【書評】『前立腺がん患者、最善の治療を求めて』—記録された大学病院の深い闇
大阪市の都心から離れた住宅街に、2024年4月、前立腺がんの小線源治療を専門とするクリニックが開業した。院長は、異色の経歴を持つ岡本圭生医師である。
本書は、その岡本医師と患者たちが、前近代的な師弟関係に支配された大学病院と対峙した事件を詳細に記録したものである。著者の出河雅彦氏はこう述べる。
「医師の世界に限らず、自分が所属する組織や集団の中で、権威者や上位の者の意思に逆らってまで職業倫理や良心に忠実に行動しようとすれば、おのれの保身、利己的計算、事なかれ主義を克服しなければならず、それは口で言うほどたやすいことではない」
【書評】「司法が原発を止める」、樋口英明裁判官と井戸謙一裁判官の対話、人を裁くただならぬ特権の舞台裏
本書は、原発の操業を差し止めた二人の裁判官による対談集である。自らが執筆した原発訴訟の判決、法曹界に入った後に肌で感じた最高裁事務総局の違和感、裁判官として交友のあった人々の像など、大半の日本人には知りえないエピソードが登場する。
筆者にとって法曹界は取材対象の一分野である。と、いうのも2008年から09年にかけた次期に、読売新聞社から3件の裁判を起こされ、総計約8000万円を請求された体験があるからだ。これら3件の係争の背景には、新聞業界で尋常化している「押し紙」問題を告発した事情がある。「押し紙」による損害は年間で、少なく試算しても1000億円を超える。当然、ジャーナリズムの重要なテーマである。
甲斐弦著『GHQ検閲官』の読後感-モラル崩壊の元凶「押し紙」-
福岡・佐賀押し紙弁護団 江上武幸(文責) 2025(令和7)年5月 1日
阿蘇の北外輪山に、カルデラの中央に横たわる涅槃像の形をした噴煙をたなびかせる阿蘇五岳をながめることができる絶好の観光スポットがあります。外輪山最高峰の「大観峰」と呼ばれる峰です。小国町の温泉旅館に宿泊したときなど、天気がよければ大観峰まで足を延ばし雄大な阿蘇の景色をみて帰ったりします。
最近、熊本インター経由で久留米に帰るため大観峰から内牧温泉にくだる道を通ったことがあります。 山の上の広々した草原地帯と異なり、道の両側には鬱蒼とした杉林が続いていました。おそらく、湯けむりで湿った空気が斜面をのぼり、時には雨を降らせるような地形が杉の成長に適しているのではないでしょうか。
ところで、昨年12月に関東地区新聞労連の役員会に招かれたことから、ネットで新聞の歴史を調べていたところ、偶然、甲斐弦熊本学園大学名誉教授の『GHQ検閲官』(経営科学出版)という本を見つけました。
「元検閲官だった著者が米軍検閲の実態を生々しく描き出した敗戦秘史がここに復刻」・「敗戦で日本人は軍のくびきから解放され自由を与えられたと無邪気に信じ込んでいるが、戦争は終わったわけではなく、今なお続いているのである。」とのカバーに目をひかれ、さっそくアマゾンで購入しました。
【書評】喜田村洋一の『報道しないメディア』、著者の思想の整合性に疑問
『報道しないメディア』(喜田村洋一著、岩波書店)は、英国BBCが点火したジャニー喜多川による性加害問題の背景を探った論考である。著者の喜田村氏は、弁護士で自由人権協会の代表理事の座にある。メディア問題への洞察が深く、出版関係者や大学の研究者からありがたがられる存在だ。
その喜田村弁護士が著した本書は、ジャニーズ問題がほとんど報じられなかった背景に、報道すれば返り血を浴びる構図があったと結論づけている。喜田村氏は、ジャニーズ問題を報じてきたマスコミが『週刊文春』と『週刊現代』の2媒体だけであった事実を指摘した上で、次のように述べている。
ジャニー喜多川氏の性加害だけでなく、マスメディアにジャニーズ事務所の気に入らない記事が掲載されたりすれば、ジャニーズ事務所は、当該メディアを出入り差し止めにしたり、そのメディアの発行会社の雑誌全部にジャニーズ事務所の所属タレントを出演させなかったり、さらにはそのメディアの上層部に直接不満を言いつけるということをやっていた。
報道に踏み切ることで、不利益を被る構図が存在したという説である。改めて言うまでもなく、そのような構図を構築したのは、報道対象であるジャニーズ事務所の側である。
【書評】新聞社の「営業秘密」を暴露した清水勝人著、『新聞の秘密』
『新聞の秘密』(日本評論社)は、半世紀前に出版された本である。執筆者は新聞社販売局の社員だったと聞いている。「清水勝人」という著者名は匿名らしい。
この本には、新聞社の営業秘密が詳細に記されている。「押し紙」を隠すために、新聞社がどのような裏工作をしているのかなどが、詳細に述べられている。新聞社の営業上の秘密は、清水氏を皮切りに、多くの人々が問題視してきたが、隠蔽状況はほとんど変わっていない。裁判所も、営業秘密を隠蔽する方向で新聞社に協力している。
たとえはABC部数をかさ上げするために、新聞社が販売店に「押し紙」を搬入すると同時に、損害を補填するための補助金を支給している事実は、新聞社にとっての重大な営業秘密である。公になってしまうと、新聞の信用が失墜してしまうからだ。
しかし、「押し紙」は新聞ジャーナリズムの信用にかかわる根本的な問題なので、極めて公益性が高い。
『新聞の秘密』は、新聞社の営業秘密をはじめて暴露した素晴らしい本である。残念ながら現在では書店で入手できない。国会図書館では入手可能だ。
新刊の『新聞と公権力の暗部』-(「押し紙」問題とメディアコントロール)、書店販売が開始
新刊の『新聞と公権力の暗部』-(「押し紙」問題とメディアコントロール)《鹿砦社》の書店販売が開始された。
この本は新聞ジャーナリズムが機能しなくなった原因が、新聞社のビジネスモデルの中にあることを論じたものである。新聞社は「押し紙」によって莫大な利益を得ている。わたしの試算では、業界全体で年間に少なくとも932億円の不正な金が新聞社に流入している。
公権力機関がこの点に着目して、故意に「押し紙」問題を放置すれば、暗黙のメディアコントロールが可能になる。新聞は世論誘導の巧みな道具に変質する。
このあたりのからくりをわたしは本書で容赦なく暴露した。
とかく新聞が堕落した原因を、記者個人の資質や職能の問題と捉える風潮があるが、本書はその原因を新聞のビジネスモデルの中に潜む客観的な問題に求めた。
またこれまでわたしが著した「押し紙」問題の書籍の反省点も踏まえて、バブル期における「積み紙」の存在を認めるなど、新聞業界の実態をより客観的に把握している。「押し紙」問題を扱いながらも、本書のテーマは、公権力機関によるメディアコントロールのからくりである。
【書評】ガルシア=マルケス『ママ・グランデの葬儀』、独裁者の死をめぐる民衆の心、悲しみからフェスタへへ
『ママ・グランデの葬儀』は、コロンビアのノーベル文学賞作家、ガルシア=マルケスの短編小説である。わたしがこの本を読んだのは20年以上もまえで手元に書籍はなく、記憶を頼りに書評を書いているので、内容を誤解している可能性もあるが、おおむね次のような内容だった。
200歳になる村の長老格の老婆が他界する。この200歳という設定は、前世紀までラテンアメリカの政治を語る際のひとつのキーワーになっていた絶対に権力の座を降りない独裁者の比喩である。魔術的リズムと呼ばれる手法で、誇張法のひとつである。
この老婆の死は村を喪の空気に包む。大規模な葬儀が執り行われる。次々と人が集まってきて、葬列は大群衆に膨れ上がる。するとあちこちに屋台が現れる。人々の談笑がはじまる。すると長老を失った悲しみが薄れ、陽気な空気が流れはじめる。そして最後には、悲しみの葬列が独裁者の死を祝うフィエスタに変質する。民衆の歓喜が爆発する。
【新刊案内】『禁煙ファシズム-横浜副流煙事件の記録』、スラップ訴訟への警鐘、まもなく販売開始
『禁煙ファシズム-横浜副流煙事件の記録』(鹿砦社)の書店販売が2月1日に始まる。この本はメディア黒書で繰り返し取り上げてきた横浜副流煙事件をコンパクトにまとめたものである。
煙草の副流煙で「受動喫煙症」になったとして、同じマンションの隣人が隣人を訴えた4500万円訴訟の発端から結末までを読みやすく構成している。スラップ訴訟の中身と加害者の自滅を詳しく記録した。内容は次の通りである。
1章、隣人トラブルから警察沙汰に
2章、事件の発覚を警戒する二人の弁護士
3章、本人訴訟とジャーナリズムの選択肢
4章、神奈川県警介入のグレーゾーン
5章、3通の診断書から浮上した疑惑
6章、診断書をメール電送した異常
7章、「受動喫煙」外来への潜入取材
8章、医師法第20条違反を認定した1審判決
エピローグ
本のキャッチフレーズも紹介しておこう。
「その一服、四五〇〇万円!、ある日、突然に法廷に。日常生活に潜む隣人トラブル」
「ミュージシャンが自宅マンションの音楽室で煙草を吸っていると訴状が届いた。4500万円の損害賠償と自宅での喫煙禁止。同じマンションの上階に住む家族が、副流煙で病気になったとして裁判を起こしたのだ。著名な医師や研究者が次々と原告家族に加勢したが、偽造診断書が発覚して事件は思わぬ方向へ・・・。日常生活の中に潜む隣人トラブル。
タイトル:『禁煙ファシズム-横浜副流煙事件の記録』(鹿砦社)
価格:1200円+税
著者:黒薮哲哉
出版社:鹿砦社
【書評】『抵抗と絶望の狭間』掲載の「佐藤栄作とヒロシマ」、浮き彫りになる被害者の視点と第三者の視点
理論的に物事を理解することと、感覚として物事を受け止めることは、性質が異なる。前者は、「象牙の塔」の世界であり、後者は実生活の世界である。両者が結合したとき、物事の本質が具体像となって浮上してくる。それゆえに筆者のような取材者は、両者の距離を縮めるために、現場へ足を運ぶことがなによりも大切なのだ。
『抵抗と絶望の狭間』に収録された「佐藤栄作とヒロシマ」を執筆した田所敏夫氏は、みずからの家系について次のように書いている。
「広島市内で多量の被爆をした3人の伯父は五十代を迎えると、申し合わせたようにがんで亡くなった。発症から逝去までが短かったことも共通している。母は、数年前、『百万人に一人の割合』で発症すると医師から診断を受けた珍しいがんに罹患した」
田所氏自身もその翌年に癌に罹患していることが判明した。とはいえ田所氏は、1965年生まれで、直接、ヒロシマの閃光を浴びたわけではない。が、それにもかかわらず脳裏には、「広島の空に沸き上がった巨大なキノコ雲と、その下で燃え上がった町や、焼かれたたんぱく質の匂いが現実に経験したかのように刻み込まれている」。
広島の悲劇から76年を経て、田代氏は自らも世代を跨いだ原爆の被害者になったからにほかならない。身近に被爆者がいたことも、関係している。
家系に短命な人が多いわけではなかった。しかし、癌の世代間連鎖の当事者になり、田所氏の記憶の中で、1971年は特別な年になった。この年の8月6日、佐藤栄作が首相として初めて広島を訪れた。それ以来、平和記念式典で首相が「台本」を読み上げる儀式が定着した。菅義秀は、その台本を読み間違えた。しかし、原爆の被害者は、それを単なる知性の問題として受け止めることはできない。誤読は枝葉末節であって、「台本」そのものが、被爆者に対する耐え難い侮辱なのだ。
【書評】『抵抗と絶望の狭間』、半世紀を経た現在の視点、連合赤軍事件は日本の「組織思想」が招いた悲劇
本書の冒頭インタビューで中村敦夫氏は、思い立ったらとにかく現場へ行く重要性について、次のように述べている。
「そこへ行くと行かないでは大違いで、行って目的が失敗したとしても、損ということはないですよね。もの凄く学ぶっていうことが残るわけです。だから、行動するときは迷わないですよね。反省はあとですればいいんだから、最初から反省してやらないというのは、人間が全然発展しないですよ。痛い目に遭うのだって勉強ですから。」
『抵抗と絶望の狭間』は、1960年代後半から1970年代にかけた時代を検証するシリーズの第4弾である。(関連図書を含めると第5弾)。戦後史の中で、この時期に津波のように日本列島に押し寄せた社会運動の高まりと、その後の衰退現象の検証を避けて通ることはできない。当時の社会運動やそれに連想した文化を肯定するにしろ、否定するにしろ、社会が激しく動いていたことは紛れない事実であるからだ。当時、小学生だった筆者も、テレビを通じて、日本でなにか新しい流れが生まれている予感を持ったものだった。
その激動の現場へ飛び込んだ人々が、半世紀を経た現在から、当時を検証したのが本書である。時代が執筆者たちの現在の生き方に何らかの影響を及ぼしていることが読み取れる。
2021年12月08日 (水曜日)
【書評】加藤やすこ著『スマートシティの脅威』、地上から宇宙へ、エスカレートする電磁波公害の新しい視点を提供
電磁波の工業利用に歯止めがかからない。かつて電磁波問題といえば、高圧電線や変電所、あるいは携帯電話基地局の直近に住む住民が受ける人体影響の検証が主流を占めていた。家電からもれる電磁波も議論の的になっていた。
しかし、このところ電磁波問題の全体像が変化してきた。宇宙を飛行する無人の基地局が電磁波の放射源となり地球全体を汚染する時代の到来が秒読み段階に入り、その安全性を検証することが電磁波問題の新しい視点として登場した。従来とは比較にならないほど、広い視野が求められるようになってきたのだ。
本書はそんな時代を見据えて、電磁波による健康被害はいうまでもなく、プライバシーの危機なども総括的に捉え、新世代公害に警鐘を鳴らしている。
【書評】『一流の前立腺がん患者になれ』、治療方法を選ぶための手引き、客観的なデータで構成された患者のためのやさしい専門書
東洋人は、90歳を超えると約半数が前立腺がんになるといわれている。前立腺がんの患者は年々増えている。患者数はいまや胃がんを上回っている。
2019年の冬、わたしは『一流の前立腺がん患者になれ!』の著者である安江博さんを、茨城土浦市にあるつくば遺伝子研究所に訪ねたことがある。滋賀医科大付属病院事件を取材することが目的だった。これは、前立腺がん治療の著名な開発者・岡本圭生医師を病院から追放した事件で、当時、岡本医師の患者だった安江さんも影響を受けた。
わたしは事件の経緯だけではなく、前立腺がん治療そのものについても尋ねた。何を根拠として安江さんは、岡本医師の治療法を選択したのかを尋ねたのである。
【書評】『暴力・暴言型社会運動の終焉』、反差別運動の表と裏、師岡康子弁護士の危険な思想「師岡メール」を公開、マスコミが報じない事件の特徴を浮き彫り
ジャーナリズム活動を評価する最大の要素は、テーマと視点の選択と設定である。とりわけテーマの選択は決定的だ。それを決めるのが編集者の感性であり、問題意識なのである。
同時代で起きている事件から、どの事件をクロースアップするかが決定的な鍵になる。たとえばこのところ、マスコミは森喜朗氏の女性差別発言を重視して徹底取材を行い、ニュース番組はいうまでもなく、ワイドショーでも連日のように差別問題の報道を続けている。森氏の発言内容そのものはおかしいが、相対的に見ると炎上させるほどのレベルではない。完全にスタンピード現象を起こしている。
その一方で、同じ五輪・パラがらみの事件でも、時価にして約1300億円の選手村建設用地(公有地)を、東京都が約130億円で開発業者へ「たたき売り」した事件は、ほとんど報じない。この事件は住民訴訟にまで発展している。しかし、森失言ほど重要ではないと判断して、沈黙しているのである。
日本のマスコミの能力は、実はこのレベルなのである。
差別表現をめぐる部落解放同盟との論争、『紙の爆弾』(12月号)
『紙の爆弾』(2020年12月)の最新号は、筆者が寄稿した「徒(いたずら)に『差別者』を発掘してはならない」と題する一文を掲載した。内容については、同誌で確認してほしい。
この寄稿は、『紙の爆弾』の先月号から始まった「『士農工商ルポライター』は『差別を助長する』のか?」と題する連載企画の第2回の原稿である。
企画の発端は、同誌9月号が掲載した昼間たかし氏のルポの中で、昼間氏が使った次の表現に対して、部落解放同盟が鹿砦社側に釈明を求めたことである。
【書評】『一九七〇年 端境期の時代』、よど号の元メンバーが近くて遠い祖国へ届けた言葉
ノンフィクション作品の質を決める最大の要素は、テーマの重さである。さらに欲を言えば実体験。そして表現という点では、第3者がそれを取材して書くよりも、当事者が綴る方が説得力が何倍にも増す。若林盛亮氏の「『よど号』で飛翔五十年、端境期の闘いは終わっていない」は、これらの条件を兼ねそなえた傑作だ。著者は、ピョンヤンから、同時代の日本へメッセーを送っている。
若林氏についてインタネットで検索して、筆者は次の経歴をみつけた。
滋賀県草津市生まれ。滋賀県立膳所高等学校を経て同志社大学経済学部に入学。在学中、1970年によど号ハイジャック事件を起こし、北朝鮮に亡命。 1976年に結婚し、妻である若林佐喜子と平壌に在住している。(ウィキペディア)
【書評】『生保レディのリアル』、 職場での巧みな洗脳の実態
職場を舞台としたノンフィクションは多い。広く知られている書籍としては、タクシードライバーの日常を描いた『タクシー狂躁曲』(梁石日、ちくま文庫)やトヨタの労働現場を潜入取材で告発した『自動車絶望工場 』(鎌田慧、講談社文庫)などがある。わたし自身もメキシコのホンダ技研の労働実態を取材した『バイクに乗ったコロンブス』(現代企画室)を書いた体験がある。
『生保レディのリアル』は、女性の生命保険外交員の日々を内部から鮮明に記録したルポルタージュである。具体的な事実を通じて、そこで進行している洗脳による「会社人間」の養成と搾取の実態が読み取れる。
週刊新潮が横浜副流煙裁判を報道、この裁判の何が問題なのか?
本日(13日)発売の『週刊新潮』が、横浜・副流煙裁判について報じている。タイトルは、『「反たばこ訴訟」で認定された「禁煙学会理事長」の医師法違反』。日本禁煙学会の作田学医師の医療行為が医師法20条に違反していることが認定された経緯を伝えている。
ところでこの裁判は、原告による訴権の濫用である可能性がある。周知のように、原告が被告に請求した金額は4500万円だった。請求額としては極めて高額だ。しかし、高額訴訟であれば、特にめずらしくはない。わたしも読売新聞社から総額で約8000万円請求されたことがある。
【書評】『一九六九年 混沌と狂騒の時代』、50年前に革命を夢見た人々による学生運動の再検証
内ゲバと呼ばれる行為がある。組織内で特定のメンバーに対して複数の人物が暴力により自己批判を求める行為で、最近では民族差別に反対するカウンターグループが大阪市で起こしている。いわゆるM君リンチ事件で、最高裁でも加害者らに対する損害賠償を命じる判決が確定した。
この事件を単行本というジャーナリズム手法でタイムリーに報じてきた鹿砦社が、今度は『1969年 混沌と狂騒の時代』という本を出版した。1960年代から70代にかけて学生運動の渦中にいた当事者らが、50年の歳月を経て、あの時代を再検証した本である。
鹿砦社の代表であり、執筆者のひとりである松岡利康氏は、寄稿(注:「死者を出した『7.6事件』は内ゲバではないのか? 『7.6事件』考〈草稿〉」)の中で「1969年は、新左翼運動史上初めて内ゲバ(党派闘争)で死者を出した年でもあった」と指摘し、「7.6事件」が内ゲバだったとする見解を示している。
7.6事件というのは後に赤軍派、日本赤軍、連合赤軍へと分派を発生させたブント(共産主義者同盟)内部の党派闘争事件で、その際に監禁された活動家が逃走を企てて転落死する事態にまで引き起こした。
7.6事件の現場に現場に居あわせた人物のひとりに重信房子氏がいる。重信氏も、本書に「私の一九六九年」と題する一文を寄せている。
当時、彼女は明治大学で教員を目指すごく普通の、それでいて世の中の動きに敏感な学生だったが、学生運動の波に呑まれ、ブントの活動に参加するようになる。
当時、ブントの内部には、赤軍フラクと呼ばれる派閥があった。重信氏は、「これまでの人脈に誘われる形で、私も『赤軍フラク』に招請」されたのである。
1969年7月6日、「赤軍フラクの者たちが『ブント指導部が自分たちを除名するらしい』」(重信氏)という動きを察して、「ブンド議長の仏さんとそのグループの人々を糾弾し、はずみで暴力」を振るってしまう。これが引き金となって、今後は逆に赤軍フラクが他の派閥から暴力による報復を受ける。
重信氏はこの事件の現場にいた。最初は「ひどく動揺し、加害(注:赤軍フラク)の強い反省に打ちひしがれた」が、赤軍フラクが報復を受けたために、「私は今更、赤軍フラクをやめるわけにはいかない」と憎悪を燃やしたのである。
その後、赤軍フラクは、「赤軍派」を結成する。69年の8月のことである。
新刊『名医の追放-滋賀医科大病院事件の記録』、本日から書店配本が開始、滋賀医科大病院でいま起きていることを克明に記録、〝黒い巨塔〟の闇に迫る
新刊『名医の追放-滋賀医科大病院事件の記録』(黒薮哲哉著、緑風出版)の書店配本が今日(31日)から始まる。数日中に、全国の主要な書店へ配本される。また、インターネットでの販売も始まる。ただし、版元の緑風出版はアマゾンに対しては出荷しないポリシーなので、通販で購入する場合は、アマゾン以外の通販か、大手書店による通販が推奨される。
滋賀医科大病院で、前立腺癌に対する小線源治療の手術経験がまったくない泌尿器科の医師が、患者を手術訓練のモルモットに利用しようとした事件が発覚した。同病院では、2015年1月から独立した小線源治療学講座を開き、それに併設する外来で、小線源治療の世界的なパイオニア・岡本圭生医師が小線源治療を行ってきた。
ところが岡本医師を快く思わない泌尿器科の教授らが、岡本医師とはまったく別に「泌尿器科独自の小線源治療」を計画。本来は、岡本医師が担当すべき患者ら23人を、泌尿器科に誘導した。
だが、岡本医師は“素人”による手術を実施寸前で止めた。幸いに泌尿器科の無謀な計画は学長命令で中止になり、岡本医師が学長命令により23人の治療を引き受けた。そして診察した結果、そもそも小線源治療の適応がない患者や、術前の不要な医療処置で小線源だけの単独治療ができなくなった患者の存在が判明した。
被害患者らは大学病院に謝罪を求めた。ところが滋賀医科大の塩田浩平学長や松末吉隆院長は、岡本医師の業績をねじ曲げ、岡本医師の追放に着手する。
記録性に鑑みて登場人物は、特別な事情がある人を除いて、実名を採用した。
関西の主要メディアやフリーランスのジャーナリストが、この事件を断続的に取材してきた。次に紹介するのは山口正紀さん(ジャーナリスト・元読売新聞記者)の推薦文である。
NIE( 教育に新聞を)運動では子どもの知力は発達しない
かねてから指摘したいと考えていた教育に関する問題がある。それは日本新聞協会がさかんに推奨しているNIE( 教育に新聞を)運動である。公立学校に新聞を提供して、社会科や国語の教材として使うことで、生徒の学力を伸ばそうという発想に基づいて展開されている試みである。
もっとも、NIEには学力の向上をはかる目的のほかに、新聞を商品としてPRしたいという意図もあるようだが、この点についてはふれない。
新聞を読めば学力が身に付くという理論は、教育に関する新聞記事の視点にも露骨に現れていることが多い。たとえば21日付け朝日新聞の「池上彰さん講演 教育改革を語る」と題する記事である。ジャーナリストの池上氏彰氏が講演で、新聞を学校教育の中で活用する意義を熱く語ったことを紹介している。おそらくNIE運動と連動した記事ではないかと思う。
はたして新聞を読めば、知力は発達するのだろうか?
【書評】野田正彰氏のルポ、『原発事故で亡くなった人々の精神鑑定に当たって』、原発事故のあと自殺に追い込まれた人々の内面を克明に描く
原発問題に特化した季刊誌『NONUKES』(鹿砦社)の最新号に、ノンフィクション作家で精神科医の野田正彰氏のルポ、「原発事故で亡くなった人々の精神鑑定に当たって」が掲載されている。福島の事故のあと自殺した人々の内面に光を当てた力作で、作品の大半は野田氏が作成した精神鑑定書で構成されている。実際に、裁判所へ提出された精神鑑定書である。
反原発の季刊誌『NONUKES』20号、福島のセシウム137の真実
『NONUKES』(鹿砦社)という季刊誌をご存じだろうか。2014年8月に第1号が発刊され、先月発売になった号で、20号になる。反原発の立場から編集されている雑誌で、日本の反原発運動を紹介している。一部の連載は別として、大半の記事が原発に関連したものである。しかも、マスコミが報じない領域をカバーしている。
たとえば「『子ども脱被ばく裁判』は被ばく問題の根源を問う」と題する井戸謙一弁護士へのインタビューでは、原発による低線量被曝の問題を取りあげている。低線量被曝という言葉は、あまり聞かないが、放射線や電磁波による被曝を考える上で、ひとつのキーワードである。
本日発売の『週刊金曜日』、産経新聞の内部資料を暴露、大阪府の広域における「押し紙」
4月21日に投票が行われた統一地方選挙の当日のことである。筆者のもとに2枚の写真がメール送信されてきた。写真に写っていたのは、新聞販売店の店舗に積み上げられた選挙公報である。各候補者の公約を掲載したもので、有権者が投票先を決める際の指標になる情報である・・・・・・
本日発売の『週刊金曜日』に、筆者の「腐敗臭を放つ新聞社の部数獲得策『押し紙』と『景品』」--『産経』では搬入部数の約6割しか配達しない販売店も 」というタイトルの記事が掲載された。
これは産経新聞の内部資料に基づくもので、大阪府の特定の広域における正確な「押し紙」部数を暴露したもの。新聞社の両輪は、「押し紙」と高価景品を使った拡販。その両輪が回転を速めて、坂道をばく進している。
2019年05月17日 (金曜日)
【書評】荻野晃也著『身の回りの電磁波被曝』、スマホで使われる電磁波にはなぜ遺伝子毒性があるのか?
荻野晃也氏の『身の回りの電磁波被曝』(緑風出版)が出版された。著者の荻野氏は、京都大学の元講師で、スリーマイル島原発事故(1979年)の調査が本格化した時期に、米国から日本へ電磁波問題を紹介した最初の研究者である。多数の著書があるが、本書は、電磁波による人体への影響をさまざまな角度から指摘している。
5Gの導入が世界規模で進むなか、皮肉にも電磁波が身体に及ぼす影響が否定できなくなっている。かつては、電磁波(放射線)の中でも、エネルギーがより高い原発のガンマ線やレントゲンのエックス線は危険だが、エネルギーの低い家電から放射される超低周波の電磁波は安全と考えてられてきた。しかし、現在ではエネルギーの大小には関係なく、遺伝子毒性があるとする説がほぼ定着している。
しかし、電磁波問題は、背後に電話会社、電機メーカー、自動車メーカー、それに軍事産業などの巨大利権が絡んでいるので、ほとんど報じられることはない。
本書が扱っているテーマは幅広く、すべてを紹介するわけにはいかないが、ここでは大半の人々が利用している携帯電話やスマホで使われるマイクロ波についての荻野氏の見解を紹介しよう。
『紙の爆弾』滋賀医科大病院の事件を続報、冷酷な傍観者 ”厚生労働省”
本日発売の『紙の爆弾』に滋賀医科大医学部附属病院の事件を書いた。タイトルは、「不要な医療行為の被害も 滋賀医大病院の前立腺がん『治療妨害』。
この記事は、患者会による厚生労働省と国会への申し入れを通じて、事件の性質を伝えたものである。一部を抜粋しておこう。
厚生労働省では、根本匠・厚生労働大臣に代って、北波孝・医政局総務課長が対応した。山口さんと木村さん(いずれもがん治療を拒否されている患者)が、直接に同省へ助けを求めたのはいうまでもない。北波課長は、
「出来ることと出来ないことがありますが、 こういう嘆願があったことは滋賀医科大病院へ伝えます」
と、言った。この申し入れが人命救助の案件であることをよく理解していないような印象を、筆者は受けた。筆者は建前を優先する傍観者を連想した。ちなみに患者会は、厚生労働省に対して、滋賀医科大病院で発覚したカルタの不正閲覧事件の調査を要請するなど、何度も面談を重ねてきた。が、同省の方針は見えない。
なお、厚生労働省に先立って参議院議員会館で、正午から行われた国会議員に対する申し入れは、次の議員の秘書が患者会の四人に対応した。
こやり隆史・参議院議員(自民党)
足立信也・参議院議員(国民民主党)
山下芳生・参議院議員(共産党)
三ツ林裕也・衆議院議員(自民党)
櫻井周・衆議院議員(立憲民主党)
筆者が取材メモを取っていると、突然、椅子の脚が床を引っ掻くようなギィーという鋭い音が耳に入った。音の方へ目をやると、ひとりの女性秘書が途中退席するところだった。昼休みの時間帯が残り少なくなっていたとはいえ、筆者はあぜんとした。(全文は、『紙の爆弾』で)
【書評】遠藤周作著『海と毒薬』、大学病院における人体実験を通じて日本人のメンタリティーを描く
子供のころから立ち回りが巧みで、学業に秀でている点を除くと、特に卓越した個性もなく、順調に階段を昇って大学病院の医局に入った助士。医師としての脚光を浴びたくて、出世競争の裏工作に奔走する教授。家族の不和を体験して、自立して生きるために病院に就職した看護婦。遠藤周作の『海と毒薬』(新潮文庫)に登場する人物は、だれも凡人である。どこにでもいる「普通の人々」、あえて違いを言えば知的な人々にほかならない。
が、これら普通の人間が権威により秩序を保つ村社会に投げ込まれると、何の呵責もなく、入院患者をだまして人体実験を繰り返す。あげくの果てに、軍部からの要請に応じて、米国人捕虜を使った生体人体実験にまで及んでしまう。それも「業務」の一端に過ぎない。
【書評】『大暗黒時代の大学』,警察の派出所が設置された同志社、大学ビジネスの立命館
大学が学問の自由を保障して、公権力の介入を許さないという考えは、国境を超えて常識となってきた。少なくとも建前としては、大学の自治権を保障する合意があった。たとえばラテンアメリカでは、大学名にあえて「自治」という言葉を付している公立大学が少なくない。メキシコ自治国立大学(Universidad Nacional Autonoma de Mexico)のように。
2013年4月、京都市の同志社大学のキャンパスに警察の派出所が設置された。従来の常識が完全に覆ったのである。その2年後には、村田晃嗣学長が衆院平和安全法制特別委員会の場にしゃしゃりでて、戦争推進法に賛成する意見を述べた。個人として意見を述べるのは自由であるが、同志社大学学長の肩書きで、危険な持論を展開したのだ。
【書評】ジョン・スタインベック『怒りの葡萄』、カリフォルニアに移動する1930年代の農民キャラバン
1933年から、米国中部のオクラホマ州やテキサス州をトルネードと呼ばれる猛烈な砂嵐が繰り返し襲来した。農地は砂漠と化し、農民たちはトラックに家財道具を積み込み、新天地を求めてカリフォルニアへ移動しはじめた。現在のホンジュラス問題とよく似た状況が米国でも起こっていたのだ。
しかし、新天地に到着してみると、そこには農園での過酷な労働が待っていた。『怒りの葡萄』は、歴史的な事件をベースにしたジョン・スタインベックの代表作である。
【書評】『敗れざる者たち』、元オリオンズ榎本喜八の悲劇、あふれる「異端者」への敬意
プロスポーツの選手は、肉体の衰えにともない、老年に達する前に第2の人生に踏み出すことを強いられる。栄光の舞台を降りた後、彼らはどのような人生を体験したのだろうか。
『敗れざる者たち』は、6人のスポーツ選手に焦点をあてた6編の中編ノンフィクションを収録している。ボクシングの世界で卓越した才能に恵まれながら、優しさゆえに世界王者になれなかったカシアス内藤、東京五輪のマラソンで3位に入賞し、メキシコ五輪で金メダルを期待されながら自ら命を絶った円谷幸吉・・・・。
6編の中でとりわけ印象深いのは、プロ野球の元オリオンズ・E選手の悲劇を描いた『さらば 宝石』だ。Eは、引退後はさっぱり表舞台に現れなかったが、現役時代には長島茂雄にほとんど劣らない成績を残している。
【安打数】
長島:2471本
E:2314本
【打率】
長島:0.305
E:0.298
ラテンアメリカの社会変革運動から日本のカウンター(反差別)運動を見る
『山は果てしなき緑の草原ではなく』は、軍事独裁政権を倒した1979年のニカラグア革命に至る運動の渦中にいたFSLN(サンディニスタ民族解放戦線)の戦士による手記である。世界を変えるとはどういうことなのかという重いテーマが伝わってくる。しばき隊の面々の生き方とは、根本から異なった人々が描かれている。キューバのカサ・デ・ラス・アメリカス賞受賞作。
■ニカラグア革命36周年、『山は果てしなき緑の草原ではなく』の再読(2015年9月18日のバックナンバー)。
【サマリー】 『山は果てしなき緑の草原ではなく』は、ニカラグアのFSLN(サンディニスタ民族解放戦線)に加わった戦士が著した記録文学である。大学生だった著者は、当時、ソモサ独裁政権に対峙していたFSLNに加わり、軍事訓練を受けるためにFSLNが拠点としているニカラグア北部の山岳地帯へ入る。そこで著者を待っていたのは、都会とは異質の過酷な生活だった。