中米ニカラグアの35年、海外派兵と内政干渉の大罪を考える

7月17日、ニカラグアは、「歓喜の日(el Día de la Alegría)」を迎える。ニカラグアでは、19日の革命記念日はいうまでもなく、17日の「歓喜の日」も国民的行事になっている。今年は革命35周年である。
1979年7月17日の未明、一機のヘリコプターがコンチネンタル・ホテルから舞い上がり、数分後に首都マナグアの空港へ着陸した。ヘリから降り立った独裁者アナスタシオ・ソモサは、空港の一角で待機していた自家用ジェット機に向かって歩きはじめた。 やがて機は滑走に入り、明けがたの空へ機体を浮かし、米国マイアミの方向に消えた。
その2日後、FSLN(サンデイニスタ民族解放戦線)が首都マナグアを制圧し、40数年にわたる軍事独裁政権に終止符を打ったのである。
その後、ニカラグアは紆余曲折を繰り返し、国際ニュースの表舞台に出てくる。
ニカラグアの傀儡(かいらい)政権を失った米国は、ニカラグアの隣国ホンジュラスを基地の国に代え、傭兵部隊コントラを組織し、世界一高性能な武器で武装させ、新生ニカラグアの転覆に乗り出した。経済封鎖も断行。こうした外圧を受けて国内は荒廃し、1990年の大統領選でFSLNは敗北し、野に下る。
みずからが打ち立てた議会制民主主義のルールにより、政権を退いたのである。
しかし、今世紀に入る直前からラテンアメリカ全体に大きな変化が現れてくる。ベネズエラでキューバのカストロ政権に極めて近いチャベス政権が誕生したのを皮切りに、次々と左派、あるいは中道左派の政権が生まれはじめたのだ。
新自由主義の失敗の反動だった。こうした流れの中で、2007年、再びFSLNが政権を奪還する。現在のオルテガ大統領は、FSLNがゲリラ組織だった時代の元司令官である。
わたしがはじめてニカラグアを訪れたのは1985年。次に紹介するルポルタージュは、FSLNが政権を失っていた1995年に取材・執筆したものである。新日本文学賞の公募に出した原稿で、最終候補には残ったが、落選して商業誌では活字にならなかったものだ。知人で同人誌を主宰している人が、特別に掲載してくれたものである。初公開である
海外派兵で他国に内政干渉するとはどういうことなのかを考えてほしい。
■ルポルタージュ『ニカラグア』①PDF
■ルポルタージュ『ニカラグア』②PDF
中米エルサルバドルの大統領選、FMLNが僅差でリード、投票結果の再集計へ、ラテンアメリカで進む構造改革=新自由主義からの脱皮
9日に行われた中米エルサルバドルの大統領選挙の決戦投票は、選挙管理委員会が公式に勝者を宣言できない状態になっている。決戦投票は、左派のFMLN(ファラブンド・マルチ民族解放戦線)のサルバドル・サンチェス・セレン氏と、右派のノルマン・キハノ(元サンサルバドル市長)の間で行われた。
得票率は、サンチェス・セレン氏が50・11%、対立候補のノルマン・キハノ氏が49.89%の僅少差だった。このために選挙管理委員会は、開票結果を再検証している。
ただ、10日付けのNew York Timesは、サンチェス・セレン氏のリードが覆ることはないだろう、との選挙管理委員会の談話を伝えている。
FMLNは2009年の大統領選で初めて勝利したが、この時のマウリシオ・フネス大統領は、ジャーナリストでFMLNのメンバーではなかった。今回、出馬したセレン氏は、内戦(1980年?92年)を戦ったFMLNのメンバーである。
◇塗りかわる政治勢力図
かつてラテンアメリカといえば、コスタリカのような少数の例外を除くと、概して軍部の勢力が極めて強い地域だった。多国籍企業の利権を守るために、米軍による軍事介入が頻繁に繰り返されてきた地域である。
ところが1998年のベネズエラ革命を機に、次々と左派の政権が誕生するようになった。しかも、かつてのように米軍による軍事介入も、ほとんどできなくなっている。
政治手法も、旧来の社会主義国とは異なり、議会制民主主義を重視しながら、徐々に福祉国家をめざす柔軟路線を取っている。
次に示すのは、カリブ海諸国を除くラテンアメリカ(スペイン語圏・ポルトガル語圏)における大統領名と政治傾向である。赤文字の大統領が、左派、または中道左派を示す。
メキシコ:エンリケ・ペーニャ・ニエト
ホンジュラス:フアン・オルランド・エルナンデス
グアテマラ:オットー・ペレス・モリーナ
エルサルバドル:マウリシオ・フネス?
ニカラグア:ダニエル・オルテガ
コスタリカ:ラウラ・チンチージャ
パナマ:リカルド・マルティネリ
コロンビア:フアン・マヌエル・サントス
ベネズエラ:ニコラス・マドゥロ?
ペルー:オジャンタ・ウマラ
エクアドル:ラファエル・ コレア
チリ:ミチェル・バチェレ
アルゼンチン:クリスティーナ・フェルナンデス・デ・キルチネル
ボリビア:フアン・エボ・モラレス・アイマ
パラグアイ:オラシオ・マヌエル・カルテス・ハラ
ウルグアイ:ホセ・ムヒカ
ブラジル:ジルマ・ヴァナ・ルセフ
国境なき記者団の「報道の自由度ランキング」は、本当に信頼できるのか?
フランスに本部がある国境なき記者団が、2014年度の「報道の自由度ランキング」を発表した。
1位から20位までのランキングの中に、欧州と北欧の17カ国がランクインしている。
主なランキングは次の通りである。
1位:フィンランド
2位:オランダ
3位:ノルウェー
4位:ルクセンブルグ
5位:アンドラ
1位から5位は、前年のランキングそのままである。
46位:アメリカ合衆国
59位:日本
125位:グアテマラ
新聞の印刷部数やHPへのアクセス、それに視聴率など、客観的に数値で測定できるものにランキングをつけるのであれば、それなりに有意義な情報になるが、果たして「言論の自由度」といった抽象的で、個人の主観に依存する要素が多いものを序列化できるのだろうか?疑問が多い。
When the Mountains Tremble
【When the Mountains Tremble】
ニカラグア革命34周年 1984年の取材と2008年の裁判による取材中止
中米のニカラグアは、7月19日、34回目の革命記念日を迎える。1979年の7月17日の明け方、独裁者ソモサが、自家用ジェットでマイアミへ亡命した。その2日後の19日、FSLN(サンディニスタ民族解放戦線)が首都マナグアに入城して新生ニカラグアが誕生した 。
わたしが最初にニカラグアを取材したのは1985年で、最後に取材したのは1995年である。2008年に取材を予定していたところ、読売新聞社(渡邊恒雄主筆兼新聞文化賞受賞者)から3件の裁判を仕掛けられて、取材は中止に追い込まれた。同じ出版人から、このような妨害を受けるとは、夢にも思わなかった。
すでに18年もニカラグアの土を踏んでいないわけだから、わたしにはもはや現在のこの国について語る資格はない。せいぜいラテンアメリカから発信させるニュースを紹介するのが精いっぱいだ。
それにもかかわらずニカラグアは、わたしの原点である。わたしがルポルタージュを書こうと思って対象にした最初の国であるからだ。
取材といっても、公式のルートで取材先を紹介してもらい、それに沿ってインタビューをしたわけではない。わたしは公式の会見で発せられる言葉をほとんど信用していない。初対面の記者に対して、会見者がいきなり真実を語ることは、まずありえないからだ。
バイアスがかかっていると考えて間違いない。特に心に傷を負った人の中には、コミュニケーションの手段をみずから断ってしまうことも珍しくない。会見者の話はステレオタイプのことが多い。
In the Name of the People : El Salvador’s Civil War 1985 DOCUMENTARY
In the Name of the People : El Salvador's Civil War 1985 DOCUMENTARY
