団連がそろって談話を発表した。

 最近、マスコミは発展途上国における日本によるインフラ整備をPRするようになったが、インフラ整備の先には、多国籍企業の進出がある。そのためのインフラ整備の側面が強い。さらにその先には、海外派兵によって、進出先の国の「治安」を維持し、多国籍企業がぼろもうけできる体制の維持という青写真がある。

 安倍内閣の積極的平和主義とは、海外派兵によって多国籍企業の権益を守る行為にすぎない。グローバリゼーションや新自由主義=構造改革を歓迎しているリベラル右派が、結局、安保関連法案に本気で反対できないのも、このあたりに事情がある。

9月17日に成立した安保関連法案に対して財界が歓迎の意を表明している。たとえば経済同友会は9月19日、小林喜代表幹事の次のような談話を発表した。

「1.本日、安全保障関連法案が参議院にて可決された。日本の安全と世界の平和・安定を図る上で、今回の法案成立の意義は大きい。日本の安全保障体制強化に向けた大きな一歩として評価したい。

2.一方、当法案をめぐり、憲法論や法律解釈論等に焦点が当たり、日本の安全保障政策をどうするのかという本質的な議論が深まらず、国民的理解の醸成に至らなかった点は、極めて残念である。政府・与党には、同法案の運用に向けて、一層、真摯な説明を継続していただきたい。

3.さらに、テロ、サイバー攻撃のような新たな脅威や情報戦争といった側面も含めて、与野党ともにさらなる議論を深めていただきたい。」

経団連の榊原定征会長もやはり9月19日にコメントを発表している。

「国民の生命や財産を守ることは国の最も重要な責務である。わが国を取り巻く安全保障環境は一層厳しさを増している。このような中で、国会において長時間にわたり真剣な議論が行われ、安全保障関連法案が成立したことを歓迎したい。

今後、わが国が積極的平和主義のもとで国際社会の平和と繁栄にこれまで以上に貢献していくことを望む。」

◇多国籍企業の防衛戦略としての海外派兵

メディア黒書でたびたび指摘してきたように、自衛隊を海外へ派兵する要求は米国だけではなく、日本の財界からも出されてきた。そのことは、たとえば経済同友会がこれまでに発表した安全保障や海外における事業活動に関する提言にも色濃く反映している。

参考までに次の記事を紹介しておこう。

■経済同友会の提言が露呈する多国籍企業の防衛戦略としての海外派兵、国際貢献は口実
  

◇「侵略→占領→引き上げ」

海外諸国、特に発展途上の国々に対する支援は複雑な側面を持っている。多面性のかたまりにほかならない。最近、某テレビ局が日本がカンボジアなどで水道のインフラ整備を進めていることを報じていた。番組はこのような支援を善意の行為として報じていたが、それほど単純なものではない。

支援には矛盾した2つの側面がある。まず、水道を整備することで、地元の人々が大きな恩恵を受けることは間違いない。その意味では確かに善意の支援である。

同時になぜ日本がこうした支援に積極的に乗り出すのかという理由を考慮する必要がある。

結論を先にいえば、それは水道などのインフラ整備を進めなければ、多国籍企業が進出するための条件が整わないからだ。なぜ、多国籍企業が海外へ進出するのかは単純で、国際的な企業競争の下で、少しでも安い人件費で工場を操業することが戦略目標になっているからだ。そこで財界と癒着した政権がスポンサーになって、発展途上国のインフラ整備に乗り出すのだ。

従って多国籍企業が現地へ進出した後は、なるべく安い賃金で現地の人々を搾取する青写真があると見て間違いない。インフラ整備というのは、一見すると地元の人々を支援しているように見えるが、長いスタンスで見ると多国籍企業にぼろもうけをさせるために必要な条件を整備することが目的なのだ。

こうして多額の資金を「投資」して、海外進出の条件を整備した段階で、次に必要となるのが、現地の「治安」を維持するための派兵体制である。

安倍内閣が改憲に踏み出そうとしているのも、世界のあらゆる地域にピンポイントで軍隊を投入して、政変の火を消す体制を構築するためにほかならない。従って、安倍内閣の頭の中にあるのは、極右が想定しているような旧日本軍型の「侵略→占領→植民地」型の戦争ではなく、「侵略→占領→引き上げ」の戦略である。

積極的平和主義とは、端的に言えば、発展途上国における政変の火を消すための軍隊の投入を意味する。グローバリゼーションと新自由主義=構造改革を歓迎しているリベラル右派が、結局、安保関連法案に本気で反対できないのも、このあたりに事情がある。

2015年10月06日 (火曜日)

【サマリー】2015年8月度の新聞のABC部数が明らかになった。この1年で朝日は約47万部を減らし、読売は約13万部を減らした。新聞の長期低落傾向に歯止めがかかっていないことが分かった。

2015年8月度の新聞のABC部数が明らかになった。中央5紙の長期低落傾向には、まったく歯止めがかからず、新聞産業が奈落の底へ一直線に進んでいる実態が明らかになった。具体的な数字は次の通りである。(括弧)内は、対前年同月差である。

朝日新聞  6,783,437 (-468,840)
読売新聞  9,101,798(-132,046)
毎日新聞  3,248,393(- 55,430)
日経新聞  2,726,561 (- 37,422)
産経新聞  1,599,127 (-  1,865)

1年の間に朝日は約47万部、読売は約13万部を減らしている。

読売はガストなどファミレスで新聞を無料提供しているが、従来のこのPR戦略に加えて、最近では英字新聞「The Japan News」も配布している。そのThe Japan Newsの発行部数は、2万2106部である。対前年同月差は、-1238部である。読売本紙に比べて、事業規模は極めて小さい。

読売KODOMOは、18万6228部で、対前年同月差は2万6439部の減部数となった。

地方紙・ブロック紙は、この1年で総計27万4851部を減らした。

なお、ABC部数には「押し紙」が含まれているので、ABC部数がそのまま実配部数を反映しているわけではない。

■2015年8月度のABC部数

2015年10月05日 (月曜日)

政府にとって世論誘導に最も有効な手段はメディアの利用である。とりわけ中立のイメージがある巨大メディアに政府広報の役割を代行させることが出来れば、自在に世論をあやつることができる。

日本の中央紙(朝日、読売、毎日、日経、産経)の発行部数は、約2350万部。地方紙・ブロック紙は、全部で約1550万部である。日本の新聞発行部数は総計で約3900万部ということになる。

新聞発行部数の3分の1が偽装部数(「押し紙」)としても、新聞の影響力ははかり知れない。しかも、ほとんどの新聞社には、その配下に系列のテレビ局があるわけだから、政府にとっては、新聞社をいかにコントロールするかが、日本の世論を誘導するための鍵となる。安倍首相が、読売の渡辺恒雄会長と会食を繰り返しているゆえんである。

政権党とジャーナリズムが癒着するという異常な状況が生まれているのだ。

◇新聞業界の焦り

消費税の軽減税率の問題で、日本新聞協会が9月17日に声明を出した。その中で同協会は、現行の8%に上乗せする2%分の消費税について、マイナンバーを使って登録される買い物記録から、軽減税率が適用される商品を割り出し、事後還付する案を次のように批判している。

子供や高齢者も含めてマイナンバーの携帯を求められることに加え、パソコンなどIT端末に習熟していないければ税の還付を受けられない。このため特に高齢者は利用しにくく、現在の高齢化社会にまったくそぐわない制度といわざるを得ない。

新聞に対する軽減税率が適用されるか否かは不明だが、たとえ適用されても、事後還付方式が採用された場合、新聞業界への打撃は大きい。というのも、まず、第一に消費税の税率アップを機に新聞の定期購読を中止する人が増える可能性が高いからだ。

第2に新聞の読者が高齢者層に限定される傾向が顕著になる中で、ITとは疎遠なために、還付の手続きができず、この制度から除外される層が相当の割合で生じる恐れがあるからだ。

ちなみに消費税の税率があがることで、新聞販売店の税負担も増えるわけだが、特に問題なのは、読者がいない「押し紙」に対しても消費税がかかるために、その負担が想像以上に大きくなることだ。

◇「押し紙」問題も背景に

この問題については、河内孝氏が『新聞社』(新潮新書)の中で試みた有名な試算がある。この試算は、消費税が5%から8%に変更になる前の時期に行われたもので、それによると、2%のアップにより、読売は約109億円の負担増になる。さらに朝日は、約90億円、毎日は42億円、日経は39億円、産経は22億円の負担増となる。

つまり新聞業界にとって消費税率のアップは2重の死活問題にほかならない。

こうした状況を政府が逆手にとれば、新聞社を自在にコントロールして、新聞を世論誘導の道具に変質させることができる。特定秘密保護法や安保関連法案が、消費税問題と連動して持ち出されてきた背景にほかならない。徹底した反政府的報道を展開すれば、新聞社にとっては致命的となる新税制が導入されるリスクが高まる。新聞人たちは、それを知っているから、怖気づいて徹底した安倍批判を展開しないのだ。

とはいえ、たとえば政府が安保関連法案に反対の論調を張った新聞を公然と弾圧することはない。公然と弾圧すれば、日本人は「ガス抜き」の場を失い、かえって政府に対する不信感が高まるからだ。安保関連法制には反対しても、新自由主義=構造改革の導入に関しては、政府を応援するというようなスタンスになってしまう。

「ガス抜き」の役割を担う朝日新聞などリベラル右派のメディアは温存する必要があるのだ。安倍内閣にはいろいろな問題点はあるが、相対的にみれば、やはりそれほど悪くはないという世論を形成できれば、その方が世論誘導の道具としては有効なのだ

2015年10月02日 (金曜日)

【サマリー】対読売裁判で真村氏が敗訴した理由のひとつに、真村氏が「メディア等を用いて」読売を攻撃したことがあった。具体的には、真村氏がわたしの取材に協力したことである。読売代理人の喜田村洋一・自由人権協会代表理事らは、準備書面の中で「自称ジャーナリスト黒薮」という優等生らしい蔑称を使って、この点についてたびたび言及している。それが記録に残っている。

  この裁判には、記録された文書を基に検証を重ねなければならない問題が山積している。たとえば同じ裁判官が、仮処分の判決と本訴でまったく正反対の結論を出している事実である。

第2次真村裁判の仮処分の申し立ては、1審から4審まで真村氏の完全勝訴だった。しかし、本訴では逆、1審から3審(地裁・高裁・最高裁)まで読売の勝訴だった。本訴が優先されるので、真村氏は敗訴した。

平行して進行したこれら2件の裁判では、ほぼ同じ証拠資料が提出され、同じ主張が展開されたことはいうまでもない。が、判決だけは正反対になった。

この事実は、日本の裁判所が物事の明確な判断基準を有していないことを意味する。裁判官の主観により、あるいは政治的な要素を配慮しながら、判決を下していることになる。司法制度が日本の権力構造の歯車に組み込まれている結果、このような現象が生じている可能性もある。

この裁判にかかわった判事に木村元昭(現、福岡家庭裁判所所長)という人物がいる。木村裁判官は、福岡地裁で仮処分の第2審を担当し、真村氏を勝訴させた。その直後に、沖縄の那覇地裁へ転勤になった。

木村裁判官が那覇地裁で勤務している間も、福岡で真村裁判は進行していた。

本訴の地裁判決で敗訴した真村氏は、福岡高裁へ控訴した。その控訴審がはじまってまもなく、裁判長の交代があった。新しい裁判官は、木村元昭氏だった。木村氏が那覇地裁から福岡高裁へ栄転して、真村裁判の控訴審を担当することになったのだ。

仮処分で真村氏を勝訴させた裁判官であるから、当然、本訴でも真村氏に有利な判決を出すものと思われた。ところが判決は、真村氏の敗訴であった。判決の内容も、木村氏がみずから執筆した仮処分の判決と矛盾だらけの内容だった。

木村元昭氏が書いた2つの判決を読み比べたとき、わたしはこの人物の人間性そのものを疑った。判決は、記録として永遠に残る。同じ裁判官が同じ案件で書いた2つの判決を、後世の司法研究者はどう評価するのか、わたしは暗い好奇心を刺激された。

この裁判の詳細については、拙著『新聞の危機と偽装部数』の第6章「人権問題としての真村裁判」に詳しい。

ちなみに木村氏は、わたしが読売に対して起こした損害賠償裁判(読売がわたしに対して提訴した3件の裁判が「一連一体の言論弾圧」として5500万円を請求)の控訴審で、裁判長として登場し、わたしを敗訴させている。

◇取材する自由、取材を受ける自由

さて、本訴における真村氏の敗訴理由のひとつに、真村氏が「メディア等を用いて」読売を攻撃したことがあがっている。具体的には、わたしの取材に応じたことである。読売代理人の喜田村洋一・自由人権協会代表理事らは、準備書面の中で「自称ジャーナリスト黒薮」という蔑称を使って、この点についてたびたび言及している。

詳細については、拙著『新聞の危機と偽装部数』(花伝社)から重要部分を抜粋するので、次のPDFをご覧いただきたい。

■『新聞の危機と偽装部数』・・・「黒薮執筆の記事の責任を真村氏が負う不思議」

真村氏がわたしの取材活動に協力したことを、改廃理由として主張した喜田村氏らが、報道活動の自由や取材を受ける自由について、本当はどのように考えているのかは知らないが、真村裁判の記録文書を検証する限りでは、厳しく言論制限するのが妥当だという考えのようだ。少なくともわたしはそんな印象を受けた。

残念ながらこのような考えは、特定秘密保護法の施行に象徴されるように、水面下でじわじわと日本に広がっている。

2015年10月01日 (木曜日)

【サマリー】  第2次真村裁判とは、第1次裁判の判決確定により、YC広川・真村店主の地位が保全された7か月後に、読売がやはり真村氏に対して断行した販売店改廃に端を発した地位保全裁判である。結論を先に言えば、真村氏は敗訴した。

 この第2次裁判は、さまざまな問題を含んでいる。たとえば真村氏の解任を認める理由として、わたし(黒薮)の取材を受けたことなどがあがっている。
言論・表現の自由にかかわる問題が浮上したのである。しかも、新聞社がかかわっているのである。

 この裁判でも、やはり自由人権協会の喜田村洋一代表理事が、読売代理人として福岡へ通い続けたのである。

さて、第2次真村裁判を紹介しよう。

すでに述べたように2007年12月、第1次真村裁判の判決が最高裁で確定して、YC広川の真村店主は、店主としての地位を守った。ところがそれから約半年を経た2008年7月、読売は真村氏との取引契約が満期になったのを機に、契約更新を拒否した。真村氏は店主としての地位を失ったのである。

一見すると契約満期に伴う更新拒否であるから、法的に問題がないように思われるが、販売店を開業するにあたっては多額の投資をしていることや、新聞販売業が家業としての側面を持っていることなどからして、継続的契約とみなされ、正当な改廃理由がないのに、更新を拒否することはできない。

ところが読売は、最高裁で真村氏の地位保全が確定した7か月後に、YC広川を強制改廃したのである。見方によれば、司法に対する正面からの挑戦といえるだろう。自己中心的な新聞人の体質を露呈した事件ともいえよう。

◇真村氏が再び法廷へ

当然、真村氏は再び地位保全裁判を提起せざるを得なかった。第1次真村裁判の終了から、たった7か月のブランクを経て、再び地位保全裁判の法廷に立つことになったのである。

江上武幸弁護士ら真村氏サイドは、仮処分の申し立てと、本訴を平行する戦術を取った。仮処分を申し立てたのは、早急に販売店の業務を再開して生活の基盤を確保する必要があったからだ。

第2次裁判が検証対象とした期間は短かった。2007年12までの真村氏の行動に関しては、店主を解任される正当な理由は存在しないという司法認定を受けたわけだから、それ以後の時期、つまり2008年1月から、解任される7月末までの7か月のあいだに、真村氏を解任するだけの真っ当な理由が存在するかどうかが、検証点になる。

当然、江上武幸弁護士らは、第2次裁判での真村氏の敗訴はあり得ないと見ていた。わたしは当時、少なくとも10人ぐらいの知り合いの弁護士に、見解を問うてみたが、口をそろえて真村氏の敗訴はあり得ないと返答した。

実際、仮処分の申し立てでは、真村氏が勝訴した。1審から、4審にあたる最高裁への特別抗告まで真村氏の勝訴だった。喜田村洋一・自由人権協会代表理事ら読売側は、真村氏の「首切り」を執拗に主張したが認められなかった。

◇読売、司法命令に従わず

仮処分の第1審で勝訴した後、読売は仮処分命令に従い、真村氏を店主として復帰させるものと思われた。が、驚くべきことに喜田村弁護士らは、仮処分命令に従わなかったのだ。

これに対して江上弁護士らは、間接強制金を請求した。裁判所もこれを認め、読売は1日に3万円の「制裁金」を真村氏に支払うことになったのである。読売は2審、3審、4審と敗訴したので、「制裁金」の累積は、約2年半で約3600万円にもなった。

ちなみに間接強制金は、本訴で敗訴した場合、支払い元へ返済しなければならない。ある意味では理不尽な制度である。

読売が仮処分命令に従っていれば、真村氏は事業を再開でき、自分で生活の糧をえることが出来た。しかし、読売が命令に従わなかったから、真村氏は業務を再開できず、やむなく「制裁金」を受け取り、生活費や販売店の店舗のメンテナンスにあてていたのである。

本訴の最初の判決(福岡地裁)は、2011年3月15日に下された。審理は2年8か月に及んでいた。予想に反して真村氏の敗訴だった。裁判には圧倒的に強い読売が勝訴したのである。

この時点で、真村氏に3600万円の「制裁金」を読売に返済する義務がのしかかってきた。実際、後日、喜田村弁護士らは、真村氏の資産を仮に差し押さえる措置に出てくる。

■喜田村弁護士らが作成した不動産仮差押命令申立書

本訴では控訴審も上告審も、真村氏の敗訴だった。裁判所は、第1次裁判終了から後の7か月のあいだに、真村氏を解任に値する理由があったと判断したのである。

その理由は暗い好奇心をかきたてる。詳しくは、日を改めて報告するが、代表的な理由をひとつあげよう。

真村氏がわたし(黒薮)の取材に協力したことである。喜田村弁護士らが作成した準備書面には、黒薮批判も登場する。言論・表現の自由にかかわる問題である。喜田村氏らの書面は、記録として永久保存しているので、機会があれば公開しよう。【続】

2015年09月30日 (水曜日)

【サマリー】真村裁判の判決が確定した後、敗訴した読売が攻勢に転じる。2008年2月から読売は、わたしに対しする2件の裁判提起をはじめ、YC久留米文化センター前の店主の解任、それに伴う地位不存在を確認する裁判を起こした。これらの裁判に、読売の代理人としてかかわってきたのが、自由人権協会の代表理事である喜田村洋一弁護士だった。

 真村氏は今も係争中だ。1人の人間を10数年に渡って法廷に縛り付けることに、人権上の問題はないのだろうか?自由人権協会とは、何者なのか?新聞社とは何か?

真村裁判の詳細については、次の記事に詳しい。

■「押し紙」70年⑩、「押し紙」隠しの手口を暴いた真村裁判・福岡高裁判決

既に述べたように、真村裁判はYC広川の真村久三店主が読売新聞西部本社に対して起こした地位保全裁判で、最大の争点は、真村氏が経理帳簿上で「押し紙」の存在を隠すためにせざるを得なかった部数内訳の虚偽記載、虚偽報告が解任理由として正当か否かという点だった。裁判所は、真村氏による虚偽報告が事実であることは認定したが、そうせざるを得ない背景に読売の販売政策があるので、解任理由には該当しないと判断したのである。

判決は2007年12月に最高裁で確定した。真村氏は、YC広川の店主としての地位を守ったのである。

ちなみに販売店の改廃は、新聞社側が「改廃」を通告して、有無をいわさずに新聞の供給をストップする方法が取られることが多い。しかし、YC広川に関しては、読売もこのような強引な方法は採用しなかった。

真村氏の弁護士と読売の弁護士との間に、係争の決着が着くまでは、一方的な販売店改廃は行わないという紳士協定が結ばれていたからである。喜田村洋一・自由人権協会代表理事が東京から駆けつけて、読売の加勢に乗り出す前の時期であった。

◇半年で4件の裁判に

真村裁判の判決が確定したのは2007年12月。が、年が改まり2008年になると予想しない事件が次々と発生する。真村裁判で敗北した読売の攻勢が始まったのだ。主要な動きを時系列に記録して、記憶に留めておこう。

【2月】読売の江崎徹志・法務室長が黒薮に対して、著作権裁判を起こした。江崎氏の代理人は、喜田村洋一弁護士。この裁判の「永久保存資料」(黒薮保管)の中に、喜田村氏が主張する著作物とは何かが記された書面が残っているので、機会があれば原文を紹介しよう。弁護士活動を考えるうえで貴重な記録である。極めて興味深い。

【3月】「押し紙」問題を江上武幸弁護士らに相談して、広義の「押し紙」(残紙)の受け入れを断ったYC久留米文化センター前の平山春雄店主が、店主を解任された。これに先立って、読売は平山店主の地位不存在を確認する裁判を起こしていたことが、後に分かった。代理人は、喜田村洋一弁護士ら。平山氏の側も地位保全裁判を起こした。

【3月】前記の平山事件をウエブサイトで報じた黒薮に対して、読売側が2330万円の金銭などを請求して名誉毀損裁判を起こした。代理人は、喜田村洋一弁護士。2330万円の中には、喜田村氏の弁護士費用として200万円が含まれていた。

【7月】読売が真村氏経営のYC広川を強制的に改廃した。真村氏はただちに地位保全裁判を起こした。これが第二次真村裁判である。この裁判でも、読売側の代理人として、やはり喜田村弁護士が東京から駆けつけ、福岡の弁護士らに加わったのである。

第二次真村裁判は一応の決着はついたが、そこから派生した別の裁判で、真村氏は今も読売と係争中である。1人の人間を10数年に渡って法廷に縛り付けることは、人権問題にほかならない。自由人権協会とは何者なのか?新聞社とは何か?

2015年09月29日 (火曜日)

【サマリー】  「押し紙」否定論(読売に「押し紙」は存在しないという理論)に立つ読売の副社長・宮本友丘氏が、日本ABC協会の理事に就任していることが分かった。ABC部数は、新聞の実配部数を反映していない。その原因は、ABC部数の中に、広義の「押し紙」(残紙)が含まれているからだ。

 宮本理事にABC部数の問題にメスを入れる力はあるのだろうか?

「押し紙」否定論(読売に「押し紙」は存在しないという理論)に立つ読売の副社長・宮本友丘氏が、日本ABC協会の理事に就任していることが分かった。宮本氏は、週刊新潮が掲載した「押し紙」問題の記事に対して、読売が名誉毀損で新潮社とわたしを提訴した際に証人尋問に立った人物である。そして「読売新聞社として押し紙をしたことは1回もございません」と証言したのである。

読売の代理人・喜田村洋一・自由人権協会代表理事の質問に答えるかたちで、次のように証言した。

 喜田村弁護士:この裁判では、読売新聞の押し紙が全国的に見ると30パーセントから40パーセントあるんだという週刊新潮の記事が問題になっております。この点は陳述書でも書いていただいていることですけれども、大切なことですのでもう1度お尋ねいたしますけれども、読売新聞社にとって不要な新聞を販売店に強要するという意味での押し紙政策があるのかどうか、この点について裁判所にご説明ください。

宮本:読売新聞の販売局、あと読売新聞社として押し紙をしたことは1回もございません。

喜田村弁護士:それは、昔からそういう状況が続いているというふうにお聞きしてよろしいですか。

宮本:はい。

喜田村弁護士:新聞の注文の仕方について改めて確認をさせていただきますけれども、販売店が自分のお店に何部配達してほしいのか、搬入してほしいのかということを読売新聞社に注文するわけですね。

宮本:はい。

◇新聞協会、「残紙のことですか?」

「押し紙」問題を考える際には、「押し紙」の定義を明確にしなければならない。が、「押し紙」の定義はひとつだけではない。

「押し紙」は存在しないと主張している新聞人にとって、「押し紙」とは、新聞社が販売店に押し売りをした「証拠がある新聞」のことである。彼らにとって、証拠がない新聞は「残紙」である。あるいは「積み紙」。そんなふうに「押し紙」と残紙を使い分けることで、厳密な意味での「押し紙」は存在しないという理論を堂々と展開してきたのだ。

実際、宮本氏は上記の裁判の陳述書の中でも次のように述べている。

読売新聞社においては、新聞販売店が独自の判断で注文部数を自由に増減できる「自由増減主義」が、販売政策の基本原則です。定数を注文するのは販売店であって、発行本社ではなく、販売店の経営社が独自の裁量で決めています。

こうした「押し紙」否定論は新聞人たちの独自の主張であって、一般的に「押し紙」という場合は、新聞販売店で過剰になっている新聞全般を意味する。押し売りの証拠があろうとなかろうと関係がない。

社会通念からして、販売予定のない新聞を購入することなどありえず、とすればそれはなんらかの口実で押し売りされた新聞に違いないと考えるのが一般的だからだ。確かに新聞社に対する忠誠心などから、販売予定のない新聞を受け入れている販売店もあるが、一般の人々はこうした特殊な裏事情は関知していない。多量の新聞が過剰に販売店にあふれ、廃棄されている事実を、重大な社会問題として認識し、広義の意味で「押し紙」問題と呼んでいるのである。

が、新聞人は後者の事情から視線をそらしてきた。それどころか、「押し紙」という言葉を、みずからの造語「残紙」にすり替えて、問題の直視を避けてきたのである。かつてわたしは新聞協会の職員に、協会は「押し紙」の存在を認めているのか否かを尋ねたことがある。その時、職員は、

「残紙のことですか?」

と、切り返してきたのであった。これはあまりにもしばしば見られる新聞人の対応にほかならない。みずからの過ちは絶対に認めない彼らの体質をよく反映している。

◇公益性が極めて高い「押し紙」問題

新聞のABC部数に広義の「押し紙」、あるいは残紙が含まれてることは、新聞関係者の間ではすでに周知の事実となっている。ABC部数は、実際に配達している新聞部数を反映しなければ意味がない。広告主が、PR活動の基礎データとして利用するからだ。

つまりABC部数においては、過剰になっているいる新聞の性質が「押し紙」であるか、それとも「残紙」であるかという点は重要ではない。過剰になった新聞の中身が「押し紙」であろうと、「残紙」であろうと、ABC部数が実配部数を正しく反映していない実態こそが問題なのだ。

ABC協会の読売・宮本友丘理事は、この問題にどう向き合うのだろうか。

読売VS新潮社の裁判では、ABC部数が実配部数を反映していない問題は争点にはならなかった。争点になったのは、「押し紙」に関する記述そのものが、読売の名誉を毀損したか否かという点だった。当然といえば、それまでだが、これは同時に担当裁判官の視野の狭さを物語っている。

このあたりが日本の裁判官のトンチンカンな部分なのである。公益性が極めて高い問題に対しては、名誉毀損の問題とは別に、訴因となった事件の本質的な部分を検証するのが欧米の常識である。

そもそも名誉毀損の問題は、新聞人がみずからのペンと紙面で反論すれば、それですむことではないだろうか。何のために30年、あるいは40年ものあいだ記者を続けてきたのだろうか。

2015年09月28日 (月曜日)

【サマリー】リーランスの表現者43名からなる特定秘密保護法違憲訴訟の原告団は、29日(火)の午後6時から8時の予定で、新橋駅前SL広場でリレー演説会を開く。弁士は、原告のジャーナリスト・安田浩一氏をはじめ、評論家の孫崎享氏、自由人権協会の藤原家康弁護士ら。

 安保関連法案に先立って施行された特定秘密保護法の本質はなにか。改めて解説する。

フリーランスの表現者43名からなる特定秘密保護法違憲訴訟の原告団は、29日(火)の午後6時から8時の予定で、新橋駅前SL広場でリレー演説会を開く。これは11月18日に予定されている地裁判決を前にした宣伝活動の一環である。弁士は次の方々。

①安田浩一(原告)
②新聞労連・新崎盛吾委員長
③「劇団チャリT企画主宰」劇作家・演出家・俳優の楢原拓氏
④宮本徹衆院議員(共産)  
⑤日体大・清水雅彦教授(憲法)
制服向上委員会4人 トークと歌
⑦出版労連・前田能成氏(特定秘密法担当)
⑧孫崎享氏(元外交官・評論家)
⑨堀敏明弁護士(原告代理人弁護士)
⑩福島みずほ(社民)
⑪藤原家康(秘密保護法対策弁護団)

特定秘密保護法は、広義の安保関連法案である。もともとは日米共同作戦を展開するに際して、必然的に生じる軍事上の秘密を外部に漏らさないことを法的に担保するために発案された法案だったが、その後、特定秘密の適用範囲がなし崩し的に拡大され、法律が成立した段階では、次の19の行政機関が特定秘密を指摘できることになった。

①国家安全保障会議 ②内閣官房 ③内閣府 ④国家公安委員会 ⑤金融庁 ⑥総務省⑦消防庁 ⑧法務省 ⑨公安審査委員会 ⑩公安調査庁 ⑪外務省 ⑫財務省 ⑬厚生労働省⑭経済産業省 ⑮資源エネルギー庁 ⑯海上保安庁 ⑰原子力規制委員会 ⑱防衛省 ⑲警察庁

これらの行政機関が、次の4要件のうち1要件でも満たすと「主観的」に判断したものを特定秘密に指定できる。

① 防衛に関する事項
②外交に関する事項
③外国の利益を図る目的で行われる安全脅威活動の防止に関する事項
④テロ活動防止に関する事項

たとえばTPPは②に該当する。海外派兵は①②③に該当する。
もっとも身近な例をあげると、たとえばわたしが取材対象にしている携帯電話の基地局問題は、④に該当する。通信網に関する情報の開示が、テロ活動に悪用されるという詭弁(きべん)が一応は成り立つからだ。

◇安保関連法との関係

安保関連法が成立して、これから日本は海外派兵を繰り返していくことになるが、戦死者がでようが、日本軍が第三世界で住民の虐殺事件を起こしても、それを①②③を口実に特定秘密に指定すれば、事件の報道そのものができなくなる。つまり日本軍がジャーナリズムの視線をかいくぐって、やりたい放題に軍事作戦を展開できることになる。

かりに安保関連法が自衛隊員を戦争に巻き込んでも、特定秘密保護法がなければ、ジャーナリズムの力で戦況の詳細を告発して、反戦世論を高めることができる。が、特定秘密保護法が成立してしまった今は、この法律がそれを妨げる。違反した記者は、最高で10年の懲役に服すことになる。その意味で、特定秘密保護法はメディアに対する弾圧法なのだ。前近代的な治安維持法にほかならない。

安倍内閣が安保関連法に先立って特定秘密保護法を制定したのは、安保関連法を施行しても、特定秘密保護法が抜け落ちていれば、ジャーナリズムの力で軍事大国化の野望を粉砕される恐れが高まるからにほかならない。

29日のリレー演説会の弁士に民主党と維新の会の国会議員の名前がないのは残念なことだ。原告団が声をかけたが応じなかった。彼らの大半は「反自民」よりもむしろ「反共」であり、今後、本気で特定秘密保護法や安保関連法の廃止のために戦う気があるのかおぼつかない。まやかしの二大政党制の片棒をかついでおり、「失われた20年」の悲劇を再来させようとしている。