1. 読売の「押し紙」裁判、第3回口頭弁論、読売、答弁書でYCがもつ注文部数の「自由増減」権の存在を認める、「押し紙」問題のスピード解決へ前進(1)

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2021年03月17日 (水曜日)

読売の「押し紙」裁判、第3回口頭弁論、読売、答弁書でYCがもつ注文部数の「自由増減」権の存在を認める、「押し紙」問題のスピード解決へ前進(1)

広島県福山市の元YC店主が大阪地裁へ起こした「押し紙」裁判の第3回口頭弁論が、16日、web会議によるかたちで行われた。原告弁護団は2通の準備書面と、原告の陳述書を提出した。

■原告準備書面(3)

■原告準備書面(4)

これに対して被告・読売弁護団は、5月19日までに反論書を提出することになった。次回の口頭弁論は、6月1日の午後1時半から、やはりweb会議のかたちで行われる。

原告弁護団が提出した準備書面(3)は、原告の元店主が「押し紙」により受けた被害の実態と「押し紙」の定義などについて述べている。同準備書面によると、原告はYCの経営を始めた時点から「押し紙」の買い取りを強制されていた。前経営者から、実配部数だけではなく、「押し紙」も引き継いだのである。スタートの時点で、すでに約760部が不要な部数だった。

この点に関しては、原告陳述書も、克明にその実態を記録している。新聞の搬入部数(定数)を読売新聞社側が決める一方、原告には、その権利がない実態を綴っている。また、原告が新聞業界に入ってのち、自分の眼でみてきたYCの残紙の実態を報告している。読売新聞社が新聞の「注文部数」を決めている実態を浮き彫りにしている。

◆古くて新しい「押し紙」の定義

ちなみに「押し紙」の定義は、広義には新聞社が販売店に「押し売り」した新聞というニュアンスで解釈されているが、独禁法の新聞特殊指定の定義は、広義の解釈とは若干異なる。

新聞特殊指定の定義は、新聞販売店の経営に必要な部数(実配部数+予備紙)を超える部数で次の3類型に当てはまるものを言う。

①販売業者が注文した部数を超えて供給する行為(「注文部数超過行為」)
②販売業者からの減紙の申し出に応じない行為(「減紙拒否行為」)
③販売業者に自己の指示する部数を注文させる行為(「注文部数指示行為」)

予備紙は認められているが、適切な予備紙部数がどの程度なのかについては、種々の議論があるが、搬入部数の2%(100部に対して2部)で十分というのが常識的な見方である。事実、「押し紙」制度を導入していない熊本日日新聞の予備紙率は、1・5%である。

かつてASA宮崎大塚の「押し紙」裁判で、裁判所は約1000部の残紙を予備紙と認定し、原告の訴えを棄却したが、古紙回収業者によって、残紙が定期的に回収されていた事実からも、これらの残紙が予備紙として機能していないことは歴然としている。

準備書面(3)では、「押し紙」の定義について、原告弁護団が明快な論考を展開している。搬入部数の2%で十分だというのが結論だ。

◆準備書面(4)

準備書面(4)は、原告弁護団が読売弁護団の主張の一部を高く評価する異例の内容になっている。原告弁護団は、読売の何を評価したのだろうか?

普通、裁判の訴状が提出されると、被告は、その内容についての答弁書を提出する。この裁判の答弁書で読売は、「新聞販売店は独立した自営業者であり、自店の経営に必要な部数を自由に決定する権利・自由があることは認める」との見解を示した。つまり販売店側に新聞の「注文部数」を自由に決める権利、端的に言えば「自由増減」の権利があることを初めて認めたのだ。原告弁護団は、この点を高く評価したのである。

わたしが知る限り、熊本日日新聞を除いて、「自由増減」の権利を認めている新聞社は存在しない。それゆえに「押し紙」裁判になると新聞社は、販売店側にも一定部数を負担する義務があるとする旨の主張を続けてきたのである。たとえば残紙の原因は販売店の営業不振にあるので、相応の残紙負担は義務であるというような主張である。販売店に「自由増減」の権利はないという大前提に立って、延々と主張を展開してきたのである。

ところが今回、読売弁護団は販売店側に「自由増減」の権利、つまり「注文部数」を決定する権利があることを認めたのである。従って、従来の「押し紙」裁判で、争点になった販売店の営業成績と自己責任に関する検証や、販売店主の人格(中身は誹謗中傷の場合が多い)に関する検証が不要になる可能性がある。

販売店に「押し紙」を断った明確な証拠させあれば、販売店が簡単に勝訴できる可能性が開けたのである。

読売が、自社ではなく販売店側に「自由増減」の権利があることを認めたことで、「押し紙」裁判の争点が簡潔化する。その意味において原告弁護団は、読売が答弁書の中で販売店側に「自由増減」の権利があることを認めたことを歓迎したのである。

読売の代理人を務めている喜田村洋一・人権協会代表理事は、過去にも「押し紙」裁判を担当してきたが、販売店に「自由増減」の権利があることを認めたのは今回が初めてである。

◆原告江上弁護士の談話

この点について、原告の江上武幸弁護士は、「押し紙」問題の抜本的解決へ向けた次のような談話を寄せた。

読売新聞大阪本社の答弁書に、「新聞販売店は独立した事業者であり、自店の経営に必要な部数を自由に決定する権利・自由があることは認め」との一文があるのを見て、私は一瞬目を疑った。読売が裁判で販売店に注文部数の自由増減の権利があることを認めたのである。「まさか」と言うのが最初の偽らざる気持ちであった。今でもその思いが完全には抜けきれないでいる。

読売新聞が販売店に「自由増減の権利」を認めていれば、「押し紙」によって廃業・倒産に追い込まれる販売店主はいなかった。

YC広川の真村さん、YC久留米中央の荒木さん、YC久留米文化センター前の平山さん、YC大牟田明治の野中さん、YC大牟田中央の中島さん、YC小笹の塩川さん等々、「押し紙」によって人生設計を台無しにされた多くの相談者の方たちの顔が思い浮かぶ。

今から、十数年前の出来事である。当時は、読売新聞は発行部数1000万部の世界最大の新聞社であることを喧伝していた。しかし、これらの販売店主の方たちの話では、新聞社から届く新聞の30数%から50%近い部数の新聞が配達されずに廃棄されているとの事であった。業界では「押し紙」とか「残紙」と呼ばれており、しかも、読売新聞に限らず殆ど全ての新聞社が同じ問題をかかえているという。

とても信じ難い話しであった。新聞社に対する信頼がガラガラと音を立てて崩れる瞬間であった。

現在、自民党政権下の官僚達が保身や出世のために政治家にすり寄る醜悪な姿を国民の前に曝しているが、本来であれば、新聞社が真っ先にこれらの腐敗をえぐり出して報道すべきところ、「文春砲」と呼ばれる週刊文春の記事を後追いするだけの存在に成り下がってしまった。

新聞社に「押し紙」さえなければ、権力と堂々と対峙できたはずである。「押し紙」が新聞をダメにしたといっても過言ではない。

今回、読売新聞大阪本社は、答弁書で販売店に注文部数の自由増減の権利があることを認めた。読売新聞社の代理人は、あるいは、この裁判を機に「押し紙」を本気で解消しようと考えてくれているのかも知れない。そうであるならば、私達は共通の土俵の上にたって、裁判官を交えて新聞業界全体の「押し紙」の完全撲滅に向けての議論を交わすことができる。

私共は去る2月22日付で、長崎県佐世保市で廃業した元読売新聞販売店主の川口さんを原告、読売新聞西部本社を被告とする損害賠償請求訴訟を福岡地方裁判所に提起した。東京地裁では読売新聞東京本社を被告とする「押し紙損害賠償請求訴訟」が別の弁護士らによって進行中である。

紙媒体を中心とする新聞は、何れ時代の流れに飲み込まれて消えゆく運命にあるかも知れない。しかし、「押し紙」によってこれまであまたの新聞販売店主が人生を台無しにされてきており、その責任を曖昧にしたまま舞台から消え去ることは許されない。現在の経営陣がその責任をきちんと果すのが、経営者としての本来の姿である。

読売新聞社の現在の経営陣が、この裁判を機に抜本的な「押し紙撲滅」のための措置を講じることを期待している。

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なお、福山市の元YC店主のケースでは、「押し紙」を断った明白な証拠が残っている。(続)