
『紙の爆弾』(7月号)に、わたしが執筆した滋賀医科大事件の記事が掲載された。タイトルは、「前立腺がん患者をモルモットに 滋賀医大病院事件『疑惑の判決』」。
このルポは、4月14日に判決が下された滋賀医科大事件の判決に、「報告事件」の疑惑があることを伝えたものである。「報告事件」というのは、全国の裁判所を管理する最高裁事務総局の政治的判断と介入により、公正・中立な判決が阻害された可能性がある事件を意味する。
裁判の進行を担当書記官が最高裁事務局へ「密告」して、最高裁が政治的判断が必要と考えた場合、担当裁判官を人事異動させることによって、最高裁事務局の意に沿う判決を下させる事件のことである。
滋賀医大病院事件では、結審の後、2人の裁判官が異動になった。判決を読み上げたのは、結審の後、裁判官に就任した新しい裁判長だった。前裁判長は、判決に捺印していない。
国立病院で起きた人間モルモット事件に審判を下すのは、厚生労働省の信用失墜につながりかねない。実際、厚生労働省はこの事件を傍観し続けたのである。
この裁判が「報告事件」であることは、書面を読めば判断できる。わたしのようにジャーナリストの端くれであっても、長年に渡って記事やルポを書いていると、論理が破綻している「作文」には反応する。編集者やライターの視点で、判決文を読んでみると、判決文が後から、誰かが修正を加えたものであることが分かるのだ。
「作文」としては、書き直しが求められるレベルなのだ。繰り返しになるが、それは「作文」で最も大事な論理が破綻しているからだ。
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