1. 書評・出版物の紹介

書評・出版物の紹介に関連する記事

2018年03月19日 (月曜日)

【書評】『SEALDsの真実』と『しばき隊の真実』、広義の左翼勢力の劣化の背景に何があるのか?

これら2冊の書籍は、それぞれ独立したタイトルを付しているが、両方とも広義に左翼と呼ばれている勢力の劣化を扱っている。『SEALDsの真実』では、SEALDsの化けの皮を剥ぎ、『しばき隊の真実』では、しばき隊の実態とそれを支える「知識層」に対する疑問符を投げかける。わたし自身が日ごろから感じていたことを、ほぼそのまま代弁している。

福島の原発事故の後、金曜日の夕方になるとどこからともなく国会周辺に人々が集まってきて、大きな群衆となり、安倍政権に対して「NO」の声を表明する運動が広がった。原発、安保、特定秘密保護法、共謀罪など、時期によりその中心テーマは変化したが、市民が意思を統一して、自分たちの主張を表明するようになったのである。こうした中から台頭してきたのが、SEALDsだった。メディアは、SEALDsを新しいかたちの学生運動として賞賛した。新しい市民運動の広告塔になったのだ。

しかし、水面下では彼らに対して批判の声を上げる人々もいた。たとえば辺見庸氏である。

◇SEALDs、しばき隊、共産党

「だまっていればすっかりつけあがって、いったいどこの世界に、不当逮捕されたデモ参加者にたいし『帰れ!』コールをくりかえし浴びせ、警察に感謝するなどという反戦運動があるのだ」「国会前のアホどもよ、ファシズムの変種よ、新種のファシストどもよ、安倍晋三閣下がとてもよろこんでおおられるぞ」(辺見氏のブログ、削除済み)

続きを読む »

2018年02月27日 (火曜日)

【書評】『カウンターと暴力の病理』 ヘイトスピーチに反対するグループ内での内ゲバ事件とそれを隠蔽する知識人たち

本書は、在日の人々に対するヘイトスピーチなどに反対するグループ内で起きた大学院生リンチ事件を柱にすえたものである。しかし、事件の真相に迫るだけではなく、なぜかこの事件を隠蔽しようとする「知識人」やジャーナリストの事態もえぐり出している。筆者自身は、これらの人々を直接取材したわけではないので、名前の公表は現段階ではひかえるが、著名な人々の顔がずらりと並んでいる。

普段からえらそうな発言をしている人々が、差別の問題になるとたちまち無力になる現実を前に、日本のジャーナリズムとは何かという根本的な問題を突き付けられる。

事件が発生したのは2014年の暮れである。「カウンター」、あるいは「しばき隊」と称するグループのメンバーが、大学院生のBさんに暴言と暴力で襲いかかり、ひん死の重症を負わせたのだ。原因は金銭をめぐる組織内の問題だった。

これについては双方を取材してみる必要があるが、暴力による決着はゆるされるものではない。事実、暴行に加わった者は、刑事罰を課せられた。Bさんは現在、傷害に対する損害を請求する民事訴訟を起こしている。

本書には、「しばき隊」や「男組」といった前近代的なグループ名が出てくる。これらの言葉を聞いたとき、筆者は嫌悪感に駆られた。こうしたグループ名を自称する人々の持つ言葉に対する感性を疑ったのだ。そしてこんな古くさい感覚では、リンチ事件を起こしても不思議はないとまで思った。

本書には、リンチの場面の音声を録音したCDが付いている。その声から伝わってきたのは、社会運動家のイメージではなく、ヤクザのイメージだった。Bさんに、からみつくようなねばっこい説教が延々と続いているのである。

ちなみに現場に同席した1人は、「在日特権を許さない市民の会」(在特会)と桜井誠・前会長に対して損害賠償を求めた裁判の原告である。

【参考記事】ヘイトスピーチで在特会の敗訴確定 最高裁、上告退ける

続きを読む »

2018年02月13日 (火曜日)

『創』が新聞社特集、新聞社のプロパガンダのオンパレード、「押し紙」には言及せず、評論活動の意味に疑問符

評論の役割は、テーマとする対象に多様な角度から光を当て、状況を改善する方向性を示すことである。だから批判すべき点は、はっきりと批判しなければならない。このところ自分に向けられた批判言論を裁判所に泣きついて、押さえ込む出版関係者もいるが、批判すべき点は批判しなければ、評論の意味がない。

『創』が「新聞社の徹底研究」と題する特集を組んでいる。同誌はかなり以前から毎年、新聞社特集を組んでいる。筆者の本棚にも、10年以上前の新聞社特集、2005年4月号があるが、それ以前から新聞社特集は組まれていたように記憶している。しかし、いずれの特集号も日本の新聞ジャーナリズムの諸悪の根源である「押し紙」問題にはほとんど触れていない。さらにABC部数を実配部数と勘違いして、「ABC部数=実配部数」という間違った情報を前提として、新聞社経営の実態が論じられるなど、違和感を感じてきた。

続きを読む »

2018年01月22日 (月曜日)

【書評】『追及力』、森ゆうこ・望月衣塑子、ナベツネが「政治記者として目指すべき到達点」に違和感

本書は、自由党の森ゆうこ議員と、東京新聞の望月衣塑子記者の対談である。森友・加計問題や伊藤詩織さん事件などを柱に、メディアや国会の実態などをテーマに意見を交わしている。

発言内容の大半は、これまで耳にしてきたことである。あるいは両者の言動と整合するものである。しかし、書籍というかたちで再度両者の発言をたどっても、面白く読めるように構成してある。ただ、多少の違和感があった。この書評では、その違和感の部分を取りあげてみたい。

続きを読む »

2018年01月15日 (月曜日)

【書評】『体をこわす13の医薬品・生活用品・化粧品』、うがい液でかえって風邪をひきやすくなる

「騙される」、あるいは「騙す」というキーワードを視点として、ドラッグストアーの商品棚を眺めてみると、有害無益な商品が何点かある。『体をこわす13の医薬品・生活用品・化粧品』(渡辺雄二著、幻冬舎)は、そんな医薬品、生活用品、化粧品を取りあげている。禿げの原因になるシャンプー、皮膚障害の原因になる入浴剤、それに風邪の完治を遅らせる風邪薬などである。

その中でも、とりわけ身近で興味深い例は、うがい薬である。インフルエンザを防止するために、「手あらい」と「うがい」が大々的に宣伝されていて、それに便乗してドラッグストアーは、風邪が流行するシーズンになると、売り場の一角に、ヨードを主成分とするうがい薬を積み上げたりして客の獲得を狙う。

本書では、うがい薬の「ウソ」を示唆する京都大学保健センターの河村孝教授らのある実験が紹介されている。河村教授らは、3つの実験群を作った。

うがい液(ヨード液)でうがいをする群
水道の水でうがいをする群
特にうがいをしない群 

 

続きを読む »

2017年12月12日 (火曜日)

【書評】ドライサー著『シスター・キャリー』、米国資本主義の悲劇

海外の違った文化圏に定住して、改めて外部から日本を観察してみると、それまで見えなかった社会の断面が輪郭を現すことがある。それと同じ思考方法を小説が提供してくれる場合がある。しかも、後者の方は、時代の壁を軽々と飛び越えて、ひとつの時代、ひとつの社会を客観視させてくれる。

1990年に米国の作家・ドライサーが発表した『シスター・キャリー』(岩波文庫)は、米国資本主義が内包していた理不尽な構図を描いている。ドライサーの代表作『アメリカの悲劇』に劣らない名作である。

続きを読む »

2017年11月28日 (火曜日)

【書評】ドライサー『アメリカの悲劇』、資本主義社会の実態を克明に描く

商品の溢れたきらびやかな世界に生きる少数の上流階級がある一方、社会の矛盾を背負ってその日ぐらしに明け暮れる下層階級がある。ドライサーの『アメリカの悲劇』は、1930年ごろの米国資本主義の実態を克明に描いている。

この物語の主人公はキリスト教の伝道を仕事とする貧しい一家に育った青年である。といっても、両親は教会から伝道師としての生活を保障されているわけではない。半ばボランティアによる活動で、日本でいえば、新興宗教の熱烈な信者のような存在である。

この伝道師の家に育った主人公は、青年期になると、生活の中でなによりも伝道が最優先される生活に疑問と反発を感じるようになり、おしゃれを楽しんだり、食事をしたり、ガールフレンドとデートするなど資本主義がもたらしてくれる快楽を追い求めるようになる。お金だけが生きる目的となっていく。

続きを読む »

2017年11月07日 (火曜日)

本日発売『紙の爆弾』、「山口敬之元TBS記者レイプ疑惑に『不起訴相当』検察審査会の内幕」

本日発売の『紙の爆弾』が、「山口敬之元TBS記者レイプ疑惑に『不起訴相当』検察審査会の内幕」と題する筆者のルポを掲載した。ジャーナリストの伊藤詩織氏が山口氏にレイプされたとして刑事告訴し、最終的に検察審査会が「不起訴相当」の議決を下した事件を中心に、検察や検察審査会の腐敗ぶり、また安倍官邸との癒着ぶりをレポートした内容である。

このうち検察審査会については、過去にPC上の架空の審査員が架空の審査会を開き小沢一郎氏に対して「起訴相当」議決を下していた疑惑などを取りあげた。この事件の疑惑の根拠については、メディア黒書で繰り返し取りあげてきた通りである。また、鳩山一郎検察審査会では、裏金づくりが行われていた。

これら二人の民主党(当時)の政治家は、民主党が政権の座にあった当時、検察審査会の陰謀で下野させられた疑惑があるのだ。そして両人とも、検察審査会の元締めである最高裁事務総局との戦いを放棄した。伊藤詩織さん事件にもおなじ脈絡はないのか?

【参考動画】小沢一郎を強制起訴に追い込んだ 検察審査会と最高裁の闇 〜『最高裁の罠』の著者・志岐武彦氏に聞く〜

続きを読む »

2017年10月31日 (火曜日)

【書評】『電通 巨大利権』、広告依存型ジャーナリズムの問題点に切り込む

メディアは、ジャーナリズムの取材対象のひとつである。実際、大手の書店へ行くと、「メディア」、「出版」、「放送」などの書棚が設けてある。いずれも人気のある分野とはいえないが。

しかし、その関心が低いメディアという分野は、実はわれわれの日常と極めて近い位置にある。テレビや新聞、それにインターネットなどを通じて、人々は常に新しい情報を求めている。地下鉄の車内で、スマホに夢中になっている人々の光景は、いまや当たり前だ。

が、それにもかかわらずメディアによって、自分の価値観や世界観が影響を受けていることを自覚している人は皆無に近いだろう。その結果、気づかないうちに世論誘導されていたという事態も起こっているのだ。

『電通 巨大利権』(CYZO)の著者・本間龍氏は博報堂で18年間、テレビCMや新聞広告、それにイベントなどPR戦略をコーディネートする営業の仕事を担当した経歴を持つ。これまで、政府の原発推進政策を支持する世論が、実は莫大な量の原発広告により形成されてきた事実や、近い将来に予測される憲法改正国民投票の勝敗が、広告戦略を進めるための資金力の優劣によって決せられる危険性など、同時代の重要な問題を指摘してきた。

本書は、日本のメディアがどのような経営構造の上に成り立ち、それがジャーリズムにどのような負の影響を及ぼしているかをえぐり出している。日本でも世界でもメディアの主要なビジネスモデルは、改めて言うまでもなく、広告収入を財源としたジャーナリズムである。特にテレビ局は、ほぼ全面的にテレビCMに経営を依存している。

その広告収入を確保するためにメディア企業とスポンサー企業の間に入っているのが広告代理店である。その中でも、独占的な地位にあるのが巨大企業・電通である。本書は、その「電通問題」に正面から切り込んでいる。

続きを読む »

2017年10月17日 (火曜日)

【書評】 詩織さん事件の元TBS山口敬之氏『総理』に見る政治記者の勘違い、取り違えた「スクープ」の意味

報道を評価する基準は多様だが、究極のところは、報道内容に価値があるかどうかである。厳密に言えば、報道の背景にどのような思想があり、どのような視点があるかである。そのためか、評価には歴史的な時間を要する。客観報道というのはまったくの幻想である。殊更にそれにこだわる必要はない。

山口敬之著『総理』(幻灯舎)は、報道の視点という観点から見ると、一体、何を主張したいのかよく分からない本である。山口氏の経歴は、1966年東京生まれ。慶應大学を卒業してTBSへ入社。後にワシントン支局長。16年には退社してフリージャーナリストになった。準強姦事件(詩織さん事件)を起こしていた疑いが浮上して、一躍、時のひとになったが、不起訴に。

安倍官邸との距離が極めて近いことでも有名だ。同著によると、「初めて安倍氏と会ったのは小泉純一郎内閣の安倍官房副長官、いわゆる『番記者』という立場の時であった」。初対面のときから「ウマが合った」のだという。その後、「時には政策を議論し、時には政局を語り合い、時には山に登ったりゴルフに興じたりした」という。

続きを読む »

2017年09月11日 (月曜日)

【書評】『メディアに操作される憲法改正国民投票』、国民投票に介在してくる電通、改憲派が圧倒的に有利に

国際平和協力法(PKO法)が制定・施行され、日本が戦後はじめて、海外へ自衛隊を派遣したのは1992年である。アンゴラとカンボジアへ自衛隊を投入したのである。その時、これが憲法9条「改正」への最初の一里塚であることに気づいた人は、ごく限られていただろう。自衛隊の活動が、選挙監視など武力とは関係ないものに限定されていたからだ。

ところがその後、自衛隊の海外派兵や安全保障に関する法律が次々に制定され、現在では、日米共同作戦を展開できる段階にまで達している。このような体制の維持を支える特定秘密保護法や共謀罪法も制定・施行された。そして今、安倍内閣は、北朝鮮のミサイル・核問題を巧みに利用し、2020年までの改憲を視野に入れて、憲法9条をドブに捨てようとしている。

この25年を振り返ると、自民党は憲法9条の「改正」をゴールとして、日本の軍事大国化を進めてきたとも解釈できる。改めていうまでもなく、改憲の最後の「儀式」は、憲法改正国民投票である。

が、憲法9条の支持は依然として根強い。実際、今年の4月に毎日新聞が実施した世論調査では、憲法9条を「改正すべきだと『思わない』が46%で、『思う』の30%を上回った」。護憲派の人々の間には、国民投票になれば負けないという楽観論も広がっている。しかし、これはとんでもない誤解である。逆に全く勝ち目がないと言っても過言ではない。「無党派層」を世論誘導する恐るべきあるカラクリが隠されているからだ。

本間龍氏の『メディアに操作される憲法改正国民投票』(岩波ブックレット)は、憲法改正国民投票の致命的な欠点を指摘している。欠点とは、投票に先立つ運動期間中に、テレビCMなどのPRに関する規制がほぼ存在しないことである。テレビCMなどを制限なく流すことができる制度になっているのだ。

続きを読む »

2017年07月01日 (土曜日)

『ぼくは負けない』刊行から40年、今、日本の教育現場はどうなっているのか?

昨日(6月30)で、筆者(黒薮)の最初の著書、『ぼくは負けない』(民衆社)が刊行されて40年である。初版が1977年6月30日で、再製本されたり、シリーズもので再出版されたりで、結局、25版ぐらい重ねた本である。アマゾンで7980円、または167円で購入できるが、ほとんどの公立図書館にある。ただし、「書庫」に移されている可能性が高い。

この本は、1970年ごろの日本の中学校教育のひどい実態を記録したものである。筆者は、もともと記録する習慣があったので、中学校での3年間の学校生活をかなり詳しく書き残していた。

道徳教育が熱心な学校で、朝礼で呪文を唱える儀式があった。それを弁論大会で批判すると、教師に殴られたり、自宅へ怒鳴りこまれたりといったひどい扱いを受けた。校長からも呼び出されて説教された。これらの実態を克明に記録して残しておいた。

続きを読む »

2017年05月23日 (火曜日)

新刊『新聞の凋落と「押し紙」』、新聞ジャーナリズムが無力な背景に、新聞社のビジネスモデルの決定的な失敗が

今週末から来週にかけて筆者(黒薮) の新刊『新聞の凋落と「押し紙」』(花伝社)が全国の書店へ配本される。アマゾンではすでに受け付けが始まっている。

この本では、5つの重要なテーマを扱っている。

①新聞衰退の実態

②広告代理店の負の役割
 
③「押し紙」問題

④新聞に対する消費税の軽減税率の問題

⑤新聞業界の政界工作

新聞ジャーナリズムが機能しない原因は何かという問題はずいぶん昔から議論されてきた。その大半は、記者個人の責任を問う的はずれなものだった。

「記者としての気概を持てば新聞はよくなる」とか、「勉強不足だ」と言った主観点な批判が目立った。このような批判は、実は1960年代からあった。半世紀にわたり同じ批判と説教が延々と繰り返されてきたのである。しかし、それは誤りだ。

本書では、新聞ジャーナリズムが機能しない原因を、新聞社のビジネスモデルの中に潜む客観的な弱点に求めた。唯物論を基礎にした新聞論である。以下、冒頭の部分を紹介しよう。

続きを読む »

2016年07月24日 (日曜日)

書評『世界終末戦争』(バリガス=リョサ著)、ラテンアメリカで内戦が止まなかった理由

  ラテンアメリカ文学といえば、日本ではコロンビアのノーベル賞作家、『百年の孤独』(新潮社)の著者、ガルシア=マルケスが最もよく知られてるが、海外では『世界終末戦争』(新潮社)の著者、バリガス=リョサも同様に高い評価を受けている。

この作品を通じて、「権力構造の地図と、個人の抵抗と反抗、そしてその敗北を鮮烈なイメージで描いた」としてバリガス=リョサも、2010年にノーベル文学賞を受賞している。ラテンアメリカで6人目の受賞者である。

前世紀までのラテンアメリカの政治を象徴するキーワードといえば、「軍事政権」である。ラテンアメリカは、軍隊を持たない中米・コスタリカのような例外はあるとはいえ、軍部が強い政治力をもつ地域だった。

続きを読む »

2016年07月05日 (火曜日)

原発推進の裏に電通と博報堂、メディアの裏面史『原発プロパガンダ』(岩波新書・本間龍著)

広告代理店の仕事といえば、とかくメーカーが生産する商品のPRというイメージがある。しかし、意外に知られていないもうひとつの一面がある。それは「プロパガンダ」の推進である。

「プロパガンダ」とは端的に言えば、政治的な意図により行われる世論誘導である。たとえばアベノミックスのプロパガンダ。たとえば自衛隊のプロパガンダ。それは忍び寄る影のように巧みに浸透するので、メディアリテラシーの知識がない人びとの意識をいとも簡単に変えてしまう。

本書は、そのタイトルが示すように原発をめぐるプロパガンダがどのように進行してきたかを克明に記録している。大手広告代理店の裏面史である。

念を押すまでもなく、原発プロパガンダの両翼を担ってきたのが電通と博報堂である。

続きを読む »

2016年03月30日 (水曜日)

『財界にいがた』が生田暉雄弁護士の講演録を掲載、判決直前に裁判官の交代劇が起こる理由

新潟県の経済誌『財界にいがた』(4月号)が、2月28日に東京で行われたシンポジウム「裁判所は本当に駆け込み寺?」で生田暉雄弁護士(元大阪高裁判事)が行った講演の記録を中心に、参加者の発言を紹介している。タイトルは、「国政を推進する最高裁」。

生田氏は、日本の裁判の実態をせきららに語っている。日本の裁判では、判決の直前になって突然に裁判官の交代劇が起こることがよくあるのだが、その背景には、国政の方向性に逆行する判決を下した場合、裁判官みずからの昇級に影響する事情があるらしい。生田弁護士が言う。

続きを読む »

2016年03月01日 (火曜日)

『ZAITEN』が新聞に対する軽減税率問題を特集、「押し紙」問題に切り込む

 本日発売の『ZAITEN』(財界展望社)が「新聞『軽減税率適用』の断末魔」と題する特集を組んでいる。わたし(黒薮)も寄稿している。記事のタイトルは、「新聞業界『軽減税率』要求の陰に“押し紙”経営の恥部」。

読者は購読者がいない「押し紙」にも消費税が課せられるメカニズムをご存じだろうか。それにより新聞社がどのような負担を受けるのかを具体的な資料に基づいて分析した内容だ。

新聞ジャーナリズムの衰退が指摘されて久しいが、その根本的な原因は新聞社経営の汚点にある。もっと的確に指摘するならば、「押し紙」を柱に据えた新聞社のビジネスモデルにある。記者の職能が低下したからジャーナリズムが衰退したというような一般論は枝葉末節に過ぎない。

「押し紙」問題を解決しない限り、新聞ジャーナリズムの再生は絶対にありえない。しかし、日本の新聞人はいまだにこの大問題を直視しようとはしない。戦後、戦争犯罪・戦争協力の検証をごまかした先輩らの生きかたをそのまま継承している。

同じ特集で、他に河内孝氏、古川琢也氏らが寄稿している。

続きを読む »

2016年01月25日 (月曜日)

小選挙区制の矛盾を客観的に分析、自民党は2012年衆院選で得票数を減らしながら議席だけは175議席増、『安倍政権と日本政治の新段階』(大月書店)

この夏の国政選挙で自民党が大勝するのではないかという予想が広がっている。たとえば、メディア黒書でも既報したように、三重大学の児玉克哉・副学長は、Yahooニュースで自民党が単独過半数を占め、これに公明党とおおさか維新を合わせると、改憲が可能になる3分の2を確保するだろうと予測している。

■(参考記事)世論誘導の危険、三重大学・児玉克哉副学長による裏付けがない参院選議席獲得の予想

他にも類似した予測を掲載しているメディアは少なくない。つまり大半のメディアが自民党の大勝を想定しているわけだが、これらに共通しているのは裏付けの欠落である。何を根拠に自民党の勝利を予測しているのかがよく分からない。

続きを読む »

2015年12月15日 (火曜日)

『怒りの葡萄』の新訳、日本から名訳が消えていく

最近、世界文学の新訳が相次いで刊行されている。しかし、新しい訳がかならずしも旧訳よりも優れているとは限らない。少なくともわたしが見る限り、訳文の質がかつてよりもはるかに落ちているケースが増えている。

コレットの『青い麦』における詩人・堀口大学訳(新潮文庫)と他の翻訳書を比較すると、前者がプロで、後者は小学生ぐらいのレベルしかない。両者の読み比べは、日本語の表現力とはなにかを知るうえで最も効率的な手段にほかならない。

この問題に関しては、以前、メディア黒書でも、モームの『月と六ペンス』(新潮文庫)の中野好夫訳の「後継者」を例に、この珍事で残念な現象を紹介したことがある。

今回取り上げるのは、『怒りの葡萄』(新潮文庫)である。正直なところ新訳は文章の質が悪くて読む気がしなかった。

続きを読む »

2015年09月21日 (月曜日)

『小説 新聞社販売局』が描いた「押し紙」や「裏金づくり」の実態、元新聞記者が販売局の実態を内部告発

新聞社を舞台にした小説は特にめずらしくはないが、新聞社の販売局を舞台として、しかも詐欺まがいの新聞拡販や「押し紙」、それに補助金を捻出するための裏金づくりなどの実態をあからさまに描いた小説が、単行本として世に出たのは初めてではないか。

著者は元新聞記者である。

続きを読む »

2015年03月26日 (木曜日)

『構造改革政治の時代』(花伝社、渡辺治著)、日本はどこへ向かうのか、構造改革=新自由主義の導入と軍事大国化

 日本という「国のかたち」が激変し始めたのは、構造改革=新自由主義の導入がスタートした1990年代に入ってからである。小沢一郎氏らが自民党を飛び出して、2大政党制を打ち立て、2つの保守政党が競合するかたちで、構造改革=新自由主義を導入していった。

『構造改革政治の時代』(花伝社、渡辺治著)は、「国のかたち」を決定的に変えた小泉構造改革の細部を検証した労作である。著者の渡辺治・一橋大学名誉教授は、構造改革=新自由主義の導入と、軍事大国化を、1990年代から後の中心的な国策として捉えている。

初版は2005年12月であるから、発刊から10年が過ぎた。本書は現在の「悪夢」に至る前史にほかならない。

構造改革=新自由主義の導入に伴い、小泉氏は司法のかたちも、教育のかたちも変えていった。ハーモニーゼーションである。その背景にグローバル化に伴う財界の要請がある。

改めて言うまでもなく小泉首相の後継者として、構造改革=新自由主義の路線をさらに急進的に進めているのが、安倍首相である。そのためか、本書は構造改革=新自由主義がたどってきた歴史の一部としても読める。

『構造改革政治の時代』の続編とも言えるのが、『安倍政権と日本の危機』(大月書店、渡辺治・岡田知弘・後藤道夫・二宮厚美著)である。本書で興味深いのは、安倍政権の位置づけである。

安倍政権は、一見すると極右的な復古主義の思想のもとで、戦前型の軍事大国化を狙っているような印象があるが、基本的には米国や財界の要請に応じて、米軍との共同作戦が可能な派兵のかたちを目指している。

政治家個人の思想と政策はかならずしも一致しないとする見解も的を得ている。政治を動かしているのは、むしろ財界であり、米国である。政治家個人の思想を超えて政治の力学が働いているのだ。

マスコミ報道に接しても、日本がどのように「国のかたち」を変えようとしているのかは見えない。そんなもどかしさを感じている層に推薦したい2冊だ。

続きを読む »

2015年01月21日 (水曜日)

『〈大国〉への執念 安倍政権と日本の危機』、史的唯物論に基づいた安倍政権論

政治家や政策をどう評価するのかという問題を考えるとき、個々人の歴史観が決定的な影響を及ぼすことは論をまたない。政治家個人の資質により、あるいは偶然の運命により、世界は変革されると考える人(英雄史観)は、NHKが得意とする「その時歴史は動いた」のような番組を制作することになる。

「安倍首相を退陣させれば、日本は変わる」と考えるのは誤った解釈である。

一ツ橋大学名誉教授・渡辺治氏による一連の政治評論は、英雄史観とは対極の歴史観(史的唯物論)に基づいて現代の政治を客観的に分析している。

『〈大国〉への執念 安倍政権と日本の危機』(大月書店、渡辺治・岡田知弘・後藤道夫・二宮厚美)の中にある「安倍晋三個人と安倍政権-歴史における個人の役割」と題する章には、渡辺氏の歴史観が色濃く反映している。

安倍政権が、戦後政治を転換させる大国化を掲げたことに関して、マスメディアの安倍報道にも大きな特徴が現れている。メディアは、とくに安倍政権に批判的な姿勢や意見の持ち主であればあるほど、安倍政権の政治を安倍晋三個人の復古的、タカ派的体質に求める傾向が極めて強いということだ。たとえば、『朝日新聞』をはじめとした紙面の安倍評価では、安倍さえ引きづり下ろせば安倍的政治は止まると考えているふしが濃厚にみられるのだ。

たしかに、安倍政権における安倍晋三個人の果たす役割はきわめて大きい。決定的ともいえる。しかし、安倍政権の政治を安倍の思いつきに起因するととらえることは、その背景にあるアメリカやグローバル企業の要請を決定的に過小評価することになる。安倍がいなくなったところで、それに代わる政治をめざす対抗構想との担い手が力をもたなければ、政策実行のスピードを落とすことはできても、第二、第三の安倍が出てくるにすぎない点を見ていない。

政策決定の背景に安倍首相個人の意思よりも、財界が望む方向性を中心に据えた政策があるという見方である。つまり1990年代の初頭から始まった新自由主義と軍事大国化の流れが、安倍政権の政策を決定しており、安倍首相個人の極右的な言動は本流ではないとする見方である。

 

続きを読む »

2014年04月09日 (水曜日)

マッカーサーと最高裁長官の談合で決めた砂川事件・最高裁判決 瀬木比呂志著『絶望の裁判所』?

最高裁事務総局に在職した体験をもつ瀬木比呂志氏の著書、『絶望の裁判所』(講談社現代新書)は、最高裁の実態を冷静な筆づかいて内部告発している。

裁判の原告、あるいは被告になったことがある人であれば、権力を持つものにより親和的な判決を下す傾向がある裁判所の実態を肌で感じたことがあるのではないだろうか。「公正」とか、「正義」といった言葉とは程遠い。

しかし、不公平感の具体像はなにか?『絶望の裁判所』の中で瀬木氏は、判決の内容が方向づけられる不正なプロセスを暴露している。最高裁が民主主義の理念に著しく反し、この国のあり方を国策に照合しながら、「談合」や「密談」で決めてきた恐るべき実態を批判している。

具体例を3件、紹介しよう。まず、最初は次の記述である。

 その後、(私は)東京地裁の保全部というセクションに1年間所属した。  ここでも一つおかしなことがあった。国が債権者(申立人)となる仮の地位を定める仮処分命令事件について、国(法務省)が、事前に、秘密裏に、裁判所に対して、その可否、可能であるとすればどのような申立てを行えばよいのかを事実上問い合わせ、未だ仮処分の申立すらない時点で、かなりの数の裁判官たちがそれについて知恵を絞ったのである。

こうした行為は、入試のカンニングと同じである。「出題者」に事前に答えを教えてもらうのであるから、法務省と最高裁が結託して不正を働いたことになる。

もうひつと類似した例をあげよう。

重要なことなのでほかの例も挙げておくと、ずっと後のことであるが、東京地裁の多数の部で審理が行われている同種憲法訴訟について、同様に事前談合に類した行為が行われたことがある。裁判長の定例会議におけるある女性裁判長の提案により、裁判長たちが秘密裏に断続的な会合をもち、却下ないし棄却を暗黙の前提として審理の進め方等について相談を行ったのである。(略)  こうした不正は、裁判の基本的な公正を害する行為なのだが、おそらく、日本の司法においては、さまざまな場所にさまざまな形で存在するのではないかと思われる。

続きを読む »

2013年10月01日 (火曜日)

あいつぐ電磁波のリスクを指摘する書籍の出版、広告依存の新聞・テレビはタブー視

このところ電磁波問題を扱った書籍の出版が相次いでいる。ここ1年の間に、少なくとも6冊の書籍が出版されている。出版年日が新し順番に紹介しょう。

『やっぱりあぶない電磁波』(船瀬俊介? 花伝社)

『危ないリニア新幹線』(荻野晃也、懸樋哲夫、他 緑風出版)

『隠された携帯基地局公害』(徳田靖之、高峰真、他 緑風出版)

『携帯電話亡国論』(古庄弘枝 藤原書店)

『携帯電話でガンになる?!』(大久保貞利、上田昌文、植田武智、他 緑風出版)

『本当に怖い電磁波の話』(植田武智、加藤やすこ 週刊金曜日)

いずれの本も小規模出版社から刊行されたこともあり、国の隅々まで電磁波の危険性を知らしめるほどの影響力はないが、良識ある出版人により、新世代公害「電磁波」の危険に警鐘を鳴らす種が撒かれていることは疑いない。

つい最近まで電磁波問題と宗教団体「パナウェーブ」を混同している無知な人々が後を絶たなかった。しかし、WHOの傘下にある世界癌研究機関が2001年に極低周波に発癌性がある可能性を認定したのに続いて、2011年にはマイクロ波(携帯電磁波)にも発癌性がある可能性を認定した事情もあり、科学的な見地から電磁波の危険性を認識する人々が増えている。

欧米では、それが常識になっている。しかし、恐ろしい物に対しては、視線をそらす傾向があることも否定できない。以前、空手道の師範を取材した時、初心者の中には、拳が顔面に接近してくると、無意識のうちに、眼を閉じてしまうひとが多いと話していた。これに対して有段者は、最後まで拳の軌道を見据えて、対処するという。

電磁波問題についても同じことが言える。先日、マイニュースジャパンに荻野晃也氏のインタビューを掲載したところ、電磁波が気になるが、危険性を認めたくない人々が、さまざまなコメントを寄せた。おそらく携帯電話やスマフォに依存している人々である。一部の紹介しよう。

MyNewsJapanってこういうのよく載せるな。この手の記事で他の記事の信憑性を大いに毀損していると思う。買ってはいけないを作った週刊金曜日とそっくりだな。

赤外線まで危険とかw 他人の不安を煽ってる暇があったら、自分の体から出てる輻射をさっさと止めろ

『原発のガンマ線も含め、いわゆる電磁波の仲間は、周波数の高いものから、周波数の低いもの(送電線、家電等)まですべて危険だという考えに立ってきました。』結論ありきにしては論理も実験データも弱すぎる。

同じ人の書いてるhttp://www.mynewsjapan.com/reports/1886を見ると携帯の基地局の近くで奇形植物大発生らしい。へー、じゃあ出力が遙かに大きいテレビ放送用の電波塔の近所はミュータントの巣窟なんですね!

続きを読む »

2013年04月29日 (月曜日)

書評、高橋哲哉著『犠牲のシステム 福島・沖縄』  犠牲の上に成り立つ国家の実態

高橋哲哉著『犠牲のシステム 福島・沖縄』(集英社新書)は、日本における経済成長や安全保障が、一部の国民を犠牲にすることで成り立っている構図を描いている。具体例として高橋氏が取り上げているのは、福島第1原発と沖縄の米軍基地問題である。

前者について言えば、東京電力が首都圏から遠く離れた過疎地に原発を設置した結果、都市部の人々がその恩恵を受け、地元の人々が放射能による汚染に苦しめられることになった実態を告発している。後者については、沖縄に米軍基地を押し付けることで、安全保障体制を維持している実態を批判している。 沖縄が日本の半植民地という観点である。

続きを読む »

2013年03月15日 (金曜日)

『新聞の危機と偽装部数』(花伝社)の書評紹介

昨年の11月に出版した『新聞の危機と偽装部数』(花伝社)の書評をいくつか紹介したい。『図書新聞』に掲載されたものと、『ジャーナリスト』に掲載されたものである。』

(『図書新聞』の書評=ここをクリック)

?(『ジャーナリスト』の書評=ここをクリック)

同書は全国の書店で発売中。

続きを読む »

2012年11月15日 (木曜日)

新刊『新聞の危機と偽装部数』、新聞経営者による妨害や言論弾圧がなければ11月中に書店配本

新刊『新聞の危機と偽装部数』(花伝社)が、11月の下旬に発売になる。これまでわたしは新聞販売の諸問題を扱った単行本を5冊出版してきた。6冊目にあたる新刊の最大の特徴は、「偽装部数」という言葉を採用したことである。

偽装部数とは何か?  新聞社は新聞販売店で過剰になっている新聞を次に示す3つのカテゴリーに分類している。

1、「押し紙」:新聞社が販売店に押し付けて、卸代金を徴収した新聞。

2、「積み紙」:販売店が折込チラシの水増し目的で、自主的に受け入れた新聞。

3、「残紙」:「押し紙」と「積み紙」の総称。

このようなカテゴリーが存在するものの、われわれ一般人は、「残紙」を指して「押し紙」と呼んでいる。

続きを読む »