
メディアの歴史をさかのぼってみると、ひとつの権力を手に入れた者が、次のステップとしてメディア支配を企てることがままある。世論誘導の道具に利用できるからである。
その典型的な例としては、読売新聞社に乗り込んだ元特高警察の高官・正力松太郎と博報堂の支配を企てた右翼の児玉誉士夫の例がある。。
児玉と博報堂の関係を検証する際に、どうしても無視できないのが、博報堂事件である。これは昭和47年11月30日に、創業家の3代目である瀬木庸介社長を福井純一副社長が追放して、社長に就任した事件である。
日経新聞などの報道によると、福井氏は博報堂を私物化するために、みずからの資金で「亜土」を設立して、「博報堂の持ち株会社『伸和』の株を庸介氏から買い取ったり」「違法な方法で新株式割り当てなどで、『伸和』の株式83.5%を支配下に収めた」。伸和は「博報堂の発行済み株式の30%を保有」しており、博報堂は実質的に福井社長の支配下に置かれたのである。ちなみに福井氏は後に、特別背任容疑で逮捕され有罪になっている。
このお家騒動の時期に「伸和」に乗り込んできたのが、児玉氏の側近であり、等々木産業(株)の代表取締役である太刀川恒夫氏らだった。
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