
現在では影が薄くなったが、かつて悪質な新聞拡販が横行した時代がある。ビール券や洗剤をエサにして、新聞の購読契約書に捺印させる。拡販員から恫喝されたという話も絶えなかった。新聞拡販は水面下の社会問題として、認識されていた。
新聞販売の世界には、暴力団が根を張っているのではないかとの見方もあった新聞販売の世界とならず者のかかわりを調べる最も簡単で効率的な方法は、新聞販売の業界団体が温泉地で開催する総会の日程をあらかじめ把握しておき、当日に現地へ足を運ぶことだ。
総会が終わると、100人とも200人ともつかない新聞人が、宴会の前の時間帯を利用して、一斉に大浴場へ殺到する。その現場に足を運ぶと、必ず湯けむりの中に桜や魚の入れ墨が現れる。写真撮影はできないが、新聞業界の裏側がビジュアルに観察できる。
「立派な入れ墨ですね」筆者は、新聞社の販売局員がそんなおせじを言うのを聞いたことがある。この話をある雑誌に書いたところ、没にはならなかったが、以後、一切連絡がなくなった。
これがジャーナリズムをうんぬんしている団体が発行する雑誌なのだから、ある意味では驚きに値する。だが、タブーとはそうしたものなのだ。

◆ABC部数は数字自体に「押し紙」が含まれている
田所 ではABC部数はどうなのでしょう。ABC部数は新聞社が自己申告するのですよね。
黒薮 ABC部数にも「押し紙」が含まれています。ABC部数が減っていることを捉えて「新聞が衰退している」と論じる人が多いのですが、正確ではありません。ABC部数は数字自体に「押し紙」が含まれているからです。「押し紙」を整理しなければABC部数は減りません。正しくは実売部数が減少しているかどうかで、「新聞が衰退している」かどうかを判断する必要があります。このような観点からすると、新聞社の経営は相当悪化しています。
田所 新聞は自分ではそのようなことを書きませんね。
◆販売店は奴隷のような扱いを受けている
黒薮 本当に販売店は奴隷のような扱いを受けています。たとえば販売主さんが、新聞社の担当社員の個人口座にお金を振り込まされたケースもあります。この事実については、店主さんの預金通帳の記録で確認しました。
田所 個人口座へですか。
黒薮 新聞社の口座に振り込むのであればいいけども、その店を担当している担当社員の個人口座に振り込んでいます。平成30年だけで少なくとも300万円ほど振り込まされています。それくらい無茶苦茶なことをされています。
田所 売り上げの全額ではないですね。一部を「私に寄こせ」と。
黒薮 証拠があるからその新聞社の広報部に資料を出して、内部調査するように言っているのですが、調査結果については現時点では何も言ってきていません。足元の問題には絶対に触れません。
◆新聞社の体質を変えなければ、今題は解決しない
田所 逮捕されたら未決の人でも追っかけて報道するくせに、自分たちが取材されると逃げ回って答えない。不思議なことですが、私も同様の苦い経験があります。
黒薮 新聞社の人は、会社員としての意識しかないようです。それでは何のために記者になったのか意味がないと思います。後悔すると思いますよ。大問題があるのに黙ってしまったことに。記者を辞めて年を取ってから後悔すると思います。
田所 でも、後悔する人はまだ救われるでしょう。途中でそんなことたぶん考えなくなるのではないですか。メディア研究者の中にも「頑張っている記者を応援しましょう、ダメな記事には批判のメールや抗議をしましょう」という人は結構います。私にはそのような行為が有益だとは思えません。優秀な記者を応援して、ダメな記事を批判しても、新聞社の体質が変わるわけではないでしょう。「押し紙」を含め新聞社の体質を変えなければ、今題は解決しないと思います。
◆紙の新聞が無くなったから、自動的にネットのメディアが良くなるという訳ではない
田所 「新聞社の中ではそういう声は社内に広まるのです」という記者がいるのです。「新聞社は外部からの声にデリケートだ」という記者の人がいますが、私は嘘だと思っています。そんなことで良くなるのであれば、もっとましな新聞社になっているでしょう。経営構造の問題と「腰抜け」というか、そもそもジャーナリズムの意味が解っていない人、ジャーナリズムの仕事をしてはいけない見識・知識・問題解析能力・社会的態度を持ち合わせない人がたくさんその仕事に就いてしまっている。あるいは最初は志があっても挫けてしまう。これが合わさると日本の新聞には未来はない、ということですか。
黒薮 新聞に未来はないでしょうね。紙面内容もよくないし、「紙」という媒体も時代遅れです。これに対してインターネットは、賢明な人が使えば、使い方によっては強いメディアになるでしょう。
田所 ポイントは使い方ですね。情報量は膨大ですが使い方を知らないと、自分の趣味趣向のところに偏って、テレビのチャンネル位しか選択の幅がなくなってしまう性格もあります。問題意識と関心があれば発掘できるとても便利なものですが、意思がないと全く活かしきれない。たとえば動画投稿サイトなどは、一見自由に見えますが実はかなり細かい規制があったりする。決して自由な言語空間ではない。
黒薮 紙の新聞が無くなったから、自動的にネットのメディアが良くなるという訳ではない。そこもコントロールされて行きますからどうするかを考える必要があると思います。模範的な例としてはやはり、ウィキリークスがある。ああいうものが出てくると困るから設立者のジュリアン・アサンジンさんが逮捕され、懲役175年の刑を受ける可能性が浮上しているのでしょう。
◆2002年度の毎日新聞の「押し紙」は36%
田所 『週刊金曜日』の元発行人北村肇さんにかつてお話を伺いました。望ましいジャーナリズムの形は組織ジャーリストと中間規模のジャーナリズムとフリーランスが一緒になって、それぞれができることが違うのでチームを組めばよい成果を上げられるのではないかと指摘されました。ミニマムですが滋賀医大問題で元朝日新聞の出河雅彦さん、毎日放送、元読売新聞記者でのちにフリーライタに転身され昨年亡くなった山口正紀さん、そして黒薮さんに『名医の追放』(緑風出版)を書いていただき、私も少し加わりました。計画したわけではないですが自然の成り行きで、取材や取り組みができた例ではないかと思います。そのもっとダイナミックなことがインターネット上で実現できれば面白い展開ができる可能性がありますね。
黒薮 北村さんがその話をされたのは初めて聞きました。北村さんといえば毎日新聞の内部資料「朝刊 発証数の推移」を外部に流した方です。もう亡くなっているから言いますが、この資料を外部へ持ち出したのは間違いなく北村さんです。新聞の発証数(販売店が発行した新聞購読料の領収書の数)と新聞のABC部数を照合すると「押し紙」の割合が判明します。それによると2002年度の毎日新聞の「押し紙」は、36%でした。(【試算】毎日新聞、1日に144万部の「押し紙」を回収、「朝刊 発証数の推移」(2002年のデータ)に基づく試算 | MEDIA KOKUSYO)
田所 あの人だったらやると思います。
黒薮 毎日新聞の内部資料が外部へ流れたのは、北村さんがちょうど社長室にいらした時ですから、間違いなく北村さんでしょう。
田所 これは全然名誉毀損ではないですね。ジャーナリストとして北村さんへの尊敬の念ですね。
黒薮 その通りです。流出のルートもわかっています。最初は、さっきお話した滋賀県の沢田治さんに流しました。沢田さんから私のところに来て『Flash』や『My News Japan』などが記事にしてくれました。北村さんは自分の考えをそういう形で実践した人です。
田所 短い時間でもこちらが望む以上の答えをいつも頂けたのが北村さんでした。でも、あのように貴重な方から亡くなっていって。
黒薮 残念です。数少ない誠実な人です。(つづく)

17日に読売新聞の「押し紙」裁判の判決が福岡地裁であった。早朝に空路、東京から福岡へ飛び、裁判所で判決の言い渡しを聞いた。残念ながら原告(元店主)の敗訴だった。詳細は改めて報告するが、判決を聞きながら日本の公権力が新聞社を手厚く保護しているという確信を深めた。
が、冷静に考えれば、かりに元店主の訴えてが認められていれば、日本の新聞業界は崩壊する。
「押し紙」が普遍的な問題であるからだ。日本は大混乱に陥る。癌が完全に切除され、公権力から独立したジャーナリズムが台頭する土壌が生まれるわけだから、「日本革命」の前兆になりかねない。
意外に認識されていないが、新聞・テレビは、公権力を維持するための世論誘導装置にほかならない。戦前からそうだった。戦後、「民主主義」の仮面をかぶった変革が起きたような錯覚が広がったが、実は何も変わっていないのだ。
「民は愚かに保て」の原理が、ちゃんと生きているのだ。ジャーナリズムの問題は、やはりジャーナリズムで決着をつける必要がある。司法だけが戦いの土俵ではない。
日本新聞協会の新聞人は冒頭の写真が物語る「押し紙」の事実をどう説明するのだろうか?

大阪地裁が4月20日に下した読売「押し紙」裁判の判決を解説する連載の3回目である。既報したように池上尚子裁判長は、読売による独禁法違反(「押し紙」行為)は認定したが、損害賠償請求については棄却した。
読売が独禁法に抵触する行為に及んでいても、原告の元店主に対しては1円の損害賠償も必要ないと判断したのである。
連載3回目の今回は、「押し紙」の定義をめぐる争点を紹介しておこう。結論を先に言えば、この論争には2つの問題を孕んでいる。
①池上裁判長の「押し紙」の定義解釈が根本的に間違っている可能性である。
②かりに解釈が間違っていないとすれば、公正取引委員会と新聞業界の「密約」が交わされている可能性である。
◆新聞特殊指定の下での「押し紙」定義
一般的に「押し紙」とは、新聞社が販売店に買い取りを強制した新聞を意味する。たとえば新聞購読者が3000人しかいないのにもかかわらず、新聞4000部を搬入して、その卸代金を徴収すれば、差異の1000部が「押し紙」になる。(厳密に言えば、予備紙2%は認められている。)
しかし、販売店が、新聞社から押し売りを受けた証拠を提示できなければ、裁判所はこの1000部を「押し紙」とは認定しない。このような法理を逆手に取って、読売の代理人・喜田村洋一自由人権協会代表理事らは、これまで読売が「押し紙」をしたことは1度たりともないと主張してきた。
これに対して原告側は、新聞の実配部数に2%の予備紙を加えた部数を「注文部数」と定義し、それを超えた部数は理由のいかんを問わず「押し紙」であると主張してきた。たとえば、新聞の発注書の「注文部数」欄に4000部と明記されていても、実配部数が3000部であれば、これに2%を加えた部数が新聞特殊指定の下で、特殊な意味を持たせた「注文部数」の定義であり、それを超過した部数は「押し紙」であると主張してきた。
この主張の根拠になっているのは、1964年に公正取引委員会が交付した新聞特殊指定の運用細目である。そこには新聞の商取引における「注文部数」の定義が次のように明記されている。
「注文部数」とは、新聞販売業者が新聞社に注文する部数であって新聞購読部数(有代)に地区新聞公正取引協議会で定めた予備紙等(有代)を加えたものをいう。
当時、予備紙は搬入部数の2%に設定されていた。従って新聞特殊指定の下では、実配部数に2%の予備紙を加えた部数を「注文部数」と定義して、それを超える部数は理由のいかんを問わず「押し紙」とする解釈が成り立っていた。発注書に記入された注文部数を単純に解釈していたのでは、販売店が新聞社から指示された部数を記入するように強制された場合、「押し紙」の存在が水面下に隠れてしまうからだ。従って特殊な「押し紙」の定義を要したのだ。公正取引委員会は、「注文部数」の定義を特殊なものにすることで、「押し紙」を取り締まろうとしたのである。
1999年になって、公正取引委員会は新聞特殊指定を改訂した。改訂後の条文は、次のようになっている。読者は従来の「注文部数」という言葉が、「注文した部数」に変更されている点に着目してほしい。
3 発行業者が、販売業者に対し、正当かつ合理的な理由がないのに、次の各号のいずれかに該当する行為をすることにより、販売業者に不利益を与えること。
一 販売業者が注文した部数を超えて新聞を供給すること(販売業者からの減紙の申出に応じない方法による場合を含む。)。
二 販売業者に自己の指示する部数を注文させ、当該部数の新聞を供給すること。
◆「押し紙」の定義の変更

ジャニー喜多川の性癖が引き起こしたパワハラにようやくマスコミの光があたった。とはいえ報道のタイミングがあまりにも遅すぎる。この問題は元々、鹿砦社が1990年代に掘り起こしたものである。つまりタイミングが25年ほど遅れているのだ。
本来、ジャーナリズムは同時代を報じるものだ。しかし、日本のマスコミは、少しでも報道のリスクがあれば、安全を確認するまでは絶対に動かない。
統一教会の報道もそうだった。「押し紙」問題に至っては50年前から沈黙を守っている。生物の性別を攪乱する環境ホルモン-化学物質による汚染問題は、今世紀の初頭には熱心に報じていたが、ある時期から報じなくなり、現在はLGBTの問題だけを切り離して個別に報じている。
報道のタイミングを誤ると、社会に警鐘を鳴らす意味がなくなる。

このところマスコミが病的にクローズアップしているのがLGBT問題である。LGBTは持って生まれた生物学的な性質だから、差別は許されないし、差別する意図もないが、次から次へと洪水のようにLGBT問題を突きつけられると、さすがに違和感を感じる。
差別問題を逆手にとって、異論を唱えるものを法律や警察権力で取り締まる体制を構築する国策が背景にあるのではないかと疑ってしまう。
かつては民族差別の問題を利用して、言論を規制する空気が広がったことがある。また喫煙者に対して「撲滅キャンペーン」を張ることで、やはり管理社会の地固めをしたこともある。これについては、藤井敦子さんの活躍で完全に頓挫したが。
生物の性に生物学的な変化が顕著に現れはじめたのは、遠い昔のことではない。『奪われし未来』は、化学物質の汚染による影響で、性別があいまいになっている鳥類などの事例を紹介して、現代文明に警鐘を鳴らしている。
化学物質や電磁波による生活圏の汚染は、生物学的な観点からはLGBT問題と副次的なかかわりがあり、考察すべきテーマだが、こちらの方にはさっぱり光が当たらない。タブー視して、放置できる問題ではないはずだが。大企業の巨大な権益が背景に絡んでいるからだろう。『奪われし未来』の再読を。
水面下で恐ろしいことが起きている。

軍事大国化に舵を切っている日本の実態をTIMEが取り上げる。安倍内閣が終われば軍事大国化は防止できると考えていた人が多いが、実際は同じ路線を走っている。新自由主義の導入と軍事大国化の方針は、小泉構造改革の時代からまったく変化していない。同じ方向で加速している。
こうした実態をマスコミはほどんど認識していなかった。安倍政権に批判的なマスコミも、漠然と安倍政権が終われた日本は変化すると考えていたようだ。
そもそも日本が現在の迷路に迷い込む糸口を作ったのは、小沢一郎氏である。1990年代に小沢が自民党を飛び出して新進党を結成し、2大政党制の路線を敷いた。小選挙区制を導入し、保守の2大政党制を確立したのである。山口二郎らの政治学者らが熱心にそれをサポートした。マスコミもこうした体制を支持した。その結果、国民は完全に洗脳された。
小沢や山口の責任は重大だ。1990年代の初頭に彼らがやったことについて、この2人は今どう考えているのは問うてみたいものだ。

新聞社が「押し紙」政策を続ける最大の理由は、この制度を廃止すれば、新聞社経営の規模にみあった財源が確保できなくなる事情がある。ジャーナリズムよりも、新聞社の存続を優先して、「押し紙」を延々と続けてきたのである。記者の年収を400万円程度に減額して、ジャーナリズムを最優先する道もあったはずだが、そんな勇気もなかった。
少数の例外はあるにしても、新聞社の幹部になるような人は、記者としては実績がない層なので、経営者に転じて社のトップに上りつめる。ジャーナリズム活動は、経営上の汚点があれば展開できないことをまったく理解していない。その結果、延々と「押し紙」政策を続けているのである。
ジャーナリズムの原理を理解している記者が社長になれば、日本の新聞社は現在のような惨憺たる状態にはならなかった。新聞社の社長には、本多勝一氏のような人物がなるべきだったのだ。そうなれば、政府の要人と当たり前に会食して情交関係を深めるような事態は生まれなかった。
記者であれば会食よりも、調査報道に時間を割くべきなのだが、元々ジャーナリストではないから、もとよりそんな考えもない。
結局、新聞社の人事制度を改めなければ、「押し紙」問題は解決しない。調査報道の実績がないものは、社の幹部から排除すべきなのだ。ところが最近は、実績のある記者は、早期退職する傾向があるようだ。これではますます新聞社がおかしくなる。

4月20日に大阪地裁が下した「押し紙」裁判の判決を解説しよう。前回の記事(「読売新聞『押し紙』裁判〈1〉元店主が敗訴、不可解な裁判官の交代劇、東京地裁から大阪地裁へ野村武範裁判官が異動」)で述べたように、判決は裁判を起こした元店主の請求を棄却し、逆に被告・読売新聞の「反訴」を認めて、元店主に約1000万円の支払いを求める内容だった。
5月1日、元店主は判決を不服として大阪高裁へ控訴した。(※判決全文は文尾からダウンロード可能)
この判決を下したのは池上尚子裁判長である。池上裁判長は、カウンター運動のリーダー・李信恵と鹿砦社の裁判に、途中から裁判長として登場して、原告の鹿砦社を敗訴させ、被告・李信恵が起こした「反訴」で鹿砦社に165万円の支払い命令を下した人物である。幸いに高裁は、池上判決の一部誤りを認め、賠償額を110万円(+金利)に減額し、池上裁判長が認定しなかった李信恵らの暴力的言動の最重要部分を事実認定した。(※池上尚子裁判長が関わった鹿砦社対李信恵訴訟に関しては本記事文末の関連記事リンクを参照)
読売「押し紙」裁判の池上判決で最も問題なのは、読売による「押し紙」行為を独禁法違反と認定していながら、さまざまな理由付けをして、損害賠償責任を免責したことである。読売の「反訴」を全面的に認め、元店主の濱中勇志さんに約1000万円の支払いを命じた点である。読売の「押し紙」裁判では、「反訴」されるリスクがあることをアピールしたかったのだろうか。
池上判決のどこに問題があるのか、わたしの見解を公表しておこう。結論を先に言えば、木を見て森を見ない論理で貫かれており、商取引の異常さから環境問題、さらにはジャーナリズムの信用にもかかわる「押し紙」問題の重大さを見落としている点である。評価できる側面もあるが、わたしは公正な判決とは思わない。判決は間違っていると思う。
◆「押し紙」による独禁法違反を認定

新刊の『新聞と公権力の暗部』-(「押し紙」問題とメディアコントロール)《鹿砦社》の書店販売が開始された。
この本は新聞ジャーナリズムが機能しなくなった原因が、新聞社のビジネスモデルの中にあることを論じたものである。新聞社は「押し紙」によって莫大な利益を得ている。わたしの試算では、業界全体で年間に少なくとも932億円の不正な金が新聞社に流入している。
公権力機関がこの点に着目して、故意に「押し紙」問題を放置すれば、暗黙のメディアコントロールが可能になる。新聞は世論誘導の巧みな道具に変質する。
このあたりのからくりをわたしは本書で容赦なく暴露した。
とかく新聞が堕落した原因を、記者個人の資質や職能の問題と捉える風潮があるが、本書はその原因を新聞のビジネスモデルの中に潜む客観的な問題に求めた。
またこれまでわたしが著した「押し紙」問題の書籍の反省点も踏まえて、バブル期における「積み紙」の存在を認めるなど、新聞業界の実態をより客観的に把握している。「押し紙」問題を扱いながらも、本書のテーマは、公権力機関によるメディアコントロールのからくりである。
タイトル:『新聞と公権力の暗部』-(「押し紙」問題とメディアコントロール)
価格:1300円+消費税
版元:鹿砦社
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4月20日、読売新聞の元店主・濱中勇さんが読売新聞社に対して大阪地裁に提起した「押し紙」裁判の判決があった。
判決内容の評価については、日を改めてわたしなりの見解を公開する。本稿では判決の結論とこの裁判を通じてわたしが抱いた違和感を記録に留めておく。ここで言う違和感とは、判決の直前にわたしが想像した最高裁事務総局の司法官僚らの黒幕のイメージである。
まず判決の結論は、濱中さんの敗訴だった。濱中さんは、「押し紙」による被害として約1億3000万円の損害賠償を請求していたが、大阪地裁はこの請求を棄却した。その一方で、濱中さんに対して読売への約1000万円の支払を命じた。補助金を返済するように求めた読売の主張をほぼ全面的に認めたのである。
つまり大阪地裁は、「押し紙」の被害を訴えた濱中さんを全面的に敗訴させ、逆に約1000万円の支払を命じたのである。
◆権力構造の歯車としての新聞業界
判決は20日の午後1時10分に大阪地裁の1007号法廷で言い渡される予定になっていた。わたしは新幹線で東京から大阪へ向かった。新大阪駅で、濱中さんの代理人・江上武幸弁護士に同行させてもらい大阪地裁へ到着した。判決の言い渡しまで時間があったので、1階のロビーで時間をつぶした。そして1時が過ぎたころに、エレベーターで10階へ上がった。【続きはデジタル鹿砦社通信】

大阪地裁は、4月20日、読売新聞の元店主・濱中勇さんが読売新聞社に対して大阪地裁に提起した「押し紙」裁判の判決を言い渡した。結果は、濱中さんの敗訴だった。しかし、判決の中で裁判所は、読売による新聞特殊指定第3項2号違反を認定しており、今後の「押し紙」問題の進展に大きな影響を及ぼしそうだ。
新聞特殊指定第3項2号とは、新聞社が「販売業者に自己の指示する部数を注文させ、当該部数の新聞を供給する」行為である。しかし、「押し紙」に対する損害賠償責任は免責しており、論理の整合性が完全に欠落している。
この判決について「押し紙」弁護団の江上武幸弁護士が報告文を公開したので、以下、掲載しておこう。
■報告書
読売新聞押し紙訴訟 大阪地裁判決のご報告
令和5年(2023)4月吉日
弁 護 士 江 上 武 幸
4月20日(木)午後1時10分、大阪地裁本館10階の1007号法廷で、広島県福山市の読売新聞販売店元経営者の濱中さんを原告、読売新聞大阪本社を被告とする1億2370万円の損害賠償を求める押し紙裁判の1審判決が言い渡されました。
福岡から私、東京から黒藪さんの二人が判決を聞くために大阪に出向きました。原告の濱中さんは仕事のため立会うことは出来ませんでした。
法廷にはいる前に、入り口横の掲示板に貼られた3人の裁判官の名前を見て、黒藪さんが「アッ」と声を上げました。
そして、「この裁判長は、東京地裁で産経新聞の押し紙裁判の敗訴判決を言い渡した裁判長です。」と言って野村武範裁判官の名前が書かれている、掲示板を指さしました。
その瞬間、私と黒藪さんは濱中さんの押し紙裁判の敗訴判決を確信しました。
野村裁判官は、名古屋地裁から東京高裁に転勤して、わずか40日ほどで再び東京地裁に転勤になり、51部ある民事部の中で、産経新聞の押し紙訴訟を担当する部に配属され販売店の敗訴判決を言い渡しています。
その、野村裁判官が、今度は東京地裁から大阪地裁に転勤して、26部ある民事部の中で、読売新聞の押し紙訴訟を担当する24部に配属になり、濱中さんの敗訴判決を言い渡しています。
2022年4月の京都地裁の日経新聞の押し紙敗訴判決や、同年8月の東京地裁の読売新聞の押し紙敗訴判決などでも、不思議な裁判官の人事異動や日程の変更などが相ついでみられています。
このような裁判官の特異な人事異動は、裁判の公正と司法に対する国民の信頼を大きく損なうもので、裁判所の内外を問わず何らかの形で問題提起する必要性が高まっていると思います。
ネット社会が広がっていますので、このようにネットに情報発信することで世論が喚起することを大いに期待しているところです。
ところで、本件判決には読売新聞の押し紙裁判ではこれまで見られなかった注目すべき判断が示されています。
判決は、濱中さんが前経営者から販売店を引き継いだ平成24年(2012)4月の供給部数1641部の内、配達されない残紙が約760部程度含まれていたことを指摘し、この残紙は平成11年告示の新聞特殊指定第3項2号違反の「注文部数指示行為」該当するとの判断を示したのです。
驚きの事実認定でした。というのも、読売新聞は、これまで一部たりとも独禁法違反の押し紙は存在しないと公言していたからです。今回、裁判所が認めた残紙の割合は46パーセントにも及びます。
私どもは、平成20年(2008)頃、福岡県筑後地区の読売新聞販売店の依頼を受けて、不要な新聞の減紙を申し入れたことがありますが、その当時も残紙の割合は4~50パーセントに及んでいました。
今回の判決は1000万部を豪語する読売新聞にこのような大量の残紙があることを裁判所が認めたもので、画期的判決と評してよいと思います。
しかし、残念なことは、せっかく独禁法違反の押し紙を認定したにもかかわらず、不法行為にも公序良俗にも法令遵守義務違反にもあたらないとして濱中さんの請求を棄却したことです。
誰が考えても、押し紙はコンプラアンス違反であり、不法行為であり、折込み広告料の詐欺行為であり公序良俗に反し無効であることは明らかです。
大阪高裁に控訴することになりますが、高裁裁判官が法と良心にのみ基づいて地裁判決を見直してくれれば、必ずや濱中さんを勝訴に導くことが出来ると確信しています。
濱中さんは、読売新聞社に押し紙をやめさせ、現役の販売店経営者が胸をはって新聞配達の仕事ができるようになることを願ってこの裁判を提訴されています。来月5月には、福岡地裁で読売新聞西部本社を被告とする押し紙裁判の判決も言い渡される予定です。
引き続き、他の押し紙裁判についても、皆様のご支援のほどをよろしくお願い申し上げます。
■この裁判の判決については、明日付けの「デジタル鹿砦社通信」で改めて報告します。また、近々に判決の全文を公開します。
■ウルグアイのプレス協会へも、「押し紙」問題やメディアと政界の融着を報告しました。
