


- 日経新聞 (1)
- 販売店訴訟 (1)
- テレビ業界 (2)
- 経理・帳簿 (2)
- 裁判・朝日 (2)
- 言論活動の妨害 (2)
- 販売正常化 (2)
- 電子新聞へ (2)
- インターネット (3)
- ケータイ基地局公害(KDDI関連) (3)
- 公取委 (3)
- 巨大部数と世論誘導 (3)
- 新聞の発行部数 (3)
- 新聞セールス・チーム (3)
- 新聞奨学生 (3)
- 書評・出版物の紹介 (3)
- 渡邉恒雄批判 (3)
- 紙面広告 (3)
- エッセイ (4)
- 政治献金 (4)
- 公共広告・折込チラシ (5)
- 山陽新聞のチラシ問題 (5)
- 新聞業界の政界工作 (5)
- 新聞紙面の批評 (6)
- 新聞社と警察の関係 (7)
- ラテンアメリカ (8)
- 裁判・毎日 (9)
- 告知・連絡 (17)
- 裁判・読売 (18)
- 新聞社の経営難 (19)
- 「押し紙」の実態 (21)
- 裁判・黒薮 (23)
- 携帯電話の基地局問題 (39)

新聞離れが歯止めなく進んでいる。都内のある店主さんに話を聞いたところ、「半分は『押し紙』です」とのことだった。
「毎日新聞だけではないですよ、どの店も同じような実態ですよ」
しかも、最近はチラシが激減していて、「押し紙」を相殺できない状況になっているという。
早朝に自宅近くのマンションを回って、新聞が投函されているポストをチェックしてみた。すると購読率がいいマンションでも3割程度である。新聞の購読者が極端に減っているのが実情のようだ。
それにもかかわらず読売は、「押し紙」の存在を全面否定している。「押し紙」裁判の代理人・喜田村弁護士も、法廷で「押し紙」はないと断言している。と、すれば具体的にどの家に新聞を投函しているのだろうか。
日本の人口は、約1億2500万人である。読売が1000万部の部数を誇るとすれば、12・5人に1人が読売新聞を購読していることになる。もちろんこの数字は、赤ん坊から老人までを含む。赤ん坊は新聞を読まないなので、1000万部という数字は驚異的だ。
◇巨大部数を打ち立てた3要素
日本の新聞社が巨大部数を誇るにいたった背景には、幾つかの要素がある。まず第1に、1950年代の初頭に、従来の合売店制度を廃止して、専売店制度に移行したことである。
これにより新聞社の販売政策を販売店に反映させる体制が整った。しかも、再販制度(新聞特殊指定)により、同じ系統の販売店相互の自由競争を廃止したので、新聞社が主体となった拡販戦争が可能になった。
第2に新聞拡張団の存在が大きい。大量の景品を餌にして、恫喝まがいの拡販活動で部数を増やしていったのである。新聞の中身は、記者クラブの情報を羅列しただけのつまらないものが中心であるが、拡張団の働きで部数だけはどんどん増やしていったのである。
第3に「押し紙」制度があった。ABC部数をかさ上げして、紙面広告の媒体価値を高めるために、新聞社は販売店に「押し紙」を強制して、偽装部数を積み上げた。
◇ネット上で「押し紙」制度は成り立たない
新聞の巨大部数を打ち立てる上で、重要な役割を果たしたこれら3つの要素は、いまどうなっているのだろうか?(1400/2200文字、◇新聞崩壊は秒読み段階)


「新聞の『押し紙』についての実態解明を求める請願」が内閣委員会と総務委員会に付託され、議員会館内で公報されたようだ。この請願は、(株)カウンターカルチャーの小坪慎也代表が自主的に作成したもの。同氏は署名を集めるなど、請願の提出と連動した活動を続けてきた。請願の趣旨は次の通りである。
新聞の「押し紙」についての実態解明を求める請願
新聞社、紙媒体広報の信頼回復を目的とし、国民の知る権利が担保されていることを証明するために、国会は押し紙の実態の把握と問題解決に積極に取り組むこと。実態把握のち問題があった場合は、必要な是正処置を取ることを求める。
①国会は、委員会・本会議において有識者等からの意見聴取などを積極的に行うこと
②国会は、公正取引委員会に対し、近年の裁判等の事例を踏まえて、押し紙に関する迅速かつ徹底した調査の実施を求めること
③国会は、適正な予算執行の観点から、政府に対し政府広報の新聞広告費について、広告費算定根拠が実態に合っているか調査し、その結果を国会に報告すること
④上記の調査結果に基づき、広告費の算定根拠が不適切であると認められた場合には、過去にさかのぼって過払い金の返還請求を行うなどの法的措置を取ること
請願の紹介議員は、稲田ともみ議員(自民)。(全文公開)

新聞協会のホームページに「日刊紙の全国発行部数と同世帯数」と題するデータが掲載されている。それによると、全国発行部数と全国世帯数は次のとおりである。
全国発行部数: 50,352,831
全国世帯数 : 50,877,802
全国発行部数には、スポーツ紙も含まれている。昨年の10月のデータである。
この数字を受けて、同協会のホームページは次のような評論を掲載している。
日本新聞協会は毎年10月1日現在の日刊紙の都道府県別発行部数を公表しています。全国で発行される日刊紙は、50,352,831部で、1世帯当たり0.95部の割合で読まれています。これらのデータからもわかる通り、新聞は全国に深く浸透したメディアです。
スポーツ紙と一般紙を併読している家庭があるにしても、きわめて不自然な数字だ。もし、新聞協会のデータが正しいとすれば、日本人の大半は新聞を定期購読していることになる。
◇発行部数と実配部数を混同
データのどの部分がおかしいのだろうか。まず、最初に指摘しなければならないのは、発行部数と実配部数を区別していない点である。(850/1800文字、◇国民読書年は営業戦略)

日本の新聞社は、なぜ、販売問題にふれられることを嫌うのだろうか?紙面を批判した人物を裁判にかけたという話は聞かないが、販売政策を批判する
と、読売のようにたちまち激しいリアクションを起こすことがある。
リアクションはなにも報道関係者に対してだけではない。YC久留米文化センター前の平山春男店主のように「押し紙」を断ると、たちまち「虚偽報告」を理由に改廃に追い込まれた例もある。
なぜ、販売問題に触れるとこのような過激な現象が起こるのだろうか?それは販売こそが日本の新聞社の急所であるからだ。急所に連打を受ければ、ダメージは大きい。その急所は販売部門であって、編集部門ではない。
日本の新聞社は、紙面を批判されてもまったく痛痒を感じない。(500/1500文字、◇日本の新聞社の著しい特徴、◇偽装部数の暴露を恐れる)

新聞販売問題についての国会質問は、1981年から85年にかけて、共産、公明、社会の3党により合計15回行われた。
わたしの手元に公明党の草川昭三議員が1985年3月26日に行った国会質問の議事録がある。そこで引用されている同年のデータと、現在のデータを比較すると面白いことに気づく。
まず、草川氏の議事録を紹介する前に、現在のデータを手短に紹介しておこう。
【ABC部数】(09年下期)
読売:1002万部
朝日: 802万部
毎日: 374万部
【総従業員数】(09年)
40万4000人
【販売店数】(09年)
1万9700店
比較の方法として、読売、朝日、毎日の総従業員数と販売店数が判明すれば理想的だが、入手できないので、これらの数字からおおまかな日本の新聞業界の規模を想像してほしい。そのうえで、国会質問の中で草川氏が紹介している1985年のデータを読んでほしい。
たとえば、当時の読売の発行部数は890万部。しかし、全新聞販売店の総従業員数は現在よりもはるかに多く、・・・(1100/1900文字)

「押し紙」裁判の敗訴は、「押し紙」が存在しないことを意味するのだろうか?こんな質問を受けることがよくある。
たとえば今年1月にYC小笹の「押し紙」裁判で、福岡高裁は原告店主の請求を棄却した。「押し紙」裁判で販売店の側が敗訴したのである。
世の中には、物事の表裏関係をよく見ないで、「YC小笹の元店主は『押し紙』裁判に負けたので、『押し紙』は存在しなかった」と公言してはばからない者がいる。このような誤解が生じる最大の原因は、「押し紙」裁判とは何かという基本的な定義を理解していないからだ。
「押し紙」裁判というのは、新聞販売店に「押し紙」(販売店に過剰になっている残紙一般)が存在したかどうかを検証する裁判ではない。店舗で過剰になっていた新聞部数に対して、原告の販売店が損害賠償を請求する権利があるかどうかを検証するものである。(600/1700文字、)

先月、元販売店主に「押し紙」で生じた損害の賠償を請求する裁判を提起された毎日新聞社だが、全国でどの程度の「押し紙」が存在するのだろうか。
わたしの手元に興味深いデータがある。「朝刊 発証数の推移」と題する内部資料である。日付は、2002年11月18日。
これは全国の毎日新聞新聞販売店が読者に対して発行した領収書の枚数にあたる「発証数」と、販売店が扱う新聞(毎日本紙)を総計したものである。両者の差異が「押し紙」という計算になる。
◇毎日の言い分
このデータはすでにマイニュースジャパンや『FLASH』で紹介されている。次に示すのは、『FLASH』に掲載された毎日のコメントである。
当社の資料ではなく、当社とは無関係であります。何の根拠もないねつ造されたもの。このような資料が出回ることに当社は大変迷惑しております。これを作って提供した人物(またはグループ)の目的がなんであるのか分かりませんが、当社を誹謗中傷するものであり、憤りを覚えます。そのような悪質に満ちた文書には毅然とした態度で臨むつもりであります。
「押し紙」は一切存在しないと主張しているわけだから、毎日が資料を「ねつ造されたもの」と主張するのもうなずける。
◇内部資料のコピー
次に示すのは、オリジナルの資料のコピーである。(900/1400文字)

「押し紙」回収の際に、コンテナ型のトラックが使われている。右の写真がコンテナ型トラックである。
改めて言うまでもなく、コンテナ型のトラックが使用されるのは、「押し紙」を公衆の視線から隠す必要があるからだ。それに回収量が膨大になった事情の下では、荷崩れを避ける必要も生じる。
読売新聞の販売会社・ユースが経営するYCを対象に、カメラを使って「押し紙」(読売は『押し紙』を否定している)調査を実施した森敏之氏のメモによると、「平成10年」には、すでにコンテナ型トラックが登場している。
先日、大阪へ行った際、わたし自身、茨木市でコンテナトラックを目撃した。
◇喜田村弁護士は「押し紙」の存在を否定
が、新聞社はいまだに「押し紙」の存在を認めていない。彼らの言い分は、販売店に残っているのは、自分たちが押しつけたものではなくて、販売店がみずから注文したものである、というものである。
折込チラシの搬入枚数は、新聞の搬入枚数と一致させる原則があるので、実際に配達している部数よりも、多めに新聞を購入することで、販売店は折込チラシの水増し収入を得ているというのだ。
さらに販売店は部数に準じて、補助金を受ける場合があるので、部数を多めに仕入れるというのだ。
新聞人たちは、このような論理を一貫して主張してきたのである。絶対に「押し紙」の存在を認めない。
もちろん現在、東京地裁で係争中の読売VS週刊新潮(+黒薮)の裁判でも、読売の喜田村洋一弁護士(自由人権協会代表理事)は、YCには「押し紙」は存在しないと主張している。現場を取材したことがあるのか否かは不明だが、堂々と「押し紙」の存在を否定している。
◇広告主にとっての「押し紙」問題
「押し紙」問題というのは、とかく新聞社と販売店の問題として解釈されがちだ。それゆえに「押し紙」は、本当に新聞社が押しつけたものなのか、それとも販売店が自主的に購入したものなかのかが「押し紙」裁判の争点になる場合が多い。
しかし、広告主の視点から「押し紙」問題を見たとき、若干異なった要素が入ってくる。(1400/2100文字、◇販売会社の新聞は不買も必要)

新聞人が「押し紙」の存在を否定する根拠にしているのは、折込チラシの水増しで販売店が利益を上げているという主張である。
たとえば新聞1部の原価が月額で2000円とすれば、折込チラシの収入が1部につき月額2000円を超えれば、「押し紙」があっても負担にはならない。それゆえに新聞販売店が希望して「押し紙」を買い取っているという主張が成り立つように勘違いする。
確かに論理的には的を得ているように思える。しかし、詳細に経理を検証してみると、そうばかりとも言えない。留意しなければならない次のような点があるからだ。
1、補助金との関係
補助金は基本的には担当員の裁量で支払われている。と、いうことは販売店の収益が増えれば、それに応じて補助金を減らせば、相対的には新聞社の収入が増える。
たとえば補助金が80万円で、折込チラシの水増し収入が、100万円から120万円に増えたとする。この場合、増収は20万円である。
ところが新聞社が、補助金を80万円から60万円へ減額すれば、販売店の総収入に変化は生じないが、新聞社の収益は増える。これが補助金制度を利用した「魔法の手」である。
つまり販売店が「押し紙」をみずから引き受けて、折込チラシの水増し料金を儲けても、新聞社は補助金を自由に増減することで、相対的に収入を増やすことができるのだ。
だから一見すると販売店が折込詐欺をやっているように見えても、その詐欺で儲けた金を、補助金をコントロールすることで、新聞社が自分の懐に入れているのである。
2、販売会社と「押し紙」
販売店の中には、新聞社が経営しているものがある。いわゆる販売会社である。販売会社は新聞社が管理しているわけだから、本来であれば、「押し紙」などあるはずがない。
新聞人は、「押し紙」の存在を否定しているからだ。
ところが実際は、販売会社にも「押し紙」がある。しかし、「押し紙」による損害は、グループ企業全体としては生じない。グループ企業の内部を資金が移動するに過ぎないからだ。
一方、折込チラシの水増し収入はすべてグループ企業(販売会社と広告代理店)のものになる。新聞社が管轄している販売会社にも「押し紙」があるゆえんである。(1600/2400文字、◇「押し紙」のメリットはABCのかさ上げ、◇「押し紙」をABC部数に加算)

新聞の実配部数の立証責任を、「押し紙」の告発者に課するのではなくて、新聞社がみずから公表するのが常識であるという考えを、新聞販売黒書などで表明したところ、新聞関係者が奇妙な論理を持ち出してきた。その新しい論理は、次のようなものだ。
・・・・新聞社はすでに実配部数を公にしています。それはABC部数です。自信をもってABC部数が実配部数であると断言できます。
しかし、現実の問題として、多量の新聞が配達されないまま、販売店の店舗で山積みになり、古紙回収業者のトラックで定期的に回収されているではないか?こんな疑問に対しては、次のように言い逃れる。
・・・・新聞社の取引先は新聞販売店です。ですから「実配部数」とは、新聞社が販売店に対して販売している新聞の実数を意味します。
苦し紛れに発せられた言葉かも知れないが、販売店へ搬入した「押し紙」を含む新聞はすべて課金対象になっていることをみずから認めたのである。と、すれば「押し紙」は、販売店が好んで引き受けているなどとは言えないのでは。
◇「実配部数」に勝手は意味づけ
言葉というものは意味を共有しなければ、コミュニケーションの道具にはなり得ない。「実配部数」の本来の意味は、販売店が実際に読者に課金している部数のことである。発証数とも言われてきた。
実際、「押し紙」という言葉の対極をなす言葉として、「実配部数」が使われてきたのである。ところが新聞人は「実配部数」の意味を、「卸部数」に置き換えようとしている。
近い将来に、「押し紙」裁判の準備書面の中でも新聞関係者は、これまでとは異なった意味で「実配部数」という言葉を使うようになるかも知れない。
◇「揚げ足取り」と「へりくつ」の連続
しかし、このような「揚げ足取り」による言い逃れは、今回が初めてではない。よく知られている滑稽な例としては、「押し紙」の存在を否定するときの次のような「へりくつ」がある。(1200/1900文字、◇新聞人に特有の論理)

『週刊東洋経済』(2月20日号)が、「新聞・テレビ断末魔」という特集を組んでいる。新聞業界とテレビ業界を襲っている不況の嵐に焦点をあてたものだ。
掲載されている記事の中に、毎日の朝比奈社長へのインタビューがある。
◇朝比奈社長、「押し紙」を否定
・・・・・今の毎日の部数370万部は実読者数と乖離しているのでは?
この質問に対して、朝比奈社長が答える。
朝比奈:販売店が注文した部数をお届けしており、それがABC部数だ。
深い考えもなく不透明な部数について弁解したつもりかも知れないが、販売関係者の失笑をかいそうな発言である。朝比奈社長は、本当に販売店が自分の意思で注文部数を決めていると思っているのだろうか?
新聞販売店には、自分で注文部数を決める権限がない。たとえ希望する注文枚数を担当員に伝えても、それが認められるとは限らない。
たとえば、毎日新聞・箕面販売所の「押し紙」裁判の中で、販売店主に注文部数を決める権限がないことを示す毎日側の文書が明らかになった。
毎日の代理人弁護士が提出した準備書面の中の記述である。店主が570部の減部数を申し出た際に、毎日の担当員がどう対処したかを述べたものだ。これは「押し紙」政策の証拠とも言えるだろう。
かつ、被告担当者において、570部もの減数は、「折込広告の収入」の大幅な減少を招くとともに、補助金の一部につき支給ができなくなることを説明し、販売店の経営が維持できなくなるのではないかとの懸念まで示すも、それでも構わないとの、原告の認識を得た上で、ならばやむなしと応じたものの、残念ながら、平成20年12月末日をもって、原告は新聞販売店を廃業・終了するに至っているところである。
570部を減部数すれば、折込チラシの収入が減る上に、補助金カットの対象になり、かえって販売店の経営を悪化させるので、思いとどまるようにアドバイスした旨を記述ているのだ。
この記述からも推測できるように、結局、新聞の注文部数は新聞社が決めているのである。(1300/2700文字、◇苦境に立たされる毎日新聞販売店、◇販売網が消え始めた、◇専売店制度が裏目に出る)

YC小笹の「押し紙」裁判で福岡高裁は、元店主の請求を棄却した。
判決の趣旨をかみ砕いていえば、次のようになる。
補助金等で店主が「押し紙」により被る損害を相殺すれば、『押し紙』でABCをかさ上げしても司法は関知しない
恐るべきことに、「押し紙」を容認したのである。一般の市民の常識では考えられない判決である。今後、海外の識者をも含めて判決文を検証する必要がある。
この裁判では、YCの店舗に「押し紙」(新聞関係者の表現を借りると「積み紙」、あるいは「残紙」。一般的には過剰になった新聞全般を指して「押し紙」と呼ぶ)があったが、補助金の支給などが行われていたので、「押し紙」によって元店主が損害を受けたとは言えないというのが裁判所の判断である。
判決文の次の記述が、「押し紙」裁判の難しさを象徴している。
しかし、新聞購入契約における購入部数は販売店(控訴人)と新聞社(被控訴人)との間で決められるものであるから、仮に当該販売店担当地区の購読者数が折込広告料の料金の基礎となるもので、
被控訴人が対外的に発表する購読者数が実数よりも多数であることが、折込広告に係る契約の効力に影響を与えるものであったとしても、そのことが直ちに控訴人と被控訴人間の新聞購入契約の効力に影響を与えるものではないから、控訴人の主張は採用できない。
◇「押し紙」問題と正面から対峙せず
「押し紙」により、ABC部数が不透明になっても、それは販売店と新聞社の商取引とは無関係であるから、司法が判決する対象にはならないと言っているのだ。
しかし、経済面の損得だけを判断基準として採用すれば、「押し紙」により新聞社がABC部数をごまかしても、補助金の支給などにより販売店に損害さえ与えなければ、許容範囲ということになってしまう。
「押し紙」をしても店主に損害を与えなければ裁判所は、関知しないということになる。社会通念上、このような論理は受け入れられるものではない。恐ろしい判決である。
繰り返しになるが判決は、「押し紙」裁判でありながら、「押し紙」政策そのものについての言及を避け、「押し紙」と補助金等による相殺関係を対象とした収支の「損得」が検証の中心になっている。わたしは肝心な点がタブー視されているような印象を受けた。
私見になるが、結局、「押し紙」問題にメスを入れるためには、新聞のビジネスモデルそのものに問題があることを立証する必要があるのではないだろうか。そのためには、店主が集団で訴訟を起こすことが、今後、鍵になりそうな気がする。
「押し紙」政策が普遍的なものであるこを裁判所に理解してもらうためには、集団訴訟が有効だ。個々の販売店が「押し紙」裁判を起こしても、「押し紙」による収支の損得計算に終始してしまう恐れがあるからだ。「押し紙」政策の普遍性を、裁判所に理解してもらうためには、被害を受けた販売店の数量が必要。
ただ、現在の新聞のビジネスモデルを法的な観点から見た場合、どこに違法性があるのかも検証しなければならない。(判決文は、なんからの形でネット公表予定)
◇毎日・箕面販売所の「押し紙」裁判
2007年5月に毎日新聞・箕面販売所(大阪府)の元店主が提起した「押し紙」裁判の本人尋問が、大阪地裁で1月25日の午後おこなわれた。法廷に立ったのは、原告の元店主と毎日の2人の社員。
元店主は、平成1年に新聞(「押し紙」を含む)の仕入れ代金を支払うために、自宅のマンションを売却したことなどを証言した。
裁判官から「押し紙」の保管場所について質問を受けると、店舗の奥にあった炊事場を改良して「押し紙」置き場にしていたことを証言した。
また、毎日の「押し紙」政策の決定的な証拠とも言える減部数を求めた内容証明郵便の作成過程については、従業員の女性に口頭筆記をしてもらって、作成したと答えた。元店主は、3通の内容証明郵便を毎日社に送付している。
毎日社員に対する尋問では、毎日独特の「注文部数」の決定方法などが鮮明に浮かび上がった。毎日は「注文部数」を、販売店との話し合いで決定するという。
つまり最終的な「注文部数」の決定権は、販売店の側ではなくて、社に握られていることがはっきりとした。「押し紙」政策が客観的に存在することを裏づけたとも言えるだろう。
◇元店主の勝訴は、ほぼ確定
尋問が終了した後、裁判官は原告と被告の双方に最後の和解案を提案した。原告代理人弁護士によると、和解案は毎日が元店主に和解金として1500万円を支払うという内容。
これまで裁判所が提示していた和解金の額は1900万円であるから、400万円の減額になった。
原告と被告は、裁判所の和解案を持ち帰り2月22日に回答する。和解が決裂した場合は、4月26日に判決が言い渡される。判決になった場合は、元店主が勝訴する可能性が圧倒的に高い。
本人尋問の詳細は、調書が作成された後に新聞販売黒書で詳しく紹介する。以下、わたしの感想である。
「注文部数」とは文字通り、商店が品物を発注する際に仕入先に明示する仕入れ数量である。当然、商店の側に注文数量を決定する権限がある。これが普通の商取引である。
ところが毎日新聞の商取引では、注文部数を決める権限が必ずしも販売店側にあるわけではないことが、尋問で明らかになった。
毎日の場合、「注文部数」は、販売店と本社の話し合いで決めるという。箕面販売所の店主から内容証明で提出された減部数の要求に応じなかったのは、元店主が発証数など店の経営状況を判断するためのデータを提出しなかったからだという。そのために実配部数が確認できなかったから、減部数に応じなかったという。
しかし、実配部数を把握していなかったという主張に対しては、裁判官も疑問を呈していた。
さまざまな口実はあるにしろ、毎日新聞の場合、販売店が減部数を申し出ても無条件に受け入れられるとは限らないことが尋問で明らかになった。種々の条件を考慮して、最終的に「注文部数」は毎日の側が決めていることが明らかになった。
言葉を変えれば、毎日の店主は自分の判断で「注文部数」を決める権限を持っていないことになる。
法廷における毎日の狙いは、「押し紙」政策を否認することよりも、賠償額を減らすことに置かれているような印象を受けた。そのためなのか、「押し紙」裁判にもかかわらず、元店主の経営がいかにずさんであったかを強調してみせた。
たとえば店の電話を自動転送にしていなかったとか。購読料の自動振り替えのシステムを構築していなかったとか。順路帳の管理がずさん。店主会への不参加。営業成績が悪い等。これらは新聞社が常套としている販売店攻撃である。
本人尋問を要求したのは、毎日側であるそうだが、尋問を通じて、毎日新聞の「押し紙」政策が一層鮮明になった。(4200/4200文字、全文公開)

「押し紙」という言葉が市民権を得てきた。かつて、この言葉を耳にすると、「押し花」の類似語と誤解するひとが後を絶たなかった。それを避けるために、「押し紙」よりも「偽装部数」の方が的を得た表現ではないかという意見もあった。
◇「押し紙」とは過剰な新聞のこと
「押し紙」の定義は、現在とひと昔まえでは、若干変化している。約10年前まで、新聞公正取引規約(新聞業界が原案を作成して公取委が認定したもの)は、販売店に余っている新聞を次の3種類に分類していた。
「押し紙」:新聞社が販売店に対して強制的に買い取らせる結果、生じる 過剰紙。
「積み紙」:新聞販売店が折込チラシの受注を増やすことを目的に、自主的に受け入れている過剰紙。
「残紙」 :「押し紙」と「積み紙」を総括した過剰紙。
ところがこれらの分類と定義は、1998年(平成10年)に新聞公正取引規約の改定が行われた際に、同規約からすべて削除された。すなわち現在は、公式には「押し紙」も「積み紙」も「残紙」も存在しないことになっている。定義そのものが不在になっているのだ。
もちろんこのような新聞の分類方法は、極めて専門的なものであって、現在、巷に流布している「押し紙」という言葉は、優越的地位の濫用を告発する側の視点を重視して、広く過剰紙、あるいは残紙の意味で使用されてる。
従って、「押し紙」問題というのは、販売店に過剰になっている新聞に関する諸問題を意味する。環境破壊のテーマも、そのひとつである。
なぜ、この点をわたしが明記したのかと言えば、「押し紙」裁判になると、新聞社は、販売店に余っているのは、「押し紙」ではなくて、「残紙」だと主張するからだ。しかし、「残紙」という定義は、新聞社の集合体である新聞公正取引協議会が10年以上も前に、みずから捨て去った概念なのだ。
◇「押し紙」という言葉の認知度
最近、「押し紙」という言葉が市民権を得てきた。それを裏づける証言が相次いでいる。たとえば福岡の販売店訴訟の支援者が言う。
「福岡市で『押し紙』問題を訴えるチラシを配布していたときに、通行人の一人が足を止めて、『押し紙』って新聞社がやっている不正でしょうと話しかけられました」
「呟き」のサイト「Twitter」で「押し紙」検察してみると、次のような「呟き」が掲載されている。
「デフレ下で日経新聞・店頭売り20円値上げ。コスト高の販売店温存は姑息。用紙・印刷コスト値上がりの影響を言うなら「押し紙」を全廃したら?」
「さいきん、ビジネスホテルによく『朝刊サービス(キャンペーン中)』と掲げて、タダの新聞がてんこ盛りに置いてあるんだけど。あれ、『押し紙』の新しい処分方法なのではないかと穿ってみている。」
「出版の業界も委託販売制だったり、新聞は押し紙があったりといろいろ酷すぎますよねえ。」
「[MM読了]「押し紙」という新聞のタブー―販売店に押し込まれた配達されない新聞 (宝島社新書 301) 」
ちなみに「『押し紙』という新聞のタブー」(宝島新書)は、わたしの拙書である。
◇司法は変化の兆し、公取委は新聞社に配慮か?
「押し紙」は、新聞社のビジネスモデルの問題だけではなくて、環境問題でもある。(2200/3300文字)

『新聞通信』(12月7日)によると、日本ABC協会が発表した第25回新聞部数定期公査の結果が公表され、平均非販売率は、9・0%を記録した。前回の8・7%からさらに悪化したことになる。
◇「非販売率」とは、実質「押し紙」
「非販売率」という言葉は耳なれないが、要するに販売店に配達されずに残っている残紙、あるいは「押し紙」のことである。ABC協会の公査ですらも、「押し紙」が9%になったのだ。
新聞関係者が強い影響力を持つABC協会の公査ですら、9%の「押し紙」が確認された意味は大きい。
また、同紙の報道によると、次回の第26回の定期公査からは、「販売店調査の対象店への通知を前々日から前日に変更」するという。公査の前に新聞社が、販売店へ通知しているのは、すでに周知の事実となっている。書類を改ざんするのが目的だと言われている。それにもかかわらず9%が「押し紙」という結果が出たのである。
しかし、通知日を1日早めたところで、現在はPC上でデータ操作ができるので、これにより特に大きな変化は起きないだろう。
ABC部数の信用は今や完全に地に落ちている。「押し紙」を含んでいるからだ。それにもかかわらずABC部数を新聞の実配部数と勘違いしている人が少なくない。弁護士の中にも、発行部数と実配部数を混同するなど、初歩的な知識を欠いている人がいる。そのことは、新聞関連の裁判の準備書面を閲覧すれば分かる。
◇年間で982億円の不正収入

新聞各社がいまなお「押し紙」の存在を認めない状況の下では、具体的な「押し紙」の事実を明らかにしていく以外に論破の方法がない。
わたしは新聞各社が自社の紙面で、「『押し紙』はありません。後ろめたい商取引は一切していません」と宣言してほしい。宣言することで、みずからの立場を公衆の前で明らかにできるからだ。
「押し紙」はありませんと宣言していながら、もし、後になって「押し紙」が発覚すれば、新聞社の信用は地に落ちてしまう。それを覚悟の上で、宣言できる社はあるのだろうか?おそらく1社もない。
週刊新潮VS読売の「押し紙」裁判では、週刊新潮の側に「押し紙」が3割から4割存在することを立証する責任が課せられているが、大多数の人々は読売側がみずからの「潔白」を立証することを望んでいる可能性が高に。新聞は公共性のあるメディアであるからだ。
◇「押し紙」の動かぬ証拠(毎日の例)
わたしの手元に毎日新聞・貝塚北販売所の内部資料がある。

2005年の2月に、写真週刊誌「FLASH」は、「毎日新聞『140万部水増し』を販売店元店主が告発!」というタイトルの記事を掲載した。
これは毎日新聞社から外部へ漏れた「朝刊 発証数の推移」という資料から割り出した推定の「押し紙」部数を示した記事である。(資料室参照)

国会を舞台とした追及を受けた新聞販売問題は、解決しないまま放置される。その後、新聞販売問題は水面下に隠れてしまう。販売店の経営状態が良かったことも、そのひとつの要因ではないかと思われる。
しかし、バブル経済が崩壊するころから、再び「押し紙」問題などが浮上してくる。残念ながら90年代の「押し紙」についての正確な資料はあまりない。
93年から96年までわたしは新聞専門紙の記者をしていたが、「押し紙」についての認識もそれほどなかった。ただ、「紙が多量にあまっている」という話は店主さんらから時々聞いていた。
今世紀に入ると、搬入される新聞の50%が「押し紙」といったケースもあたりまえに見られるようになった。たとえば、「押し紙」裁判になったものでは、産経新聞四條畷販売所(大阪府)のケースがある。

1982年から国会を舞台に、共産、公明、社会の3党が新聞販売の問題を取りあげた。そのときに暴露されて、大問題になったある資料がある。奈良県の読売新聞鶴舞直配所の北田敬一さんが、公取委に提出した商取引の記録で「北田資料」と呼ばれるものである。この中にに、「押し紙」の実態を示した資料がる。
送り部数 実配部数 押し紙
76年1月 791 556 235

「押し紙」とは、新聞社が新聞販売店に搬入する余分な新聞のことである。たとえば新聞を1000部しか配達していない販売店に、1500部を搬入して卸代金を徴収した場合、500部が「押し紙」である。
「押し紙」の文字通りの意味は、強制的に押し売りされる新聞であるが、強制があったか否かにかかわらず、販売店に過剰になっている新聞は、広く「押し紙」と呼ばれる。ただ、新聞社サイドは、それを「残紙」と呼んでいる。
全国でどの程度の「押し紙」が破棄されているのだろうか。
初めて全国規模の「押し紙」調査が行われたのは、1977年である。この年、日販協(日本新聞販売協会)が全国の販売店を対象に「残紙に関する実態調査」を行った。方法はアンケートである。

07年の3月、MyNewsJapanに「押し紙」の意外な使い道についてルポを掲載したことがある。題して「ウンチの処理に大活躍 中身読まれず犬舎や塗装に一次利用される新聞」。
一般的に「押し紙」は、販売店から古紙回収業者の手に渡っているように思われがちだが、よく調べてみると、別のルートも確立している。
たとえば繁犬業者へかなり大量の「押し紙」が引き渡されている。繁犬業者は犬小屋の床に敷く新聞を必要とする。古紙でも十分に用途を満たすが、どういうわけか「押し紙」を一次利用しているところが多いようだ。




















