2014年03月19日 (水曜日)

読売新聞の部数内訳を示す資料を紹介しよう。具体例として取り上げるのは、YC久留米文化センター前店のケースである。裁判の中で「押し紙」の有無が争点になったケースの検証である。(地位保全裁判であるにもかかわらず、なぜ「押し紙」の有無が争点になるのかは後述する。)

※YC=読売新聞販売店

「押し紙」の定義は、2つ存在する。?新聞経営者(以下、新聞人)が主張し、裁判所が全面的に認定している定義と、?一般の人々が社会通念を働かせてイメージしている定義の2つがある。そこであらかじめこの点について若干説明しておきたい。

?新聞人と裁判官の定義

新聞人と裁判官が採用してきた「押し紙」の定義とは、新聞社が販売店に対して押し売りした新聞部数のことである。したがって、「押し売り」の証拠がなければ、たとえ多量の新聞が店舗に余っていても、それは「押し紙」ではないという判断になる。

こうした論法を「へりくつ」と批判する声もあるが、裁判所はそれを認定してきた。広告主がうける被害という視点が欠落している結果にほかならない。

たとえば販売店に新聞を2000部搬入し、実際に配達していた部数が1200部とすれば、800部が過剰になる。しかし、新聞社がこの800部を「押し売り」をした事実を販売店が立証できなければ、「押し紙」とはみなされない。「押し紙」は1部も存在しないということになる。

新聞人は、この種の新聞を「残紙」、あるいは「積み紙」と呼んでいる。最近では、「予備紙」と言うようにもなっている。口が裂けても「押し紙」とは言わない。

次に示すのは、2009年に読売が提起した名誉毀損裁判(被告は、新潮社と黒薮)で、読売の宮本友丘副社長が、自社には1部の「押し紙」も存在しないと断言した証言である。

それゆえにわたしが読売の名誉を毀損したとする論理であるが、証言の中で宮本氏が言及している「押し紙」とは、「押し売り」の証拠がある新聞のことである。それゆえに「押し紙」は、過去にも現在も、1部たりとも存在しないと胸を張って断言したのである。

◇読売・宮本証言に見る「押し紙」の定義  

新聞人にとって「押し紙」とは何かを物語る格好の事例である。宮本氏は、代理人の喜田村洋一・自由人権協会代表理事の質問に応答するかたちで次のように述べている。

喜田村洋一弁護士:この裁判では、読売新聞の押し紙が全国的に見ると30パーセントから40パーセントあるんだという週刊新潮の記事が問題になっております。この点は陳述書でも書いていただいていることですけれども、大切なことですのでもう1度お尋ねいたしますけれども、読売新聞社にとって不要な新聞を販売店に強要するという意味での押し紙政策があるのかどうか、この点について裁判所に御説明ください。

?宮本専務:読売新聞の販売局、あと読売新聞社として押し紙をしたことは1回もございません。

喜田村:それは、昔からそういう状況が続いているというふうにお聞きしてよろしいですか。

宮本:はい。

喜田村:新聞の注文の仕方について改めて確認をさせていただきますけれども、販売店が自分のお店に何部配達してほしいのか、搬入してほしいのかということを読売新聞社に注文するわけですね。

宮本:はい。 (略)

喜田村:被告の側では、押し紙というものがあるんだということの御主張なんですけれども、なぜその押し紙が出てくるのかということについて、読売新聞社が販売店に対してノルマを課すと。そうすると販売店はノルマを達成しないと改廃されてしまうと。そうすると販売店のほうでは読者がいない紙であっても注文をして、結局これが押し紙になっていくんだと、こんなような御主張になっているんですけれども、読売新聞社においてそのようなノルマの押しつけ、あるいはノルマが未達成だということによってお店が改廃されるということはあるんでしょうか。

宮本:今まで1件もございません。

繰り返しになるが、日本の裁判所も宮本氏の「押し紙」についての思考法を全面的に認めている。

?一般の人々の定義 ?

これに対して広く一般の人々に受け入れられている「押し紙」の定義は、単純に販売店で過剰になっている新聞のことである。新聞の商取引の裏側を知らない一般の人々は、社会通念を働かせて、販売予定のない商品(「押し紙」)を好んで注文し、その代金を支払うバカは存在しないと考えているからだ。

従って、販売店で過剰になった新聞は、すべて押し売りの結果発生したと考えている。大半の人々にとっては、残紙=「押し紙」である。

◇47%の部数が虚偽

2008年3月1日に、読売はYC久留米文化センター前店を強制廃業にした。店主が自主的に新聞の注文部数を約2000部から、約1000部に減らしたところ、3ヶ月後に改廃されたのである。

これに対してYC久留米文化センター前店の店主は、地位保全裁判を提起した。裁判の中で、同店における新聞の部数内訳の実態が表に出たのである。

裁判所は、YC久留米文化センター前には、新聞人が主張している「押し紙」は存在しないと認定した。しかし、搬入部数と実配部数が大きく異なっていたことは、判決の中で明らかになっている。

■YC久留米文化センター前店の部数内訳(H16年1月?H20年2月)??

※赤線部分に注意。注文部数が大幅に減っている。

【表の見方】  

定数:搬入部数を意味する。新聞部数の「定数」を意味する。

実配(報告書):店主が読売に報告していた実配部数

実配(実態):同店が本当に配達していた部数

虚偽報告部数:実配(報告書)?実配(実態)

残紙:余っていた部数

多量の新聞が余っていた事実は重い。判決によると、最終的には「約47.5パーセントが虚偽」だった。しかし、裁判所はこれらの偽装部数を、新聞人が主張する「押し紙」とは認めなかった。押し売りした証拠がないのが、その理由のひとつである。

責任はむしろ部数内訳を正確に報告していなかった店主の側にあると判断した。それを正当な改廃理由として認めた。この裁判でも、読売は裁判に圧倒的に強いことを見せつけたのである。

しかし、多量の新聞が過剰になっていた事実は重い。結果として、実態のない部数により、ABC部数がかさ上げ状態になり、紙面広告の価格に影響を及ぼした可能性があるからだ。

◇地位保全裁判で「押し紙」の有無が争点になる理由

念を押すまでもなく新聞販売店の地位保全裁判では、店主の解任が正当か不当かが判決により決定される。読売のケースに限らず、販売主の地位保全裁判で極めて頻繁に争点になるのは、「押し紙」の有無である。その理由を説明しよう。

既に述べたように新聞人たちは、過去から延々と、新聞業界には1部の「押し紙」も存在しないと主張してきた。これも繰り返しになるが、彼らにとって「押し紙」とは、押し売りを立証できる新聞のことである。「残紙」のことではない。「押し紙」は独禁法に抵触するので、口が裂けても「押し紙」があるとはいえない。そこで「残紙」、「予備紙」などの言葉で言い換えているのだ。

こうした事情を販売店の側も承知している。文句も言わない。新聞社は販売店にとって大切な取引先であるからだ。そこで部数の内訳を新聞社に報告する場合、販売店は実配部数に「押し紙」を加えた数字を報告する。もちろん報告書のフォーマットに「押し紙」というカテゴリーも存在しない。

新聞社に対する忠誠心がある店主ほど、「押し紙」を隠して、部数内訳を報告する。そうすることで帳簿上では、1部の「押し紙」も存在しないことになる。

ところがこのような事務処理は、法的に見れば部数の虚偽報告である。新聞社にウソの報告をしたことになる。この点を逆手にとれば、新聞社は虚偽報告を理由として、販売店を正当に改廃することが出来るのだ。

これが販売店の地位保全裁判で、「押し紙」の有無と、それに伴う虚偽報告の有無が争点になる理由である。

しかし、部数の虚偽報告が改廃理由にはならないとする判例もある。YC久留米文化センター前の改廃事件の半年まえに出た真村裁判の福岡高裁判決である。この判決は最高裁でも認定された。日本の新聞社経営に決定的な影響を及ぼしかねない判決だったのである。

■真村裁判の福岡高裁判決

重要な部分を抜き書きしてみよう。

新聞販売店が虚偽報告をする背景には、ひたすら増紙を求め、減紙を極端に嫌う一審被告の方針があり、それは一審被告の体質にさえなっているといっても過言ではない程である。

一審原告真村が、予備紙の部数を偽っていたとして誓約書を提出した際に提出した平成12年10月目標増紙計画表では、定数年間目標を1665部、実配年間目標を1659部とし、同年5月時点での定数を1625部、実配数を1586部、予備紙を39部と、同年10月時点での実配数を1586部、予備紙を39部として上記定数を維持した記載をしているところ、一審被告は、このような報告を受けても、

それに合うように定数を減らさせることをせず、上記計画表記載のとおりの同一審原告らの注文を受けていたものであり、同様に、予備紙の虚偽報告が発覚した久留米中央店の荒木に対しても、ほぼ同様の対応に終始しているのである(甲131、乙81、104、原審証人YM)。

このように、一方で定数と実配数が異なることを知りながら、あえて定数と実配数を一致させることをせず、定数だけをABC協会に報告して広告料計算の基礎としているという態度が見られるのであり、これは、自らの利益のためには定数と実配数の齟齬をある程度容認するかのような姿勢であると評されても仕方のないところである。

そうであれば、一審原告真村の虚偽報告を一方的に厳しく非難することは、上記のような自らの利益優先の態度と比較して身勝手のそしりを免れないものというべきである

YC久留米文化センター前の店主が、自主的に新聞の発注部数を約1000部減らしたのも、もとをたどれば真村裁判の福岡高裁判決に勇気ずけられたからにほかならない。ところが、真村裁判の判例は、YC久留米文化センター前の裁判では、完全に覆ったのである。

読売は、やはり圧倒的に裁判に強いのだ

2014年03月14日 (金曜日)

安倍内閣が憲法9条の「改正」へと突き進んでいる中で、これに反対する勢力が繰り返し使っている表現のひとつに、「戦争が出来る国」がある。

この表現は、安倍内閣が憲法9条を「改正」して、日本を戦争が出来る国にしようとしているという文脈の中で使われている。

わたしは憲法9条の「改正」には反対だが、それとは別に、「戦争が出来る国」という表現は非常に分かりにくいと感じている。大半の人は、ピンとこない。と、いうのも社会通念からして、戦争を好む人はほとんどいないからだ。

なぜ、安倍内閣が憲法9条を改正して「戦争が出来る国」にしようとしているのか、説得力のある説明が不可欠だ。さもなければ、論理が飛躍していると思われる。

◇企業の海外進出と派兵の関係  

結論を先に言えば、安倍内閣が日本を「戦争が出来る国」にしたがっている背景には、ビジネスに国境がなくなった事情がある。それに加えて、世界的な規模で住民のパワーが台頭し、多国籍企業が進出先で営利を貪ることが、倫理的に許されなくなってきた事情がある。

こうした状況の下で、日本の多国籍企業を政変から防衛するために、安倍内閣は軍隊を派遣できる体制を構築する必要性に迫られているのだ。

しかも、多国籍企業の防衛を米国を中心とした同盟国で分担する体制を整えようというのが、オバマや安倍の目論見である。

わたしがこんなふうに自衛隊の「国際化」の背景を解釈するようになったのは、1980年代から90年代にかけてメキシコと中米諸国を取材した時期である。多国籍企業と軍隊の関係を直接観察する機会があったからだ。

たとえば中米のホンジュラス。ホンジュラスのカリブ海沿岸には米国の果実会社(Dole社など)の農園が広がっている。ここで収穫されたバナナやパイナップルは、港から船で米国へ運ばれる。豊かな農作物を前に、現地住民は飢えている。先進国の繁栄と、第3世界の悲劇が共存しているのだ。

これらの農園には、農園警備隊(Guardia de hacienda)と呼ばれる特別の部隊が配備されている。もちろん農園警備隊は、米軍の所属ではないが、ホンジュラスは米軍の対ニカラグア戦略のプラットホームであり、バックに米軍がいたことは間違いない。

拙著『バイクに乗ったコロンブス』(現代企画室)のあとがきで、海外派兵と多国籍企業の関係を概略しているので、紹介しておきたい。

90年代に入ってから、頻繁に耳にするようになった2つの言葉がある。企業の「海外進出」と、自衛隊の「海外派兵」である。この両者、国際化の中での日本の対応という観点を除いては、あたかもまったく関係がないかのような論理が大勢を占めているが、メキシコと中米の取材を通して、私はこの2つが密接に関連しているという確信を得た。

つまり、企業の海外進出にともなう治安部隊の派兵という性質が海外派兵にあること。あるいは企業の用心棒としての自衛隊の海外での活動の必要性が、海外派兵推進の根底にあるということ。それは、海外で政変が起きて企業が危機に直面したとき、軍事力を駆使して「治安の回復」をはかることを意味している。

◇「『実行可能』な安全保障の再構築」  

改めていうまでもなく、海外派兵は財界の要求である。 ? たとえば、経済同友会は、「『実行可能』な安全保障の再構築」と題する提言の中で、多国籍企業の活動と海外派兵の体制について、次のように述べている。

■「『実行可能』な安全保障の再構築」

中身を検証してみよう。

?邦人保護体制の強化に向けた実効性ある検討を

企業活動のグローバル化に代表されるように、国民の安全・財産は、日本の領域内のみにとどまるものではない。自ら選択して海外に出る以上、安全確保のための方策を自ら講じることは、個人・企業の別を問わず当然の責任であろう。その一方、非常事において、国民の安全や権利を守ることは、国家の究極的な責任であると考える。

また、提言は海外からエネルギー源を確保するためには、武力行使も正当化すべきとの主張を展開している。

エネルギー資源のほぼ全量を輸入に頼る日本にとって、その安定的な確保 は持続的な経済成長の基盤であり、死活的な重要性を持つ。 ?  国際情勢の変化に伴うエネルギーの安定確保リスクを低減するためには、 エネルギー政策を安全保障政策の一環としてとらえ、一次エネルギーの種類 の多様化と、その輸入元の多様化等の施策を、計画的に実施していくことが 必要である。 ?  また、万が一の輸入途絶やエネルギー価格暴騰等のリスクに備える上では、 エネルギー自給率の向上という観点も重要である。そのため、基本的には、 本会が主張してきた「縮原発」8の方向性を踏まえつつ、安定的なエネルギー 源として、原子力発電を維持していくことは、安全保障上も極めて重要な意 味を持つと言える。

「エネルギー政策を安全保障政策の一環としてとらえ」るように提言しているのである。これは武力でエネルギー源を防衛すべきだという論理である。 ? さらに驚くべきことに、経済同友会は、提言の中で緊急事態基本法の制定を求めている。その内容は次のようなものである。

具体的には、首相を長とする意思決定の迅速化と現場指揮権の明確化を通じ、国民の生命・財産の保護を達成するため、2004 年の自公民三党合意を踏襲し、早期に緊急事態基本法を制定すべきである。さらに、防衛省と他省庁、自治体との連携を円滑に行う観点からは、そうした緊急事態法制に則って、具体的な運用手順・手続きを整備することを急がねばならない。

例えば、有事に際して、空港、港湾、道路、電波・通信など公共施設を防衛目的で利用するような場合、予め、指示・訓令体制や利用計画の整備、訓練がなされていなければ、危機管理体制は現実的に機能するものとなり得ない。 ?  

こうした緊急事態に際しての連携が求められるのは、各省庁間だけではない。 さまざまな事態において、土地、船舶、航空機、車両、その他施設や関連する人員など、民間からの協力が必要となる事態も想定されるだろう。

この点についても、民間からの協力が必要とされる事態や協力範囲、強制力のあり方や万が一の場合の補償等、幅広い視点で、平時においてこそ、官民の間で合意を形成し、そのような連携を円滑化、強化しうる仕組み作りに取り組むことが肝要ではないか。

緊急事態基本法が成立すれば、日本人全体が多国籍企業の権益を守るための戦争に動員されることになる。結論として提言は、次のように述べて、改憲を主張している。

? われわれが求める「安全保障体制の刷新」とは、実効性ある自衛と国益の保護 という観点から、現憲法の枠内において実行可能な形で、政策的・制度的な制約や不備を無くし、安全保障に関わる国際的規範や共通理解との齟齬を縮小することに他ならない。

◇ラテンアメリカと海外派兵

海外派兵と多国籍企業の関係を考える場合、ラテンアメリカにおける米国の軍事介入に焦点をあてると分かりやすい。派兵の本質が見えてくる。年代順に米軍による軍事介入(軍事訓練の指導も含む)とCIAによる介入を追ってみよう。

■1954年 グアテマラ

■1961年 キューバ

■1964年 ブラジル ?

■1965年 ドミニカ共和国? ?

■1971年 ボリビア ?

■1973年 チリ ?

■1979年?ニカラグア内戦

■1980年?エルサルバドル内戦? ?

■1983年 グレナダ

■1989年 パナマ

このうち分かりやすい例のひとつに1954年のグアテマラのケースがある。実は、1954年のCIAによるクーデターの前時代、1944年からの10年、グアテマラでは、民主的な政治が行われた。ルーズベルト米大統領が提唱したニューデール政策(資本主義に規制を加える)に基づいて、大胆な社会改革が進んだのである。この10年は、俗に「グアテマラの春」と呼ばれている。

当時の政権は左派ではなかった。しかし、農地改革に着手して、UFC(ユナイテッド・フルーツ・カンパニー)の土地に手をつけたとたんに、CIAによるクーデターで政権が転覆させられたのだ。

その後、1960年ごろからゲリラ活動が起こり、以後、36年にわたりグアテマラは内戦の時代を経験したのである。

2014年03月13日 (木曜日)

9日に行われた中米エルサルバドルの大統領選挙の決戦投票は、選挙管理委員会が公式に勝者を宣言できない状態になっている。決戦投票は、左派のFMLN(ファラブンド・マルチ民族解放戦線)のサルバドル・サンチェス・セレン氏と、右派のノルマン・キハノ(元サンサルバドル市長)の間で行われた。

得票率は、サンチェス・セレン氏が50・11%、対立候補のノルマン・キハノ氏が49.89%の僅少差だった。このために選挙管理委員会は、開票結果を再検証している。

ただ、10日付けのNew York Timesは、サンチェス・セレン氏のリードが覆ることはないだろう、との選挙管理委員会の談話を伝えている。

FMLNは2009年の大統領選で初めて勝利したが、この時のマウリシオ・フネス大統領は、ジャーナリストでFMLNのメンバーではなかった。今回、出馬したセレン氏は、内戦(1980年?92年)を戦ったFMLNのメンバーである。

◇塗りかわる政治勢力図

かつてラテンアメリカといえば、コスタリカのような少数の例外を除くと、概して軍部の勢力が極めて強い地域だった。多国籍企業の利権を守るために、米軍による軍事介入が頻繁に繰り返されてきた地域である。

ところが1998年のベネズエラ革命を機に、次々と左派の政権が誕生するようになった。しかも、かつてのように米軍による軍事介入も、ほとんどできなくなっている。

政治手法も、旧来の社会主義国とは異なり、議会制民主主義を重視しながら、徐々に福祉国家をめざす柔軟路線を取っている。

次に示すのは、カリブ海諸国を除くラテンアメリカ(スペイン語圏・ポルトガル語圏)における大統領名と政治傾向である。赤文字の大統領が、左派、または中道左派を示す。

メキシコ:エンリケ・ペーニャ・ニエト

ホンジュラス:フアン・オルランド・エルナンデス

グアテマラ:オットー・ペレス・モリーナ

エルサルバドル:マウリシオ・フネスン??

ニカラグア:ダニエル・オルテガ

コスタリカ:ラウラ・チンチージャ

パナマ:リカルド・マルティネリ

コロンビア:フアン・マヌエル・サントス

ベネズエラ:ニコラス・マドゥロ?

ペルー:オジャンタ・ウマラ

エクアドル:ラファエル・ コレア

チリ:ミチェル・バチェレ

アルゼンチン:クリスティーナ・フェルナンデス・デ・キルチネル 

ボリビア:フアン・エボ・モラレス・アイマ 

パラグアイ:オラシオ・マヌエル・カルテス・ハラ

ウルグアイ:ホセ・ムヒカ?

ブラジル:ジルマ・ヴァナ・ルセフ 

◇構造改革=新自由主義の失敗が背景に

なぜ、ラテンアメリカの政治地図は塗り変わったのだろうか。もともとラテンアメリカは社会運動が盛んな地域だったということもあるが、それよりも決定的な引き金になったのは、米国が押し付けた構造改革=新自由主義の失敗である。

このあたりの事情については、朝日新聞の伊藤千尋記者が、次のように簡潔に解説している。

左傾化のきっかけは90年代に米国が主導する国際通貨基金(IMF)が南米各国に押しつけた新自由主義政策だ。民営化や規制緩和を過度に進めた結果、地場産業が崩壊し失業が増大して格差が拡大した。

「IMFの優等生」といわれたアルゼンチンでは金融危機に陥って暴動となるなど各国で社会が混乱し、大統領選挙では有権者が新自由主義反対を掲げる反米左派の候補に流れた。

これら左派政権の国は経済では南米南部共同市場に結集し、政治的には04年に南米国家共同体の構想を打ち出した。米国が進める米州自由貿易地域に対抗する構えだ。ベネズエラでは05年、キューバやアルゼンチンなどが資本参加した反米スペイン語テレビ局が放送を開始した。

ブラジルやベネズエラなどが石油を共同開発する「ペトロスール」も設立された。中でもベネズエラのチャベス政権とボリビアのモラレス政権は、キューバのカストロ政権に急速に接近している。ボリビアの天然ガス国有化に対して不利益を蒙るブラジルも国有化を容認するなど結束を見せている。

■出典:勢いを増す南米の左派政権 ?

構造改革=新自由主義の失敗をアベノミックスという対症療法でしのいでいる日本にとって、ラテンアメリカのモデルは参考になる。構造改革=新自由主義は、失敗が必然と言っても過言ではない。

◇ゲリラ組織から合法政党へ

FMLN(ファラブンド・マルチ民族解放戦線)は、もともとは1980年に5つのゲリラ組織が統一された解放戦線である。前年に隣国ニカラグアのFSLN(サンディニスタ民族解放戦線)が新政権を樹立した影響が、エルサルバドルにも及びFMLNの結成に繋がった可能性が高い。

実際、FMLNは結成後、ただちに首都サンサルバドルへ向けて大攻勢をかけた。政府軍は戦意を喪失して、「第2のニカラグア」を免れないと見られていたが、米国の強力な軍事介入が始まり、1992年まで泥沼の内戦状態になったのである。

92年に和平が成立して、FMLNは合法政党に生まれ変わった。それから17年後の2009年、FMLNは初めて大統領選で勝利した。

エルサルバドル内戦の記録は、やはり米国の映像ジャーナリストが記録している。

2014年03月12日 (水曜日)

裁判員制度で使われた出費を検証したところ、野村総合研究所が最高裁に対して、「裁判員等選任手続の検証等業務」の名目で、約6400万円の支払を求めていたことが分かった。請求書の日付は、2009年3月31日。裁判員制度がはじまるひと月まえである。

請求書には、最高裁の受領印があり、実際に請求金額が支払われた可能性が高い。請求書のPDFは次の通りである。

■野村総合研究所の請求書PDF

◇NTTデータに2億4300万円

MEDIA KOKUSYOで既報したように、(株)NTTデータに対しては、裁判員候補者名簿管理システムの開発と保守名目で2億4300万円を支出していた事実もある。(厳密には、NTTデータが請求)。

■請求書(裁判員候補者名簿管理システムの開発)

■請求書(裁判員候補者名簿管理システム開発のアプリケーション保守)??

不自然に高い金額である。相場は700万円ぐらいである。

◇パナソニックに1億5000万円

さらに、裁判員裁判に使う法廷用IT機器のレンタル料金として、最高裁からパナソニック ソリューションズ ジャパン株式会社に、2009年度だけで、約1億5000万円が支払われていたことが分かった。厳密に言えば、最高裁が本当に支払ったかどうかは不明だが、パナソニックが発行した請求書に、最高裁の受領印があり、実際に支払われた可能性が高い。

詳細は、次に示すPDFファイルのとおりである。

■「裁判員法廷用IT機器の賃貸借」請求書(2009年4月)

請求の仕方は、ほとんどの場合、月2回に分けて行われている。たとえば2009年4月の場合は、次のようになっている。

1回目:  6,551,580円

2回目: 14,599,727円

4月の合計は、約2115万円である。

裁判員裁判が始まったのは2009年5月であるが、2月、3月、4月も、その他の月と同程度の金額が支払われている

ただ、パナソニック ソリューションズ ジャパン株式会社に対する支払いについては、最高裁が全国の地裁で使う法廷用IT機器のレンタル料金を肩代わりしている可能性もあり、最終評価するためには再検証が必要だ。請求書では、「数量・単位」が「1式」となっている。

これについて最高裁に問い合わせたところ、詳細については、答えられないとのことだった。

近々に野村総合研究所、NTTデータ、パナソニックと最高裁の取り引きについての詳細な記録の公開を請求する予定。

2014年03月11日 (火曜日)

新聞社が発行する新聞部数を公式に示す数字は、日本ABC協会が毎月公表するABC部数である。これは発行(印刷)部数を表す数字であるから、実際に新聞販売店が配達している部数との間に差異があるが、一般的には実配部数として受け止められている。もちろん広告主も、ABC部数=実配部数という前提で、広告代理店と広告(紙面広告、折込チラシ)価格の交渉を行ってきた。

ところがこのところ(と、いっても数年前から)、ABC部数と実配部数の間にかなりの差異があることを、新聞経営者が認めざるを得ない状況が生まれている。

ABC部数と実配部数の差異は、「押し紙」(偽装部数)として、少なくとも1970年代から水面下の大問題になってきたが、新聞人はこの事実を認めようとはしなかった。たとえ両者に差異があることを認めても、それは販売店の責任で、「自分たちはあずかり知らぬこと」という態度を貫いてきた。

日本の裁判所も、このような新聞社の見解を全面的に合意してきた。公取委もほとんどこの問題で指導に乗り出したことはない。

そのために販売店主が、「押し紙」問題をいくら内部告発しても、新聞社は聞く耳を持たなかった。それはちょうど電車の中で携帯電話を耳にあて、声高に話しているならず者を注意しても、「わが権利」とばかりに、平然と喋り続ける光景に類似している。

が、ここに来て、読売の渡邉恒雄会長までが新聞があまり購読されていない実態を認めはじめている。「押し紙」の存在を全面否定しても、少なくとも新聞離れが広がっている事実は否定できなくなっているのだ。

◇読売・渡邉会長「無読者層が(東京23区で)約5割に」

渡邉恒雄氏は、今年の1月6日に、読売新聞東京本社で開かれた賀詞交換会で次のように発言している。業界紙の記事を引用してみよう。

(渡邉会長は)新聞販売の現状にも言及し、「昨年11月に(ABC部数)1000万部を回復した」としながらも、「折り込み広告が減り、販売店は苦しんでいる」と指摘。東京23区内の無読者層が約5割に上る実態も挙げて、「活字離れは新聞界の将来に響く大きな問題。新聞離れをした国は、国力が必ず衰え、民度が下がる。日本の将来は楽観視できない」と懸念を示した。

余談になるが、新聞離れ=活字離れとする渡邉氏の認識が、我田引水で論理的に飛躍していることは言うまでもない。

◇朝日、「予備紙の整理を進める」

朝日新聞の木村伊量社長も、1月6日に朝日新聞社で行われた新年祝賀会で新聞部数の不透明さにまつわる発言をしている。以下、業界紙からの引用である。

2017年度までをめどに、まず朝刊420万部を抱える主戦場の東京本社管内のお店から順次、予備紙の整理を進めてもらい、経営改善を促します。

「予備紙」とは、端的にいえば「押し紙」、あるいは残紙このことである。日本新聞協会は、新聞社が販売店に新聞を押し売りした証拠がないので、過剰になっている新聞は「押し紙」ではなく、「予備紙」だと主張してきたが、一般の人々は過剰になった新聞(偽装部数)を総称して「押し紙」と呼んでいる。

社会通念からすると、販売予定がない「日替わり商品」を好んで仕入れるバカはいないからだ。エリートの詭弁(きべん)は、通じない。

◇日経、「宅配増に協力していただきたい」

さらに日経の鈴木諭販売部門担当も1月15日に東京プリンスホテルで開かれた日経代表者会議で次のように新聞の「部数整理」に言及している。

すでに3年前から、消費増税には筋肉質な体制で臨みたいと申し上げ、この2年で大規模な部数整理をさせてもらった。新聞社にとって部数は命だ。販売担当である私の責任は、紙の新聞の部数。その部数を調整したのは、痛恨の極みだが、これに応える形で宅配増(黒薮注:実配部数の増)に協力していただきたい。

◇読売、1ヶ月で24万部が減

読売、朝日、日経のうち、朝日と日経は自社新聞のABC部数と実配部数の間に差異があることを認めている。

その読売も、下記に示すように、2013年の11月から12月にかけて、ABC部数を一気に約24万部も減らしている。

11月:   10,007,440部

12月:    9,767,721部

24万部といえば地方紙1社分にも相当する。次に示すのは、関東地方の地方紙のABC部数(12月部数)である。参考までに、読売が減らした24万部と比較してみてほしい。

茨城新聞:123,171部

下野新聞:316,745部

?上毛新聞:304,139部

?東京新聞:525,390部

?神奈川新聞:204,232部

◇ 読売・新聞人の見解

参考までに、読売の「押し紙」についての見解を紹介しておこう。以下で紹介するのは、読売新聞の宮本友丘副社長(当時専務)が、対「週刊新潮」(+黒薮)の「押し紙」裁判で提出した陳述書からの抜き書きである。書かれている内容が事実かどうかは別として、読売が裁判所に提出した公式見解として紹介しておこう。

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被告らは、本件訴訟において、朝日新聞や毎日新聞、産経新聞など他社の販売関係者の話などを証拠として提出していますが、全く意味がないと思います。販売店による部数の自由増減と、発行本社による厳正な部数管理は、読売の伝統であり、他の新聞社とはまったく異なるからです。(9P/10P)

黒薮注:自由増減とは、販売店が自由に注文部数を決定できる制度を意味する。つまり「押し売り」の対極である)

読売新聞社においては、新聞販売店が独自の判断で注文部数を自由に増減できる「自由増減主義」が、販売政策の基本原則です。定数を注文するのは販売店であって、発行本社ではなく、販売店の経営者が独自の裁量で決めています。(3P) ?

残念なことではありますが、新聞販売店が実際の部数をごまかし、水増しした部数を注文するケースがまれにあることも事実です。これは、新聞社が指示したり、押し付けたりしたわけではなく、販売店自らの意思で注文する行為であって、「押し紙」ではなく、「積み紙」と呼ばれています。(6P) ? ? ?

週刊新潮」の記事では、「押し紙」という、読売新聞社が販売店に押し付けている新聞があると書かれていますが、読売新聞社においてそのような「押し紙」は一切存在しません。読売新聞東京本社、大阪本社、西部本社のいずれかを被告として、新聞販売店契約の解除をめぐって訴訟が提起されたことは何度かありますが、その中で「押し紙」が認定された判決が全くないことからも、それは明らかです。(3P) ?

過去、新聞業界において、不公正な販売が問題となった時代もありましたが、読売新聞は、業界の旗振り役となって正常化してきた歴史があり、こうした点からも、他の新聞社とは決定的に異なるのです。(4P) ?

まず、裁判所に理解していただきたいのは、新聞社が新聞販売店に対して優越的な地位にあるわけではないことです。新聞社は、販売店に対して、テリトリー制に基づき独占販売権を与えており、購読者の氏名住所等の情報は販売店しか持っておらず、新聞社は一切把握していません。(5P) ?

年間目標は、1店あたり平均4?5部の増紙に過ぎませんが、直近の5年間をみても、達成した販売店は全体の5割?7割程度しかありません。創刊135周年の節目の2009年は全社を挙げて増紙運動を展開しましたが、その年ですら、74%でした。仮に、被告新潮社などが言うように読売新聞社が優越的地位を濫用して、目標を達成しない販売店を次々と改廃していれば、毎年、3割?5割の販売店が改廃されていることになりますが、そのような事実は全くありません。(5P/6P) ?

■(略)過去の裁判例にあるように、悪質な新聞販売店では、二重帳簿を作成したり、架空の読者を作り出したりして新聞社に報告するなど、様々な手段を使って、虚偽報告が発覚するのを防ごうとします。新聞社の販売店担当者は、毎月1回は必ず訪店して、業務報告を受け、経営指導を行っていますが、販売店は新聞社とは別個の独立した事業主体であり、強引に帳簿類をチェックすることはできず、巧妙な隠蔽工作を図られれば見抜くことは容易なことではありません。(7P) ?

読売新聞社は2年に一度、社団法人日本ABC協会(以下「ABC協会」といいます)から、部数について公査を受けています。ABC協会は、日本で唯一、新聞の部数を公正に調査、認証する機関です。国内において、第三者の立場から客観的に新聞部数を調べる組織は、ABC協会をおいて他には存在しません。被告新潮社らは、ABC協会の公査は信用性がないと主張していますが、それならば広告主は一体どこに部数の確認を求めれば良いのでしょうか。(7P) ?

一方、残紙とは、発行本社が販売店に送付し、販売店が読者に配達・販売した後に残った新聞のことなので、非販売部数のすべてが残紙となり、廃棄されるわけではありません。例えば、雨に濡れたため交換した新聞や試読紙は、非販売部数に入りますが、残紙には入りません。よって、注文部数に対して最終的に廃棄される新聞の割合は、非販売率(黒薮注:4・9%)よりもさらに低くなるわけです。(8P) ?

?■読売新聞の販売店は全国に5300店、支店を含めれば7700店に上がります。仮に「押し紙」が存在したなら、読売新聞社と販売店の信頼関係は一気に崩れます。恐らく、販売店経営者はだれも新聞社の言うことを聞かなくなるでしょう。読売新聞社において、新聞販売店とは共存共栄、運命共同体の関係なのです。(9P)

2014年03月10日 (月曜日)

新聞に対する軽減税率の導入をめぐり賛否両論が広がっている。わたし自身は、消費税率のアップそのものを中止するべきだという考えである。したがって、この問題は議論するに値しない。あえていえば適用に反対だ。理由としては、次の点があげられる。

新聞業界が公称部数を偽っている事実(「押し紙」問題)がある。

読売が、裁判により七つ森書館等に対して裁判攻勢をかけている事実がある。 言論機関として恥ずべき行為である。

新聞業界から政界へ政治献金を支出している。

紙の新聞が必需品ではなくなっている。

販売店に公的な支援をほどこすのであれば、むしろ公取委などに介入してもらい、「押し紙(新聞の偽装部数)」を全面禁止する方が、経営改善につながる。

◇「押し紙」の検証を避けて新聞の再生はありえない

新聞に対する軽減税率について考える大前提として、新聞社経営の実態を検証しなければならない。その際に、避けて通ることができない最大の問題が、「押し紙」問題である。公称部数を偽っている問題である。これをタブー視すると、新聞社経営の客観的な実態がみえなくなる。

わたしがこれまで取材した「押し紙」のケースで、最も多量の「押し紙」を負担していたのは、毎日新聞豊中販売所と蛍池販売所(いずれも大阪府)である。これら2店では、2007年6月の廃業時で、搬入される新聞の約70%が「押し紙」だった。信じがたい数字であるが、公式の記録が残っているので公開しよう。

これら2店を経営していたのは、高屋肇氏(故人)である。

高屋氏は、2007年に現役を退いた後、自店における「押し紙」の実態を公表した。それによると退職した2007年6月時点における「押し紙」(偽装部数)は、次のとおりだった。

【蛍ケ池】

搬入部数: 2320部

実配部数:  695部

「押し紙」: 1625部

【豊中販売所】

搬入部数: 1780部

実配部数:  453部

「押し紙」: 1327部

2001年から2007年まで(注:2002年は除く)の各月ごとの詳細データは、次の通りである。PDFで紹介しよう。

◇蛍ケ池販売所の「押し紙」、詳細資料を公開

■蛍ケ池販売所の部数内訳詳細??

【表の見方】

「送り部数(A)」欄の「合計」が搬入部数である。=赤で表示

「実売部数(B)」は、実際に配達していた部数

「注文部数(C)」は、予備紙を加えて、高屋さんの注文した部数

・「送り部数(A)」と「実売部数(B)」の差異が、「押し紙」(偽装)部数ということになる。

さて、高屋さん経営の2店では、「押し紙」が70%を超えていたわけだが、なぜ、経営が破綻しなかったのだろうか。それを解明することは、日本の新聞社の経営構造のカラクリを知ることを意味する。

答は実に単純で、次の2点である。

折込チラシが水増し状態になっていたこと。

新聞に折り込まれる折込チラシは、新聞の搬入部数(送り部数)に準じる原則がある。そのために配達しない「押し紙」に対しても、それに相応した折込チラシ料金が入ってくる。(時には、折込チラシ収入が新聞の卸原価を超えることもある。)

毎日新聞社が、高屋さんに補助金を支払っていたこと。

その事実を示すのが、前出のPDFページ下の表である。表の中に、「補助奨励金+経営補助(C)」の欄に、支給された補助金の額が示されている。

つまり高屋さんは、折込チラシの水増し収入と補助金で、「押し紙」の代金を支払っていたのだ。それでも金額が足りない時は、個人資産から切り崩して支払っていたのである。

毎日新聞社は、毎月、蛍ケ池販売所に対して140万円から210万円ぐらいの補助金を支給していたわけだが、読者は次のような疑問を持つかも知れない。なぜ、毎日新聞社は、わざわざ補助金を支給して「押し紙」を買い取ってもらっていたのか?自分たちが支給した補助金が、新聞の販売収入として、ブーメランのように戻ってくるわけだから、支給そのものが二度手間ではないかと。

これに対する答えも極めて単純だ。

紙面広告の掲載価格は、原則としてABC部数が増えれば増えるほど高く設定される。特に公共広告にこの基本原則が顕著に見られる。それゆえに、新聞社は補助金を支給してなるべく多くの「押し紙」を買い取ってもらい、それによりABC部数をかさ上げし、紙面広告の価格を釣り上げているのだ。

次に示す最高裁がスポンサーとなった広告の価格一覧が、ABC部数と紙面広告の価格設定の関係を裏付けている。ABC部数トップの読売が最も高く、以下、朝日、毎日の順になっている。

■最高裁の広告の新聞社別の価格一覧PDF??

「押し紙」率が70%の例を紹介しても、なかなか信用してもらえないことが多い。そこで本稿の最後に、高屋さんが退職時に毎日新聞社と交わした確認書に明記された部数内訳を紹介しよう。毎日新聞販売部の担当者の捺印もある。「新聞代原価」の欄に示されているのが新聞の搬入部数(送り部数)で、「発証額」の欄に示されているのが実配部数である。両者の差異が「押し紙」だ。

■確認書に明記された部数内訳PDF

2014年03月07日 (金曜日)

新聞に対する軽減税率の適用を求めて、日本新聞販売協会(日販協)が、地方議会を巻き込んだ大掛かりな政界工作を進めていることがわかった。地方議会に「新聞への消費税の軽減税率適用を求める意見書」を採択させ、それを安倍首相に送付させているのだ。

地方議員との交渉で使う意見書の例文には、「内閣総理大臣 安倍晋三様」の記述まである。これまでに採択した地方議会は全国で289にのぼった。その一方で安倍首相や高市・自民党政調会長など、160人余の国会議員に対し政治献金を支出。

新聞協会が定めた新聞倫理綱領には、新聞は公正な言論を守るために「あらゆる勢力からの干渉を排するとともに、利用されないよう自戒しなければならない」。メディア対策に余念がない安倍政権のもと、政界との癒着を深めながら公正・中立な報道を貫けるのか。新聞が報道できない、軽減税率問題をめぐる自らの陳情活動の実態を追った。
【続きはMyNewsJapan】

【写真】読売新聞東京本社の新社屋

2014年03月06日 (木曜日)

業界紙の報道によると、日本新聞協会広告委員会の手塚泰彦委員長は、昨年の12月、内閣府に対して「政府広報における新聞広告ご活用のお願い」と題する文書を手渡したという。「これは新年度予算で政府広報予算が増額される見通しとなったことから、改めて新聞広告の特性を説明し、利用拡大を求めた」ものである。

2014年度の広報予算は65億円。昨年度の44億円から大幅に増えている。これを機に手塚委員長が、大口広告主に対して広告営業を行ったのである。

◆◆◆◆

安倍政権の「メディア対策」は、安倍首相自身が渡邉恒雄氏をはじめとするマスコミ幹部と会食を重ねたり、NHKの経営委員にネオコンまがいの人物を抜擢するなど、露骨な姿勢が目につく。新聞に対する消費税の軽減税率をめぐる駆け引きや広報予算にもそれが反映している。

日本の新聞社は、発行部数が桁外れに多いので、新聞社のコントロールは世論誘導、あるいはメディア・コントロールにつながる。それゆえに安倍首相は、「メディア対策」を重視してきたのである。

しかし、マスコミが政府の「広報部」に変質すれば広告予算を増やし、逆に批判的な論調を強めれば広報予算を減らす意図が安倍内閣にあるとすれば、新聞の公共性には疑問符が付く。

◇版下制作、2件で2300万円  

意外に知られていないが公共広告は、新聞社や広告代理店にとっては、格好の「ビジネス」にほかならない。不透明な取引がまかり通ることがままあるからだ。不正を取り締まる側を、不正に巻き込めば、摘発される危険性は限りなくゼロに近くなる。

たとえば昨年の6月27日に、MEDIA KOKUSYOに掲載した記事について、 市民オンブズマンの関係者から指摘があった次の例は、「公共広告」をめぐるビジネスのずさんな実態を考える上で、おおいに参考になる。

この記事は、「財務省の公共広告 1件4億円 版下製作は2件で2300万円 支払先は黒塗り」というタイトル。内容は、財務省が全国の45紙に「5段1/2」(ただし、朝日、読売、日経は5段)のスペースの公共広告を掲載し、広告代理店に対して約4億円を出費したというものである。

広告の掲載料が相対的に高いことに加えて、以下で比較するように版下制作費などに、相場を大幅に上回る額が出費されている。

●財務省の上記広告(タイトル不明)

サイズ:「5段1/2」(ただし、朝日、読売、日経は5段)

価格:2361万円(版下件数2)

製作社:不明

年度:2008年度

●比較1・タイトル:「中小企業資金繰り対策」?

サイズ: 7段

価格 :207万6900円(版下件数1)

製作社:毎日広告社

年度:2010年度

●比較2・タイトル:「臓器移植」

サイズ: 7段

価格 :137万4450円(版下件数1) ?

製作社:博報堂 ? 年度:2010年度

●比較3・タイトル:「特別慰労品贈呈事業」

サイズ: 半5段

価格 :136万541円(版下件数1)

製作社:東急エージェンシー

年度:2007年度

◇請求先と日付が記されてない請求書  

市民オンブズマンの関係者から指摘があったのは、裏付け資料として公表した広告代理店から財務省に宛てた請求書の不備である。まず、請求書のPDFファイルをご覧いただきたい。

■請求書のPFD ?

「財務省」と細字で記されているのは、便宜上、わたしが記したものである。

PDFファイルを見れば、明らかなように、この請求書には、請求先の名前と日付がない。つまりどの広告代理店が、不当に高額なこの広告制作を入札し、何月何日に請求書を送付したのか、公開できる記録として残っていないことになる。

こうしたずさんな経理処理が、4億円規模の「ビジネス」で行われ、しかも、財務省という国家の機関が関わっているのだ。

日本の新聞報道を読み解く時は、ジャーナリズムの裏舞台で何が進行しているかを考慮する必要がある。その上で新聞が報じている内容の信ぴょう性を検証する必要があるのでは。

2014年03月05日 (水曜日)

読売新聞西部本社の江崎徹志法務室長が、わたしに対して著作権裁判を起こして6年が過ぎた。先月25日は、提訴6周年である。読売が提訴した目的が何だったのか、わたしは今も検証を続けている。

周知のように、この裁判は既にわたしの勝訴が確定している。地裁、高裁、最高裁とすべてわたしの勝訴だった。勝訴を受けて現在、わたしは2つの「戦後処理」を行っている。

まず第一は、江崎氏と読売に対する損害賠償請求訴訟である。しかし、残念ながら地裁、高裁ではわたしの訴えは認められず、現在は最高裁で裁判を継続している。読売は、やはり裁判にはめっぽう強い。

「戦後処理」の第二は、江崎氏の代理人を務めた喜田村洋一・自由人権協会代表理事に対する弁護士懲戒請求の申し立てである。これは、現在、日弁連が審理している。

◆◆◆◆

結論を先に言えば、この裁判はわたし自身も予測しなかった展開を見せることになる。司法関係者の中には、

「喜田村弁護士の懲戒請求の件も含め、こんな例は、日本の裁判史上初めてではないか?判例としても面白い」

と、話す人もいる。

複雑なようで、実は単純なこの裁判。どのような経緯で何が争われたかを秩序だて、整理するためには、著作者人格権とは何かを理解することが大前提になる。逆説的に言えば、著作者人格権とは何かを理解すれば、この裁判で何が争点になり、何を理由に裁判所は江崎氏を敗訴させ、何を根拠に喜田村弁護士が懲戒請求にかけられているかが輪郭を現す。

◇だれが作者なのかという問題

おそらく読者の大半は、著作権という言葉を聞いたことがあるだろう。文芸作品などを創作した人が有する作品に関する権利である。その著作権は、大きく著作者財産権と著作者人格権に分類されている。  このうち著作者財産権は、作品から発生する財産の権利を規定するものである。たとえば作者が印税を受け取る権利である。この権利は第3者にも譲渡することができる。

これに対して、著作者人格権は、作者だけが有する特権を規定したものである。たとえば未発表の文芸作品を公にするか否かを作者が自分で決める権利である。第3者が勝手に公表することは、著作者人格権により禁じられている。

著作者人格権は、著作者財産権のように他人に譲渡することはできない。「一身専属」の権利である。

この「一身専属」は、江崎氏が提起した裁判を考える上で、重要な意味を持っている。裁判は、この著作者人格権に基づいたものだった。江崎氏は、わたしが行ったある行為に対して、自分だけが持つ特権?著作者人格権を根拠として、裁判を起こしたのである。

ある行為とは、わたしが江崎法務室長がわたし宛にメールで送付してきた催告書を、新聞販売黒書(現、MEDIA KOKUSYO)に掲載したことである。江崎氏は、自分が著作者人格権を有する催告書を、わたしが無断で新聞販売黒書に掲載したとして、提訴に及んだのである。

代理人は、既に述べたように、喜田村洋一・自由人権協会代表理事だった。

ところが裁判の中で、問題の催告書には「作者」が別にいたらしいことが判明したのだ。著作者人格権を理由として起こした裁判そのものの正当性が問われることになったのである。

東京地裁は、催告書を執筆したのは喜田村弁護士か彼の事務所スタッフであった高い可能性を認定した。地裁、高裁、最高裁も、この司法判断を認定した。そして判決は確定したのである。

つまり、江崎氏はもともと著作者人格権を有していないのに、著作者人格権を根拠にして、わたしを法廷に立たせたのだ。それが判明して、門前払いのかたちで敗訴したのである。

これに伴いわたしは、喜田村洋一弁護士の責任も、弁護士懲戒請求というかたちで問うことにしたのである。「戦後処理」はまだ終わっていない。

◇新聞販売黒書に掲載した2つの書面

裁判の発端は、読売と福岡県広川町のYC広川の間で起こった改廃をめぐるトラブルだった。当時、「押し紙」問題を取材していたわたしは、この係争を追っていた。

幸いに係争は解決のめどがたち、読売はそれまで中止していたYC広川に対する定期訪問を再開することを決めた。しかし、読売に対する不信感を募らせていたYC広川の真村店主は、読売の申し入れを受け入れるまえに、念のために顧問弁護士から、読売の真意を確かめてもらうことにした。

そこで江上武幸弁護士が書面で読売に真意を問い合わせた。これに対して、読売は江崎法務室長の名前で次の回答書を送付した。

前略? 読売新聞西部本社法務室長の江崎徹志です。? 2007年(平成19年)12月17日付け内容証明郵便の件で、訪店について回答いたします。? 当社販売局として、通常の訪店です。

わたしは、新聞販売黒書の記事に、事実の裏付けとしてこの回答書を掲載した。すると即刻に江崎氏(当時は面識がなかった)からメールに添付した次の催告書が送られてきたのである。

冠略 貴殿が主宰するサイト「新聞販売黒書」に2007年12月21日付けでアップされた「読売がYC広川の訪店を再開」と題する記事には、真村氏の代理人である江上武幸弁護士に対する私の回答書の本文が全文掲載されています。

 しかし、上記の回答書は特定の個人に宛てたものであり、未公表の著作物ですので、これを公表する権利は、著作者である私が専有しています(著作権法18条1項)。  貴殿が、この回答書を上記サイトにアップしてその内容を公表したことは、私が上記回答書について有する公表権を侵害する行為であり、民事上も刑事上も違法な行為です。

 そして、このような違法行為に対して、著作権者である私は、差止請求権を有しています(同法112条1項)ので、貴殿に対し、本書面到達日3日以内に上記記事から私の回答を削除するように催告します。  貴殿がこの催告に従わない場合は、相応の法的手段を探ることとなりますので、この旨を付言します。

わたしは、今度はこの催告書を新聞販売黒書で公開した。これに対して、江崎氏は、催告書は自分の著作物であるから、著作者人格権に基づいて、削除するように求めてきたのである。が、作者は別にいたのだ。

◇知財高裁の判決

著作権裁判では、通常、争点の文書が著作物か否かが争われる。著作物とは、著作権法によると、次の定義にあてはまるものを言う。

思想又は感情を創作的に表現したものであつて、文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するものをいう。

改めて言うまでもなく、争点の文書が著作物に該当しなければ、著作権法は適用されない。

わたしの裁判でも例外にもれず、争点の催告書が著作物か否かが争われた。ただ、催告書の著作物性を争った裁判は、日本の裁判史上で初めてではないかと思う。ちなみに、新聞販売黒書に掲載した回答書の方は、争点にならなかった。

既に述べたように、裁判は意外なかたちで決着する。裁判所は、「江崎名義」の催告書の著作物性を判断する以前に、江崎氏が催告書の作成者ではないと判断したのである。つまりもともと著作者人格権を根拠とした「提訴権」がないにもかかわらず、催告書の名義を「江崎」に偽って提訴に及んでいたと判断したのである。

なぜ、裁判所はこのような判断をしたのだろか。詳細を述べると優に50ページを超えるので、詳しくは次に紹介する知財高裁の判決を読んでほしい。

■知財高裁判決

ただ、ひとつだけ理由を紹介しておこう。喜田村弁護士が書いた「江崎名義」の催告書の書式や文体を検証したところ、同氏がたまたま「喜田村名義」で他社に送っていた催告書と瓜二つであることが判明したのだ。同一人物が執筆したと判断するのが、自然だった。

◇弁護士懲戒請求

弁護士職務基本規程の第75条は、次のように言う。

弁護士は、偽証若しくは虚偽の陳述をそそのかし、又は虚偽と知りながらその証拠を提出してはならない。

喜田村弁護士は、問題になった「江崎名義」の催告書を執筆していながら、江崎氏の著作者人格権を前提とした裁判書面を作成し、それを裁判所に提出し、法廷で自論を展開したのである。

当然、弁護士職務基本規程の第75条に抵触し、懲戒請求の対象になる。わたしが懲戒請求に踏み切ったゆえんである。

◇弁護士倫理の問題

なお、裁判の争点にはならかなったが、喜田村弁護士に対する懲戒請求申立ての中で、わたしが争点にしているもうひとつの問題がある。ほかならぬ催告書に書かれた内容そのものの奇抜性である。

著作権裁判では、とかく催告書の形式ばかりに視点が向きがちだが、書かれた内容によく注意すると、かなり突飛な内容であることが分かる。怪文書とも、恫喝文書とも読める。端的に言えば内容は、回答書が江崎氏の著作物なので、削除しろ、削除しなければ、刑事告訴も辞さないとほのめかしているのだ。

回答書は、本当に著作権法でいう著作物なのだろうか?再度、回答書と著作権法の定義を引用してみよう。

【回答書】 ?? 前略? 読売新聞西部本社法務室長の江崎徹志です。? 2007年(平成19年)12月17日付け内容証明郵便の件で、訪店について回答いたします。? 当社販売局として、通常の訪店です。

【著作物の定義】 思想又は感情を創作的に表現したものであつて、文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するものをいう。

誰が判断しても、著作物ではない。しかも、催告書を書いたのは、著作権法の権威である喜田村弁護士である。回答書が著作物ではないことを知りながら、著作物だと書いた強い疑いがあるのだ。

弁護士として倫理上、こうした行為が許されるのか、現在、この懲戒請求事件は、日弁連で検証中である。

■参考資料:懲戒請求申立・準備書面(1)

■その他の資料

2014年03月04日 (火曜日)

警視庁神田警察署に拘留されていた出版人・三角忠さんが、3月3日に釈放された。これにともない同日の午後3時から予定されていた勾留理由開示公判は中止となった。

三角さんは昨年の11月にJR水道橋駅で駅員とのトラブルに巻き込まれ、それを理由に3ヶ月後の先月20日、逮捕された。三角さんを支援している救援センターによると、24日以降は取り調べも行われなかった。

■参照:救援センターの抗議声明

この事件の背景には、安倍政権が導入を進めている構造改革=新自由主義がもたらしている貧困や格差社会に萌芽した社会運動を取り締まるための戦略があるようだ。警察権力の拡大である。秘密保護法の運用へ向けた流れと同じ脈絡の中で起きた事件といえる。

実際、構造改革=新自由主義の浸透と、国策としての警察権力の拡大を裏付ける客観的なデータも存在している。2013年度の『警察白書』である。同白書によると、2001年から2012年までの間に、都道府県警察の地方警察官の人員は、2万8266人も増えている。

現在の定員は、28万5867人

白書によると、これは自然増ではなくて、「増員を行ってきた」結果である。

2001年は、構造改革=新自由主義の「本丸」、小泉内閣がスタートした年である。 ? しかし、日本の構造改革が本格的に始まったのは、それ以前の1996年、橋本内閣の成立時である。

ところが橋本首相は、大店法の廃止など、ドラスチックな規制緩和を進めた結果、国民の反発をかった。そのために橋本内閣に続く小渕内閣、森内閣の時代は、構造改革=新自由主義の導入にもたついた。むしろ民主党の方が、急進的な構造改革=新自由主義の導入を主張したのである。

そんな時、森喜朗首相に代わり、自民党の「救世主」として登場し、一気に構造改革=新自由主義を導入したのが小泉首相だった。

本来、構造改革=新自由主義の政策は、?規制緩和、?公共サービスの縮小など、「小さな政府」の実現、?法人税の減税と、消費税のアップ、?成長産業に対する公的支援の拡大、?大企業のブレインの育成、?「観念論」教育の徹底、?多国籍企業のための海外派兵体制の構築、などを柱としている。

これらの方針の背景には、国境なき時代に、非正規社員の拡大など国民を半ば奴隷化し、その一方で「治安」を維持し、大企業の国際競争力を高める狙いがある。

このうち?「小さな政府」を目指すのは、無駄な出費をなくすことで大企業の税負担を軽減することが目的である。同じ脈絡から、医療や福祉の切り捨ても行われる。省庁も再編してスリム化し、無駄な財政支出を抑制する。

公務員の人員削減の典型例として分かりやすいのは、国会議員の定数削減である。国民に対して、「国会議員みずから無駄を省いていきます」と意思表示することで、さらに公共機関全体のリストラを目論んでいるのだ。

もっとも、議員定数を減らしたり、参議院を廃止する程度では、財政支出の抑制も「焼け石に水」である。定数削減の本当の目的は、国民の参政権を縮小して、共産党と社民党を国会から排除することにある。

こうした流れからすれば、警察組織のリストラも必然的に断行されてもおかしくはないはずだが、実際は、警官の数に関しては、ここ10年の間に約3万人も増えているのだ。なぜ、増員が必要になるのか。

既に述べたように、構造改革=新自由主義の「前進」で拡大している社会矛盾が爆発するのを、警察の力で食い止める必要に迫られているからではないだろうか。

三角さんの逮捕も、このような脈絡から検証する必要がありそうだ。今後、出版人を狙った同じような「嫌がらせ」が繰り返される可能性が高い。

◇国費でスパイ活動  

ちなみに『警察白書』には、公安警察が監視対象にしている組織を名指しで上げて、それについての報告を掲載している。次の組織、あるいはカテゴリーにあてはまる人々である。

・オウム真理教

・極左暴力集団

・右翼

・日本共産党

・日本民主青年同盟

・原子力政策をめぐる運動

・オスプレイ配備をめぐる運動

・経済問題等と捉えた国内外の運動

・我が国の捕鯨を取り巻く国内外の動向

・雇用問題を捉えた運動

■警察白書の目次・第3説「公安情勢と対策」

国費を使って、???を監視しているのである。

2014年03月03日 (月曜日)

フランスに本部がある国境なき記者団が、2014年度の「報道の自由度ランキング」を発表した。1位から20位までのランキングの中に、欧州と北欧の17カ国がランクインしている。

主なランキングは次の通りである。

1位:フィンランド

2位:オランダ

3位:ノルウェー

4位:ルクセンブルグ

5位:アンドラ

1位から5位は、前年のランキングそのままである。

46位:アメリカ合衆国

59位:日本

125位:グアテマラ

■全ランキング

新聞の印刷部数やHPへのアクセス、それに視聴率など、客観的に数値で測定できるものにランキングをつけるのであれば、それなりに有意義な情報になるが、果たして「言論の自由度」といった抽象的で、個人の主観に依存する要素が多いものを序列化できるのだろうか?疑問が多い。

◇グアテマラの激変

わたしがこのランキングに違和感を抱いたきっかけとなったのは、たとえばグアテマラが125位にランクされ、しかも、前年よりもランクを下げている事実である。180カ国中で125位であるから、末位から数えた方が早い。

しかし、評価の対象となった2013年度、グアテマラのメディアは、同国で起こったある歴史事件を大々的に伝えている。それがいかに民主主義と言論の自由の画期的な前進で、世界に衝撃を与えているのかを、国境なき記者団が認識していなとすれば、それ自体が憂うべき現象だ。

1980年代のグアテマラの政情を知っている者であれば、国境なき記者団が決めた125位というランキングが、いかに実態とかけ離れているかが分かる。30年前と今では、まったく異なる。

◇ 裁判官の正義と勇気

MEDIA KOKUSYOでも繰り返し報じてきたように、2013年の5月14日、グアテマラの裁判所は、3人の判事の全会一致で、元大統領(出身はグアテマラ軍の将軍)リオス・モントに対して、禁固80年の判決(ジェノサイドに対して50年、人道に対して30年)を言い渡した。さらに裁判所は、現職の大統領を含むジェノサイド作戦に加担したすべての関係者に対する調査を命じた。

もっともこの判決はその後、憲法裁判所の判断で、無効になり、再審が予定されている。

ただ、憲法裁判所は判決の無効を言い渡したとはいえ、5人の判事のうち2人は、「無効」に反対した。また、「賛成」した側の判事にも一定の正当性な理由はある。グアテマラには内戦を集結させ和平を実現させるための恩赦を認める法律があり、憲法裁判所は、なぜ、リオス・モントに対してだけは、恩赦が適用されないのかを疑問視したのである。が、同時にジェノサイドに対しては、恩赦を適用しない法律もある。

元大統領がジェノサイドで有罪判決を受けたのは、世界史の中で初めてである。欧米諸国で、過去の戦争犯罪が裁かれたというのであれば、民主主義がまた前進したという共通認識が浸透する程度で、驚きには値いしない。

◇中米紛争とレーガン政権

しかし、グアテマラは前世紀までは、「殺戮(さつりく)の荒野」だった。 その背景には、同じ中米で起こったニカラグア革命の影響が近隣諸国へ波及することを恐れる米国レーガン政権の影があった。

1979年7月、ニカラグアのFSLN(サンディニスタ民族解放戦線)が、それまで40年に渡って同国の産業も軍も政界も支配していたソモサ一家を 追放して、新政権を打ち立てた。これに触発された隣国エルサルバドルでは、それまでばらばらだったゲリラ組織が統一されFMLN(ファラブンド・マルチ民族解放戦線)を結成して、首都へ向けて攻勢をかけた。グアテマラでも同じような民族自決の動きが活発化した。

これに焦った米国レーガン政権は、ニカラグア、エルサルバドル、グアテマラの3カ国と国境を接するホンジュラスを米軍基地の国に変えて、ニカラグアの反政府ゲリラとエルサルバドル政府軍、それにグアテマラ政府軍の全面支援に乗り出した。

こうしたなかでグアテマラで、極めて残忍非道なジェノサイド作戦が展開されるようになったのだ。それは、軍が山間部の集落を急襲して、村人を広場に集め、空になった民家を家宅捜索し、武器の類が発見されると、解放戦線のシンパとみなし、その家の住人をその場でみせしめに射殺するという残忍なものだった。

同じ時期に、ニカラグア内戦とエルサルバドル内戦が国際ニュースの表舞台に登場していたために、グアテマラで起こっていたことは、ほとんど知られていなかった。それでも米国の映像ジャーナリストたちが命懸けで撮影した記録が残っている。

■When the Mountains Tremble????

◇日本の裁判所よりも正義がある

その後、1990年のエルサルバドルでの和平を皮切りに、中米諸国は内戦を終結させていく。そして今世紀に入ると、ラテンアメリカ全体が激変の時代を迎える。1999年のベネズエラを皮切りに、次々と左派や中道左派の政権が誕生し始めたのである。キューバの孤立も解消した。

かつてラテンアメリカの政治を語るキーワードといえば、軍事政権であったが、それが完全に過去のものとなったのだ。こうした民主主義成熟の流れの中で、リオス・モントが禁固80年の判決を受けたのである。最高裁の顔色ばかりをうかがっている日本の裁判官とは質が異なる。

グアテマラの主要紙「プレンサ・リブレ」は、判決が言い渡される場面を画像つきで報じている。裁判所の中に、テレビカメラが入っているのだ。日本では法廷内での写真撮影や録音・録画を禁止されているが、グアテマラではテレビカメラが入り、判決を中継している。

■プレンサ・リブレ

この事件を解説する記事は、次のように判決を評価している。

判決の事実をまえに、われわれは、判決が過去の傷を癒すこと、正当な裁きの実施が、犠牲者救済の権利の行使であることを確信する。それにより、このような事を2度と繰り返してはならないという認識を確かにし、我が国の司法を成熟させる。と、いうのもグアテマラ国民は、われわれのアイデンティティ(帰属意識)、多重文化や多重言語の豊かさ、言論の自由の尊重をかみしめて、平和に生きることを願っているからだ。このようなことが繰り返されることを、われわれは望まない。グアテマラが平和に生存するためには、なによりも正義がなくてはならない。

この判決の影響なのか、隣国エルサルバドルでも、戦争犯罪の検証が始まっている。そのエルサルバドルは、38位。グアテマラの126位よりは上位だが、まったく根拠が分からない

抽象的な概念の序列化は、まったく意味がない。両者の差はなにか、さっぱり分からない。

 

2014年02月28日 (金曜日)

編集者の三角忠さんが、20日に逮捕された。三角さんは、三一書房を退職したあと、編集工房・朔を経営し、精力的に社会問題を世に問う本を出版してきた。

また、救援連絡センター運営委員やユニオン東京合同副委員長などを務め、 秘密保護法に反対する運動にも熱心に取り組んできた。

27日の午前中、わたしは出版関係の友人たちと、三角さんが拘留されている警視庁神田警察署を訪れた。三角さんへの面談を申し入れると、面談者を3人に、面談時間を20分に限定した上で許可が下りた。面談には、このような条件が付けられる。しかも、1日に1回の面談に限られている。

神田署の接見室は6畳ほどの無機質な空間だ。透明なガラス壁で中央部が仕切られ、ガラス隔の両サイドに、それぞれ椅子が3脚設置されている。接見室に窓はなく、冷たいLDEの光が壁に反射している。

三角さんは、中央の椅子に腰を下ろし、われわれを待っていた。後ろには、警官が椅子に腰掛け、長い脚をだらしなく前方に伸ばして「監視」している。

三角さんの顔には疲れが現れていたが、話してみると、言葉はごく普通だった。

刑事事件の取材は、かならず「被害者」と「被疑者」の双方から、事情を聞き取らなければならない。逮捕の経緯を知るために、わたしは三角さんが所属する救援連絡センターから資料をもらい、関係者から話を聞いた。

一方、「被害者」の取材については、「被害者」の勤務先であるJR東日本に取材を申し入れた。しかし、同社は、電話をたらいまわしにしたあげく、取材を断ってきた。唯一、社員が口にした主張は、「暴力に対しては毅然として対処します」というものだった。

◇「キセル乗車だ」  

救援連絡センターが公開した抗議声明によると、この逮捕事件は昨年の11月15日にさかのぼる。JR水道橋駅の改札口を出るとき、三角さんは、JRの駅員から「キセル乗車だ」と怒鳴られた。三角氏は、説明を行った。鉄道パスを使っているうえに、改札そのものがコンピュータ制御されているので「キセル」はありえなかった。抗議声明は、次のように述べている。

 三角さんは、常に公安警察から弾圧の対象にされているのであり、そんなことはあり得ないことだ。三角さんは、JR水道橋駅の改札で、説明を行ったが、職員は一人興奮し、三角さんを力ずくで、事務室にひきずり込もうとした。

 三角さんは、特に抗うこともせず「落ち着きなさい」といいながら、職員とともに事務室に入った。しかし、その後も職員の興奮は収まることなく、三角さんの胸を掴んだので、「止めなさい」と言いながら、職員の手を外そうとした。すると突然職員は自分から倒れ「突き飛ばされた。110番してくれ」と言いだした。

 その後、神田警察署の私服警察官や近くの交番の制服警察官が多数、JR水道橋駅の事務室に詰めかけた。三角さんは、職員を突き飛ばしていないことを告げるとともに、名刺を渡して勤務先、連絡先を明らかにした。

■抗議声明の全文

この時は、だれからも咎められることもなく、穏便に駅を後にしたのである。その後、神田署は三角さんに任意出頭を求めるようになった。神田署員が家族のもとにも押しかけてきたこともあるという。そしてトラブル発生から、3ヶ月が過ぎた2月20日、三角さんは逮捕されたのである。

◇背景に新自由自由主義の破綻

昨年の12月に秘密保護法が成立した後、不可解な逮捕劇が相次いでいる。これまではあり得なかった状況の下で、逮捕されるケースが報告されるようになったのだ。

マスコミ報道されているものは、ほんの一部であるが、ネット上では、不可解な逮捕の情報を検索できる。三角さんのケースも、マスコミは一切、報道しなかった。そのためにわたしが逮捕の事実を知ったのは、逮捕から5日後の25日の夜だった。

警察は何を基準に逮捕を断行するのか?たとえば、新聞に折り込む有料チラシを廃棄する「折込詐欺」は、昔から水面下の大問題になってきたが、警察は絶対に逮捕に踏み切らない。2008年9月11日に、船橋市で起こった新聞勧誘員による暴行事件でも、勧誘員は逮捕されなかった。その一方で、三角さんのケースに見るような逮捕劇がある。

結論を先にいえば、警察による「暴走」の背景には、安倍内閣の姿勢と政策が影響している可能性が高い。周知のように、小泉構造改革から本格化している構造改革=新自由主義の導入は、社会に大きなひずみをもたらしている。雇用形態の規制緩和を進めた結果、ブラック企業が登場し、非正規社員が4割を占めるようになった。

国際競争力の強化を口実に、法人税を下げて、消費税を上げる政策も、まもなく実施される。広義の構造改革である司法制度改革は、完全に失敗。弁護士が増えすぎて、弁護士の貧困が社会問題になっている。

当然、水面下では、政府に対する怒りが沸騰している。東京都知事選で舛添・田母神の保守票は、前回に比べて約160万票も減らしている。

小選挙区制のマジックにより、国会では自民党が議席を独占しているものの、長期的にみれば、得票率や得票数は低落傾向にある。実際、自民党だけでは、国会を運営できなくなり、維新の会など、自民党のサポーターが次々と林立している。

その一方で、反原発運動に象徴されるように、社会運動がもりあがりを見せている。民意が徐々に強くなっているのだ。これは世界的な傾向で、日本に限ったことではない。

こうした状況の下で、必ず浮上してくる「社会秩序」維持のための政策が3つある。メディアの支配、教育の支配、警察権力の強化である。

◇教育・メディア・警察の3点セット

メディア支配の実態については、安倍首相がNHKの会長にネオコンまがいの人物を抜擢した事実をあげれば十分だ。また、渡邉恒雄氏など、新聞人と安倍首相の会食も、内閣の「メディア対策」を露呈している。

さらに出版物に対する軽減税率の適用をちらつかせることで、新聞だけではなくて、雑誌や書籍の出版関係者にも、圧力をかけることが可能な状況が生まれている。

教育の支配につていは、たとえば道徳を教科として組み込む動きが現れている。その内容は、心がけを重視する「観念論」教育である。安倍首相は、第1次内閣の時代にも、「美しい国プロジェクト」と呼ばれる観念論教育の推進を狙った。

もともと新自由主義の教育政策は、石原都政が実施した校区の廃止による、学校の格差化に特徴的に現れている。エリートは、エリート校へ集めて、レベルの高い教育を受けさせ、将来の企業ブレーンを育成する。それが国際競争に勝ち残る道筋という考えである。

その一方、エリート以外は、「ゆとりの教育」により、知識の詰め込みよりも、心がけがよく、従順な人間に育てる。それにより「社会秩序」を維持する。こうした脈絡から、道徳教育が浮上しているのだ。

警察権力の強化については、秘密保護法の中心に座を占めるのが公安警察である事実を見れば一目瞭然だ。

ちなみに住民が住民を監視する体制は、すでに構築されている。たとえば読売防犯協力会という読売系の組織は、警察と覚書をかわして、新聞配達員に次のような行動を奨励している。

(1)配達・集金時に街の様子に目を配り、不審人物などを積極的に通報する

(2)警察署・交番と連携し、折り込みチラシやミニコミ紙などで防犯情報を発信する

(3)「こども110番の家」に登録、独居高齢者を見守るなど弱者の安全確保に努める

(4)警察、行政、自治会などとのつながりを深め、地域に防犯活動の輪を広げる

◇覚書を交わした警察

覚書を交わした警察と締結日は次の通りである。

高知県警 2005年11月2日

福井県警 2005年11月9日

香川県警 2005年12月9日

岡山県警 2005年12月14日

警視庁 2005年12月26日??

鳥取県警 2005年12月28日

愛媛県警 2006年1月16日

徳島県警 2006年1月31日

群馬県警 2006年2月14日

島根県警 2006年2月21日??

宮城県警 2006年2月27日

静岡県警 2006年3月3日

広島県警 2006年3月13日

兵庫県警 2006年3月15日

栃木県警 2006年3月23日??

和歌山県警 2006年5月1日

滋賀県警 2006年6月7日

福岡県警 2006年6月7日

山口県警 2006年6月12日

長崎県警 2006年6月13日??

茨城県警 2006年6月14日

宮崎県警 2006年6月19日

熊本県警 2006年6月29日

京都府警 2006年6月30日

鹿児島県警 2006年7月6日??

千葉県警 2006年7月12日

山梨県警 2006年7月12日

大分県警 2006年7月18日

長野県警 2006年7月31日

福島県警 2006年8月1日??

佐賀県警 2006年8月1日

大阪府警 2006年8月4日

青森県警 2006年8月11日

秋田県警 2006年8月31日??

神奈川県警 2006年9月1日

埼玉県警 2006年9月14日

山形県警 2006年9月27日

富山県警 2006年9月29日

岩手県警 2006年10月2日??

石川県警 2006年10月10日

三重県警 2006年10月10日

愛知県警 2006年10月16日

岐阜県警 2006年10月17日

奈良県警 2006年10月17日

北海道警 2006年10月19日

新潟県警2003年3月26日

沖縄県警 2008年6月12日??