
名誉毀損裁判で敗訴した場合の損害賠償額が、かつてに比べて高額化している。その一方で極めて低額な賠償命令も下っている。わたしの知るケースでは、前者が300万円で、後者が10万円である。
たとえば『スポーツ報知』(2015年10月28日)は、やしきたかじん氏の妻・やしきさくら氏が、たかじん氏の元弟子を提訴した裁判で、大阪地裁が300万円の支払いを命じたことを伝えている。
昨年1月に亡くなった歌手でタレントのやしきたかじんさんの妻、さくらさんが、たかじんさんの元弟子・打越元久氏(57)に名誉を傷つけられたとして、1000万円の慰謝料を求めた訴訟で大阪地裁は28日、打越氏に300万円の支払いを命じる判決を言い渡した。
訴えによると、打越氏は昨年11月、インターネットラジオの番組に出演し、作家・百田尚樹氏(59)がたかじんさんの闘病生活を描いた「殉愛」の内容が真実ではないと指摘。遺産相続などをめぐって事実とは異なる発言をしたと主張していた。
ちなみに作家・百田尚樹氏(59)が出版した『殉愛』(幻冬舎)に対する意見や評論などに対して、出版社などが入り乱れて複数の裁判が起きている。
このうち、さくら氏は、300万円の判決が下った上記の裁判の他に、フリーランスライターを訴えている。この裁判では、喜田村洋一・自由人権協会理事が、さくら氏の代理人を務めている。
喜田村弁護士は、薬害エイズ事件で起訴された安部英氏やロス疑惑事件の三浦和義氏を断罪から救済した手腕を持つ。「押し紙」に関しては、読売には1部も存在しないと主張し、それを司法認定させた。
■「押し紙」回収の現場(隠し撮り)-画像は本文とは関係ありません。
◇著作権裁判で前代未聞の判例
しかし、わたしとの著作権裁判では、門前払いのかたちで敗訴した。この裁判では、虚偽を前提に提訴に及んでいたことが認定された。争点となった文書の作成者が、その文書の名義人本人ではく、喜田村氏であった高い可能性が認定されたのである。裁判史上でも珍しい判例だ。
わたしは同氏を懲戒請求したが、日弁連はそれを認めず、喜田村氏は現在も活動を続けている。
■自由人権協会:日本を代表する護憲派の人権擁護団体。サラ金の武富士の代理人を務めた弘中惇一郎弁護士ら、名誉毀損裁判にかかわっている弁護士が多い。(詳細)
さくら氏が起こした裁判で300万円の賠償が下った判例のほかにも、わたしがこのところ取材している事件で2件も300万円の賠償を命じた判例がある。法人に対する賠償であればともかくも、個人に対する賠償額としては、尋常ではない。
◇「統合失調症」という表現
その一方、メディア黒書でたびたび紹介してきた市民運動家で最高裁事務総局の不可解さを厳しく追及している志岐武彦氏が、歌手で作家の八木啓代氏を訴えた裁判では、敗訴した八木氏に対する賠償命令の額はたったの10万円だった。
■(参考)歌手で作家・八木啓代氏のツィートを裁判所はどう判断したのか、裁判所作成の評価一覧を公開
この判決で示された基準からすれば、ネット上で投稿者がある人物を統合失調症であるというまったく事実とは異なる評価をツィートしても名誉毀損とは認定されないことになる。
名誉毀損裁判では、「一般読者の普通の注意と読み方を基準として」、それが社会的地位を低下させたかどうかを判断する。おそらく裁判官は、ツィッターで相手を統合失調症と評しても、それを本気で信じ込むひとはいないと判断したのではないか。その意味では、裁判にありがちな机上の思考ではない。
◇読売が約8000万円のお金を請求
わたし自身は、2008年から2009年にかけて、読売新聞社からたて続けに3件の裁判を起こされた。請求額は約8000万円。このうち2件目の裁判は、メディア黒書の記事が名誉毀損に問われた。請求額は2230万円。読売代理人は、地裁では喜田村洋一・自由人権協会代表理事で、高裁からはTMI総合法律事務所の升本喜郎弁護士らだった。
一方、わたしの代理人は、江上武幸弁護士ら9名だった。無報酬の弁護活動だった。
結果は、さいたま地裁と東京高裁はわたしの勝訴だったが、最高裁が口頭弁論を開いて、判決を東京高裁へ差し戻した。そして東京高裁の加藤新太朗裁判長は、わたしに対して110万円の金銭支払いを命じた。後に加藤氏が、読売新聞に少なくとも2度、単独インタビューで登場していたことが判明した。
この裁判は、最高裁でわざわざ口頭弁論を開いて、読売を逆転勝訴させるほどの事件なのか、今も再考しているが、とにかくわたしが敗訴したのである。野球でいえば、甲子園の決勝で9回の裏、読売に逆転されて負けたのだ。
◇曖昧な日本の名誉毀損裁判
今、ここにあげた何件かの裁判を見る限り、わたしは日本の名誉毀損裁判の判断基準がどこにあるのか分からない。名誉毀損裁判では、「一般読者の普通の注意と読み方を基準」にすることになっているが、判決の結果はばらばらだ。一貫性がない。
たとえばツィッターやフェイスブックをやっている裁判官であれば、これらのメディアの言語は比較的自由で、相手に向かって「統失」(八木裁判)と書こうが、「人格障害」(やしきさくら氏の裁判)と書こうが、本気でそれを信じ込む人は、まず、一人もいないことを知っている。それが社会通念である。
判断基準が曖昧になっているということは、裁判官の気分ひとつで、どうにでも判決を書けることになる。このような司法運用の実態は、裁判を言論抑圧の道具に変質させる危険性を孕んでいる。
このところ日本は、言論活動を抑圧する方向へ進んでいる。そのことは、特定秘密保護法を含む、広義の戦争法案が成立した流れの中に顕著に見ることが出来るが、これに連動して名誉毀損裁判の賠償額が高額化している事実は、言論を統制しようとしている内閣の方針に、最高裁事務総局も追随していることを意味しないだろうか。「一般読者の普通の注意と読み方」という基準は極めて主観的で「凶器」に変わりやすい。危険な兆候だ。
とはいえ、日弁連はようやく、名誉毀損裁判やスラップを問題視し始めたようだ。
◆吉竹幸則(フリージャーナリスト・元朝日新聞記者、秘密保護法違憲訴訟原告)
安倍首相別働隊とも言えそうな「放送法遵守を求める視聴者の会」から、露骨な意見広告で攻撃を受けていたTBS「NEWS23」は、岸井成格キャスターを交代させ、局専属のスペシャルコメンテーターにすることを発表した。昨年3月の古賀茂明氏降板発言問題で、放送法をちらつかせた自民の呼び出しに、のこのこ出て行ったテレビ朝日も「報道ステーション」古舘伊知郎キャスターの降板をすでに明らかにしている。
放送法4条「政治的中立」を武器に、自らが快く思っていない番組・出演者に攻撃を強めているのが安倍政権だ。TBSは、「岸井氏の活躍の場を広げるため、以前から話し合いを進めていた。岸井氏の発言や意見広告は全く関係ありません」としている。しかし、とても額面通りに受け取るわけにはいかない。
テレ朝も古舘氏降板の内幕について口を閉ざしている以上、真相は明らかでない。でも、自民呼び出し後、番組関係者6人の社内処分を発表。「コメンテーター室」の新設などで出演者の選別・発言に経営陣の関与を強めていただけに、古舘氏は「自らの決意」を強調しているものの、今回の降板劇の裏で何があったのかも、想像に難くない。
権力側からこうした攻撃を受ければ意地でも言う通りにならず、キャスターを留任させるのが、本来のジャーナリズムの姿だ。問題は、「ジャーナリズムにおける『中立』とは何か」の見識さえ持ち得ず、次々と国家権力に屈していくメディア経営者の弱腰にある。
◇標的になった岸井氏と古舘氏
「私達は違法な報道を見逃しません」。その下に言論を監視、恫喝してやろうとする鋭い目…。「放送法遵守を求める視聴者の会」なる団体が昨年11月、岸井氏を標的に読売、産経新聞に出した意見広告だ。代表呼びかけ人は、「安倍晋三総理大臣を求める民間人有志の会」の発起人の1人でもあった作曲家のすぎやまこういち氏。事務局長は、自民総裁選直前の2012年、安倍氏を持ち上げる「約束の日、安倍晋三試論」を出版した文芸評論家の小川栄太郎氏だ。
設立わずか2週間で、通常5000万円は下らない全面広告を出せるのだから、普通の市民団体でない。彼らが報道監視の根拠にしたのは、放送法4条だ。
昨年9月16日の岸井氏の「メディアとしても(安保法案の)廃案に向けて声をずっと上げ続けるべきだ」という発言を問題視。「報道番組を代表するキャスターとして政治的公平に反する重大な違法行為」、「放送事業者全体に違法行為を積極的に促す発言で悪質」と追及している。
安倍政権にすり寄るニュース番組が増える中、古舘氏も岸井氏も何とか踏ん張り、夏の安保国会では法案の違憲性を訴え続けて来た。世論調査でも「安保法制強行採決反対」が「賛成」を上回り、若者も参加する国会周辺でのデモも盛り上がった。来夏の参院選、それ以降に想定する念願の憲法改正…。それに脅威を感じた安倍政権は地ならしのためには、何としてでも早く二人を降板させたかったのだろう。
◇番組の内容までに介入
4条の解釈については2007年、「一つの番組ではなく、放送事業者全体の番組を見て、バランスが取れたものであるか判断する必要」との総務大臣答弁がある。
テレビ局にも、作る番組にもそれぞれ個性があってしかるべきだ。法文をもってこうした「バランス」を求めること自体、権力による「報道介入」と、私は考えている。
しかし、「視聴者の会」では、さらに進めて「安保法制成立までの1週間、『NEWS23』は法案成立反対側の報道に終始した」と、個別番組の時間配分までも問題視。「一般の視聴者は1局の報道番組全体を見ることは出来ない」と、「一つの番組内で公平性や多様な意見の紹介に配慮するのは当然の責務」として、大臣答弁の変更を求めている。
現在の総務大臣は、安倍側近の高市早苗氏だ。安倍氏取り巻きが意見広告で4条の答弁変更のきっかけを作り、安倍側近大臣が、「4条解釈」の総務省見解を変え、ニュース番組規制をさらに強める……。この出来レースが通常国会で実行されるなら、安倍政権は9条だけでなく、憲法21条「言論の自由」「検閲の禁止」の解釈改憲にも手を染めることになる。
◇ジャーナリズムにおける「政治的中立」とは?
その結果、どうなるか。役人がストップウォッチを持って個々の番組を監視する時代になる。今のNHKと同じくキャスターもニュース番組も個性をなくし、当たり障りのない情報が、賛成反対等分の意見とともに垂れ流される。
本当にこの国に何が起き、この国がどこに向かおうとしているか。「何としてでもこれだけは伝えておきたい」とする熱意を込めたキャスター・ジャーナリストの識見・視点が伝わらない。視聴者もだんだんニュース離れを起こし、政治への国民の監視はさらに薄くなる。独裁者にとってこんなに好ましいことはないのだ。
そこで改めて、ジャーナリズムにおける「政治的中立」とは何かを考えてみたい。そもそも「視聴者の会」が言うような「賛成反対等分」と言うような薄っぺらなものではない。
一言で言うなら、報道機関・記者個々のたゆまない切磋琢磨、競争によって培った深い取材力・情報分析力に裏打ちされた「正確な事実」に基づいて、政治をどう運営することが、「国民の命と生活」を守ることに資するか――。どの政治勢力からも独立した揺るぎないジャーナリズムとしての判断のことなのだ。
権力者は常に自分に都合の悪い情報は隠す。時の権力者としての情報発信力を最大限活用して、国民の意見の比重を変えることも朝飯前だ。もし、ニュース番組で等分報道を義務付けたなら、メディア独自の視点は排され、権力者は思い通りに報道も誘導・操作出来る。
しかし、権力者の政治判断が常に正しいとは限らない。恣意・悪意もあれば、自らは正しいと思っても結果的に間違うこともある。その時、国の進路を誤れば、取り返しのつかない事態になる。
4条「政治的中立」条項を都合よく解釈し、ニュース番組に適用。賛成論、反対論半々の時間的配分を求める「視聴者の会」の意図は、権力者による世論操作の結果をメディアに追随・追認報道を強制することにある。いかに危うく、怪しいものか、それだけでも分かるはずだ。
◇海部首相と憲法9条と朝日新聞
私の政治記者経験から、一例を出そう。私が海部首相番をしていた1990年の湾岸危機・戦争の時の話だ。
湾岸戦争は、「ならず者のイラク・フセイン政権が油田欲しさにクウェートを侵犯。米軍中心の多国籍軍が戦って追い出した」とのイメージで語られることが多い。
しかし、実相は違う。イラクは当時、米軍需産業から売りつけられた武器でイランと戦い、多額の支払いに苦しんでいた。原油値上げで凌ごうとしたが、サウジ、クウェートが反対。切羽詰まって侵攻したのが真相だ。当時の米国は、軍需産業をバックにする共和党・ブッシュ政権。冷戦時代に使い道がなかった武器・弾薬を使い、原油値上げを画策するイラクを叩き潰したいのが本音だった。
米国の意向を汲み、フセイン政権を懲らしめるため米国を中心とした多国籍軍への自衛隊参加を求める自民党内の圧力は日増しに強まっていた。経済界からも派遣要請の声が上がり、首相包囲網は日増しに強まっていた。
しかし、自民党最ハト派の三木派出身の海部首相は、9条の実質改憲につながりかねない軍事貢献には踏み切りたくはなかった。私は夜が白々明けるまで秘書官と話す日もあった。その時、何より秘書官が気にかけていたのが朝日の社説、つまり、朝日が自衛隊の中東派遣容認に転じ、党内基盤の弱い海部政権が支えを失い孤立しないか-だった。
今はかなり怪しくなった。しかし、その頃の朝日は、9条堅持の方針にぶれはなかった。中東の現実を見れば軍事力での解決に限界があり、むしろ逆効果。自衛隊派遣反対の論陣を張った。私は「朝日は変節しない」と秘書官を励まし続け、海部政権も朝日を支えにしていた。
◇外務省官僚の大罪
ある夜のことだ。朝日の主張にも耳を傾けてくれたのだろう。秘書官は米国の軍事行動が始まる前に海部首相が、和平のために日航機をチャーター、極秘で中東を訪問する計画があることを漏らしてくれた。日航出身の秘書官が機体の確保に奔走した結果、実を結んだのだ。
非キリスト教国の日本。中東で嫌われる存在ではない。当時はバブルで使い道に困るほど多額の税収があった。イラクに資金援助することで軍の撤退を促し、日本の仲介での和平成立…それは荒唐無稽な話ではなかった。
だが、対米追従体質が染み込んでいる外務省官僚は制空権が米国にあるにも拘わらず、「民間機はイラクに撃墜される心配がある」を表向きの理由にして、中東歴訪を幻にした。米国には、欧米の持つ石油利権に日本が一枚加わるのを避けたいとの思惑もあったはずだ。抜け駆けで、他の国が和平で動かれることを強くけん制していたから、外務省はその意向に従ったのだろう。
結局、海部首相は多国籍軍への資金援助に留めた。そのことでブッシュ政権から「血を流さない日本」と強い批判を受けたことは確かだ。「湾岸戦争は終結したのだから、世論も自衛隊の掃海艇派遣に賛成だ」などとの調査結果を持ち歩く自民議員もいて、海部政権は圧力に抗しきれず、その後、掃海艇を中東に出している。
安倍政権に近い政治評論家は今でも、当時の海部政権の対応を「失敗」と決めつけ、「何もしない日本は、世界で通らない。湾岸戦争の経験からも軍事協力は不可欠」と、安保国会中も安倍政権の進める安保法制賛成で世論を誘導する格好の理由にしている。
しかし、それは当を得ていない。当時の事実関係からも海部首相は「何もしなかった」のではない。対米追従しか頭にない外務官僚の羽交い絞めで、独自の平和外交を「させてもらえなかった」のだ。結果的に見ても、米国のこの時の軍事介入がいかに失敗かは、その後の軌跡を辿れば明らかだ。
イランはイラクと言う対抗馬がなくなり、ますます強大化、中東の不安定化がさらに進んだ。原油もむしろ暴騰。日本のバブル崩壊の引き金になった。イラク軍を追い出した後も、米軍がサウジアラビアに駐留したことで、親米のはずのアルカイダのビン・ラーディンを敵に回し、9.11同時多発テロが発生。報復のイラク、アフガニスタン攻撃も泥沼化。イスラム国まで生みだし、多くの米軍戦士の命も散った。
◇自民党商工族のドン
私は当時、海部政権を悩まし続けた軍事貢献圧力の正体は何かも検証してみた。その結果分かったことは、「経済界からの強い自衛隊派遣要請の声」の源は、実は派遣に積極的な自民党商工族のドンだった。通産省(現経産省)の事務次官に働きかけ、経団連会長に言わせたのだ。
「掃海艇派遣に賛成する国民が多い」と積極派議員が海部首相に持ってきた世論調査も、実は内閣情報調査室の肝いりで、中曽根元首相の影響力が強い警察官僚の天下り団体が実施したものだった。
質問は「イラクがばらまいた機雷が千個近く放置されているのを知っているか」「ドイツが掃海艇を派遣したのを知っているか」「人的貢献しなかった日本に反日感情が高まっているのを知っているか」の順で続き、最後に日本の掃海艇派遣は」と聞いている。答えは「当然」と「やむを得ない」で63%を占めているが、これでは誘導尋問だ。
政治家が自分のやりたい政策を実現するため、官僚や各種団体に働きかけて声を出させ、政界にブーメランのように還流させる手口は、この世界では日常茶飯事なのだ。
◇正確な情報と分析がジャーナリズムの命
もし、朝日もこんな情報に惑わされたり、政治的圧力に屈して自衛隊派遣容認に転じ、海部政権が米国の言いなりに自衛隊を多国籍軍に参加させても、結局日本は中東に敵を作っただけ。世界平和に何一つ貢献せず、日本も欧米同様、中東の底なし沼のような混乱に間違いなく巻き込まれ、テロの標的にされていた。
むしろ、海部和平が少しでも成功していたなら、「さすが9条を持つ国」と、今では世界の評価も高まったはずだし、たとえ失敗しても「何もしない日本」と言う批判は避けられた。
メディアには、目先の世論に惑わされない「ぶれない政治的中立」が何故、必要か。これで分かっていただけたと思う。メディアがやるべきことは、何より隠された「正確でより深い情報」を入手すること。出来たなら、冷静な分析によって、権力に媚びず、「ぶれない中立」としての独自の断固とした論陣を張ることなのだ。
いつの世にも、権力者のお先棒を担ぐ人は一定程度いる。この人たちは常に「大衆」を名乗り、権力に異論を唱える人を狙い撃とうとするのも共通している。
そもそも安倍政権は、特定秘密保護法で「国民の知る権利」さえ奪い、自分たちに都合の悪い情報を隠して、国民自ら自分の国の進路を判断する手段さえ失わせた。メディアに「政治的中立」を求める資格など、もともと持ち合わせていない。
◇国の形がゆがんで行く
メディアがもし、「政治的中立を逸脱した」との批判を甘んじて受けなければならないことがあるとするなら、それは何らかの政治勢力に誘導されて間違った情報を伝え、自らも誤った論調を展開。国民の選択を惑わせるようなことをした時だ。
それさえしていなければ、安倍政権に「政治的中立」を口実に攻撃されても、少なくとも心ある多くの国民の批判を受けることはない。
安倍政権は、情報隠しを先行させ、国民の意思も問わずに憲法学者の大半も歴代内閣法制局長官でさえ、「違憲」と断じる安保法制を強引に成立させた。「戦前の反省」「立憲政治」に立脚した戦後政治史の中でも、極めて異例・異質である。このまま政権が続くなら、「軍事より経済」、つまり「国民の生活」を優先して来た国の形が、根本的に変わってしまう。
だからこそ、日本政治を長く取材して来た岸井氏は自らの政治記者としての座標軸に従い、キャスターとして「メディアとしても(安保法案の)廃案に向けて声をずっと上げ続けるべきだ」と発言したのだ。決して「視聴者の会」が攻撃するような「政治的中立」を侵した発言ではない。
私は番組での古舘氏の発言のすべてを把握しているわけではないが、私が見ていた時間帯での発言では、少なくとも「政治的中立」を逸脱したものは一つもなかった。
◇新聞経営者の劣化
そもそも、多くの戦後メディアが共有する「戦前の反省」とは何だったのか。軍部による情報統制、時の権力に迎合し煽られて人々による、軍国主義に異を唱える人へ「言葉狩り」、排斥。その結果、口を閉ざす人が増え、「愛国」一辺倒の世論操縦が、いかにこの国を誤らせたか。それに抗しきれず、十分な情報提供も論陣も張れなかったメディアとしての侮蔑の念から、「戦後の出発」があったはずである。
新聞もテレビも「ジャーナリズム」である以上、本質的な違いはない。権力はいつでも世論操縦する。「視聴者の会」の要求に屈し、キャスター二人の降板が前例になり、一つの番組の中で対立する意見の「両論併記」の規制もかかるなら、テレビは金輪際、「ジャーナリズムとしての政治的公平」を実現出来ないメディアになる。
確かに安倍政権のやり口は、手段を選ばない。表だった圧力さえこう露骨なら、裏ではさらに陰湿な締め付けをしていることは想像に難くない。しかし、メディアは取材の積み重ねで自分たちが正しいと信じた主張を、自信をもって視聴者に伝えてこそ、存在意義がある。経営者は権力者側の攻撃に対し、自分たちの論調を伝えるキャスターを守らずして、いつ闘うのか。
「透明性の確保」は、両番組とも常々多くの場面で社会に要請して来た言葉である。なら、二枚舌は許されない。何故、キャスター降板に至ったのか。政治的圧力があったか否か。「透明性」が確保出来る形でその実態を包み隠さず、自ら視聴者に知らせる義務がある。
メディア経営者の仕事は、権力者と水面下で密談・取引をすることではないはずだ。キャスター交代をさせるべきか否かは、権力の介入を排し、視聴者・国民にまず問うことではないのか。
私は朝日在社時代から一線記者以上に劣化したメディア経営陣の姿をさんざん見て来た。しかし、今が正念場だ。「いつか来た道」の入り口に立っても、まだ緊張感や抵抗感をなくしているメディア幹部に、改めて「ジャーナリストとしての自覚」を強く求めたい。
≪筆者紹介≫ 吉竹幸則(よしたけ・ゆきのり)
フリージャーナリスト。元朝日新聞記者。名古屋本社社会部で、警察、司法、調査報道などを担当。東京本社政治部で、首相番、自民党サブキャップ、遊軍、内政キャップを歴任。無駄な公共事業・長良川河口堰のウソを暴く報道を朝日から止められ、記者の職を剥奪され、名古屋本社広報室長を経て、ブラ勤に至る。記者の「報道実現権」を主張、朝日相手の不当差別訴訟は、戦前同様の報道規制に道を開く裁判所のデッチ上げ判決で敗訴に至る。その経過を描き、国民の「知る権利」の危機を訴える「報道弾圧」(東京図書出版)著者。特定秘密保護法違憲訴訟原告。
この夏の国政選挙で自民党が大勝するのではないかという予想が広がっている。たとえば、メディア黒書でも既報したように、三重大学の児玉克哉・副学長は、Yahooニュースで自民党が単独過半数を占め、これに公明党とおおさか維新を合わせると、改憲が可能になる3分の2を確保するだろうと予測している。
■(参考記事)世論誘導の危険、三重大学・児玉克哉副学長による裏付けがない参院選議席獲得の予想
他にも類似した予測を掲載しているメディアは少なくない。つまり大半のメディアが自民党の大勝を想定しているわけだが、これらに共通しているのは裏付け、あるいは証拠の欠落である。何を根拠に自民党の勝利を予測しているのかがよく分からない。
◇小選挙区制のマジック
わたしは現代日本の国政選挙においては、小選挙区制が生み出す不公正な仕組みを度外視して、選挙の投票行動を予想したり、あるいは選挙結果を分析することは、方法論として間違っていると考えている。小選挙区制の下では、有権者からあまり支持を受けていない政党であっても、大勝する場合があるからだ。
典型的な例は、安倍内閣を誕生させた2012年12月16日の衆院選である。この選挙についての評論は、政治学者の渡辺治氏が『安倍政権と日本政治の新段階』(大月書店)の劈頭(へきとう)で展開している。データに基づいたすぐれた分析である。
結論を先に言えば、渡辺氏は選挙結果から見た自民党の状況を、「たしかに自民党は議席で圧勝したが、その政治基盤はきわめて脆弱」と分析している。
◇自民党の得票数は大幅に減
2012年の衆院選で自民党は、294議席(小選挙区は237議席)を獲得した。改選前の議席が119議席であるから、一挙に175議席も増やしたのである。
この数字だけを見れば、自民党は完全に国民の支持を取り戻したかのような印象がある。国民は、民主党政権よりも、自民党政権への回帰を望んだような様相を呈している。事実、マスコミは、そんなふうに報道した。
ところが政党支持の度合いを判断するうえで、大きな目安になる比例区の得票率と得票数を見ると、大敗した前回・2009年の衆院選とほとんど変わっていない。次に示すのが2つの衆院選の数値比較である。
【議席数】
2009年衆院選:119議席
2012年衆院選:294議席
【得票率】
2009年衆院選:26・73%
2012年衆院選:27・62%
【得票数】
2009年衆院選:18,810,217
2012年衆院選:16,624,457(-219万票)
得票率は横ばいで、得票数にいたっては、投票率が落ちたことも影響して、219万票も減らしているのだ。自民党ばなれの傾向が数値で明らかになっているのだ。
それにもかかわらず、自民党は議席だけは119議席から、一気に294議席に増やした。つまり有権者の支持はむしろ下落傾向にあるが、議席だけは逆に大幅に延びているのだ。
この矛盾の原因を渡辺氏は、次のように分析している。
その最大の理由は、定数1という小選挙区制の条件のもとで、自民党に対抗して議席を争ってきた民主党が激減し、維新の会はじめ新党も、小選挙区では知名度、浸透の点で、自民党に遠く及ばなかったからである。民主党票の歴史的激減、これが自民党大勝の第一の理由である。
他にも民主党の政策転換の失敗や、自民党の戦略なども勝因として指摘されているが、これらはことごとく枝葉末節に過ぎない。小選挙区制という民意を正しく反映しない選挙制度の欠点が典型的に露呈して、自民党が大勝したのである。その結果、安倍政権が誕生したのだ。
◇世論誘導の危険性
安倍政権に対する不満がまん延していることは、ほとんど疑いの余地がない。このような評価は、安保法案をめぐる反対運動が前代未聞の規模で盛り上がった事実で示されている。新自由主義=構造改革により、非正規雇用が4割を超え、極端な格差社会になった。医療も福祉も切り捨ての方向へ向かっている。その一方で大企業だけは空前の利益を上げている。
しかし、「反安倍」の人々が、メディアの流す自民党大勝の予想をうのみにして投票に行かなければ、投票率が下がり、本当に自民党が大勝することになる。そのことを、渡辺氏による2012年の衆院選の分析が示唆している。
安倍政権を倒すには、投票に足を運ぶことが大前提になるのだ。
その意味で、根拠を十分に示さないまま、自民党の大勝を公言するメディアは、選挙権の放棄を誘発するための一種の世論誘導に荷担していると評価されても仕方がないだろう。
わたしは野党の選挙協力が実現し、しかも、投票率が上がれば、自民党政権が崩壊する可能性は十分にあると考えている。ただ、それを阻止するために、巧みな世論誘導はいうまでもなく、野党の選挙協力を妨害しようとする動きも相当強いようだ。特に維新と民主党には要注意だ。
基本的に「反自民」よりも「反共」の色合いの方が強く、新自由主義と決別するのではなく、自民党と同様に新自由主義=構造改革こそが、日本の正しい選択肢であると考えている勢力であるからだ。それに財界との関係も気になる。
ちなみに政治改革・小選挙区制の生みの親、小沢一郎氏は野党の選挙協力に賛成しているようだ。この人の真意はよく分からない。
次の書面は、2009年に読売新聞社が新潮社とわたしに対して提起した「押し紙」をめぐる名誉毀損裁判の中で、東京大学名誉教授であり日本統計協会会長の竹内啓氏が、提出した陳述書である。読売に利する陳述書である。
この裁判の発端は、週刊新潮に掲載した記事のなかで、わたしが読売の「押し紙」率を30%から40%と推定したことである。推定の根拠のひとつは、(株)滋賀クロスメディアが滋賀県の大津市などで実施した新聞の購読紙の実態調査だった。
◇滋賀クロスメディアの調査
調査対象は、大津市、草津市、守山市、栗東市、野洲市の24万世帯である。調査の方法は、電話(自動ではない)と個別訪問である。個別訪問でも購読紙が判明しない場合は、滋賀クロスメディアのスタッフが、直接、調査対象世帯のポストをのぞき込んで確認した。
裁判の詳細については、ここでは述べないが、裁判の結果は読売の勝訴だった。地裁、高裁、最高裁とも読売の勝ちだった。
裁判所は、読売新聞の「押し紙」率が30%から40%あるとする推測は、名誉毀損にあたると判断した。「押し紙」は1部も存在しないと認定したのだ。
統計学者の竹内啓氏の陳述書は、読売側の主張-つまり滋賀クロスメディアの調査は信用できないとする主張の裏付けとして、提出されたのである。
ところが、問題となった週刊新潮の記事の中で、竹内氏が滋賀クロスメディアの調査を高く評価していたことを、読者はご存じだろうか?
つまり竹内氏は、読売裁判が起きた後、自分の見解を180度変えたのだ。
記事の中に引用された竹内氏のコメントは次のようなものだった。変更前の見解である。陳述書の内容とは完全に異なり、滋賀クロスメディアの調査を高く評価していたのである。それが週刊新潮に記録として残っている。
その手法は、統計調査として非常にまともだと思います。電話、戸別訪問、そしてポストの確認と、かなり綿密な調査が出来ている。購読判明件数も14万件と多いですし、購読不明の件数が多い点は懸念材料ではありますが、信頼性は非常に高いと思います。
ところが読売が裁判を提起すると、竹内氏は前言を翻して、陳述書を作成し、今度は読売の主張に加勢したのである。
◇NHKの世論調査
わたしが竹内氏の陳述書を引用したのは、日本のメディア界には世論調査の信頼性を判断する基準が極めて曖昧だと感じているからだ。
たとえばNHKが毎月実施する国民の政治意識を調べる調査の手法を取り上げてみよう。直近の調査は、1月 9日(土)~11日(月)の期間に、電話法(RDD追跡法)で行われた。これはコンピューターが選んだ番号に、コンピューターが自動電話をかけて回答を得る方式である。自動電話であるから、受話器から聞こえてくるのはロボットの声である。回答者は電話のボタンを押すかたちで意思表示する。
コンピューターとの「会話」を嫌う人は、即座に電話を切りかねない。また、携帯電話を主要な通信手段にしている若い層は、調査の対象外になりがちだ。
だれが見ても信頼性のある調査方法とは思えない。
1月の調査では、このような方法で1,618件の電話がかけられ、そのうちの 1,043人が回答した。たった1000件の回答から、国民の政治意識を見るデータを作成しているのだ。滋賀クロスメディアが対象とした14万世帯とは比較にならない。
ところがこのNHKの調査は、信憑性のあるデータとして、メディアで公表され、信頼性のあるデータとしてほとんどの人が受け入れている。
わたしは、日本の統計学の学者が、専門家の立場から世論調査を正確に検証しているのか、疑問に思う。NHKなど巨大メディアの世論調査に対して「監視」の役割を果たしているのだろうか。滋賀クロスメディアの調査について見解を変更した竹内氏は、NHKレベルの調査について、どのように考えているのだろうか。
見解を変更するのは、もちろん個人の自由だが、竹内氏は最初の見解が完全に間違っていたと自分で認めたわけだから、陳述書だけではなく、どこかの媒体で、間違い部分を説明すべきだろう。
裁判も終わり、いま検証する時期ではないだろうか。
1月中に「押し紙」回収の現場を撮影した動画を紹介したところ、どの程度の頻度で、どの程度の数量が回収されているのかという問いあわせがあった。質問者によると、確かに動画を見る限りでは、1回の回収で凄まじい量の「押し紙」が回収されているが、回収の頻度が、たとえば2週間に一度であれば、1日の量に換算すると少なくなるのではないかという疑問である。
当然の疑問である。この疑問に答えるためには、1日に回収される「押し紙」(残紙)の数量を示す証拠が必要になる。
そこでひとつの例として、メディア黒書で繰り返し紹介してきた毎日新聞社から流出した内部資料を紹介しよう。資料のタイトルは「朝刊 発証数の推移」。
◇毎日新聞の内部資料「朝刊 発証数の推移」
次のPDF資料で、わたしが記した赤に注目してほしい。
3,953,466:全国の毎日新聞販売店へ搬入される新聞部数を示している。約395万部である。
2,509,139:「発証」数を示す。「発証」とは、販売店が読者に発行する新聞購読料の領収書である。約251万枚である。
つまり395万部の新聞が販売店に搬入されているのに、領収書は251万枚しか発行されていないのだ。両者の差異にあたる144万(部)が、一日あたりに全国で発生していた毎日新聞の「押し紙」という計算になる。率にすると搬入される新聞の36%である。
この数字は2002年10月時点のものである。12年前のデータであるから、新聞離れが急速に進んでいる現在の時点では、さらに「押し紙」が増えている可能性が高い。「押し紙」問題はさらに深刻化している。
同資料によると、毎日新聞の販売店は6457店となっているが、この中には毎日新聞の配達を請け負っていると思われる他社の販売店が相当含まれていると推測される。当然、他社の販売店に限っては、「押し紙」を強要することできない。従って6457店を基準に1店あたりの1日の「押し紙」部数を試算することは適切ではない。
◇1日の「押し紙」回収の量
そこで個々の販売店の内部資料を紹介しよう。たとえば毎日新聞・蛍ヶ池販売所のデータである。この資料(2004年)は店主が、「押し紙」裁判を提起したのを引き金に外部へ漏れたものである。
PDF資料の赤枠で囲った部分が、1日の新聞(朝刊)の搬入部数を示している。その右の青枠が実配部数である。従って両者の差異が「押し紙」ということになる。
たとえば2004年1月の場合は、次のような部数内訳になる。
搬入部数:2280部
実配部数: 764部
押し紙 :1516部
1つの新聞の梱包には100部前後の新聞が束ねられているので、1日に15束が余っていた計算になる。2日では、30束。3日で45束。1週間で105束である。
さらに拙著『「押し紙」という新聞のタブー』(宝島新書)から、個々の販売店の「押し紙」データを紹介しよう。
◇『ダラス・モーニング・ニュース』
これだけ「押し紙」(残紙)の事実が明らかになっているのに、日本の新聞社と日本新聞協会は対策を取らない。
ちなみに米国では、2004年、『ダラス・モーニング・ニュース』が部数を水増していたことが発覚した。朝刊を5.5%、日曜版を11.9%、それぞれ水増していたのだ。が、対応は日本とは異なった。同社は広告主に謝罪して、2300万ドルを払い戻したのである。
わたしは日本の新聞社が異質な体質であると指摘しているゆえんである。
【冒頭の画像】「押し紙」回収の現場。撮影者は不明。本文のデータとは関係ありません。包装束の帯の色から社名を推定できるが、確証がないので、社名には言及しない。
左の写真はTwitterやFacebookで紹介されたものである。投稿者によると、安倍晋三首相の誕生日に、番記者たちがプレゼントを贈った場面なのだという。
不思議なことに、若い女性ばかりである。ここに映っているのは、たった5人の記者なので、全社の「安倍番」が、首相にプレゼントを贈ったわけではないようだが、日本の新聞・テレビの実態を考えるうえで、無視できない場面である。
この5名が所属する社は、みずから社名を明かすべきだろう。
安倍首相に媚びを売ってなんとかスクープを得たいという野心から、こうした行動に走ったのではないか。しかし、「癒着の構図」はいまに始まったことではない。たとえば、新聞文化賞の受賞者・渡邉恒雄氏の『君命も受けざる所あり』(日経新聞社)には、次のような場面が出てくる。
大野(黒薮注: 伴睦)さんの家には毎晩、各社の記者が来ていた。副総裁の口からいつどんな話がでるかわからないから、記者たちは大野さんを囲んで聞き耳を立てている。ところが大野さんはいつも政局と関係がない雑談ばかりなのだ。
しかも「君たちのグループ」を「君たちのパトロール」と言ってみたり、「医者のカルテに」と独特の「大野英語」で説明したり、笑いが絶えなかった。
それが一段落すると記者たちはぞろぞろと引き揚げる。私は彼らと一緒に帰るふりをして、こっそり引き返した。裏口に回ってお手伝いの女性に大野さんを呼んでもらい、そこから私だけの取材が始まる。
忙しくもあったろうし疲れてもいたろうが、大野さんはいつも時間を作ってくれた。
「ナベさん、君だけに話すんだが」
と前置きして、極密の情報を教えてくれるのはそんなときだった。
他社に先駆けて重要な情報をつかむ快感があった。大物政治家に信頼されている喜びもあった。
渡邉氏はすぐれた記者の典型を、みずからの体験と重ね合わせて記したのではないかと思うが、逆説的にみれば、この場面からは、政治家と癒着した新聞記者の実態がリアルに読みとれる。日本の新聞ジャーナリズムが駄目になった原点がかいま見えるのだ。
実際、渡邉氏は初期はともかくとして、ジャーナリストとして卓越した仕事をしなかったようだ。もちろん人物評価は、ひとそれぞれなので、渡邉氏を高く評価している人も多いが、少なくとも作品だけで評価すれば、際だった調査報道は何かという疑問が浮上する。どんな実績があるのか?記者として何をしたのか、という肝心の疑問があるのだ。
たとえば同じ新聞記者でも、朝日新聞の本多勝一氏には、『戦場の村』が、共同通信の斉藤茂男氏には『わが亡きあとに洪水はきたれ! 』があるのだが。
2016年01月18日 (月曜日)

ジャーナリストの林克明氏らが主催する「草の実アカデミー」で16日、立教大学の砂川浩慶準教授が講演した。タイトルは、「NHKとは何か、そして抱える問題は?」。NHKについての概論で、配布された資料の中に、興味深いものがあった。その資料の題名は、「NHK予算審議の経緯」である。
これはNHK予算を審議する際に、どの政党が予算案に反対し、どの政党が賛成したかを年度ごとに記録したものである。対象は、1951年から2015年までの期間である。
この資料を見ると、NHK予算は、ほとんどの年度で「全会一致」により通過していることが分かる。たとえば最近の状況を見ると、2014年度と2015年度は、野党側が反対しているものの、2007年から2013年までは、いずれも全会一致で予算案が承認されている。
また、別の資料によると、2016年度のNHK予算は7016億円(事業収入、2016年1月12日に総務省へ提出)である。このうち番組制作・放出費は5,581億円。これを一日に使う番組制作費に換算すると、なんと15.29億円になる。世界最大の規模である。
もちろんNHKの財源の大半は受信料であるが、このような大規模な放送局の存在を国が承認して、疑問を提起する国会議員がほとんどいないのである。
以下、わたしの考えである。
◇放送局と新聞社-いずれも世界一の規模
わたしは日本の新聞社が世界の中で、飛び抜けて大きな経営規模を誇っている事実を、繰り返し問題視してきたが、NHKが世界最大規模の放送局であることは認識していなかった。
日本の新聞社、とくに中央紙が先進資本主義国の中では、際だって経営規模が大きいことは容易に確認できる。たとえば世界の主要紙の発行部数が、大半は100万部以下であるのに対して、日本の場合は、読売が900万部、朝日は600万部、毎日が300万部もある。たとえ「押し紙」で公称部数を偽っているとしても、経営規模が欧米の新聞社と比較にならないほど大きいことは確かである。
一方、放送局に関して言えば、既に述べたようにNHKは世界最大の規模を誇る。民間放送局に関しては、データを持っていないので比較できないが、大半の放送局が、新聞社と系列関係にあることを踏まえると、これも相当大きな経営規模と推測される。
つまり日本では、新聞社もテレビ局も、その経営規模が世界の常識から著しく突出して大きいと推測してもよさそうである。第三世界の国々を含め、世界の常識からすれば、ありえない経営規模ということになりそうだ。当然、給与も破格の額になり、それをリスクにかけて内部から反旗を翻すひともいない。
◇日本社会の第3の異質性
日本の資本主義は、欧米に比べると、明らかに異質なものがある。たとえば、
アーミテージやジョセフ・ナイらの指示を受けて自衛隊の再編を決めるなど、奴隷なみの対米追随ぶりである。大企業を最優先する政策によって生み出された経済を中心とした価値観である。これら2つの問題点は識者によりすでに繰り返し指摘され、周知になっているが、世界に類なきメディアの異常-メガトン級メディアの存在はほとんど指摘されていない。
それは巨大メディア企業が権力構造の一部にがっちりと組み込まれているために、それを切り崩そうとする行為が、自滅を招きかねないという警戒心があるからだ。
大学の教員が、新聞・テレビの巨大化を問題視する観点から講義を続けたならば、学生はメディア企業に就職できなくなる可能性がある。ジャーナリストが同じ視点から、メディア批判を展開すれば、原稿の発表媒体そのものを奪われかねない。さらにメディアを敵に回した政治家は、メディアを通じた自己PRの機会を失う。
つまり学術という観点からも、ジャーナリズムという観点からも、政治という観点からも、メディア企業に対する監視ができなくなっているのだ。これは日本のメディアの最も著しい特徴である。もっと広い視野でみると、対米従属と大企業優先という日本社会の2つの異質点と並ぶ第3の異質点でもある。
◇新聞社を解体しなかったGHQ
改めていうまでもなく、メディアを権力構造に巻き込んた要因は、政策による経営面への介入である。その具体的な中身は、新聞社の場合は、軽減税率の適用であり、再販制度であり、記者クラブ制度の温存である。また、「押し紙」問題を放置していることも、両者の癒着関係の温床となっている。
GHQは戦後、新聞社の戦争責任を追及して、組織を解体することもできたが、あえてそのまま残したのである。世論誘導の道具として利用できると読んだ結果ではないだろうか?
記者が無能だからメディアが堕落したのではない。ジャーナリズムの役割を果たせない客観的な要因があるからだ。
◇世論誘導と政府広報化の悲劇
NHKの番組は、確かに非正規労働者の貧困や福祉の切り捨てなどの社会問題を報道するが、なぜ、こんな悲劇が起こっているかは、絶対に伝えない。新自由主義という国の政策と悲劇がどうかかわっているかは、絶対に見えてこない。
巨大メディアが果たしている負の役割は、われわれが想像している以上に大きい。日本社会の異常のひとつとして、新聞・テレビの巨大化を認識すべきだろう。この体制を崩さない限り、日本は絶対に泥沼から脱することはできない。世論誘導ほどやっかいなものはないのだ。
2016年01月15日 (金曜日)
新聞に対する軽減税率の適用を求めて、新聞関係者が政治家に対して税率5%を要求してきたことをご存じだろうか。8%の据え置きではなく、5%へ引き戻しである。それが彼らが意味する「軽減」である。
このような方針・戦略を取っていることは、業界内では周知となっているが、新聞関係者のロビー活動そのものが故意に報じられなかったわけだから、一般の人々はその中身を知りようがなかった。
◇日販協の談話
この件に関してわたしは、昨年末、MyNewsJapanにタイトルが『新聞業界は軽減税率「5%への引き下げ」求め政界工作していた!公明党は支持母体が23億円も軽減、国民負担は総額360億円に』という記事を書いた。その後、新しい資料(業界紙の記事)を入手したので、補足しておこう。
軽減税率の適用を勝ち取ったのを受けて、新聞協会の白石興二郎会長(読売)と、日販協(日本新聞販売協会)の河邑康緒会長が発表した談話が業界紙『新聞情報』(2015年12月23日)に掲載された。
このうち日販協の河邑会長は次のように述べている。
当初から求めてきた「5%確保」には至りませんでしたが、対象品目に新聞が加えられたのは、なによりも読者・国民のみなさま、これを代表しての国会議員各位の、英知にみちたご理解と、厚いご支援のたまものであり、わけても「100万人署名」運動の名のもとに協力を交わされた発行本社をふくむ新聞関係者、日販協各組織のみなさまのご尽力の成果であり、そのすべての方々へ、心から感謝の思いを捧げたいと存じます。
◇300兆円の内部留保
新聞販売店の経営が極端に悪化している状況からすれば、わたしは新聞に対する軽減税率は、やむを得ないと考えている。しかし、その前にやるべきことがある。
まず、10%増税以前に消費税そのものを廃止することだ。300兆円を超えている大企業の内部留保をはき出させることが先である。新自由主義=構造改革の導入で、大企業は空前の利益をあげている。それにもかかわらず、法人税率は下降線を描き、消費税率は上昇線を描いている。
これは企業の負担を軽減して、そのつけを国民が負担する政策の具体像である。その背景に多額の政治献金が動いていることは論を待たない。
法人税を下げなければ企業が海外へ移転して、日本の産業が空洞化するという懸念もあるが、もともとグローバリゼーションの中で企業を多国籍化するのが、新自由主義=構造改革の方向性であり、いわば海外進出を促進するための政策が自公政治の柱となっているのだ。たとえば安倍首相がかつてない規模で外遊を繰り返しているのは、その実例である。決してレジャーに出かけているのではない。企業に対する支援である。
企業の海外進出を促進するために発展途上国でインフラ整備を行うのも、安保関連法案を成立させて海外派兵の体制を整備するのも、学校教育の中で英語を重視するのも、すべて企業の海外進出を支援する目的がある。
そのうえに法人税を下げるわけだから、消費税をアップする政策そのものがでたらめといえよう。
◇「押し紙」に消費税
また、新聞社サイドについて言えば、軽減税率を要求するのなら、「押し紙」の存在を認めて、この制度をきっぱりと廃止することである。「押し紙」に消費税がかかるから、負担が大きくなるのだ。
従って「押し紙」を廃止するだけで、新聞販売店の経営は好転するだろう。そして何よりも肝心のジャーナリズムの質も上がるだろう。
冒頭の動画は、「押し紙」回収の現場を撮影したもので、インターネット上にある。撮影者は不明だが、「押し紙」問題を認識している市民が撮影したのではないかと思う。
政治家と新聞関係者は、この動画を見て新聞に対する軽減税率問題をどう考えるだろうか。個々の政治家にEメールで動画を提供する必要があるかも知れない。再考のために。
軍事政権の時代に住民に対するジェノサイド(皆殺し作戦)を指示するなど著しく人権を侵害した当時の軍事政権の元大統領に対して、禁固80年の刑罰を課すなど、急激な社会変革を遂げている中米グアテマラ。そこで、また新しい動きがあった。キューバのプレンサ・ラティナ(Prensa Latina)紙などの報道によると、グアテマラ警察は、恩赦により刑罰を逃れていた18人の元軍人を逮捕した。
戦争犯罪を検証した結果である。
同国の検事総長の報告によると、逮捕された軍人らは、1981年から88年までの間に、グアテマラ北部のアルタベラパス県のコバンで、武器を持たない住民に対して、誘拐、拷問、レープ、などありとあらゆる人権侵害を行ったという。
発掘された558体の遺体には、90人の子供と3人の老人が含まれていた。遺体には拷問の証拠といえる猿ぐつわの跡、胸部の銃弾跡、首筋に刻まれたナタの跡、それに鎖の跡などが残っていた。
◇ラテンアメリカで最も古い内戦
グアテマラは1960年から1996年までの36年間、内戦状態にあった。ジャーナリズムの視線を釘づけにるすような激しい銃撃戦が都市部で交わされていたわけではなかったが、北部の山岳地帯では銃声が止むことがなかったのである。ニューヨークに本部を置く人権擁護団体・Human Rights Watch's の報告によると、内戦の死者は約20万人。その大半は、政府軍による戦闘とテロによるものである。
グアテマラは、第2次世界大戦後、ラテンアメリカで最初に米国の傀儡(かいらい)政権に対するゲリラ活動が始まった国である。その引き金となったのは、1954年の米国CIAによる軍事クーデターだった。
内戦が勃発するまでの10年、グアテマラはリベラル右派の政権であった。ところが当時の政府が農地改革のプロセスの中で、米国の多国籍企業、UFC(ユナイティド・フルーツ・カンパニー)の土地に手を付けたとたんに、UFCとCIAの謀略による軍事クーデターが起こり、その後、極めて強権的な軍事政権が敷かれたのである。将軍たちが国を牛耳るようになったのである。
これに対抗して山間部で解放戦線が組織されて行った。内戦が大きな転機を迎えるのは、1980年代である。79年にニカラグアのサンディニスタ(FSLN、サンディニスタ民族解放戦線)が、ソモサ王朝を倒し新政権を打ち立てると、新生ニカラグアの風に押されるように、エルサルバドルの5つのゲリラ組織が統一してFMLN(ファラブンド・マルティ民族解放戦線)を結成し、首都へ向けて大攻勢をかけた。
あせった米国のレーガン政権は、ホンジュラスを米軍基地の国に変え、そこから地理的な利点を利用して、ニカラグア、エルサルバドル、それにグアテマラに対する本格的な軍事的介入へ乗り出したのである。
こうした状況の中で、グアテマラは「殺戮の荒野」と化し、ゲリラに親和的なグアテマラ先住民族に対するジェノサイド作戦が大規模に断行されたのだ。
とはいえ1980年代の初頭にグアテマラの軍事政権が標的にしてのは、先住民だけではない。先住民は言うまでもなく、カソリック教会のリーダー、大学教授、ジャーナリストなども標的になっている。
国際政治の表舞台に出て、ジャーナリズムの光が当たっていたニカラグアとエルサルバドルとは異なり、グアテマラ内戦は、ほとんど報じられなかった。しかし、米国の映像ジャーナリストたちが、素晴らしい記録を残している。(冒頭と文末のYouTube参照)
◇戦争犯罪の検証
1996年に和平が成立した。その後、長い歳月を費やして戦争犯罪の検証が進んだ。2014年には、1980年代の初頭に大統領職にあったグアテマラ軍の元将軍リオス・モントに対して禁固80年の判決を下した。
しかし、和平の条件として軍人に対する恩赦があるために、憲法裁判所が再審の決定を下した。裁判は現在も続いている。
その後、2015年の1月、グアテマラの裁判所は、当時の警察トップに対して、禁固90年の判決を下した。これは、1982年のスペイン大使館焼き討ち事件に連座したものである。先住民族と学生37人が、軍による暴力を世界にむけてアピールするために、スペイン大使館に駆け込んだところ、軍が大使館のドアと窓を釘付けにして放火し、館内にいた人々を皆殺しにしたのである。生存者は、大使会員を含めて2人。事件後、スペインはグアテマラとの国交を断絶した。この事件の責任を問われたのだ。
今回の18人の元軍人の逮捕も、こうした民主化の流れの中で可能になったものである。
■グアテマラ内戦の記録・When the Mountains Tremble
※冒頭の動画:グアテマラ民族革命連合(URNG)の支配地域
2016年01月13日 (水曜日)
【サマリー】「押し紙」に連動したもうひとつの大問題がある。新聞に折り込まれるはずの折込広告の一部が折り込まれずに廃棄されている問題である。いわゆる折込広告の水増し問題。その決定的な証拠を動画と内部資料で示した。
新聞に対する軽減税率を導入する前に、新聞業界が自主的に改めなければならない問題は、「押し紙」だけではない。「押し紙」に連動したもうひとつの大問題がある。新聞に折り込まれるはずの折込広告の一部が折り込まれずに、廃棄されている問題である。
新聞販売店に対する折込広告の割り当て枚数は、原則として新聞販売店に搬入される新聞の部数に一致する。たとえば新聞が3000部搬入されていれば、折込広告の割り当て枚数も、(折込広告1種類につき)やはり3000枚である。これが基本原則だ。
ところが新聞販売店に搬入される新聞には、「押し紙」が含まれている場合が多いので、その場合、「押し紙」部数に相当する折込広告は、実際には折り込まれない。折り込まれないまま、「押し紙」と一緒に廃棄される。
結果、広告主は広告料金をだまし取られたうえに、マーケティング戦略を誤ることになる。もちろんこうした裏面を広告主は知らない。
冒頭の画像は、折込広告などが新聞販売店から搬出される現場を撮影したものである。段ボールの中身は、「押し紙」と折込広告である。そのことは、山陽新聞の販売店主が起こした「押し紙」による損害賠償裁判の判決の中でも、認定されている。判決文は次のように述べている。
同社(注:山陽新聞販売)は各販売店センターに段ボール及び荷紐の提供をしており、これらが販売センターに残存する新聞の処理等に用いられていた可能性は高い上、山陽新聞販売の営業部長等は各販売センターへの訪問に際し、同センターに残存する新聞を目にしていたはずだから、押し紙の可能性を認識していたことは推認される。
◇段ボールの中身が折込広告である証拠
また、次の動画は、販売店で過剰になった折込広告を段ボールに詰める場面を撮影したものである。内部告発である。
さらに、廃棄されていた折込広告の数量を立証する資料も紹介しよう。山陽新聞の岡輝センター(販売店)のデータである。それによると、2005年6月の場合、実際に配達されている新聞は、セット版(朝刊・夕刊セット)が221部で、朝刊単独版が1481部だった。合計で1702部である。つまりこの1702部に折込広告が折り込まれ、早朝に宅配されていたのだ。
これに対して、同じ時期に搬入されていた折込広告の枚数は次のようになっている。
1702部の新聞しか配達していないのに、たとえば旭化成ホームズの折込広告は2400枚搬入されている。マクドナルドは2150枚。ジャスコは2400枚。その結果、上記の動画に記録されているように、折込広告を段ボールに梱包して、岡山市の郊外で廃棄するようになったのである。
同じような実態が全国で定着していると考えて間違いない。
新聞に対する軽減税率問題を考える際には、「押し紙」と折込広告の水増し問題を考慮に入れなければならない。
2015年11月度のABC部数によると、朝日新聞と読売新聞の発行部数の差が約273万部に開いた。中央各紙の発行部数と、対前年同月差(括弧内)は次の通りである。
朝日:6,634,445 (-408,199)
毎日:3,204,566 (-77,067)
読売:9,368,504 (+23,349)
日経:2,729,020 (-126)
産経:1,568,416 (-36,346)
朝日新聞は、1年間で約41万部を減らした。これに対して読売は、約2万部を増やしている。インターネットの普及と、貧困の拡大という新聞離れを促進する状況下で、読売の健在ぶりが光る。
◇読売・宮本証言
ちなみにABC部数には「押し紙」が含まれてるが、読売の宮本友丘副社長は、「読売新聞の販売局、あと読売新聞社として押し紙をしたことは1回もございません」(対新潮社・黒薮の名誉毀損裁判の尋問、2000年11月16日)と述べている。村上正敏裁判長も、宮本証言を認定している。
参考までの宮本証言を紹介しておこう。読売の代理人である喜田村洋一・自由人権協会代表理事の質問に答えるかたちで、次のように述べている。
喜田村弁護士:この裁判では、読売新聞の押し紙が全国的に見ると30パーセントから40パーセントあるんだという週刊新潮の記事が問題になっております。この点は陳述書でも書いていただいていることですけれども、大切なことですのでもう1度お尋ねいたしますけれども、読売新聞社にとって不要な新聞を販売店に強要するという意味での押し紙政策があるのかどうか、この点について裁判所にご説明ください。
宮本:読売新聞の販売局、あと読売新聞社として押し紙をしたことは1回もございません。
喜田村弁護士:それは、昔からそういう状況が続いているというふうにお聞きしてよろしいですか。
宮本:はい。
喜田村弁護士:新聞の注文の仕方について改めて確認をさせていただきますけれども、販売店が自分のお店に何部配達してほしいのか、搬入してほしいのかということを読売新聞社に注文するわけですね。
宮本:はい。
◇読売の「押し紙」を認定した福岡高裁判決
宮本証言がある一方、福岡高裁の西理裁判長は、2007年、真村訴訟において事実上、読売による優越的地位の濫用と「押し紙」を認定する判決を下している。次の判決だ。
◇「押し紙」とは何か?
「押し紙」とは、配達部数を超えて新聞社が販売店に搬入する新聞のことである。たとえば2000部しか配達先がないのに、3000部を搬入すれば、差異の1000部が「押し紙」である。この1000部についても、販売店は新聞の原価を支払わなければならない。
かくて「押し売り」→「押し紙」となる。
しかし、広義には、新聞販売店で過剰になっている残紙全般を指す。常識的に考えて、配達する予定のない商品を販売店が好んで購入することはありえないからだ。あるとすれば、販売店が折込チラシの割り当て枚数(割り当て枚数は、新聞の搬入部数に一致させる基本原則がある)を詐欺的に増やそうと意図する場合である。こうした新聞は、確かに狭義には、「押し紙」ではない。業界用語で「積み紙」という。
朝日新聞が急激に部数を減らしているのは、読者離れというよりは、残紙を整理した結果である可能性が高い。その意味では、健全な方向へ向かっている。
次の動画は、新聞販売店から「押し紙」を回収する場面を撮影したものだ。撮影者は不明。インターネット上のものを紹介する。ビニール包装が解かれていない新聞の束が多量に回収され、おそらくは廃棄されている。重大な環境問題、資源問題でもある。

新聞に対する軽減税率の適用を勝ち取った新聞業界だが、新税率の適用が始まる2017年4月までにやらなければならないことがある。。それは「押し紙」の排除である。次の動画は、「押し紙」回収の現場をビデオカメラで撮影したものである。撮影者は不明。インターネット上で公開されている。
【ビニールで梱包されたままの新聞が、そのまま多量に回収されている】
「押し紙」とは、配達部数を超えて新聞社が販売店に搬入する新聞のことである。たとえば2000部しか配達先がないのに、3000部を搬入すれば、差異の1000部が「押し紙」である。この1000部についても、販売店は新聞の原価を支払わなければならない。
かくて「押し売り」→「押し紙」となる。
しかし、広義には、新聞販売店で過剰になっている残紙全般を指す。常識的に考えて、配達する予定のない商品を販売店が好んで購入することはありえないからだ。あるとすれば、販売店が折込チラシの割り当て枚数を詐欺的に増やそうと意図する場合である。こうした新聞は、確かに狭義には、「押し紙」ではない。
しかし、販売店に多量の新聞が余っていることは紛れもない事実である。
