1. 平和外交を進めたことがないこの国、 憲法9条の改憲を言う前に

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2013年01月16日 (水曜日)

平和外交を進めたことがないこの国、 憲法9条の改憲を言う前に

◆吉竹幸則(フリージャーナリスト・元朝日新聞記者)

明けましておめでとうございます。自民・安倍政権の誕生で、この国はどこへ行くのでしょうか。識者の中には、太平洋戦争に至った昭和初期の状況との酷似を指摘する意見もあります。

安倍バブルで世間が浮かれても、借金頼みの景気対策が長続きするわけではありません。民主がこの惨状では、夏の参院選で自民が勝利するでしょう。でも、物価は上がっても、賃金が上がらない経済の行き詰まりがやがて表面化。不満の捌け口を外国に求め、「改憲」が急速に政治日程に上がってくるのではないかと、私は危惧します。

本年この欄は、憲法問題を取り上げていくことから始めたいと思います

◇憲法に関する具体論の欠落

憲法はこの国の根幹をなすもの。私は、「憲法の条文を一切なぶるのは駄目」などと頑なな立場を取るものではありません。でも、「売国奴」などと口汚く罵るのではなく、改憲も護憲も多くの国民が冷静に議論に参加する環境が出来、一つ一つ国民が納得出来るコンセンサスを踏んでいく手順が必要でしょう。しかし、世論調査を見ても人々の考え方は真っ二つに分かれ、一つの考えに収束する方向さえ見えないのは、何故なのでしょう。

憲法9条という世界史でもまれな崇高な理想を掲げたこの国で、為政者も官僚も、実は戦後たった一度も、それを内実化する外交を試みたことがなかった。そのことに、原因があるのではないかと、私には思えるのです。

改憲を言う人は、「軍備を持たない国が、まともに国を守れるのか。世界はそんなに甘いものではない」と言いながら、本当に「9条」の崇高な理想が実現出来ないか、「限界」について、具体論がない。護憲を掲げる人も、「崇高な理想」を言えても、9条でいかに世界平和に貢献出来たか、本当に国が守れるのか、その具体論を語れない。結局、双方が議論をぶつけても、それなりの一致点を見い出せない不幸は、そこにあるのではないでしょうか。

◇憲法9条が謳う理想

憲法9条を言う前に、99条をこの国の為政者・官僚は、守って来なかったことが最大の問題ではないか。私はそのことをまず議論しなければ、先に進むことが出来ないと思っています。

「99条って何」?そう思われる人がおられるかも知れません。99条は、「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」と定めています。

しかし、この国の為政者・外務官僚は、米国に追従することが我が身の安泰と考え、99条の憲法「順守義務」により、9条で定められた「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求」することを基本に置いた外交を、これまでまともに実行して来たことがなかったのではないか?

憲法改正を主張する人には、敗戦による占領下、米国に押し付けられた「屈辱憲法だから」と言う人が多数います。しかし、憲法前文には「恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚」「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」「平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたい」と、これまで人類史上かってないほどの崇高な理想が掲げられています。

「国際社会において、名誉ある地位を占めたい」との理想を高く掲げた憲法が、「屈辱憲法」であるわけがありません。問題は、この国の為政者・官僚が「名誉ある地位」を目指し、戦後、外交に本気になって取り組んだのか、という点でしょうか。

憲法制定からすでに65年が経っています。実行してみたことがあったなら、その成果と限界について具体的に言えたはずです。でも、その努力を怠ったから、立派な憲法を持ちながら経験論に基づいて何も語れない。だから、国民も抽象論でしか、議論が出来ない。この国の憲法論議が罵り合いになる不毛・不幸の原因はそこにあります。

◇海部首相の外交 姿勢

昨年最後のこの欄でも書きました。私は40歳を前に1990年初秋、政治記者の世界に飛び込みました。その時はすでに、イラク軍がクウェートに侵攻。米国中心に多国籍軍が編成され、イラクをクウェートから追い出す湾岸戦争前夜。日本も米国の要請・圧力を受け、軍事行動で何らかの貢献をするか、自衛隊を戦後初めて海外に派遣すべきか否か、国民議論も2分していた時です。

イラクがクウェートに侵攻した湾岸戦争では、当時イラクには、「ならず者」のフセインがいて一方的に侵略戦争を仕掛けたとのイメージで語られることも多いのも事実です。しかし、戦争は常にそんな単純な構図ではありません。

当時、イラクは米国やソ連の支援を受けた8年に及ぶイラク・イラン戦争がようやく終結。しかし、イラクは米国などからの兵器の購入で600億ドルもの膨大な戦時債務を抱える事態になっていました。

債務不履行の懸念から米国からの食料輸入も制限され、何とか、債務を解消するため、高値で原油を売りたいと考えていました。しかし、クウェートやサウジアラビアが安値輸出を続け、対立したのが、クウェート侵攻の引き金になりました。

引き続き原油を安値で買いたい米欧。クウェート、サウジの後ろ盾になり、イラクと対立する構図です。米国はもちろん、その強大な軍事力をもって多国籍軍を編成。クウェートからイラク軍の排除を準備、日本にも応分の負担を求めて来ました。

私は海部首相番。今まで経験したことのない国際紛争の渦の中、ほとんど不眠不休の生活を余儀なくされました。でもお蔭で、海部首相自身、「今まで経験したことのない事態で、どうしていいか戸惑った」と言った通り、9条を持つ国として、同盟国が戦争を先導する国際紛争にどう対処するか、海部政権・政府の動向・対応をつぶさに見る機会にも恵まれました。

海部首相は、当時全盛だった竹下派の言いなりロボット政権と揶揄もされていました。しかし、自民ハト派の代表格、三木元首相の秘蔵っ子でもあり、何より護憲派で知られる三木氏の妻、睦子さんは怖い存在でした。

米国から軍事貢献も迫られ、日に日に政権内部で自衛隊の中東派遣の包囲網が狭まる中、海部氏は相当悩んでいたことは、傍目からも明らかでした。しかし、海部氏は三木氏の遺志を継ぐためにも、何とか自衛隊の派遣を避け、独自色を出した平和外交が出来ないか、模索もしていたのは事実です。

私は、海部氏の大学時代の友人で、請われて日本航空から引き抜かれ、秘書官になった人物も常にマークしていました。海部氏はこの人を通じ、日航から航空機をチャーターし中東を訪れ、紛争を何とか話し合いで解決出来ないか、模索もしていました。

もともとイラクの財政窮迫がもたらした紛争。当時、日本はバブルで財政も豊か。非キリスト教国でもあり、イラクの財政再建で何らかの貢献をし、中東で仲介役を果たすには、それなりのいい位置にはあったのです。

海部氏の懐刀のこの秘書官も出身母体の日航を説得し機体を確保、中東訪問の準備を始めた矢先のことです。その計画を止めさせたのは外務省です。理由は、「中東上空は危険。とても首相特別機で中東に行かす訳にはいかない」と、言うことのようだったのです。

軍需産業を強力な支援者に抱える米国の共和党ブッシュ政権は、原油値上げを画策するイラクは軍事力で叩き潰したいのが本音。米欧で抑えている石油利権に日本が絡むのも避けたいとの思惑もあったはずです。中東外交で、各国が抜け駆けしないよう、釘を刺していましたから、外務省は米国の意向に配慮したのでしょう。

結局、海部氏の中東平和外交は立ち消えになり、多国籍軍によるイラク軍攻撃が始まりました。

◇「あの時、外務省が止めていなければ……」

しかし、この時の米国の外交・軍事戦略が本当に正しかったのか否か。今となってはその結果は明らかでしょう。

イラクと対立していたイランは対抗馬がなくなり、ますます中東で強大になることで不安定化は逆に進み、原油はむしろ暴騰。日本のバブル崩壊の引き金にもなりました。その後も、原油の値上がりは続くばかりで、世界不況の一因にもなっています。

多国籍軍によりイラク軍をクウェートから追い出した後も、サウジに米国軍を駐留させたことが、米国本土を9.11同時多発テロなどアルカイダによる攻撃の標的にしてしまいました。反撃のための米国によるイラク、アフガン攻撃は泥沼化。米国の財政悪化により、世界経済が不安定化した大きな一因でもあります。

日本はと言えば、米国戦費のうち、総計で135億ドルもの巨額の拠出を迫られたうえ、結局、自衛隊の掃海艇も派遣。この国を「崇高な理想を掲げる国」から「普通の国」へと一歩を踏み出すきっかけにもなりました。日本が出した戦費も、結局は冷戦時代に溜めこんだ武器弾薬の在庫整理に使われ、米国軍需産業を喜ばせただけで、その存在感は薄いままでした。

私はこの秘書官と親しくなり、大勢の首相番記者が集まる半ば公式の夜回り懇談の場でなく、何度も二人きりで話す機会に恵まれました。そんな時には、「中東の制空権は終始、米国が握っていた。海部さんが中東に航空機で乗り込んでも、決して危険な状態ではなかった。あの時、外務省が止めていなければ……」と、何度も悔しがっていました。

◇外務官僚の重い責任

海部氏が、中東に乗り込んだところで何が出来たか。その議論はあります。しかし、何より憲法の精神にのっとり、やってみることが大切なのではなかったでしょうか。米国が日本に「頭越しの抜け駆け外交」と批判してくるなら、「押し付けられた憲法」という論理なら、「あなた方が押し付けた平和憲法ではないですか。その国是に沿って、日本が外交を進めて何が悪いのか」と、居直ればいいのです。

もし、海部氏が何も出来なかったとしても、それは日本外交にとって得難い一つの経験になったでしょう。世界的にも「日本は確かに軍事では貢献しなかったが、和平に向けてそれなりに努力はしていた」と、「金さえ出して、何もしない国」との批判は免れていたはずです。その後の中東情勢悪化の経過から見ても、今になって日本の行動が再評価されたかも知れません。

外務官僚からは、自らの力量、やる気のなさを棚に上げ、日本の外交がうまくいかない原因を軍事力のなさにすり替える主張が絶えません。しかし私には、外務官僚が裏金で私腹を肥やし、御身大事で優雅な外交官生活を満喫するため、憲法に定められた平和外交に身を投げ打って取り組まないことの言い訳としか聞こえません。

私は、日本の国際的評価を下げ、今でも国民の憲法議論を深化させないでいる最大の責任者も外務官僚であると思っています。もちろん、そんな外務官僚に対し、見て見ぬふり。ODAの利権に群がり、外遊した時、大使館の裏金にたかって来た政治家に最大の責任があることは、言うまでもありません。

◇世界史上稀な憲法を持つ国

GHQに所属し、日本の憲法を起草した一人、米国人女性、ベアテ・シロタ・ゴードンさんが昨年末死去しました。子供の頃から日本での生活経験もあるゴードンさんは生前、「日本の憲法は米国より素晴らしい。決して『押しつけ』ではない」と語り、9条などの改憲にも反対していた、と言います。

米国外交は、常に崇高な理想としたたかな国益とのバランス、計算の上に成り立っているのは間違いないでしょう。日本の憲法もそのような組み合わせの中で、原案が起草されたのも、当時の各種の文書からも垣間見えます。でも、ゴードンさんの思いにウソはなかったと、私は思っています。

ゴードンさんの思いも盛り込んだ憲法は、戦争で亡くなった多くの肉親を抱え、終戦直後、不戦の誓いをした多くの国民の共感も得て来ました。この65年間、まがりなりにもこの国の国是になってきた以上、変えるとしたら、この間、世界史上稀な憲法を持つ国として、何が出来たか、何が出来なかったか。その具体論を世界に提示、論議することなく、拙速に改憲に走ることは、国内的にも国外的にも決して許されることではないと思うのです。

私は1990年、長良川河口堰が「無駄な公共工事」だと言うことを完璧に立証する記事を朝日に止められ、編集局長に異議を申し立てた報復としてブラ勤にさせられました。正直に言うと、その18年間、何度も朝日を内部告発したい誘惑に駆られました。

告発しなかった最大の原因は、私が朝日を辞める勇気を持てなかったことが最大の原因です。しかし、少しの言い訳をさせて戴くなら、私が告発し、朝日がこれ以上、世間の信頼を失ったら、改憲のブレーキ役としての朝日の役割をどこが代わりに果たしてくれるのか、との恐れも絡んでいたのも確かです。

そんな私としては、まだまだ改憲問題について語らなければならないことが多くあります。今年のこの欄、今回から数回、朝日から記者職を剥奪され、書き残した現行憲法に関する私見の一端を書き続けていきたいと思います。ぜひ、今年も読み続けて戴ければ幸いです。

≪筆者紹介≫ 吉竹幸則(よしたけ・ゆきのり)

フリージャーナリスト。元朝日新聞記者。名古屋本社社会部で、警察、司法、調査報道などを担当。東京本社政治部で、首相番、自民党サブキャップ、遊軍、内政キャップを歴任。無駄な公共事業・長良川河口堰のウソを暴く報道を朝日から止められ、記者の職を剥奪され、名古屋本社広報室長を経て、ブラ勤に至る。記者の「報道実現権」を主張、朝日相手の不当差別訴訟は、戦前同様の報道規制に道を開く裁判所のデッチ上げ判決で敗訴に至る。その経過を描き、国民の「知る権利」の危機を訴える『報道弾圧』(東京図書出版)著者。