2013年12月10日 (火曜日)
2013年12月10日 (火曜日)
2013年12月10日 (火曜日)
2013年12月10日 (火曜日)
2013年12月10日 (火曜日)
12月10日発売の『紙の爆弾』と『SAPIO』が、わたしが取材している分野の問題を取り上げている。わたしもコメントしている。
◇『紙の爆弾』
まず、『紙の爆弾』は、高田欽一氏の署名記事「警察の裏・マスコミの裏 知られざる未解決事件」。この中に「読売新聞の顧問弁護士 喜田村洋一に懲戒請求」と題する一節(65ページ)がある。
喜田村弁護士に対する懲戒請求の件は、MEDIA KOKUSYOでもたびたびとりあげてきた。この事件は、MEDIA KOKUSYOに掲載された文書(読売の江崎法務室長が、わたしに送付した催告書)の削除を求めて、江崎氏が裁判を起こしたのが発端である。
提訴の根拠としたのは、送付文書が江崎法務室長の著作物で、わたしには公表権がないのに、ウエブサイトで公表したからというものだった。ところが裁判の中で、文書の作成者が喜田村弁護士である強い可能性が判明。もともと法務室長に提訴する資格がなかったのに、強引に提訴に及んでいたことが分かったのだ。最高裁でもこの点が認定された。
注:著作者人格権は他人に譲渡できない。これに対して著作者財産権は譲渡できる。江崎氏が提訴の根拠としたのは、著作者人格権だった。
最高裁の認定を受けて、わたしは喜田村氏に対する懲戒請求を申し立てた。 その根拠としたのは、弁護士職務基本規定の第75条。
弁護士は、偽証若しくは虚偽の陳述をそそのかし、又は虚偽と知りながらその証拠を提出してはならない。
『紙の爆弾』の記事は、「もし申請が通れば、中坊公平日弁連元会長のように、廃業や引退に追い込まれる可能性もある」と述べている。
参考資料:なぜ、裁判所が喜田村氏らが催告書の作成者を偽っていたと判断したのかは、次の知財高裁判決に詳細に記されている。法律の専門家であれば、書類の名義(江崎名義)を偽って裁判を起こす行為がいかに悪質であるかが理解できるだろう。
◇『SAPIO』
喜田村氏に対する懲戒請求の根底にあるのが、「押し紙」問題である。 『SAPIO』に掲載された鵜飼克郎氏の著名記事「販売部数水増しで広告価値を釣り上げる『押し紙』の決定的現場を見た!」は、雑誌による「押し紙」報道の再開を予感させる。 鵜飼氏の調査の一部を紹介しよう。
そのトラックは猛スピードで北上。走ること10分。今度はB新聞の販売店に到着した。まず、店内からビニール袋に入った新聞を5束運び出し、トラックの荷台に乗せた。その後、運転手は慣れた手つきで店の倉庫の扉を開け、中から新聞の束を台車に乗せて運び出し始めた。台車に1回18束を積み、これを4往復した。
また、この記事は、折込チラシの「中抜き」問題にも言及している。折込チラシの「中抜き」とは、次のような手口である。
たとえば広告主が30万枚のチラシを広告代理店に発注すると仮定する。しかし、「押し紙」があるので、30万枚を各新聞販売店に分配しても、余ってしまう。そこで搬入枚数を、広告主には秘密で、たとえば20万枚に減らす。差異の10万枚については、印刷もしない。しかし、請求は30万枚が対象になる。
このような手口が実際に発生している。次に示すのは、バースーディーというブランドショップが発注したチラシの枚数、「中抜き」枚数、それに損害額を示した一覧表である。これらの数字は、裁判の判決で認定されている。
森ゆうこ元参院議員が10月2日、『最高裁の罠』の著者でブロガーの志岐武彦氏に対し820万円の金銭要求と言論活動の制限を求める裁判を起こしていたことが分かった。発端は小沢一郎議員が2010年に検察審査会の議決で起訴され、最終的に無罪になった事件。志岐氏は検察審査会を管轄する最高裁事務総局の策略で小沢氏が法廷に立たされたと推論。これに対して森氏は、検察による謀略説を強調した。
週刊誌報道やロシアのサーバーから送られた捏造報告書も、検察による謀略論をクローズアップした。世論誘導に不信感を抱いた志岐氏は、自身のブログで森氏を批判、森氏のことを「肝腎の最高裁への追及がなくなった」などと書いた事が提訴理由とされた。
謀略は最高裁事務総局なのか、検察なのか、それとも双方の連携プレーなのか?日本権力構造の「罠」と裁判の背景に迫る。(訴状ダウンロード可)?? 【続きはNyNewsJapan】
写真:「検察審査委員及び補充員選定録」。志岐氏らは、検察審査委員と補充員の「生年月」(日は含まない)の開示を請求したが、最高裁事務総局はすべて黒塗りにした。「生年月」では、個人を特定することは出来ないはずだが
2013年12月07日 (土曜日)
NTTドコモが住民運動の圧力で携帯基地局の設置計画を中止に追い込まれた問題で、「携帯電話基地局設置に反対する目黒区八雲町住民の会」は、7日から新たなチラシを配布する。
昨年の秋からNTTドコモは、目黒区八雲にあるベネッセ経営の老人ホーム「グランダ八雲」の屋上に携帯電話の基地局を設置する計画を進めていたが、住民の反対で今年の10月に計画を断念した。しかし、計画の中止を「住民の会」に通知しなかった。
このために「住民の会」は、目黒区役所で計画の中止を確認すると同時に、NTTドコモに対しても電話で問い合わせ、中止を確認した。
そのうえで八雲地区の住民たちに対して中止を伝えるチラシを配布するように求めた。 しかし、NTTドコモはこれを拒否。そこで「住民の会」は書面のかたちで計画中止を示すように求めて、内容証明郵便を送付した。
12月6日の時点で、ドコモからの回答は届いていない。そこで「住民の会」はまず、計画の中止を自分たちで知らせること決定。次のようなチラシを作成した。
チラシの配布は、12月7日(土)から八雲地区の約800世帯を対象に実施される。
■写真は、埼玉県越生町の携帯基地局。本文とは関係ありません。
◆吉竹幸則(フリージャーナリスト・元朝日新聞記者)
何しろ今回は、特に朝日社内の説得こそ大事です。そのまま記事にはめ込める言質を文章の形で取って、編集幹部に見せて納得させる必要があります。相手に言い直す暇を与え、少々、トーンが落ちるのは、覚悟の上です。紙面に掲載する中部地建河川部長名の談話の文面をその場で詰めることにしました。
案の定、それまでのやり取りから私が作った原文に、建設省はいろいろと細かい注文をつけて来ました。「認めた」ことまでも、もう一度あいまいにし、必要以上に言質を落とそうとします。その都度、「建設省はタイムマシンを持っていると書こうか」と、攻め立てて押し返しました。
最終的には「着工時、現状の川で、どのくらいの大水まで流せるか、きちっとした数字を算出していなかったのは事実」と、まとめたのです。もちろん、相手に合意させ、双方が文面のコピーを取りました。その後、再度念を押して再確認する作業も怠りませんでした。
これで前任の社会部長が在任当時言っていた「相手が認めないものはダメだ」という無理難題さえ、完全にクリアしたことになります。先の予備取材で、3年前に書いておいた続報も、そのままで使えることも、確認済みです。名古屋本社に戻り、突破口となる最初の原稿を書き上げました。もちろん、この日のうちに記事にするつもりだったのです。
「建設省は『堰がなければ、洪水の危険のある』との根拠が、着工時には存在しなかったことを認めた」と、デスクに取材経過を話し、先の談話も盛り込んで仕上げた原稿を示しました。
出来るだけ読者に分かりやすくするため、88年の着工時、建設省に唯一あった係数値で描いた最大大水時の水位シミュレーションも、読者の視覚に出来るだけ分かり易く訴えられるイラストにしようと、「図案さん」と呼ぶ担当部門に発注しました。
◇ウソの系譜を時系列でまとめる
これまでのおさらいです。長良川河口堰で建設省がどれほどのウソをついて来たか。私が3年前解明したウソの系譜を時系列でまとめると、次のようになります。
1962年 建設省は、治水ための必要浚渫量を「1300万トン」、利水からの必要量を「3200万トン」と算出。極秘の「長良川河口堰調査報告書」を作成。
1968年 建設省は「治水」、「利水」を区別することなく、「治水・利水に必要な浚渫量は3200万トン」として、閣議決定に持ち込む。
1972年 「河口堰建設事業」の一環の長良川川底の土砂を浚渫する事業開始(1990年までに900万トンの浚渫と地盤沈下で300万トンの同様効果)。
1976年 安八水害発生。建設省は水余りの中、「治水のために、堰建設は不可欠」と大宣伝を始める。
1984年 安八水害のデータから、コンサルタント会社に依頼して、長良川の最新の現況粗度係数を算出。マニュアルではこの値で直ちに治水計算しなければならない。しかし結果は、最大大水時の水位は完全に安全ラインを下回り、「治水のためには堰不要」との結論になる。公表せず、ひた隠しにした。
1988年 木曽三川の改修100年記念事業として『木曽三川?その流域と河川技術』を発刊。頭隠して、尻隠さずで、安八水害のデータで算出した本物の「長良川の現況粗度係数」を掲載。
1989年 岐阜県は、建設省から渡された72年の河床データと「計画粗度」で計算した水位シミューレーションをパネルにして県庁正面に掲げ、「堰を造らないと、洪水の心配がある」と、住民を説得。
1990年2月 建設省が記者会見。計算根拠を明らかにしないまま、「現況の長良川は最大大水時、水位は安全ラインを1メートル弱上回り、洪水の危険がある。治水のためにあと1500万トン以上の浚渫が必要で、堰は不可欠」と説明。
1990年3月 私たちが取材で、『河床年報』を要求。「不等流計算」され、結果が露見するのを恐れた建設省は、さらなる取材対策のために、新しい「粗度係数」の算出にとりかかる。
1990年4月 新しい「粗度係数」の値を作り上げる。「4.9」の日付でペーパーを作成。この係数で計算すると、安全ラインを上回り、「堰必要」との結論にひっくり返る。
1990年6月 私たちが取材。建設省は「待ってました」とばかり、新しく算出した「粗度係数」のペーパーを示し、「この係数が正しい」として、堰建設の論拠とする。
――以上の通りです。
◇前社会部長が没にした出稿計画の一覧
新聞社では、事件などその後の展開が分からないものはともかく、調査報道のように記者に展開の主導権が握れるものは、あらかじめ「コンテ」を作り、編集各部門に渡しておくのが常です。コンテとは、「記事の狙いは何か」とともに、どんな原稿をいつから書き始め、どのように展開、いつ完結させるか―報道の設計図と言えるものです。
私が1990年、政治部に行く前に前部長に提出し、潰された出稿計画・コンテは、先の事実に基づき見出しだけ書くと次のようになります。
1日目 「建設省、治水計算の重要係数、最近変更 変更前なら治水上堰の必要なし」「極秘の『河床年報』を入手。計算から明らかに」
2日目 「住民団体から一斉に建設省への不信の声」
3日目 「建設省 1988年に係数算出 自ら発行した記念誌『木曽三川』に掲載」「この係数では、『堰は不要』のシミュレーション 新しい係数算出はやはり言い訳か」
4日目 「『88年の算出係数は正しい』と、岐阜大教授は自信」
5日目 「木曽、揖斐川の係数も88年係数とほぼ同じ 『木曽三川』記念誌に記載」
6日目 「『大水危険』の岐阜県庁の水位図は1972年の古い河床使って計算」
7日目 「治水のための浚渫必要量は1300万トン 1962年の建設省極秘報告書から明らかに」
――です。
◇再び「しばらく検討させて欲しい」
このうち、1日目の原稿を、私が書き上げたばかりの「建設省 88年の着工当時、『治水上不可欠』の裏付け数字なし 90年に新しい値で計算」の原稿に入れ替えます。後はこのままほぼ変更せずに使えます。
コンテとともに渡した原稿も、社会部のパソコンから完全に消されてはいました。でも、私のフロッピーにはしっかり保存されています。私はフロッピーから3年ぶりに取り出して印字、デスクに渡し、このコンテに沿ってすぐに報道を始めるよう促しました。
苦労してデータを積み上げて完成した報道です。全国至るところに長良川河口堰同様、無駄なダム計画がありましたから、一緒に葬り去る連載計画の構想も提出しました。
当時、河口堰は、「無駄な公共工事の典型」として、今の八ッ場ダム以上に全国の注目を集め反対運動が盛り上がっていました。
その最中に建設省が建設方針を維持する最大の拠り所がもろくも崩れたのです。「着工当時の88年には、『堰は治水上必要』は根拠のない主張、つまりウソであったと、他ならぬ建設省自身が明確に認めた」…。私は、全国通し1面扱いで最初から大々的に報道されて当たり前の記事と、信じて疑いませんでした。
取材が終われば、すぐ原稿を書き、翌日の紙面に載せてこそ、新聞です。ところが、デスクは相変わらず歯切れが悪かったのです。「しばらく検討させて欲しい」と、私の原稿はまた預かりになりました。
慎重居士のデスクにしてみれば、私の書いた原稿を編集局長、社会部長の双方に見せ、その顔色を伺いたかったのでしょう。「久しぶりに徹夜かな」と思い、支局に「今日は戻れない」と電話を入れていました。しかし、私はそのまま豊田にすごすごと引き揚げる以外になかったのです。
もちろん、部長への直談判も考えました。しかし、デスクはまだ、「記事にしない」と言っている訳ではありません。デスクを飛び越え、部長に出稿を促しては、デスクの顔が立ちません。今後の報道計画を考えても、ここでデスクと対立するのは、得策ではなかったからです。
◇編集局長「1面は使わせない」
しかし、案の定と言うべきか、デスクはなかなか返事をしてきませんでした。それから1週間、もう師走です。その間何があったか知りませんが、普段通り、豊田で地方版の取材をしていると、デスクから突然、「河口堰の記事を明日の新聞に載せる。すぐ名古屋に来て欲しい」と、私に連絡があったのです。
河口堰報道が本格化すると、紙面展開に応じて、建設省へ改めての取材も必要になります。しばらくは地方版の原稿を書く余裕はありません。でも、地方版を書いている同僚に迷惑をかけられません。そのために書き溜めておいた10本ほどの地方版記事を、「穴が空いたら、この記事で埋めておいて欲しい」と、地方版担当デスクに事情を話し、まとめて送信。夕方、その足でそそくさと名古屋本社に向かいました。
ただ、河口堰の原稿は書き終えています。本社に着いても、当日の仕事はそれほどありません。私の原稿にデスクが手直しした文章を点検しました。慎重居士だけに、私の書いた鋭角的な表現をマイルドにし、何が言いたいのか分からなくしている点も多々ありました。あまりにもおかしな直しのいくつかは、元に戻してもらう交渉をしました。
ところが、記事のニュース価値を判断し、編集・見出しをつける整理部の様子が普段と違い、異常な雰囲気になっていました。
私の原稿を見て、整理部デスクや実際に見出しをつける「面担」と呼んでいる担当記者の判断は、私の紙面構想と同じく、一面トップに本筋の建設省が「根拠なし」と認めた記事、関連原稿は社会面見開きで大々的に展開しようと考えていました。しかし、編集局長は認めず、「1面は使わせない」と頑としてストップをかけて来たというのです。
紙面編集の最終権限は確かに編集局長室にあります。しかし、幹部による意図的、恣意的な紙面作りを防ぐため、普段のニュース価値判断は、整理部に権限委譲されていました。編集局長も、現場で意見の対立があるなど、余程のことがない限り、口を挟まないのが、朝日の伝統でもあったのです。
しかしこの時は、私の直訴に「社会部内の判断に局長が介入するのは好ましくない」として動かなかった局長室が、現場の整理部デスク、記者の一致した判断に口を挟み、「1面扱いにしない」と、有無を言わせぬ強権、指揮権発動に出たのです。
◇名古屋本社の社会面トップで報道
新聞なら、読者に知らせるべき事実は何か。ニュース価値からの判断に真摯にあるべきです。しかし、何故この記事を1面で展開するのがダメなのか。局長室がまともな理由も示さなかったため、整理部デスクも怒ったのです。現場からの突き上げを受けた整理部長や社会部長も、入れ替わり立ち代り局長室に入り、協議を続けました。
薄いガラス窓1枚で仕切られた部屋からは、双方の怒鳴り声がまる聞こえでした。しかし、局長室はこの指揮を押し通し、一面扱いはなくなりました。記事は、1993年12月7日付け名古屋本社社会面見開き展開になりました。 私が1面と考え、結局は社会面トップとなった記事の書き出し、前文は次のようなものでした。
「長良川河口堰について、建設省は『洪水を防ぐには、川底の浚渫が欠かせない』としてきたが、1988年の着工当時、どれくらいの浚渫をしたらいいかという裏付けデータを持っておらず、着工から2年経過した90年になって、データ作りをしていたことが6日、建設省の内部資料や説明で明らかになった。現状の川で、どこまでの大水に耐えられるか、流下能力の検証のないまま、着工していたことになる。堰の建設は68年に閣議決定されているが、反対派などからは、『経過が不自然。治水のために本当に堰は必要だったのか』と検証を求める声が出ている」。
もちろん、私の元の原稿では、建設省による「粗度係数工作」を強く臭わせるものでした。しかし、前述通り慎重居士のデスクの手で、マイルドにはされています。でも、原稿に陽の目を見させるには、この程度の妥協はやむを得ません。後は 次の日からの続報で補えば良いからです。
続く本文では、「根拠」がなかったことを認めた中部地建河川部長名の談話も盛り込み、治水計算の手順、粗度係数の説明、88年と90年の値の違いで、シミュレーションはどう違うか、イラストで分かり易く示しました。
おっかなびっくり、デスクが手を入れた記事はもどかしくもありましたが、反対派住民の「都合が悪く、新データを作成したのでは」と疑問提起の声も加えることで、建設省の隠ぺい工作を、読者にそれなりに分かってもらえたとは思います。
しかし、難解な話です。短い1回限りの記事で、建設省がこれまで延々と国民・住民を騙し続けてきた偽装工作の全容を伝えることは、もちろん不可能です。
◇続報を許可する気概と勇気なし
それでも翌日、朝日の特ダネ記事を読んで、予想通り、他社の記者は建設省に押しかけ、記者会見を要求しました。反対派住民も、建設省に不信の声を挙げ、当初の紙面計画に沿い、私はその動きを取材、翌日の紙面を作ろうとコンテ通りの続報原稿を書きました。
でもデスクは、その記事を載せようとしませんでした。それなら3日目に予定していた記念誌『木曽三川』の存在を明かす続報を繰り上げて使って欲しいと、頼んだのです。しかし、それもデスクは受け入れません。結局この日は何の記事も載らないまま、終わりました。
中部地建が渋々、記者会見に応じたのは、翌々日の夕方でした。案の定、他社の記者は、私の記事を十分に理解出来ているとは思えませんでした。私も出席、質問をリードしたつもりです。でも、今後の続報の手の内を他社に明かす訳にはいきません。せめてこの時点で、『木曽三川』の記事だけでも載っていたら、私の質問はもっと工夫出来ました。他社の記者も、建設省の工作にさらに強い疑念を持ち、追及を強めただろうと、残念でなりません。
何とももどかしい会見でした。それでも他社の記者にも問い詰められて、建設省は改めて「着工時、データを把握していなかった」と、私の記事を事実として認めました。しかし、「数字的な検討をしておけばよかったが、想定する洪水で流れないのは明白」として堰建設を見直そうとは、しなかったのです。
デスクは、豊田支局長であることを理由に、この会見記事さえ私に書かせず、当時の中部地建担当記者に執筆させたのです。その結果、「『着工時、把握せず』中部地建、会見で認める」と、わずか3段見出しの小さなものにしかなりませんでした。住民団体の動きも、「工事の即刻停止を建設省に要請 市民団体」とのベタ記事が添えもののように載っただけです。
◇続報は自粛、デスクは肩を震わすだけ
この報道では、特に続報が命というのは、最初から承知済みの話です。これだけ難しく、前提の多い話を理解してもらうには、出来るだけ丁寧な説明が必要です。なおかつ建設省のカラクリまで、読者や他社の記者に分かってもらうには、しつこい程、続報を積み重ねていく以外にありません。
ボクシングに例えても、最初のパンチが当たったら、追い詰めて、2発も3発もボディーブローを浴びせる。最後は決め手の強烈アッパーとストレートでノックアウト。これが当り前の戦い方です。
せっかく顔面への見事なパンチが当たり、グラッと来たのに、そのまま相手の息が吹き返すまで、手をこまねいて見ている…。そんなボクサーが、どこの世界にいるでしょうか。
すでに多量の続報原稿をデスクに渡してあります。デスクは整理部に渡しさえすれば済む話です。私は、「早く、出稿して欲しい」と、言い続けました。しかし、デスクは、記事にしない理由はあいまいにしたまま、下を向いて、肩を震わすだけです。
何日もこの状態が続きました。さらに強硬に主張すると、最初の記事から1週間後に、「使えぬはずがここに掲載」と、『木曽三川』に88年の係数値が載っているとする記事だけ、なんとか載せました。しかし、第2社会面3段の目立たない扱い。気の抜けたビールです。
デスクは私へのガス抜きのつもりだったのかも知れません。でも私にも、読者にとっても、スカッとするどころか、むしろストレスが溜まっていくばかりです。結局、あとの続報は何を言おうとも、載せませんでした。
もう一度、時系列で私が解明した建設省のウソの多さと、わずかに記事として載り読者に知らせることが出来た事実の少なさを比較してみて下さい。これで河口堰反対の世論が高まるはずもありません。建設省は記事などどこ吹く風で、工事を平然と続けたのです。
◇朝日は読者の知る権利を侵害した
私が朝日記者を名乗って「知った事実」は、少なくとも朝日の読者にとって「知る権利」のある事実です。でも朝日は、読者の「知る権利」を侵害したとしか言えません。結果、国民のチェックが行き届かず、無駄な公共事業が野放しにされました。その先に国の借金・国債の途方もない積み上がりもあります。 いかに「知る権利」が侵害されると恐ろしいことになるか、その一端をこれで、ご理解戴けたと思います。
申し訳ありません。ここまで書いて来たところで、また紙数が尽きました。この後も私は、デスクに止められた続報を、何とかもう一度陽の目を見させようと、もがき続けました。次回はそこから始めたいと思います。ぜひ次回もご愛読頂ければ幸いです。
≪筆者紹介≫ 吉竹幸則(よしたけ・ゆきのり)
フリージャーナリスト。元朝日新聞記者。名古屋本社社会部で、警察、司法、調査報道などを担当。東京本社政治部で、首相番、自民党サブキャップ、遊軍、内政キャップを歴任。無駄な公共事業・長良川河口堰のウソを暴く報道を朝日から止められ、記者の職を剥奪され、名古屋本社広報室長を経て、ブラ勤に至る。記者の「報道実現権」を主張、朝日相手の不当差別訴訟は、戦前同様の報道規制に道を開く裁判所のデッチ上げ判決で敗訴に至る。その経過を描き、国民の「知る権利」の危機を訴える「報道弾圧」(東京図書出版)著者。
◆吉竹幸則(フリージャーナリスト・元朝日新聞記者)
憲法で保障されているはずの国民の「知る権利」が、根こそぎ奪われるのではないか。そんな懸念のある特定秘密保護法案が衆院で強行採決されました。秘密の対象が防衛機密だけに限定されるかどうかも、実のところ、確かではありません。
東北大震災の復興税がどう、流用されたか。それを想い出すだけで十分です。この国の政治家・官僚はどこまでも悪知恵を働かせます。何しろ何が「秘密」か、国民に分からないまま、権力者の思うままに「秘密」が指定され、漏らした人が罪に問われる法案です。
いかに官僚・政治家は、国民に平気でウソを言い、事業を進めるものか。私が取材した長良川河口堰の例を見ても、明らかです。防衛秘密以外でも、自分たちに都合の悪い情報が暴かれそうになったら、どうにでも屁理屈をつけて、この法律を盾に自分たちを守るに違いありません。
逆に、この法律で警察などから拘束されるのは、国家・政治家・官僚の悪を世間に知らせ、国民の「知る権利」に貢献しようとする善意の人々です。
戦前のこの国には、治安維持法がありました。軍部の暴走、戦争にひた走る権力者に対し、異議を唱えた人、真実を語ろうとした人は、この法律違反に問われ、次々と牢屋にぶちこまれました。失意のうちに亡くなった人も少なくありません。秘密保護法が治安維持法の再来にならない保証は何処にもないのです。
何しろ、この欄で詳しく報告してきている通り、今のメディアには腐敗があります。現状でも危ないのに、この法律が施行されれば、メディアは本気で人々の「知る権利」を守ろうとするでしょうか。私は、メディアがますます権力者に迎合する道を歩んでいくことを危惧します。その結果、この国の行き着く先は…、「いつか来た道」ではないのでしょうか。
◇「異能分子」の社会部長
「公共事業は諸悪の根源」、今回で、もう9回目になりました。私が報告して来たのは、長良川河口堰での官僚の際限ないウソです。その結果、利権目当ての無駄な公共事業が際限なく続き、この国は途方もない借金を積み上げました。
本当に朝日が人々の「知る権利」に奉仕していたなら、官僚のウソは暴かれ、この国の借金はここまで膨れ上がらなかったはずです。「知る権利」が侵されることが、いかに恐ろしいことか。この事実からも、お分かり戴けると思います。
このシリーズは、それを具体的に知ってもらうことにあります。国民の「知る権利」が侵された長良川河口堰報道の実例からも、秘密保護法の危険性を改めて認識し、反対の声を挙げていってもらいたいと、切に願う次第です。
また、前置きが長くなりました。今回は、1993年夏、私の長良川河口堰報道を止め続けた社会部長が、異動で名古屋社会部からいなくなった後から話を始めます。編集局次長が「異能分子」と呼んでいたのがこの社会部長です。「編集以外の局に異動させる」との私との約束は、一応守られた形です。
◇編集局長と新社会部長のあいだで火花
後任の部長は、東京本社社会部の部長代理からの異動でした。私と親しく、東京でこの報道のことで相談もし、記事を潰された内情も一番よく知る当事者の一人です。私のような「一応キャリアの端くれ」というタイプではありません。キャリアの中でも毛並み、人柄も良ければ、評価も高い。早くから将来の社長候補の一人と目されていたエリートです。
河口堰で私が何を取材して、何を記事にしようとしているか、すべて承知です。私と改めて話をするまでもなく、すぐに報道開始にゴーサインを出し、担当デスクも指名してくれました。ただ、「今は、豊田支局長だ。立場を踏まえ、周りから、河口堰にかまけて『職場放棄』と言われないように」と、クギは刺されました。
指名された担当デスクは、かつて私と一緒に警察回りをした仲です。ただ、性格は私と正反対。人柄は良いが、「あくまで慎重」が持ち味です。
私を支持し、河口堰報道に積極的な社会部長。超エリートですから、「何故、この人が」と周囲から人事に疑問が出ていた局長程度は恐くなく、臆することなくズケズケ直言します。編集局長はこれまでの態度からも消極的なのは、明白です。昔から反りの合わなかった二人の間で激しい火花が飛んでいました。もともと小心のデスクは、どちらにつくか、右往左往しているように見えました。
地方採用だったデスクにとっては、ここが正念場、登竜門なのです。どちらに睨まれても、将来はありません。ますます慎重にならざるを得なかったのでしょう。
部長の許可をもらい、報道開始を強く求める私に、「豊田での仕事を……」「補助する記者の人繰りがつかない」と、一寸延ばしにしていました。デスクにしてみれば、定期採用で上に向かいガンガンと言う私のようなタイプは、「気楽な身分」としか映っていなかったのかも知れません。
◇取材の許可は下りたが・・・・
もう、紅葉の季節が近づいていました。河口堰の工事スケジュールを考えると、これ以上引き延ばされると、どんな記事を書いても工事を止められなくなります。いくら親しくても、デスクの優柔不断をこれ以上許しておく訳にはいかなかったのです。強い言葉で迫ると、やっと私を補佐する記者をつけ、「取材だけは」と、許可してくれました。
1990年の取材で、建設省のウソを立証するデータは完璧に揃っています。その点は何も心配していませんでした。でも、3年のブランクがあります。建設省にしてみれば、「何で今更、昔の取材を蒸し返したのか」としか見ないはずです。私はともかく、朝日総体から見れば、「痛くもない腹」とは言えません。
それに3年前なら、「建設省は朝日が取材した直後に粗度係数の値を変え、偽装工作をした」と、最初の皮切りになる記事が書けました。しかし、この時期に至っては、そうも書けません。
まさか、「建設省は、朝日新聞が取材した直後の3年前、粗度係数の値を変更した。しかし、当時の社会部長に止められ、記事には出来なかったが……」と、正直に紙面に書くわけにもいきません。読者にどう取り繕い、いかに不自然さのない記事を書くか…。その点でも、頭を悩ますしかなかったのです。
3年前の取材で建設省や河川学者から取った相手の失言も含めた言質も、そのまま使う訳には行きません。もう一度、一から取り直しです。今度は、相手も私の出方は知り尽くしています。不用意な失言をせず、うまい言い訳を考え出すなど相当準備はして来るはずです。
それより何より、部長はともかく編集局長の態度を見れば、朝日の腹もまだ固まったとは言えません。前回同様、記事に出来ると思い、せっかく言質をとっても、ストップがかかれば、またシナリオに大幅な狂いが生じます。まさに、内憂外患でした。
◇血税で編集した「取材対策本」
もう一度、建設省の出方を探ろうと 予備取材から始めました。私が豊田に赴任したあとの1992年4月、建設省は、『長良川河口堰に関する技術報告』、7月には土木学会の学者を動員して、その言い分を補強する『長良川河口堰にかかわる治水計画の技術評価』という冊子を作っていました。
中身は前回、私の取材攻勢でメロメロになったことに対する反論、まさに私に対する「取材対策本」でした。これにも多額の血税が使われたと思うと、無性に腹が立ちました。でもお蔭で、私の取材にどう答えるか、相手の手の内が読めました。
安八洪水の「4波目」水位データから作ったとするデッチ上げ言い訳粗度係数を使った学者論文も中にありました。私の取材の焦点です。論文では、この係数値を使い、パソコンから打ち出したシミュレーションを記載。これを根拠に「現状の長良川は、治水上危険」と、建設省と同じ主張をしていました。
建設省の言い分通りの係数値を使い不等流計算させれば、建設省や学者のみならず、まさに「誰がやっても同じ」。私がこの係数をパソコンに入力して描き出しても、最大大水時の水位は、安全ライン(計画高水位)を61センチ余り上回ります。
ただ、論文を詳細に読んでみても、4波目の係数値は流量の実測値がなく、推測値から導いたものであることには、何ら触れられていませんでした。建設省から与えられた値を何の疑問もはさまず、単に計算に使っただけの話です。
建設省が4波目の流量を「5800トン」と少なく見積もった推定根拠、そこから導いた係数値が本当に正しく、治水計算に使っていい水準なのか否か。学者なら、当然しなければならない検証さえしていなかったのです。
◇報道再開の準備が整う
論文を執筆した学者に取材しました。すると、計算に使った係数値の算出根拠が「推定流量」であることさえ、建設省から知らされていなかったようです。その点を聞くと、あいまいな答えに終始。誠実そうな学者から、「建設省に利用された」との表情がありありと見て取れました。
しかし、それ以上、私は追及しませんでした。私は何も学者に恥をかかすことが、取材の目的ではありません。学者が役所から多額の原稿料をもらって書く論文は、大体この程度のものが多いのです。
先に冊子を、私の「取材対策本」と書きました。しかし、もし万一、建設省や学者の言い分の方が正しく、長良川で洪水が起きたら、住民の命と財産に関わる話です。冊子に書かれている建設省や学者の主張に耳を傾けるべきものが一つでもあるか否か。それさえ、検証出来れば十分だったのです。
拙書「報道弾圧」には、詳しく書きましたが、そんなこんな…で、冊子に論文を寄せた学者にも当たり尽くしました。その結果、建設省が言っている「長良川に河口堰を造らない限り、水害の危険はある」は、やはりウソとの確信が、ますます強まりました。少なくとも、この冊子に書かれている建設省や学者の言い分に、改めて耳を傾けるべきものは一つもなかったのです。
冊子に執筆した学者は、私の取材の洗礼を受けています。これで私が実際に記事を書き始めても、もう表立って記事に異論を唱え、建設省の言い分を支持するはずもありません。私は、建設省のウソ・カラクリを暴いた3年前の取材・データの完璧さをますます確信しました。
3年前に続報として用意した関係者の言質も改めて取り直し、報道を開始出来れば、いつ使っても構わない程度までに準備を整えました。
◇「何でこんな苦労をさせられるのか」
でも最大の懸案、最初の口火になる1本目の記事をどう書くかが残っています。当初の構想は、前述通り、「建設省、朝日の取材直前に粗度係数変更」との記事から書き始めることでした。次に「その係数が怪しい」との続報を様々な角度で幾つも書きます。
苦しい言い訳を繰り返す建設省の言質を取り、袋小路に追い詰めたところで、最後の最後に河口堰工事を断念させる決め手となる記事へと繋いでいくと言うシナリオでした。しかし、「3年前」では、そうは行きません。別の形で知恵を絞るしかなかったのです。
それに、朝日社内の腰がまだふらついています。社会部長はともかく、最大権限を持つ編集局長が消極的な以上、これまで何回も経験してきたように、何処で突然また、記事に「待った」がかからないとも限りません。編集局長の関門を潜り抜けるには、建設省が「参った」と、一発で認めざるを得ない点を最初に指摘する以外になかったのです。
「何でこんな苦労をさせられるのか。建設省は根拠もないことを、こうもぬけぬけと言っているのに……」と天を仰ぎました。その瞬間、「根拠」という言葉がヒントになり、一つのアイデアが頭に浮かびました。まさに「コロンブスの卵」でした。
◇突破口がひらめく
もう一度、「長良川河口堰に見る官僚の際限ないウソ 公共事業は諸悪の根源?」http://www.kokusyo.jp/?p=3168を読み返してみて下さい。「堰を造らない限り、洪水の心配がある」と、建設省が言い訳に使っている「4波目」の粗度係数は、私の取材に慌て、1990年4月に急遽、算出した数字です。
建設省は、作成日の日付の入ったペーパーをうっかり私に渡しました。その時は何とか回収はしたものの問い詰められ、「作成日は、1990年4月9日ないし、その近辺」と答えたことがお分かり戴けると思います。3年前の私の取材テープにもしっかり録音されていますから、建設省は否定しようがないのです。
しかし、河口堰の着工は、1988年です。この時、建設省が内部で算出していた粗度係数は、『木曽三川』の記念誌に掲載されている「1波目」の値だけしかなかったのがキーポイントです。
この値を使い長良川で想定される最大大水、毎秒7500トンが流れた時の水位を計算すれば、建設省が「堰がなければ、危険」と主張しているすべての地点で、堤防より2メートル下の安全水位を下回ります。つまり、建設省自ら定めた行政マニュアル「河川砂防技術基準」に沿えば、「堰がなくても安全」との結論しか持っていないのです。
建設省がいくら頑張っても、マニュアルに照らし「洪水の危険がある」と言える根拠は、「4波目から導いた」とするごまかし粗度係数の値でシミュレーションした90年4月以降です。88年の着工時に建設省は、「堰がなくても安全」とのデータ・根拠しか持ち合わせていない。しかし、それをひた隠し。「堰がなくては危険」と根拠のないウソを反対派住民に言い続けて来た…。これは、否定しようがない事実です。
では、「着工時の88年、何を『根拠』に建設省は『危険』と言っていたのか」。そこを突けば、建設省は答えに窮すると、私は踏んだのです。
私は数多くの調査報道をしてきました。相手は、十中八九、様々な工作で隠蔽・言い訳を考えます。でも、真実を隠せば、必ず歪み・矛盾が出るものです。探し出して、逆手に取る。取材極意の一つです。
これなら「3年前に係数値を改ざん」などと、ややこしい記事を書かなくて済みます。「着工時の88年、建設省は『堰がなければ、水害の危険』の根拠を持ち合わせていないのに、ウソの主張」と書けばいいのです。
これなら読者も違和感なく伝えられます。これで勝負です。私は、豊田支局での地方版の仕事を早々と済ましました。「これから河口堰の取材をします」と本社に連絡を入れ、名古屋市にある建設省中部地建に向かいました。
◇建設省中部地建を取材
「建設省は、『4波目』の係数が正しいとあくまでも言われるのですね」。私は中部地建に着くと、担当者にその確認から始めました。
「建設省はこの係数で計算したシミュレーションを『根拠』に、長良川は堰がないと治水上、危険と言って来たのですね」とも尋ね、再確認もしました。出来るだけゆっくりしたペースで、何度も何度も角度を変え、同じ趣旨の質問をし、同じ言質を取り続けたのです。
うまい切り口を見つけたと喜ぶあまり、「着工時の88年には、『水害の危険がある』とする根拠はないはずだ」と短刀直入に質問するのは、調査報道記者としては、ど素人です。こちらの質問意図を知れば相手は構え、簡単に認めるものまで認めなくなります。
ちょっとましな記者なら、そんなヘマはしません。こちらの意図は悟られないよう用心し、これまで相手が認めて来た言質を、この場でもう一度言わせて再確認します。相手の逃げ道を先回りして塞いでおくのです。
政治部から戻り、久しぶりに中部地建への私の本格取材です。「何故、豊田から」と首をかしげつつも半ば固まっていた担当者は、私の繰り返しの質問に、今回はさすがに攻めあぐねていると思ったのでしょう。小1時間もこんなやり取りを続けていると、相手はいささかうんざりした様子です。「何を今更」と余裕を取り戻し、冗談も出始めました。
しばらくそれにも付き合いました。相手に侮らせ、安心させたところで、一気に急所を突く。相手の頭を真っ白のパニックに陥らせ、動かぬ言質を取る。これも調査報道の極意です。ここからが本番。私は蓄積したノウハウ・経験のすべてをここに注ぎ込みました。腹から声を出し、トーンを一段低くしました。語調を変え、ドスも効かせたのです。
――それじゃ、お聞きします。88年の着工時、建設省は「堰がなければ、治水上危険」と言って、着工しましたね。88年の時点では、何を「根拠」に「危険」と言えたのですか?
「えっ?88年の時点とは、どういう意味ですか?」
――「『危険』とする根拠は、『4波目』の出水データで見直した粗度係数で出したシミュレーション」と、今、確かにあなたは言いこの場で何度も確認もしましたね?
「ええ、言いました。もちろん、その通りです。それが何かおかしいですか?」
相手は、まだ私の質問の狙いを理解していなかったようでした。でも、私の声の変化で、担当者は異変を悟り、いぶかしがりました。しかし、次の「タイムマシン」という言葉で、やっと私の質問の意図を知ると、青ざめたです。
――4波係数は、90年に算出したことも何度も確認しました。建設省が「洪水の危険」を言う根拠も、この係数による水位計算からなのも、今も確認したはずです。では、建設省は88年の堰着工時点では、90年算出の係数値を持っていないのに、「危険」と言えたのはいかなる根拠からか。建設省は88年に、タイムマシンに乗って90年に飛び、この係数の値を聞いて来たのか?
「えっ?タイムマシン? いゃー88年……。タイムマシンとは、どういう意味ですか……」
――着工時の88年には4波目の係数は、算出されていない。建設省は88年に、タイムマシンを持っていない限り、90年算出係数の値を知ることは出来ないし、「堰がない限り、洪水の危険がある」と主張する根拠もなかったはずだ。
「いや、そんなことでは……。タイムマシンと言われてましても……」 ――そんなことでなかったら、どんなことか。タイムマシンを持っていなかったとすれば、88年の時点での「危険」としていた「根拠」は何か。ここではっきりさせてもらいましょう!
「『根拠』と言われましても……」
――やはりタイムマシンで90年に行って、聞いてきたのか?
「そんな訳では……」
――では、88年に建設省が「洪水の危険」と言えた根拠があるのか、ないのか、答えは一つ。あるなら、ここで明らかにしなさい!
「それは……」
――建設省は、タイムマシンを持っていたのか、持っていなかったのか?
「いゃ……。タイムマシンなど持っていません」
――では、着工時の88年には、「洪水の危険がある」とする根拠は、「ない」ということですね?
「……。なかったということです」
――「なかった」と、はっきり認めるのですね?
「はい、認めます」
◇取材で最後の止めを刺す
畳み込む私の質問に、担当者はもう観念した様子でした。私には長い河口堰取材経験があります。でも、建設省が批判された時、これまで「認める」と言ったことは、一度もありません。他社の記者に対してもそうでした。理屈にならない屁理屈を並べ、何とか平行線に持ち込むのが常です。しかし今回、か細い声ながら、「認める」と言わしたことは、それだけで大きな意味があります。
ただ、ここで「言質は取れた。翻されないうちに」と、喜び勇んで帰るようでは、調査報道記者として、まだ半人前です。建設省にとって公共事業は、天下りはじめとした利権の源泉です。それを止めるか止めないかは、彼らにとって死活問題なのです。
建設省の本庁も介入し、こんなことを認めた担当者は厳しく叱責されます。前言を翻し、後で「言った」「言わない」で必ずもめます。録音していてさえ、「真意はそうでなかった」などと言い出すのは目に見えています。
もちろん私は、百も承知。その時に備えた詰めは、私の昔からの得意分野でもありました。一刻でも早く本社に戻り、記事を書きたいとはやる気持ちを抑え、何をどう認めるのか。「根拠」とは何を指し、「根拠がない」とは、何を意味するのか。角度を変え言質を取り続けました。
≪筆者紹介≫ 吉竹幸則(よしたけ・ゆきのり)
フリージャーナリスト。元朝日新聞記者。名古屋本社社会部で、警察、司法、調査報道などを担当。東京本社政治部で、首相番、自民党サブキャップ、遊軍、内政キャップを歴任。無駄な公共事業・長良川河口堰のウソを暴く報道を朝日から止められ、記者の職を剥奪され、名古屋本社広報室長を経て、ブラ勤に至る。記者の「報道実現権」を主張、朝日相手の不当差別訴訟は、戦前同様の報道規制に道を開く裁判所のデッチ上げ判決で敗訴に至る。その経過を描き、国民の「知る権利」の危機を訴える「報道弾圧」(東京図書出版)著者
11月26日、明治大学のリバティタワーで「メディア現場から秘密保護法に異議あり」と題するリレートーク集会が開かれた。発言者は岸井成格、太田昌克、島洋子、鳥越 俊太郎、早野透、金平茂紀の各氏。
11月21日付けで、わたしは最高裁に対して次のような情報公開を請求した。
平成22年(受)第1529号事件(上告人・読売新聞社・他 被上告人・黒薮哲哉)を担当した調査官の氏名が特定できる文書。
わたしが対象とした裁判は、読売新聞社(西部本社)と同社の江崎徹志法務室長など3人の社員が、ウエブサイト「新聞販売黒書(現・MEDIA KOKUSYO)」の記事で名誉を毀損されたとして、2230万円のお金を支払うことなどを求めた事件である。
◇年間4000件、本当に審理しているのか?
地裁と高裁はわたしの勝訴だった。しかし、最高裁が読売を逆転勝訴させることを決定して、高裁判決を差し戻した。これを受けて東京高裁の加藤新太郎裁判長は、110万円のお金を支払うように命じた。
最高裁で本当に上告事件が検証されているのかという疑いをわたしが持つようになったのは、年間の上告(上告受理申立を含む)件数が4000件を超える事実を知ってからだ。
4000件の処理件数に対して、実質的に判決を書いている調査官の数は、50名に満たない。2011年度の場合は、補佐人を含めても42人しかいない。4000件を単純に42人に割り当てると、ひとりあたりの担当件数は、95件になる。
最高裁に提出される裁判関連の資料は膨大な量になる。となれば常識的には、1人の調査官が年間に95件もの事件を処理するのは不可能だ。
以上のことを前提とすると、上告事件の一部は審理しないで、棄却していると考えるのが自然だ。ただし印紙代は請求している。
◇伊方原発訴訟の調査官を公開できず
そこでわたしは試しに伊方原発訴訟を担当した最高裁の調査官の氏名を公表するように、最高裁に対して情報公開請求を行った。結果は、予測した通り、最高裁は開示することができなかった。この時点で、わたしの推理の裏付けが一歩進んだのである。
ちなみに最高裁調査官リストにある綿引万里子判事は、2001年2月にスタートした読売新聞の連載「裁く」を単行本化した『ドキュメント裁判官』(中公新書)の第4章「夫婦裁判官物語」に登場している。夫の綿引稔裁判官は、ジャーナリスト・烏賀陽弘道氏を被告するオリコン裁判で、実質的な誤審を下したことで有名。
