2022年08月10日 (水曜日)

たとえば白い衝立に赤色の光を当てて、遠くから眺めると赤い衝立にみえる。青色の光に変えると、衝立に青色の錯覚が起きる。黄色にすると、衝立も黄色になる。
しかし、衝立の客観的な色は白である。ジャーナリズムの役割は、プロパガンダを排除して核の輪郭を示すことである。日本の新聞・テレビはその役割を放棄している。と、いうよりもそれだけの職能がない。
◆台湾への武器販売が約4500億円
米国のナンシー・ペロシ下院議長が8月2日に、台湾を訪問した。台湾と中国の関係が関心を集める中で、同氏の訪台は国際的にも波紋を広げている。日本の新聞・テレビは中国が台湾周辺で軍事的圧力を強めていることを前提に、台湾を擁護する方向で世論を誘導してきた。台湾が「正義」で、中国が「悪」という単純な紋切り型の構図を提示している。それはちょうどウクライナが「正義」でロシアが「悪」という大合唱の視点とも整合している。
米国はこのところ台湾への武器輸出を加速している。たとえばトランプ政権の末期、2020年10月に米国議会は、総額総額41億7000万ドル(当時、約4400億円相当の武器の販売を承認した。(出典)
バイデン政権へ移行した後も、米国は台湾に対する武器売却を持続している。朝日新聞によると、「米国務省は(2020年4月)5日、地対空ミサイル『パトリオット』システムへの技術サポートを、9500万ドル(約117億円)で台湾に売却することを承認した。バイデン政権の台湾への武器売却は今回で3例目となる」。ウクライナだけではなく、台湾も武器輸出の有力な市場になっているのである。
こうした動きと並行して、日本の新聞・テレビは台湾近海で軍事演習を繰り返す中国軍の動きを繰り返し報じている。そして「台湾有事」という言葉を使って不安をあおっている。たとえば沖縄離島の島民らが、中国を警戒している様子などをテレビの画面に繰り返し映し出したりする。その結果、米国による武器売却を正当化したり、日本が防衛費を増やすことをよしとする世論が形成されている。
しかし、日本の新聞・テレビは、台湾問題をめぐる最も肝心な情報を隠している。
◆1978年に米国は中華人民共和国政府を唯一の政府として承認
現在、世界の大勢は現在の中華人民共和国政府を、中国唯一の政府として承認して、同国との外交関係を構築している。台湾と外交関係を持つ国は13か国にすぎない。台湾と国交を断絶して中国と国交を結ぶ流れは今も続いており、最近では昨年12月に中米のニカラグアが、中華人民共和国との国交を樹立した。相互の内政不干渉がその大前提となっている。台湾との国交は断絶した。
ニカラグアの隣国・ホンジュラスでも今年1月に左派政権が誕生したこともあって、ニカラグアと同じ道を選ぶ可能性が高い。
こうした傾向は、中国の台頭と、米国の影響力低下の現れにほかならない。
米国は、1978年に中国と外交関係を結んだ。その際に両者の間で交わされた共同宣言には、「中華人民共和国政府が中国の唯一の合法政府である」こと、「この範囲内で、合衆国の人民は、台湾の人民と文化、商業その他の非公式な関係を維持する」こと、「双方は、国際的軍事衝突の危険を減少させる」こと、「中国はただ一つであり、台湾は中国の一部であるとの中国の立場を認める」ことなどが明記されている。
共同宣言の全文は、次の通りである。
アメリカ合衆国及び中華人民共和国は、1979年1月1日付けで、相互に承認し及び外交関係を樹立することに合意した。
アメリカ合衆国は、中華人民共和国政府が中国の唯一の合法政府であることを承認する。この範囲内で、合衆国の人民は、台湾の人民と文化、商業その他の非公式な関係を維持する。
アメリカ合衆国及び中華人民共和国は、上海コミュニケで双方が合意した諸原則を再確認するとともに、次のことを再び強調する。
一 双方は、国際的軍事衝突の危険を減少させることを願望する。
一 いずれの側も、アジア・太平洋地域においても又は世界の他のいずれの地域においても覇権を求めるべきではなく、また、このような覇権を確立しようとする他のいかなる国又は国の集団による試みにも反対する。
一 いずれの側も、いかなる第三者に代わつて交渉し、又は第三国に向けられた合意若しくは了解を他方の側と行う用意もない。
一 アメリカ合衆国政府は、中国はただ一つであり、台湾は中国の一部であるとの中国の立場を認める。
一 双方は、米中関係の正常化は、中国及びアメリカの人民の利益に合致するのみならず、アジアと世界の平和に貢献するものと信ずる。
アメリカ合衆国及び中華人民共和国は、1979年3月1日に、大使を交換し及び大使館を設置する。■出典
◆ジャーナリズムの責任
台湾に対する米国のスタンスは、客観的に見れば中国に対する内政干渉にほかならない。中華人民共和国の政府を、中国唯一の政府と認めながら、台湾に武器を提供するのは、ブルスタンダードである。
かりにどこかの国が沖縄県に対して武器を提供して、沖縄県が福岡市や大阪市をターゲットにミサイルを設置したら、大問題になるだろう。法的にも実質的にも内政干渉に該当する。「台湾危機」も同じ構図なのだ。
米国は、香港の「民主化」問題でも、全米民主主義基金(NED)などを通じて、「市民運動」に資金援助して、故意に混乱を引き起こしてきた。
歴史をさかのぼって米国の対外戦略を検証するとき、軍事大国としての方向性は基本的には変わっていない。さすがに米軍による直接的な軍事作戦は、米国内からの世論の反発で激減したが、代理戦争を採用する戦略は続いている。米国の世論は、米軍の直接介入にはNOを示すようになったが、代理戦争の構図までは見抜いていない。
それはジャーナリズムの責任である。日本の新聞・テレビも同じ問題を孕んでいる。
【参考記事】米国が台湾で狙っていること 台湾問題で日本のメディアは何を報じていないのか? 全米民主主義基金(NED)と際英文総統の親密な関係
2022年08月08日 (月曜日)

ヤフーニュースに掲載された記事に対する読者のコメントを、ポータルサイトの管理者が安易に削除する現象が現れている。これは世論誘導の典型的な方法のひとつである。大半の人々が自覚しないところで進行している手口である。
言論の自由がいよいよ危ないことを意味する。インターネットには自由な言論の空間があるというのは幻想である。
メディア黒書に内部告発があった。安倍首相の暗殺に関連して、ヤフーニュースが次々と掲載した記事にコメントをしたところ、1週間たらずのあいだに多数のコメントが削除されたという。
以下、コメント対象となった記事と削除されたコメントを掲載しておこう。読者に、削除は妥当かどうかを判断ただきたい。
【元の記事】全都立校に半旗掲揚促す連絡 安倍元首相の葬儀で 東京都教委
【削除されたコメント】どのみち 統一教会 日本会議で藪蛇になるのを恐れて とんと静かだった小池のたぬきが 裏で工作したんでしょうよ しょうもな!
【元の記事】安倍元首相の死去から1カ月で心ない批判が蔓延…“手のひら返し” に昭恵夫人の胸中いかばかりか
【削除されたコメント】
手の平返しっていうのは的外れもいいとこ。安倍氏暗殺により 長年にわたる日本会議と統一教会のWin Winの 持ちつ持たれつの関係というパンドラの箱が開いたわけだ。 今や清話会や日本会議と統一教会は表と裏の関係なのが明白になって 国民が安倍氏に対して 強い嫌悪感を新たにしただけです。 おまけに岸田氏の強引な国葬実施に国民は怒っているだけ。 国葬を開く理由について「8年8カ月という憲政史上最長の(首相在任)任期、民主主義の根幹たる選挙運動中の非業の死、これらは間違いなく他に例を見ないものだ」と説明した・・・・これいずれも安倍氏と統一教会のズブズブのWin Win関係がもたらした結果だということがわかってるから国民はさらに怒る・・・確かに他に例をみないカルト反社会集団との関係ですから 国葬の強引な実施は国民の怒りを買って当たり前。原因は変わらない自民党の自分ファースト体質にあるのでは?
【削除されたコメント】
国葬を開く理由について「8年8カ月という憲政史上最長の(首相在任)任期、民主主義の根幹たる選挙運動中の非業の死、これらは間違いなく他に例を見ないものだ」と説明した・・・・これいずれも安倍氏と統一教会のズブズブのWin Win関係がもたらした産物・結果だということがわかってるんですが・・・確かに他に例をみないカルト反社会集団との関係ですが それが国葬の理由ですか?
岸田さん頭大丈夫ですか?
【元の記事】【櫻井よしこ氏特別寄稿】世界に晒された日本の平和ボケ 改憲に命を懸けた「憂国の宰相」の遺志を継げ
【削除されたコメント】
安倍氏暗殺により 長年にわたる日本会議と統一教会のWin Winの
持ちつ持たれつの関係というパンドラの箱が開いたわけだ。
今や日本会議と統一教会は表と裏の関係なのはバレバレ。
櫻井よしこ氏の統一教会との長い間の腐れも彼女の本質もこれで白日のもとに晒されることになったということです。あとは国民が
騙されていたことに気づくかどうかだけですね。
なったのでした。
【元の記事】金子恵美氏、生放送で衆院議員時代の旧統一教会からの支援を明かす「認識はなく選挙でボランティアとして手伝っていた」
【削除されたコメント】
よくも白々しい嘘をいうね。2016年第3次安倍第2次改造内閣では、総務大臣政務官(情報通信、郵政行政、放送行政の担当)に就任した。
結婚式でも安倍にスピーチしてもらった生粋の安倍チルドレンが統一教会の認識なかった。嘘いうなよ。わかってて有難く協力いただいた
に決まっとるわ。
【元の記事】「山上容疑者は家庭がしっかりしていれば」旧統一教会系の自民議連トップ 奥野議員が激白〈dot.〉
【削除されたコメント】
日本・世界平和議員連合懇談会は、旧統一教会とは無関係です。
よくいえたもんです。清話会、日本会議に所属し、安倍派閥の番頭格の奥野氏が
世界平和連合と統一教会は無関係とは 面の皮の厚さに呆れるばかり。元衆院議員の清水誠一・北海道帯広市議(73)=自民党会派=が、40年以上にわたり、世界平和統一家庭連合(旧統一教会)の政治団体「国際勝共連合」と付き合いがあることが明らかになった。清水氏は8月5日、毎日新聞の取材に「(自身の)後援会の入会カードを集めてもらっていた」と述べ、支援を受けた経緯にふれ「一切縁を切ると言う気もない」と話した。統一教会問題がでたときの 下村 福田 岸らの 何が悪いんですか?発言は 奥野氏 清水氏の発言から
非常に自分に正直な発露であったと思える。今の世間の怒りに
歩調を合わせるような 下村氏 福田氏 岸氏らの言い訳に
騙されてはいけない。彼らに真の懺悔、罪悪感はゼロ。【続く】

「押し紙」問題が社会問題として浮上したのは、1970年代である。80年代の前半には、共産党、公明党、社会党が超党派で、国会を舞台に繰り返し「押し紙」問題を取り上げた。しかし、結局、メスは入らなかった。
今世紀に入って、「押し紙」の存在を認定する司法判断も下されているが、依然として解決するまでには至っていない。日本新聞協会に至っては、現在も「押し紙」の存在そのものを否認している。公正取引委員会や警察による摘発の動きも鈍い。政治家も新聞研究者も「押し紙」問題とのかかわりを避ける傾向がある。
わたしはこうした状況の背景に、新聞社が権力構造の歯車として機能している事情があると考えている。次に紹介するインタビューは、1998年にわたしが成城大学の有山輝雄教授に行ったものである。(『新聞ジャーナリズムの正義を問う』に収録)
有山教授は、現在の新聞制度は、GHQが戦前戦中の新聞制度をそのまま移行したものである旨を述べている。公権力が「押し紙」を放置して、新聞社に便宜を図ってきた背景がかいま見える。
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【有山】戦後の初期、新聞ジャーナリズムは機能し、その後に腐敗堕落したと考えている人もいますが、私はそうではないと思います。基本的な体質は創業から同じであって、それは新聞人の個人的な問題ではなくて、ひとつのシステム(体制)の問題があるからです。新聞が社会制度の中に組み込まれて来たわけですから。
--戦後、新聞を改革できなかった理由は?
【有山】アメリカが、日本を民主化しようとしたといっても、一面では自分たちの国益を優先したわけです。考え方によっては、日本の新聞社の戦争責任を追及して、新聞社を全部つぶすことも選択肢としてはもっていたわけです。しかし、アメリカは国益を守るためには今ある新聞社を利用する方が都合がいいと考え、新聞の制度それ自体はいじらなかった。独占禁止法を導入し、朝日、読売、毎日などの独占を言葉の上では批判し、分割することもひとつの選択だったわけです。しかし、それをやれば、日本国内が混乱するので、避けようという判断だったのだと思います。
--新聞はなぜこうしたみずからの歴史や戦争責任を検証しないのでしょうか。
【有山】新聞ジャーナリズムの側としては、戦中、戦前から一貫して天皇制を保持しようとした。ですから戦争責任を追及すれば、自分の責任も問われることになる。戦争責任をあいまいにすることは、自分の戦争責任をあいまいにすることに繋がっているわけです。それは、アメリカの政策にとっても好都合だったわけです。責任があるのは軍人で、たとえば東条英機が悪かったというふうに軍部に責任を押し付けて、それ以外の者は操られていたからやむを得なかったという考え。これはアメリカの一部の進歩的な政治家や外交官などの考え方と一致しています。
彼らは、戦時中の日本の体制は結局、軍国主義者が悪かった、日本の国内にはリベラルな政党や政治家もいたし、財界の中にもリベラルな人物がいた。しかし、軍人が悪かったと考えた。こうしたアメリカ流の認識は、日本のジャーナリズムにとっては、非常に都合のいい言い訳になったのです。自分たちは嫌々ながら強制されてきたというふうにしてしまえば責任を免れますからね。
意見が変わるということはだれにでもあることです。しかし、膨大な数の読者に対して、新聞社が指導的な意見として表明した見解を変える時には、自分たちの過去をきちんと点検して、どこに間違いがあって、どう見解を変えたのかを明らかにしなくてはなりません。それが言論報道機関の責任だと思いますが、そういう作業は避けて、うやむやに問題を処理して、しかも自分たちは指導者だという意識だけはいつも保持している。今でも8月になれば、たいていの新聞社が政治家などに
対して、「歴史を見ていない」とかいった訓示めいたことをいうわけですが、自分自身の歴史を正しく検証しないで、人に歴史を直視しろといったところで、説得力はありません。

日本ABC協会が定期的に公表しているABC部数は、新聞社が販売店へ搬入した部数を示すデータである。残紙(広義の「押し紙」)も、ABC部数に含まれている。従って第三者からみれば、ABC部数は、「押し紙」を隠した自称部数である。実配部数との間に乖離があり、広告営業の基礎データとはなりえない。
筆者は、都府県を対象に各新聞社のABC部数の長期的変化を調査している。今回は、岡山県における読売新聞のABC部数を調べてみた。その結果、ABC部数が1年、あるいはそれ以上の期間、固定されるロック現象を頻繁に確認することができた。新聞社が販売店へ搬入する部数が、一定期間に渡って増減しないわけだから、読者数が減れば、それに反比例して「押し紙」が増えることになる。
たとえば次に示すのは、瀬戸内市のABC部数である。
2016年4月 :1040部
2016年10月:1040部
2017年4月 :1040部
2017年10月:1040部
2018年4月 :1040部
2018年10月:1040部
2019年4月 :1040部
2019年10月:1040部
2020年4月 :1040部
2020年10月:1040部
瀬戸内市の読売新聞の場合、5年にわたってABC部数が1040部でロックされている。しかし、この期間に瀬戸内市の読売新聞の購読者が1人の増減もない事態は通常はありえない。販売店に配達する予定がない新聞が搬入されていた可能性が高い。
同じような部数の動きを、ABC部数の規模がより大きな自治体を対象に検証してみよう。例として取り上げるのは、浅口市である。
2016年4月 :3537部
2016年10月:3537部
2017年4月 :3537部
2017年10月:3537部
2018年4月 :3537部
浅口市の場合は、2年半にわたってABC部数が3537部でロックされていた。読者数の増減とはかかわりなく、同じ部数の新聞が販売店に搬入されている。
さらに中国地方の大都市である岡山市のデータを示そう。
2016年4月 :24557部
2016年10月:24557部
岡山市の場合は、1年にわたってABC部数が2万4557部でロックされている。ロックの規模は極めて大きい。繰り返しになるが、岡山市の読売新聞の読者数に1部の増減も発生していないのは不自然極まりない。何者かが販売店に対して、新聞の「注文部数」を指示した可能性が高い。もし、それが事実であれば、独禁法に抵触する。
次に示す表は、岡山県全域の調査結果である。

新聞社と警察の連携は、ジャーナリズムの常識では考えられないことである。「異常」と評価するのが、国際的な感覚である。本来、ジャーナリズムは公権力を監視する役割を担っているからだ。
読者は、全国読売防犯協力会という組織をご存じだろうか。「Y防協」とも呼ばれている。これは警察とYC(読売新聞販売店)が連携して防犯活動を展開するための母体で、読売新聞東京本社に本部を設けている。こうして警察と新聞社が公然と協力関係を構築しているだ。他にも読売新聞社は、内閣府や警視庁の後援を得て、「わたしのまちのおまわりさん」と題する作文コンクールを共催するなど、警察関係者と協働歩調を取っている。
これらの活動のうち、住民にとって直接影響があるのは、Y防協の活動である。
その理由はYCの販売網が、全国津浦々、街の隅々にまで張り巡らされているからだ。それは住民を組織的に監視する体制が敷かれていることを意味する。【続きはデジタル鹿砦社通信】

新聞・テレビがタブー視しているテーマ、あるいは事件が爆発するまで報じないテーマについて検証してみよう。次のようなものがある。
① 宗教団体に対する批判
② 天皇制廃止論
③ 各種の反差別運動に対する批判
⑤ 新聞社の「押し紙」問題
⑥ 電磁波や化学物質などの新世代公害
⑦ 医療制度の批判
これらのテーマは聖域とされ、ジャーナリズムのメスが入らない。
原発問題はかつてタブーだったが、2011年3月の福島第1原発の事故を機に比較的自由に報じられるようになった。
◆宗教問題
統一教会の問題は、安倍元首相の銃殺死によって、報道が「解禁」された。新聞・テレビは一応、このカルト集団に対して厳しい目をむけはじめた。
ただし国際勝共連合の活動など、肝心な部分はお茶をにごしている。
本来は、統一教会=国際勝共連合が日本での活動を本格化させ、活動資金を韓国へ送りはじめた1970年代に報道を開始すべきだった。報道のタイミングが半世紀ほど遅れている。
統一教会=国際勝共連合が1960年代から日本の保守政治にかかわってきたことは、彼ら自身がウエブサイトで認めている。
【引用】その創立の経緯は次の通りだ。67年6月、日韓両国の反共首脳会談が実現し、韓国側文鮮明師、劉孝元氏、日本側は笹川良一氏、児玉誉士夫氏代理・白井為雄氏、市倉徳三郎民らが出席して、山梨県本栖湖畔で「第1回アジア反共連盟結成準備会議」が開催され、勝共運動日本受け入れの合意が成立。同年11月、久保木修己氏が中心となり国際勝共連合の前身、「勝共啓蒙団」が結成された。
翌68年4月、本栖湖会談の精神に基づき笹川良一氏を名誉会長に迎え、久保木修己氏を会長とし国際勝共連合を結成した。李相憲著「新しい共産主義批判」を翻訳・出版し、共産革命の惨禍から祖国を救う残された唯一の道は、共産主義の理論的矛盾と、革命の実態を誠実に国民に説得する以外にないという結論に達し、理論啓蒙団体として、研究を積み重ねた。初期は勝共遊説隊の街頭活動が中心であった。
勝共連合創立時の1968年、アジア情勢は未曾有の危機下にあった。英国はスエズ運河以東からの撤退を発表、アジアでのプレゼンスを放棄。これに代わるべき米国も同年、ベトコンのテト攻勢に遭い泥沼のベトナム戦争に疲弊し、国内の反戦運動がピークに達してジョンソン大統領は再選を諦め、朝野ともに著しく自信を喪失していた。■出典
統一教会の運動が保守政治や日本の右翼と深くかかわってきたから、新聞・テレビは、なるべくこの問題を避けてきたのだ。
◆「押し紙」問題
「押し紙」問題も報道のタイミングが、半世紀ほど遅れている。この問題をめぐっては、最近も販売店主の自殺が起きているが、新聞・テレビは依然としてかかわらない。自分の足もとの問題であるからだ。「押し紙」による被害額は、統一教会の献金のレベルではない。被害額の試算については、「デジタル鹿砦社通信」(7月19日付)に掲載した記事からの抜粋した次の記述で確認してほしい。
結論を言えば、毎日新聞の場合2002年の時点で約250億円の不正収入があった試算になる。「押し紙」問題がいかに根深かが分かる。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
新聞社が「押し紙」によりいかに莫大な利益を上げているかを、試算してみよう。それにより「押し紙」問題がメディアコントロールの温床になっている高い可能性を推測できる。
試算に使用するのは、毎日新聞社の社長室から外部へ漏れた内部資料「朝刊 発証数の推移」である。この資料によると2002年10月の段階で、新聞販売店に搬入される毎日新聞の部数は約395万部だった。これに対して発証数(読者に対して発行される領収書の数)は、251万部だった。差異の144万部が「押し紙」である。
シミュレーションは、2002年10月の段階におけるものだが、暴利をむさぼる構図そのものは半世紀に渡って変わっていない。
【シミュレーションの根拠】
試算に先立って、まず「押し紙」144万部のうち何部が「朝・夕セット版」で、何部が「朝刊単独」なのかを把握する必要がある。と、いうのも両者は、購読料が異なっているからだ。
残念ながら「朝刊 発証数の推移」に示されたデータには、「朝・夕セット版」と「朝刊単独」の区別がない。常識的に考えれば、少なくとも7割ぐらいは「朝・夕セット版」と推測できるが、この点についても誇張を避けるために、144万部のすべてが「朝刊単独」という前提で試算する。
「朝刊単独」の購読料は、ひと月3007円である。その50%にあたる1503円が原価という前提で試算するが、便宜上、端数にして1500円に設定する。144万部の「押し紙」に対して、1500円の卸代金を徴収した場合の収入は、次の式で計算できる。
1500円×144万部=21億6000万円(月額)
毎日新聞社全体で「押し紙」から月に21億6000万円の収益が上がっていた計算だ。これが1年になれば、1ヶ月分の収益の12倍であるから、21億6000万円×12ヶ月=259億2000万円
と、なる。
◆経営上の汚点がメディアコントロールの温床
毎日新聞だけで年間に259億2000万円(2002年)の不正収入を得た試算になる。統一教会による献金被害よりも、規模がはるかに大きい。広告媒体(紙面、折込)の水増しによる不正収入を加算すると、さらに被害額は増える。
金額が莫大なので、この汚点を黙認すれば、公権力(政府・裁判所・公取委・警察)は暗黙のうちにジャーナリズムの内容をコントロールすることできる。【続く】

旧統一教会が信者から献金を募る行為がクローズアップされ問題になっている。教団の献金制度が始まった時期は知らないが、教祖の文鮮明が、来日して日本の黒幕らと接触したのが1967年で、すでに1970年代には壺やら朝鮮人参を訪問販売している信者が街に繰り出していたから、半世紀ぐらい前から霊感商法や献金が続いてきたのではないか。わたしも教会に誘われたことがある。
参院選挙後の11日に教団が開いた会見を聞いて、わたしが最初に感じたのは、教団の論理は、新聞社が「押し紙」(新聞部数のノルマ)について弁解する際の論理と同質だということである。「押し紙」制度は、統一教会の活動と同様に、少なくとも半世紀は続いている。戦前にも「押し紙」は存在したとする記録もある。
新聞人の言い分は、「押し紙」を強制したことは一度もない、われわれは販売店からの注文部数に応じて新聞を搬入している、ノルマを課したこともないというものだ。従って、現在も日本新聞協会は、「押し紙」は1部もないという公式見解を持っている。販売店で過剰になっている新聞は、すべて「予備紙」であるとする見解である。しかし、残紙は古紙業者の手で大量に回収されており、「予備紙」としての実態はない。
「押し紙」についての新聞人の論理を頭に入れたうえ、献金に関する統一教会の言分を読むと、両者の論理が類似していることが分かる。詭弁の手口に共通性がある。次の箇所である。
最初に教団の論理を紹介し、次に新聞人の論理を紹介しよう。
◆教団インタビュー
── お母様の寄付金の件に関して。一般論として信者に対して多額の寄付を強いることはあるのか。寄付はどういった仕組みになっているのか。
献金と称されるものは、いろいろなものがございます。例えば月例献金、あるいは礼拝献金、あるいは献金されるときに、一緒に祈祷して捧げるときもございます。また無記名献金のようなものも、もちろんございます。 ご本人の意思で献金されていきますが、献金の額はご本人の心情に基づいていると受け止めております。
── ご本人が決めるということで、ノルマがあるわけではないという理解でいいか。例えば一人で何千万も高額献金される方もいるのか。
高額で献金されてきた方々は、かつてもいらっしゃいます。本人の意思なくしては、高額献金も出ません。私達は感謝してその志を受け止めております。ご本人に対するノルマという扱い方はしておりません。■出典
ちなみに日本新聞販売協会は、国政選挙のたびに自民党候補を支援している。以前は推薦人名簿も公表していた。政治献金も続けている。
◆読売新聞の主張
次に、「押し紙」に関する新聞社の典型的な論理を紹介しよう。読売新聞の宮本友丘専務(当時)が、「押し紙」裁判の法廷で行った証言(2010年11月16日、東京地裁)である。喜田村洋一・自由人権協会代表理事の質問に答えるかたちで、宮本氏は次のように証言した。
喜田村弁護士:この裁判では、読売新聞の押し紙が全国的に見ると30パーセントから40パーセントあるんだという週刊新潮の記事が問題になっております。この点は陳述書でも書いていただいていることですけれども、大切なことですのでもう1度お尋ねいたしますけれども、読売新聞社にとって不要な新聞を販売店に強要するという意味での押し紙政策があるのかどうか、この点について裁判所にご説明ください。
宮本:読売新聞の販売局、あと読売新聞社として押し紙をしたことは1回もございません。
喜田村弁護士:それは、昔からそういう状況が続いているというふうにお聞きしてよろしいですか。
宮本:はい。
喜田村弁護士:新聞の注文の仕方について改めて確認をさせていただきますけれども、販売店が自分のお店に何部配達してほしいのか、搬入してほしいのかということを読売新聞社に注文するわけですね。
宮本:はい。
読売の論理は、あくまでも販売店が注文した部数に応じて、新聞を提供しているというものである。
【参考記事】新しい方法論で「押し紙」問題を解析、兵庫県をモデルとしたABC部数の解析、朝日・読売など全6紙、地区単位の部数増減管理が多地区で、独禁法違反の疑惑

『ママ・グランデの葬儀』は、コロンビアのノーベル文学賞作家、ガルシア=マルケスの短編小説である。わたしがこの本を読んだのは20年以上もまえで手元に書籍はなく、記憶を頼りに書評を書いているので、内容を誤解している可能性もあるが、おおむね次のような内容だった。
200歳になる村の長老格の老婆が他界する。この200歳という設定は、前世紀までラテンアメリカの政治を語る際のひとつのキーワーになっていた絶対に権力の座を降りない独裁者の比喩である。魔術的リズムと呼ばれる手法で、誇張法のひとつである。
この老婆の死は村を喪の空気に包む。大規模な葬儀が執り行われる。次々と人が集まってきて、葬列は大群衆に膨れ上がる。するとあちこちに屋台が現れる。人々の談笑がはじまる。すると長老を失った悲しみが薄れ、陽気な空気が流れはじめる。そして最後には、悲しみの葬列が独裁者の死を祝うフィエスタに変質する。民衆の歓喜が爆発する。
安倍晋三氏が暗殺されたあと、死を悼む声が全国に広がった。政党や思想にかかわりなく、人々が深い同情を示した。それに同調圧力が働き、このタイミングで安倍政治を批判することが不謹慎であるかのような空気が流れた。
しかし、安倍氏が乗せられた霊柩車を記念撮影する光景がネットに現れたあたりから空気が変わりはじめた。そして事件から1週間もすると安倍政治を公然と批判する声が広がっていった。岸田首相が国葬を宣言すると、安倍批判はさらに強くなった。
『ママ・グランデの葬儀』は、独裁者の死をめぐる人間の心の動きを描いている。
タイトル: 『ママ・グランデの葬儀』
著者:ガルシア=マルケス
版元:集英社

新聞社と放送局の間にある癒着が語られることがあるように、新聞社と出版社のグレーゾーンを薄明りが照らし出すことがある。
今年の5月11日、読売新聞社は「出版懇親会」と称する集まりをパレスホテル東京で開催した。読売新聞の報道によると、約240人の出版関係の会社幹部を前に、渡辺恒雄主筆は、「日頃の出版文化について情報交換していただき、率直なご意見を賜りたい」とあいさつしたという。
出版関係者にとって新聞社はありがたい存在である。と、いうのも新聞が書評欄で自社の書籍を取りあげてくれれば、それが強力なPR効果を生むからだ。新聞の読者が老人ばかりになり、部数が減っているとはいえ、中央紙の場合は100万部単位の部数を維持しているうえに、図書館の必需品にもなっているので、依然として一定の影響力を持っている。そんなわけで読売新聞社から懇親会への招待をありがたく受け入れた出版関係者も多いのではないか。
しかし、新聞販売現場の現場を25年にわたって取材してきたわたしの視点から新聞業界を見ると、新聞業界への接近は危険だ。書籍ジャーナリズムに、忖度や自粛を広げることになりかねない。同じ器に入るリスクは高い。新聞業界そのものが、欺瞞(ぎまん)の世界であるからだ。醜い裏の顔がある。
◆清水勝人氏の「新聞の秘密」
いまから半世紀前の1977年2月、雑誌『経済セミナー』で「新聞の秘密」と題する連載が始まった。執筆者は、清水勝人氏。連載の第1回のタイトルは「押し紙」である。
清水氏は、当時、『経済セミナー』だけではなく、他の雑誌でも新聞批判を展開していた。清水勝人氏の経歴についてはまったく分からない。聞くところによると、「清水勝人」というのはペンネームで、新聞社に所属していたらしい。実際、「新聞の秘密」を細部まで知り尽くしている。
連載の第1回原稿の劈頭(へきとう)で清水氏は、新聞業界の体質について次のように述べている。
「新聞という商品、新聞業界にとって最も不幸なことは、それが今日まで世論の批判の対象外-「批判の聖地」におかれてきたことではなかったかと思う。これまでごく少数の例外を除いては、新聞は自らの矛盾、誤りをみずからの手で批判したり、訂正しようとは決してしなかったし、第3者からの批判を率直に受け入れようともしなかつた。
新聞は今日まで厳しく監視する第3者を持たなかったためにどうしても、みずからの矛盾、誤り、時代錯誤に気付くのが遅れてしまいがちだったし、他人の批判にさらされないために規制力を失いがちであったといえるのではないかと思われる。」
清水氏は、「押し紙」によりABC部数をかさ上げして、紙面広告の媒体価値を高める新聞社のビジネスモデルを暴露した。わたしがここ25年ほど指摘してきた問題を、半世紀前にクローズアップしていたのである。おそらく問題をえぐり出せば、新聞人は過ちを認めて、方向転換するだろうと期待して、筆を執ったのだろう。
が、そうはならなかった。いつの間にかこの報道は消えてしまった。「無かったこと」にされたのである。
その後、1980年代になると、共産党、公明党、社会党が超党派で新聞販売の問題を取り上げるようになった。85年までに15回の国会質問を行った。新聞業界は批判の集中砲火を浴びたのである。「押し紙」も暴露された。
たとえば1982年3月8日に、瀬崎義博議員(共産党)が、読売新聞鶴舞直売所(奈良県)の「押し紙」問題を取り上げた。この質問で使われた資料は、後に「北田資料」と呼ばれるようになり、新聞販売の問題を考えるとひとつの指標となった。次に示すのが、鶴舞直売所の「押し紙」の実態である。
しかし、5年に渡る国会質問は何の成果も残さなかった。新聞業界は反省もしなければ、状況の改善もしなかった。もちろん報道もしなかった。再び「無かったこと」にされたのだ。
◆公正取引委員会を翻弄して「押し紙」を自由に
1997年になって新しい動きがあった。公正取引委員会が北國新聞社に対して「押し紙」の排除勧告を発令したのである。北國新聞社は朝刊の総部数を30万部にするために増紙計画を作成し、3万部を新たに増紙した。その3万部を新聞販売店に一方的に押しつけていた。夕刊についても、同じような方法で「押し紙」をしたというのが、公取委の見解である。
さらに公取委は、「他の新聞発行者においても取引先新聞販売業者に対し『注文部数』を超えて新聞を供給していることをうかがわせる情報に接した」として、日本新聞協会に対して改善を要請した。
さすがに新聞業界も「押し紙」を反省するかに思われたが、逆に公取委に対して驚くべき対抗策にでる。
当時、新聞業界は内部ルールで、表向きは「押し紙」を禁止していた。販売店に搬入する新聞の2%を予備紙と定め、それを超える部数を「押し紙」と定義していた。俗に「2%ルール」と言われていた規定である。
北國新聞に対する処分を機に公取委から「押し紙」問題を指摘された日本新聞協会は、驚くべきことに、この「2%ルール」を削除したのである。それにより販売店で過剰になっている新聞は、「押し紙」ではなく、すべて「予備紙」という奇妙な論理が独り歩きし始めたのだ。予備紙は、販売店が営業目的で好んで注文した部数ということになってしまったのだ。
「押し紙」裁判でも、こうした論理がまかり通るようになった。しかし、残紙に予備紙としての実態はなく、その大半は古紙回収業者によって回収されてきた。営業に使うのは「新聞」ではなく、ビールや洗剤といった景品だった。
◆裁判にはめっぽう強い読売新聞
新聞業界の内側を見る視点は、「押し紙」問題だけではない。
不思議なことに中央紙は、裁判となればめっぽう強い。たとえばわたしは2008年2月から1年半の間に、読売新聞社から3件の裁判(請求額は約8000万円)を起こされたことがあるのだが、2件目の裁判で壮絶な体験をした。最初の裁判は、わたしが勝訴したが、2件目で、「大逆転」された。野球でいえば、9回裏の2アウトからの逆転である。それぐらい新聞社は、なぜか裁判に強い。
発端は、「押し紙」を断った新聞販売店を読売新聞西部本社が強制改廃したことだった。江崎徹志法務室長ら数人の社員が、事前連絡することなく販売店に押しかけ、改廃を宣言した。その直後に読売ISの社員が、店舗にあった折込広告を搬出した。この行為をわたしが、「窃盗」と表現したところ、社員らが2200万円を請求する名誉毀損裁判を起こしたのだ。
わたしは、「窃盗」を文章修飾学(レトリック)でいう直喩として使ったのである。「あの監督は鬼だ」といった強意を際立たす類型のレトリックである。店主に強烈な精神的衝撃を与えた直後にさっさと折込広告を運び出したから、「窃盗」と表現したのである。それだけのことである。だれも本当に窃盗が発生したとは思っていない。
この裁判で読売新聞社の代理人として登場したのは、自由人権協会代表理事の喜田村洋一弁護士だった。改憲論をリードしている読売新聞社が、護憲派の自由人権協会の弁護士を依頼する行為に違和感を感じた。軽薄なものを感じた。
さいたま地裁で行われた第1審は、わたしの勝訴だった。東京地裁での第2審もわたしの勝訴だった。ところが最高裁が口頭弁論を開き、判決を東京高裁に差し戻した。そして東京地裁の加藤新太郎裁判官は、わたしに110万円の支払いを命じたのである。後に加藤新太郎裁判官について調べてみると、読売新聞に少なくとも2回登場していることが分かった。
◆政界との癒着、874万円の政治献金
新聞業界と政界の距離は近い。癒着の度合いは首相との会食ぐらいではすまない。
新聞業界は、販売店の同業組合を通じて、政治献金を送ってきた事実がある。目的は、再販制度の維持、新聞に対する軽減税率の維持などである。最近は、学習指導要領の中に学校での新聞の使用を明記させることにも成功している。新聞記事を模範的な「名文」と位置づけて、児童・生徒に熟読させる国策を具体化したのだ。
2017年度、新聞業界は874万円を献金している。内訳は、主要な議員21人(述べ人数)に対して、「セミナー参加費」の名目で、総計234万円。この中には、とよた真由子(自民)、漆原良夫(公明)といった議員(当時)が含まれている。
セミナー参加費とは別に、「寄付」の名目で、128人の議員に対して640万円を献金している。金額としては1人に付き一律5万円で高額とはいえないが、政治献金であることには変わりがない。挨拶がわりに金をばら撒いているのだ。
裏付け資料は次の通りである。
他の年度についても、政治献金を繰り返してきた。
◆進むジャーナリズムの一極化
出版業界は、新聞の帆を立てた船に乗り込まないほうが懸命だ。ジャーナリズムの一極化は、最終的には自分に跳ね返ってくる。
日本の新聞業界は、清水氏の内部告発を無視し、5年にわたる国会質問を無視し、公正取引委員会の指導を逆手に取って、自由に「押し紙」を増やせる体制を構築した。昔から何も変わっていない。反省もなければ、対策もない。
1936年8月15日付け『土曜日』は、新聞業界について次のように書いている。太平洋戦争を挟んで現在まで、権力構造に組み込まれた新聞の本質は何も変わっていない。
「新聞の仲間にはヘンな協定があって、新聞同士のことはお互いに書くまいということになっている。これはいくつ新聞があっても、どれもこれも何かの主義主張があるのではなく、みんな同じ売らん哉の商品新聞ばかりで、特ダネの抜きっこ、販売拡販競争から起こった事で相手を攻めれば、その傷はやがて戻ってきて痛むのを知っているからである。これはもう新聞が完全に社会の木鐸でなくなったことを示すもので、ただただ商品であるだけから起こった仁義なのである」

10日に投票が行われた参院選で、千葉県流山市の選挙管理委員会が新聞販売店に新聞折込を依頼した選挙公報を、大幅に水増して広告代理店に卸していた疑惑が浮上した。
2021年10月時点での流山市のABC部数は、36,815部である。最新のABCデータ(今年4月、現時点では一般公開されていない)では、これよりも若干部数が減っている可能性があるが、同市はABC部数をはるかに上回る50,128部を広告代理店に発注した。1万部あまりが水増し状態になっている。
同市の選挙管理委員会は、「実際に何部の選挙公報が戸別に配布されたかは、現時点では、広告代理店から報告を受けていない」と話している。
流山市では数年前から、広報紙の水増しが市議会で問題になってきたが、今回の選挙でも、問題点は放置されたままとなった。

読売新聞社の渡辺恒雄主筆(写真)が、今年1月の賀詞交換会で「読売1000万部」の復活を呼びかけていたことが分かった。『新聞情報』(1月19日付)は、次のようにこの事実を伝えている。
数10年の間に読売新聞は非常に健全になって、財政的にはびくともしない。経営上の不安はほとんどない。皆さんのおかげで、非常に丈夫な、立派な新聞社に育った。大変うれしいと思っております。この調子で今年もさらに一層、いろんな智恵を出して、もう一遍、1000万部を取り戻したいと思っておりますので、頑張ってください。
渡辺氏が言及する「1000万部」とは、何を意味しているのか。1000万部の中に残紙が含まれているのか、それとも新聞の購読契約者が1000万人という意味なのか不明だ。
わたしは地方自治体を対象にして、読売新聞のABC部数の変化を調査しているが、地域全体で部数がロックされているケースが多々ある。ここでいうロックとは、部数の固定化を意味している。定数主義とも呼ばれている。次に示すのは、広島県府中市における読売新聞のABC部数の変遷である。
2014年4月:5679部
2014年10月 :5679部
2015年4月 :5679部
2015年10月 :5679部
2016年4月 :5679部
2016年6月 :5679部
2017年4月 :5679部
2017年10月 :5679部
2018年4月 :5679部
2018年10月 :5679部
2019年4月 :5679部
2019年10月 :5679部
2020年4月 :5679部
2020年10月 :5679部
府中市のABC部数が7年に渡ってロックされている。しかし、府中市の読売新聞の購読者数が7年に渡ってまったく変化しないことはありえない。残紙の中身が、「押し紙」であろうが、「積み紙」であろうが、公称部数を偽っていることには変わりない。渡辺氏は、まず現場で事実を確認すべきだろう。
また、公正取引委員会はなぜ指導しないのか?承知しているということなのだろうか。
次に都府県を対象とした調査のいくつかを紹介しよう。マーカーで着色した箇所がロックの部数と期間である。
●兵庫県(読売)
●長崎県(読売)
●香川県(読売)
●大阪府堺市
●

幸福の科学事件。武富士事件。長野ソーラーパネル設置事件。DHC事件。NHK党事件。わたしの調査に間違いがなければ、これら5件の裁判は、「訴権の濫用」による損害賠償が認められた数少ない判例である。(間違いであれば、指摘してほしい)
「訴権の濫用」とは、不当裁判のことである。スラップという言葉で表現されることも多いが、スラップの厳密な意味は、「公的参加に対する戦略的な訴訟」(Strategic Lawsuit Against Public Participation)」で、俗にいう不当訴訟とは若干ニュアンスが異なる場合もある。
それはともかくとして、日本では不当裁判を裁判所に認定させることはかなり難しい。日本国憲法が、裁判を受ける権利を優先しているからだ。第32条は、「何人も、裁判所において裁判を受ける権利を奪はれない」と提訴権を保証している。
◆前訴までの経緯
今、この司法の高い壁に挑戦している人がいる。横浜副流煙事件の加害者として法廷に立たされた藤井将登さんである。前訴で原告の訴えが棄却された後、前訴は不当裁判だったとして、前訴の原告らに損害賠償を求める裁判を起こしたのである。今年3月のことだ。請求額は約1000万円。前訴を基にした「反訴」にほかならない。
妻の敦子さんも原告として将登さんに加わった。非喫煙者であるにもかかわらず、娘と共にヘビースモーカー呼ばわりされたからだ。
事件の発端は、煙草の副流煙をめぐるトラブルである。将登さんが自宅で吸っていた煙草の副流煙が原因で、「受動喫煙症」になったとして、同じマンションの斜め上に住むA家の3人が2017年11月に提訴した。請求額は約4500万円だった。しかし、訴えは棄却された。原告の全面敗訴だった。
前訴の中で、3人の診断書を交付した日本禁煙学会の作田学医師の医療行為が問題になった。A娘を診察せずに診断書を交付していたのだ。実際、前訴の判決は、作田医師による医師法20条違反を認定した。後に、作田医師は刑事告発され、横浜地検へ書類送検された。
こうした事情もあって、藤井夫妻は「反訴」の被告に作田医師も加えた。
◆不当裁判の法理
過去の判例によると、裁判所に「訴権の濫用」を認定させるためには、まず前訴の提訴に事実的根拠がなかったことを立証しなければならない。この点について、藤井さん夫妻のケースでは、判決がそれを認定している。
しかし、それだけで訴権の濫用が認められるかけではない。前訴の提起に事実的根拠がないことをA家の3人が知り得た事情を、藤井さんの側が立証しなければならない。相手の内面を客観的な事実で解明する必要がある。
このあたりの法理について、最高裁は次のような基準を示している。
「訴えの提起が相手方に対する違法な行為といえるのは、当該訴訟において提訴者の主張した権利又は法律関係(以下「権利等」という。)が事実的、法律的根拠を欠くものであるうえ、提訴者が、そのことを知りながら又は通常人であれば容易にそのことを知りえたといえるのにあえて訴えを提起したなど、訴えの提起が裁判制度の趣旨目的に照らして著しく相当性を欠くと認められるときに限られるものと解するのが相当である。」(判例=昭和63年[1988年]1月26日)
これが訴権の濫用を認定させる裁判の法理なのである。過去に認定された例が極端に少ないゆえんにほかならない。
◆A夫の陳述書や日誌が裏付ける事実
しかし、藤井夫妻のケースでは、元原告が訴訟提起自体に無理があること認識していた可能性を示す有力な物的証拠がある。たとえばA夫に喫煙歴があった事実を裏付ける書面の存在である。それは前訴でA夫が提出した陳述書である。
「私は、タバコを吸っていた頃は、妻子から、室内での喫煙は、一切、厳禁されていましたので、ベランダで喫煙する時もありましたが、殆どは、近くの公園のベンチ、散歩途中、コンビニの喫煙所などで喫煙し、可能か限り、人に配慮して吸っておりました」
副流煙の発生源として将登さんの責任を問うていながら、実はA夫自身がスモーカーだったのだ。当然、家族もそれを知っていたと考えるのが理にかなう。実際、引用した陳述書の中で、A夫はA妻から喫煙を注意されたと告白している。
A夫の禁煙歴が発覚したのは偶然だった。この裁判を取材していたわたしが、A家の弁護士を取材したところ、A夫の喫煙歴を認めたのだ。その後、A夫みずからが陳述書(上記)でそれを告白したのである。喫煙歴を隠していたことが、裁判に不利に作用することを見越して取った措置だと思われる。作田医師に対しても、A夫は自らの喫煙歴を告げていなかった。
また、前訴の本人尋問を通じて、A夫の喫煙歴が約25年に及ぶことも分かった。提訴の直前まで吸っていたという目撃証言もある。
さらにA夫が前訴で裁判所に提出した日誌(約3年分)も、前訴に事実的根拠がないことを家族3人が認識していた物的な証拠になりそうだ。この日誌には、将登さんが自宅に不在のときに、煙草の臭いがするという記述が少なくとも38箇所ある。その一部を引用してみよう。
「午後4時将登氏、車で外出する。しかし、いつもの臭いの煙草臭入ってくる。風、B、藤井から千葉方向に流れている。(リボンで確認)」(平成30年7月20日)
「8時30分、将登車なし、将登不在のようだ。しかし花のような臭いのタバコ相変わらず入ってくる、独特の臭い、国産のとげとげしたタバコではない」(平成30年8月8日)
「朝9時位から将登の車なし、しかし、甘酸っぱいお香の様な臭いがする。将登不在でも藤井家でタバコを喫っている人がいる。風は西から東へ相変わらず吹いている。」(令和元年11月23日)
つまり将登さんとは別の人物が煙草を吸っていることを認識していながら、将登さんに対して損害賠償を求めたのである。
ちなみに敦子さんと娘さんは非喫煙者である。前訴の被告ではない。4500万円の請求は、将登さんに対してのみ行われたのである。
他にも将登さんを被告とした提訴に根拠がないことを立証する証拠は複数ある。
◆司法制度改革の失敗
小泉元首相を長とする司法制度改革が始まった後、些細なことで訴訟を提起する風潮が広がった。それはますますエスカレートしている。IWJの岩上安身氏や水道橋博士もこうした時代の波に巻き込まれた。
被告にされた側は、提訴により有形無形のストレスにさらされる。精神的にも経済的にも損害を被る。
こんな時代、軽々しい提訴を防止する意味でも、藤井夫妻の「反訴」は重要なプロセスなのである。







