
12月16日から池袋HUMAXシネマズで、映画『[窓] MADO』が上映される。主演は西村まさ彦。監督は、麻王である。
この映画は、横浜副流煙裁判を舞台としたフィクションである。煙草による隣人トラブルの深刻さを描いている。化学物質過敏症がテーマ。
なお、本日発売の『紙の爆弾』に、筆者が5ページにわたる映画の紹介記事を書いている。監督の麻王は、CM制作者として有名で、被告として横浜副流煙裁判の法廷に立たされた藤井将登さんのご子息である。事件の直接の目撃者でもある。
12月16日には、西村まさ彦氏ら出演者の舞台あいさつが予定されている。
詳細は、次のウエブサイトに詳しい。

糸口が見つかると、そこから連鎖が起きて事件が拡大することがある。煙草の副流煙で「受動喫煙症」になったとして隣人が隣人を訴えた横浜副流煙裁判で新しい動きがあった。日本禁煙学会の作田学理事長と共に意見書を提出して原告を支援した宮田幹夫・北里大学名誉教授の医療行為に汚点があるとする内部告発が筆者のもとに寄せられたのだ。
既報してきたように、横浜副流煙裁判では作田医師が作成した診断書が信用できないしろものではないかとの疑惑が浮上した。原告の請求は棄却され、作田医師は刑事告発された。警察の取り調べ後に検察へ書類送検された。不起訴になったものの、検察審査会が「不起訴不当」の判断を下した。
患者の自己申告に基づいて所見を作成し、しかも現地を取材することなく煙の発生源を特定していたからだ。診断書交付の手続きにも、医師法20条(無診察による診断書交付の禁止)に違反するなどの汚点があった。
こうして捻じ曲げられた診断書を根拠に原告の患者らは、隣人に対して裁判へと暴走し、4518万円の金銭を請求したのである。
この裁判で原告は、宮田医師が交付した診断書も裁判所に提出した。宮田医師はその診断書に化学物質過敏症の病名を付していた。
この診断書自体が患者の自己申告による根拠に乏しいものだという証拠はなにもないが、宮田医師について筆者は、容易に化学物質過敏症の診断書を交付してくれる医師であるという評判をたびたび聞いていた。
11月に、化学物質過敏症の治療を行っているあるひとりの医師から筆者のもとに内部告発があった。宮田医師が安易に化学物質過敏症の病名を付した診断書を交付するというのだ。筆者は、告発者の酒井淑子(仮名)医師から、その裏付け証拠を入手した。
◆化学物質過敏症とは診断できず
酒井医師は、具体例として患者A(女性40代)のケースを報告した。Aさんは、社労士を同伴して酒井医師の外来を受診した。化学物質過敏症を理由に障害年金を申請するので、化学物質過敏症の病名を付した診断書を交付してほしいというのだった。治療を受けることは希望していなかった。Aさんは、酒井医師の外来を訪れる前には、他の医療機関を転々としていた。酒井医師が言う。
「入室するなり、この場所にいるとしんどいとか、窓を開けてとか、様々な症状を訴えておられました。当院は患者さんに配慮してかなり無香料にしていますが、化学物質過敏症になったことがある私にも感じられない臭いを訴えておられました。ジェスチャーも派手でした。診断書を交付してもらえるかどうかをずっと心配しておられました」
ちなみに酒井医師によると、Aさんに同伴した社労士が着ていた衣服から柔軟剤の臭いがしたという。
酒井医師は問診を行った後、Aさんを検査した。最初に神経経路に異常がないかを確かめるために眼球運動の検査を実施した。患者にランプの光を目で追ってもらい、反応を確かめる。Aさんは「見えない」「追えない」と繰り返すだけで、目で光を追う努力をしない。酒井医師が、「これでは診断書は書けませんよ」と注意すると大声で泣き始めた。
「わたしは、Aさんに『頑張ってランプを追いかけてくれた方が悪い所見が取れるから』と言って再検査を行いました。検査の結果は、念のために知り合いの専門家にもアドバイスを求め、最終的に化学物質過敏症とは診断しませんでした。受診するときの様子からして心因性の疾患を強く疑いました」
◆診断書を「エイヤッと書いております」
酒井医師から診断書交付を断られたAさんは、電車を乗り継ぎ、5時間かけて上京し、東京都杉並区にある宮田医師のクリニックを訪れた。そして宮田医師から化学物質過敏症の病名を付した診断書交付を受けたのである。これらのことは、後日、酒井医師が宮田医師のクリニックのスタッフと電話で話して判明した。スタッフはAさんについて、「一人でいらっしゃいましたよ」と言ったという。
宮田医師は9月に酒井医師に対して、Aさんの診断書交付について報告する書簡を送付してきた。それによると宮田医師も、心因性のものなのか、それとも化学物質過敏症であるかの判断に悩んだようだ。たとえば次の記述である。
「精神科の医師が診断書を書くか、私が書くか、だけの違いだと思って、エイヤッと書いております」
「ともかく火の粉をかぶるつもりで、診断書を書かせて頂きました」
「何かありましたら、お馬鹿な宮田へ回して頂きたいと思います」
病状が明確に判断できないのに、「エイヤッ」で化学物質過敏症の診断を下し、その責任は自分が取ると言っているのだ。
その後、Aさんが実際に診断書を根拠に障害年金を申請したかどうかは不明だが、最初に酒井医師の外来を受診したとき、社労士を伴っていたことからしても、障害年金が目的で、診断書を入手しようとしていたことが推測できる。酒井医師が言う。
「本当に重症な化学物質過敏症であれば、5時間も電車に乗って宮田先生の外来まで行けないと思います」
筆者は宮田医師の外来を受診したひとを何人か知っているが、全員が化学物質過敏症の診断書を交付してもらったと話している。
◆市民運動・住民運動に客観性に乏しいデータは禁物
化学物質過敏症は客観的な病気のひとつである。それゆえに本当にこの病気に罹患して苦しんでいる患者は、障害年金などで手厚く保護しなければならない。しかし、心因性の患者が多いのも事実なのである。また、他の病気との区別が難しい。たとえば頭痛や吐き気やめまいといった症状は、化学物質過敏症に罹患していなくても現れるからだ。それを無視して、化学物質過敏症と断定してしまうと、病状の正確な実態と、患者の広がりの実態が客観的に把握できなくなる。
病状の原因が不明なのに、「エイヤッ」で診断書を交付することは、科学者の姿勢として間違っている。
化学物質や電磁波による複合汚染の問題に取り組んでいる市民運動や住民運動は全国各地にある。宮田医師の診断書は、これらの運動の重要な根拠になってきた。しかし、その診断書に疑義があるとなれば、運動を破滅に追い込みかねない。客観的な事実を前提に運動を進めなくては、運動が広がらないだけではなく、深刻な2次被害を招きかねない。その典型が横浜副流煙事件なのである。
また障害年金などの不正受給に繋がりかねない。
筆者は宮田医師に対しAさんを化学物質過敏症と診断した根拠などについて、書面でコメントを求めた。回答は次の通りである。
「お問い合わせのありました化学物質過敏症の診断基準については、1999年に米国国立衛生研究所主催のアトランタ会議において、専門家により化学物質過敏症の合意事項が設けられております。こちらをご確認頂ければと思います」
1999年の合意事項とは、次の6項目である。
【1】化学物質への曝露を繰り返した場合、症状が再現性をもって現れること。
【2】健康障害が慢性的であること。
【3】過去に経験した曝露や、一般的には耐えられる曝露よりも低い濃度の曝露に対して反応を示すこと。
【4】原因物質を除去することによって、症状が改善または治癒すること。
【5】関連性のない多種類の化学物質に対して反応が生じること。
【6】症状が多種類の器官にわたること。
化学物質過敏症の診断は一筋縄ではいかない。診断に関する疑問が浮上した以上、学閥や派閥を排除してオープンな議論や論争を行うべきだろう。科学の世界に上下関係はないはずだ。さもなければ2次被害に繋がりかねない。

既報したように西日本新聞の元店主が、11月14日に福岡地裁へ「押し紙」裁判の訴状を提出した。代理人を務めるのは、「押し紙」弁護団(江上武幸弁護士ら)である。
本稿で、訴状の中身を紹介しよう。結論を先に言えば、弁護団の20年を超える「押し紙」追及と研究の成果を結集した訴状になっている。訴状の全文とそれに関連する資料は、次のPDFからダウンロードできる。
◆◆
原告の元店主が請求している額は、2011年6月1日から2021年5月31日までの10年間に被った「押し紙」による被害と、訴訟に要する弁護士費用など総計で約5700万円である。
原告弁護団が請求の根拠としているのは次の3点である。
1, 公序良俗違反
民法90条は、「公の秩序又は善良の風俗に反する法律行為は、無効とする」と述べている。つまり社会通念を踏み外したとんでもな方法で、ビジネスを展開した場合など、ビジネスの根拠となっていた契約を白紙に戻す法律である。「押し紙」裁判では、無駄な新聞を大量に押し売りする行為が公序良俗に違反するかどうかが審理される。折込広告の廃棄や環境破壊も考察点になる。
(写真は、本文とは関係ありません)
2, 不法行為
不法行為についての審理では、西日本新聞が元店主に対して、新聞を押し売りしたかどうかが争点になる可能性が高い。これは旧来の「押し紙」裁判で中心的な争点になってきたテーマである。原告は、新聞の買い取りを強制された事実を立証しなければならない。
従来の「押し紙」裁判では、裁判所は新聞社が新聞の買い取りを強制した事実をなかなか認めない傾向があった。たとえば日経新聞の「押し紙」裁判では、店主が少なくとも20回に渡って書面で「押し紙」を断ったにもかかわらず、販売局と店主の間で「注文部数」の決定について、議論をしたから強制には当たらないと判断した。論理が極端に飛躍しているが、「押し紙」裁判では、このレベルの幼稚な判定がまかり通っている。「押し紙」裁判が不透明だと言われる理由のひとつである。
新聞社による不法行為を否定することで裁判所は、延々と「押し紙」を放置してきたのである。
過去の「押し紙」裁判の傾向をみると、詭弁が最も多いのが不法行為に関する審理である。
3, 債務不履行
債務不履行についての審理は、最近の「押し紙」裁判の中で、新しい視点として浮上してきたテーマである。
商契約の中で西日本新聞は、販売店に対して法規を尊重したうえでビジネスを展開することを確約させている。しかし、相手方に法令遵守を求めるからには、みずからも法令を遵守しなければならないというのが一般的な法解釈である。
それを前提にした場合、新聞社は独禁法の新聞特殊指定を遵守して、販売店に真に必要な新聞部数を届ける義務がある。実際、西日本新聞が販売店の送る請求書には、「貴店が新聞部数を注文する際は,購読部数(有代)に予備紙等(有代)を加えたものを超えて注文しないで下さい。本社は,貴店の注文部数を超えて新聞を供給することは致しません」という注意書きをしている。
一方、独禁法の新聞特殊指定の下では、新聞の「注文部数」を次のように定義している。
【引用】「注文部数」とは、新聞販売業者が新聞社に注文する部数であって新聞購読部数(有代)に地区新聞公正取引協議会で定めた予備紙等(有代)を加えたものをいう。
※出典:1964年に公正取引委員会が交付した新聞特殊指定の運用細目
具体的にいえば、「実配部数+予備紙」の合計を「注文部数」(必要部数)と見なし、それを超える部数は、理由のいかんを問わず、原則として「押し紙」である。新聞の発注書に販売店が記入した外形的な「注文部数」と、特殊指定の下での「注文部数」とは意味が異なる。これを混同していたのが従来の「押し紙」裁判なのである。
従って西日本新聞が残紙の存在を認識していれば、その残紙は「押し紙」という判定になる。
この裁判では、西日本新聞が実配部数を把握していた証拠が残っている。従って西日本新聞は、新聞特殊指定でいう「注文部数」を越えて、新聞を提供していたことになる。
「債務不履行」についての審理では、部数の強制があったかどうかといった点は、枝葉末節であって、搬入されていた新聞の部数が新聞特殊指定が定義している「注文部数」を越えていたかどうかが、中心的なテーマとなる。
(写真は、本文とは関係ありません)
◆◆
今後の「押し紙」裁判でも、債務不履行に関する審理が中心的な論点になる可能性が高い。
従来、「押し紙」の定義は、「新聞社が販売店に押し売りした新聞」とされてきた。しかし、新聞特殊指定の下での定義は、既に述べたようにかなり異なっており、「実配部数+予備紙」からなる「注文部数」を超えた新聞部数の事である。強制があったかどうかは、2次的な問題なのである。
佐賀新聞の「押し紙」裁判(2020年5月判決)では、新聞特殊指定の下での「押し紙」の定義が「押し紙」弁護団から提唱され、裁判所もそれを参考にした可能性が高く、佐賀新聞社の独禁法違反を認定した経緯がある。

2022年10月度のABC部数が明らかになった。それによると朝日新聞はこの1年間で約61万部の減部数となった。また、読売新聞は約47万部の減部数となった。
産経新聞は100万部の大台を切った。各中央紙の詳細は次の通りである。
朝日新聞:3,961,962(-609,548)
毎日新聞:1,845,772(-133,140)
読売新聞:6,567,738(-470,330)
日経新聞:1,673,118(-179,936)
産経新聞:990,743(-70,533)
なお、ABC部数には「押し紙」が含まれており、ABC部数の減部数が必ずしも新聞社の衰退を推測する数値になるわけではない。「押し紙」を整理すれば、ABC部数は減るが、健全な経営を取り戻すことができる。朝日新聞が急激にABC部数を減らしている背景も、慎重に検討する必要がある。
※新聞特殊指定の下での「押し紙」の定義:
実配部数+予備紙を「必要部数」として、それを上回る部数は、原則として理由のいかんを問わず「押し紙」と分類される。外形上の「注文部数」が「必要部数」を上回れば、たとえ販売店が「発注部数」を書面に記入していても、過剰部数分は「押し紙」と見なす。ちなみに販売店からは、連日のように大量の残紙が回収されており、予備紙としての実態はない。
公正取引委員会や裁判所などの公権力機関が「押し紙」を放置する背景には、「押し紙」という一大汚点を逆手に取れば、メディアコントロールが可能になる構図があると考えうる。それは戦前・戦中に、当時の政府が新聞用紙の配給制度を利用して、言論に介入した構図と共通している。
メディアコントロールの鍵は、新聞社の経営上の汚点や弱点に付け込むことである。

共同通信が興味深い記事を配信している。「白石スイス大使が辞職 元読売新聞グループ本社会長」と題する記事である。(11月25日付け)。読売新聞の社長や会長を務め、日本新聞協会の会長も兼任したことがある白石興二郎氏が「駐スイス兼リヒテンシュタイン大使」辞職することが決定したとする内容である。
そもそもわたしは白石氏が2019年に、「読売新聞グループ本社会長からスイス大使に起用」されたことを知らなかった。安倍晋三内閣の時代である。共同通信の記事を読んで、わたしは改めて読売という企業が公権力機関と特別な関係を持っていることを認識した。
白石氏は外交の専門家でもなんでもない。ジャーナリストの視点から、外交戦略を展開してもらおうという政府の意図があったとも思えない。白石氏にはわたしが知る限り、ジャーナリストとしての国際報道の際立った実績は何もないからだ。
たとえば朝日新聞の本多勝一記者は、『戦場の村』や『南京大虐殺』といった優れた調査報道がある。共同通信の斎藤茂男記者には、『わが亡きあとに洪水はきたれ!』といったやはり優れた調査報道がある。毎日新聞の大森実記者にも幾多の傑作がある。本多勝一氏を中国大使に任命するのであれば、まだ理解できる。中国報道の実績があるからだ。
しかし、なぜ白石氏がスイス大使なのかはさっぱり分からない。読売新聞社だけを特別扱いにしている印象がある。
何が目的で日本政府は、白石氏を大使に任命したのか、今後わたしは、外務省に対する情報公開請求などで調査したい。一体、この人物に対して国は、総額でいくらの給金を支払ったのかも詳しく調べる必要がある。
こうした不自然な工作が当たり前に行われているとすれば、わたしが現在取材している読売「押し紙」裁判が公平に行われているのか再検証する必要が出てくる。日本の民主主義の根幹にかかわる問題である。民主主義が崩壊しているとすれば、裁判もペテンということになる。国民が騙されているということになる。
今後、白井氏はスイス大使として、具体的にどのような実績を上げたのかを公表すべきだろう。
■写真出典:ウィキペディア

「押し紙」裁判に新しい流れが生まれ始めている。半世紀に及んだこの問題に解決の糸口が現れてきた。
11月14日、西日本新聞(福岡県)の元店主が、「押し紙」で損害を被ったとして約5700万円の損害賠償を求める裁判を福岡地裁へ起こした。訴状によると元店主は、2005年から2018年までの間に3店の販売店を経営した。「押し紙」が最も多い時期には、実配部数(実際に配達する部数)が約1300部しかないのに、約1800部の新聞が搬入されていた。
他の「押し紙」裁判で明らかなった「押し紙」の実態と比較すると、この販売店の「押し紙」率は低いが、それでも販売店経営を圧迫していた。
この裁判には、どのような特徴があるのだろうか?
◆多発する「押し紙」裁判、読売3件・西日本2件・日経1件
「押し紙」裁判は、今世紀に入ることから断続的に提起されてきた。しかし、新聞社の勝率が圧倒的に高い。裁判所が、新聞社の「押し紙」政策の存在を認定した例は、わたしが知る限りでは過去に3例しかない。2007年の読売新聞、2011年の山陽新聞、2020年の佐賀新聞である。
※2007年の読売新聞の裁判は、「押し紙」が争点になったが、地位保全裁判である。
現在、わたしが取材している「押し紙」裁判は、新たに提起された西日本新聞のケースを含めて次の6件である。
・読売新聞・東京本社VS販売店(東京高裁)
・読売新聞・大阪本社VS販売店(大阪地裁)
・読売新聞・西部本社VS販売店(福岡地裁)
・日経新聞・大阪本社VS販売店(大阪高裁)
・西日本新聞VS販売店1(福岡地裁)
・西日本新聞VS販売店2(福岡地裁)
販売店主の中には、新聞社の販売局員から面と向かって、
「あんたたちが裁判を起こしても、絶対に勝てないから」
と、冷笑された人もいる。確かにここ1年半ぐらいの間に裁判所が下した判決を見ると、残紙の存在が認定されているにもかかわらず販売店が3連敗しており、「押し紙」裁判を起こしても、販売店に勝算がないような印象を受ける。その敗訴ぶりも尋常ではない。いずれの裁判でも、判決の言い渡し日が2カ月から3カ月延期された末に、裁判所が販売店を敗訴させた。しかも、3件のうち、2件では最高裁事務総局が裁判官を交代させている。つまり裁判の透明性に明らかな疑問があるのだ。
◎参考記事:産経「押し紙」裁判にみる野村武範裁判長の不自然な履歴と人事異動、東京高裁にわずか40日
新聞社が日本の権力構造の歯車に組み込まれ、世論誘導の役割を担っているから、裁判所や公正取引委員会などの公権力機関が「押し紙」問題を放置する方針を取っている可能性が高いと、わたしは考えている。認識できないだけであって、ほとんどの国でメディアコントロールは国策として巧みに組み込まれているのである。
しかし、販売店を敗訴させる判決は、原告の理論上の弱みに付け込んでいる側面もある。その理論上の弱みとは、新聞の「注文部数」の定義に関する不正確な見解である。
通常、「注文部数」とは、販売業者が卸問屋に対して発注する商品の数量のことである。たとえばコンビニの店主が、牛乳を10パック注文すれば、注文数は10個である。同じように新聞販売店の店主が新聞を1000部注文すれば、それが注文部数ということになる。このような「注文部数」の定義は、半ば空気のようにあたりまえに受け入れられている。わたし自身も「押し紙」問題を扱った旧著や記事で、「注文部数」をそのように捉えてきた。しかし、これは誤りである。
今、この旧来の「注文部数」の定義の再考が始まっている。
「押し紙」問題に取り組んできた江上武幸弁護士は、新聞は特殊指定の商品であり、特殊指定の下での「注文部数」の定義は、コンビニなど一般的な商取引の下での「注文部数」の定義とは異なると主張している。
実際、1964年に公正取引委員会が交付した新聞特殊指定の運用細目は、「注文部数」を次にように定義している。
「注文部数」とは、新聞販売業者が新聞社に注文する部数であって新聞購読部数(有代)に地区新聞公正取引協議会で定めた予備紙等(有代)を加えたものをいう。
※注:文中の地区新聞公正取引協議会とは、日本新聞協会に加盟している新聞社で構成する組織である。実質的には日本新聞協会そのものである。
この定義によると新聞の商取引における「注文部数」とは、実際に販売店が配達している部数に予備紙の部数(搬入部数の2%とされている)を加えた総部数(「必要部数」)のことである。この「必要部数」を超えた部数は、理由のいかんを問わず機械的に「押し紙」という分類になる。販売店と新聞社が話し合って「注文部数」と決めたから、残紙が発生しても「押し紙」には該当しないという論理にはらないらい。
新聞特殊指定の下における「注文部数」とは、「実配部数+予備紙」の総数のことなのである。
江上弁護士は、独禁法の新聞特殊指定が作成された経緯を詳しく調べた。その結果、一般に定着している「押し紙」の定義--「押し売りされた新聞」という定義が、微妙に歪曲されたものであることが分かった。この誤った定義の下では、新聞社は販売店の「注文部数」に応じて、新聞を提供しただけで自分たちに新聞を押し売りした事実はないと主張できる。「押し紙」問題の逃げ道があるのだ。
公正取引委員会は、新聞特殊指定の下で、「注文部数」の定義を厳格にすることで、社会問題になり始めていた「押し紙」を取り締まろうとしたのである。
◆佐賀新聞の独禁法違反を認定
この理論を江上弁護士が最初に提示した裁判は、2020年5月に判決があった佐賀新聞の「押し紙」裁判である。この裁判で佐賀地裁は、佐賀新聞社に対して1066万円の損害賠償を命じた上に、同社の独禁法違反を認定した。
江上弁護士が打ち出した「押し紙」の定義を裁判所が無条件に認めたわけではないが、裁判官は法律の専門家なので、法律が規定している客観的な定義を考慮に入れて、判決を書かざるを得なかった可能性が高い。新聞特殊指定の下における客観的な「押し紙」の定義が示されているのに、それを無視して判決を下すことは、プロの法律家としての良心が許さなかったのだろう。
11月14日に提起された西日本新聞の「押し紙」では、「押し紙」の定義が、重要な争点のひとつになる可能性が高い。それを前提として、新聞社の公序良俗違反や押し売りなどの不法行為などが検証される。新聞社の詭弁は、徐々に通用しなくなっている。
この裁判の原告代理人を務めるのは、江上弁護士らである。

「押し紙」の経理処理が粉飾決算に該当するのではないかという指摘はかなり以前からあった。実際には販売していない「押し紙」が生む利益を、新聞社の収入として計上し、収入規模を大きく見せているのだから、常識的に考えれば粉飾決算ということになるだろう。
もう20年ぐらい前になるが、この点に関して「押し紙」裁判の原告だった販売店主に質問したところ、トラブルになった時は、●●さん(税務署の関係者)と話せば適切に処理してくれると発行本社から指示されていると説明した。そういえば税務関係者の天下りを受け入れている新聞社もある。
当時、「押し紙」問題に取り組んでいた沢田治さんも、この点に疑問を呈していた。
◆◆
日本全国で印刷される一般日刊紙の朝刊発行部数は、2021年度の日本新聞協会による統計によると、2590万部である。このうちの20%にあたる518万部が「押し紙」と想定し、新聞1部の卸卸価格を1500円(月額)と仮定する。この場合、「押し紙」による被害額は77億7000万円(月額)になる。この金額を1年に換算すると、約932億円になる。
「押し紙」率が30%であれば、年間で1165億となる。
実際には売れていない新聞の収入を、年間で1000億単位で収入として計上しているのである。その「押し紙」の買い取り資金の一部は、補助金として新聞社が支払っている。
このような経理処理に対して、半世紀に渡ってメスが入らない事実は、それ自体が重大だ。新聞社が権力構造の「PR部隊」として組み込まれている証ではないか。巧みな洗脳の背景に「押し紙」問題がある。

詭弁で事実を捻じ曲げる風潮が広がっている。筆者が取材してきた「押し紙」問題では、人権派弁護士が「押し紙」は一部も存在しないと公言し続けているし、「しばき隊」のメンバーが起こした暴力事件でも、やはり人権派弁護士が「リンチは無かった」と公言して憚らない。
客観的な事実と個人の願望を混同しているのだ。それをSNSで公の場に持ち込むと社会に混乱が生じる。
吉田拓郎の歌「知識」に次のようなフレーズがある。
人を語れば世を語る
語りつくしているがいいさ
理屈ばかりをブラ下げて
首が飛んでも血も出まい
「理屈ばかりをブラ下げて首が飛んでも血も出まい」とは、頭でっかちになって人間性を喪失しているという意味である。詭弁を弄して世を渡るインテリに対する批判である。
詭弁がエスカレートすると虚像に変質する。それがソ―シャルメディアなどを通じて不特定多数の人々に広がる。その結果、世論論誘導が進む。
本稿は、11月12日付けのデジタル鹿砦社に掲載した記事、《「『しばき隊がリンチ事件を起こした』等は、根拠のないデマ」とツイートした高千穂大学の五野井郁夫教授、事実の認識方法に重大な欠陥》の続編である。続編では、ツイッターの社会病理に焦点を当ててみよう。
◆上瀧浩子弁護士の2件のツィート
既報したように発端は、高千穂大学の五野井郁夫教授の次のツィートである。
こちらの件ですが、担当した弁護士の神原元先生@kambara7の以下ツイートの通り、「しばき隊がリンチ事件を起こした」等は、根拠のないデマであったことがすでに裁判で証明されており、判決でもカウンター側が勝利しています。デマの拡散とわたしへの誹謗中傷に対する謝罪と削除を求めます。
2014年12月17日に大阪市の北新地で「しばき隊がリンチ事件を起こした」というのは根拠のないデマだという記述である。筆者は、この事件をを取材した関係で、リンチ(私刑)はあったと考えている。たとえ計画性や共謀性がなくても、感情を高ぶらせた人間が弱者を取り囲み暴力に至れば、普通の感覚からすれば集団で私刑に及んだと考えるのが常識だ。
そこで筆者は、次の質問状を五野井教授に送付した。
1,「『しばき隊がリンチ事件を起こした』等は、根拠のないデマであったことがすでに裁判で証明」されたと摘示されていますが、裁判では主犯のリーダに対する損害賠償命令(約114万円、大阪高裁)が下っており、「根拠のないデマ」という認識は誤りかと思います。先生は、何を根拠に「根拠のないデマ」と判断されたのでしょうか。
2,次に先生が記事や論文等を執筆される際の裏付け取材についてお尋ねします。引用したツィートを見る限り、原点の裁判資料を重視せずに、神原元弁護士の言動を事実として鵜呑みにされているような印象を受けます。具体的に先生は、どのようにして事実を確認されているのでしょうか。また、大学の学生に対しては、この点に関してどのような指導をされているのでしょうか。
これに対して五野井教授から次の回答があった。
担当者様
上瀧浩子弁護士を通じて鹿砦社にお送りした通りです。
以上。
上瀧浩子弁護士というのは、熱心にカウンター運動を支援している京都の弁護士である。
筆者は鹿砦社に、その上瀧弁護士からの回答が届いているかどうかを問い合わせた。鹿砦社からは、届いていないと回答があった。しかし、この問題に関する鹿砦社のツィートに対して、上瀧弁護士が次の2件のツィートを投稿したと伝えてきた。
◆ツイッター上の舌足らずな回答
五野井教授がいう上瀧弁護士から鹿砦社へ送った回答とは、おそらく引用した2件のツィートのことである。ただ、筆者の質問は、何を根拠に五野井教授が暴力事件を「根拠のないデマ」と判断したのかという点と、大学生に対してどのような事実の確認方法を指導しているのかという点である。
従って上瀧弁護士のツィートが回答だとすれば、第2の質問に対する回答がない。そこで念のために上瀧弁護士に対して、五野井教授の代理で、筆者への回答書を鹿砦社へ送付したかを書面で尋ねてみた。上瀧弁護士から回答はなかった。無回答の場合は、送付していないと見なすと記していたが、回答は無かった。
この時点で筆者は五野井教授が意味する回答とは、上瀧弁護士の2件のツィートだと判断した。同時にツイッターというメディアの軽薄さを感じた。記述が舌足らずにならざるを得ないようだ。まさに呟いているレベルなのだ。
◆上瀧・五野井の両氏は通常のメディアで説明を
筆者は、重大な問題をツイッターで議論することには賛成できない。1ツイートが140文字だから、思考を論理的に構成することは不可能に近い。たとえ連続投稿しても、全体像が把握しにくい。結局、裏付けがあいまいな我田引水の記事が投稿されることになりかねない。
上瀧弁護士は、「M君の行動に怒った個人が暴力振るっただけなんですけど?」とツィートしているが、この記述だけを切り離して読むと、李信恵には何の責任もないような印象を受ける。単なる「こぜりあい」に感じる。
しかし、裁判所はそのような判断をしていない。たとえば李信恵が鹿砦社の書籍に対して名誉毀損で訴えた裁判では、大阪高裁が次のような認定をしている。「共謀」についても言及している。
被控訴人(李信恵)は、本件傷害事件の当日、本件店舗において、最初にMに対し胸倉を掴む暴行を加えた上、その後、仲間であるAがMに暴行を加えている事実を認識していながら、これを制止することもなく飲酒を続け、最後は、負傷したMの側を通り過ぎながら、その状態を気遣うこともなく放置して立ち去ったことが認められる。
本件において控訴人(鹿砦社)の被控訴人(李信恵)に対する名誉毀損の不法行為が成立するのは、被控訴人による暴行が胸倉を掴んだだけでMの顔面を殴打する態様のものではなかったこと、また、法的には暴行を共謀した事実までは認められないということによるものにすぎず、本件傷害事件当日における被控訴人の言動自体は、社会通念上、被控訴人が日頃から人権尊重を標榜していながら、AによるMに対する暴行については、これを容認していたという道義的批判を免れない性質のものである。(控訴審判決、10P、裁判所の判断)
上瀧弁護士の2件のツィートは、重要な部分を記述していない。たとえば、こうした司法認定について、弁護士としてどう考えるのかといった点である。
上瀧弁護士のツイッターのフォローファーは8000人を超えており、一定の影響力を持っている。彼らの大半は、裁判書面を読んでいない。情報は、そのまま鵜呑みにされる公算が高い。五野井教授のフォローファーに至っては、2万2000人を超えている。
上瀧・五野井の両氏は通常のメディアで、何を根拠に2014年12月17日の暴力事件がリンチではないと断言しているのか説明すべきだろう。それが言論人の責任ではないだろうか。

押し紙弁護団(江上武幸弁護士、他)は、14日に提訴した西日本新聞の「押し紙」裁判の提起に続いて、最新の「押し紙」裁判についての報告書を公表した。全文は、次の通りである。
「西日本新聞押し紙訴訟」追加提訴のご報告
2022年(令和4年)11月15日
福岡・佐賀押し紙訴訟弁護団
弁護士 江上武幸(文責)
この度、当弁護団は、佐賀県の西日本新聞販売店元経営の●氏を原告として5718万円(弁護士費用を含む)の押し紙仕入代金の返還を求める裁判を福岡地方裁判所に提訴しました。当弁護団は他にも西日本新聞社・読売新聞西部本社・読売新聞大阪本社を被告とする裁判をかかえており、いずれも最終局面を迎えています。全国的には、他の弁護士による訴訟が各地で提訴されており、今後も同様の裁判が続くことが予想されます。
新聞社の収入は販売店の仕入代金と紙面広告料の二本立てになっています。そのため、新聞業界では、販売店に経営に必要のない新聞を供給して仕入れ代金を不当に利得し、ABC部数を大きくして高額の紙面広告料を得ることを目的とした押し紙が古くから半ば公然と行なわれてきました。
昭和30年の新聞特殊指定で押し紙が禁止されましたが、それから67年が経過した現在も多くの新聞社は押し紙問題を自主解決できないまま今日に至っています(注:私どもが知る限りでは、熊本日々新聞は押し紙問題を自主解決しています。)。
急速な新聞離れと新聞広告収入の減少により、中央紙・地方紙を問わず新聞社の経営は極めて深刻な状況だといわれています。パソコンやアイホンの普及によって、紙の新聞の存続すら危ぶまれる時代になっています。そのような現実に直面し、新聞社はますます押し紙をやめようにもやめられなくなっているではないでしょうか。
これまでも、販売店経営者の入れ替わりは激しかったのですが、最近はいよいよ末期的症状を呈しているようです。販売店主の間では、借金を残さないで廃業できた販売店はまだ益しであるとの会話が交わされています。
押し紙は販売店経営者を苦しめるだけでなく、紙面広告料・折込広告料の詐欺であり、貴重な資源や労力の無駄づかいであり、新聞業界にあってはならない行為です。
社会の木鐸たるべき新聞社が、自社の利益のために長年にわたり押し紙を続け、その結果、経営陣だけなく記者や一般社員に至るまで法令遵守(コンプライアンス)意識の欠如やモラル崩壊がおきているとしても不思議ではありません。
旧統一教会と政権党との関係や、東京オリンピックをめぐる贈収賄事件など、本来、新聞社が真っ先に調査報道すべきだったと思われるニュースが何故これまで報道されてこなかったのか、その背後に押し紙問題のやましさが隠されているとしたら、憲法により知る権利を保障されている国民にとって、これほど不幸なことはありません。
私達弁護団は、押し紙問題はもはや司法の力に頼るしか解決の道はないと考えていますが、かならずしも三権分立の徹底していない司法制度のもとで、押し紙裁判を担当する裁判官が、司法の独立を堅持して押し紙撲滅のための抜本的な解決の道筋を示してくれるかどうかについても注目したいと思います。
「日本中枢の崩壊」(元通産官僚古賀茂明著)、「黒い巨頭最高裁判所」(瀬木比呂志元裁判官著)、「面従腹背」(前川喜平元文部事務次官著)、「アメリカに潰された政治家たち」(孫崎亮元外交官著)、「日本会議の正体」(ジャーナリスト青木理著)等の著作を読むとき、「風に立つライオン」(さだまさし作詞・作曲)の一節に「やはり僕たちの国は、残念だけれども何か大切な処で、道を間違えたようですね。」という歌詞が浮かんできます。
押し紙によって新聞販売店を廃業せざるを得なかった原告の皆さん方は、自身の損害の回復を求めるだけでなく、あとに残された販売店経営の方達が、胸をはって押し紙のない販売店経営ができるようにと願って裁判に立ち上がっておられます。新聞業界の将来を担う若い記者や担当の皆さん達が、正義感を奮い起こして、それぞれの社がかかえる押し紙問題の解決に向かって立ち上がられるよう期待しています。
以上

【臨時ニュース】
西日本新聞の元店主が、「押し紙」で被害を受けたとして14日、約5700万円の損害賠償を求める裁判を福岡地裁へ起こした。「押し紙」率は、最大で搬入部数の約25%程度。10%を下回っている時期もあり、相対的にはこれまで提起された「押し紙」裁判の例よりも低い。
原告代理人は、「押し紙」問題に取り組んでいる福岡の「押し紙」弁護団(江上武幸弁護士)が担当する。同弁護団は、佐賀新聞の「押し紙」裁判(2020年5月15日判決)では、佐賀新聞による独禁法違反を認定させる判決を勝ち取っている。
詳細は後日。

研究者の劣化が顕著になっている。大学の教え子にハラスメントを繰り返したり、暴力を振るったり、ジャーナリストの書籍を盗用したり、最高学府の研究者とは思えない蛮行が広がっている。事件にまでは至らなくても、知識人の相対的劣化は、ソーシャルメディアなど日常生活の中にも色濃く影を落としている。
11月8日に「Ikuo Gonoï」のアカウント名を持つ人物が、ツイッターに次の投稿を掲載した。
こちらの件ですが、担当した弁護士の神原元先生@kambara7の以下ツイートの通り、「しばき隊がリンチ事件を起こした」等は、根拠のないデマであったことがすでに裁判で証明されており、判決でもカウンター側が勝利しています。デマの拡散とわたしへの誹謗中傷に対する謝罪と削除を求めます。
「しばき隊」が起こした暴力事件を「根拠のないデマ」だと摘示する投稿である。
◆2014年12月17日の事件
「しばき隊」というのは、カウンター運動(民族差別反対運動)を進めていた組織で、2014年12月17日の深夜、大阪府北区堂島の北新地で複数のメンバーが飲食した際に、大学院生をめった打ちにして、瀕死の重傷を負わせた事実がある。
この日、カウンター運動の騎士として著名な李信恵を原告とする反差別裁判(被告は、「保守速報」)の口頭弁論が大阪地裁であった。
閉廷後、李らは飲食を重ね、深夜になって事件の舞台となる北新地のバーに入った。そして「しばき隊」の仲間であるM君を電話で呼び出したのである。M君の言動が組織内の火種になっていたらしい。
M君がバーに到着すると、李はいきなりM君の胸倉を掴んだ。興奮した李を仲間が制したが、その後、「エル金」と呼ばれるメンバーが、M君をバーの外に連れ出し、殴る蹴るの暴行を繰り返し、全治3週間の重傷を負わせたのである。
M君は事件から3カ月後の2015年2月に、警察に被害届を出した。2016年3月、大阪地検は李信恵を不起訴としたが、エル金に40万円、それに他の一人に10万円の罰金を言い渡した。
「エル金」は、M君に対して次のような書き出しの謝罪文を送付している。
この度の傷害事件に関わり、ここに謝罪と賠償の気持ちを表すべく一筆文章にて失礼致します。私による暴行によってMさんが負うことになった精神的及び肉体的苦痛、そして甚大な被害に対して、まずもって深く真摯に謝罪し、その経過について自らがどのような総括をしているのかをお伝えしたいと思います。(略)
暴力行為の真最中、その時点で立ち止まり、過ちを改める行動に移すべきだったし、酔いがさめ興奮が沈着した時点で、もっと迅速な事態収拾を図っておれば深刻化を軽減できたかもしれません。
また李信恵も、次のような謝罪文を送っている。
●●さんがMさんに一方的に暴力をふるっていたことも知らずに店の中にいて、一言も●●さんに注意ができなかったことも申し訳なく思っています。
その後、2017年、M君はエル金や李信恵ら5人に対して約1100万円の支払いを求める損害賠償裁判(民事)を起こした。この裁判でも、李の責任は免責されたが、大阪地裁は「エル金」と伊藤大介に対して約80万円の損害賠償を命じる判決を下した。大阪高裁で行われた控訴審では、エル金に対して約114万円の支払いを命じる判決を下した一方、伊藤に対する請求は棄却された。
つまりこの裁判で勝訴したのはM君だった。李信恵の責任が免責されたことや、怪我の程度に照らして損害賠償額が少額だったことに、M君は納得しなかったものの、裁判所は暴力事件が実在したこと実態は認定したのである。この点が非常に重要だ。五野井教授の「『しばき隊がリンチ事件を起こした』等は、根拠のないデマであった」とするツイートは、著しく事実からかけ離れているのである。その誤情報をツイッターで拡散したのである。
ちなみにこの事件では、著名な人々が申し合わせたように「リンチ事件」を隠蔽する工作へ走った。『ヘイト・スピーチとは何か』(岩波新書)の著者・師岡康子弁護士は、その中心的な人物である。マスコミも一斉に隠蔽の方向へ走った。唯一の例外は、『週刊実話』と鹿砦社だけだった。
◆ツイッターという社会病理
冒頭のIkuo Gonoïによるツィートに話を戻そう。繰り返しになるがIkuo Gonoïは、「担当した弁護士の神原元先生@kambara7の以下ツイートの通り、『しばき隊がリンチ事件を起こした』等は、根拠のないデマであったことがすでに裁判で証明されており、判決でもカウンター側が勝利しています」と投稿している。
わたしは投稿者の人間性に好奇心を刺激され、Ikuo Gonoiという人物の経歴を調べてみた。その結果、高千穂大学の著名な国際政治学者・五野井郁夫教授であることが分かった。五野井教授は、上智大学法学部国際関係法学科を経て、2007年3月に東京大学大学院総合文化研究科国際社会科学専攻で学位を取得した。日本を代表する知識人である。民主主義に関する研究の専門家である。
朝日新聞の『論座』にも繰り返し投稿している。また、『「デモ」とは何か ―変貌する直接民主主義―』(NHK)などの著書もある。
五野井教授が教鞭をとる高千穂大学は、1903年に母体が設立された歴史ある大学である。そこを本拠地として、五野井教授は高等教育の仕事に携わっているのである。
しかし、五野井教授のツイッターを見る限り、社会科学を職業とする者にしては、事実の裏付けを取る能力に疑問を感じる。「事件を担当した弁護士の神原元先生」の言葉を鵜のみすることが、客観的な事実を確認するプロセスとしては充分ではないはずだ。五野井教授は、記事を執筆する際にどのように事実を捉えてきたのか、これまでの著述の裏付けも疑わしくなる。少なくとも、しばき隊による事件が「根拠のないデマ」だとする認識は、社会科学の研究者のレベルではないだろう。想像の世界と客観的な事実の世界の区別が出来ていないからだ。
さらには五野井教授は、高千穂大学の学生に対して、どのようなリサーチ方法を指導しているのかという疑問も浮上する。
2014年12月17日の深夜にしばき隊が起こした暴力事件の裏付けは、裁判の判決や加害者による書簡、さらには事件の音声記録など広範囲に存在している。それを無視して、被害者のM君を傷つける暴言を吐くのは、「南京事件はなかった」とか、「ナチのガス室はなかった」と叫んでいる極右の連中と同じレベルなのである。ましてこうした言動の主が最高学府の研究者となれば、ソーシャルメディアの社会病理が別の問題として輪郭を現わしてくるのである。
◆五野井教授に対する質問状
わたしは五野井教授に、次の質問状を送付した。五野井教授からの回答と併せてて掲載しておこう。
■質問状
五野井先生が、11月8日付けで投稿された次のツィートについて、お尋ねします。
「こちらの件ですが、担当した弁護士の神原元先生@kambara7の以下ツイートの通り、「しばき隊がリンチ事件を起こした」等は、根拠のないデマであったことがすでに裁判で証明されており、判決でもカウンター側が勝利しています。デマの拡散とわたしへの誹謗中傷に対する謝罪と削除を求めます。」
まず、「『しばき隊がリンチ事件を起こした』等は、根拠のないデマであったことがすでに裁判で証明」されたと摘示されていますが、裁判では主犯のリーダに対する損害賠償命令(約114万円、大阪高裁)が下っており、「根拠のないデマ」という認識は誤りかと思います。先生は、何を根拠に「根拠のないデマ」と判断されたのでしょうか。
次に先生が記事や論文等を執筆される際の裏付け取材についてお尋ねします。引用したツィートを見る限り、原点の裁判資料を重視せずに、神原元弁護士の言動を事実として鵜呑みにされているような印象を受けます。具体的に先生は、どのようにして事実を確認されているのでしょうか。また、大学の学生に対しては、この点に関してどのような指導をされているのでしょうか。
11月14日の2時までにご回答いただければ幸いです。
記事の掲載媒体は、デジタル鹿砦社通信などです。
■回答
担当者様
上瀧浩子弁護士を通じて鹿砦社にお送りした通りです。
以上。
上瀧浩子弁護士による書面の存在を確認したうえで、続編は来週以降に掲載する。わたしが質問状を送付したのが10日で、五野井教授の回答が届いたのは11日なので、上瀧弁護士は迅速に回答を鹿砦社送付したことになる。このあたりの事実関係の確認も含めて、質問と回答がかみ合っているかを検証した上で、五野井教授の見解を紹介する。
※人物の敬称は略しました。

2022年7月時点における全国の朝刊発行部数(一般紙)は2755万部(ABC部数)である。このうちの20%が残紙とすれば、551万部が配達されることなく無駄に廃棄されていることになる。30%が残紙とすれば、827万部が廃棄されていることになる。
1日の廃棄量がこの規模であるから、ひと月にすれば、おおよそ1億6530万部から、2億4810万部が廃棄されていることになる。年間に試算すると天文学的な数字になる。「押し紙」は重大な環境問題でもある。
しかし、裁判所も公正取引委員会も、いまだに「押し紙」問題に抜本的なメスを入れようとはしない。新聞社の「押し紙」政策を保護していると言っても過言ではない。新聞社を公権力機関の歯車として取り込むことによりメディアコントロールが可能になるから、「押し紙」を黙認する政策を取っている可能性が高い。
◆書面で20回にわたり減紙を申し入れるも……
筆者は、日本経済新聞(以下日経新聞)を扱う販売店(京都府)が起こした「押し紙」裁判(4月22日判決)の判決文を入手した。判決からすでに半年が過ぎているが、興味深い判決なので内容を紹介しておこう。
この「押し紙」裁判は、販売店主のBさんが2019年の春に起こした。「押し紙」により損害を被ったとして約4700万円の損害賠償などを求めたものである。
判決によると原告のBさんは、「平成28年9月から平成31年3月まで少なくとも合計20回にわたり、被告の担当者に対し減紙を求めるファクシミリを送信」した。つまり書面で新聞の「注文部数」を減らすように繰り返し申し入れていたのである。
書面で減紙の申し入れをしたのは、弁護士のアドバイスに従った結果だった。独禁法の新聞特殊指定は、「販売業者が注文した部数を超えて新聞を供給すること(販売業者からの減紙の申出に応じない方法による場合を含む)」を禁止しているので、減紙を申し出た書面の証拠を残しておけば、裁判になった場合に、独禁法違反で請求が認められる可能性が高いからだ。
◆絶望的な判決
判決は、4月22日に下された。結果は、原告Bさんの敗訴だった。損害賠償は全く認められなかった。減紙を申し出た事を示す書面が23通も残っているにもかかわらず、杉山昇平裁判長は敗訴の判決を下したのである。
その理由として杉山裁判長は、Bさんからの書面による減紙要求を受けて、日経新聞の担当者とBさんが話し合いの場を持っていたから、「原告の減紙を求めるファクシミリは被告との協議の前提となる減紙の提案に留まるというべきであり、これをもって確定的な注文とみることはできない」というものだった。
しかし、Bさんは、「話し合いは毎月の訪店時の定例的なものであり、減部数を求めるファクシミリをたたき台にした話し合いではなかった」と話している。
◆新聞特殊指定の下での「押し紙」とは
この裁判では、「押し紙」行為が不法行為にあたるかどうかが争われた。わたしは、今後の「押し紙」裁判のために、原告と被告の双方が新聞特殊指定の定義そのものを明確にする必要性を感じた。それは、2016年に起こされた佐賀新聞の「押し紙」裁判から、販売店の原告弁護団が着目した点である。
従来、「押し紙」の定義は、なんらかの形で「押し売りされた新聞」とされてきた。わたしもかつてはそんなふうに考えて、自著でも、「押し紙」の定義を「押し売りされた新聞」と説明している。しかし、佐賀新聞の「押し紙」裁判で、「押し紙」の定義に新しい観点が加わった。結論を先に言えば、「押し売りされた新聞」という定義は、正確ではない。
独禁法の新聞特殊指定の下における「押し紙」の定義は、新聞の実配部数に予備紙を加えた部数を「必要部数」と位置づけ、それを超える部数のことである。理由のいかんを問わず「必要部数」を超過すれば「押し紙」なのである。「押し売りされた新聞」かどうかは、2次的な問題に過ぎない。「必要部数」を超えて、新聞を提供すれば独禁法違反なのである。新聞社と販売店が話し合いをしたから、「必要部数」を超えて新聞を提供してもいいという論理にはならない。
京都地裁は、この点に関しては、何の言及もしていない。裁判所は、最も肝心な点についての判断を避けたのである。新聞社を保護する姿勢が露呈している。




