2013年03月06日 (水曜日)

新聞の偽装部数の規模はどのように変化してきたのだろうか。日本ではじめて比較的まとまったデータが公になったのは、1982年3月8日のことだった。この日、共産党の瀬崎博儀議員が、衆議院予算委員会で「押し紙」問題を取り上げたのだ。

?(「押し紙」の正確な定義=ここをクリック)

瀬崎議員が暴露したのは、北田資料と呼ばれる読売新聞鶴舞直売所(奈良県)における新聞の商取引の記録である。この記録は、同店の残紙(広義の「押し紙」、あるいは偽装部数)の実態を示すものだった。

瀬崎議員は、国会質問の中で鶴舞直売所における偽装部数の実態について次のように述べている。

これで見てわかりますように、(昭和)51年の1月、本社送り部数791、実際に配っている部数556、残紙235、残紙率29・7%、52年1月送り部数910に増えます。実配数629、残紙数281、残紙率30.9%に上がります。53年1月本社送り部数1030、実配数614、残紙416、残紙率は40・4%になります。(略)平均して大体3割から4割残っていくわけなんです。

◇「押し紙」に関する読売の見解

ちなみに読売は全面的に「押し紙」を否定している。繰り返し「黒書」で引用してきたように、読売の宮本友丘副社長(当時、専務)は、「読売VS新潮」の裁判で、喜田村洋一弁護士の質問に答えるかたちで次のように述べている。

喜田村洋一弁護士:この裁判では、読売新聞の押し紙が全国的に見ると30パーセントから40パーセントあるんだという週刊新潮の記事が問題になっております。この点は陳述書でも書いていただいていることですけれども、大切なことですのでもう1度お尋ねいたしますけれども、読売新聞社にとって不要な新聞を販売店に強要するという意味での押し紙政策があるのかどうか、この点について裁判所に御説明ください。

?? 宮本専務:読売新聞の販売局、あと読売新聞社として押し紙をしたことは1回もございません (注:赤文字は黒薮)

宮本氏が意味する「押し紙」とは、新聞社が定義している狭義の「押し紙」のことである。買い取りを強制したことが立証できる新聞である。

◇「押し紙」回収業者・ウエダ ?

同じ国会質問の中で、瀬崎氏は大阪府に本部がある「押し紙」回収業者・ウエダの実態も暴露している。

北田さんの場合もまたウエダが回収に回っておるのです。(資料)?はそのウエダの残紙回収の伝票であります。ごらんください。ものすごいですね。55年の上半期だけちょっととってみますと1万8000キロ、1ケ月平均3000キロの回収なんです。当時はわりと古紙の高いときだった。10キロ300円前後で、この残紙によって1月9万円の収入があがっておるのですよ。

この9万円で北田店主は、偽装部数で生じる損害を相殺していたと思われる。しかし、相殺手段は、他にもあったと推測される。常識的に考えると、折込チラシが水増し状態になっていた可能性が高く、断言はできないものの、それによる折込チラシ収入で、損害を相殺していたと推測される。読売が「押し紙」を全面否定するゆえんではないか?

しかし、わたしが問題視しているのは、残紙の中身が新聞社が定義する「押し紙」か、それとも「積み紙」かという点ではない。公称部数と実配部数の間にかい離があり、それが広告主の利益を阻害していることを問題にしているのだ。

2013年03月05日 (火曜日)

大阪地裁は2月13日、広告代理店「アルファトレンド」が広告主である医師から受注した産経新聞と毎日新聞に折り込む35万枚のチラシのうち、新聞販売店に搬入される前段階で5万部を「中抜き」していた事実を認定した。この5万部は、印刷の発注もせず経費を浮かせていた。折込チラシの水増しを疑った医師が折込手数料の支払いをペンディングしたのに対抗して、代理店が裁判を起こしたところ、逆に法廷で証拠を突きつけられ、代理店の不正行為が認定された。

代理店側は控訴したが、折り込み広告の偽装配達部数が確定したら、新聞業界全体に決定的なダメージを及ぼしかねない。医師はどうやって証拠を押さえ、偽装部数を暴いたのか。折り込みチラシ中抜きの実態を詳報する。(判決文はPDFダウンロード可)【続きはMNJ】

◇裁判官の優れた理解力?

この裁判を傍聴する中で、わたしは幾つかの特徴に気づいた。

まず、第1は判事の構成が「合議」になっていなかった点である。裁判官がひとりだったので、責任を持って公平な判断をしたようだ。

第2に高瀬裁判官の理解力が優れていた点である。これまでの「押し紙」に関連した裁判における最大の壁は、新聞の商取引のカラクリを裁判官にわかりやすく知らせることだった。よく理解できない判事が大半で、結局、新聞社の主張を鵜呑みにするパターンが多かった。それが最も無難であるからだ。

ところが大阪地裁の高瀬裁判官は、新聞の商取引を正しく理解していた。その証拠に判決の中でも、「押し紙」の定義を広義に使っている。

(「押し紙」の正しい定義=ここをクリック)??

山陽新聞の「押し紙」で、販売店を勝訴させた岡山地裁の山口裁判長も、やはり理解力に優れ、判決の中で「押し紙」の定義を正しく使っていた。

 

2013年03月04日 (月曜日)

3月1日は、YC久留米文化センター前の強制改廃事件の5周年である。2008年のこの日、読売新聞社の3人の社員が事前連絡もせずに同店に足を運び、改廃通告を読み上げてあっさりと平山春夫店主(故人)を首にした。

その後、読売関係者が翌日に折込予定になっていたチラシを店舗から持ち去った。この行為を指してわたしは「新聞販売黒書」で「これは窃盗に該当し、刑事告訴の対象になる」と評価した。平山店主に精神的な強打をあたえた後、チラシを搬出したから、比喩的に「窃盗に該当」と評価したのである。

これに対して読売西部本社と3人の社員は、名誉を毀損されたとして総計2230万円のお金を支払うように要求して裁判を起こした。さらに読売は、改廃に際して、平山氏が店主としての地位を保持していないことを確認する裁判を起こしている。

◇裁判の読売

このように3月1日という日は、渡邉恒雄氏が率いる読売の体質を象徴する日である。読売は、わたしや平山氏だけでなく、その後、反対言論に対しては、ジャーナリズムではなく、裁判で対抗する傾向を顕著にしている。

たとえば七つ森書館に対する一連の裁判。清武英利氏に対する一連に裁判、などである。わたしに対しては3件の裁判を仕掛けた。

これらの裁判を自由人権協会の代表理事・喜田村洋一弁護士や3名の元最高裁判事が再就職(広義の天下り)しているTMI総合法律事務所の弁護士がサポートしている事実も重大な考察事項である。

さて、5回目の3月1日を直前にした2月26日、 最高裁第3小法廷(田原睦夫裁判長)は、抜群のタイミングでわたしを被告とする上記裁判の上告を棄却する決定を下した。 ? ? この裁判は地裁と高裁がわたしの勝訴。最高裁の第3小法廷がわたしを敗訴させて、読売を逆転勝訴させる判決を下し、高裁判決を下級裁判所へ差し戻した。これを受けて東京高裁の加藤新太郎裁判長が、わたしに110万円の支払いを命じる判決を下した。そこでわたしは、再び上告した経緯がある。

◇加藤新太郎裁判官に害する疑問

第3小法廷が上告を棄却したことで、最高裁での読売の逆転勝訴が決定したことになる。?  しかし、判決後、加藤裁判長が決めた賠償金の額は、あまりにも不自然ではないかという多数の声が寄せられた。支援金も集まった。    そこで賠償金がいかに不自然であるか、ひとつの判例と比較しながら紹介しよう。まず、次の記事をご覧いただきたい。

警察庁長官銃撃事件で「オウム真理教信者による組織的なテロ」との捜査結果を警視庁が公表したことをめぐる名誉毀損(きそん)訴訟で、東京地裁は15日、被告の東京都に100万円の支払いとともに、謝罪文の交付まで命じた。警視庁OBは「意外な判決」と驚く一方、教団主流派「アレフ」側は「(判決は)当たり前のこと」と改めて警視庁側の対応を批判した。

(全文=ここをクリック)

警視庁が大々的にオウム真理教の信者を殺人者よばわりしたことに対して100万円である。一方、わたしはYC久留米文化センター前の事件で、読売社員の行動を「窃盗に該当」と評価したことに対して、この表現は「事実の摘示」と決めつけた上で110万円の支払いを命じられたのである。

しかも、「窃盗に該当」は、事実の摘示か、それとも評論の表現をめぐって議論になり、地裁と高裁ではわたしが勝訴しているのだ。

確かにわたしの裁判の場合、原告が3人の会社員と1法人(読売西部本社)であった事情が、賠償額を跳ね上げた可能性もある。だが、3人の社員は個人としてではなく、読売西部本社の社員として社の方針に従ってYCを改廃したのである。

と、すればたとえ読売を勝訴させるにしても、西部本社に対する賠償金支払いだけで十分なはずだが、加藤裁判長は3個人に対する賠償も認めたのだ。

ちなみに加藤裁判長は、池田大作氏を被告とする裁判では、訴権の濫用で池田氏を救済している。

(参考記事=ここをクリック)

2013年02月28日 (木曜日)

◆吉竹幸則(フリージャーナリスト・元朝日新聞記者)

前回の本欄で、私は東北赴任の経験からこの国の古き祖先、縄文人のDNAから憲法9条が根付いた訳を考えました。

今回は、東京・政治部記者から理不尽な人事で愛知県・豊田市に赴任・幽閉された時の体験に基づいた話です。実はその時、縄文人が世界史的には類い稀な人類であったのと同様、戦後の日本人は、人類史の中で類い稀な一つの実証をしたことに気が付いたのです。つまり、資源もない小さなこの国を、領土の拡張なしに世界第2位のGNPを持つまでに成長させたことです。

戦時中、空襲でほとんど工場が狙い撃ちされ、戦後、働きたくても働く場所のない焼け野原の中で、人々は立ちすくみました。乏しい資金の中でやっと工場を建て、真面目に働き、技術力を磨いたことが、今の繁栄に繋がったのです。

戦争によって国土を拡げなくても、世界屈指になるまでに国力を伸ばせた……。その基盤が人類の理想とも言える「9条」を堅持する道を世界で初めて切り開いたとも、言えるのではないでしょうか。

ただ、欲に目がくらみ、おごり高ぶったことでバブル崩壊を招き、今ではGNPでも中国に抜かれ、この国は元気を失くしています。でも今は、9条を簡単に捨て去る時ではないと思います。もう一度この国の戦後の歩みを振り返り、人々が自信を取り戻して欲しいのです。

9条で可能になった「軽軍備」が、いかにこの国を支えて来たか。逆に9条によりもたらされた「侵略なき繁栄」が、9条を支える基盤をこの国に作り出したか。「自主独立」とは、何も軍備で独立することだけではないはずです。豊田で私が見たことをヒントに、この国の「戦後の繁栄」の原点は何だったのかを、冷静に見つめ直して戴ければ、いかがでしょうか。

◆社内の派閥力学で豊田支局長に

豊田市は、言うまでもなくトヨタ自動車のお膝元、企業城下町です。前回も書いた通り、私の人事は長良川河口堰報道に携わって以来、常に異例でした。豊田支局長に決まったのは、山形に赴任する5年前、1992年正月でした。

1990年夏、完全に立証を終えていた河口堰の調査報道記事を当時の名古屋・社会部長から止められ、政治部へ転勤になりました。しかし、政治部でも、「人々の知る権利」に応えなければならないジャーナリストの義務からも、何とかこの記事を復活出来ないかと探り続けていました。

当時の建設省がいかにウソを言い、無駄な公共事業を強行しているか。同省の極秘内部文書を多数入手、完全に裏付け証拠がある話です。東京本社の政治部長と社会部長に資料を見せ、説得したところ、やっと了解が得られました。私も含めた政治部・社会部の合同取材班が編成され、「さあ、これで記事になる」と、意気込んだ矢先のことでした。

報道を止め続けた名古屋社会部長から「名古屋で止めた話をどうして東京で復活させるのか」と横やりが入り、中止が決まったのです。

朝日では、東京の部長より、名古屋の部長ははるかに格下です。サラリーマン経験のある方なら分かるはずです。まともな理屈のある話ならともかく、本店の部長同士の決定に支店の部長があらぬ文句をつけたらどうなるか……。通常では、名古屋の部長が東京の部長同士の決定に異論を唱えることも、東京の部長がそれを聞き入れることも朝日の社内常識からは、あり得ない話だったのです。

しかし意外にも、東京の部長はそれに従ったのです。当時、東京本社の廊下ですれ違った東京社会部長は、私の顔を見ると、口にチャックのゼスチャーをして、「身のためだ」と一言言い残し、去って行きました。

その頃すでに朝日は、社内の派閥力学によって、報道以外の価値観が優先される組織になっていました。

それまでも真綿で締められるような感覚から、河口堰報道中止の裏には、隠然たる経営上層部の強い意向が働いているのではないかと、なんとなく感じてはいました。でも、名古屋の部長の個人プレーではないことを、私が改めて確信したのはこの時でした。東京の部長は、名古屋の部長ではなく派閥で繋がった上層部を恐れたからこそ、報道機関として通常あり得ない決定を下した…。私は、そう思うしかなかったのです。

報道中止が決定して間もなく、私に名古屋本社管内の豊田支局長への転勤命令が下りました。名古屋社会部記者として河口堰報道を止められ、政治部に異動になったのですから、1年半ぶりに名古屋本社に舞い戻ったことになります。

「豊田支局」に行って見ると、市役所近くの小さな古ぼけた建物でした。それまで豊田は一人勤務の「通信局」(今の朝日は「通信局」の名称は廃止、一人勤務でも「支局」とし、県庁所在地支局長は「総局長」と改称しています)でした。二人勤務の「支局」に格上げするに当たり、少し建物に手を加えたとはいえ、手狭さは否めません。

人事の名目は、「トヨタとの関係もあり、通信局から支局に格上げしたからには、初代支局長は政治部出身者がいい」と言うことでした。でも、すでに経済部出身の別の人物に初代支局長就任を打診していたことも分かりました。その人物を押しのけ、私を強引にはめ込んだのです。

「支局」と名がついていても、部下のはずのトヨタ担当の支局員は経済部員。支局長には何の指揮権もありませんでした。支局長は従来の一人勤務の通信局長時代と実質何ら変わりはなかったのです。豊田地区の地方行政や事件を取材、地方版に記事を書くのが日課。もちろん、政治部キャップからこうした実質、「通信局長」への異動は、まず前例がありません。

「こんな左遷人事は見たことがない。でも、この部長の天下は長く続かないだろう。しばらく我慢せよ」。私は先輩、同僚から、こう慰められて赴任しました。豊田なら、私を名古屋社会部長の監視下に置ける。豊田地区の話しか書けないから、河口堰報道を蒸し返される心配もない…。名古屋の部長や上層部の人事の狙いは、そんなところにあったのでしょう。

◆豊田市のイメージと実態

でも、前回書いた山形支局への赴任同様、ここでも「人生、いたるところに青山あり」です。何より、私の慢性的睡眠不足がやっと解消しました。朝日に入社して以来、私はそのほとんどを警察や政治、調査報道記者で過ごしてきました。情報源への朝駆け夜回りの連続で、睡眠時間は3?4時間もあればいい方でした。豊田に来て、初めて枕を高くして、ゆっくり寝られたのです。

私は隣町の名古屋に長く住んではいました。でも、それまで豊田を訪れる機会がほとんどありませんでした。赴任するまで、豊田には街中に、トヨタとその関連企業の工場がひしめいていると、すっかり思い込んでいたのです。多分、この欄の読者の方々もそんなイメージで豊田を捉えられていると思います。

しかし、豊田市市域は約920平方キロのうち、実は、工場・住宅のある市街化区域はわずか50平方キロに過ぎません。あとは農地や山林。赴任して初めて、「自然豊かな街」であることを実感したのです。

人のいい市役所の人は、市内山間部で特産の桃や梨などが実ると、宣伝も兼ね、記者クラブにも試食用に持ち込んでくれます。新鮮なおいしい果物を口に出来る「役得」もありました。

一方、豊田市の統計によると、市の工業品出荷額は10兆円6000億円(2010年現在)に上ります。市域の5%ほどに過ぎない市街地の自動車工場などでこれだけの富を生み出せるのです。最近の為替相場で換算すると、1150億ドル余りです。

少し統計の取り方は違いますが、世界全体のGNPは、70兆ドル程。世界1位の米国は、この年、14兆ドル余りです。つまり、広大な米国の国土全体で生産する富の0.8%余りを地球上、米粒にもならない自然豊かな豊田市一市の工業製品で占めていることになります。

今でこそ、トヨタは世界中で生産しています。でも、私が赴任した当時は、豊田市に工場が集中し、世界の中で今以上に、存在感を持っていました。この街から輸出されるトヨタ車は、米国の自動車市場を席巻する勢いがありました。

もちろん、トヨタの隆盛にも光と影の部分があります。私はトヨタを礼賛するつもりはなく、地域のそんな問題を地方版に書いて来たつもりです。でも、資源も少ないこの国の経済を、世界有数にまで押し上げたトヨタを始めとした自動車産業の努力・技術力…。それは素直に評価してもいいと思いました。

◆侵略なき「繁栄」

もちろん自動車産業だけではありません。今は元気を失くしたとはいえ、テレビなどの電子・電気産業も、豊田同様、市域全体から見れば取るに足らない工場敷地で生産し、大きな富を生み出しました。

半面確かに、工場のある都市部への人口の集中は、戦後、過密過疎と言う問題を、この国にもたらしはしました。今、地方には多くの過疎地があります。しかし、このことも考えようによっては、この国は「広い国土」を持て余している証しの一つとも言えるでしょう。

太古から第2次世界大戦までの人類史は、領土の広さが国力を決める時代と言って過言ではありません。古くは、エジプト、ローマ帝国、中国の元……。ヨーロッパで絶えることもなかった戦乱も、農地・領土の拡大争いです。英国も日本と同じ小さな島国ですが、世界に領土・植民地を拡げることで、国の富、国力を高めて来ました。

だから、世界では侵略戦争が横行。その陰で、侵略する側、される側を問わず、双方の兵士だけでなく、争いに巻き込まれた民間人の多くも傷つき、亡くなりました。その家族・肉親の涙で埋め尽くされているのが、人類史です。

しかし、トヨタを始めとしたこの国の企業は、小さな土地に高い技術力を集約することによって、大きな富を生み出しました。領土の広さに比例せずとも、大きな国力をもたらすことを、人類史の中で初めて立証したとも言えるのではないでしょうか。

では、この国に平和・安寧と「侵略なき繁栄」をもたらした、「本当の担い手」とは誰だったのでしょう?

「霞が関の優秀な官僚が、この国を支えて来た」。これは、テレビでしたり顔で話す評論家などからもよく聞く話です。でも、霞が関を取材していても、私にはとてもそのようには思えませんでした。霞が関の官僚自身が流して来た神話・宣伝文句を、無批判な評論家が鵜呑みにして来た結果だと思います

私は豊田に来て、「繁栄の現場」を見つめられたお陰で、本当にこの国を支えてきた人々をトヨタの工場の中で見つけることが出来たのです。中学を卒業して間もなく親元を離れ、貧しい農村から都会に出て来て、真面目に働き続けた「集団就職組」と言われる人たちです。

戦後、ほとんどの工場が空襲で焼けました。「焼け跡闇市」と言われる混乱の中で、人々は希望を失い、立ち尽くしてもいました。でも、米国がプレゼントしてくれた憲法9条のお蔭で、この国は軍事費を抑えることが出来、その分、工場などへ集中投資する余裕がわずかずつでも生まれて来ました。

工場が立ち始めても、この国は主力の働き手を戦場で失っています。経営者が労働の担い手として頼るのは、年端もいかない若者です。「金の卵」とまで言われ、「15の春」で親元から離れ、遠く九州や東北・北海道からも集団就職して来たのです。トヨタやその関連工場に働く人に聞いても、そんな地域に故郷を持つ人が大勢いました。

ご承知のようにトヨタの車は、一人の卓越した研究者・技術者の発明の成果によるものではありません。

こんな若者たちが職場で真面目にコツコツと働き、職場の身近なところから一つ一つ創意工夫、作業手順の改善でコストを削減し、技術力も磨いてきました。その結果、世界有数の生産効率・技術力を実現、ついに自動車王国・米国を凌駕するに至ったのです。

もちろん、トヨタもこうした当時の真面目な若者により担われた工場の一つに過ぎません。全国至るところにこんな若者がいて、工場があった。だからこそ、この国に「侵略なき繁栄」をもたらしたのです。

今、当時の若者は、老人になりました。超高齢化社会の到来で、厄介者扱いもされています。しかし、この人たちは、戦後真面目に働き、この国の礎を築き、多くの富を蓄えました。本来、それで誰に気兼ねもなく、自分たちの老後資金を賄えると考えていたはずです。

◆だれが日本を支えてきたのか?

しかし、官僚たちは、利権で繋がった政治家とともに、私が取材してきた長良川河口堰のように、ウソで固めて無駄な公共事業に多額の国民の血税を投入。大震災が起きた時ですら、救済のための資金がないまでに借金を膨らませ、この国を危機に追いやってしまいました。この人たちが「日本を支えて来た」とは、とんでもない誤解です。

今、私たちが思い出すべきことは、「戦争はこりごり」と、戦後の貧しい中から立ち上がった思い・原点に立ち返ることではないでしょうか。そうすれば、「憲法9条」、「領土拡張なき繁栄」と言う、私たちが戦後築いた人類史の金字塔に思いが至り、「軍事大国」でない「日本の誇り」を取り戻せるはずです。

世界史をもう一度、振り返ってみましょう。権力者たちは、自分たちの欲得で招いた失政で国が立ちいかなくなると、常に「外敵」を求めます。それで、国民の不満の目を自分たちからそらせることが常套手段であることも、すぐに分かるはずです。

今の自民・安倍政権は、自民の3年前までの失政を棚に上げ、またも、途方もない借金を重ねて、公共事業の復活に躍起になっています。一方で、「自主独立」などと、戦後の歩みもまともに勉強していない一部の若者を煽り、憲法9条の改正を目論んでいるのではないでしょうか。

しかし、お札を刷っての景気対策は誰にでも出来ても、長続きするはずはありません。消費税が導入された頃から、メッキが剥げ始め、物価が上がっても賃金は上がらず、経済はますます困窮。ギリシャの二の舞になるのではないかと、私は心配しています。

そんな時、次世代に借金を押し付けつつ、不満をそらすため、「外敵」を作り、若者を戦場に駆り出すのでは、「いつか来た道」です。せっかく9条で世界史に新しい地平を築いたはずのこの国がもう一度逆戻り。もう一度これまでの愚かな世界史の轍を踏むなら、あまりにも悲し過ぎる…。私たちが前世代の苦労・努力も無にすることになるのではないかと思えるのです。

?≪筆者紹介≫ 吉竹幸則(よしたけ・ゆきのり)

フリージャーナリスト。元朝日新聞記者。名古屋本社社会部で、警察、司法、調査報道などを担当。東京本社政治部で、首相番、自民党サブキャップ、遊軍、内政キャップを歴任。無駄な公共事業・長良川河口堰のウソを暴く報道を朝日から止められ、記者の職を剥奪され、名古屋本社広報室長を経て、ブラ勤に至る。記者の「報道実現権」を主張、朝日相手の不当差別訴訟は、戦前同様の報道規制に道を開く裁判所のデッチ上げ判決で敗訴に至る。その経過を描き、国民の「知る権利」の危機を訴える『報道弾圧』(東京図書出版)著者。

 

2013年02月27日 (水曜日)

販売局員のAは、店舗に入ると、2階の事務所へ向かって、

「おはようございます」

と、声をかけた。店主のBさんが階段を下りてくるとA担当は、

「Bさん、玄関先に積み上げてある新聞は何ですか?」

と、尋ねた。

「はあ?」

「これまでわたしに対しては、残紙があることを隠していたのですか?しかも、1000部ぐらいあるじゃないですか?嘘の報告をしていたということですか?こんなことが世間様に知れたら、わが社の新聞ジャーナリズムの信用が地に落ちるではないですか。」

これは新聞社が販売店をつぶすときに使う典型的ないいがかりである。「玄関先に積み上げてある新聞」とは、念を押すまでもなく、偽装部数(広義の「押し紙」)のことである。

既に説明したように、新聞社は、過剰になっている新聞を2つの種類に分けて定義している。「押し紙」と「積み紙」である。

「押し紙」:新聞社が販売店に強制的に買い取らせた新聞。従って、強制的に新聞を買い取らせたという証拠がない新聞は、たとえ店舗に余っていても、「押し紙」ではない。

?「積み紙」:新聞販売店が折込チラシの受注枚数を増やすことを目論んで、自主的に購入した過剰な新聞を意味する。折込チラシの受注枚数は、新聞の搬入部数に準じる原則があるので、「積み紙」が発生する温床があるのだ。

「押し紙」と「積み紙」を総称して、偽装部数という。

新聞社が販売店をつぶしたいときには、販売店が「積み紙」をしていたことを理由として持ち出してくる場合が多い。偽装部数の中身が「積み紙」であることを法的に立証すれば、販売店の強制改廃を正当化できるからだ。

新聞社の弁護士が偽装部数の中身を「積み紙」と主張する根拠にはどのようなものがあるのだろうか。順を追って説明しよう。

まず、主張の大前提として彼らは、「押し紙」裁判になると、必ず「押し紙」と「積み紙」を明確に定義してくる。通常、言葉の定義というものは、実際の社会の中で、その言葉がどのようなニュアンスで使われているかが大前提になるはずだが、彼らは、辞書や特定の団体が机上で決めた言葉の定義を採用する傾向がある。従って、実社会から乖離していることが多い。

言葉の定義を我田引水に解釈した上で、偽装部数の中身が「積み紙」であるという主張を展開する。このような戦略は日本の司法界では極めて有効に作用する。

◆発注伝票の不在

まず、第1に新聞の商取引には発注伝票が存在しないので、店主が「押し紙」を断ったと主張しても、断った決定的な証拠がどこにも存在しない。発注伝票に2000部と記入したのに、3000部が搬入されたなら、1000部を押し付けた証拠になる。

新聞社はあえて発注伝票を使った商取引を導入しようとはしない。発注伝票を定着させてしまうと、店主が自分で注文部数を決める慣行ができ、「押し紙」を断る店主が増えるからだ。それに偽装部数の中身が「押し紙」であるという主張が成立する余地が生じるからだ。

◆虚偽報告という言いがかり

偽装部数の中身が「積み紙」であるという主張を展開するための第2の根拠になっているのは、新聞社が販売店に対して提出を求める部数内訳の報告書である。報告書の中身は、新聞社によって異なるが、ある著しい共通点もある。

それは部数内訳の項目として、「定数(搬入部数)」や「実配部数」、それに「予備部数」といった項目があっても、「押し紙」という項目は絶対的に不在になっていることだ。そのために偽装部数は定数や実配部数に含めて、新聞社に報告する慣行が確立している。理由は簡単で、「押し紙」が独禁法で禁止されているからだ。

たとえば実配部数が2000部で、1000部が「押し紙」であっても、販売店は実配部数3000部と報告せざるを得ない。

ところがこのような報告は、法的に見れば、明らかな虚偽報告である。そこで新聞社の弁護士は、虚偽報告により新聞社との信頼関係が崩壊したので、販売店改廃は正当だと主張してくるのだ。

2013年02月22日 (金曜日)

新聞販売店は、実配部数の卸代金はいうまでもなく、偽装部数で生じる卸代金をも新聞社に納金する。そうすると偽装部数が増えれば増えるほど、卸代金の負担もかさむ。

偽装部数の比率が全体の10%前後であればまだしも、40%、あるいは50%にもなった場合、大きな負担が店主の肩にのしかかる。改めて言うまでもなく、偽装部数は読者がいないので購読料を生まない。そこで卸代金はすべて販売店の自己負担になる。

そこで採用されている対策が2つある。  まず第1は、「連載の第3回」で言及したように、補助金の投入である。販売店は新聞社から支給された補助金を偽装部数の買い取り資金として転用するのだ。

しかし、読者は次のような疑問を呈するかも知れない。新聞社は補助金を支給して販売店に偽装部数を買い取らせる代わりに、偽装部数をなくす方が合理的ではないかと?無駄がないのではと?

当然の疑問である。が、補助金を廃止して偽装部数をなくせば、新聞の公称部数も減じて、紙面広告の媒体価値が低下する。それゆえに偽装部数を販売店へ送り込み、それによって生じる販売店の損害を補助金でサポートする制度を採用しているのだ。

つまりここには新聞社と販売店の共犯関係がある。

たとえば、毎日新聞豊中販売所における2007年1月の搬入部数は1790部だった。一方、実配部数は450部。差異の1340部が偽装部数だった。

毎日新聞社からの請求額は、総部数に対する約397万円である。しかし、毎日新聞社は46万円の補助金を支給した。この補助金により販売店の負担が46万円軽減されたが、それでも約351万円の赤字になる。

◆折込チラシの水増し

そこで登場するのが、折込チラシの水増しである。全店で折込チラシの水増しが行われているとは限らないが、わたしが取材した限り、かなりの店が折込チラシの水増しを行っている。同情的に見れば、偽装部数で生じる損害を相殺するための措置である。

既に述べたように、折込チラシは原則として、偽装部数に準じる。次の例に注目してほしい。

実配部数: 2000部

偽装部数: 1000部 

折込チラシ:3000枚

この場合、1000枚分の折込チラシが水増し状態になっている。この1000枚で発生する不正な収益は、偽装部数による損害を相殺するために使われる。もちろんこのような行為は刑法上の詐欺にあたる。

次に紹介するYOUTUBEの画像は、住民が折込詐欺の現場を撮影したものである。

◆住民が折込詐欺の現場を撮影  

山陽新聞の「押し紙」裁判は、2008年に提起された。販売店が勝訴した唯一の例である。裁判の中で驚くべき実態が明らかになった。

ビデオの冒頭から画面に映し出されている段ボールの中には、水増しされた折込チラシなどが梱包されている。その段ボールをトラックに積み込んで、岡山市の郊外にある収集所へ運ぶ場面が撮影されている。

ちなみにこれらの段ボールを山陽新聞社の販売会社が提供していたことが判決の中で認定されている。

(判決の認定部分=ここをクリック)

ビデオは次の通りである。

(山陽新聞のチラシ破棄の現場=ここをクリック)

◆「新聞社の信用を毀損したから首だ」  

このような新聞のビジネスモデルの中に販売店は組み込まれている。  新聞社が販売店を廃業に追い込みたい時は、このビジネスモデルの特徴を逆手に取る。

たとえば補助金をカットして、偽装部数の相殺を不可能にする。たとえば、折込チラシの水増し行為に言及して、「新聞社の信用を毀損したので取引契約を打ち切る」と開き直る。このような手口で新聞社は、数えきれない数の販売店を廃業に追い込み、裁判所もそれを正当と認めてきた歴史がある。

 (参考:偽装部数《「押し紙」》とは?=ここをクリック)

 (参考:広告主のリスト)

2013年02月21日 (木曜日)

冒頭に次のようなクイズを設定する。

問題:新聞ジャーナリズムが厳しい批判を受け、新聞批判の本が次々と出版されているが、メディア業界の動向を伝えてきた雑誌『創』に以下の記事(座談会)が掲載されたのは何年度か?

【1】最近は新聞マスコミ批判の本を出版するとかなりの部数が売れるといわれています。これはそれだけ、新聞に対する読者の批判が潜在している証拠ともいえるのではあるまいかと思うんです。

最近の新聞批判には、組織として新聞社機構のあり方や、ジャーナリズムとしての新聞の本質というものが現れているように思うんです。

現在の新聞は、題字をかくしてしまえば何新聞か一般には区別はなくなる。読者のほうも、紙面内容によって新聞を選ぶ人は全体の2割しかいないといわれている。

ぼくは、フリーライターの怨念ということでなく記者クラブは危険だと思っています。たとえば最近は、地方の警察へ事件の取材へ行っても、次長クラスは、記者クラブに話すからと、われわれには情報を与えない。逆にいえば、警察などは、記者クラブだけを相手にしていれば、・・・

【2】新聞が本来やってきたのは、インフォメーション。フォームにする、形にする。つまりデータをもとに意味付けをし、判断を付け加えて形にするのが新聞の役割だとされてきた。  ところが今は、データをどう判断するかが非常に弱くなっている。僕はそこが今の新聞の一番問題な点だと思います。

 新聞の一番の問題点は、上半身と下半身がこれまで切り離されていた。上半身でカッコいいことを言いながら、下半身では販売の問題も含めて無茶苦茶なことをやってきた。

? 例えば兜町のクラブの生態を観察している記者の話などを聞いてみると、我々が考えている以上に、感性が麻痺しているといった面はありそうですよ。実際、今度こういう株が売り出されるんですが、と誘いを受け、資金まで用意してもらい、買って儲けて、提灯記事も書く、という三位一体の記者活動をしている奴がいる、と証言する者がいる。

【3】国際社会に対して、日本はどう主張していくのか。新聞をいくら読んでもそういった視座や論点に皆目、お目にかかれません。この国のジャーナリズムはどうなっているのかと思います。

社会的な立場・身分として、今の記者は企業ジャーナリストであって、職業ジャーナリストになっていない。企業ジャーナリストとしてのマインドが、従順なジャーナリズム、政府と一体化するジャーナリズムを作ってしまったと思います。私はその事を問題視してきたのですが、突破口は見つけられませんでした。

回答は次の通りである。

【1】1977年2月号、「日本の新聞人に危機意識はないのか!

【2】1992年5月号、「新聞ジャーナリズムの危機とは何か」

【3】2012年4月号、「新聞ジャーナリズムの危機」

40年近く、延々と同じパターンの新聞批判が繰り返されているのだ。このような実態を前に、わたしが思い出すのは、滋賀販労の沢田治氏の言葉である。

新聞社は紙面を批判されても何の痛痒も感じない

40年にわたって行われたきた新聞批評の最大の欠点は、ジャーナリズムをダメにしている客観的な要因を、新聞社のビジネスモデルの中に見出していないことである。すなわち新聞社最大の問題である偽装部数をタブ視してきたことである。

この問題から視線をそらすこと自体が、ジャーナリズムのあるべき姿に著しく反している。それはちょうど終戦直後、日本の新聞社が最も重要で、かつ最も避けたかった問題??戦争責任の検証を回避した態度と共通している。

これ以上、同じ視点の新聞批判を続けても、新聞社は変わらない。

2013年02月20日 (水曜日)

偽装部数の程度は販売店によって千差万別で一概にはいえない。極端なケースでは、毎日新聞・蛍池販売所のように、7割を超えていた例もある。また、時代によっても偽装部数の規模は異なる。

従って偽装部数の全体像を把握する作業は後日とし、ここでは、具体的な例をひとつ取り上げると同時に、偽装部数で販売店が被る損害の相殺方法を説明する。

塩川茂生氏は1998年にYC小笹(読売・福岡市)の店主になった。2003年に廃業。その後、2006年に読売新聞社を相手に偽装部数による損害賠償裁判を起した。

結論を先に言えば、裁判は塩川氏の敗訴だった。裁判所は偽装部数の中身を「積み紙」と判断したのである。この裁判で特に問題になったのは、開業から半年の間に発生した偽装部数だった。裁判記録によると、朝刊の搬入部数と偽装部数(あるいは広義の「押し紙」)の数値は次のとおりだった。

????????? 搬入部数    偽装部数

98年5月 2330   ? 946

98年6月 2330    946

?98年7月 2330    946

?98年8月 2330    1027

?98年9月 2330    1025

?98年10月 2330    1023

?98年11月 2330    1015

?98年12月 1530??????? 213

5月から11月までは、4割程度が偽装部数だった。 ? このような実態について、読売弁護団は第1準備書面で次のように弁解している。なお、下記にある「必要最小限度を超えた部数の予備紙」とは、過剰になっていた部数を意味する。

 前項で述べたとおり、本件において、原告によるYC小笹店に営業承継後、約6カ月に渡って必要最小限度を超えた部数の予備紙が提供されていた事については、原告と被告との間の合意に基づくものであり、そこには強要なり権利の濫用という要素はない。

(原文のPDF=ここをクリック)?????

販売店と新聞社が合意していれば、部数を水増ししても、権利の濫用にはならないと、主張しているのだ。塩川氏は合意していないと主張したが、たとえ合意していたとしても、まったく別の問題が生じる。

念を押すまでもなく、それは偽装部数がABC部数をかさ上げし、広告料金を引き上げるメカニズムである。店主と新聞社がお互いに合意して、部数を水増しする状態が日常化すれば、広告主は多大な損害を受ける。

塩川氏が4割もの偽装部数を背負っても、販売店の経営を続けることができたのは、ひとつには、読売から補助金を受けていたからである。補助金を受けて、それを偽装部数の買い取り代金に充当すれば、経営は破綻しない。

2013年02月19日 (火曜日)

さて、どの程度の偽装部数(「押し紙」、あるいは「積み紙」)が存在するかを時系列に沿って年代順に紹介する前に、新聞社が主張してきた「押し紙」と「積み紙」の違いを再度確認しておこう。この点を曖昧にしておくと、「押し紙」問題の本質が見えてこないからだ。

黒薮注意:19日付け黒書で説明した「押し紙」と「積み紙」に関する内容は、PDF化したので、今後、参照にしてほしい。=「押し紙」とは何か?)

新聞社が「押し紙」は1部も存在しないと主張する場合の「押し紙」とは、彼らが定義している独自の「押し紙」の意味、すなわち「押し売りされた証拠が存在する新聞」を指している。たとえ販売店の店舗で、多量の新聞が配達されることなく余っていても、押し売りの確たる証拠が残っていなければ、「押し紙」ではない。

だから胸を張って、わが社には1部も「押し紙」はありませんと公言しているのだ。

具体的に「押し紙」裁判の場で、自社に「押し紙」は1部も存在しないと証言した例を紹介しよう。繰り返し紹介してきた例だが、新聞社が主張する「押し紙」の定義を明確に示した格好の事例なので、あえてもう一度取り上げたい。 ? 読売が新潮社とわたしに対して5500万円のお金を支払うように求めた名誉毀損裁判の中で、読売の宮本友丘副社長(当時、専務)が喜田村洋一弁護士の質問に答えるかたちで証明した内容である。 ? 赤字の箇所はわたしの解説である。

喜田村洋一弁護士:この裁判では、読売新聞の押し紙が全国的に見ると30パーセントから40パーセントあるんだという週刊新潮の記事が問題になっております。この点は陳述書でも書いていただいていることですけれども、大切なことですのでもう1度お尋ねいたしますけれども、読売新聞社にとって不要な新聞を販売店に強要するという意味での押し紙政策があるのかどうか、この点について裁判所に御説明ください。

? 「30パーセントから40パーセント」の「押し紙」とは広義の「押し紙」のことである。しかし、次に示す宮本専務がいう「押し紙」とは新聞社の定義、すなわち押し売りの証拠がある新聞を指している。従って、宮本氏の立場からすれば、確かに「押し紙」は1部も存在しないという論法になる。?

?宮本専務:読売新聞の販売局、あと読売新聞社として押し紙をしたことは1回もございません。??

喜田村:それは、昔からそういう状況が続いているというふうにお聞きしてよろしいですか。??

宮本:はい。??

?喜田村:新聞の注文の仕方について改めて確認をさせていただきますけれども、販売店が自分のお店に何部配達してほしいのか、搬入してほしいのかということを読売新聞社に注文するわけですね。??

宮本:はい。 ? (略)

?喜田村:被告の側では、押し紙というものがあるんだということの御主張なんですけれども、なぜその押し紙が出てくるのかということについて、読売新聞社が販売店に対してノルマを課すと。そうすると販売店はノルマを達成しないと改廃されてしまうと。そうすると販売店のほうでは読者がいない紙であっても注文をして、結局これが押し紙になっていくんだと、こんなような御主張になっているんですけれども、読売新聞社においてそのようなノルマの押しつけ、あるいはノルマが未達成だということによってお店が改廃されるということはあるんでしょうか。

?? 宮本:今まで1件もございません。

が、ここからが肝心な部分なのだが、新聞社が定義する「押し紙」が存在しないことが、必ずしも広義の「押し紙」、あるいは「積み紙」が存在しないということではない。事実、実配部数と搬入部数の間に大きな差異がある例が全国各地で報告されている。新聞社の立場からすれば、実配部数と搬入部数の差異は、「積み紙」ということになるようだ。???? ?? 参考までにYC久留米文化センター前の数値を引用しておこう。

YC久留米分化センタター前[07年11月]

搬入部数????????????????????????????????? :2010部

「押し紙」、あるいは「積み紙」  :? 997部

約50%が、「積み紙」、あるいは「押し紙」である。裁判所は「積み紙」であると判断した。広告主の立場からすれば、偽装部数である。広告主にとって、過剰になった部数が「積み紙」であろうと、「押し紙」であろうと関係ない。いずれにしても被害の温床になっている。

◆新聞社による販売店攻撃  

新聞社が販売店を改廃(強制廃業)する場合、その口実として頻繁に持ち出してくるのが、販売店が「積み紙」をしていたという理由である。詭弁(きべん)とも言える。

このような理由に正当性があるか否かは、後日、権限が弱い下請け会社としての販売店という観点から検証する機会があるかも知れないが、ここでは、「積み紙」を理由とした販売店攻撃の生々しい実例を紹介しよう。

幸か不幸か、19日付け「黒書」の記事に対して、早くも販売店による「積み紙」を罵倒するコメントが寄せれた。TWITTERから、「元ASA(朝日新聞販売店)」さんの投稿を紹介しょう。匿名は「元ASA」になっているが、身元を確認したわけではない。内容から新聞社の社員の可能性もある。ただ、TWITTERのアプリが競馬になっており、新聞社とは無縁の可能性もある。

こんな写真には価値がない。正常な販売店でも2%の予備紙はあるし、チラシはさらに何%か余分に運び込まれるのでこういう光景は頻度が違うが存在する。さらに言えば「押し紙」という嘘の流布で怠け者店主は詐欺すら正義だと刷り込まれ努力を放棄した。諸悪の根源はあなたでしょ。


 文中、「こんな写真」とはリンク先のPDFである。「『押し紙』という嘘の流布で怠け者店主は詐欺すら正義だと刷り込まれ努力を放棄した。」とまで断言している。

また別の日は、

自分のサイトの掲示板で岡山の詐欺店主と組んで、ありもしない嘘情報を書き込んで自作自演し繰り返していたペテン師が何言ってるの?嘘情報で店主を釣って荒稼ぎできたかね?まぁジャーナリストを装った詐欺師グループの中核人物も、社会を欺くことができないと賠償命令来るけど。

1964年読売の九州進出から1977年に首位逆転しある程度引き離すまで、全国の販売店の中で一番逆風にさらされていたのは北九州の中心にある朝日新聞販売店だと思うが、我々はそんな卑劣な行為はやってない。

嘘を言ってるのは黒薮氏と、彼と組んでいた販売店主です。ナベツネ時代になって本社が販売店に5割程度余分に押し付けていると主張しているが、それなら発行部数は1500万部でなくてはいけません。詐欺をやっているのは新聞社ではなく販売店主で、裁判では裁かれています

2013年02月17日 (日曜日)

「押し紙」とは何か?  「押し紙」の定義を巡っては、2つの説がある。広義の「押し紙」と、新聞社が採用している「押し紙」の定義である。

まず、広義の「押し紙」から説明しよう。

■広義の「押し紙」

新聞販売店で過剰になっている新聞(ただし若干の予備紙は除く)を指して「押し紙」と呼んでいる。週刊誌やネットの記事で使われている「押し紙」という言葉は、広義の過剰部数を意味している。

たとえば、新聞の搬入部数が3000部で、実際に配達している実配部数が2000部とすれば、差異の1000部が「押し紙」である。

「A販売店の裏庭には『押し紙』が積み上げられている」と言う表現は、「A販売店には過剰な新聞」が放置されているという意味である。

■新聞社の「押し紙」

これに対して新聞社にとって、「押し紙」とは新聞社が販売店に強制的に買い取らせた新聞だけを意味する。従って、強制的に新聞を買い取らせたという証拠がない新聞は、たとえ店舗に余っていても、「押し紙」ではない。

そこで「押し紙」に連座して採用している言葉が、「積み紙」である。

「積み紙」とは、新聞販売店が折込チラシの受注枚数を増やすことを目論んで、自主的に購入した過剰な新聞を意味する。折込チラシの受注枚数は、新聞の搬入部数に準じる原則があるので、「積み紙」が発生する温床があるのだ。

たとえば次のケース

実配部数             2000部

積み紙(あるいは「押し紙」)  1000部

合計       ・・・・・・・・・・・・・3000部

この場合、折込チラシの受注枚数も、原則として3000枚になる。販売店は実配部数2000部の卸代金の他に、自腹を切って1000部の「積み紙」(あるいは「押し紙」)の卸代金も新聞社に支払うが、同時に3000枚の折込チラシ収入を得ることができる。改めて言うまでもなく、このうちの1000枚は、水増しされたものである。

チラシで得る収入が新聞の卸値を上回れば、販売店は損害を受けない。ここに「積み紙」政策が成立する根拠があるのだ。

ちなみに「残紙」とは、「押し紙」と「積み紙」の総称である。

一般の人々は、このような新聞の商取引きのカラクリを知らない。そこで過剰な残紙を指して、広義に「押し紙」と呼んでいるのだ。

◆なぜ、偽装部数という言葉か?

最近、わたしが採用している言葉に偽装部数という新しい言葉がある。偽装部数とは、「残紙」と同様に、「押し紙」と「積み紙」の総称である。あえて「偽装」という言葉を使ったのは、広告主の観点から、その悪質性に鑑みた結果にほかならない。

周知のように広告(折込チラシ、紙面広告)収入は、新聞の公称部数により大きく左右される。それゆえに偽装部数を発生させることが、新聞社のビジネスモデルに組み込まれているのだ。

公称部数が多くなればなるほど、紙面広告の媒体価値が高くなる。その結果、新聞社は紙面広告の収入を増やし、販売店は折込チラシの水増しでより多くの手数料を稼げる。このような事情から、新聞社と販売店の連携による「押し紙」と「積み紙」の戦略が生まれたのである。

「押し紙」を巡る裁判では、偽装部数の中身が、「押し紙」なのか、「積み紙」なのかが争われる。つまり過剰な部数を新聞社が強制しかのか、それとも販売店が、自主的に買い取ったのかが争点になる。

裁判を検証する祭に、注意しなければならないのは、新聞社が「『押し紙』は1部も存在しません」と主張した場合、かならずしもそれが「積み紙」も存在しないことを意味するものではないという点である。

現に新潮(+黒薮)VS読売の裁判では、販売店側から読売に対して、「積み紙」を謝罪する顛末書や始末書が提出されている。読売はこれらの書面を示すことで、自分たちがYCに「押し紙」をしていないことを立証しようとしたのである。つまり新潮社が主張した「押し紙」の中身が、実は「積み紙」であると主張したのである。

そしてそれに成功して勝訴した。以下、YC店主から読売へ送られた顛末書と始末書を紹介しよう。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

※? 私はYC◆◆で架空読者を作り、読売新聞東京本社に虚偽の部数を注文していました。その理由と、発覚の経緯は以下の通りです。

 今年2月15日、週刊新潮の記者から、定数と実配数を書いた一覧などを写した写真を示され、「押し紙」ではないかとの質問を受けました。(略)

※ 永年にわたり本社部数報告において、朝刊の部数を虚偽報告していた事に対し、心よりお詫び申し上げます。(略)これからは実配部数増による年間目標達成に全力を傾け努力することをお約束します。  今後の処分については読売新聞東京本社に一任します。誠に申し訳ありませんでした。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・  繰り返しになるが、「押し紙」は1部も存在しないという新聞社の主張は、必ずしも「積み紙」も存在しないということではない。

わたしが今後、本サイトで指摘していくのは、「押し紙」と「積み紙」の両方・・・すなわち偽装部数の問題である。

2013年02月16日 (土曜日)

読売の法務室長・江崎徹志氏がわたしに対して著作権裁判を提起してから、2月25日で5年になる。5周年を機に、裁判資料のPDF化と本格的な「押し紙」報道を再開することにした。報道の方針として、偽装部数に連動する広告詐欺の問題に焦点を当てることになる。

「押し紙」報道を再開する理由は、これまで15年に渡ってこの問題に取り組んできたにもかかわらず、新聞社のビジネスモデルが改善される気配がまったくないからだ。反省もなければ、改善策もない。

また、「押し紙」報道に対する圧力に対しては、ジャーナリズム活動を強化することで対抗するのが「黒書」の方針であるからだ。端的にいえば、今回の本格再開は、5年にわたるSLAPPに対する「回答」にほかならない。

さらにTWITTERの読者に対し、参院選の時期までに、生活の党をはじめとする国会議員に対して、「押し紙」と広告詐欺に関する資料を提供することを約束した関係で、この問題を再検証する必要が生じたからだ。

偽装部数(残紙)の存在はすでに周知の事実になっている。ところが新聞社は、「押し紙」の定義を「押し付けられた新聞」と限定的に定義することで、「押し紙」は1部も存在しないという主張を展開してきた。

たとえば読売VS新潮社の裁判で、読売の宮本友丘副社長(当時、専務)は、2010年11月16日、代理人である喜田村洋一(自由人権協会代表理事)弁護士の質問に答えるかたちで、次のように証言している。

喜田村洋一弁護士:この裁判では、読売新聞の押し紙が全国的に見ると30パーセントから40パーセントあるんだという週刊新潮の記事が問題になっております。この点は陳述書でも書いていただいていることですけれども、大切なことですのでもう1度お尋ねいたしますけれども、読売新聞社にとって不要な新聞を販売店に強要するという意味での押し紙政策があるのかどうか、この点について裁判所に御説明ください。

宮本専務:読売新聞の販売局、あと読売新聞社として押し紙をしたことは1回もございません。

喜田村:それは、昔からそういう状況が続いているというふうにお聞きしてよろしいですか。

宮本:はい。

喜田村:新聞の注文の仕方について改めて確認をさせていただきますけれども、販売店が自分のお店に何部配達してほしいのか、搬入してほしいのかということを読売新聞社に注文するわけですね。

宮本:はい。

(略) 喜田村:被告の側では、押し紙というものがあるんだということの御主張なんですけれども、なぜその押し紙が出てくるのかということについて、読売新聞社が販売店に対してノルマを課すと。そうすると販売店はノルマを達成しないと改廃されてしまうと。そうすると販売店のほうでは読者がいない紙であっても注文をして、結局これが押し紙になっていくんだと、こんなような御主張になっているんですけれども、読売新聞社においてそのようなノルマの押しつけ、あるいはノルマが未達成だということによってお店が改廃されるということはあるんでしょうか。

宮本:今まで1件もございません。

これまでわたしが取材した「押し紙」裁判においても、新聞各社は宮本氏と同じスタンスの理論武装をしている。自分たちは、新聞を押し付けたことがないので、販売店にある残紙は、「押し紙」ではないという論理である。

しかし、このような論理は、かならずしも新聞販売店で新聞が過剰になっていないことを意味するものではない。たとえ販売店が過剰な部数の買い取りを承知した結果、残紙が発生したとしても、配達しない新聞があふれていることは紛れもない事実である。このような新聞を、わたしは「偽装部数」と呼んでいる。

偽装部数により新聞社はABC部数をかさ上げする。それが紙面広告(特に公共広告)の媒体価値を押し上げる。

このようなビジネスモデルの下で、最大の被害を受けるのは、広告主である。残紙の責任が新聞社にあるにしろ、販売店にあるにしろ、広告主が騙されていることにはかわりがない。

幸か不幸か、現代はインターネットを通じて広告主とも簡単にコンタクトが取れる。

(参考:広告主のリスト=ここをクリック)

2013年02月13日 (水曜日)

◆吉竹幸則(フリージャーナリスト・元朝日新聞記者)

前回の本欄で、私は今の現実から憲法9条を持つ意義を考えました。今回はこの国の遠い昔から考えます。交戦権まで放棄する世界史的にも稀な憲法が、曲がりなりにもこの国に根付いたのは、なぜか。

私は、この国の半分の人々が「押し付けられた」と拒否反応を示さなかったのは、実は、1万年以上前からこの国に住んでいた縄文人のDNAを、私たちが受け継いでいることにあるのではないかと思うのです。世界の東の果てのこの国。その地に、まだマンモスが生きていた時代から育まれてきた縄文文化に思いをはせ、この国の民が「9条」を大事に育てていかねばならない人類史的意義を考えてみたいと思います。

◆憲法9条--非交戦権の奇跡

再軍備には多大な財政負担を伴います。前回も書いた通り、それを迫る米国の圧力をかわすために、この国で「9条」の果たす役割を高く評価していたのが後藤田正晴氏でした。しかし、私が「9条」について聞いたところ、その後藤田氏でさえ「軍隊を持たないという憲法がこんなに長く、この国に定着するとは当初思わなかった」と、回想されていました。

サルから進化したのが、人間です。サルは群れを作り、その闘争本能から他の群れとの抗争を通じ、陣地を拡げています。こうしたサルの習性は、「ヒト」にも乗り移ったのでしょう。人類史もその当初から、部族と部族、国と国との間の領土争い、血で彩られた戦争の歴史でした。サルのDNAを受け継いだ、「ヒト」という種のなせる悲しい性(さが)かも知れません。

「建国の祖」などと、国ごとに語り継がれてきた英雄伝説は、血で血を洗う争いに勝利し、領土を広げて来た人たちの話でもありました。そんな人類史の中で、「交戦権」を持たない憲法を持つ国が長続きすることなど、後藤田氏ならずとも、青春時代、戦争の中で過ごした人たちには、想像さえ出来なかったのかも知れません。

でも、世論調査を見ても、この国の人たちの半分は今、この憲法を受け入れています。現実論としても、この国の戦後の復興と繁栄に大きな役割を果たして来たのも間違いありません。その理由は、どこにあるのか。私も考えあぐねていました。

私は、報道弾圧を巡る朝日幹部との確執で、思いがけなく東北の支局長に赴任する機会を得ました。そこで後藤田氏も気付かなかったその理由を見つけたような気がするのです。

◆山形支局へ赴任

以前からこの欄で書いている通り、私は、無駄な公共事業であることを完璧に立証する長良川河口堰報道を朝日から止められました。編集局長に異議を唱えたことを発端に、最後には記者の職を剥奪されましたが、それまでの私の人事異動も、こうした確執により常に異例でした。

私が名古屋社会部のデスク(次長)を終えた後、次の役職がなかなか決まらず、「部長付」などと言う訳のわからない肩書で、しばらく待機ポストにいたこともその一つです。

普通、朝日で名古屋本社のデスクをすると、次のポストは名古屋本社管内の県庁所在地、つまり津か岐阜の支局長(現在、朝日は県庁所在地支局長は「総局長」と呼んでいる)に就くのが定番でした。

県庁所在地支局長は1城1国の主のようなものです。その県の地方版は自由に作れるし、社会面の記事などについても出稿権限を持つデスクとも対等以上にわたり合えます。

もし、津か岐阜の支局長にしてしまうと、止めていた河口堰報道を配下の記者を使って、私が蒸し返すのではないか。そう、朝日幹部が恐れたことが背景にあったのかも知れません。

津か岐阜支局長就任の目はなくなりました。そんな宙ぶらりんの状態にあった私を見るに見かねたのが、東京本社政治部時代の上司・先輩でした。「一度は県庁所在地の支局長ぐらいはさせてやりたい」と、私に気を使ってくれたのでしょう。その尽力もあり、1997年、突然私に「山形支局長」という人事発令がありました。

当時、名古屋のデスクから「山形」への異動は前代未聞。あまりにも異例でした。私も戸惑いましたが、それ以上に周囲がアッと驚く人事でした。何しろ私は、名古屋社会部で長く記者活動をしていました。北海道への出張で東北の上空を飛んだことはあっても、直接東北に足を踏み入れるのは初めてのことだったのです。

◆戦争嫌いの縄文人

でも、「人生至るところに、青山あり」です。初めて来た東北は私にとって何より新鮮でした。人のいい山形の人たちと多くの交流も出来ました。今でも私に、サクランボを送ってくれる人が何人もいます。

本社には、上司の顔色を見ながら、自分の損得で仕事をする記者が多いのも事実です。時には信頼している人から裏切られることもあります。しかし支局では、若い記者と純粋にジャーナリズムを語り合えます。そんな生活は、私にとって何より貴重で楽しい時間でした。

私は、山形で体験した多くのこともこの欄で語りたいと思います。でも、今回は紙数の関係もあります。縄文文化に触れ合ったことだけに絞って書きます。 支局長時代、私は努めて支局から外に出ました。空いた時間を外部の人たちから話を聞いたり、休みの日には少し遠出、山形以外の東北の地を訪ね歩くことにも充てました。

「支局長が局舎ででかい顔して居座っていると、デスクや若い記者もやりずらい」と、先輩からの忠告を受けていたこともあります。そうでなくても私は、でかい顔をする習性があります。支局員に迷惑をかけまいと、忠告にそい東北を歩くうち、私が生まれた関西や記者活動の主舞台だった中部地方と違い、この地方に多く残っている縄文遺跡やその出土物に出会ったのです。そこで話を聞くうち、縄文文化に魅せられました。

縄文文化は、研究者の間でも諸説があるようです。大体、今から1万5000年前から3000年前までの頃、この国に住んでいた先住民でもある、「縄文人」と言われる人たちの文化を定義するようではあります。その頃の遺跡から出土する縄模様の土器が有名です。その後、大陸から渡来したとされる弥生人による弥生文化にとって代わられます。

私は縄文遺跡に詳しいある人からこんな話も聞きました。

「縄文と弥生文化の違いは、何だと思われますか? 狩猟文化か、農耕文化かの違いに求める研究者も多いのですが、実は縄文遺跡からも農耕の痕跡が見つかることもあるのです。でも、決定的な違いは、弥生時代の遺跡からは、人々が闘いで傷ついたことを示す人骨が多く見つかります。しかし、縄文遺跡からは皆無と言っていいほど見つかりません」

「領土争いが部族の闘い・戦争に発展するのは確かでしょう。でも、縄文遺跡からも農耕の跡が見つかる以上、縄文時代にも農地をめぐる陣地争いはあったはずです。でも戦争の跡がないと言うことは、縄文人は本来温和で、領土を巡り戦争することを知らない民族ではなかったかと思うのです」

◆サルの対極にある人類

縄文人がこの国でのびのび生きていた時代、エジプトや中国文明が隆盛を極めていました。確かに文明史的には、東の端のこの国は「文化果つる地」との位置づけなのでしょう。

でも、サルから受け継いだ闘争本能丸出しに、壮絶な戦いを繰り広げる「文明人」が、本当に「進化した人類」なのでしょうか。それに比べ、闘争本能をほとんど持たず、サルの習性から最も離れた縄文人こそ、実は「最も進化した人類」と言えるのではないか。私はこの人の話を聞いてそう思ったのです。

もちろん、これは、文科人類学など勉強したことのない、ど素人である1新聞記者の勝手な思い込みかも知れません。この国の先住民である縄文人が、「全く闘わなかった人達」かどうかは異論のある研究者もおられるでしょう。東北大学などには、「東北学」なる縄文文化を研究する人たちもおられますが、縄文人・縄文文化は、この国の中でもっと研究され、私の直感が当たっているかどうか、掘り下げていって欲しいテーマです。

私の故郷の京都は、大陸から渡来した征服民族である「弥生人千年の都」です。その京都や今の支配者が集う東京からは、なかなかこうした視点から見ない、見えないと言うことが影響しているのかも知れません。でも、縄文人の心で、この国を逆転的に見てみると、いろいろ理解出来ることも多いのです。

例えば、この国の建国史である古事記、日本書紀が諸外国の征服史に比べ、はるかに壮絶な戦いの記述が少ないのは、何故でしょうか。こうした縄文人に性格によるものではないかと考えると、辻褄が合います。

最新のDNA解析では、日本人は縄文人と弥生人の混血であるそうです。心優しきこの国の先住民は、大陸から渡来した闘い好きの弥生人に追われるように東北に追いやられて行ったのは確かでしょう。

でも、日本各地では闘い、抵抗よりも、むしろ征服者との和合を選んだ縄文人が多かつたのかも知れません。その中でしっかりそのDNAを日本人の血の中に残して行ったのでしょう。

「和の心」、「おもてなし」「日本料理」……。最初は大陸文化の模倣でも、そのうち異質の「わび・さび」の日本独特の繊細で、心和む優しい文化がこの国で育って行ったのも、日本人が弥生人だけでなく、縄文人のDNAを受け継いでいたからと思うと合点がいきます。

中国以上に優秀なテクノロジーがこの国に育ったことを考えれば、縄文人のDNAは世界に誇れるほど、優秀だった証左かも知れません。私は、さすが「サルの対極にある人類」と、縄文人に拍手喝采したい気持ちです。

◆?日本の果たすべき役割

3・11の大震災。東北地方は、筆舌に尽くしがたい未曾有の被害に遭いました。そんな悲しみ、苦しみの中でさえ、この地方の被災者は秩序や礼儀を失わず、じっと耐えられました。

その姿を見て、中国の人たちは驚き、尊敬の念さえ持ったとの報道もありました。「とても中国ではそうはいかない」と改めて日本・日本人を見直したのも、実は東北人には、中国人にない縄文人の血が色濃く残っていることと無縁でなかったのかも知れません。

闘争本能むき出しに、中国に対し威勢のいい発言をする人たちもいます。国の交戦権を否定する「9条」の見直し、「日本人の誇りを取り戻せ」と、日本の自主独立、「普通の国」にしようと唱える人たちと重なります。

でも、そんな人たちは失礼ながら、弥生人、つまり大陸からの渡来人の闘争本能を受け継いでいる人たちかも知れません。大陸人のDNAを色濃く持つ人たちが、そのルーツでもある大陸の人たちと罵り合う構図……。そう言うと言い過ぎでしょうか。少なくとも私には、同じ発想力・価値観を持つ人たちが争っても、人類史に進歩をもたらすとは、思えません。

改めて憲法前文をここに再録しておきましょう。

「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。」

まさにこの心・理想こそ、縄文人のものではないのでしょうか。ますます不安定化する東アジアにあって、日本の果たす役割は大きく、独自性を発揮すべき時ではあります。でも、中国と同じ次元、価値観のまま、お互い激しい言葉をぶつけ合い、力の論理で対決しても、「名誉ある地位」を占めることにはならないと、私は思います。

私はこの欄・憲法論の初回で書いた、「平和外交を進めたことがないこの国」をもう一度、読み返して戴きたいと思います。「諸国民の公正と信義に信頼」する「決意」をしたはずのこの国であるなら、官僚は利権にまみれず、縄文人の心に応える「平和外交」を展開すべきだったのです。

日本がそれを戦後、真っ当に実行していたなら、「平和を愛する諸国民」も「恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想」を追う、日本人の姿を理解し、信頼が高まっていたはずです。万一、日本が侵略されることがあるなら、「そんな日本人を窮地に陥れてはならない」と、「公正と信義」により、日本を支持してくれる土壌が国際社会に生まれていたのではないでしょうか。

私は、「9条」を改正し、「普通の国」になることで、この国が東アジア、ひいては世界の中でこの国が存在感を示せるようになるとは、とても思えません。人類史の中でも類まれな「縄文人」。その心、DNAに依拠し、世界に広げてこそ、憲法の理想を体現することになるのではないでしょうか。

それは、日本人が縄文人のDNAを持つから成しうることであり、それが出来る唯一の資格・能力がある民族であると思えるのです。それはまた、征服史の中でも希望を捨てず、そのDNAをしたたかに残して来た、私たちの半分の祖先・縄文人に、私たちの世代が報い得る唯一の道でもあると考えています。

 

≪筆者紹介≫ 吉竹幸則(よしたけ・ゆきのり)

フリージャーナリスト。元朝日新聞記者。名古屋本社社会部で、警察、司法、調査報道などを担当。東京本社政治部で、首相番、自民党サブキャップ、遊軍、内政キャップを歴任。無駄な公共事業・長良川河口堰のウソを暴く報道を朝日から止められ、記者の職を剥奪され、名古屋本社広報室長を経て、ブラ勤に至る。記者の「報道実現権」を主張、朝日相手の不当差別訴訟は、戦前同様の報道規制に道を開く裁判所のデッチ上げ判決で敗訴に至る。その経過を描き、国民の「知る権利」の危機を訴える「報道弾圧」(東京図書出版)著者。