2013年05月29日 (水曜日)

偽装部数の決定的な証拠を示そう。次のPDFは、毎日新聞の「朝刊、発症数の推移」と題する内部資料である。2004年に毎日から流出して、「FLASH」、mynewsjapan、京都民報などで紹介された。

(「朝刊 発症数の推移」=ここをクリック)

着眼点は、赤線で示した2箇所である。

3,953,644は、販売店へ搬入される新聞を意味する。

一方、2,509,139は発証数である。これは新聞販売店が読者に対して発行した領収書の枚数である。つまり実際に読者に配達されている新聞部数にほぼ等しい。

従って、新聞の搬入部数から発証数を差し引くと、偽装部数(毎日の販売店で過剰になった新聞部数)が明らかになる。

偽装部数は、144万4505部ということになる。約36%が偽装部数である。

このテータは、2002年10月のものであるから、現在は、さらに偽装部数率が増えている可能性が高い。

2013年05月28日 (火曜日)

このところ情報公開制度を利用することが増えている。総務省によると情報公開制度は次のような法的根拠に基づいて実施されている。

「行政機関の保有する情報の公開に関する法律」(平成13年 4月1日施行)及び「独立行政法人の保有する情報の公開に関する法律」(平成14年10月1日施行)は、国民に対し政府の説明責任を全うする観点から、行政機関及び独立行政法人等(すべての独立行政法人及び政府の一部を構成するとみられる特殊法人・認可法人等)が保有する文書についての開示請求権等を定めており、国民に開かれた行政の実現を図るために重要な法律です。

わたしは昨年から情報公開制度を利用するようになった。これまで開示してもらった情報には次のようなものがある。

政府広告(新聞広告)の支出額と掲載紙

裁判員制度のPR広告(新聞広告)の支出額と掲載紙

最高裁の各種委員会の構成メンバー

裁判員制度に出費した経費

◇破産管財人の氏名公表

情報公開請求をしたが、拒否されたものとしは、破産管財人の氏名がある。これは東京地裁に対して請求したものである。  情報公開請求に踏み切ったのは、最近、最高裁判事が退官後に大手弁護士事務所へ再就職(広義の天下り)するケースが増えているからだ。大手弁護士事務所に所属する弁護士が、破産管財人に指名されるケースが増えているという情報を得たのを受けて、事実関係を確かめるために、破産管財人の名前を明らかにするように求めたのである。

拒否の理由は、そのような資料は存在しないということだった。裁判所が破産管財人を指名しておきながら、データが存在しないというのはおかしな話である。

◇最高裁判事の給料明細

最高裁判事の給料明細の開示を請求したところ、A4版の書面が約200枚公開された。ところがそのほとんどが黒マジックで塗りつぶされていた。例をして1ページをPDFで紹介しよう。黒塗りの実態がよく分かる。

(最高裁判事の給料明細、黒塗りの実態=ここをクリック)

同じような書面が200枚送られてきたのである。

給料に関する情報はプライバシーの領域に入る。しかし、最高裁判事は、人を裁くという特権を与えられている。これは一般の国民が持ちえない特権の中の特権である。日本で15名の最高裁判事が有するのみだ。

と、なれば給料が高いのは当然である。大変な仕事であるからだ。しかし、特別に高い国家公務員の給料は、公表すべきというのがわたしの考えである。

しかし、請求の結果、黒塗りの書面が200枚送られてきたのである。「公表できない」と一筆書けばそれで済むところ、わざわざ200枚を黒塗りしたのである。これが事務手続きだけを重視する官僚主義の実態ではないだろうか。 社会通念で判断する習慣が欠落しているようだ。

◇松井・長嶋の金バットの値段は?

現在、情報公開を請求して回答を待っているものとしては次のようなものがる。

■新聞の公共広告(総務省、警察省、農林水産省)の出費と掲載紙

■安部内閣の閣僚たちがゴルーデンウイークの外遊で使った金銭の明細

■国民栄誉賞に出費した金銭の明細

■オリンピック誘致に使った金銭の明細

■安部首相が次の会合で出費した金銭の明細

▽3月15日/フジテレビ・日枝久会長/芝公園のフランス料理店「レストラン クレッセント」

▽同22日/テレビ朝日・早河洋社長(他に幻冬舎社長)/首相公邸

▽4月4日/ジャーナリスト・田原総一朗氏/首相公邸

▽同5日/日本テレビ・大久保好男社長/帝国ホテル内の宴会場「楠」

▽5月8日/読売新聞・渡辺恒雄グループ本社会長、日本テレビ・大久保好男社長(他に長嶋茂雄氏、松井秀喜氏)/首相公邸

▽5月10日/司会者・みのもんた氏/首相公邸

▽5月16日/ジャーナリスト・田原総一朗氏/首相公邸

2013年05月27日 (月曜日)

携帯電磁波による健康被害を理由に、KDDI基地局の撤去を求める延岡大貫訴訟の控訴審(福岡高裁)で、公平性に疑問がある判事が、裁判長に就任したことが分かった。判事の名前は、田中哲郎氏。

この田中哲郎判事がどのような人物なのか、「黒書」の読者はご存じだろうか?実は、この人物、わたしが読売に対して提起した損害賠償裁判を担当した過去がある。

この裁判は、読売がわたしを被告として1年半の間に提起した3件の裁判が「一連一体」の言論弾圧であるとして損害賠償を求めたものである。田中哲郎判事は福岡地裁でこの裁判を担当した。

読売がわたしに対して起こした3件の裁判は次の通りである。支払を求めたお金は、総計で約8000万円。

著作権裁判:地裁、高裁、最高裁でわたしが完全勝訴。江崎法務室長が問題となった文書の名義を偽って、裁判を提起していたことが認定された。江崎氏の弁護士を務めた喜田村洋一自由人権協会に対しては、わたしからの懲戒請求申立を受けて、第2東京弁護士会が2年半に及ぶ大規模な調査を行っている。 (注:調査するまでもなく、事実は最高裁で認定されているのだが・・)

名誉毀損裁判1 「黒書」に掲載した記事の表現をめぐる裁判で、地裁、高裁はわたしの勝訴。最高裁が読売を逆転させる決定を下し、差戻審でわたしが敗訴した。

名誉毀損裁判2 週刊新潮に掲載した「押し紙」率をめぐる記事が名誉毀損に問われた裁判で、地裁、高裁、最高裁で読売が勝訴。

個々の裁判についてのわたしの主張はここでは省略するが、裁判の結果、だけを見れば、著作権裁判はわたしの完全勝訴であり、読売・江崎法務室長による裁判提起そのものが虚偽の事実を前提にしたものであることが、最高裁でも認定された。と、すれば当然、江崎氏と読売にわたしが受けた被害を賠償する責任が発生すると考えるのが常識である。

裁判によりジャーナリズム活動を妨害されたわけだから、当然、損害賠償請求の対象になる。

ところが田中判事は、わたしに対する本人尋問の実施すら拒否したのである。陳述書についても、弁護団から抗議されるまでは、受け取ろうとはしなかった。 法廷でその不公平な態度を露呈したのである。

判決は、最初から分かり切っていた。田中判事は読売を勝訴させたのである。

実はこの人物、YC久留米文化センター前VS読売の裁判でも、裁判長を務め、新聞販売の現場を取材することもなく、読売を勝訴させている。時間のある読者は、福岡地裁で裁判記録を閲覧すれば、いかにひどい判決であるかが、理解できるだろう。

偽装部数問題とか、携帯電磁波の公害など、国策にかかわる大きな裁判になると、権力側の意向を判決に反映させる判事が裁判長に就任するケースが増えている。田中判事が福岡高裁で延岡裁判を担当したのは、その典型例のひとつと言えよう。

日本の裁判所は、完全におかしくなっている。三権分立を放棄して、大企業の権益を守るための法手続きを行う機関になっている。

先週の金曜日、わたしは最高裁に対して次の内容の情報公開を請求した。

「上告人、または被上告人が朝日新聞社、読売新聞社、日経新聞社の裁判の判決結果を示す書類。期間は、2000年?最新。」

 

 

2013年05月24日 (金曜日)

世間は、アベノミックスに浮かれています。でもその間に、公共事業見直し問題の象徴でもあった八ツ場ダムの関連に多額の予算がつき、いよいよ本格着工に向けて動き出しました。

「無駄な公共事業を中止し、官僚利権国家から脱皮する」として政権を取ったはずの民主党政権。でも、官僚に取り込まれで瓦解…。民主を批判、「本気で行政改革し、この国の姿を変える」として、国民の支持を得て来たはずの維新も、憲法改正の方に熱心。従軍慰安婦を巡る発言で橋下氏の底も見えました。自らの発言の言い訳に四苦八苦で、「聖域なき行政改革」どころか、八ツ場ダムさえ全く無関心です。

そんな風潮に悪乗り。この国の財政を破たん寸前にした責任などどこ吹く風て゛、懲りもせず、公共事業の復活を声高に叫ぶ官僚と利権政治家の高笑いが、私には聞こえます。彼らが我が世の春を謳歌、アベノミックスに乗じて、この国をますます食い潰してしまわないか、本当に心配になります。

「利権国家からの脱皮」を、人気取りで口にする政治家は多くいます。でも、本気で目指す政治家など、この国にはほとんど居ないことは、民主と維新の現状を見ても明らかです。ただ残念ながら、政治家だけでなく、私の古巣の「朝日」と言う「ジャーナリズム」も同様でした。

◆長良川河口堰から八ツ場ダムへ

私はこれまでこの欄で、私は記者時代、「無駄な公共事業の典型」として、解明に取り組んで来た長良川河口堰報道が朝日新聞社から止められたことを何度も書きました。

編集局長に異議を申し立てたことを発端に、記者職を剥奪されブラ勤になったこと…。その後、人事の不当差別を訴えた訴訟では、ありもしない「取材不足」を、審理もせずに「あった」とデッチ上げ判決されたこと…。「表現・報道の自由」、国民の「知る権利」が、国家権力に隷属する司法により、いかに急速な侵害が進んでいるかについても訴えて来たつもりです。

しかし、「いくら最近の朝日が劣化したとはいえ、記者がまともに取材したのなら、露骨に記事を止めることはないのでは」「取材不足が本当にないなら、裁判所も『ある』などとのデッチ上げ判決まではしないはずだ」「記者の勝手な思い込みに過ぎないのでは?本当は取材不足があったのでは」といった疑問も寄せられました。

長良川河口堰取材については、拙書「報道弾圧」(東京図書出版刊)に詳しく書いています。しかし、こうした疑問がある以上、改めてこの欄でも概要を書いておこうと思います。

今更、何故、過去の長良川河口堰問題をこの欄で蒸し返すのか。筆者の朝日や裁判所に対する恨み・つらみだけではないのか。そんなご意見もあろうかと思います。

しかし、八ツ場ダムが「公共事業見直し問題」の現代の象徴であるとすれば、長良川河口堰は「無駄な公共工事」について、住民・国民が初めて本格的に気づき、運動を始めた原点。古くて新しい問題です。長良川河口堰の建設のため旧建設省がついたウソ・言い訳の手口が、八ツ場ダムなど現在のダム問題でも国交省によって引き継がれていると言っても過言でないからです。

長良川河口堰の本質を知れば、八ツ場ダムの本質も分かります。だからこそ今、多くの皆さんにもう一度、長良川で建設省が、いかに住民・国民を騙し、無駄な公共事業を推し進めたのか。朝日が私の記事を止めたことで、読者・国民の皆さんに知らせることが出来なかった真相を、改めて知って戴きたいと思います。

◆選挙対策としての公共事業か?

理由は次の二つです。 一つは自民党政権になり、公共事業が大手を振って復活していることです。安倍政権の悲願は、憲法、とりわけ9条の改正にあるのは疑う余地はありません。そのためには何としてでも夏の参院選では、改正発議に必要な3分の2を改憲勢力で確保したいと考えているのも間違いないでしょう。

なら、旧来の自民党の票田・資金源であり、選挙の手足となって来た土建業者を潤わせ、選挙に万全を期す必要があります。そのための党利党略・選挙・世論対策で公共事業による利権のバラマキを、借金のこれ以上の積み重ねによって賄うことなどあってはならないからです。

もう一つは、その結果、何が起きるかです。無駄な公共事業は、建設に巨額な税金が注ぎ込まれるだけで済まないのです。その後も多額の維持費が毎年必要になり、ますます財政赤字が積み上がります。国の借金だけで1000兆円近くまで膨れ上がってしまったのも、そのためです。

これまではまだ、日銀の国債買い入れ枠の制限もあり、国は市中で消化出来る範囲を大幅に超える国債を発行出来ないという制約がありました。それで無駄な公共事業に抑制されてきた面もあります。しかし、アベノミックスで国債が実質無制限に日銀引き受けとなれば、歯止めを失い、これまで以上に無駄な公共事業が乱発される危険が大きいからです。

東北大震災の復興のためにと、国民が乏しい家計の中から工面して出している税金まで流用して平気なのが、この国と官僚と政治家です。彼らに、「税金をくすねるな」と諭しても無駄と、私はとっくに諦めています。でも、くすねるのに、公共事業を介在させることだけは、何としても止めなければなりません。

何故なら、そっくり税金をくすねられる方がまだましだからです。私は現役記者時代、公共事業の場合、政治家や官僚に回り回って還流するのは、事業費の10?20%とよく聞いていました。例えば、政治家・官僚が1億円を自分たちに還流させたいと考えるなら、直接くすねられるなら1億円の税金で済みます。でも、無駄な公共事業を介在させての還流なら、使われる税金はその5―10倍の5億円―10億円も掛かってしまうのです。

でも、超高齢化社会を迎えているこの国はもう、巨額の国債を返す能力をほとんど失っています。その点を国際投機筋に突かれ、市場で国債の売り浴びせが起きるなら、金利は暴騰。ますます返済不能になり、円は紙切れ同然。国の破滅に繋がります。日銀の思惑に反し、10年物国債金利が急上昇を始めたのは、大手銀行の国債売りが発端とも言われていますが、市場は10年後のこの国の国債返済能力に不安を感じ始めたからでしょう。

◆利権政治の復活

別に私は安倍首相を敵視するつもりはありません。民間の資金需要不足というこの国を取り巻く金融環境の中では、取り得る金融政策は限られています。黒田・日銀が国債購入することにより市中に金をだぶつかせ、市中金利の低下を促すと言う手法は円安にも繋がります。

金融政策としては、この国が取り得る一つの手段であり、その政策そのものまで全否定するものではありません。民間活力によってこの国の再生を目指すアベノミックスの規制緩和策には、幾つか見るべきものがあるとも、正直、私は思っています。

でも、古来、放漫財政で借金を溜め続けた国が繁栄した例はありません。「従来のような無駄な公共事業に手を染めるつもりはない。施設の老朽化で、補修のための公共工事が必要だ」との政治家の言い訳があります。でも、これもウソです。その証拠に,八ツ場ダムが動き出しました。今年度公共事業予算のうち、4分の3は従来型のハコもの建設です。

私は前回までのこの欄の憲法論で心配したことが現実となり、安倍首相の国家・憲法観、外交姿勢には、中国、韓国のみならず、案の定、米国からも強い反発が出始めました。橋下発言もしかりです。

アベノミックスの最大のリスク要因は、安倍首相自身やその取り巻き、憲法改正を目指す人たちの国家観と、旧来の既得権益層に媚びを売り、懲りもせず無駄な公共事業のバラマキを続けて財政を膨らませる自民党の利権体質であると、私は思っています。

前置きが長くなりました。どこまで官僚や政治家がウソ、理不尽な言い訳を弄して、無駄を承知で国家財政を食い潰す公共事業を強行するものか。今だからこそ、無駄な公共事業批判の原点、長良川河口堰で国民・住民を騙す手口を、具体的に多くの人に知って戴きたいと私が思う理由も、そこにあります。 そのため、私が「長良川河口堰建設理由のウソ」の解明に本格的に乗り出した1987年に、時計の針を一旦戻します。

◆長良川河口堰問題とは

その年、私は朝日新聞名古屋本社の社会部記者として、今の八ツ場ダムのように本体着工に向けて大きく動き出した長良川河口堰報道をする連載チームに組み込まれていました。

霊峰白山に近い岐阜県奥美濃に源を持つ長良川は、全長166キロ。岐阜県を縦断。やがて木曽、揖斐川に接するようにして三重県桑名市の伊勢湾に注ぐ木曽川水系の一つです。四万十川、柿田川とともに「日本三大清流」の一つに数えられ、途中、適地がなく、ダムは建設されていませんでした。そのため、「本州で唯一ダムのない自然の大河川」として、自然愛好家や釣り人からも熱い視線を受けていました。

その長良川に河口堰計画が持ち上がったのは、1950年代の高度成長期です。河口の南、四日市市に工業コンビナートが造られ、鉄鋼、化学などの重厚長大産業は、大量の工業用水を必要としていたからです。

上流にダムが造れなければ、増え続ける工業用水を賄うには、河口に堰を作って水を溜め、取水する以外にありません。堰直近の上流川底の土砂を深く浚渫すれば、河口に水を溜める容量が生まれ、大量貯水は可能です。でも、河口近くなので、掘れば海水が逆流、溜めた水は塩水化します。工業用水としては真水が必要です。海水の溯上を食い止める堰の建設が不可欠と言う訳です。

しかし、着工に向け本格的に動き出した1980年代は、バブル崩壊手前で経済は隆盛を極めていても、すでに重厚長大産業の時代は去り、コンビナートの水需要が増える要素は全くありませんでした。でも、談合で10年、20年先の受注業者まで決まっていると言われていたのが、公共工事です。

当時から経済環境の変化で、必要性の低下した公共事業は、全国至るところにありました。しかし、1ヶ所見直せば、ドミノのよう次々他の見直しも迫られます。談合全体を組み替えなければならず、業界秩序、利権構造も大きく混乱します。巨大事業の裏でうごめく利権、政治献金、天下り……。水需要がないからと言って、河口堰の着工を見直すことなど、この国の政治・官僚・業界体質ではあり得ることではなかったのです。

一方、これまでの自然保護的な堰反対運動をして来た人たちは、そんな公共事業の無駄に気付き始めていました。「堰は自然破壊に留まらない。水はもう要らないのだから、税金の無駄遣いに過ぎない堰中止は当然だ」と、反対運動の論点も変わって来ていたのです。

◆「水害の危険」というウソ

建設省が、河口堰の建設理由・名目を「利水」から、「治水」に大きく転換させたのはこの時です。水需要が全く伸びていないのは、誰の目からも明らかです。「利水面」からの住民運動を説得することは、無理。そう感じ始めたから、「治水」を堰建設理由の前面に押し立て始めたのでしょう。

格好の理由付けになったのは、1976年9月に起きた長良川安八・墨俣水害でした。台風17号の集中豪雨で、岐阜市より少し下流、岐阜県安八町の長良川堤防が決壊。濁流が隣の墨俣町などにも流れ込み、浸水被害約4万5千戸、被害総額は約130億円、死者・行方不明者9人も出る大水害です。

古来から水害に悩まされ続けてきたのがこの地域です。「水害の危険」はもっとも敏感な問題で、何としても着工に漕ぎ着けたい建設省にとっては、「水害から住民の命を守るためには、堰は不可欠」と主張することは、「税金の無駄遣い」との建設反対運動の高まりに対抗する最も好都合な理由だったという訳です。

私が長良川河口堰の取材チームに組み込まれたのは、こんな時期でした。取材班は3人。テーマを「利水」「治水」「自然」の3つに分けました。私には、いつも通り最も取材が困難で、難解な「治水」が押し付けられました。

私はそれまで利水問題を追い続けていました。今まで「利水」を強調していた建設省が、急に「治水」を持ち出したことに不自然なものも感じてもいましたが、何より長良川では水害が起きている現実があります。

河川管理の専門家である建設省が「堰がないと危険」と言う限り、そうそうウソだとも思えませんでした。多分、取材を進めてもこのテーマで書く限り、建設省の主張に沿い「自然も大切だが、命の問題もある」と、治水上、堰建設の必要性を、結局、連載で書くことになるだろうと思い、取材をスタートさせたのです。

ただ、よく調べてみると、建設省が「治水」、「治水」と声高に言う割には、データがすべて公開されている訳ではなかったのです。私は、最後は建設省の言い分を書くことになっても、記者なら予断を持たず、安八水害のデータを一から精査してみようと思いました。

◆公共事業の口実となった安八水害の真実

まずは、安八水害時、どの程度の水量があり、どこまで水位が上がり、どうして堤防が決壊したかの基礎データを知ることからです。名古屋市内にある建設省の拠点、中部地方建設局に出掛けました。しかし、私の取材趣旨を聞いた担当者は、なぜかおろおろ。水害時の長良川の水位すら、言葉を濁し、満足に教えようとはしなかったのです。

どうもうさん臭い。記者魂がむくむくと頭をもたげ始めたのはこの時からです。私は、それまで一度、安八水害の取材をしたことがありました。担当者が教えてくれなくても、基本的なデータは、建設局よりさらに出先の事務所に行けば、公開されていることは知っていました。洪水対策にもおいしい利権があります。建設省は出来るだけ国の予算を多くつけるために半ば宣伝に利用し、水害時の水位などのデータは公開していたのです。

私は改めてデータを出先で入手してみて、中部地建の担当者が教えなかった理由がすぐに分かりました。安八水害は、台風の影響でシャワーのような大雨が4日間も降り続いたことで起きています。この時の決壊場所付近の実測最大流量は、毎秒6400トンです。でも、破堤現場近くの長良川墨俣水位観測所で記録した水位は、この4日間の最高でも、堤防下2メートルに建設省が定めた安全ライン(計画高水位)より、さらに1メートル以上も下だったのです。

つまり、堤防上から見れば、一番水かさが増した時でさえ、3メートル下にしか水は来ていなかったことになります。堤防高には、十分な余裕はあったのです。それでも、大量の水が家屋や田畑を飲み込んで、大水害になったのは堤防に弱い個所があり、その場所に穴が開き、もろくも崩れたのが原因です。

この取材から明確になったのは、安八水害は、長良川の堤防高や川幅、川底の深さ、つまり流下能力(河道容量)の不足によって起きた水害ではなかったと言うことです。

分かり易くするため、タンクに例えてみましょう。タンクの一番上から2メートルに安全ラインが引かれていて、「ここまでは水を張っても安全」と、メーカーは保証していたとします。ところが、このラインよりさらに1メートルも下しか、水を張っていない段階でもう水が漏れ始め、タンクは壊れてしまったようなものです。

メーカーがタンクの側壁に亀裂・欠陥があったのを見逃していたのが原因です。当然、対策は亀裂のあった側壁の補修・強化です。ところが、当時のメーカー(建設省)は亀裂を見逃していたことには口を拭い、住民が知らないのをいいことに、「タンクから水を漏れないようにするには、タンクの容量をもっと増やす必要がある」と言うような主張をしていたのです。

少なくとも、私が取材した水位と水量データからはっきりしたことは、安八水害の毎秒6400トン程度の大水なら、安全ライン以下の水量では崩れない程度の堤の強度(完成堤防)があれば、水害対策としては十分だったと言うことです。河口堰の建設・浚渫ももちろん必要ありません。

安八水害では、多くの家が流され、命を失った人もいます。水害の自らの責任に触れず、堰建設の口実にするのは許されることではありません。

建設省は、川底を浚渫で堀下げ、水を流す河道容量を増やすことを目的とする堰工事を宣伝している暇と金があったなら、堤防を点検して弱い個所を見つけ、対策工事をすることが先決だったのです。まして、この水害を理由に、「治水のために河口堰を」と声高に叫んでいる建設官僚は、厚顔無恥としか言いようがなく、被災者への裏切りです。

私はこの時の連載で、建設省に対する怒りを込め、「安八水害を二度と起こさない」は、「堰を建設する理由にはならない」と明確に書き、建設省に釘を刺しました。

この連載は普通に記事になりましたし、私もこれをもって、「報道弾圧」などと騒ぐ理由もありません。ただ、建設省の官僚や政治家も、こんな連載程度で「悪うございました」と、堰建設を断念するほど生易しい、素直な人ではありません。その頃の建設省は、着工に少しでも都合の悪い記事が載ると、揚げ足を捉えてでも強硬に抗議。議論をすり替えてでも、何とか平行線に持ち込み、その間に事業を遂行していくのも常でした。

私にとっても、この程度の取材は序の口です。これで堰工事が止められるとも、思っていませんでした。連載記事は出発点であっても、私の取材の到達点ではありません。「治水上、堰が必要ない」と言う決定的な証拠を握るため、ここから隠された極秘資料を巡り、建設省と私との血みどろの闘いが始まったのです。

◆建設省の言い分

ここで建設省が、「治水のために」河口堰を建設するとしていた理由を簡単に紹介しておきます。

建設省の言い分によると、長良川の流域で90年に一度(90年確率)という、とてつもない大雨が降った場合、岐阜県南部から三重県の河口にまで繋がる下流部では、毎秒7500トンという大量の水(計画高水量)が流れます。

ところが当時の現況の長良川では、河道の容量、つまり流下能力が不足するから、その時の水位が堤防2メートル下に設定している安全ライン(計画高水位)を超え、堤防から水が溢れたり、堤防が崩れたりで、水害になる。防ぐには、流下能力、つまり河道の容量を増やす河川改修工事が必要、と言うものです。

工事には3つの方法が考えられました。?堤防を拡幅して、川幅を広げる?堤防をかさ上げする?川底を浚渫、深くして河道の容量を増やす??というものです。

しかし、?では、堤防をさらに外に出すため、民有地の買収など費用もかかり過ぎる?では、堤防には多くの道路や鉄道の橋が架かっていて、それも一緒にかさ上げすると費用もかかる??として退けられました。残るは?の浚渫です。

でも、先に書いた通り長良川の場合、河口近くでは、海面とほぼ同じ高さで水が流れています。これ以上川底を掘ると、海水が逆流します。せっかく溜めた水も塩水では利用価値がありません。周囲の田畑にも塩害が拡がるため、堰で海水の遡上を防ぐ??これが「治水のために」堰を建設する根拠です。

安八水害での私の取材が、「治水上、堰が必要」か否かを検証する報道の出発点ではあっても、ゴールではないのは、前記の記述から、読者の皆さんも気付かれたと思います。毎秒6400トンが流れた安八水害程度の大雨なら、堰を必要とするような大規模治水工事が必要ないことは先の取材で立証出来ています。ても、7500トンではどうなのか?…は、素人的には建設省の言い分が怪しいと思っても、何一つウソだと証明する証拠はないのです。

先のタンクの例に置き換えてみましょう。6400トンの水を入れた時、タンク上から3メートル下しか来ないのに壊れたのは、側面の亀裂が原因です。この程度をもう一度水を入れるだけなら、タンク内部の補強で済むことは、先の連載記事で誰の目にも明らかになったことです。

しかし、問題は7500トン入れた時、タンク最上部から2メートル下の安全ラインを上回るかどうかです。上回るなら、タンクの容量を増やす容量拡大工事が必要になりますから、建設省がそう言い張れば、議論は平行線にならざるを得ないのです。

もちろん、安八水害連載の後、私は何度も建設省に「堰が治水上必要と言うなら、7500トン流れた時、堤防の安全ラインをどれくらい上回るのか。明確な水位を数字で明らかにして欲しい」と、質問していました。でも、建設省がまともに答えることはありませんでした。

そうなら私が記者である以上は、建設省がひた隠しにしたデータを自力で掘り起こし、7500トン流れた時の長良川水位を明らかにする以外にありません。それが私の得意とする調査報道でもあるのです。

報道は、何も自己満足のためや、社内評価を高めるためにするものではありません。社会で多くの人の共感を得て、政策変更などの結果が伴わなければ意味がないのです。そのためには、建設省が「あなたの勝手な計算でしょう」などと、簡単にあしらわれない、相手にグーの音も出ない方法でなければならないことも、お分かり戴けると思います。

そんなやり方を追い求めていくうち、その方法が1989年、やっと見つかったのです。

ここまで書いて来たところで、私の前置きが長かったせいもあり、今回の本欄の紙数も尽きました。もともとややこしい数字の多い河川工学の難解な話です。私にお付き合い下さり、読んで戴いた読者の皆さんもさぞかしお疲れになったと思います。そこで、私が、この解明をどのようにしたのか。続きは次回の本欄で書きたいと思います。ぜひ、次回の本欄もご愛読下さい。

 

≪筆者紹介≫ 吉竹幸則(よしたけ・ゆきのり)

フリージャーナリスト。元朝日新聞記者。名古屋本社社会部で、警察、司法、調査報道などを担当。東京本社政治部で、首相番、自民党サブキャップ、遊軍、内政キャップを歴任。無駄な公共事業・長良川河口堰のウソを暴く報道を朝日から止められ、記者の職を剥奪され、名古屋本社広報室長を経て、ブラ勤に至る。記者の「報道実現権」を主張、朝日相手の不当差別訴訟は、戦前同様の報道規制に道を開く裁判所のデッチ上げ判決で敗訴に至る。その経過を描き、国民の「知る権利」の危機を訴える「報道弾圧」(東京図書出版)著者。

2013年05月23日 (木曜日)

「押し紙」裁判(原告・読売VS被告・新潮社+黒薮)で、読売(渡辺恒雄主筆)の勝訴が決定したことで、新聞販売の問題が忘れられてしまう危機が訪れた。「黒書」でも報じたように、新聞社が主張する「押し紙」の定義は、単に販売店で過剰になった新聞というだけでは不十分で、強制的に買い取らされた証拠がある新聞であることが条件になる。証拠がなければ、「押し紙」ではない。

従って立証が極めて難しい。

しかし、新聞人が主張する狭義の「押し紙」が存在しないことが、部数が偽装されていないことを意味するわけではない。少なくとも搬入部数と実配部数に大きな差異があることは疑いない。多くの販売店で新聞は過剰になっている。

「押し紙」問題の本質は、裁判所が考えているように、新聞社が余分な新聞を押し付けたか、否かではなくて、新聞業界が公称部数を偽っている事実である。この点にメスを入れなければ意味がない。

次に示すのは、真村裁判の弁護団がパンフの中で、定義している「押し紙」である。不正収入が、全国で135億円/月の試算が示されている。

(PDF=『新聞の偽装部数について考える「押し紙」を知っていますか?』)

2013年05月22日 (水曜日)

一旦設置されてしまった携帯基地局を撤去させることはかなり難しいというのがこれまでの定説だった。しかし、ここ数年は状況が変化している。設置されてからわずか3週間足らずで撤去にこぎ着けた奈良市のケースを紹介しよう。

5月18日、わたしはコスモス寺として有名な奈良市の般若寺を訪ねた。629年に創立された名刹で、桜門が国宝に登録されているほか、本尊の木造文殊菩薩騎獅像などは重要文化財である。

緑樹と花に包まれた般若寺に隣接する駐車場にイーモバイル基地局の鉄塔が建ったのは、3月末だった。高さ15メートル。茶色い鉄のポールである。

住職の工藤良任さんは、最初、電磁波による人体影響よりも、むしろ景観が損なわれることを懸念したという。自然界にとけ込んだ歴史ある寺とグロテスクな鉄塔は釣り合わない。生命を尊ぶ仏教の思想とも相容れない。わたしには住職の思いがよく理解できた。

電磁波の危険性について工藤住職は、電子レンジのマイクロ派が人体に有害な影響を及ぼすことや、携帯電磁波が医療機器を誤作動させる恐れがあるといった程度のことは知っていた。そこで電磁波について詳しく調べてみた。その結果、携帯基地局の周辺に住む住民の間に健康被害が広がっていることなどを知ったのである。

幸いに基地局本体とアンテナの接続は完了していなかった。そこで電話で基地局の設置作業を担当した日本アンテナの責任者を呼び出し、工事をペンディングにするよに申し入れた。

その後、日本アンテナは住民説明会を提案してきた。しかし、説明会を開いたことを口実に、工事を再開さることを警戒して、般若寺側はそれを断った。

工事をストップさせると同時に、住職らはビラを配布したり、基地局の地権者と話し合った。地権者は、基地局設置に際しては、電話会社側が近隣住民の許可を得ることを前提条件にしていたという。しかし、工事の告知はしたものの、基地局から発せられる電磁波のリスクを住民に説明するプロセスは踏んでいなかった。こうした経緯があったので、地権者も基地局の撤去を申し入れたのである。

住民運動の広がりを前に、イーモバイルは早々と撤去を決定したようだ。4月13日に基地局を撤去することを約束した。そして実際、予定通りに鉄塔を撤去し、般若寺に作業の完了を報告したのである。

般若寺の基地局問題は異例のスピードで解決した。勝因は、般若寺の影響力を電話会社が警戒した結果ではないか。この寺は昔から社会問題の解決にもかかわってきた。たとえば鎌倉時代、僧侶たちはハンセン病などの不治の病に苦しむ人々を救済するボランティア活動を展開していた。寺の近くには「北山十八間戸」(国の史跡)という収容施設もあった。

工藤住職も反戦・平和の運動に携わっている。「生命をうとんじるものとは戦う」というのが住職の信念である。そんな住職の姿勢と般若寺の伝統が、電話会社をひるませたのかも知れない。

■「電磁波の危険」を考える市民のつどい。

日時:6月7日(金) 午後2時?4時

会場:奈良若草公民館

(詳細は=ここをクリック)?

2013年05月17日 (金曜日)

読売新聞のABC部数のうち即売部数が、この10年間で約6倍に増えていることが分かった。即売部数というのは、駅のキオスク、コンビニ、ホテル、ファミリーレストランなどで、販売されたり、無料配布される新聞部数のことである。

ABC部数の統計資料である『新聞発行社レポート』によると、2002年下期における読売の即売部数は、2万5037部だった。以下、次のような変遷をたどる。

2004年下期:2万3690部

2006年下期:3万2367部

2008年下期:6万7736部

2010年下期:13万2721部

2012年下期:15万1657部

(新聞発行社レポート=ここをクリック)

ちなみにABC部数は、政府広告など公共広告の掲載価格を決める際の基礎データとなる。一般企業の広告は、ABC部数以外の要素を考慮して価格を決めるが、公共広告の場合は、ABC部数が唯一の規準になる。

次に示すのは、2007年?2010年の4年間に新聞各社が受け取った政府広告(内閣府分)の総額である。ABC部数のランキング読売、朝日、毎日の序列が、そのまま広告価格に反映されている。

読売:20億6800万円

朝日:17億8400万円

毎日:10億2000万円

(お詫び:ウエブサイトにトラブルが発生しているために、解決するまでのあいだ掲載の形式を「全文公開」にします。)

2013年05月15日 (水曜日)

次にPDFで紹介するのは、読売VS新潮社(+黒薮)の裁判で、読売側の訴状である。作成したのは、自由人権協会代表理事の喜田村洋一弁護士と事務局長の藤原家康弁護士である。この裁判は、自由人権協会の代表理事と事務局長が改憲論の先鋒・読売を擁護したのである。

 (訴状=ここをクリック)

「第2請求の原因(2)」の箇所では、エリート意識と他人に対する蔑視を露呈している。受験教育の弊害かも知れない。

2013年05月13日 (月曜日)

読売VS新潮社(+黒薮)の裁判が最高裁で決着したことは、既に述べたとおりである。読売の勝訴が確定した。

この裁判について、今後、解明していかなければならない点がいくつかある。そのうちのひとつは、読売が問題視した記事「『新聞業界』最大のタブー『押し紙』を斬る!」の中に、引用した竹内啓・東京大学名誉教授のコメントをめぐる顛末である。

竹内氏は、記事の中にわたしが引用した滋賀クロスメディア」による調査??それは各紙の新聞購読者数を調査したもので、各紙の「押し紙」率を推定するための基礎資料のひとつになった統計調査を次のように評価していた。

その手法は、統計調査として非常にまともだと思います。電話、戸別訪問、そしてポストの確認と、かなり綿密な調査ができている。購読判明件数も14万件と多いですし、購読不明の件数が多い点は懸念材料ではありますが、信頼性は非常に高いと思います。

ところが読売が新潮社を提訴した後、わざわざ自分のコメントが誤りだったとする陳述書を裁判所へ提出したのである。結論の部分を紹介しよう。

以上の理由により、かつて週刊新潮に対して述べた「(読売新聞などの)発行部数が水増しされていることは明らかである」という発言は撤回する。それについては、このようなデータからは何も明確にはいえないとするよりほかはない。

(参考:陳述書の全文)

竹内氏の新見解を一言でいえば、調査の枝葉末節を批判しながらも、滋賀クロスメディアの調査そのものがずさんという見解である。竹内氏がどのような意見を表明しようが、それは自由である。考え方を変更したとしても、許される。

しかし、わたしが知りたいのは、なにがきっかけで自分の見解を180度変更したのかという点である。学者が自分の見解を180度変更するのは重大な行為である。

読売が提訴後に、竹内氏に対して抗議した結果、「誤り」を認め、裁判所に「『(読売新聞などの)発行部数が水増しされていることは明らかである』という発言は撤回する。」と明記した陳述書を提出したのか。

それとも裁判になっていることを知って、自主的にコメントを再考し、「誤り」に気づいて裁判所に陳述書を提出したのか?もし、後者であれば恐るべき謙虚さだ。

竹内氏には、このあたりの事情をおおやけにしてほしいものだ。さもなければ、簡単に見解を変更するいいかげんな研究者だったことになりかねない。

2013年05月09日 (木曜日)

読売新聞社(渡邊恒雄主筆)が新潮社とわたしを訴えた裁判の判決が確定した。8日、最高裁が新潮社側の上告を棄却するかたちで、読売の勝訴が決まった。

この裁判は2009年6月、週刊新潮に掲載した記事、「『新聞業界』最大のタブー『押し紙』を斬る」で名誉を棄損されたとして読売3社が、5500万円のお金を支払うように要求して起こしたものである。読売は、「押し紙」は1部も存在しないと主張した。

たとえば、宮本友丘副社長(当時、専務)は、陳述書で次のような主張を展開した。

◇「『押し紙』は一切存在しません」

被告らは、本件訴訟において、朝日新聞や毎日新聞、産経新聞など他社の販売関係者の話などを証拠として提出していますが、全く意味がないと思います。販売店による部数の自由増減と、発行本社による厳正な部数管理は、読売の伝統であり、他の新聞社とはまったく異なるからです。(9P/10P)

読売新聞社においては、新聞販売店が独自の判断で注文部数を自由に増減できる「自由増減主義」が、販売政策の基本原則です。定数を注文するのは販売店であって、発行本社ではなく、販売店の経営者が独自の裁量で決めています。(3P)

残念なことではありますが、新聞販売店が実際の部数をごまかし、水増しした部数を注文するケースがまれにあることも事実です。これは、新聞社が指示したり、押し付けたりしたわけではなく、販売店自らの意思で注文する行為であって、「押し紙」ではなく、「積み紙」と呼ばれています。(6P)

「週刊新潮」の記事では、「押し紙」という、読売新聞社が販売店に押し付けている新聞があると書かれていますが、読売新聞社においてそのような「押し紙」は一切存在しません。読売新聞東京本社、大阪本社、西部本社のいずれかを被告として、新聞販売店契約の解除をめぐって訴訟が提起されたことは何度かありますが、その中で「押し紙」が認定された判決が全くないことからも、それは明らかです。 ?  読売新聞社においては、新聞販売店が独自の判断で注文部数を自由に増減できる「自由増減主義」が、販売政策の基本原則です。定数を注文するのは販売店であって、発行本社ではなく、販売店の経営者が独自の裁量で決めています。(3P)

?■過去、新聞業界において、不公正な販売が問題となった時代もありましたが、読売新聞は、業界の旗振り役となって正常化してきた歴史があり、こうした点からも、他の新聞社とは決定的に異なるのです。(4P)

?■まず、裁判所に理解していただきたいのは、新聞社が新聞販売店に対して優越的な地位にあるわけではないことです。新聞社は、販売店に対して、テリトリー制に基づき独占販売権を与えており、購読者の氏名住所等の情報は販売店しか持っておらず、新聞社は一切把握していません。(5P)

? ■年間目標は、1店あたり平均4?5部の増紙に過ぎませんが、直近の5年間をみても、達成した販売店は全体の5割?7割程度しかありません。創刊135周年の節目の2009年は全社を挙げて増紙運動を展開しましたが、その年ですら、74%でした。仮に、被告新潮社などが言うように読売新聞社が優越的地位を濫用して、目標を達成しない販売店を次々と改廃していれば、毎年、3割?5割の販売店が改廃されていることになりますが、そのような事実は全くありません。(5P/6P)

?? ■残念なことではありますが、新聞販売店が実際の部数をごまかし、水増しした部数を注文するケースがまれにあることも事実です。これは、新聞社が指示したり、押し付けたりしたわけではなく、販売店自らの意思で注文する行為であって、「押し紙」ではなく、「積み紙」と呼ばれています。(6P)

?? ■(略)過去の裁判例にあるように、悪質な新聞販売店では、二重帳簿を作成したり、架空の読者を作り出したりして新聞社に報告するなど、様々な手段を使って、虚偽報告が発覚するのを防ごうとします。新聞社の販売店担当者は、毎月1回は必ず訪店して、業務報告を受け、経営指導を行っていますが、販売店は新聞社とは別個の独立した事業主体であり、強引に帳簿類をチェックすることはできず、巧妙な隠蔽工作を図られれば見抜くことは容易なことではありません。

?? ■読売新聞社は2年に一度、社団法人日本ABC協会(以下「ABC協会」といいます)から、部数について公査を受けています。ABC協会は、日本で唯一、新聞の部数を公正に調査、認証する機関です。国内において、第三者の立場から客観的に新聞部数を調べる組織は、ABC協会をおいて他には存在しません。被告新潮社らは、ABC協会の公査は信用性がないと主張していますが、それならば広告主は一体どこに部数の確認を求めれば良いのでしょうか。(7P)

?■一方、残紙とは、発行本社が販売店に送付し、販売店が読者に配達・販売した後に残った新聞のことなので、非販売部数のすべてが残紙となり、廃棄されるわけではありません。例えば、雨に濡れたため交換した新聞や試読紙は、非販売部数に入りますが、残紙には入りません。よって、注文部数に対して最終的に廃棄される新聞の割合は、非販売率よりもさらに低くなるわけです。(8P)

?? ■読売新聞の販売店は全国に5300店、支店を含めれば7700店に上がります。仮に「押し紙」が存在したなら、読売新聞社と販売店の信頼関係は一気に崩れます。恐らく、販売店経営者はだれも新聞社の言うことを聞かなくなるでしょう。読売新聞社において、新聞販売店とは共存共栄、運命共同体の関係なのです。

◇河内孝氏や魚住昭氏の著書を酷評

また、読売を勝訴させた東京地裁の判決は、「押し紙」問題にふれた河内孝氏の『新聞社??破綻したビジネスモデル』や魚住昭氏の『メディアと権力』を酷評している。これらの書籍は、「押し紙」の存在を指摘しているのだが、裏付けがないと切り捨てたのである。

一流のジャーナリストの調査報道を頭から全面否定するのは、甚だしい思い上がりではないだろうか。酷評するのであれば、まず、新聞販売の現場へ足を運んでからにしてほしかった。

ちなみに「押し紙」の正確な定義は次の通りである。

(「押し紙」の正確な定義=ここをクリック)?

「押し紙」問題が国会質問で取り上げられて、大きな問題になったのは1980年代の初頭だった。それから30年。「押し紙」回収業が一大産業として成り立っている。

司法が「押し紙」問題にメスを入れない理由は、新聞社が販売店に新聞を押し売りした証拠に乏しいからにほかならない。しかし、これまで起こされた「押し紙」裁判で、裁判所も認めざるを得なくなっている点がある。それは販売店に多量の新聞が余っている事実である。これだけは否定できない。

裁判所は、これらの新聞は販売店が自主的に買い取った結果発生したと解釈している。つまり押し売りしたものでないから、「押し紙」ではないという論法である。「押し紙」の定義そのものを誤っているのである。新聞社の言い分を鵜呑みにした結果にほかならない。

一般市民の立場からすれば、販売店で過剰になっている新聞は新聞社が押し売りした結果発生したのか、それとも販売店が自主的に買い取った結果発生したのかはあまり重要ではない。過剰な新聞により、ABC部数をかさあげして、紙面広告の営業を優位に展開しようとしていることが問題なのだ。

裁判所はこの点には踏み込もうとはしない。30年にわたって放置している。

2013年05月07日 (火曜日)

経済同友会が4月5日に発表した「『実行可能』な安全保障の再構築」と題する提言は興味深い。はからずも、改憲によって財界が獲得を目指しているものが何かを露呈している。

 (「『実行可能』な安全保障の再構築」の全文)

提言しているのは、経済同友会の「安全保障委員会」である。委員長は双日(旧日商岩井、旧ニチメン)の加藤豊会長である。海外を舞台とする総合商社のビジネスと海外派兵はどう関連するのだろうか。

改憲といえば、日本を戦前の軍国主義へ回帰させることを狙っているような印象がある。事実、声だかに改憲を主張している人々の心中は、そのような野心に満ちているようだ。たとえば石原慎太郎氏は、朝日新聞のインタビューの中で、日本は「軍事国家になるべきだ」と語っている。

また、改憲に固執してきた安部内閣の閣僚たちが、靖国神社に参拝(安倍首相は参拝の代わりに、供物を内閣総理大臣名で奉納)したことも、改憲=戦前の軍国主義のイメージを拡散する。

さらに改憲を肯定的にとらえている人々は、9条の改正=国際貢献と考えている。世界情勢の変化の中で、古くなった憲法を改正するという極めて単純な発想である。

しかし、改憲の本当の目的は、若干別のところにあるようだ。メディアで報道されている表向きの部分とは異なるようだ。経済同友会の文書を読むと、それがよくわかる。

が、この点に立ち入る前に、安部内閣の閣僚による靖国参拝をめぐる海外の反応に言及しておこう。

韓国や中国が、靖国参拝に反発したことは想定の範囲だったが、意外なことに日本の同盟国である米国でも批判の声が上がった。なぜか?答えは簡単で、ビジネスの国境が消え始めている状況下で、多国籍企業が展開している国際ビジネスに支障が生じかねないからだ。

これはわたしの推測になるが、アジアに進出している日本の多国籍企業も、米国と同じ受け止め方をしているのではないかと思う。企業人は極めてシビアーだ。自社にとって利益になるか否かで物事を判断する。

安部内閣の閣僚たちは、おそらく財界のご機嫌を取ろうとして、靖国神社に参拝したり、尖閣諸島を国有化したり、右翼的な発言を繰り返しているのではないかと思うが、財界の思惑は若干異なるようだ。

結論を先に言えば、多国籍企業の権益を守るために、憲法を改正して、海外派兵の体制を整えてほしいというのが、財界の要望である。それ以外の何物でもない。右翼が主張するように、憲法は米国が作ったものだから、改憲が必要といった論理は表面上の理由に過ぎない。

◆「『実行可能』な安全保障の再構築」

「『実行可能』な安全保障の再構築」の中身を検証してみよう。経済同友会は、多国籍企業の活動と海外派兵の体制について、次のように述べている。

邦人保護体制の強化に向けた実効性ある検討を

企業活動のグローバル化に代表されるように、国民の安全・財産は、日本の領 域内のみにとどまるものではない。自ら選択して海外に出る以上、安全確保のための方策を自ら講じることは、個人・企業の別を問わず当然の責任であろう。その一方、非常事において、国民の安全や権利を守ることは、国家の究極的な責任であると考える。

また、提言は海外からエネルギー源を確保するためには、武力行使も正当化すべきとの主張を展開している。

エネルギー資源のほぼ全量を輸入に頼る日本にとって、その安定的な確保 は持続的な経済成長の基盤であり、死活的な重要性を持つ。

 国際情勢の変化に伴うエネルギーの安定確保リスクを低減するためには、 エネルギー政策を安全保障政策の一環としてとらえ、一次エネルギーの種類 の多様化と、その輸入元の多様化等の施策を、計画的に実施していくことが 必要である。

 また、万が一の輸入途絶やエネルギー価格暴騰等のリスクに備える上では、 エネルギー自給率の向上という観点も重要である。そのため、基本的には、 本会が主張してきた「縮原発」8の方向性を踏まえつつ、安定的なエネルギー 源として、原子力発電を維持していくことは、安全保障上も極めて重要な意 味を持つと言える。

「エネルギー政策を安全保障政策の一環としてとらえ」るように提言しているのである。これは武力でエネルギー源を防衛すべきだという論理である。

さらに驚くべきことに、経済同友会は、提言の中で緊急事態基本法の制定を求めている。その内容は次のようなものである。

具体的には、首相を長とする意思決定の迅速化と現場指揮権の明確化を通じ、 国民の生命・財産の保護を達成するため、2004 年の自公民三党合意を踏襲し、早期に緊急事態基本法を制定すべきである。5  さらに、防衛省と他省庁、自治体との連携を円滑に行う観点からは、そうした緊急事態法制に則って、具体的な運用手順・手続きを整備することを急がねばならない。例えば、有事に際して、空港、港湾、道路、電波・通信など公共施設を防衛目的で利用するような場合、予め、指示・訓令体制や利用計画の整備、訓練がなされていなければ、危機管理体制は現実的に機能するものとなり得ない。

 こうした緊急事態に際しての連携が求められるのは、各省庁間だけではない。 さまざまな事態において、土地、船舶、航空機、車両、その他施設や関連する人員など、民間からの協力が必要となる事態も想定されるだろう。この点についても、民間からの協力が必要とされる事態や協力範囲、強制力のあり方や万が一の場合の補償等、幅広い視点で、平時においてこそ、官民の間で合意を形成し、そのような連携を円滑化、強化しうる仕組み作りに取り組むことが肝要ではないか。

緊急事態基本法が成立すれば、日本人全体が多国籍企業の権益を守るための戦争に動員されることになる。 ? 結論として提言は、次のように述べて、改憲を主張している。

われわれが求める「安全保障体制の刷新」とは、実効性ある自衛と国益の保護 という観点から、現憲法の枠内において実行可能な形で、政策的・制度的な制約や不備を無くし、安全保障に関わる国際的規範や共通理解との齟齬を縮小することに他ならない。

◆ラテンアメリカと海外派兵

海外派兵と多国籍企業の関係を考える場合、ラテンアメリカにおける米国の軍事介入に焦点をあてると分かりやすい。派兵の本質が見えてくる。年代順に米軍による軍事介入(軍事訓練の指導も含む)とCIAによる介入を追ってみよう。

 ■1954年 グアテマラ

 ■1961年 キューバ  ■1964年 ブラジル

■1965年 ドミニカ共和国

■1971年 ボリビア

■1973年 チリ

■1979年 ニカラグア内戦 

■1980年?エルサルバドル内戦

■1983年 グレナダ

■1989年 パナマ

たとえば1954年にCIAが起こしたグアテマラのクーデター。当時のグアテマラは、民主的なかたちで資本主義を発展させることを基調とした政権だった。しかし、政府が農地改革の中で、米国のUFC(ユナイテッド・フルーツ・カンパニー)の農地に手をつけたとたんに、クーデターで倒された。

その後、グアテマラは反政府ゲリラとの間で30年を超える内戦に突入する。クーデターの直後、ニクソン(後に大統領)は、「グアテマラに民主主義が戻った」と発言している。

◆チリの軍事クーデター

1973年のチリの軍事クーデターも、多国籍企業の権益と深くかかわっている。チリは銅の産出国である。その銅山を所有すのは、米国の多国籍企業だった。70年に社会党と共産党を中心とする人民連合が成立すると、アジェンデ政権は、銅山を国有化した。

CIAが関与した軍事クーデターが起こったのは73年の9月11日である。人民連合の支援者は殺害されり亡命を余儀なくされた。アジェンデ大統領は自殺した。その後に成立したのは、ピノチェト将軍による軍事政権だった。(ちなみにピノチェトは、晩年になってから、人権侵害などで裁判攻めにされた。妥当な対抗策といえよう)

◆中米への介入

80年代のニカラグアへの軍事介入は、直接多国籍企業の権益とは関係ないが、(ただ、運河の建設を巡る米国利権説はある)構図としては同じである。ニカラグアは、独裁者ソモサ一家の独壇場だった。ソモサは米国を後ろ盾として、ニカラグアの政治から、経済・軍事に至るまで約40年に渡って私物化していた。その見返りに安価なコーヒーなどがニカラグアから米国へ輸出された。

さらに米国がニカラグア革命に介入したのは、民族自決運動の波が中米全体に広がって米国のフルーツ会社などの権益を侵すことを懸念した事情もあったようだ。 ?  いずれにしても自国の権益を守るために米軍の投入が行われてきたのである。これが歴史の事実である。米軍と日本の自衛隊の関係について考察するとき、これらの事実を無視することはできない。

2013年05月06日 (月曜日)

年約400億円にもなる政府広報費をめぐる取り引きに、ゼネコン並みの下請け構造によって「他人のふんどしで相撲をとる」中抜きの構図があることが、情報開示請求によって分かった。

2010年11月、全国72紙の朝刊に掲載された税金の還付にまつわる政府広告では、約1億円の予算が投じられたが、その広告枠を仲介したのは、電通(一部は読売エージェンシー、日本経済社)。

ところが、その版下製作は、この3社とは別に、毎日新聞グループの「毎日広告社」が担当していた。3社は広告業の柱である広告制作を実施せず、仲介料だけ中抜き。

しかもその額は推定1500万円となり、全体(400億円)にあてはめれば約60億円にもなる。前民主党政権は政府広報費の事業仕分けで一部の経費だけ縮小したが、「丸投げ」で税金を中抜きするビジネスモデルそのものには切り込まなかった。政府広報による税金無駄遣いのカラクリに迫る。(朝日・読売・日経への政府広報支出一覧はPDFダウンロード可)【続きはマイニュースジャパン】