2013年07月08日 (月曜日)

これまでわたしが取材した裁判で、判決だけではなく進行プロセスに疑問がある裁判の典型は、第2次真村裁判である。判決の内容そのものに検証しなければならない疑問点が多数見うけられるだけではなくて、裁判所当局が担当裁判官を決定したり異動させた背景がよく分からない。疑問の種になっている。

真村裁判は、1次裁判と2次裁判に大別できる。1次裁判は真村さんの完全勝訴だった。2007年12月に最高裁で判決が確定した。

訴因は、読売が真村さん経営のYC広川を強制改廃しようとして、「飼い殺し」などのハラスメントに及んだことである。裁判の過程で、偽装部数や虚偽報告など、日本の新聞社がかかえる大問題が暴露された。最高裁は、読売の販売政策の下では、反省すべきは読売であり、真村さんが販売店を廃業しなくてはならない正当な理由はなにもないと判断したのである。

ところが最高裁で判決が確定した半年後の2008年7月、読売は一方的にYC広川との取引を打ち切った。そこで真村さんは、地位保全の仮処分を申し立てると同時に、再び本裁判を起こした。これが第2次真村裁判である。

第2次裁判の結果は次の通りである。舞台は福岡地裁である。

1、仮処分       真村勝訴

2、仮処分(異議審)   真村勝訴

3、仮処分(抗告?高裁) 真村勝訴

4、仮処分(特別抗告) 真村勝訴

1、地裁本訴       読売勝訴

2、高裁本訴       読売勝訴

3、最高裁        読売勝訴

 仮処分と本訴が同時に進行していたのである。仮処分の審尋には、約2年の歳月を要した。

◇木村元昭裁判官の軌跡??

このうち仮処分の異議審で真村さんを勝訴させたのは、木村元昭裁判官だった。仮処分としては、異例の25ページにも及ぶ判決文で、読売の主張を退けたのである。

 さらに真村氏の後任者としてすでに販売店経営に着手している店主とも話し合って、真村氏に営業権を移譲するように命じている。次の判決文(PDF)の青で囲った部分である。

(判決の後任者との話し合いに関する部分=PDFここをクリック)?

 木村裁判官は、この判決を下した2週間後の2月1日に那覇地裁へ所長として赴任した。

 その後、真村さんは仮処分裁判を勝ち進む。ところが抗告(高裁)で勝訴した数日後に本訴(地裁)の判決があり、意外にも敗訴した。

? そこで真村さんは高裁へ控訴した。控訴審が始まって間もなくすると、裁判官の交代があった。1年半前に仮処分裁判(異議審)で、真村氏を勝訴させた木村元昭裁判官が、那覇から福岡へ戻り、真村裁判を担当することになったのである。

 そして真村氏を敗訴させたのだ。仮処分では真村氏を勝訴させ、経営権を取り戻せるように、後任店主との話し合いを勧めていた同じ裁判官が、今度は180度異なった判決を下したのである。

 次に示すのが、木村元昭裁判官が執筆した2つの判決である。同じ人物が書いたとは思えない正反対の内容だ。

◇「黒薮への協力」をどう判決したか?  

読売が真村さんの解任を正当と主張した理由のひとつに、「黒薮への協力」がある。つまり真村さんがわたしの取材を受けて、情報を提供したことが、正当な解任理由になると主張したのである。

 木村裁判官は、仮処分の判決では、このような理由を認めなかった。しかし、本訴では、認めたのである。

(仮処分=PFDここをクリック)

(本訴=PFDここをクリック)??

ちなみに本訴の判決は、最高裁も認定している。そこで現在、真村さんがわたしに提供した資料で、裁判所が問題にしている資料(真村さんの敗因になった具体的な資料)とは、何かを情報公開請求のかたちで最高裁に問い合わせている。

この裁判の読売側代理人を務め、読売の販売政策をサポートしてきたのが、自由人権協会の喜田村洋一代表理事らである。(続く)

 

2013年07月05日 (金曜日)

4日付け記事で重要な記述を落としていたので補足する。

携帯基地局に関する部分で、三潴(みずま)裁判(福岡地裁)についての記述が抜けていたのである。この裁判にも田中哲郎裁判官がかかわっている。しかも、かなり奇妙なかかわり方をしていることが、関係者らの話で明らかになった。

三潴裁判は、久留米市の三潴地区の住民が、2002年に基地局の操業停止を求めて起こした裁判である。この裁判で不可解なのは、結審の日に裁判長が交代したことである。

三潴裁判に先行する2件の裁判で住民を敗訴させた田中哲郎裁判官が、「わざわざ結審の日に福岡地裁久留米支部へ赴任」(『隠れた携帯基地局公害』緑風出版)し、三潴裁判の裁判長になったのだ。つまり敗訴の判決を書くために人事異動させられたとしか解釈できない。

(上記の記述を、4付日け記事に赤字で加えました)

その後、田中裁判官は2013年4月、福岡地裁を経て、福岡高裁宮崎支部へ赴任し、延岡大貫裁判の裁判長になった。

◆延岡裁判の裁判長に就任

延岡大貫裁判は、繰り返し報じてきたように、延岡市の住民30名が、携帯電磁波による健康被害を理由に、KDDI基地局の操業停止を求めたものである。携帯電磁波による実質的な健康被害が訴因になったこともあって、全国の注目を集めた。メディアも大々的に報じた。

判決は住民敗訴だった。しかし、結審から判決までに8カ月を要しており、裁判所も敗訴理由を探すのに時間を要した。結局、健康被害が発生している事実については認定せざるを得なかった。

当然、控訴審で住民側が逆転する可能性がかなりあった。 ? ところが舞台が福岡高裁・宮崎支部に移り、第2回の口頭弁論で、田中哲郎裁判官が姿を見せたのである。

さらにその後、取材を進めると、次のことが分かった。  三潴裁判で、田中哲郎裁判長と共に裁判官を務めた増尾崇裁判官が4月1日付で福岡高裁宮崎支部に異動になってたのである。 ?  増尾裁判官は延岡大貫裁判の担当にはなっていないが、この裁判を担当する3名の裁判官のだれかが異動になれば、彼が代役を務める可能性もある。

(参考=PDF田中哲郎裁判官の異動歴)

2013年07月04日 (木曜日)

司法の劣化が顕著になっている。なんらかのかたちで裁判に係った体験がある読者の中には、司法制度に対する不信感を募らせている人が多いのではないだろうか。小泉元首相が委員長に就任してスタートした司法制度改革の結果、三権分立は崩壊した。あるいは元々、三権分立は幻想だった。

日本の裁判のずさんな実態が次々と浮上している。裁判官の人事をコントロールしている者が、影で判決をあやつっている可能性もある。

ここ数年の間、わたしは新聞販売問題に関する裁判と、携帯基地局に関する裁判を取材してきた。その中で、具体的に「不自然」と感じたことを記してみよう。

◆田中哲郎裁判官のケース

携帯基地局からは、マイクロ派と呼ばれる電磁波が放出されている。これは放射線の仲間で、最近になって遺伝子毒性が指摘されるようになってきた。マイクロ波が遺伝子を破壊して、癌などのリスクを高めるというのだ。実際、海外で行われた疫学調査では、携帯基地局の周辺に住む住民の癌発症率が、その他の地域よりも高いという結果が出ている。(ドイツ、イスラエル、ブラジルなど)

携帯基地局の撤去を求める住民訴訟はたびたび起こされてきた。

2004年6月25日に熊本地裁で、2つの訴訟の判決が下された。沼山津裁判と御領裁判である。いずれの裁判でも、田中哲郎判事が裁判長を務めた。

判決は住民の敗訴だった。 ?田中哲郎裁判官は、三潴裁判にもかかわっている。

◆三潴裁判

 三潴裁判は、久留米市の三潴地区の住民が、2002年に基地局の操業停止を求めて起こした裁判である。この裁判で不可解なのは、結審の日に裁判長が交代したことである。

 三潴裁判に先行する2件の裁判で住民を敗訴させた田中哲郎裁判官が、「わざわざ結審の日に福岡地裁久留米支部へ赴任」(『隠れた携帯基地局公害』緑風出版)し、三潴裁判の裁判長になったのだ。つまり敗訴の判決を書くために人事異動させられたとしか解釈できない。

田中判事に対する不信感は、その後、次に紹介する延岡裁判とのかかわりの中で深まっていく。裁判官の人事そのものが不自然なのだ。

◆人事異動による判決のコントロール? 

この裁判は、携帯基地局からの電磁波で、実際に発生した健康被害を根拠に、基地局の撤去を求めたものである。それ以前は、健康被害を受ける可能性を根拠とした裁判だったが、延岡のケースは、携帯電磁波による実被害を根拠にしたはじめての裁判だった。それだけに全国の注目を集めた。

裁判官も判断に迷ったのか、結審から、判決まで8カ月を要した。が、判決の結果は、住民敗訴だった。

しかし、裁判所は基地局周辺で健康被害が発生している事実は認定した。当然、控訴審では住民が逆転勝訴するのではないかとの見方が広がった。   ? ところが第2回の口頭弁論から、4月に着任したばかりの田中哲郎判事が裁判長に主任したのだ。現在、裁判は進行中である。住民敗訴の可能性が高い。

わたしは裁判官人事による判決のコントロールを疑う。

◇平山・黒薮の裁判でも裁判官の人事異動

2008年3月1日、読売はYC久留米文化センター前店を強制的に改廃した。これに対して店主の平山春男さんは、福岡地裁・久留米支部へ地位保全の仮処分命令を申し立てた。

判決は、平山さんの勝訴だった。これに対して読売は異議を申立て、異議審になった。この段階で登場したのが、田中哲郎判事だった。田中判事は、平山氏を敗訴させ、読売を逆転勝訴させた。

一方、地位保全の本裁判は、福岡地裁(福岡地裁)で進行していた。当時、わたしも福岡地裁で、読売に対する損害賠償裁判を起こしていた。つまり読売相手の平山裁判と黒薮裁判が同時進行していたのだ。

この福岡地裁へ久留米支部から赴任してきたのが、田中哲郎判事だった。そして平山裁判と黒薮裁判の裁判長に就任したのである。平山さんにしてみれば、仮処分裁判の異議審で自分を敗訴させた判事が、新たに裁判長に就任したわけだから納得出来なかったに違いない。

判決は、いずれの裁判も平山、黒薮の敗訴だった。

これら一連の裁判よりも、もっと不自然なのは、真村裁判と木村元昭裁判官の関係である(続く)

2013年07月02日 (火曜日)

新聞の公共広告の適正な版下製作費はどの程度なのだろうか。6月27日付けの「黒書」では、公共広告のスポンサーである省庁により、価格に大きなばらつきがあることを伝えた。特に財務省はその傾向が著しく、通常は、広告1件につき100万円から250万円ぐらいの価格設定であるにもかかわらず、2件で2000万円を超えているケースもみられる。

その後、わたしは財務省が発注した他の公共広告についても、版下製作費を調べてみた。その結果、やはり異常に高い価格が設定され、しかも、支払先(請求元)が黒マックで塗りつぶされていることが分かった。

詳細を伝える前に、まず、正常の領域と思われる版下製作費の請求書を紹介しよう。毎日広告社のもので、価格は約173万円。

(請求書=ここをクリック)

この数字を基に、以下???の請求書を検証すると価格の違いが顕著に浮かびあがる。

平成20年度国債広告の制作・実施(9月分) ? 制作費は、約5800万円。

(請求書=ここをクリック)

平成20年度国債広告の制作・実施(3月分) ? 制作費は、約5700万円。

(請求書=ここをクリック)??

請求内容が黒塗りされ、まったく不明なものもある。従って版下の製作本数も不明だが、「印刷製本費」の総額として、約2800万円を請求している。

(請求書=ここをクリック)

財務省は、広告制作費などの支払い先を開示できないわけだから、ジャーナリズムの立場からすると、今後、より詳細な調査が不可欠になる。

2013年06月28日 (金曜日)

最高裁に対して「朝日、読売、日経が上告人か被上告人になった裁判の判決結果を示す文書を2000年度に遡って公開するように請求」した件について、6月26日付けの文書が最高裁から届いた。次のような内容だった。

「文書の探索及び精査に時間を要しているため、30日以内に回答することができません。なお、回答予定時期につきましては、本日から2か月程度かかる見込みですので御了解願います」

(通知の全文=ここをクリック)

◇「2230万円支払え裁判」

わたしが上記の情報公開を請求している理由は、朝日、読売、日経は裁判ではめったに敗訴しないという話を耳にしたからだ。それが事実であるかを調査するために、情報公開に踏み切ったのである。

わたし自身も、明らかにおかしいと感じた裁判がある。たとえば2008年に読売が、わたしの記事に対して、名誉毀損で2230万円のお金を支払うように求めた裁判。この裁判は地裁と高裁は、わたしの勝訴だった。刑事裁判ではともかくも、民事裁判では地裁と高裁で勝訴した場合、最高裁で判決が覆ることはめったにない。

しかし、「2230万円支払え裁判」では、最高裁が読売を逆転勝訴させることを小法廷の判事全員が合意して、判決を高裁を差し戻したのである。そして読売新聞に複数回登場したことがある加藤新太郎裁判官が110万円の支払いを命じたのである。わたしはこの件について、多くの法曹関係者に問い合わせをしているが、「明らかに不自然」という声が大半を占めている。

◇住民運動からも不信の声 ?

携帯基地局の撤去を求める裁判を経験した人々からも、司法がおかしくなっているという声が上がっている。たとえば、最近出版されたばかりの『隠された携帯基地局公開』(緑風出版)の中に興味深い記述がある。

原告住民らが勝訴を確信していたところ、結審の日に異変が起こった。新しい裁判長が赴任してきたのである。この人は過去に別の裁判所で携帯基地局をめぐる2件の裁判を担当し、いずれも住民を敗訴させていた。この裁判官が結審の日に事件を引き継いたのである。

原告住民らの不安は的中し、この裁判官は住民敗訴の判決を言い渡した。

この人物は、わたしが読売に対して起こした反スラップ裁判で裁判長を務めて、読売を完全勝訴させた田中哲郎氏である。

ちなみに携帯電磁波の人体影響は否定できなくなっている。田中氏の判決が誤りであった可能性が日増しに高くなっている。判断の誤りが事実で立証され場合、人を裁く裁判官職を辞するべきだろう。

◇小泉構造改革に連座した司法制度改革の失敗

裁判所が信用を失墜してしまえば、民主主義は崩壊する。  司法界は、司法制度改革を経たはずだが、皮肉なことに司法制度はかつてよりも劣化している。改革は完全に失敗に終わった。

司法制度改革を内閣にゆだねてしまったことに大きな原因がある。周知のように司法制度改革は、小泉内閣の時代に小泉首相を司法制度改革推進本部の本部長に据えてスタートした。

(司法制度改革推進本部の人事=ここをクリック)??

なぜ、内閣主導ではダメなのか?答えは簡単で、内閣主導では小泉構造改革=新自由主義の導入に連座した司法制度改革になるからだ。事実、多国籍企業のために企業法務を充実させることや、自己責任で問題解決にあたる社会の構築を目指して、弁護士人口を増やす政策が採用されたのである。

その一方で、裁判員制度を導入したり、名誉毀損裁判の賠償額を高額化した。これらの改革は、多国籍企業を日本に誘致することを前提に、日本の司法制度を米国の規準に近づけることを主眼としている。

さらに新自由主義=格差社会の下で広がる社会秩序のみだれや住民運動を抑え込むために、法による締め付けが進行している。たとえば秘密保全法の浮上である。こうした流の中で、裁判所も司法の誇りをドブに捨て、権力構造の輪に加わった可能性が高い。

2013年06月27日 (木曜日)

最高裁と内閣府に続き、その他の省庁に対しても、新聞の公共広告に関係する出費の明細を公開するように情報公開を請求した。入手した資料を検証した結果、省庁によって発注価格にばらつきがあり、不自然な金額の出費があることが分かった。

今回は財務省のケースを紹介しよう。2008年6月に45紙に掲載された「平成20年国債広告の制作・実施」を公共PRする広告のケースである。

総額:4億1370万円?(印刷製本費2361万円、雑役義務費3億9000万円)

掲載回数:1回

広告サイズ:5段の半分、ただし朝日、読売、日経は、5段。

掲載紙:45紙

この数字を、たとえば2009年度に最高裁が出稿した次の公共広告と比較してみる。

総額:6億2500万円

掲載回数:2回

広告サイズ:全面15段

掲載紙:44紙

財務省の公共広告の方が明らかに料金設定が高い。また、不自然な数字が観察される。印刷製本費として支出された2361万円である。詳細が黒塗りになっているので、断定的なことは言えないが、明らかに高い。

このケースでは、公共広告を全国の新聞45紙に掲載するとはいえ、版下は5段広告に使うものと、半5段に使うものの2種類しかない。つまり製作する版下は2種類ということになる。

次に示すのは、記録として残っている最高裁の公共広告の版下製作費である。いずれも情報公開資料から抜粋したものだ。

財務省の2361万円が妥当は妥当かどうか、比較してほしい。(ちなみに版下製作1件は、2361万円の2分にあたる1180万円と推定できる。)

■タイトル:「中小企業資金繰り対策」

サイズ: 7段

価格 :207万6900円

製作社:毎日広告社

年度:2010年度

■タイトル:「臓器移植」

サイズ: 7段

価格 :137万4450円

製作社:博報堂

年度:2010年度

■タイトル:「特別慰労品贈呈事業」

サイズ: 半5段

価格 :136万541円

製作社:東急エージェンシー

年度:2007年度

わたしが保管する版下製作費に関する情報公開資料は多い。価格はおおむね100万円から250万円ぐらいである。2つの版下製作で2361万円は、常識的に考えると不自然だ。当然、明細を明らかにするように、再度、財務省に対して情報公開を求めることになる。

■オリジナルの情報公開資料・財務省の公共広告

■参考サイト:写真と動画で見る「押し紙」(偽装部数)

2013年06月26日 (水曜日)

◆吉竹幸則(フリージャーナリスト・元朝日新聞記者)

 アベノミックスで第3の矢、「成長戦略」が出た途端、株価は大暴落しました。参院選で従来の自民の票田である既得権層に媚びを売り、肝心の規制緩和にはほとんど手付かず。具体策を欠く一方で、道路など大規模補修を隠れ蓑に「国土強靭化計画」と称して公共工事の大復活です。八ツ場ダムも建設に向けて大きく舵を切りました。これでは借金漬けで、この国はやがて沈没するのではないかと、市場が心配しても無理からぬところです。

 前回のこの欄で、官僚・政治家がいかに国民・住民を欺き、利権目当てに無駄な公共事業を押し進めるものか、私が解明を始めた長良川河口堰について、取材の経過を具体的に書いてきました。今回はその続き、二回目です。

 建設省が国交省と名前は変わっても、やっていることは、長良川河口堰も、八ツ場ダムも大きな違いがないと、私は思っています。だから、長良川河口堰で、何が行われてきたか。官僚たちにこれ以上無駄な税金を使わせないためにも、朝日が記事を止めたことで、国民・住民に知らせることが出来なかった、その「真実・内情」をぜひ、多くの皆さんに知って戴きたいのです。

◇口実となった安八水害につてのウソ  

前回のおさらいをまず、しておきましょう。 長良川河口堰計画が持ち上がったのは、1950年代の高度成長期。河口の南、四日市市に工業コンビナートが造られ、鉄鋼、化学などの重厚長大産業は、大量の工業用水を必要としていたからです。

しかし、1980年年代後半、バブルで経済は隆盛でも重厚長大産業時代は去り、水需要は全く伸びていませんでした。建設省が、河口堰の建設理由・名目を「利水」から、「治水」に大きく転換させたのはこの時です。

 格好の理由付けになったのは、1976年9月に起きた長良川安八・墨俣水害でした。何としても着工に漕ぎ着けたい建設省にとっては、「水害から住民の命を守るためには、堰は不可欠」と主張することは、水余りの中で、「税金の無駄遣い」との建設反対運動の高まりに対抗する最も好都合な理由だったという訳です。

  安八水害は、台風の影響でシャワーのような大雨が4日間も降り続いたことで起きています。しかし、この時の決壊場所付近の実測最大流量は毎秒6400トン。でも、よく取材してみると、その時の水位は4日間の最高でも、堤防下2メートルに建設省が定めた安全ライン(計画高水位)より、さらに1メートル以上も下。堤防上から見れば、3メートル下にしか水は来ていなかったのです。

 このデータから言えることは、毎秒6400トン流れる大水程度では、長良川堤防には十分な余裕はありました。「安八水害は堤防高や川幅、川底の深さが足りない流下能力(河道容量)の不足によって起きた洪水ではなかった」とまでは明確に言えます。それでも大量の濁水が家屋や田畑を飲み込んで、大水害になったのは、堤防に弱い個所があり、その場所に穴が開き、もろくも崩れたのが原因です。

◇民間なら「悪徳商法」に

 しかし、当時の建設省はそれには口を塞ぎ、「水害を防ぐためには、河道容量を拡げる河口堰は不可欠」と大宣伝。強引に着工に向けて突き進んでいました。タンクに例えれば、自らの管理が悪くタンク側壁の欠陥で穴が空き、水が漏れた事故を、タンクの容量不足のせいにして、より大きなタンクを売りつけようとしていたようなものです。

 民間なら、「悪徳商法」と言われても、言い訳は出来ないはずです。私はここまでの取材に基づき1987年、「安八水害程度の大水を防ぐには、堤防強化が先決。河道容量を増やす河口堰を着工する理由にはならない」と、連載記事で書き、釘を刺しました。

 でも、この程度の記事で河口堰建設を諦めるような軟で良心的な官僚・政治家はこの国にはいません。何故なら、治水のために長良川河口堰を建設する目的は、安八水害程度の毎秒6400トンの大水に備えるためではありません。90年に一度(90年確率)のとてつもない大雨が降った時の毎秒7500トン(計画高水量)の大水でも水害を起きないようにするのが目的です。

 私のこの取材では、6400トンの大水では、治水のために河口堰が必要ないことは証明出来ています。しかし、7500トンの大水でも堤防下2メートルの安全ラインを越えず、「水害は起きない」との立証は出来ていません。彼らはそれをいいことに、相変わらず「このままでは治水上、危険」として着工準備を進めたのです。

  では、7500トン流れた時の水位は、どうなのか。もちろん私は、建設省に何度も取材しました。しかし、肝心の部分になると口を塞ぎ、明らかにしません。隠すなら、より怪しいことは分かります。でも、記事に書くなら、明確な根拠が必要です。その解明を自力でする以外になかったのです。

 なんとも食えないこの国の官僚のことですから、学者の分析程度を根拠にするのでは、建設省は御用学者を押し立て、簡単に反論して来ます。対抗するには、「現状の長良川に7500トン流れた時でも、水位は堤防下2メートルの安全ライを下回り、河口堰のような河道容量を増やす治水工事は必要ない」との動かぬ証拠を、建設省の内部資料から見つけ出す以外にないのです。

 前回の本欄で、その方法が「1989年末、やっとその方法が見つかった」と書きました。今回はここからです。

◇決定的な証拠―建設省の極密資料を入手

 きっかけは、堰反対派の住民勉強会の取材に出掛けた時でした。講師の学者は河川工学の専門家ではないのですが、医師免許も持つ理科系の人でした。学者は、古本屋で建設省が昔に発行した長良川の『河床年報』という資料を見つけ、手に入れていました。

 年報には、長良川の川幅、深さなど200メートル毎に詳細に測量した数字がぎっしり書き込まれています。学者は、そのデータから独自の簡易な計算式で長良川の流下能力を算定。「7500トンを安全に流す河道容量があるのでは」との推論を、この勉強会で発表したのです。

 「えっ。どうしてそんなことが分かるのか」。私は眼からウロコでした。学者と私の問題意識はぴたっと一致し、意気投合。何度かお宅を訪ね、教えを乞うことが出来ました。

 学者が手に入れたのは、建設省が昔に発行した古い『河床年報』でした。この年報は2年毎に長良川河床を測量・発行され、河川管理の実務に使われています。しかし、河口堰反対運動が激しくなった時期から、新しい年報は外部には門外不出の極秘資料扱いになっていました。

 学者は、「建設省の目をくぐり、何とか最新の年報が手に入らないか。それと、どう計算するかだ。僕の自己流の簡易計算では、建設省にごまかされ逃げられる」と、残念そうに語りました。

 一方、私にとっては、大きなヒントです。『河床年報』と言うキーワードが分かると、それまで手探りだった取材は一気に加速します。仕事の合間を縫いながら、『河床年報』をどのように使い、河川の流下能力を計算するか、いくつもの河川工学の専門書を買い込んで読み漁りました。

 そのうち意外にも一番参考になったのは、他ならぬ建設省自らが監修、市販もしていた同省の行政マニュアル『河川砂防技術基準〈案〉』(山海堂)でした。

 行政マニュアルには、建設省がどのような手順で治水計画を進めるか、私が知りたい最大水量が流れた時の水位計算の仕方もズバリ書かれ、治水行政のバイブルそのものだったのです。

 『(案)』が入っているのは、住民などからマニュアルを逆手にとられ、建設省が批判された場合、「これはあくまで案に過ぎない」と逃げ道を残しておくためだとも、建設省関係者から教えてもらいました。

少しややこしくて恐縮です。河川がどれだけの水量の大水にまで耐えうるか。マニュアルに定められている建設省の検証方法を、この本に基づいて、簡単に紹介しておきましょう。

 対象となる河川の川幅、水深など河道容量を200メートルごとに細かく測量。地点ごとの詳細な断面図を何百枚も作り、それを数値化した『河床年報』を作成する。  

 大水が起きた時、水量を実測する。同時に堤防のどの高さまで水が来たか、堤防についた痕跡から、地点ごとに実際の水位も測る。流れた水量、河道容量が同じでも、川が曲がりくねっているか、川底が石か、平坦な砂地か、つまり川底の摩擦の強さによっても、水位は変わる。水量と水位の相関関係からその川ごとに水が流れる時の川底の摩擦抵抗の値(『粗度係数』)を『不等流計算式』(これも『河川砂防基準』の中にその計算方法の数式が示されている)使って割り出す。

 今度は逆に、先に算出したその川の『粗度係数』と『河床年報』のデータを用い、不等流計算式を使って、想定される最大大水時(計画高水量=長良川の場合、毎秒7500トンが流れた場合)のシミュレーション水位を200メートルごとに算出。その最高水位をつなぎ合わせ、曲線にした水位図を作成する。

 その結果、得られたシミュレーション水位曲線がその河川の堤防下の安全ライン(計画高水位=長良川の場合、堤防下2メートル)以下であれば、少なくとも河道容量をそれ以上増やすような「治水対策」は必要としない。安全ラインを上回るなら、何らかの追加対策が必要と判断する。

 以上の通りです。

◇最強無敵のウソ発見器  

若干、ややこしかったかも知しれません。もう少し分かりやすく解説してみます。 河道容量が同じ二つの川に、同じ水量を流しても、水位が同じになるとは限りません。曲がりくねっていたりして川底の摩擦が大きく、つまり『粗度係数』の高い川では、水位が高くなります。摩擦が少なく、係数の小さい川では、水位は低いのです。大水の時、実際の水位と流量を測定、その相関関係から、川ごとの摩擦の強さ・係数の値を『不等流計算』により、あらかじめ算出しておくのです。

  想定される最大大水時、どこまで水位が上がるかを知りたければ、その水量(計画高水量)と算出しておいた『粗度係数』を、『不等流計算式』に与えて逆算。その水位が、安全ライン(計画高水位)を上回るかどうかで、その川の安全度を判定します。

 つまり、水量と水位の相関関係から、摩擦抵抗、つまり『粗度係数』の値を割り出す。今度はその値を使い、知りたい水量が流れた時の水位を逆算してシミュレーションする。難解な用語を使っていますが、考えてみるとごく当たり前の計算方法ではあるのです。

 ただ、関係者によると、『不等流計算』は極めて複雑な数式。昔は熟練した技術者が対数尺を使い、一つの川で半年以上もかけて計算していたということでした。でも今では、不等流計算ソフトの入ったパソコンに、『河床年報』に記載されている河道容量のデータを打ち込みさえすれば、たちどころに結果が出ると教えてもらいました。

  もし私が、建設省の技術者が使っているのと同じ不等流計算ソフトが組み込まれたパソコンを完成出来たとします。入力するのは、『河床年報』のデータと『粗度係数』。すべて建設省が内部で使っている実務数字であり、計算式も同一。一切の主観が入り込む余地はありませんから、このパソコンは、建設省がひた隠しにしている行政マニュアル通りの水位を正確に打ち出してくれます。

 建設省がどんなにウソをつこうとも、パソコンがウソをつくことはありません。つまり、私はこのパソコンさえ作り上げることが出来れば、最強無敵のウソ発見器が手に入ります。前回のこの欄の最後に、「1989年末、やっと見つかった方法」とは、このことだったのです。

◇『河床年報』を入手

 自分たちの行政マニュアルに沿った河川の洪水危険度に関わる判定方法です。国民の血税を使うのが、建設省です。本来は、記者から最大大水時の水位の質問を受けたなら、この行政マニュアルに沿った計算結果を明らかにするのは、当然の姿勢です。でも、前述の通り、私の質問に何も答えていません。

しかし、このマニュアルが分かったからといって喜び勇み、「結果を出せ」と、建設省に強く迫るのでは、調査報道記者としては、どうしようもないほどのど素人です。相手は確信犯です。こんな質問を記者がしたなら、建設省はさらに警戒レベルを上げ、入手出来る資料まで手に入らなくなります。

 パソコンに入力しなければならないのは、?『河床年報』に記載されている川幅や水深など長良川の河道容量のデータ?『粗度係数』?『不等流計算』ソフト――です。つまり、この「3点セット」、3つのカギを建設省に悟られないよう深く潜行し、入手出来るかどうかで、取材の成否が決まります。

 ハリウッド映画流に言えば、この3つのカギが揃う時、秘密の壁の扉が音を立てて開く。その先には国民の貴重な税金を食い潰す「物の怪」の正体が、はっきり見えるに違いない。私にはそんな予感がしたのです。

◇土木学会の壁

 でも、河口堰で反対運動が盛り上がって以降、『河床年報』でさえ、門外不出の極秘扱いになっているのも、前述の通りです。『粗度係数』も不明。『河川砂防基準』に書かれている『不等流計算』の複雑な数式を見ても、文科系の私には、チンプンカンプン……。やっと、秘密の扉がある山へたどり着く地図が見つかったに過ぎません。まだその山の頂ははるか遠く、かすんで見える程度だったのです。

 しかし、私はどんなに建設省が極秘扱いしている資料で、何とか手に入れる自信はありました。もちろんその方法は取材源の秘匿にかかわることなので、ここでは明らかに出来ません。

 ただ、幾つもの入手ルートを作ることだけは、私は常に心掛けていました。一つのルートだけだと、建設省に悟られ、相手にも迷惑が掛かります。それに、そのルートが潰されるともう情報が入らないのでは、調査報道記者としては失格です。

 だから私はこの時も、方々に手を打ちました。そんな作業が実り、当時の最新の『河床年報』が手に入ったのは、1989年も暮れようとしていた頃でした。

 でも年報は、長良川河床を測量した膨大な数字の羅列だけの資料です。これから、最大7500トン流れる大水時の水位をどのように算出するか。私が数字の羅列を眺めているだけでは何も進みません。数字のパソコンへの打ち込み方が分かり、建設省のマニュアル通りの『不等流計算』の出来る専門家をどうしても探し出さねばなりません。

 こんな時、記者は専門家・学者の名簿を調べ、信頼出来るその筋の人にお願いに行くのが常道です。普通、「記者の頼みとあれば」と、快く引き受けてくれる人は比較的容易に見つかります。ところが、水理学者が所属する「土木学会」の世界だけは、かなり事情が違っていたのです。

 事情通の一人は、最初にこう忠告してくれていました。

「土木学会に所属する学者を、普通の学者と思って取材に行くと、とんでもないことになる。彼らは学者というより、建設省と一体となった技術者と考えた方がいい。建設省のデータで研究し、成果も建設省や傘下の業界でこそ生かされる。建設省を敵に回したら、学者生命すら脅かされる。大学の先生なら、教え子まで多大の迷惑がかかる。学者の素性も調べないで、下手に取材に行くと、協力してもらえるどころか、朝日は何を入手し、何を狙っているか、建設省にたちまち筒抜けになる」

◇「君には、負けたよ」

 まだ、どんな資料が追加で必要になるか。それさえ、十分に分かっていませんでした。この時期に、建設省に私の動きが察知されれば、バリアの警戒が強化され、秘密の壁はますます厚くなります。何とか、建設省に察知されずに、協力してくれる学者を見つけ出せないか。私は改めて取材の難しさを感じました。

 でも、いくら官庁権力は強力でも、協力してくれる良心的な学者は必ずいるものです。そんな思いで、建設省のバリアにひっかからないように細心の注意を払いながら、協力者を探し続けました。その結果、年も明けた1990年初頭、やっと「この人なら」という人が、一人見つかったのです。

 何としても、ひたすらその人にお願いするしかありません。しかし反応は、予想通りでして。

「せっかく来て戴きましたが、今、忙しいので、とても協力出来そうもありません」。誠実そのものといった学者は、いかにも気の毒そうにやんわり断ってきました。でも、他にもうあてはありません。

 ここで断られたら、今までなんで苦労して『河床年報』を手に入れたのか。その努力がすべて水の泡になります。実直な学者の態度にひょっとしたらという翻意の可能性も見て取った私は、ひたすら頭を下げ、説得を続けました。

 丸一日たった頃です。「君には、負けたよ」。ついに不等流計算をすることを承諾してくれたのです

「実は、私も長良川の問題に関心はある。建設省の説明は何とも歯切れが悪い。『河床年報』があれば、分析は出来る。しかし、昔は簡単だったのに最近は私たち学者にも絶対に手に入らない。だが、君がそれを持ってきた。建設省がなぜ『河床年報』を秘密にしてきたのか。それを考えると、計算結果はだいたい想像はつく。でも、計算して発表すれば、私は完全に建設省を敵に回してしまう。私の学者生命はともかく、教え子にまで迷惑をかける。あなたが私に会うのに細心の注意を払われたのだからお分かりと思う。この学会は一般の学者の世界とは違います。絶対、私の名前は出さないという条件でどうでしょうか」

 学者は、引き受ける前提として、こんな条件を持ち出して来ました。

 有難い話です。しかし、難しい水理計算・分析の話です。記事にする時、「記者の分析・計算によれば」ということで、読者に納得してもらえるだろうか。そのことが私の頭をよぎりました。私は学者にこう言いました。

――先生、それでは記事の作りようがないのです。何とか、先生の名前も記事の中に出すことで、お願い出来ないでしょうか。

 「君は、『河川砂防基準』を随分読み、勉強したんだろ。その努力に報いようと、私も引き受ける気になった。『不等流計算』は、あの本にきちんと計算式が示されている。複雑な計算で、昔は、熟練した技術者しか出来なかった。でも今ではデータの打ち込みさえ頑張ってやれば、計算ソフトがあるから、パソコンで誰でも瞬時に計算出来る。誰がやっても同じなんだから、分析者の名前は、必要ない。何なら、君に計算ソフトを渡すから、自分でパソコンを使って算出したらどうか」

◇答えはひとつ、誰が計算しても同じ

――私が、パソコンを扱うなんて、とてもとても……。それにやはり、こんな記事では、新聞に分析者の名前は必須なのです。

 「私が言っているのは、どれだけ複雑の数式でも所詮、計算式。誰がやっても式は一つしかないから、データを正確に打ち込めば、結果も一つ。足し算、引き算と何ら本質的に変わりはない。新聞で『1+1=2』と書く時、『この学者の計算では、答えは2』と書くのかね。計算者の名前を書かなくても、『不等流計算したところ』で、記事として十分通じる。建設省やどれだけ建設省寄り、つまり君たちの言う『御用学者』でも、この計算には文句のつけようはないはずだ。この計算結果の正しさを担保するのに、学者の名前は必要ないでしょう」

 言われてみれば、その通りです。足し算、引き算の結果を、学者の名前を出して書く新聞はありません。『河床年報』にあるデジタル数字を、パソコンを使った変換で、水位シミュレーションというデジタル数字に置き換えるだけの話です。アナログ的な学者の主観の入る余地は全くないのです。

「よろしくお願いします」。

 私は頭を深々と下げ、学者に計算をお願いしました。

 実はその時、私は比較的簡単に考えていました。しかし、年報の膨大な数字の羅列をひたすら間違いなく、計算ソフトに打ち込むのは、単純ですが、極めて時間のかかる面倒な作業です。学者は、「忙しい」と言いながら、多分、打ち込みに、まるまる1週間を費やしてくれたはずです。いくら感謝しても感謝しきれない気持ちでした。

 いよいよ河口堰建設の議論が煮詰まった1990年初春、そろそろ梅が咲く季節を迎えようとしていた頃です。

 これで3つのカギのうち、『河床年報』『不等流計算式』の2つが揃ったことになります。建設省のバリアをなんとかくぐり抜け、秘密の扉がある山にまではたどり着いたのです。実は、私と建設省の血みどろの闘いが本格化したのは、この時からだったのです。

 申し訳ありません。ここまで書いて来たところで今回の紙数が尽きました。読者の皆さんも、さぞお疲れになったと思います。この問題は、専門的で何とも宿命的に難解なのが難点です。前提も多く、その一つ一つを皆さんに理解して戴かないと、先に進めません。

 じらすつもりはないのですが、この続きは次回の本欄で続けます。いよいよ私の解明はクライマックスを迎えます。これに懲りず、ぜひ次回もご愛読頂ければ幸いです。

≪筆者紹介≫ 吉竹幸則(よしたけ・ゆきのり)

?フリージャーナリスト。元朝日新聞記者。名古屋本社社会部で、警察、司法、調査報道などを担当。東京本社政治部で、首相番、自民党サブキャップ、遊軍、内政キャップを歴任。無駄な公共事業・長良川河口堰のウソを暴く報道を朝日から止められ、記者の職を剥奪され、名古屋本社広報室長を経て、ブラ勤に至る。記者の「報道実現権」を主張、朝日相手の不当差別訴訟は、戦前同様の報道規制に道を開く裁判所のデッチ上げ判決で敗訴に至る。その経過を描き、国民の「知る権利」の危機を訴える『報道弾圧』(東京図書出版)著者。

2013年06月25日 (火曜日)

6月24日付けで、最高裁判所に対して新たに2件の情報公開請求を申し立てた。いずれも6月18日に最高裁が上告棄却を決定した第2次真村裁判に関するものである。

【1】 上告人・真村久三と読売新聞西部の裁判(平成24年(オ)1604号・平成24年(受)1987号)で、2013年6月18日に、上告を棄却するに至る手続き、議論などのプロセスの内容を示す全文書を公開せよ。

【2】 上告人・真村久三と読売新聞西部の裁判(平成24年(オ)1604号・平成24年(受)1987号)で、貴裁判所が2013年6月18日に、上告を棄却することで認定した福岡高裁判例(平成23年[ネ]第390号)について。 同判決の中に、上告人真村と彼の代理人弁護士らが「黒薮の取材に応じ、情報や資料の提供を行ったことは明白」(33項)という記載がある。ここで言及している「情報」「資料」に該当する証拠をすべて公開せよ。

第2次真村裁判は、YC広川の元店主・真村久三さんが店主としての地位保全を求めて起こした裁判である。しかし、18日に最高裁が上告を棄却したことで、真村氏の敗訴が決定した。

最高裁が認定したのは、福岡高裁の木村元昭裁判官が執筆した判決である。その中で木村裁判官は、真村さんと彼の弁護団がわたしの取材に応じて、「情報」や「資料」を提供したことが真村さんの解任理由として妥当との判断を示した。

しかし、木村裁判官は判決の中で「情報」「資料」の中味を明記していない。そこで読売が証拠として裁判所へ提出したはずの「情報」「資料」のうち、木村裁判官が解任理由の根拠としたものの開示を求めたのである。

やぶからぼうに「黒薮の取材に応じ、情報や資料の提供を行ったことは明白であり、控訴人(真村)は、少なくとも、黒薮の上記記事等の掲載を幇助した」 (福岡高裁判決)と、言われても、具体的にどの「情報」「資料」を指しているのか分からない。

わたしが記憶している限りでは、裁判所の閲覧室で一般公開されている資料だったはずだが・・・。

最高裁の岡部喜代子、大谷剛彦、寺田逸郎、大橋正春の4判事は、木村裁判官が執筆した福岡高裁判決を検証した上で、上告を棄却したわけだから、当然、「情報」「資料」の中味を知っているはずだ。

2013年06月24日 (月曜日)

日本ジャーナリスト会議(JCJ)の出版部会は、6月25日に「SLAPP(恫喝)訴訟を闘う」と題する報告会を開く。報告者は、わたしと田中稔さん。田中稔さんは、週刊金曜日の記事をめぐり白川司郎氏から6700万円のお金を支払うように請求されている。(週刊金曜日は訴外)

タイトル:SLAPP(恫喝)訴訟を闘う

日時:6月25日 18:30分?  ????? (黒薮、田中の順で報告)

場所:岩波セミナールーム(岩波ブックセンターの3階

(報告会についての詳細=ここをクリック)

 

諜報活動はお断り。過去の「押し紙」関係の集会で、諜報活動が発覚しています。

 

2013年06月22日 (土曜日)

21日付け「黒書」で報じたように、第2次真村訴訟が読売の完全勝訴で終わった。裁判は、最高裁が真村氏の上告を棄却するかたちで終結した。

真村訴訟は、2001年に始まった。当時、YC広川(福岡県)の店主だった真村久三さんに対して、読売が配達地区の一部を読売に返上するように求めたのが発端だった。もともと真村さんの持ち部数は約1500部と少なかったが、読売の提案を受け入れると、約500部も減ってしまう。200万円の減収になり、販売店経営が圧迫される。

後日判明したことであるが、返上した地区は、幅広く新聞ビジネスを展開する?有力店主?の弟が経営する隣接地区のYCへ譲渡する予定になっていた。

真村さんは、読売の提案を断った。それを機に読売と係争関係になり、訴訟へと発展したのである。第1次真村訴訟の間、YC広川は飼い殺しの状態にされた。それでも真村さんには経営の才覚があったので、なんとか経営を維持した。

第1次裁判は、真村さんの完全勝訴だった。地裁から最高裁まで真村氏が勝訴した。しかも、福岡高裁では、画期的な判例が生まれた。裁判所が読売による優越的地域の濫用を認定したのである。たとえば、「押し紙」については、

新聞販売店が虚偽報告をする背景には、ひたすら増紙を求め、減紙を極端に嫌う一審被告の方針があり、それは一審被告の体質にさえなっているといっても過言ではない程である。

(福岡高裁判決の全文=ここをクリック)

◇第2次真村訴訟 

最高裁で真村さんの勝訴が確定したのは、2007年12月である。翌年から読売は、わたしに対する攻撃を開始する。2008年2月から1年半の間に3件の裁判を仕掛け、約8000万円のお金を請求してきたのである。

真村さん勝訴に励まされて「押し紙」の受け入れを断ったYC久留米文化センター前の平山春男店主に対しても、販売店改廃を断行し、裁判を起こした。

一方、真村さんに対しては、1次裁判の判決が確定した7カ月後に、取引契約を更新しないかたちで、一方的にYC広川を改廃したのである。

真村さんとしては、再び裁判を起こさざるを得ない。7カ月前に最高裁が地位を保全したのであるから、当然の対処だった。かくして第2次裁判が始まったのである。    第2次裁判は、仮処分申立と本訴の2本だてで行われた。 ? 仮処分申立は1審から4審まで、すべて真村さんの勝訴だった。しかし、2011年3月15日、福岡地裁は本訴裁判で真村氏の訴えを棄却した。読売が断行した強制改廃を正当と認めたのである。福岡高裁も読売に軍配を上げた。

ちなみに福岡高裁で判決を下したのは、仮処分申立の第2審で真村さんを勝訴させた木村元昭裁判官である。木村裁判官は、仮処分申立の第2審で真村さんを勝訴させた後、那覇地裁へ赴任した。

ところがわずか1年あまりで福岡へ戻り、福岡高裁の第2次真村裁判の裁判長に就任した。そして、仮処分の2審とは正反対の判決を下したのである。

(黒薮著『新聞の危機と偽装部数』の第6章に詳細=ここをクリック)

◇取材に応じると解雇理由に?

司法が真村さんを敗訴させた重要理由のひとつは、読売がみずから報じたように、真村氏がわたしの取材に応じて、資料を提供するなど、ジャーナリズム活動を「幇助」したというものである。

これは言論弾圧につながるきわめて危険な判例である。今後、なんならかのトラブルに巻き込まれた会社員が、報道機関へ告発した場合、解雇が正当とみなされる判例である。言論の自由にかかわる事柄だ。

この判決を認定したのは、次の4人の判事である。

岡部喜代子

大谷剛彦

?寺田逸郎

?大橋正春

率直な疑問として、4人の判事は、真村裁判の経緯を正確に把握し、憲法でも保証されている言論活動の自由を尊重した上で、第2次真村裁判の高裁判例を認定したのだろうか。とてもそうとは思えない。資料を十分に理解していない可能性もある。

第一、真村氏が提供した資料とは、具体的に何であるかを知っているのだろうか?わたしが真村さんから得た資料のほとんどは、裁判所へ提出されたものである。つまり裁判所の閲覧室へ行けば、誰でも閲覧できる公開資料なのだ。

◇自由人権協会

この裁判の読売側代理人は、自由人権協会代表理事の喜田村洋一弁護士らである。同協会は、横浜事件についての声明を出し、喜田村氏もそれに署名しているが、代表理事がかかわった裁判で、言論封殺につながりかねない重大判例が成立した事実をどのように考えているのだろうか。近々に質問状を提出したい。

2013年06月21日 (金曜日)

読売(電子版)に「西部販売店訴訟で読売新聞側の勝訴確定」と題する記事 が掲載されている。これは第2次真村裁判で、最高裁が真村さんの上告を棄却して、読売の勝訴が確定したことを伝える内容である。

同記事は、訴因と裁判所の判断を次のように報じている。

西部本社は2008年7月、新聞社が販売店に余分な部数の新聞を押しつける「押し紙」があるとの記事を週刊誌などに執筆していた黒薮哲哉氏(55)と連携して極端な本社攻撃活動を行ったなどとして、真村氏との契約更新を拒絶した。

真村氏は訴訟で「更新拒絶に正当な理由はない」と主張したが、1審・福岡地裁、2審・福岡高裁は「様々な点で真村氏の背信行為が認められる」「押し紙の事実は認められず、真村氏が黒薮氏に情報や資料を提供したことは、西部本社の名誉や信用を害した」などとし、本社側の契約更新拒絶の正当性を認めた。

「押し紙」が存在するか否かは、「押し紙」をどのように定義するかで変わってくる。従って引用文が意味しているのは、裁判所が認定した定義の「押し紙」は存在しないということである。しかし、「積み紙」、あるいは偽装部数(残紙)が存在するか否かはまた別問題である。今後も検証を要する。

(PDF「押し紙」(偽装部数)とは何か?=ここをクリック)

また、真村さんの敗訴理由として、「押し紙の事実は認められず、真村氏が黒薮氏に情報や資料を提供したことは、西部本社の名誉や信用を害した」と述べているが、取材を受けて、情報を提供したことが改廃理由として認められるとなれば大変な問題だ。今後、誰も取材に応じなくなり、出版産業の存在も危うくなりかねない。

◇木村元昭裁判官が下した恐怖の判決

言論の自由を脅かす恐ろしい司法認定としか言いようがない。原文から該当部数を引用しておこう。

被控訴人(読売)の指摘する黒薮の記事等には、別件訴訟における控訴人(真村)の主張のほか、被控訴人が、販売店に押し紙を押し付け、それが大きな問題となっていることなどが記載されているが、押し紙の事実を認めるに足りる証拠はなく、控訴人及び黒薮において、押し紙の存在が事実であると信じるにつき正当な理由があると認めるに足りる証拠もない・・・(略)

そして、控訴人(真村)や控訴人代理人(江上武幸弁護士ら)が、上記のような記事の執筆に利用されることを認識、容認しながら、黒薮の取材に応じ、情報や資料の提供を行ったことは明白であり、控訴人(真村)は、少なくとも、黒薮の上記記事等の掲載を幇助したというべきであるから、

たとえ控訴人(真村)自身が、押し紙等の批判をウェブサイト等を通じて行ったものではないとしても、その情報や資料の提供自体が、被控訴人の名誉又は信用を害するものというべきであり、本件販売店契約の更新拒絶における正当理由の一事情として考慮し得る。

繰り返しになるが、「押し紙」についての記事の「掲載を幇助(ほうじょ)」したから、店主としての地位をはく奪されても当然だと言っているのだ。

◇恐怖の判例を創った法曹人たち  

このとんでもない判決を書いたのは、福岡高裁の木村元昭裁判官である。そしてこの判決を認定した最高裁判事は、次の方々である。(敬称略)

岡部喜代子

大谷剛彦

寺田逸郎

大橋正春

また、この判例が成立する原因を作ったのは、読売弁護団である。(敬称略)

喜田村洋一(自由人権協会代表理事)

近藤真

堀哲郎

住野武史

喜田村氏が自由人権協会の代表理事を務めている事実は、弁護士の正義・良心とは何かという問題も提起する。自由人権協会が人権擁護団体としての資質に欠けることはいうまでもない。

【お知らせ】MEDIA KOKUSYOのサイトのトラブル:調整中です。

2013年05月30日 (木曜日)

最高裁が主宰した「明日の裁判所を考える懇談会」に、読売の元記者・大谷昭宏氏と、大谷剛彦最高裁判事(当時、経理局長)が兄弟参加していたことが分かった。

同懇談会は、2002年2月から2007年5月までの期間、17回にわたって開催された。

兄弟そろって委員会に参加することを、無条件に悪と決めつけることはできないが、社会通念からして、兄が最高裁の幹部で、弟が委員として召集されていたら、縁故関係が人事を決定したと疑われても仕方がないのではないか。

次に紹介するPDFに注目してほしい。「委員」として大谷昭宏という名が明記されている。また、オブザーバーとして、大谷剛彦氏の名前も明記されている。(赤の下線)

(PDF 懇談会(第12回)協議内容=ここをクリック)??

当時、大谷剛彦氏は、最高裁の経理を監督する経理局長の立場にあった。問題は、「明日の裁判所を考える懇談会」の委員に対して謝礼が支払われてきた事実である。。

たとえば次のPDFは、2007年5月24日に開かれた「明日の裁判所を考える懇談会」に参加した委員に対して支払われた報酬を示す資料である。この時期、大谷昭宏氏はすでに委員を辞職していたので、支払リストに名前はないが、委員に対して報酬を支払うルールがあったことは間違いない。

(PDF 「明日の裁判所を考える懇談会」謝金=ここをクリック)

ちなみに、オブザーバーの中には、後に大手弁護士事務所へ再就職(広義の天下り)した元最高裁判事・泉徳治氏と才口千春氏(青の下線)も含まれている。そもそもオブザーバーの資質があったのだろうか?