
【バックナンバー】(2022年06月15日 付け)権力構造に組み込まれた新聞業界、変わらぬ政界との情交関係、新聞人として非常識な1998年の渡邉恒雄氏の言動
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新聞業界と政界の癒着が表立って論じられることはあまりない。わたしは新聞社は、日本の権力構造の一部に組み込まれているという自論を持っている。新聞業界の業界紙『新聞之新聞』のバックナンバーを読んで、改めてそれを確信した。
次に紹介するのは、1998年1月6日付の記事である。タイトルは、「正念場 迎える新聞界」。全国紙3社の社長座談会である。この時期、公正取引委員会は加熱する新聞拡販競争や「押し紙」問題を理由に、新聞再販の撤廃を検討していた。
これに朝日、読売、毎日の社長が抗する構図があった。次に引用するのは、読売の渡邉恒雄社長の発言である。言葉の節々に新聞業界と政界の癒着が露呈している。日本が抱えてきた諸問題にメスが入らない原因と言っても過言ではない。日本にジャーナリズムが存在しない不幸を改めて痛感した。
渡邉氏の発言を読む限り、わたしの自論には根拠がある。以下、記事の引用である。
「政治家や日販協とスクラム組み運動」
97年中は再販は非常に危ないということで、我々は全力を挙げて闘ってきた。特に政界では新聞販売懇話会というのがあり、小渕恵三衆院議員が会長をしているが、小渕さんが外務大臣になったので、会長代行に中川秀直衆院議員、幹事長に山本一太参院議員がなってくれて、非常に応援してくれた。それから文部省が行政改革委員会・規制緩和小委員会の再販廃止論に対して強力な反論を展開してくれた。そういう応援があり、規制緩和小委員会の報告も「再販廃止」の文字を削らせた。あと公正取引委員会の規制研(政府規制等と競争政策に関する研究会)があるが、こちらも江藤淳さん、清水英夫さん、内橋克人さんらの文化人が、強力に新聞再販維持の発言をしてくれている。
今年3月までに公取委としての結論を出すことになっており、どういう結論を出すか、まだ油断がならないが、自民党の方では政策的な実力者の山中貞則独占禁止法調査会会長が、私と松下さん(黒薮注:朝日新聞社長)、小池さん(黒薮注:毎日新聞社長)の3人が陳情した時に「絶対に再販は守る」と確約してくれている。再販を廃止するために独禁法の改正をしようとしても、自民党の独占禁止法調査会を通らなければ閣議にもでない。特に山中さんが反対している限り、大丈夫だという自信を持っている。
しかし、そこまでこぎつけるのには、小池新聞協会会長を中心に我々が一生懸命、再販維持運動をやったんだが、そういうことにはほとんど無関心で、何も協力してくれなかったような県紙の社長さんたちが公取委へ行って、「朝日と読売が諸悪の根源である」と言うようなことを言った。それで私は腹を立てて、再販対策特別委員長を辞任したけれども、しかし会長を助けて再販を絶対に守るということに関して何らの変化はないので、一生懸命やってきた。私は、再販は少なくともこの2,3年は守れるという確信を持っているが、ちょっと手を抜けば危ないので、絶えず見守っていなければならない。
それには日販協(日本新聞販売協会)を無視してはいけないと思う。新聞協会は編集を中心とする倫理向上、親睦(ぼく)のための団体である。ところが日販協は販売店主の組織ですから、自由な自営業者の団体であって、いろいろ政治運動もできる。日販協は東日本では相当組織力が高く、大会を開くと何十人という国会議員が集まってくれる。中部は、中日さんが日販協には加盟しないという、加藤(己一郎前会長)さん以来の社の方針だそうだし、いま大島(宏彦会長)さんを一生懸命くどいているところだけれども、加入していない。中国、四国、九州地域でも日販協の加盟店が非常に少ない。そんなことで再販は守れるのかと、私は言いたいね。
あの地域の新聞社の社長さんたちが、一生懸命になって自分の選挙区出身の国会議員ぐらいはちゃんと説得してくれれば、再販維持運動も相当楽になる。そこにある意味では困難さが出てきている。
日販協はかつて、再販維持のために500万人の請願署名を集めた団体ですから、あの力は大変なものですよ。新聞販売店は2万軒以上もあるが、主として東日本の店だけの組織になっている。この点は西日本の方の各県紙の販売店主の人たちにも反省してもらって、この戦いに加わってもらいたい。そうでないと、私は本当にバカバカしくなる心境ですね。

読売新聞を被告とする「押し紙」裁判は、濱中訴訟(1審は大阪地裁)だけではない。5月17日に、福岡地裁(林史高裁判長)が判決を下した「押し紙」訴訟もある。この裁判も販売店の敗訴だった。そしてこの判決に対して、読売新聞が閲覧制限を申し立てている。情報の遮断に走ったのだ。
この裁判の判決については、弁護士ドットコムが報じている。
https://www.bengo4.com/c_18/n_16027/
弁護士ドットコムの報道によると、原告の元店主が請求していた金額は、約1億5000万円である。搬入される新聞の2割から3割が、広義の「押し紙」(残紙)になっていたという。
わたしもこの裁判は取材してきた。判決を読んで最も着目したのは、元店主が注文部数をみずから決めて、それを書面で通知したところ、書面の修正を指示された事実である。店主は、担当員から指示された部数に「注文部数」を修正した。そして、それを再提出した。
社会通念からすれば、担当員が「注文部数」を指示したわけだから、当然、独禁法に抵触する。ところが林裁判長は、修正した書面の数字を公式の「注文部数」とみなし、「押し紙」とは認定しなかったのだ。論理が完全におかしくなっている。
読売新聞はこの判決文についても、濱中訴訟と同様に閲覧制限を申し立てている。従って現段階では、判決文をインターネットで公表することはできない。情報提供というジャーナリズムの役割を果たすことができない。
◆◆
大阪地裁の池上尚子裁判長にしても、福岡地裁の林史明裁判長にしても、販売店が書面に書き込んだ部数を「注文部数」と定義している。従ってこの「注文部数」を越えて新聞を提供していなければ、いくら残紙があっても、それは「押し紙」ではないという論理になる。
しかし、「押し紙」は、書面に記された「注文部数」の中に残紙が含まれているからこそ問題になり得るのである。残紙が含まれていなければ、そもそも「押し紙」はクローズアップされない。裁判官は、こんな基本的なことすら理解していないのである。あるいは新聞社を勝訴させるために故意に「注文部数」の定義を捻じ曲げているのだ。
◆◆
1964年に改訂された独禁法の新聞特殊指定では、「注文部数」の中に残紙がふくまれている実態を解決するために公正取引委員会は、「注文部数」を「実配部数+(2%の)予備紙」と定義して、それを超える部数は理由の如何を問わず、「押し紙」と定義した。こうして「注文部数」の中に残紙を紛れ込ませる新聞社の販売政策を規制したのである。
この点については、池上裁判長も林裁判長も認めている。いろいろな文献を調べてみても、特殊指定の下での「注文部数」とは、「実配部数+(2%の)予備紙」を意味することを示している。これは、争いのない事実である。
ところが1999年に公正取引委員会が新聞特殊指定が改訂した。この改訂によって、従来の「注文部数」の定義は無効になったというのが、池上裁判長や林裁判長の解釈であるが、果たしてそれは真実なのだろうか。結論を先に言えば、事実ではない。事実であれば、公正取引委員会と新聞協会の間で「密約」があった公算が強くなる。
1999年の改訂により、「注文部数」の定義が変わってないことは、たとえば1999年の改訂当時、新聞再販と特殊指定に関するプロジェクトチームの座長を務めていた滝鼻卓雄氏(読売の)が『新聞経営』に掲載した報告でも明らかになっている。滝鼻氏は、特殊指定について次のように述べている。
新しい新聞特殊指定は、発行社と販売店の取引方法について、一般指定の禁止行為のほか、新聞業の特殊指定に鑑み、発行本社による差別定価の設定と価格の割引、販売店による定価割引の行為をそれぞれ禁止し、あわせていわゆる「押し紙」を
禁止したものである。
この原則は、いままでの特殊指定と何ら変更はない。すなわち旧特殊指定の精神をそのまま新特殊指定のなかに盛り込むことができた。
◆◆
現在の「押し紙」問題の最大の争点は、新聞特殊指定でいう「注文部数」、あるいは「注文した部数」の定義である。定義がどのようなものであれ、「注文部数」の中に、残紙が含まれている実態が横行していることは紛れない事実である。しかも、かなり大量の残紙が含まれている。
読売のように、「押し紙」裁判の裁判資料に閲覧制限をかけてしまうと、残紙の実態が分からなくなってしまう可能性が高い。閲覧制限は必要な情報を読者に届けるジャーナリズムの精神にも反するものだ。
※東京地裁の「押し紙」裁判に関しても、今後、調査が必要だ。

横浜副流煙裁判(反訴)で新しい動きがあった。原告である藤井敦子さんの支援者の男性が、2月9日に行われた尋問の中で被告の作田学・日本禁煙学会理事長が行った発言について、名誉毀損に当たるとして発言の撤回と謝罪を求める内容の内容証明郵便を6月12日に送付した。男性は、藤井さんと同じ団地に住み、藤井さんを熱心に支援してきた酒井久男さんである。
既報してきたように横浜副流煙裁判は、煙草の副流煙により健康被害を受けたとして、藤井さんの隣人のAさん一家が藤井さんの夫に対して4518万円の損害賠償を求めた裁判である。1審、2審とも藤井さんの勝訴だった。勝訴を受けて、藤井さん夫妻は、作田医師を刑事告発した。A家のために虚偽の診断書を作成したというのがその理由である。作田医師は、横浜地検へ書類送検されたが、紆余曲折を得た後、不起訴となった。
さらに藤井さん夫妻は、作田医師とA家の3人に対して、約1000万円の損害賠償を求める「反スラップ訴訟」を起こした。この「反スラップ訴訟」で行われた作田医師に対する尋問の中で、作田医師は酒井さんに対する問題発言を行った。
前訴が進行中の2019年の夏、酒井さんと藤井さんは、日本赤十字医療センター(渋谷区広尾)にある作田医師の外来を訪れた。酒井さんは、繊維に対するアレルギー体質があった。そこで藤井さんを伴って作田医師の外来を受診し、診察の様子を確認する計画を立てた。藤井さんは高額訴訟の被害者であるから、作田医師の医療行為の実態を観察したいと考えるのは当然だった。
2人が実行した計画はどこからか、作田医師の耳にも入ったようだ。裁判の尋問の中で、作田医師は弁護士からの質問に答えるかたちで、酒井さんが受診後に病院の会計で診療報酬を払わずに帰宅したと証言した。しかし、これは事実ではなかった。酒井さんが診療報酬を支払ったことは、病院の記録にも残っている。その後、作田医師は日本赤十字医療センターを除籍となったが、医療や経理の記録自体は保存されている。
酒井さんが送付した内容証明の全文は次の通りである。【続きはデジタル鹿砦社通信】

読売新聞の「押し紙」裁判(大阪地裁、濱中裁判、読売の勝訴)の判決文に対して、読売新聞が閲覧制限を申し立てた件について、その後の経過を手短に説明しておこう。既報したように発端は、メディア黒書に掲載した『読売新聞「押し紙」裁判(濱中裁判)の解説と判決文の公開』と題する記事である。この記事は、文字通り読売「押し紙」裁判についてのわたしなりの解説である。
この記事の中で、わたしは判決全文を公開した。ところがこれに対して読売(大阪本社)の神原康行法務部長から、書面で判決文の削除を要求された。理由は、読売が判決文の閲覧を制限するように裁判所に申し立てているからというものだった。法律上、閲覧制限の申し立てがなされた場合、裁判所が判決を下すまでは、当該の文書や記述を公開できない。神原部長の主張には一応道理があるので、わたしはメディア黒書から判決文を削除した。
※ただし、ジャーナリズムの観点からは、はやり公開を認めるべきだと思う。「押し紙」という根深い問題を公の場で議論する上で大事な資料になるからだ。
ここまでは既報した通りである。その後、裁判所は読売の申し立てを認めた。法律を優先すれば、判決文は公開できないことになる。しかし、裁判所が判決文全文の閲覧を制限したのか、それとも読売にとって不都合な記述だけに限定して閲覧を制限したのかは不明だ。そこでわたしは、読売の神原部長に対して、判決文全文の非公開を希望しているのか、それとも部分的な記述だけに限定した非公開を希望しているのかを問い合わせた。
現在、その回答を待っている段階だ。
◆◆
この閲覧制限の手続きを行ったのは、喜田村洋一弁護士ら6人の弁護士である。喜田村弁護士は、日本を代表する人権擁護団体である自由人権協会の代表理事を務めている。古くから読売の代理人として働いてきた人で、読売の販売店訴訟を処理するために福岡地裁へも頻繁に足を運んでいた。元店主に対して家屋の差し押さえの手続きなどを行ったこともある。
読売は喜田村弁護士を代理人に立て、わたしに対しても2008年から1年半の間に3件の裁判を起こしている。請求額は、約8000万円。(このうちの1件は、新潮社とわたしの両方が被告)。
3件のうち最初の裁判は、わたしが読売の法務室長から受け取った催告書(ある文書の削除を求める内容)を、わたしがメディア黒書で公開したことである。法務室長が書いた催告書をわたしが無断で公開したというのがその建前だった。法務室長は、催告書の著作権人格権が自分に属していることを根拠として裁判を起こしたのだ。
ところが裁判の中で、この催告書は法務室長名義になっているものの、実際の執筆者は喜田村弁護士である高い可能性が判明した。著作権人格権は他人の譲渡することはできない。つまり法務室長には、著作権人格権を根拠として裁判を起こす資格がなかったことが判明したのだ。当然、読売の法務室長は門前払いのかたちで敗訴した。
催告書の執筆者である喜田村弁護士は、法務法務室長による提訴が成立しないことを知りながら、訴状を作成し、この裁判の代理人として働いたのである。
この裁判の判例は、裁判提起により「押し紙」報道の弾圧を試みて失敗した例と、わたしは考えている。参考までの判決(知財高裁)の全文を紹介しておこう。
◆◆
さて「押し紙」問題はすでに周知の事実になっている。「押し紙」とは何かという定義の議論は決着しておらず、それゆえに「押し紙」裁判が複雑化しているわけだが、俗にいう残紙が大量に発生している事実だけは否定できなくなっている。
実際、濱中裁判でも大量の残紙があった事自体は認定されている。濱中さんが敗訴したとはいえ、一時期に限定して読売による独禁法違反も認定された。
残紙の責任が販売店にあるにしろ、新聞社にあるにしろ残紙が発生していることは、紛れのない事実なのである。
これは読売に限ったことではなく、日本の新聞社に共通した暗部である。それが生み出している利益を試算すると驚異的な数字が浮かび上がってくる。
日本全国で印刷される一般日刊紙の朝刊発行部数は、2021年度の日本新聞協会による統計によると、2590万部である。このうちの20%にあたる518万部が「押し紙」と想定し、新聞1部の卸卸価格を1500円(月額)と仮定する。この場合、「押し紙」による被害額は77億7000万円(月額)になる。この金額を1年に換算すると、約932億円になる。
旧統一教会による被害額が35年間で1237億円であるから、この金額と「押し紙」による被害額を比較するためには、1年間の「押し紙」による被害額932億円を35倍(35年分)すれば、その金額が明らかになる。結論を言えば、32兆6200億円である。
この莫大な金額に公権力機関が着目すれば、メディアコントロールが可能になる。公権力機関は、「押し紙」政策の取り締まりを控えさえすれば、暗黙のうちに新聞社を配下に置くことができる構図になっている。それにゆえに「押し紙」問題は、ジャーナリズムの根幹にかかわる問題なのである。単に商取引の実態だけを問題としているのではない。
◆◆
何人もの販売店主とその家族が、「押し紙」により人生を無茶苦茶にされてきた。喜田村弁護士は、そのことを想像してみるべきではないか。自由と人権の旗をかかげるのであれば、プライバシーに配慮した上で判決文を公開して、「押し紙」問題を議論する方向で動くべきではないか。それが多くのメディア企業がかかわっているこの問題を解決するための道筋である。
2023年06月15日 (木曜日)

メディアによる世論誘導の実態を記録する機会にめぐりあわせた。去る6月3日と4日の両立、東京都の代々木公園で開かれたベトナムファスティバルでのことである。これは日越国交樹立50年を記念する行事だ。
わたしはこのイベントをAL Press(ラテンアメリカ・プレス)の記者として取材した。AL Pressは、外交問題を扱うメディアで、昨年の12月に、コロンビアで発足した。今年の1月から、わたしは日本のニュースを担当している。
会場には、多数のメディアが取材に来ていた。要人が開会式に出席することもあって、ステージ前のエリアへの入場は制限されていた。主要メディアしか中へ入れなかったので、わたしは「外野」から開会式の様子を取材した。
開会式には、福田康夫元首相、林 芳正外務大臣、山口那津男・公明党代表らが参加した。稲田朋美議員の姿もあった。そして「佳子様」が、開会式が始まる直前に舞台に現れた。もちろんベトナム大使らも舞台の上にいた。(写真参照)
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記事で何を伝え、何を伝えないかの選択は、記者の裁量による。誰の発言を大きく報じて、誰の発言を扱わないかは記者の判断である。あるいは記者の上司の判断になる。
読者は、福田、林 、山口・稲田朋、「佳子様」、ベトナム大使のうち、どの人物にメディアが光を当てたかを想像できるだろうか。
最初に挨拶をしたのは、フェスティバルの最高顧問を務める福田元首相だった。福田氏は、この50年のあいだ日越関係はおおむね順調に推移してきたと評価したうえで、両国間の関係をさらに深めるためには文化交流が欠かせないと語った。林外務大臣は、先の広島G7サミットでベトナムの首脳らとも会談したことを強調した。次期ベトナム大使のPhan Quang Hieu氏は、「フェスティバルを通じて、音楽、芸術、食を楽しんでください」と会場の参加者に歓迎の意を示した。「佳子様」のスピーチはなかった。単に笑顔をふりまいていたにすぎない。
開会式の後、わたしは会場に来ていたベトナム人らから話を聞いた。日本での職業とか、来日した動機やプロセスなどを聞いた。大半は、肉体労働者として来日していることが分かった。
わたしは、他のメディアもわたしと同じように、開会式を取材し、会場を取材して記事を書いているものと思っていた。ところがこの日の夕方から、翌日にかけてインターネット上に現れた記事をみてびっくりした。
NHKから毎日新聞まで全社が「佳子様」に焦点を当てた記事を掲載していたのだ。(朝日と読売は、記事そのものが見当たらなかった。)次に示すのがその具体例である。
ベトナムフェスに佳子さまが初めて出席 外交関係樹立50周年(毎日)。
佳子さまが開会式に出席 日本ベトナム外交樹立50周年“フェス”(日テレ)
佳子さま ベトナムフェス開会式出席 外交関係樹立50周年(FNN)
佳子さま 日本とベトナム外交関係樹立50周年記念イベントに(NHK)
このレベルの記事であれば、高校生でも執筆できる。しかも、カンニングでもしたかのように同じ内容だ。駆け出しの記者が取材したとしても、デスクの段階で修正できるはずである。報道としては箸にも棒にもかからないものなのだ。
マスコミによる世論誘導の実態とはこのことなのである。肝心な部分は、カットしているわけだから、新聞人やテレビ人が口癖のように言っている「客観報道」にすらなっていない。わたしは日本の新聞・テレビが完全に没落していることを確信した。しかも、これらの記事をPickupなど、一部の独立系メディアも垂れ流しているのである。もはや絶望的な状況ではないか。
参考:(AL Press)FESTIVAL DE JAPÓN Y VIETNAM
冒頭写真:出典はNHK

メディア黒書に掲載した記事、「読売新聞「押し紙」裁判(濱中裁判)の解説と判決文の公開」(5月8日付け)(http://www.kokusyo.jp/oshigami_c/17608/)を改編したので、改編部分とその理由を説明しておきたい。この記事は、読売新聞を被告とする「押し紙」裁判(大阪地裁)の判決を解説したものである。判決は、原告の元販売店主の請求を棄却したが、商取引の一部分に関しては、読売による独禁法の新聞特殊指定違反を認定する内容だった。
今回改編したのは、判決文の取り扱いである。当初、原告の元店主の承諾を得た上で判決文を全面公開していた。ところが6月1日になってメールで、読売新聞大阪本社の役員室法務部部長・神原康之氏から、判決の公開を取り下げることを求める「申し入れ書」が届いた。その理由は、判決の中に読売社員のプライバシーや社の営業方針などにかかわる箇所が含まれていることに加えて、同社が裁判所に対して判決文の閲覧制限を申し立てているからというものだった。
確かに民事訴訟法92条2項は、閲覧制限の申し立てがあった場合は、「その申立てについての裁判が確定するまで、第三者は、秘密記載部分の閲覧等の請求をすることができない」と述べている。
裁判の審理が進んでいる中で、裁判所に提出された証拠類を含む書面に対して閲覧制限の申し立てが起こされ、裁判所がそれを認めることはよくあるが、判決に対して閲覧制限を請求した例は、わたしが知る限りでは過去に一件もない。判決文に対する閲覧制限は極めてまれだ。しかも、判決文は元店主の請求を棄却した内容である。
読売の神原氏が指摘するように、法律上では裁判所が判決を下すまでは判決文を公開できないルールになっている。それを理解した上で、わたしは削除に応じた。申し入れ書では削除の期限が6月5日の夕刻になっていたが、3日は削除を完了した。
しかし、裁判所が判決を下した後、判決内容によっては再度判決文を掲載する旨を伝えた。その際に読売が秘密扱を希望する記述を黒塗りにして、2週間を目途にわたしに提示するように求めた。次の回答書である。
前略
貴殿の2023年6月1日付「申し入れ書」に対し、次のとおり回答します。
申し入れ書によると、御社は2023年4月21日付で、大阪地裁に対し判決文を含む訴訟記録の閲覧等の制限を申し立てられたとのことです。
それを前提に、その申立てがあった場合には、「その申立てについての裁判が確定するまで、第3者は、秘密記載部分の閲覧等の請求をすることができない」(民事訴訟法92条2項)との規定を根拠に、5月8日と30日に、インターネットサイト「MEDIA KOKUSYO」に掲載した、大阪地裁令和2年(ワ)第7369号等判決を、6月5日(月)午後5時までに、上記サイトからの削除を求めるとともに、その他媒体等での公開、頒布も控えるようにとの申し入れが為されました。
御社の担当者のプライバシーや御社の営業秘密に関する問題について、御社との間で無用な紛争に発展することは有害・無益と考えますので、当方は次の通り対応することと致します。
1 判決文のインターネットサイトからの削除について
申し入れどおり、6月5日(月)午後5時までに全文を削除することに同意します。
2 御社が求める削除箇所の特定について
本書面送達後、2週間を目処に、判決文のうち、御社が削除を求める箇所を黒塗りにした判決文をご呈示ください。なお、黒塗りにした部分について非開示を求める理由も、併せてご説明ください。
御社の非開示を求める部分が、裁判の公開原則や国民の知る権利を侵害しないかどうか、検討の上、今後の対応を決め、御社に御連絡することと致します。
なお、本書面到達後、2週間以内に前記2の回答をいただけない場合は、判決文全文の公開を了解されたものと判断させて戴きますので、あらかじめ御了解ください。
◆野村武範裁判長が判決予定
わたしは読売「押し紙」裁判の判決を書いた池上尚子裁判長が所属していた大阪地裁の民事24部に、読売が判決文に対して閲覧制限を申し立てていることが事実かどうかを確認した。対応した職員は、事実だと答えた。
「判決の時期はいつになりますか」
「おそらく来週には出ると思います」
「判決を下すのは、野村武範裁判長ですか」
「そうです」
野村武範裁判長とは、5月1日付けで東京地裁から大阪地裁へ異動して、民事24部に配属された裁判官である。池上裁判官から、この「押し紙」裁判を引き継ぎ、5月17日に、読売勝訴の判決を代読した人物である。東京地裁に在籍中は、産経新聞「押し紙」裁判を途中から担当して、産経新聞を勝訴させた人物でもある。そんな経緯があったので、わたしは野村判事が大阪地裁へ異動して読売「押し紙」裁判を担当したことを知ったとき、読売の勝訴を予測した。その予測は的中した。
その野村裁判長が今度は、読売が申し立てた判決文の閲覧制限を認めるかどうかの判決を下す。判決が下りしだいに結果を報告したい。
※野村武範裁判官と「押し紙」裁判については、『紙の爆弾』(7月号)の「新聞の部数偽装 『押し紙』をめぐる密約疑惑」に詳しい。

日本ABC協会は、読売新聞の発行部数がギネスブックで認定されている件で筆者が送付した質問に対して、6月5日に回答した。結論を先に言うと、読売のABC部数をギネスブックに報告しているのは、日本ABC協会ではないとのことだった。
質問と回答を、以下に引用する。
【質問】読売新聞社のウエブサイトに、「22年11月現在の朝刊発行部数は657万4915部(日本ABC協会報告)。読売新聞の発行部数世界一は、英国のギネスブックに認定されています。」と記されています。この記述によると、貴協会がギネスブックに、読売新聞のABC部数を報告されていることになっていますが、事実関係に間違いはないでしょうか。事実であるとすれば、ギネスブックのどの部署にデータを送付されているのでしょうか?差し支えのない範囲で教えていただければ幸いです。
【回答】
お世話になっております。
当協会からギネスブックに部数データを報告することはございません。
以上、よろしくお願い申しあげます。
2023年06月06日 (火曜日)

2023年4月度のABC部数が公表された。朝日新聞は375万部、読売新聞は641万部となった。毎日新聞は178万部である。依然としてABC部数の激減に歯止めがかからない。
前年同月比でみると、朝日は54万部、読売は42万部、毎日は14万部の減部数となった。ここ1月でみると、朝日は10,602、読売は32,083、毎日は18,327の減部数となっている。詳細は次の通りである。
朝日新聞:3,751,331(536,244)
毎日新聞:1,783,707(139,293)
読売新聞:6,412,833(422,474)
日経新聞:1,570,921(173,067)
産経新聞:966,444(48,381)
※()内は前年同月比
なおABC部数には、広義の「押し紙」が含まれている。新聞販売店が新聞社に提出する「注文書」に記入する「注文部数」にも、すでに「押し紙」が含まれており、複雑な問題となっている。
「注文部数」に含まれている部数を排除する目的で、公正取引委員会は新聞特殊指定を運用していたが、1999年の改訂により「注文部数」の中に含まれている残紙を「押し紙」として定義しなくなった。新聞業界に便宜を図ったのである。
それが「押し紙」が飛躍的に増えた原因にほかならない。この件に関しては、明日発売の『紙の爆弾』にレポートを掲載した。公取委と日本新聞協会の「密約」疑惑について執筆している。
2023年06月05日 (月曜日)

日本ABC協会へ、読売のギネスブック登録に関する次の質問状を送付した。
読売新聞社のウエブサイトに、「22年11月現在の朝刊発行部数は657万4915部(日本ABC協会報告)。読売新聞の発行部数世界一は、英国のギネスブックに認定されています。」と記されています。この記述によると、貴協会がギネスブックに、読売新聞のABC部数を報告されていることになっていますが、事実関係に間違いはないでしょうか。事実であるとすれば、ギネスブックのどの部署にデータを送付されているのでしょうか?差し支えのない範囲で教えていただければ幸いです。
回答を得次第に紹介する。
このところメディアに関連した不可解な現象が3件続いている。順を追って記録しておこう。
まず、最初はネット上の「書店」アマゾンに掲載されているわたしの略歴を何者かが勝手に改ざんした件である。この件は、すでに5月16日にフェイスブックで記事にしたが、再度、紹介しておこう。
『新聞と公権力の暗部』が発売になった直後に、著者の経歴から、「朝日ジャーナル大賞」の受賞歴が削除されたのだ。賞を朝日新聞社にお返ししたわけではない。朝日新聞を賞と取り消したとも思えない。どのような経緯で誰が削除したのかは分からない。
経歴の中身そのものは、重要な意味を持っているわけではないが、わたしのように知名度の低いライターにとって、受賞歴があるかないかは、消費者の行動に影響を及ぼす。今回の改ざんは、「朝日ジャーナル大賞」に関する部分を完全に削除して、次のような記述に改めたものである。
【兵庫県生まれ。 会社勤務を経てフリーランス・ライターへ。 「ある新聞奨学生の死」で第3回週刊金曜日ルポ大賞「報告文学賞」を受賞 。 『新聞ジャーナリズムの正義を問う』(リム出版新社)で、JLNAブロンズ賞受賞 取材分野は、メディア、電磁波公害、ラテンアメリカの社会変革、教育問題など。「メディア黒書」主宰(http://www.kokusyo.jp/)】■出典:AMAZON
◆◆
2件目は、固定電話で通話する際に、尋常ではない雑音が混入することである。こんなことは以前にはなかった。気が付いたのは、数日前、携帯電話の基地局問題で相談を受けた時である。雑音に妨害されて会話が成立しないので、携帯電話にかけなおしてもらった。
同じ状態は現在も続いている。通信を傍受されている可能性がある。事実関係を確認したい人は、(048-464-1413)で連絡を願いたい。
◆◆
3件目は、メディア黒書に掲載している記事のうち、《「押し紙」の実態》の
カテゴリーに入る記事の「続きを読む」をクリックすると、当該の記事とは関係のない別のページが表示される。従って「続き」が読めない。これに気づいたのは、6月1日の夜である。
2日の午前中に、ウエブサイトの管理業者に修理を依頼した。この記事を公表するころには、不具合が回復している可能性もある。
◆◆
これら3件の「犯罪」をだれがやったのかは不明だ。筆者は取材の範囲が広く敵が多いので、現時点で首謀者を特定できないが、記録としては残しておく。

江上武幸弁護士が、最近の「押し紙」裁判や裁判所の動向に関する報告報告書を公表した。全文は以下の通りである。PDFでもダウンロード可能。
※なお、5月17日に判決言い渡しがあった読売新聞社西部本社に対する「押し紙」裁判の判決は、メディア黒書でも近々に解説する予定だ。 ■報告書の全文(PDF)
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読売新聞押し紙福岡地裁判決と控訴のご報告
令和5年(2023)5月
弁 護 士 江 上 武 幸
報告が遅くなり、ご迷惑をおかけしました。
去る5月17日(火)午後1時10分、福岡地裁は、長崎県佐世保市の元読売新聞店経営者を原告、読売新聞西部本社を被告とする、1億5487万円の損害賠償を求める押し紙訴訟について、原告の請求を棄却する全面敗訴判決を言い渡しました。これを不服とする福岡高裁への控訴は、5月27日に受理されましたのでご報告します。なお、読売新聞大阪本社を被告とする大阪地裁判決に対する大阪高裁への控訴も、既報のとおり受理されております。
近時、読売新聞に限らず、日経・産経等の中央紙の押し紙裁判でも、下記のとおり、販売店の敗訴判決が相次いでいます。
・2020年(令和2年)12月1日 東京地裁 産経新聞 請求額2600万
・2022年(令和4年)4月22日 京都地裁 日経新聞 請求額4700万
・2022年(令和4年)10月21日 東京地裁 読売新聞 請求額1億9355万
・2023年(令和5年)4月14日 大阪高裁 日経新聞 京都地裁控訴審
・2023年(令和5年)4月18日 東京高裁 読売新聞 東京地裁控訴審
・2023年(令和5年)4月20日 大阪地裁 読売新聞 請求額1億2370万
・2023年(令和5年)5月17日 福岡地裁 読売新聞 請求額1億5487万
皆さんは、販売店の損害賠償請求金額の大きさに驚かれたことと思います(なお、消滅時効の関係がありますので、請求額は全経営期間中の一部の損害にすぎません。)。
黒薮哲哉さん(MEDIA・KOKUSYO主宰者)は、鹿砦社発行の近著「新聞と公権力の暗部 押し紙問題とメディアコントロール」で、旧統一教会の過去35年間におよぶ霊感商法被害額1237億(全国霊感商法対策弁護士連絡会による)と対比すると、過去35年間の押し紙の被害額は32兆6200億に及ぶとの推計結果を示し、押し紙により販売店が被った被害額がいかに膨大であるかを明らかにしました。上記裁判事件の一店舗あたりの損害賠償請求金額を見れば、黒薮さんの推計被害金額が決して大げさなものでないことがおわかりいただけると思います。
押し紙の仕入れ代金を支払うために多額の負債を抱えて破産・倒産におい込まれ、家族ともども路頭に迷い、果ては自殺に追い込まれた販売店経営者がいることも週刊誌等で報道されてきました。
私が知る限り、熊本日々新聞社や新潟日報社等の地方の一部の良心的な新聞社を除くと、他の多くの新聞社は、系列の販売店に仕入れ部数を自由に決める権利(「自由増減の権利」と呼ばれています。)を認めておらず、販売店は新聞社の指示通りの部数を仕入れざるを得ない状況に置かれています。「赤信号みんなで渡れば怖くない」というギャグがありますが、「他社はみんな押し紙をしているのに自分もやって何が悪い」と完全に開き直っているとしか思えません。
押し紙裁判に立ち上がる販売店主は、自己の損害回復を目指すだけでなく、押し紙をいつまでも放置している新聞業界に憤りを覚え、これ以上、不正が続くのを黙って見過ごすことは許されないという正義感に突き動かされて裁判に立ち上がっています。
読売・朝日・毎日・日経新聞は、インド・中国といった人口10億越えの国の新聞社を押さえ、発行部数上位10社以内に常連の地位を占める一方で、報道の自由度は世界180ヶ国中68位、G7の中では最下位という先進国の新聞社と思えないような醜態をさらしています。
旧世界統一教会と自民党の癒着やジャニーズ事務所の少年に対する性交強要罪などに沈黙してきた新聞・テレビ等のマスコミの劣化を、記者や番組編集者らの個人責任に帰するのは間違いであり、「押し紙」問題にもっと目をむけるべきであるとの黒薮さんの指摘はその通りだと思います。
押し紙を抱えているかぎり、新聞社と系列のテレビ局は政治権力と大企業の不正に真っ向から立ち向かうことはできません。組織に属する個人の力ではどうすることも出来ないことは容易に推測できます。
私は押し紙問題にかかわるようになってから、ある事件をしきりに思い出すようになりました。
弁護士になりたての頃のことです。九州の炭鉱町に甲子園出場校として名の知れた有名私立高校がありました。地元の政・経済界にも大勢の卒業生を輩出している歴史ある学校でした。創立者一族の何代目かの理事長が、監督の頭越しに観客席から選手にサインを送るといったことに象徴される常軌を逸した学校私物化を行うようになり、それに我慢できなくなった若い先生たちが、学校運営を正常化するために組合を立ち上げました。それに立腹した理事長が組合の先生方を容赦なく解雇し教壇にたてなくしたため、解雇された先生を支援するために生徒や父兄も立ち上がるという騒然とした状況が生まれました。
解雇無効の裁判を担当することになった私は、昼休みに職員室を訪ね、ベテランの先生方に学校正常化のために組合の若い先生方と一緒に立ち上がられませんかと協力を呼びかけました。
ところが、私の呼びかけに対し誰一人として反応せず、机でもくもくと弁当を食べ続けるという異様な雰囲気が生じました。裁判所は解雇された先生方の地位保全の決定を出しましたが、理事長はあくまでも教壇に復帰させない方針であり、そのため、先生方は他校に採用され学校を去っていきました。
ほどなくして、歴史あるその名門私立高校が廃校になったとのニュースが伝わりました。私は、そのニュースを聞き、うつむいたまま黙々と弁当を食べ続けていた先生達の姿を思い出しました。あのとき、先生達が一致結束して学校運営の正常化に立ち上がっていたら、廃校という最悪の事態は避けられたかもしれません。あの先生たちも、それぞれの家族と生活があり、定年まで高校で働くつもりだったはずです。それが、たった一人のワンマン理事長のために、学校がなくなり仕事場が失われ、卒業生の母校もなくなってしまいました。
私は、高学歴のエリートとして社会のリーダーたる役割を期待された新聞記者の人達が、新聞労連という立派な労働組合を持ちながら、押し紙で経営に苦しんでいる販売店の人達を横目に見ながら、何故、何もしなかったのかという疑問を抱くたびに、職員室で黙り込んでいた先生達を思い出します。
新聞購読部数の急激な減少はとどまるところを知らず、宅配制度に支えられているわが国の新聞社の販売網はいずれ崩壊し、新聞社本体の経営もこのままでは早晩行きづまることは衆目の一致するところです。
「今だけ、金だけ、自分だけ」という風潮や底なしのモラル崩壊が起り、ジャーナリズム本来の役割である政治権力や大企業の不正の追及がままならなくなったのは、押し紙問題を新聞社が抱え続けてきたのが最大の原因だと思います。黒藪さんの指摘は、まさに核心をついています。
大手新聞社ですら新規採用者を控え、大規模な希望退職者を募っているというニュースを聞くたびに、自己の保身を優先させ押し紙をやめさせる努力をしてこなかった記者達と、高校の職員室で黙ったままだった先生達の姿がダブって見えて仕方がありません。
話は代わりますが、インターネットで「押し紙・新聞販売店」等の用語を検索すると、大量の余った新聞が古紙回収業者のトラックに梱包のまま放り投げられている場面や、販売店主が新聞社の正面玄関に余った新聞を置いてかえる場面など押し紙の現場を撮影した動画があふれています。新聞販売店経営者だけでなく、新聞社内部の人達からも押し紙の実態報告がなされています。押し紙問題を扱ったユーチューブの報道番組もたくさんみられます。
裁判官も、ネット上のこれらの動画や番組は当然目にしているはすです。
それにもかかわらず、裁判所は何故新聞社に押し紙を止めさせようとしないのか、不思議に思われるのではないでしょうか。
押し紙はネットの社会の隅々まで普及した現在では、もはやタブーでもなんでもありません。とうに、社会的に周知の事実となっております。それにもかかわらず、何故、新聞社は裁判で負けないのか、販売店は勝てないのかという疑問が湧きます。
私は、新聞・テレビのジャーナリズム精神の崩壊より、司法の独立の問題、裁判官の独立の問題の方が、日本の民主主義にとってより深刻な問題だと考えています。
黒薮さんの最新刊「新聞と公権力の暗部」でも一部触れられてはいますが、「裁判官・司法の独立と押し紙裁判」については、より具体的な調査報道がなされることが期待されます。幸い、日本統治時代のアメリカの秘密文書の公文書解禁をきっかけに、日本評論社刊行の書籍等で、戦後日本の司法の独立を疑わせる数々の出来事や、米軍や政権中枢と密着した司法官僚の暗躍の背景の検証が為されるようになりました。最近では、亡団藤重光最高最判事が残したノートに、大阪空港の夜間飛行指し止めの問題で、最高裁判所長官みずから政権に忖度し裁判官の独立を軽視していた実情が記載されており、NHK番組でも取り上げられています。
日本の現状を憂う人達が、それぞれの持ち場でやれることをやっていくことでしか、社会はよくならないことがわかるエピソードです。
私たちも、「社会正義の実現と人権擁護」の旗印を掲げて、販売店の方達の権利・利益の保護を求めて訴訟活動を続けていく所存ですので、引き続き物心両面のご支援をよろしくお願いします。
以上、福岡地裁敗訴判決と控訴の報告と致します。
※ 追記
大阪地裁が読売新聞大阪本社の独禁法違反の押し紙を認定したニュースは、日本国内では弁護士ドットコム等のメディア情報以外には、新聞・テレビ等のマスコミで報道されることはありません。しかし、海外で報道される情勢が生まれてきています。ネット上では国境はありませんので、一旦、ネット配信されると、そのニュースはまたたくまに世界中に拡散することになります。
日本の新聞社の発行部数が購読部数と大きくかけ離れていることが海外に知れ渡れば、ギネスの登録の取り消しも視野にはいってきます。
外圧を待たないと押し紙が解消しないというのは実に情けない話しですが、それが日本の現実だと達観するほかないようです。

【目次】
❶不自然きわまりない裁判官の交代
❷読売の独禁法違反を認定
❸新聞協会と公正取引委員会の密約疑惑
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4月20日、読売新聞の元店主・濱中勇さんが読売新聞社に対して大阪地裁に提起した「押し紙」裁判の判決があった。この判決は、読売による独禁法違反を認定していながら、損害賠償請求は棄却するという矛盾したものだった。わたしは、その背景に、最高裁事務総局の司法官僚らによる新聞社を保護する国策があるのではないかと見ている。新聞社(とテレビ)を、公権力機関の世論誘導装置として利用する必要があるからだ。
判決言い渡しの経緯も含めて、判決内容を解説しておこう。なお、判決の全文は次の通りである。
❶不自然きわまりない裁判官の交代
まず判決は、濱中さんの敗訴だった。濱中さんは、「押し紙」による被害として約1億3000万円の損害賠償を請求していたが、大阪地裁はこの請求を棄却した。その一方で、濱中さんに対して読売への約1000万円の支払を命じた。補助金を返済するように求めた読売の主張をほぼ全面的に認めたのである。
つまり大阪地裁は、「押し紙」の被害を訴えた濱中さんを全面的に敗訴させ、逆に約1000万円の支払を命じたのである。
◆権力構造の歯車としての新聞業界
判決は4月20日の午後1時10分に大阪地裁の1007号法廷で言い渡される予定になっていた。わたしは新幹線で東京から大阪へ向かった。新大阪駅で、濱中さんの代理人・江上武幸弁護士に同行させてもらい大阪地裁へ到着した。判決の言い渡しまで時間があったので、1階のロビーで時間をつぶした。そして1時が過ぎたころに、エレベーターで10階へ上がった。
注目されている裁判ということもあって、1007号法廷の出入口付近には、すでに傍聴希望者らが集まっていた。ジャンバーを着た販売店主ふうのひとの姿もあった。
わたしは濱中さんが読売を提訴した2020年から、この裁判を取材してきた。そして読売も他社と同様に「押し紙」政策を取ってきたという確信を深めた。少なくとも販売店に過剰な新聞が溢れていたこと事実は確認した。それ自体が問題なのである。
濱中さんが「押し紙」を断ったことを示すショートメールも裁判所へ提出されている。搬入部数のロック(読者数の増減とは無関係に搬入部数を固定する行為)も確認できた。従って、裁判所が「政治的判断」をしなければ、濱中さんの勝訴だと予想していた。
ここで言う「政治判断」とは、司法官僚による裁判への介入である。日本で最大の新聞社である読売が敗訴した場合、新聞業界が崩壊する可能性が高い。それを避けるために司法官僚が介入して、濱中さんの訴えを退ける判決を下すように指導する行為のことである。
こうした適用を受ける裁判は、俗に「報告事件」と呼ばれる。生田暉夫弁護士あら、幾人かの裁判官経験者らが、それを問題視している。わたしは最高裁事務総局に対する情報公開請求により、「報告事件」の存在そのものは確認している。
ただ、報告事件の可能性に言及するためには、判決文そのものに論理の破綻がないかを見極める必要がある。よほど頭が切れる裁判官が判決の方向性を「修正」しないかぎり、論理が破綻しておかしな文章になってしまう。今回の読売裁判の判決は、達意と正確な論理という作文の最低条件すら備えていない。(これについては、別稿で検証する)。それゆえに判決文を公開して、「報告事件」の可能性を検証する必要があるのだ。
ここ数年に提起された「押し紙」裁判では、判決の直前に不可解なことが立て続けに起きている。結審の直前に裁判官が交代したり、判決の言い渡しが延期になったりしたあげく、販売店が敗訴する例が続いている。もちろんそれだけを理由に「報告事件」と決めつけることはできないが、社会通念からして同じパターンが繰り返される不自然さは免れない。
たとえば日経新聞の「押し紙」裁判では、店主が書面で20回以上も「押し紙」を断っていながら、裁判所は日経による「押し紙」行為を認定しなかった。産経新聞の「押し紙」裁判では、「減紙要求」を産経が拒否した行為について、「いわゆる押し紙に当たり得る」と認定していながら、「原告が顧客名簿の開示に応じないなどの対応をしていた」ことを理由に、損害賠償を認めなかった。この産経「押し紙」裁判の判決を書いたのは、野村武範という裁判官だった。
野村裁判官は、産経の「押し紙」裁判が結審する直前に、東京高裁から東京地裁へ異動して、同裁判の新しい裁判長になった。なぜ司法官僚が裁判官を交代させたのかは不明だが、取材者のわたしから見れば、原告の元店主が圧倒的に優位に裁判を進めていたからではないかと推測される。司法官僚が新聞社を守りたかったというのが、わたしの推測だ。
わたしは念のために野村裁判官の経歴を調べてみた。その結果、不自然な足跡を発見した。次に示すように野村裁判官が名古屋地裁から東京高裁に赴任したのは、2020年4月である。そして同年の5月に東京地裁へ異動した。東京高裁での在籍日数は40日である。不自然きわまりない。
2020年 5.11 東京地裁判事・東京簡裁判事
2020年 4. 1 東京高裁判事・東京簡裁判事
2017年 4. 1 名古屋地裁判事・名古屋簡裁判事
わたしは野村裁判官を自分の頭の中のブラックリストに登録した。このブラックリストは、他にも裁判官や悪徳弁護士が登録されている。いずれも要注意の人物である。わたしから見れば、日本の司法制度を機能不全に陥れている人々である。
◆要注意の裁判官
判決言渡しの時間が近づくにつれて、緊張が増した。仮に読売が敗訴すれば、「押し紙」を柱とした新聞のビジネスモデルは、一気に崩壊へ向かう。メディアの革命となる。地方紙のレベルでは、佐賀新聞のケースのように「押し紙」を認定して、新聞社に損害賠償を命じた裁判もある。従って一抹の希望を持って、わざわざ来阪したのである。
わたしは廊下のベンチから立ち上がり、法廷の出入口に張り出してある告知に目を向けた。次の瞬間、自分の目を疑った。これまでこの裁判を担当してきた3人の裁判官の名前が見当たらなかった。その代わりに次の3名の裁判官の名前があった。その中のひとりは、ブラックリストの筆頭の人物だった。野村武範が急遽裁判長になっていたのだ。
野村武範
山中耕一
田崎里歩
わたしはベンチに座っている江上弁護士に、
「敗訴です」
と、言って苦笑した。それから事情を説明した。
◆鹿砦社の裁判を担当した池上尚子裁判官も関与
判決は、濱中さんの敗訴だった。野村裁判長が判決文を読み上げた。既に述べたように判決は、濱中さんを敗訴させただけではなく、濱中さんに約1000万円の支払いを命じていた。
しかし、判決文には新任の野村裁判長らの名前はなかった。前任の3人の裁判官が判決を下したことになっていた。つまり法的に見れば、これの裁判は「報告事件」ではない。前任の3人の裁判官が判決を下したのである。
ただ、司法官僚が野村裁判長を大阪地裁へ送り込んだのは4月1日で、判決日が20日なので、この間の引き継で内容の調整が行われた可能性は否定できない。このあたりの事情については、今後、前任の池上尚子裁判官を取材したいと考えている。池上尚子は鹿砦社とカウンター運動の裁判でも裁判長を務め、不可解な判決を書いた人である。
判決直前の数週間に何があったのかは、当事者しか知りえないが、判決文そのものを検証することは誰にでもできる。論理の破綻や矛盾がないか、今後、慎重に検討して、判決の評価を定めなければならない。
❷読売の独禁法違反を認定
この判決を下したのは池上尚子裁判長である。池上裁判長は、カウンター運動のリーダー・李信恵と鹿砦社の裁判に、途中から裁判長として登場して、原告の鹿砦社を敗訴させ、被告・李信恵が起こした「反訴」で鹿砦社に165万円の支払い命令を下した人物である。幸いに高裁は、池上判決の一部誤りを認め、賠償額を110万円(+金利)に減額し、池上裁判長が認定しなかった李信恵らの暴力的言動の最重要部分を事実認定した。
読売「押し紙」裁判の池上判決で最も問題なのは、読売による「押し紙」行為を独禁法違反と認定していながら、さまざまな理由付けをして、損害賠償責任を免責したことである。読売の「反訴」を全面的に認め、元店主の濱中勇志さんに約1000万円の支払いを命じた点である。読売の「押し紙」裁判では、「反訴」されるリスクがあることをアピールしたかったのだろうか。
池上判決のどこに問題があるのか、わたしの見解を公表しておこう。結論を先に言えば、木を見て森を見ない論理で貫かれており、商取引の異常さから環境問題、さらにはジャーナリズムの信用にもかかわる「押し紙」問題の重大さを見落としている点である。
◆自由増減の権利は存在しなかった
既に述べたように判決は読売に「押し紙」があったことを認定した。
たとえば濱中さんがYCの経営をはじめた2012年4月の段階で、読売の社員らは新聞の搬入部数(定数)が1641部で、このうちの760部が残紙であることを濱中さんに知らせた。しかし、濱中さんは、「新規の新聞購読者を獲得して残紙を有代紙に変えることで対応できるなどと考え、そのことを承知の上で本件販売店の経営を引き継いだ」。(24P)。
この事実に基づいて、判決は次のように述べている。
「原告が本件販売店の経営を引き継ぐに当たり、本件販売店の定数にいついては、従前の定数を引き継ぐことを当然の前提とされていたものと推測され、定数に関する原告の自由な判断に基づく意向を反映する形で決定されたものであったとは考え難い」(33P)
つまり池上裁判長は、販売店には注文部数を自由に増減する権利が保障されていなかったと認定したのである。
また読売は、普段から販売店に対して「積み紙」(折込広告の水増しや補助金を目的とした部数の水増し)をしないように指導しており、それが守られない場合は販売店を強制改廃することができた。実際、わたしも「積み紙」を理由に販売店を改廃させられた店主らを知っている。「積み紙」を禁止することで、販売店を拡販活動に追い立てる構図があると言っても過言ではない。
こうした販売政策があるわけだから、濱中さんが「自ら、井田(注:読売の社員)が把握していた実配数の2倍近くの定数で被告に対して新聞を注文するようになったとは考え難」いというのが裁判所の判断だ。そして「被告(注:読売)があらかじめ定めた定数を前提に、(注:濱中さんが)新聞を注文するようになったと考えるのが合理的である」と結論づけた。それをふまえた上で、次のようにこの事実を認定している。(33P)
「以上からすると、被告が、原告に定数を指示して当該部数の新聞を注文させたことが推認され、この推認を覆すに足りる証拠は認められない。」(33P)
池上裁判長は、この行為が独禁法の新聞特殊指定(平成11年告示)の3項2に該当すると判断した。次の条項である。
3 発行業者が、販売業者に対し、正当かつ合理的な理由がないのに、次の各号のいずれかに該当する行為をすることにより、販売業者に不利益を与えること。
二 販売業者に自己の指示する部数を注文させ、当該部数の新聞を供給すること。
以上を前提として、池上裁判長は読売の独禁法違反を次のように認定した。
「前記のとおり、被告の指示した定数は本件販売店の実配数を2倍近く上回るものであったところ、そのような新聞の供給が正常な商慣習に照らして適当と認めるに足りる証拠はなく、被告の従業員も上記定数と実配数に照らして適当と認めるに足りる証拠はなく、被告の従業員も上記定数と実配数との乖離を認識していたのであるから、被告がその指示する部数を原告に注文させたことに正当かつ合理的な理由がないと認められる。また、被告は、上記のとおり実配数を2倍近く上回る部数の新聞を原告に有代で供給している以上、販売業者に不利益を与えたといわざるを得ない」(34P)
「よって、被告には、平成11年告示3項に違反する行為があったといえる。」(34P)
ただし独禁法違反があったと認定した期間は、2012年の引き継時だけで、その他の時期については認定しなかった。
◆損害賠償も公序良俗違反も認めず
さて、独禁法違反を認定したのであれば、それに対して何らかの制裁を課すのが社会の常識である。取引の実態そのものが異常を極め、しかも被害が広告主にも及び、さらには環境問題(資源の無駄づかい)も含んでいるわけだから、社会通念からすれば、少なくとも「押し紙」は明らかに公序良俗違反になるはずだ。
ところが池上裁判長は、読売に対する一切の損害賠償責任を免責にしたのだ。その理由は、濱中さんが補助金などの支給により、大きな経済的損害を受けていなかったうえに、「押し紙」を前提としたビジネスモデルを承知していたからというものだった。
こうした論法が認められるのであれば、たとえば窃盗で得た金銭が1円とか10円とか、少額であれば返済は不要だと言っているに等しい。商取引の通念からすれば、たとえ数字の誤りが1円でもあれば、返済するのが常識である。
さらに残紙により広告主らから不正に広告料を騙し取る行為-折込広告の水増し行為に関しては、池上裁判長は驚くべき見解を述べている。
「被告の行為が広告主や社会一般に対する詐欺に当たるという点については、仮に詐欺に当たると評価されるとしても、原告との関係において直接問題となるものではないから、被告の行為について、直ちに本件契約を公序良俗に反するものであるとするほどの違法性があることを根拠付けるものとはいない」(35P)
「押し紙」により広告主に被害を与えていても、販売店に対する被害は発生していから、公序良俗違反を適用するには及ばないと言っているのだ。巷では、折込広告(広報も含む)の水増しが社会問題になっているのだが。
◆折込広告の水増し問題も直視せず
池上判決が2012年の販売店開業時について、独禁法違反を認定していながら、その他の時期については認定しなかったのは論理の整合性に欠ける。他の時期についても大量の残紙が存在したことは判決で認定したわけだから、同じ「押し紙」を柱とした同じビジネスモデルの下で、商取引が行われたと解釈するのがより整合性があるはずだが、池上裁判長はなぜか2012年の引き継時だけに独禁法違反を限定したのである。木を見て森を見ない論理を露呈した。
◆「押し紙」を柱としたビジネスモデル
さらに判決は、濱中さんがショートメールで「押し紙」を断っていたことを認定しているが、これについてもあれこれと理由を付けて、読売を免責している。
減紙の要求を受け入れない読売に業を煮やした濱中さんは、ショートメールで「押し紙」を減らすように申し入れた。その記録は、裁判所へ提出されている。次のようなやり取りだ。
(社員)「いきなり整理(注:部数を減らすこと)できないので、次回の訪店でお話しましょ!お互いの妥協策をかんがえましょ。俺をとばしたいなら、そうしますか。」(29P)
(社員)「書面出したら、昨日言った通り、全て担当員のせいになります。俺の管理能力が問われるから、部長ではなく、俺が全て責任とらされます。」「明日から会社でるので、部長と相談するな。少し大人しくしててな。おれに一任しておくれ。」(29P)
(濱中)「溝口社長に話し聞いてもらわないと解決しないでしょう。このままでは」(29P)
(社員)「社長にそれをすると、俺が飛ぶって!どばしたかったらやってくれ!」(29P)
(濱中)「紙の整理どうします?」(29P)
これらのメールから「押し紙」制度の中で、社員が上司と販売店の板挟みになっていることが読み取れる。「俺が全て責任とらされ」るとまで言っているのだ。「押し紙」を柱としたビジネスモデルの中で、読売の社員も苦しんでいる様子が読み取れるのである。ある意味では、社員も「押し紙」制度の被害者なのである。
ところが池上裁判長は、メールの文面から、「押し紙」制度の被害が社員にまで及んでいる実態を読み取ることなく、切り捨てているのである。たとえば、
「①原告は、被告の担当者とメールのやり取りすることもあったにもかかわらず、平成30年3月以前において原告が減紙を申し出る内容のメールを被告の担当者に送信したことを裏付けるメール等の証拠がないこと、②原告は、前記3(5)アのとおり被告の読者センターに対して苦情等を直接伝えるなどしていたのであるから、本件販売店を担当する被告の担当者に対して継続的に減紙を申し出ていたにもかかわらず一向に応じてもらえない状況にあったというのであれば、被告の本社に対して何らかの働き掛けを行うことが想定できるにもかかわらず、原告が被告の本社に直接減紙を求めたような事情が証拠上認められないこと、③前期3(5)オの平成30年4月の原告と梶原とのメールのやり取りには、『いきなり整理できない』などと、原告が急に減紙の話を持ち出したことがうかがわれる内容が含まれること」
などである。
ちなみに社員が記した「いきなり整理できない」という表現は、これまでの「押し紙」を柱とした商慣行を「いきなり」変えることはできないと、解釈するほうが自然だと、わたしは思う。
なお、日経新聞の「押し紙」裁判でも類似した司法判断(京都地裁、2022年)があった。原告の元店主が書面で20回以上も「押し紙」を断っていたにもかかわらず、販売店と新聞社がこれらの書面を前提に販売店と新聞社が話し合ったから、「押し紙」とは認定できないとする内容だった。判決の方向性を最初から新聞社の勝訴に決めているから、「押し紙」の決定的な証拠を突きつけられると、次々とブラックユーモアのような詭弁を持ち出してくるのである。裁判の公平性に疑問が残るのである。
◆控訴審で補助金制度の検証が必要
濱中さんに対して、約1000万円の支払いを命じた件に関しては、補助金の性質を池上裁判長がよく理解していないとしか言いようがない。濱中さんが補助金の架空請求をしていたので、それによって得た額を返済するように命じたのだが、新聞のビジネスモデルの全体像の中で補助金の役割を考える必要がある。
補助金というものは、ビジネスモデルの構図の中でみると、「押し紙」の負担を軽減すると同時にABC部数をかさ上げして、紙面広告の媒体価値を上げる役割がある。濱中さんの販売店には、常時大量の残紙があったわけだから、それに相応した補助金の額も大きかった。
読売裁判のケースは再検証する必要があるが、一般論で言えば、新聞社はさまざまな名目を付けて補助金を支給する。昔は、封筒に現金を入れてどんぶり勘定で支給したのである。従って領収書があるとは限らない。新聞社が開き直って販売店に「架空請求をしていた」と言えば、販売店は反論ができない。毎日新聞では、1986年に補助金制度を利用した裏金作りも発覚している。(『毎日新聞百年歴史』)
濱中さんのケースが、一般論に該当するのか、控訴審で再検証する必要がある。
改めて言うまでもなく裁判官には、人を裁くただならぬ特権が付与されている。従って公正な判決を故意に捻じ曲げた場合は、司法界から除籍されるべきだろう。
❸新聞協会と公正取引委員会の密約疑惑
押し紙」の定義をめぐる争点を紹介しておこう。結論を先に言えば、この論争には2つの問題を孕んでいる。
①池上裁判長の「押し紙」の定義解釈が根本的に間違っている可能性である。
②かりに解釈が間違っていないとすれば、公正取引委員会と新聞業界の「密約」が交わされている可能性である。
◆新聞特殊指定の下での「押し紙」定義
一般的に「押し紙」とは、新聞社が販売店に買い取りを強制した新聞を意味する。たとえば新聞購読者が3000人しかいないのにもかかわらず、新聞4000部を搬入して、その卸代金を徴収すれば、差異の1000部が「押し紙」になる。(厳密に言えば、予備紙2%は認められている。)
しかし、販売店が、新聞社から押し売りを受けた証拠を提示できなければ、裁判所はこの1000部を「押し紙」とは認定しない。このような法理を逆手に取って、読売の代理人・喜田村洋一自由人権協会代表理事らは、これまで読売が「押し紙」をしたことは1度たりともないと主張してきた。
これに対して原告側は、新聞の実配部数に2%の予備紙を加えた部数を「注文部数」と定義し、それを超えた部数は理由のいかんを問わず「押し紙」であると主張してきた。たとえば、新聞の発注書の「注文部数」欄に4000部と明記されていても、実配部数が3000部であれば、これに2%を加えた部数が新聞特殊指定の下で、特殊な意味を持たせた「注文部数」の定義であり、それを超過した部数は「押し紙」であると主張してきた。
この主張の根拠になっているのは、1964年に公正取引委員会が交付した新聞特殊指定の運用細目である。そこには新聞の商取引における「注文部数」の定義が次のように明記されている。
「注文部数」とは、新聞販売業者が新聞社に注文する部数であって新聞購読部数(有代)に地区新聞公正取引協議会で定めた予備紙等(有代)を加えたものをいう。
当時、予備紙は搬入部数の2%に設定されていた。従って新聞特殊指定の下では、実配部数に2%の予備紙を加えた部数を「注文部数」と定義して、それを超える部数は理由のいかんを問わず「押し紙」とする解釈が成り立っていた。発注書に記入された注文部数を単純に解釈していたのでは、販売店が新聞社から指示された部数を記入するように強制された場合、「押し紙」の存在が水面下に隠れてしまうからだ。従って特殊な「押し紙」の定義を要したのだ。公正取引委員会は、「注文部数」の定義を特殊なものにすることで、「押し紙」を取り締まろうとしたのである。
1999年になって、公正取引委員会は新聞特殊指定を改訂した。改訂後の条文は、次のようになっている。読者は従来の「注文部数」という言葉が、「注文した部数」に変更されている点に着目してほしい。
3 発行業者が、販売業者に対し、正当かつ合理的な理由がないのに、次の各号のいずれかに該当する行為をすることにより、販売業者に不利益を与えること。
一 販売業者が注文した部数を超えて新聞を供給すること(販売業者からの減紙の申出に応じない方法による場合を含む。)。
二 販売業者に自己の指示する部数を注文させ、当該部数の新聞を供給すること。
◆「押し紙」の定義の変更
池上裁判長は、「押し紙」の定義について、改訂前の定義であれば、販売店側の主張する通りだと判断したが、改訂後の条文で、「注文部数」が「注文した部数」に変更されているので、「押し紙」の定義も従来通りではないと判断した。つまり
販売店が新聞の発注書に記入した外形的な数字が「注文部数」に該当するとする認定したのである。それを理由に、残紙の存在は認定していながら、それが「押し紙」に該当するとは認定しなかった。言葉を替えると、公正取引委員会が1964年に「押し紙」を取り締まるために定めた特殊指定の運用細目における「押し紙」の定義を無効としたのである。
※ただし、既に述べたように原告の元店主が販売店を開業した2012年4月については、「押し紙」の存在を認定した。
その主要な理由は「注文部数」と「注文した部数」では、意味が異なるからとしている。はたして実質的に「注文部数」と「注文した部数」に意味の違いがあるのだろうか。社会通念からすれば、これは言葉の綾の問題であってが、意味は同じである。
それに1999年の新聞特殊指定の改訂時に公正取引委員会は、新しい運用細目を設けていない。従って、運用細目に関しては変更されていないと見なすのが自然である。ところが池上裁判長は、1964年の運用細目は無効になっているとして、販売店が注文書に書き込んだ部数が注文部数にあたると認定したのである。
改めて言うまでもなく、新聞特殊指定の目的は、特殊な条項を設けることで、新聞の商取引を正常にすることである。独禁法の精神からしても、「押し紙」を放置するための法的根拠ではないはずだ。
◆公取委と新聞協会の「密約」の疑惑
仮に池上裁判長の判断が正しいとすれば、1999年の新聞特殊指定改訂の際に、公正取引委員会は、新聞社がより「押し紙」をしやすいように特殊指定を改訂して便宜を図ったことになる。実際、その可能性も否定できない。と、言うのもその後、急激に「押し紙」が増えたからだ。今や搬入部数の50%が「押し紙」と言った実態も特に珍しくはない。
公正取引委員会が新聞特殊指定を改訂した1999年とはどのような時期だったのだろうか。当時にさかのぼってみよう。まず、前年の1998年に公正取引委員会は、北國新聞社に対して「押し紙」の排除勧告を出した。その際に新聞協会に対しても、北國新聞だけではなく、多くの新聞社で「押し紙」政策が敷かれていることに注意を喚起している。
これを受けて新聞協会と公正取引委員会は、話し合いを持つようになった。わたしは、両者の間で何が話し合われたのかを知りたいと思い、議事録の情報公開を求めた。ところが開示された書面は、「押し紙」に関する部分がほとんど黒塗になっていた。「押し紙」に関して、外部へは公開できない内容の取り決めが行われた可能性が高い。
1999年の公正取引委員会が改訂した新聞特殊指定は、新聞社が「押し紙」政策を活発化させる上で、法的な支えになっていることも否定できない。池上裁判長が示した新しい新聞特殊指定の下における「押し紙」の定義が正しいとすれば、両者は話し合いにより「押し紙」の定義を1964年以前のものに戻すことにより、新聞社が自由に「押し紙」を出来る体制を構築したことになる。
しかし、それでは特殊指定の意味がない。特殊指定が存在する以上は、「押し紙」の定義も、それに即した解釈すべきではないか。
このように池上裁判長が示した新しい新聞特殊指定(1999年)の下における「押し紙」の定義をめぐる論考は、2つの問題を孕んでいるのである。



