2025年07月27日 (日曜日)

 「石破やめるな」の大合唱の影で、早くも忘却の途についたのが、日米関税交渉についての報道である。関税交渉での決定事項の中には、日本の主要メディアが報じていない決定事項がある。それは、ホワイトハウスが公表している公文書で、次の箇所である。(翻訳はAIによる)

「日本は、アメリカの指導のもとで5500億ドルを投資し、アメリカの中核的な産業を再建・拡大します。」

5500憶ドルは、約80兆円である。この金額を日本政府の責任で投資して、しかも、「アメリカの指導のもと」で運用されるのだ。しかも、「アメリカはこの投資から得られる利益の90%を保持し、アメリカの労働者、納税者、地域社会がその恩恵の大部分を受けられるようにします。」とうのだ。

ちなみにこの点について、TBSは、おそらくはトランプ大統領のSNSを根拠に、「トランプ大統領は『その利益の9割をアメリカが得る』とアピールしています」と述べているが、「利益の9割をアメリカが得る」は、アピールではなく、ホワイトハウスの公文書に明記されている内容である。

さらに積極的に報じない項目としては、以下の事項である。「協議中」としながらも、日本市場の拡大についてホワイトハウスの公文書は、次のように述べている。

「日本は米国産米の輸入を即時に75%拡大、輸入枠を大幅に拡大;

• 日本は、トウモロコシ、大豆、肥料、バイオエタノール、持続可能な航空燃料など80億ドル分の米国製品を購入。」

これによりおそらく日本の農業は、さらに衰退に拍車がかかり、農薬にまみれ、遺伝子を組み替えた食品が大量に流入することになる。石破内閣は、日本の農業を切り捨て、自動車産業を守ったということになる。それに多額の税金が投入されるのだ。

さらに「日本は米国製の民間航空機(ボーイング機100機を含む)を購入する契約を締結」という記述もある。

以下、ホワイトハウスの公文書の全訳(AI)である。

 

日本との歴史的な貿易・投資協定【出典】

昨日、ドナルド・J・トランプ大統領は、アメリカの最も親しい同盟国かつ重要な貿易相手国である日本との画期的な経済協定を発表しました。
•この歴史的な合意は、日米関係の強さ、そして日本がアメリカを世界で最も魅力的で安全な戦略的投資先と認識していることを反映しています。
•この協定は、両国が経済的繁栄、産業のリーダーシップ、長期的な安全保障に対して共通のコミットメントを有していることを再確認するものです。インド太平洋地域における平和の礎であるだけでなく、世界の成長とイノベーションの原動力となることを示す強力なシグナルです。
•5500億ドル(約80兆円)規模の新たな日米共同投資ビークルと、米国製品の輸出拡大により、この協定は両国協力の新章を切り開くものであり、米国経済の潜在力を最大限に引き出し、重要なサプライチェーンを強化し、今後数十年にわたりアメリカの労働者・地域社会・企業を支援するものです。
🏭 アメリカ産業力の再興
日本は、アメリカの指導のもとで5500億ドルを投資し、アメリカの中核的な産業を再建・拡大します。
•これはいかなる国でも過去最大規模の対外投資コミットメントであり、数十万の米国の雇用を創出し、国内製造業を拡大し、アメリカの繁栄を世代を超えて保障するものです。
•トランプ大統領の指示のもと、この資金は以下の戦略的産業基盤の再生に重点的に投入されます:
•LNGや次世代燃料、送電網の近代化を含むエネルギーインフラおよび生産;
•設計から製造までを含む米国の半導体製造・研究体制の再構築;
•重要鉱物の採掘・加工・精製による基幹資源の確保;
•医薬品および医療用品の国内生産化による外国依存の終焉;
•商用および防衛用の造船(新造船所や既存設備の近代化を含む)。
•アメリカはこの投資から得られる利益の90%を保持し、アメリカの労働者、納税者、地域社会がその恩恵の大部分を受けられるようにします。
•この資本の流入は、トランプ政権下ですでに確保された数兆ドル規模の投資と合わせ、100年に一度の産業再生の要となります。
💼 予測可能な関税制度による均衡ある貿易の実現
本協定の一環として、日本からの輸入品には基準となる15%の関税率が適用されます。
•この新たな関税制度は、数十億ドルの歳入をもたらすと同時に、米国の輸出拡大や投資主導の生産拡大と相まって、日米間の貿易赤字を縮小し、米国の貿易ポジション全体における均衡を回復することが期待されます。
•このアプローチは、一貫性・透明性・執行力ある貿易環境の確立という米国の広範な方針を反映しており、もはやアメリカの労働者や生産者が時代遅れで一方的なルールに不利にさらされることはありません。
•日本がこの枠組みに合意したことは、日米経済関係の強固さと相互の尊重を示し、公平性に基づいた持続可能な貿易の重要性を認識している証です。
🚜 米国産業への市場アクセスの拡大
長年にわたり、米国企業は日本市場への参入に多くの障壁に直面してきました。本協定は、以下の主要分野で画期的な市場開放を実現します:
農業・食品:
•日本は米国産米の輸入を即時に75%拡大、輸入枠を大幅に拡大;
•日本は、トウモロコシ、大豆、肥料、バイオエタノール、持続可能な航空燃料など80億ドル分の米国製品を購入。
エネルギー:
•米国から日本へのエネルギー輸出が大幅拡大;
•アラスカ産LNGに関する新たなオフテイク契約について、日米間で協議中。
製造業・航空宇宙:
•日本は米国製の民間航空機(ボーイング機100機を含む)を購入する契約を締結;
•米国製防衛装備の年間数十億ドル規模の追加購入により、インド太平洋における同盟の安全保障と相互運用性を強化。
自動車・工業製品:
•長年の米国車・トラックへの制限が撤廃され、米国自動車メーカーが日本市場に参入可能;
•米国の自動車基準が、日本で初めて正式に認可;
•工業製品や消費財の幅広い分野での市場開放により、アメリカの生産者にとって公平な競争環境が整備されます。
🌀 日米経済関係の世代的転換
この協定は単なる貿易協定ではなく、日米経済関係の戦略的再編です。
•史上初めて、交渉条件の中心にアメリカの産業、イノベーション、労働者が据えられました。
•歴史的な投資を確保し、長年閉ざされていた市場を開放したことにより、トランプ大統領は再び「他の誰にも実現できなかった取引」を成し遂げました。それは、アメリカ経済の再建、産業基盤の強化、国家力の維持に貢献する内容です。
•トランプ大統領は、**「アメリカが力強くリードすれば、世界はそれに従い、アメリカは勝利する」**という姿勢を体現しています。
🤝 長期的経済パートナーシップの確保
この協定は、アメリカと日本の強く永続的な関係を反映し、両国の共通利益を推進するものです。
•経済・国家安全保障、エネルギーの信頼性、相互的な貿易に関して一致することで、繁栄、産業の回復力、技術的リーダーシップの基盤が築かれました。
•トランプ大統領は、米国の労働者、生産者、イノベーターがグローバル経済の中で報われ、尊重され、力を発揮できるようにする画期的な成果を再び実現しました。

2025年07月26日 (土曜日)

執筆者:ロベルト・トロバホ・エルナンデス

表現の自由──民主主義を支える柱──が、いま多くの国で脅かされている

世界全体の情勢は深刻であり、とりわけラテンアメリカ、そしてコロンビアでは、危機的な状況に対して警鐘が鳴らされている。

「国境なき記者団」が発表した2024年の世界報道自由度ランキングによれば、報道の自由は、本来その価値を守るべき立場にある者たちによって侵されている。ラテンアメリカは、世界のなかでも特に暴力、検閲、政治的干渉の圧力にさらされている地域である。

コロンビアにおいては、世界人権宣言やアメリカ人権条約に明記された表現の自由および情報アクセスの権利が深刻に侵害されている。ラテンアメリカのメディアは、暴力、誘拐、性的暴力、脅迫、嫌がらせ、経済的圧力、差別といった致命的な脅威に日々直面している。

「国境なき記者団」の報告によると、2019年以降、ラテンアメリカでは57名のジャーナリストが命を落とした。コロンビアでは2024年に入ってすでに3人が殺害され、1985年からの累計では35人にのぼる。この数字は、ラテンアメリカが世界で最もジャーナリストにとって危険な地域のひとつであるという現実を突きつけている。

メディアはこうした暴力の被害者であると同時に、無意識のうちに加担者となってしまうこともある。コロンビアでは、政治の深刻な分極化により、報道が「反腐敗派」と「腐敗支持派」に二分され、報道機関の中立性と信頼性が大きく損なわれている。この“セクト化”によって、メディアは民主社会における公平な仲介者としての役割を果たせなくなり、結果的に市民生活に重大な悪影響を与えている。

その顕著な例が、報道を政治的プロパガンダや自己宣伝の道具として利用する傾向である。たとえば、カリ市のチャンネル7の元局長であり、ペトロ大統領の支援を受けて国会議員にまで上り詰めたペペ・コルドーバは、公私の利害が交錯する中で、報道機関に対する国民の信頼を揺るがす行動を繰り返してきた。メディアが政治的アジェンダの手段に変質する時、国民はもはやジャーナリストを「民主主義の守護者」としてではなく、「疑念の対象」として見るようになる。

◆コロンビア政府による検閲と報道への圧力──壊れた信頼関係

コロンビア史上、最も左派寄りとされるグスタボ・ペトロ大統領は、政権発足以来、メディアとの対立姿勢を明確にしてきた。SNSを通じて報道を批判し、偏向報道や情報操作を糾弾することで、報道の信頼性に打撃を与えている。これはジャーナリズムと民主主義の生命線に対する危険な前例となる。

批判は健全な民主社会において不可欠だが、「レッテル貼り」や「敵認定」は、報道の自由を脅かす行為である。大統領は表現の自由の保護者であるべきであり、検閲者であってはならない。

本来であれば民主主義の担い手であるべき大統領が、自由の最大の敵となってしまうのは、「異論を封じ込めたい」という誘惑に屈するからに他ならない。

現在、コロンビアでは35%以上の人々がメディアに対して一定の信頼を寄せている。コロンビアの政治家たちは、市民とメディアのあいだに広がる溝をさらに深めぬよう、責任ある姿勢を求められている。

ペペ・コルドーバ(2018年から2022年までコロンビアの監査院長)は、ジャーナリストの保護強化、仲介者としての役割の再評価、非暴力と多様性の促進に取り組んでいる。また、地域メディアやオルタナティブ・メディアへの支援を通じて、報道の多様性と独立性を守ろうとしている。

私たちは、腐敗に立ち向かい、権力に抗し、科学的視点を育む独立メディアの重要性を、今こそ広く伝えていかなければならない。

◆行動を求める声

報道の自由は、民主主義の命脈である。それを失えば、私たちは息をすることすらできなくなるだろう。

※本稿は、世界ジャーナリスト会議(WJC)の機関紙に掲載された「FROM CENSORSHIP TO COURAGE」の邦訳です。

筆者紹介
ロベルト・トロバホ・エルナンデス。
AL PRESS代表(CEO)、世界ジャーナリスト会議(WJC)ラテンアメリカ・カリブ地域ディレクター。

 

≪原文≫FROM CENSORSHIP TO COURAGE

“Freedom of expression, that pillar that sustains any democracy, is under siege in many countries. And although the global panorama is worrying, the situation in Latin America, and especially in Colombia, is a warning cry that we cannot ignore.”

According to Reporters Without Borders’ World Press Freedom Index 2024, press freedom is threatened precisely by those who should protect it.

The region faces the pressure of violence, censorship, and political interference more than any other area in the world.

The rights enshrined in the Universal Declaration of Human Rights and the American Convention on Human Rights, such as the right to freedom of expression and access to information, are at risk in Colombia.

Latin America’s press encounters a lethal combination of violence, abduction and sexual violence, threats, harassment, economic pressure, and stigmatization.

According to Reporters Without Borders, since 2019, 57 journalists have been murdered in Latin America; Colombia has seen the murder of three journalists in 2024 alone, bringing the total number from 1985 to 2024 to 35 journalists murdered in the country. It is a chilling number that makes Latin America the most dangerous place for journalists.

The press is not only a victim of these dynamics; sometimes, unwittingly, it feeds them. In Colombia, political polarization has led to discrediting journalism by associating it with camps perceived as pro- and anti-corruption.

This “sectarianization” of the press leads to silencing voices, discrediting them from their roles as objective mediators, which is deeply dangerous to civic life.

One of the phenomena is the use of journalism as a political springboard or as a personal branding mechanism. In Colombia, there are countless examples. For instance, Pepe Córdoba, current candidate for president of Colombia and former director of Cali’s Channel 7 who became a congressman thanks to President Petro’s support, has often generated conflicts of interest and eroded confidence in journalism as an essential institution. When the media becomes a tool for political agendas, the public begins to see journalists with suspicion, instead of stewards of democracy.


◆Censorship and criticism from the Colombian government: A broken relationship

The government of Gustavo Petro, the most leftist president in Colombian history, has fostered sustained tension with the media. Petro has used his social media channels to launch attacks, accusing them of bias and manipulation, undermining the credibility of the press. This creates a precedent that is dangerous for journalism and democratic life. Criticism is valid, but stigmatization is not. The president should be a guardian, not a censor.

What turns a true statesman, a president, into the worst enemy of freedom is the temptation to suppress dissent.

In the world, and especially in Colombia, where over 35% of the population trusts the media, political actors need to avoid feeding the gap between citizens and the press.

Pepe Córdoba intends to strengthen the protection of journalists, recognizing their role as mediators, promoting respect and nonviolence towards journalists, breaking the cycle of persecution.

Pepe will promote plurality, supporting local and alternative media. We must educate and raise awareness about the value of independent media, especially when it fights corruption, resists pressure and power, and promotes the voice of science.

◆Call to action

Freedom of the press is the very oxygen of democracy. Without it, we will suffocate.

 

 

2025年07月25日 (金曜日)

公正取引委員会は、6月27日付で、筆者に対して行政文書開示決定通知書を送付した。この文書は、筆者が公正取引委員会に申し立てた情報公開請求に対する通知である。これを根拠として筆者は、開示された文書を入手したが、公取委は、解読を困難にするために肝心な分部を黒く塗りつぶしていた。(全文は、文末からダウンロード可)

公正取引委員会に対して筆者が、「押し紙」に関連した文書の情報公開請求を申し立てたのは、今年の4月21日である。請求内容は次の通りだ。

『1998年(平成9年)1月に公正取引委員会が下した(株)北國新聞社に対する「押し紙」の排除勧告の後、1999年(平成11年)8月に公正取引委員会が新聞特殊指定を改訂して、従来の「注文部数」を「注文した部数」に変更(「新聞業における特定の不公正な取引方法」の箇所)するまでの期間に、公取委と新聞公正取引協議会の間で行われた話し合いの全記録。』

請求内容を説明する前に、情報公開請求に至る経緯を説明しておこう。

 

◆北國新聞社に対する「押し紙」の排除勧告

1998年1月、公正取引委員会は、石川県の北國新聞社に対して「押し紙」の排除勧告を行った。勧告の内容は、同社が新聞の公称部数を30万部にかさ上げすることを計画して、3万部を新たに増刷し、県下の新聞販売店にノルマとして割り当てたことを前提事実として、過剰になった部数の排除を勧告したものである。

新聞特殊指定(1964年改定)は、次の行為を「押し紙」と規定して、禁止している。

『新聞の発行を業とする者が,新聞の販売を業とする者に対し,その注文部数をこえて,新聞を供給すること。』

なお、ここから先が重要なのだが、新聞特殊指定が定義している「注文部数」とは、必ずしも新聞の発注伝票に記入された注文部数を意味するわけではない。そうではなくて、新聞の実配部数に2%の予備紙を加えた部数を新聞販売店にとって真に必要な部数とみなし、それを注文部数と定義している。従って、それを超える部数は、たとえ発注伝票に印字されていても、「押し紙」に該当する。

たとえば実配部数が1000部の場合、予備紙はその2%に当たる20部である。従って、注文部数は1020部になる。1020部を超えた部数は、極めて特殊な例外を除いて「押し紙」である。たとえ新聞の発注伝票に、2000部と印字されていても、注文部数は1020部であり、それを超える880部は「押し紙」である。

ちなみにこのような「注文部数」の特殊な定義は、特殊指定が施行された際に作成された特殊指定の運用細則に明記されている。

※ただしこの排除勧告では、なぜか改定前の古い新聞特殊指定を根拠として採用した節がみうけられる。単なる勘違いなのか、なにか意図的なものがあるのかは分からない。

公取委は、北國新聞社に対して排除勧告を行なった際に、日本新聞協会に対しても、同じような事例が他の新聞社においても確認できる旨の申し入れを行った。これを受けて、公取委と日本新聞協会は、問題解決に向けた協議を重ねていくことになる。

ちなみに「押し紙」問題を公取委が問題視したのは、新聞史上で初めてことである。実際には1970年ごろから水面下で問題になっていたのだが。

 

◆1999年の新聞特殊指定改定で何が行われたのか?

ところが不思議なことに、2年近くに及ぶ話し合いや検討を重ねた後に公正取引委員会が公表した1999年の改定新聞特殊指定は、以前よりも「押し紙」政策を徹底しやすいものになっていた。「押し紙」政策をビジネスモデルの中に組み込んできた新聞社にとっては、歓迎すべき内容に「改定」されたのだ。新聞特殊指定の改定により、ほとんど自由自在に、しかも合法的に新聞部数のノルマを販売店に押し付けることが可能になったのである。

実際、その後、「押し紙」裁判が続発して、搬入部数に対する「押し紙」の割合が、40%、あるいは50%といった事例が次々に現れた。しかも、ほとんどの「押し紙」裁判で、裁判所は新聞社を勝訴させてきた。公取委が1964年の新聞特殊指定の中で打ち出した「押し紙」の定義を変更したことがその要因である。

公取委が、具体的に何をどう変更したのかを検証してみよう。次に示すのは、改定前と改定後の文面である。読者は、赤字と青字で表示した用語に注視してほしい。

【改定前1964年】新聞の発行を業とする者が,新聞の販売を業とする者に対し,その注文部数をこえて,新聞を供給すること。

【改定後1999年】販売業者が注文した部数を超えて新聞を供給すること(販売業者からの減紙の申出に応じない方法による場合を含む)。

既に説明したように、改定前の1964年の新聞特殊指定で使われている「注文部数」という用語には特殊な意味が持たせてある。実配部数に2%の予備紙を加えたものが注文部数であって、「その注文部数をこえて,新聞を供給する」行為は、「押し紙」に該当する。注文部数という用語を文字通りに解釈せず、特殊な意味を持たせることで、「押し紙」を合法的に取り締まる条件を整備していたのである。

ところが改定後の1999年の特殊指定で、公取委は、注文部数という用語を廃止して、「注文した部数」に変更した。「注文した部数」の定義については、それを示す運用細則などの公文書は見当たらないが、最近の「押し紙」裁判の中で、裁判所が重ね重ね、文字どうりに新聞の発注伝票の中に記されている数字を意味するという見解を示している。1964年の新聞特殊指定の施行から、1999年の特殊指定改定までの期間に採用されてきた「実配部数+予備紙2%」を注文部数とみなす解釈を採用しなくなったのである。言葉を代えると、新聞特殊指定を有名無実としたのでる。

従って、たとえば実配部数が1000部の販売店が、新聞社から、新聞の発注伝票に1500部と記入するように「指導」されていても、過剰になった500部は、「押し紙」の定義に入らなくなったのである。さらに、従来「押し紙」と呼んでいた部数を、予備紙と呼ぶようになった。こうして新聞のノルマ部数が正当化されるようになったのだ。

次の図は、4000部の新聞を扱う販売店を例に、「押し紙」の定義の変更を例証したものである。

 

◆公取委と日本新聞協会の協議、業界紙が繰り返し報道

北國新聞社の「押し紙」問題で、公取委と日本新聞協会が約2年にわたって協議を重ねていながら、最終的に新聞特殊指定を骨抜きにして、「押し紙」を容認する法的な根拠を準備したのである。そのための工作が行われていた強い可能性が、はからずも「押し紙」裁判の審理の中で、浮上したのである。

そこで筆者は、公取委が北國新聞社に対して「押し紙」の排除勧告を行った後、1999年に新聞特殊指定を改定するまでの約2年間に、公取委と日本新聞協会がどのような協議をしたのかを調査する必要性を感じ、「公取委と新聞公正取引協議会の間で行われた話し合いの全記録」の開示を求めたのである。

ところが6月27日に開示が通知された公文書は、1998年(平成10年)3月3日付けの「新聞業の景品規制の見直しについて」と題する1件だけだった。しかも、公取委は、開示文書のほとんどを黒塗りにして解読を困難にしており、新聞特殊指定を骨抜きにした経緯が、まったく読み取れない。

さらに存在する関連文書が1件というもの不自然だ。他にも多数の文書が存在する可能性がある。と、いうのも『新聞ノ新聞』などの業界紙に、両者が新聞特殊指定の改定について、何度も話し合いを重ねたことが記録して残っているからだ。

なお、当時の日本新聞協会会長は渡辺恒雄氏で、公正取引委員会・委員長は根来泰周氏である。渡辺氏は、当時、「読売1000万部」を達成して、マスコミ界はいうまでもなく、プロ野球界にも大きな影響力を誇っていた。根来氏は退任後、なぜか日本野球機構のコミッショナーに就任している。

 

◆毎日新聞、試算で年間259億円の「押し紙」収入

最後に「押し紙」がいかに莫大な利益を生むかを示す試算を示そう。
試算に使用するのは、毎日新聞社の内部資料「朝刊 発証数の推移」である。この資料によると2002年10月の段階で、新聞販売店に搬入される毎日新聞の部数は約395万部である。これに対して発証数(読者に対して発行される領収書の数)は、251万部である。差異の144万部が「押し紙」である。

■裏付け資料「朝刊 発証数の推移」

かりにこの144万部の「押し紙」が排除されたら毎日新聞は、どの程度の減収になるのかを試算してみよう。大変な額になる。

事前に明確にしておかなければならない試算の条件は、「押し紙」144万部の内訳である。つまり144万部のうち何部が「朝・夕セット版」で、何部が「朝刊だけ」なのかを把握する必要がある。と、いうのも両者の購読料が異なっているからだ。

残念ながら「朝刊 発証数の推移」に示されたデータには、「朝・夕セット版」と「朝刊だけ」の区別がない。そこで試算の誇張を避けるために、144万部がすべて「朝刊だけ」という前提で計算する。より安い価格を試算の数字として採用する。

「朝刊だけ」の購読料は、ひと月3007円である。その50%にあたる1503円が原価という前提にするが、便宜上、端数にして1500円とする。新聞1部の卸価格が1500円として、これに144万部の「押し紙」部数を掛けると、「押し紙」によるひと月の販売収入が試算できる。

1500円×144万部=21億6000万円(月額)

これを1年に換算すれば、1ヶ月分の収益の12倍であるから、

21億6000万円×12ヶ月=259億2000万円

と、なる。

毎日新聞社は、「押し紙」政策により莫大は販売収入を得ているのである。他の「押し紙」政策を導入している新聞社においても、同じ構図になっている。

これでは公権力が「押し紙」の汚点を把握した段階で、メディアコントロールの温床になりかねない。日本の新聞ジャーナリズムが機能しない理由にほかならない。貴社の職能や職業意識とは、別の客観的な問題があるのだ。

■行政文書開示決定通知書

■新聞業の景品規制見直しについて

■メモ書き

7月20日に投票が行われた参院選は、自民党と公明党が大幅に議席を減らし、国民民主党と参政党が躍進する結果となった。立憲民主党も議席を増やした。しかし、左派の領域に入る共産党と社民党は、議席を減らした。両党は、世論を正確に反映する比例区の得票率も減らした。自公政治の不満の受け皿とはなり得なかったのである。

 

選挙の翌日、つまり7月21日付けの新聞各紙の見出しは、申し合わせたように、自公が過半数を割り込んだことを強調していた。共産党の「しんぶん赤旗」も、商業紙に類似した見出しを掲げていた。

「自公 参院で過半数維持困難」

新聞各紙は、政権党が過半数に達しなかったことを、画期的な、そしておそらくは歓迎すべき現象として報じたのである。しかし、自公の批判票の受け皿となった参政党と国民民主党の中味が、自民党と同じ方向性か、それよりもむしろ急進的な傾向にあれば、政権党の過半数割れを手放しに喜ぶわけにはいかない。実際、参政党は、スパイ防止法案の提出をちらつかせている。自民党よりもはるかに急進的な右派なのである。

新聞各社は、このあたりの詳しい分析を怠っている。本来であれば、過半数割れの有無よりも、こちらの方が日本の運命を左右しかねない重要項目なのである。

新聞・テレビは、選挙当初から、議席の過半数割れを選挙の注目点として報じてきたために、それに整合した報道に踏み切らざるを得なかった可能性が高い。ある意味では、争点隠しなのである。

各党の獲得議席数に着目するのであれば、むしろ利害関係をベースとした協力関係にある立民・共産・社民の議席が、今後の政局にどのような影響を及ぼすかを検証すべきだった。

◆◆

マスコミが参政党を批判しはじめたのは、投票が終了した後である。たとえば、テレビ朝日の大越健介キャスターは、20日の選挙ステーションで、ようやく参政党の神谷党首の選挙期間中の言動に苦言を呈した。

また、日テレの有働由美子キャスターも、神谷氏に対して、防衛政策についての疑問点を提示した。

本来、こうした報道は投票前に行うものである。批判のタイミングがおかしい。おそらく故意にタイミングを遅らせのではないか。

今回の横並びの選挙報道を見るにつけて、マスコミそのものが日本の権力構造に組み込まれていることが一層明確になった。

 

2025年07月19日 (土曜日)

本書は、原発の操業を差し止めた二人の裁判官による対談集である。自らが執筆した原発訴訟の判決、法曹界に入った後に肌で感じた最高裁事務総局の違和感、裁判官として交友のあった人々の像など、大半の日本人には知りえないエピソードが登場する。

筆者にとって法曹界は取材対象の一分野である。と、いうのも2008年から09年にかけた次期に、読売新聞社から3件の裁判を起こされ、総計約8000万円を請求された体験があるからだ。これら3件の係争の背景には、新聞業界で尋常化している「押し紙」問題を告発した事情がある。「押し紙」による損害は年間で、少なく試算しても1000億円を超える。当然、ジャーナリズムの重要なテーマである。

巨大メディアが、日本を代表する人権擁護団体である自由人権協会の代表理事、喜田村洋一弁護士を代理人に立て、フリーランス記者をつぶしにかかった事件を、司法がどう裁くかを、自分の問題として考えた。

本書を一読して印象深かったのは、職業人として心血を注いだ判決を書いている裁判官の姿である。本書の対談者である井戸謙一氏と樋口英明氏が身に付けている高い職業倫理については、人伝いに聞いていたが、判決文を執筆する際に言葉の細部にまで神経を走らせているとまでは想像しなかった。たとえば次のくだりである。

(樋口)福島第一原発事故が起こった後に井戸さんの判決を読み返して、本当に驚いた。言っていることはもちろん正しいですし、判決文の中に「砦」という言葉が出てくるのです。原発の運転を停止する際に必須な「止める・冷やす・閉じ込める」についてです。「最後の砦である機能も失われて」という表現。あの部分が強く印象に残っています。あそこは光って目立つ感じです。また、すごく丁寧に一つひとつの論点について説示してあるのが印象的でした。なぜこの判決が最高裁で破られたのか、それが不思議です。」

(井戸)私は控訴審(高裁)に向けて判決文を書きましたよ。論理の中に穴があってはいけないので、とにかく穴がないように細かく細かくチェックして、あの文章を作っていました。」

井戸氏は、自らがかかわった身代金目的の誘拐事件では、「殺意が確定的か、未必的かという事実認定と量刑を死刑にするか無期懲役にするか」をめぐって、他の2人の裁判官と、「月曜日から金曜日まで、毎日、夜の11時ごろまで合議」を繰り返したという。正常な裁判官にとって、判決は丹精込めた「作品」にほかならない。

これに対して、筆者が30年近く取材してきた「押し紙」裁判の判決には、杜撰なものが多数を占める。おそらく結論が先に決まっていることがその原因だと思われる。たとえば数年前に日本経済新聞の販売店主が、「押し紙」裁判(京都地裁)で敗訴した事件がある。筆者は、原告から主要な裁判資料を入手して、内容を確認した。その結果、「押し紙」の損害を受け続けた原告が弁護士のアドバイスを受け、十数回にわたって内容証明で「押し紙」の仕入れを断っていたことなどが分かった。しかし、裁判官(合議)は、内容証明をもとに店主と日経新聞社が話し合ったから、過剰になっていた新聞は、押し売りされた部数には該当しないという奇妙な論理を組み立て、原告の請求を棄却していた。

また、「押し紙」裁判では、判決の直前になって、最高裁事務総局が不自然な裁判官の人事異動を行うことも日常茶反になっている。原発裁判と同様に、筆者は裁判そのものの公平性を疑わざるを得ない場面に繰り返し遭遇してきた。それゆえに、本書の内容が新鮮に感じられた。司法の原点をみたような気がした。

裁判官には、人を裁くただならぬ特権が付与されている。当然、司法ジャーナリズムは、裁判官を監視しなければならない。そのためには何が必要なのか。筆者は、判決という一種の「作品」を公けの場で批評することが重要な意味を持つと思う。当然、判決の著者を公表しなければならない。裁判の提訴と判決だけを報道することが、司法ジャーナリズムではない。

本書の企画は、新しい司法ジャーナリズムの試みとしても意義深い。

 

タイトル:司法が原発を止める

著者:樋口英明、井戸謙一

出版社旬報社

ユーチューブ動画で紹介したのは、廃棄される前段の参院選・選挙公報である。撮影日は、7月13日の21時。撮影場所は、千葉県流山市のASA(朝日新聞販売店)の前である。撮影者は、大野富雄・元流山市議。税金で制作された選挙公報が大幅に水増しされ、新聞に折り込まれないまま廃棄される前段を記録した動画を撮影した。

参院選の選挙公報は、7月12日に新聞折込のかたちで配布された。その翌日にあたる13日に大野議員はかねてから観察拠点としていた「押し紙」や折込媒体の収集場所を確認した。選挙公報は、12日に新聞に折り込まれたわけだから、本来であれば、13日に大量の選挙公報が積み上げられているはずがない。ところが収集場所には、大量の選挙公報が残っていた。(動画:1分10秒~)。大野元市議は、選挙公報の水増しの決定的な証拠を掴んだのである。

7月14日付けのメディア黒書で既報したように、新聞に折り込む参院選の選挙公報が、新聞の配達部数を大幅に超えて、新聞販売店に搬入されていることが千葉県流山市で発覚した。過剰になった選挙公報が山積みされている現場を、筆者は確認して、新聞販売店の店長に事実関係を確認した。

実は、流山市では4,5年前から、「押し紙」とそれに連動た折込媒体の水増しが発覚して、地元の市議が市議会で繰り返しこの問題を追及してきた。

たとえば、2021年10月時点での流山市のABC部数(新聞の公称部数)は、36,815部だったが、同市はこの数字をはるかに上回る50,128部の広報紙(流山市発行)を広告代理店に発注していた。その結果、たとえ「押し紙」が1部も存在しないとしても、1万3000部ほど折込媒体が過剰になっていた。これについて市当局は、広告代理店から指示された部数を発注しているだけと回答した。こうした問題は放置された。状況は改善しなかった。

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しかし、ここから先が重要なのだが、折込媒体が水増しされる責任は新聞販売店にあるわけではない。新聞販売店は、「押し紙」(ノルマ部数)によって生じる損害を、折込媒体の収入や、新聞社からの補助金によって相殺せざるを得なくなっている。それにもかかわらず販売店経営が黒字になるとは限らない。

実際、今回、筆者が取材した販売店は、副業として「宅配」業も営んでいた。

最も問題なのは、「押し紙」による損害を、折込媒体の水増しや補助金で相殺する新聞のビジネスモデルである。新聞社が「押し紙」政策を中止すれば、問題は解決する。

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警察も司法もこの問題にはメスを入れない。ビジネスモデルにメスを入れることが、新聞社経営に決定的な負の打撃を与えることを知っているからだ。新聞社(テレビ)は、日本の権力構造に組み込まれており、それを切り捨てることは、大規模な世論誘導の道具を捨てることになりかねないからだ。

その結果、選挙公報の水増しが堂々とおこなわれているのである。

これはなにも流山市に限ったことではない。ほとんどの新聞社が「押し紙」政策を行っているので、選挙公報を新聞折込で配布する自治体では同じことが起きている。

7月20日に投票の参議院議員選挙の選挙公報が、ASA(朝日新聞販売店)で水増しされていることが分かった。筆者は、同市に在住する男性から通報を受け、14日の午後、男性と一緒にASAに急行した。店舗の外側に残紙や包装物(折込チラシの可能性が高い)に交じって、参院選の選挙公報の束が山積みになっていた。

目視できたのは、2包装。その下にも、包装束が積まれており推測で4包装から、5包装の公報が古紙回収の対象になっていた可能性が高い。

流山市のウエブサイトによると、「候補者の政見や略歴などを掲載した選挙公報は、令和7年7月12日(土曜日)の朝刊(朝日、産経、東京、日経、毎日、読売)に折り込む予定」になっていた。筆者が、スマホで梱包物の写真を撮影した日時は、スマホのデータによると14日の13時24分である。12日が配布日であるから、店舗の外に積まれていた参院選の選挙公報は、過剰になったものということになる。

販売店の店長を取材したところ、公報紙が過剰になっていることを認めた。(詳細については後日)

2025年07月09日 (水曜日)

福岡・佐賀押し紙弁護団 弁護士江上武幸(文責)2025年(令和7年)7月8日(火)

去る7月3日(木)に、長崎県西日本新聞販売店の押し紙訴訟の福岡高裁判決が言い渡されました。地裁判決に続き販売店の敗訴判決でした。(なお、福岡地裁の佐賀県西日本新聞販売店の押し紙訴訟の判決言い渡し期日は、9月9日(火)午後1時10分に指定されています。)

この二つの裁判については折々に投稿させて頂いていますので、今回の高裁判決と併せて御覧ください。

新聞社は販売店に押し紙を仕入れさせるためには仕入れ代金を補填する必要があります。その方法のひとつが折込広告収入を増やすことです。もう一つは、補助金を支給することです。失われた30年といわれる日本社会全体の活力の低下とネット社会の普及という時代の変化により新聞自体が必要されなくなってきています。昭和40~50年代に押し紙を解消した熊本日日新聞社や新潟日報社などと違い、押し紙に頼って経営を続けてきた新聞社は、今更、押し紙を完全になくすことはできず深刻な経営不安を抱えているように思われます。

そういう時代のなか、私どもが西日本新聞社の押し紙裁判は勝訴の見込みが十分あると判断したのは、西日本新聞社の押し紙政策があまりにも無防備だったからです。

西日本新聞社は原告の折込広告収入を増やすために、4月と10月に他の月より200部多い部数を供給しました。そうすることで年間を通じて200部分多い折込広告収入を得られるように措置していたのです。これは、新聞社主導による明らかな折込広告料の詐欺です。ABC部数も4月と10月の部数が公表されますので紙面広告料の詐欺に問われる可能性もあります。

新聞社が詐欺行為の批判を受けないようにするには、販売店の実配数は知らないことにしておく必要があります。販売店の実配数を知っていることがわかれば、折込広告料の詐欺の教唆あるいは販売店との共同正犯の罪を問われるからです。
その結果、折込広告主が新聞社に広告料の返還を求めるような事態が生まれれば、新聞業界は収拾のつかない大変混乱に見舞われることになります。

ところで、西日本新聞社は販売店の実配数は知らないと主張しておきながら、実際は、販売店毎の実配数を記載した表を作成し、その表が外部に漏れないように本社の金庫で厳重に管理していることがわかりました。

何故、そのことがわかったかといいますと、私たちは販売店の実配数と送付部数を記載した地区部数表をあらかじめ入手していたからです。その表を、西日本新聞社が販売店の実配数を知っている証拠として提出したところ、西日本新聞社は実配数は重大な営業秘密なので、第三者の閲覧を禁止するよう裁判所に求めました。つまり、販売店の実配数は知らないとのそれまでの主張が虚偽であることを認めざるを得なくなったのです。まさに、墓穴を掘ったのです。

もう一つは、販売店の注文は電話で受け付けていると主張していた点です。
公正取委員会は、平成9年の北國新聞社の押し紙事件を機に、新聞社に対し注文部数に疑義が生じないように注文方法を改善することを求めました。そのためと思われますが、西日本新聞社も販売店に注文部数を記入した注文表をFAXするよう指示していました。しかし、実際に供給する部数は部数表に記載された部数とは違っていましたので、電話による注文を主張せざるを得なかったと思われます。
幸い、佐賀県販売店が電話の会話を録音していましたので、販売店が電話で部数を注文しているとの西日本新聞社の主張が虚偽であることの証拠として、その録音データーを裁判所に提出しました。

私どもは、西日本新聞社が虚偽の主張をしていることを、証拠に基づき明らかにすることができましたので、裁判所が西日本新聞社を勝訴させるとは夢にも思っていませんでした。

高裁の不当判決を受けると最高裁に上告すべきか否か判断に悩むのですが、私は押し紙裁判については最高裁の判断は求めるべきではないと考えています。というのも、押し紙裁判では、販売店よりの訴訟指揮をすすめてくれていた裁判官が新聞社よりの訴訟指揮をする裁判官に突然交代させられるなど、最高裁事務総局の意図によると思われる不可思議な裁判官の移動が頻繁に行われてきたからです。全国には新聞社を問わず押し紙裁判を提起したいと考えておられる販売店経営者とそれを支援する弁護士が多数おられます。
本件裁判で最高裁に上告して却下された場合、今後の押し紙裁判の提訴が事実上難しくなることが予想されますので、そのような事態は避けたいと考えている。

30年もの長期におよぶ劣悪な政治のために国民の生活が困窮しつづけています。このような時代状況を背景に司法に対する国民の期待は大きくなる一方だと考えられます。新聞業界の押し紙問題についても、司法の力でなんとか解決すべきであると考える裁判官が多数現れてくれることを望んでいます。
皆様方のご支援・ご協力のほどを、引き続きよろしくお願いします。

2025年06月27日 (金曜日)

東京高裁が和解を提案していた横浜副流煙事件(控訴審)は、被控訴人(作田学医師ら4人)が、和解を拒否したために、8月20日に判決が言い渡されることになった。控訴人(藤井敦子さんら2名)は、作田氏が作成した診断書に瑕疵があったことを認める内容の和解案を提案していた。

■事件の概要

◆訴権の濫用

既報してきたようにこの裁判は、藤井さんらが、前訴の勝訴を受けて、起こした反スラップ裁判である。藤井さんの夫・将登さんが吸う煙草の副流煙で健康を害したとして、隣人家族3人が4518万円の金銭支払いを求めて起こした裁判が、訴権の濫用に該当するとして起こした訴訟である。

前訴の中で、最も大きな争点となったのは、作田医師が原告3人のために交付した診断書である。そこには「受動喫煙症」という病名が付されていたが、診断のプロセスに重大な疑惑があることが次々と判明した。

たとえば作田医師がトラブルの現場を確認することなく、患者の訴えを鵜呑みにして、一方的に将登さんを副流煙の発生源と事実摘示したことである。また、原告のひとりに約25年の喫煙歴があった事実である。さらに別の原告については、診察することなく、診断書を交付した事実である。
面識すらなかったのである。この点に関して原審は、医師法20条違反を認定した。

つまり事実的根拠に乏しい診断書を、根拠として4518万円の高額訴訟を起こしたのである。しかも、提訴した後も作田医師は、5通もの意見書を作成して将登さんを批判するなど、一貫して原告3人を支援し続けた。

作田医師が交付した診断書には前提事実に根拠が乏しく、しかも、それを自覚していた可能性が高い。作田医師が理事長を務めていた日本禁煙学会は、訴訟提起も推奨しており、藤井さんのケースは、訴権の濫用に該当する可能性がある。

8月20日に下される判決内容とはかかわりなく、不当裁判に対して「反訴」することは、スラップを防止する上で重要である。

 

 

2025年06月22日 (日曜日)

「4・10増減」(よんじゅう・そうげん)と呼ばれる変則的な「押し紙」の手口がある。4月と10月に「押し紙」を増やす販売政策である。なぜ、4月と10月なのか。
結論を先に言えば、4月と10月のABC部数が、折込広告の設定枚数(折込定数)を決めるための有力なデータになるからだ。4月の数値は、6月から11月の折込定数に反映し、10月の数値は、12月から翌年の5月までの折込定数に反映する。新聞社は、それを知っているから「4・10増減」に走るのである。

西日本新聞の元販売店主(長崎県)が起こした「押し紙」裁判は、「4・10増減」が争点になった。裁判の中で、西日本新聞社が、全販売店の実売部数や残紙の程度を把握していたことを示す内部資料の存在が明らかになった。それにもかかわらず第一審で裁判所は、西日本新聞の「押し紙」政策を認定しなかった。7月3日には、控訴審の判決がある。

一目瞭然の「押し紙」政策の存在が客観的に立証されていながら、新聞社に軍配を上げ続ける裁判官の姿勢。
これは、裁判官が有する人を裁くただならぬ特権を悪用しているのではないか?

2025年06月16日 (月曜日)

福岡・佐賀押し紙弁護団 江 上 武 幸 (文責)2025(令和7)年7月16日

7月3日(木)午後1時25分の西日本新聞押し紙訴訟福岡高裁判決の言渡期日が迫ってきました。既報のとおり、福岡地裁判決は前年の4月1日に東京高裁・東京地裁・札幌地裁から転勤してきたいわゆる「東京組」と呼ばれる3人の裁判官達による判決でしたので、敗訴判決が出る可能性はある程度予期せざるを得ませんでした。

しかし、この裁判では、西日本新聞社が原告販売店に毎年4月と10月に前月より200部も多い部数を供給し続けていること、その目的は、原告の押し紙の仕入代金の赤字を補填するために折込広告部数算定の基礎となるABC部数を大きくするためであること、つまり、押し紙政策を続けるために西日本新聞社が主導して折込広告料の不正取得(詐欺行為)を行わせていたことが明らかでした。

また、押し紙を行っている新聞社は、西日本新聞社に限らず押し紙の責任を販売店に押し付けるために、販売店の実配数は知らないし知り得ないと主張します。しかしこの点についても、西日本新聞社は販売店の実配数を把握しており、毎月、実売部数を記載した部数表を作成し、外部に知れないように本社で厳重に管理している事実を認めました。

この裁判は販売店が勝訴する条件が充分に揃った裁判でしたので、敗訴判決を聞いた瞬間、東京組の裁判官3名を福岡に派遣した最高裁事務総局の、新聞社の押し紙敗訴判決は出させないという強い意志を感じました。

* 福岡地裁判決の問題点については、5月25日に投稿した「控訴準備書面(全文)」をご覧ください。

福岡高裁の裁判官達が九州モンロー主義が支配した時代にみられた「最高裁なにするものぞ」という気概に満ちた判決をくだしてくれるかどうか、皆様と共に期待しながら待ちたいと思います。

なお、近時、司法試験合格者の裁判官希望者が少なくなっており、若い裁判官の中途退官も増えていると聞いています。外部からはこれらの情報はなかなか知ることはできませんが、幸い、岡口基一元裁判官がフェイスブックで裁判の独立と裁判官の果たすべき役割について積極的に発信しておられますので、それらの様子を伺い知ることができています。

裁判所内部からも岡口元裁判官と同じ危機意識をもった人たちの動きが表面化してくれることを期待しています。