2014年04月23日 (水曜日)

次に示すのは、喜田村洋一弁護士(自由人権協会代表理事)に対する弁護士懲戒請求で、日弁連の綱紀審査委に提出する予定の準備書面(1)の全文である。

■準備書面(1)の全文

懲戒請求者:黒薮哲哉

対象弁護士:喜田村洋一

はじめに  

準備書面(1)では、「1、排斥期間の起点について」と、「2、弁護士職務基本規定に照らし合わせた懲戒対象弁護士の言動」の2点について、説明する。

この事件は、捏造した証拠を前提に検察が有罪を主張した袴田事件の構図と類似している。しかし、袴田事件が刑事裁判であるのに対して、本件懲戒請求の主要な原因になっている本件著作権裁判は、民事裁判の場で争われた。

本件著作権裁判の訴因は本件催告書である。本件催告書は、「江崎徹志」の名が付されているが対象弁護士により作成された高い可能性が本件著作権裁判の判決で確定した。つまり対象弁護士が作者であるにもかかわらず、江崎名義で懲戒請求者に本件催告書を送り付け、これがウエブサイトで公表されると、本件著作権裁判を起こし、もともと江崎氏が持ち得ない著作者人格権を主張したのである。当然、それを前提として懲戒対象弁護士は書面を提出し、法廷で自らの主張を展開したのである。

しかし、裁判所はこうしたあるまじき行為を見破り、江崎・喜田村の両名を敗訴させたのである。

懲戒請求者は、懲戒対象弁護士が、虚偽の事実を設定して裁判を提起し、江崎氏に著作者人格権がないことを知りながら、裁判所に書面を提出し、自己の主張を展開したことを問題視している。袴田事件の類似性とは、こうした事件の性質を意味している。

1、排斥期間の起点について

第二東京弁護士会が作成し、日弁連が追認した本件決定書には、棄却理由として排斥期間の終了を理由とした次の記述がある。

「(1)本件催告書が作成された時期は、平成19年12月21日であるところ、本件懲戒請求書を第二東京弁護士会が受け付けたのが平成23年1月31日であるので、懲戒請求事由1の事実は既に3年間の排斥期間を過ぎており、懲戒手続きを開始することができない。

(2)そもそも、本件催告書を作成、送付したのは、対象弁護士ではなく、江崎であって、当該行為は対象弁護士に関する懲戒事由になり得ない。」

A 事実関係の誤りについて

(1)(2)の理由は的外れである。まず、事実関係の誤りから指摘する。 決定書は、「そもそも、本件催告書を作成、送付したのは、対象弁護士ではなく、江崎」であると述べているが、本件催告書の作成者、送付者につて知財高裁判決(平成21年[ネ]第10030号)は次のように認定している。

「上記認定事実によれば、本件催告書には読売新聞西部本社の法務室長の肩書きを付して原告[黒薮注:江崎のこと]の名前が表示されているものの、その実質的な作成者は(本件催告書が著作物と認められる場合は、著作者)は原告とは認められず、原告代理人[黒薮注:懲戒対象弁護士](又は同代理人事務所の者)である可能性が極めて高いものと認められる。」

「すなわち、?原告の著作権法や法的紛争の解決に関する知識経験の程度、?読売新聞西部本社と販売経営者との法的紛争の重要性に関する同社の認識の程度等、?原告及び原告代理人のいずれからも、本件催告書作成過程を示す客観的なデータは提出されていないこと等に照らすならば、本件催告書は、原告から相談を受けた、原告代理人事務所において、本件催告書を作成し、そのデータをメールに添付する方法により、原告に送信し、これを受信した原告が、被告に対して送信したものと認定することによって、辻褄が合うといえる 」

とはいえ、確かに第二東京弁護士会が棄却の根拠として全面的に採用している本件損害賠償裁判(平成24年[ネ]第794号)の判決は、「本件著作権裁判の内容や経過からすると、同人が、自分名義で出した文書は自分の著作物であると考えていることがうかがわれ、本件催告書の作成者を一義的に決めることは困難であったという事情にも照らせば、同人が故意に虚偽を並べて本件著作権仮処分を申し立てたと認めることは困難である」と、述べて必ずしも懲戒対象弁護士が本件催告書の作成者であるとは認定できないという判断を示している。

しかし、この記述は、出典である本件著作権裁判の判決を正しく解読せずに記されている。本件損害賠償裁判の判決は、「本件著作権裁判の内容や経過からすると・・・」と出典を明記したうえで、「本件催告書の作成者を一義的に決めることは困難」と述べているが、既に述べたように本件著作権裁判は、本件催告書の作成者を「原告代理人[黒薮注:懲戒対象弁護士](又は同代理人事務所の者)である可能性が極めて高いものと認められる」と、認定しているのである。

それが懲戒対象弁護士らが、敗訴した大きな要因だった。  本件損害賠償裁判の福岡高裁判決を書いた木村元昭裁判長は、本件著作権裁判の判決を精査・検証せずに、読売新聞社を勝訴させるために、恣意的に事実を捻じ曲げ判決を書いた可能性が高い。

B 問題にしているのは裁判期間中の懲戒対象弁護士の行為

第二東京弁護士会の本件決定書は本件催告書の作成日(それは同時に送付日でもある)にあたる平成19年12月21日を排斥期間の起点として、第二東京弁護士会が本件懲戒請求を受け付けた平成23年1月31日の時点では、すでに排斥期間の3年を過ぎているとして、本件懲戒請求を棄却している。この判断は2重に誤りをおかしている。

B-1

本件懲戒請求の対象となっているのは、改めて言うまでもなく、喜田村洋一弁護士であって、江崎氏ではない。と、すれば本件懲戒請求の対象者ではない江崎氏の行為を排斥期間の起点にすることは論理が破綻している。

かりに懲戒対象弁護士が本件催告書の作成者・送付者であることを、本件決定書が認定していれば、本件催告書の作成日・送付日を排斥期間の起点として検討する余地はあるが、本件決定書は江崎氏を本件催告書の作成者・送付者として認定しているのである。繰り返しになるが、そうであれば本件懲戒請求の対象外の人物の行為を排斥期間の起点とするのは誤りだ。

B-2

しかし、懲戒請求者が重大問題として審理を求めているのは、本件催告書の作成行為・送付行為そのものではない。本件催告書の作成過程から提訴に至る経緯が虚偽に満ちている上に、本件催告書に書かれた内容がまったくのデタラメであることを懲戒対象弁護士が知っていながら、ウソを前提として本件著作権裁判の進行中、裁判所に書面を提出し、みずからの主張を展開したことを問題視しているのである。

このような行為が懲罰の対象にならないとすれば、虚偽の事実を捏造して、袴田巌氏の半生を牢獄に閉じ込めた検察も罰せられないことになる。日弁連が袴田氏を支援してきたことを踏まえれば、捏造や虚偽を前提とした法廷での主張に対しては、厳しく罰するのが道理である。

B-3 ?

たとえ江崎氏による催告書の作成日・送付日を、排斥期間の起点とするとしても、そもそも懲戒対象弁護士らによるあるまじき行為が発覚したのは、2009年1月に、東京地裁で実施された江崎氏に対する本人尋問の場であり、それが最終的に最高裁で司法認定されたのは、2010年2月であるから、本件著作権裁判の判決確定を前提に提起した本件懲戒請求で、対象外の江崎氏が本件催告書を作成・送付した平成19年12月21日を排斥期間の起点にすることは、論理が破綻している。

繰り返しになるが懲戒請求者は、本件催告書の送付行為そのものを問題にしているのではなくて、本件催告書が孕む重大な諸問題を懲戒対象弁護士が認識していながら、あえてそれを隠し、虚偽を前提に書面を提出したり、法廷で自論を展開したことを問題にしているのである。

たとえ江崎氏が本件催告所の作成者であり、送付者であるとしても、少なくとも本件催告書の内容がデタラメであることを、江崎氏の代理人であり、著作権問題の権威である懲戒対象弁護士は、知る立場にあったわけだから、責任は免れない。

2、「弁護士職務基本規定」に照らした懲戒対象弁護士の行為

日弁連の弁護士倫理委員会が執筆・編集している『弁護士職務基本規定』は前文で次のように述べている。

 「弁護士は、基本的人権の擁護と社会正義の実現を使命とする。  その使命達成のために、弁護士には職務の自由と独立が要請され、高度の自治が保障されている。

 弁護士は、その使命を自覚し、自らの行動を規律する社会的責任を負う。  よって、ここに弁護士の職務に関する倫理と行為規範を明らかにするため、弁護士職務基本規定を制定する。」

前文に謳われている理念に照らし合わせた場合、弁護士が虚偽の事実を前提に提訴にいたる行為を主導したり、幇助した場合、懲戒の対象になることは言うまでもない。懲戒対象弁護士は、次の条項に違反している。

「 1条:弁護士は、その使命が基本的人権の擁護と社会正義の実現にあることを自覚し、その使命の達成に務める。 」

「4条:弁護士は、司法の独立を擁護し、司法制度の健全な発展に寄与するように務める。」

?「10条:弁護士は、不当な目的のため、又は品位を損なう方法により、事件の依頼者を誘導し、又は事件を誘発してはならない。」

「14条:弁護士は、詐欺的取引、暴力その他違法若しくは不正な行為を助長し、又はこれらの行為を利用してはならない。」

「31条 弁護士は、依頼の目的又は事件処理の方法が明らかに不当な事件を受任してはならない。」

「74条 弁護士は、裁判の公正及び適正手続きの実現に務める。」

「75条 弁護士は、偽証若しくは虚偽の陳述をそそのかし、又は虚偽と知りながらその証拠を提出してはならない。」

日弁連が袴田事件委員会を設置して、検察の証拠捏造に端を発したこの冤罪事件の元容疑者を支援してきた経緯を踏まえると、虚偽を前提に裁判を起こす行為に対しては、刑事事件であれ、民事事件であれ、厳しく対処すべきである。

日弁連の過去の懲戒事例に照らし合わせても、懲戒対象弁護士が何の処分も受けずに、連日のように法廷に姿を見せている事実を踏まえたとき、司法界に正義はあるのかという疑問を抱かざるを得ない。

弁護士は国費で養成されているのであるから、不正に対しては厳しく対処すべきである。

2014年04月22日 (火曜日)

弁護士懲戒請求の最終プロセスに、綱紀審査という制度がある。日弁連のウエブサイトによると綱紀審査は、次のような制度である。

綱紀審査は、学識経験者(弁護士、裁判官、検察官およびそれらの経験者を除きます。)である委員のみで構成される綱紀審査会において行われます。

KOKUSYOで報じてきたように、わたしは著作権裁判(原告・読売の江崎法務室長 被告・黒薮)の勝訴(2010年2月)確定を受けて、江崎氏の弁護士を務めた喜田村洋一・自由人権協会代表理事に対する弁護士懲戒請求を第二東京弁護士会へ申し立てた。

江崎氏の名義で裁判所に提出した催告書の作成者が、実は喜田村弁護士の代筆であった可能性を認定する判決を根拠とした懲戒請求申立だった。江崎氏サイドには、もともと著作者人格権を根拠として提訴する権利がなかったのに、名義を「江崎」に偽って提訴し、それを前提に書面を提出し、みずからの主張を展開したからだ。

最近、捏造した証拠に基づいて、検察が有罪を主張した袴田事件が注目を集めているが、わたしの著作権裁判は、それとよくにた構図の「民事事件版」である。裁判所もそれを見抜いて、江崎氏らを敗訴させたのである。

この問題の責任追及は、2010年に勝訴が確定した時点から始まった。その具体的なかたちのひとつが、弁護士懲戒請求である。しかし、第二東京弁護士会はこれを棄却した。日弁連に異議を申し立てたが、ここでも棄却された。そこで今回、綱紀審査を求めたのである。

事件の経緯は、次の通りである。

■事件の経緯

■読売が黒薮に対して起こした著作権裁判の提訴行為が弁護士としてあるまじき行為だった高い可能性を認定した知財高裁判決。(7ページ[イ]参照)

以下、綱紀審査会に提出する「理由書」の草案を紹介しよう。

◇理由書の全文

綱紀審査を申し出た理由は、次の6点に集約できる。

(1)決定書に理由が記されていない

日弁連が懲戒請求者に送付した平成26年3月24日付け「決定書」(以下、本件決定書)には、本件異議申立を棄却した理由が記されていない。確かに同書面には、「理由」と称する原稿用紙1枚にも満たない短い記述があるが、厳密に言えばこれは理由を述べたものではなくて、単に審査の結論を述べているにすぎない。

 異議申出人の対象弁護士に対する本件懲戒請求の理由及び対象弁護士の答弁の要旨は、いずれも第二東京弁護士会綱紀委員会第2部会の議決書に記載のとおりであり、同弁護士会は同議決書記載の認定と判断に基づき、対象弁護士を懲戒しないこととした。   ?  本件異議の申出の理由は、要するに、前記認定と判断は誤りであり、同弁護士会の決定には不服であるというにある。

当部会が、異議申出人から新たに提出された資料も含め審査した結果、同議決書の認定と判断に誤りはなく、同弁護士会の決定は相当である。   ?  

よって、本件異議の申出は理由がないので棄却することを相当とし、主文のとおり議決する。

松田弁護士が「理由」と称しているものが、理由書に不可欠な最低限の体すらなしていないことは、明らかだ。理由の記述とは、結論に至るプロセスを具体的、かつ秩序だてて記述する文章形態である。ところが本件決定書は、「異議申出人から新たに提出された資料も含め審査した結果、同議決書の認定と判断に誤りはなく、同弁護士会の決定は相当である」と判断したという結論だけを述べている。もちろん異議申立書の中で、懲戒請求者が指摘した疑問点には一切言及していない。

このような対処方法がまかり通るのであれば、「談合」で結論だけを先に決めて、それを裏付ける具体的な審理を隠蔽する行為が許されることになる。それが日本の司法界を劣化させることは論を待たない。

繰り返しになるが、上記引用の記述は理由ではなくて、結論を述べているにすぎない。理由とは、「結論に至るプロセスを具体的、かつ秩序だててに記述する文章形態」である。 ?  このようなものを決定書と称して送付してきた事自体が驚きに値する。不誠実で懲戒請求者を著しく愚弄しているうえ、最初から懲戒対象弁護士を「救済」する意図を有しているとしかいいようがない。懲戒請求制度が形骸化している証ではないだろうか。

ちなみに懲戒請求者は50名を超える法律の専門家やジャーナリストに、本件懲戒請求の原因となった本件著作権裁判の知財高裁判決を検証してもらったが、共通した評価は、懲戒請求弁護士が虚偽の事実を前提に提訴に及んだ事実は、処分に値するというのもだった。日弁連の見解とは、大きく異なっている。

(2)新証拠の審理が行われていない

日弁連に対して異議申立をした際に、新たに提出した証拠(甲1号証)をめぐる見解が審理された形跡がない。少なくとも本件決定書には、甲1号証に関連した審理のプロセスがまったく記されていない。突飛に結論だけを提示されてもとまどう。なぜ、甲1号証を基に本件催告書の内容がウソであることを懲戒対象弁護士が認識していた疑惑を審理しないのか、理由が示されていない。

甲1号証は懲戒対象弁護士が『佐野眞一が殺したジャーナリズム』(宝島社)に寄稿した「法律家がみた『佐野眞一盗用問題』の深刻さ」と題する記事である。その中に懲戒対象弁護士が考える著作物の定義が示されている。

?したがって、著作権法との関係で盗作や盗用を考えるにあたっては、対象となる作品や文章が著作物にあたるかどうかが一番重要である。??  ??

その観点で、何が著作物かを上の要件に即して考えると、まず、著作物は「表現」でなければならないから、「思想、感情若しくはアイデア、事実若しくは事件など」で、表現でないものは、著作物になりえない。 ? たとえば、「○月○日、△△で、AがBに?と言った(AがBを手で殴りけがをさせた)」というような事実ないし事件そのものは、表現ではないから、著作権法の対象ではない。同様に、「ある事件についての見方」とか、「ある事件を報じるにあたっての方法」といったアイデアに属するものも、表現ではないから、著作権法の保護は受けられない。

また、創作性がなければならないから、ごく短い文章で、誰が書いても同じになるようなものであれば、これも著作物ではない(もっとも、短いからダメということではないのであり、たとえば俳句などは17音しかないが、それでも著作物に該当しうる)。?

一方、著作権法は著作物を次のように定義している。

1、著作物 思想又は感情を創作的に表現したものであつて、文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するものをいう。

つまり懲戒弁護士が考える著作物と著作権法が定義する著作物の基本的に定義は同じである。  ところが本件著作権裁判で、対象弁護士が作成した可能性が認定された本件催告書には、次に引用する文書(以下、本件回答書)が著作権法でいう著作物に該当するので、削除に応じない場合は、刑事告訴も辞さない旨が記されているのだ。

前略? 読売新聞西部本社法務室長の江崎徹志です。? 2007年(平成19年)12月17日付け内容証明郵便の件で、訪店について回答いたします。? 当社販売局として、通常の訪店です。

本件催告書の内容は支離滅裂な恫喝文書ということになる。著作物ではないものを、著作物だと断言し、削除に応じない場合は、法的な手段を取ると述べているのだ。このような手口は、法律の専門家としての権威を悪用した恫喝にほかならない。

対象弁護士は、本件催告書は読売新聞西部本社の江崎徹志法務室長が作成したものだと主張してきたが、対象弁護士が作成した高い可能性を認定する本件著作権裁判の判決は、最高裁でも確定している。

たとえ懲戒対象弁護士が主張するように、本件催告書の作成者が江崎氏であったとしても、本件催告書の内容を懲戒対処弁護士が確信した上で、江崎氏がみずからの氏名を付して、懲戒請求者に送付したわけだから、あるまじき行為を幇助したことになる。

(3) 排斥期間についての誤り

日弁連に対する異議申立書の中でも言及したが、第二東京弁護士会が下し、日弁連が追認した本件懲戒請求の棄却決定の最大の誤りは、本件弁護士懲戒請求は、本件著作権裁判の判決が2010年2月に最高裁で決定したことを前提として、提起したにもかかわらず、本件著作権裁判の評価は故意に避けて、判決確定を受けて、懲戒請求者が読売新聞社と江崎法務室長に対して起こした本件損害賠償裁判の判決を根拠に、懲戒請求者の請求を棄却していることである。

懲戒請求者は、懲戒対象弁護士らが、提訴権がないにもかかわらず虚偽の事実を前提に提訴に及び、それを前提として、みずからの主張を展開したことを問題視して、本件懲戒請求を申し立てたのである。

虚偽の事実や証拠を前提に審理を進めた場合、袴田事件にみられるような重大な人権侵害事件が発生する恐れが多分にある。それを回避するために、日弁連の『弁護士職務基本規定』には、第75条で、「弁護士は、偽証若しくは虚偽の陳述をそそのかし、又は虚偽と知りながらその証拠を提出してはならない」と念を押している。

本件損害賠償裁判で、懲戒請求者が損害賠償責任を問う対象としたのは、読売新聞社と江崎氏であって、懲戒対象弁護士ではない。もちろん懲戒対象弁護士の言動も審理の対象になったが、新たに作成した準備書面(1)で詳しく言及するように、肝腎の本件損害賠償裁判の福岡高裁判決には、懲戒対象弁護士に関する事実認定には明白な誤りがある。

結論を先に言えば、本件損害賠償裁判の福岡高裁判決は、「本件著作権裁判の内容や経過からすると」「本件催告書の作成者を一義的に決めることは困難であった」と記述しているが、「本件著作権裁判の内容や経過からすると」、催告書の作成者が懲戒対象弁護士であった高い可能性を認定しているのである。つまり本件損害賠償裁判の福岡高裁判決の記述に事実誤認があり、それを前提に本件決定書は、対象弁護士を救済したのである。

ところが本件決定書は、本件損害賠償裁判の事実誤認の判決を根拠に、懲戒請求を棄却しているのだ。懲戒請求者が本件懲戒請求の根拠としている本件著作権裁判の判決を、恣意的に無視しているのである。

本件著作権裁判の判決確定を根拠とした本件懲戒請求申立にもかかわらず、本件損害賠償裁判の判決を根拠に、懲戒請求を棄却すること自体、論理の整合性が完全に欠落している。本件損害賠償裁判の判決は、本件懲戒請求にとって最も重要な部分に、事実の誤認があるのだ。この誤認は、読売新聞社を「救済」するために故意に行われた可能性もある。このあたりの事情については、『新聞の危機と偽装部数』(甲2号証)を参考にされたい。

本件懲戒請求の原因である本件著作権裁判の判決を無視して、副次的な意味しかもたない本件損害賠償裁判の判決にそった審理が許容されるのであれば、懲戒請求者が本件損害賠償裁判を起こさなければ、本件懲戒請求で審理される対象が本件著作権裁判だけに限定され、審理の結果が異なる可能性が生じることになる。しかし、読売新聞社に対して損害賠償を求める事と、懲戒対象弁護士の言動を審理することは、別問題である。

(4)袴田事件の病理に類似

本件懲戒請求の排斥期間については、日弁連に対する異議申立書で主張した通りである。本件懲戒請求は、本件著作権裁判の判決が、2010年2月に最高裁で確定したことを受けて提起したものである。従ってこの日付が、排斥期間の起点である。

第2東京弁護士会の議決書は、江崎氏が本件催告書を作成・送付した日付を排斥期間の起点にしているが、本件懲戒請求で対象となっているのは、江崎氏の行為ではなくて、懲戒対象弁護士の行為であるから論理が根本から破綻している。

懲戒対象弁護士が本件催告書を送付したのであれば、その日を排斥期間の起点として検討する余地はあるが、懲戒対象弁護士自身が本件催告書を作成して送付したのは江崎氏であると主張しているのであるから、検討の余地すらない。

それに懲戒請求者が最大の問題としているのは、本件催告書の送付行為そのものではなくて、本件催告書にまつわる種々の「虚偽」を前提として、懲戒対象弁護士が本件著作権裁判の期間中に、みずからの主張を法廷で展開したことである。だれが本件催告書を送付したにせよ、それは枝葉末節にすぎない。問題の本質は、虚偽の事実をでっちあげて強引に裁判を起こし、裁判所に書面を提出し、自己の主張を展開したことにほかならない。

繰り返しになるが、このような行為は、袴田事件の病理と根本的に同じである。

なお、繰り返しになるが排斥期間と懲戒請求事由については、別途、準備書面(1)で補足する。

(5)懲戒対象弁護士からの反論書の不在  

懲戒対象弁護士は、懲戒請求者による日弁連への異議申立てに対して、まったく反論していない。それにもかかわらず日弁連は、懲戒対象弁護士の主張を認めたうえ、具体的な理由を提示していない。

(6)過去の処分事例との整合性について  

日弁連で下された過去の処分例に照らし合わせて、懲戒対象弁護士に対して戒告すら行わないのは疑問がある。過去の処分例として、たとえば「株式会社の顧問弁護士でありながら株の割り当て等に関して有効な法的措置が取れなかった」(登録番号17154)があるが、この程度の事で戒告処分を受ける一方、虚偽の事実を前提に裁判を起こし、自説を展開しておきながら、何の処分も受けないのは、著しく公平さにかける。

2014年04月21日 (月曜日)

森ゆうこ元参院議員が、『最高裁の罠』の著者で、ウエブサイト「一市民が斬る」の主宰者・志岐武彦さんを訴えた裁判が、18日、東京地裁で結審した。

森元議員が裁判を起こしたのは昨年の10月2日であるから、7ヶ月ではやばやと結審したことになる。裁判所が、森氏と志岐氏の本人尋問を実施しなかったことに加えて、訴因の発端となっている捏造報告書流出事件についての検証を避けたことから、森氏の訴えが棄却される可能性が極めて強い。

前回の口頭弁論で、原告の小倉秀夫弁護士は、審理の中で捏造報告書送付事件への関与疑惑が浮上しているX氏(訴状にもX氏で登場)の陳述書を提出する旨を表明していたが、結局、陳述書は提出されなかった。それに代わって、森氏本人と歌手・八木啓代氏、それに『サンデー毎日』の鳴海崇記者の陳述書が提出された。

これらの陳述書については、結審後にスタートする検証作業の中で、関係者の意見を考慮したうえで、インターネットで公開する機会があるかも知れない。 (裁判関係の書面の公開は、著作権法違反にはならない)

判決は、7月18日の13:10分、705号法廷で言い渡される。

◇名誉毀損裁判の法理

この裁判では、志岐氏が執筆して「一市民が斬る」に掲載した3件の記事をどのように解釈するかが争点になった。名誉毀損裁判では、まず、報道に公益性があるか否かを審理し、それが認められた場合には、次のステップとして、一般の人が普通の読み方をした時に、どのような受け止め方をするかを検証することで、争点となった表現が原告の社会的地位を低下させたか否かを判断する。

争点となった表現が事実であれば、たとえ原告の社会的地位を低下させても、被告は免責される。しかし、表現が事実であること、あるいは事実であると信じるだけの十分な根拠を示す責任は、被告側にある。

それゆえに名誉毀損裁判では、原告が圧倒的に優位になる傾向があり、SLAPPによる「訴訟ビジネス」を展開する弁護士にとって、格好の法理となっている。

原告の主張は、3件のブロク記事を横断的に読んだ時、森氏の社会的地位を低下させる事実摘示が構成されているという主張を展開してきた。これに対して被告は、それぞれのブログ記事は独立した評論という主張を展開した。

◇木を見て森を見ない法理

これまでわたしが取材した名誉毀損裁判では、記事中の個々のセンテンスが名誉毀損的表現としてピックアップされ、争点として絞り込む傾向が見られた。記事のほんのささいな一部分を構成する表現を取り上げ、それが原告の社会的地位を低下させるかどうかが審理されてきたのである。そのためにしばしば「揚げ足取り」の印象を受けてきた。

わたしが被告になった対読売裁判でも、たとえば「窃盗」という言葉が争点になった。

わたしはこうした論法は、それ自体が「木を見て森を見ない」誤りを犯していると思う。と、いうのも書かれた作品(記事)の解釈は、全体を読むことで初めて可能になるからだ。ほんの一部分を取り上げて、その他の構成部分から切り離して解釈するのは、一種の捏造に匹敵する。言葉尻を捉えて屁理屈を並べる態度となんらかわらない。

たとえば、高校野球部の厳しい練習風景を描いたあと、「あの監督は鬼だ」と表現した記事が、「鬼」という表現を理由に名誉毀損に問われたとする。

日本の裁判所の法理からすれば、監督は人間であって、鬼ではないから、事実に反しており、社会的地位を低下させたことになりかねない。実際、読売がわたしを訴えた名誉毀損裁判(地裁、高裁は黒薮の勝訴。最高裁で読売が逆転勝訴、黒薮に110万円の支払い命令)では、これに近い法理が適用された。

文章の全体を読めば、「鬼」が「厳しい監督」という意味を含んだ隠喩(メタファー)、「窃盗」が情け容赦のない物品(この場合は折込広告)の持ち出しという意味の評価であることが分かるが、日本の裁判所は、そんなふうには判断しない。おそらく隠喩(メタファー)が何であるかも分かっていないのではないか?

わたしは個人的には、3件のブログを総合的に判断するように求めた原告の論法は正しいと思う。が、皮肉なことに3件のブログを横断的に読めば読むほど、志岐氏が書いていることが、捏造報告書送付事件などに関する根拠のある推論であることがより明確になる。

このような論理の破綻を補うために原告が採用した戦略は、3件のブログから、自分たちの主張に合致する表現だけを個々にピックアップして、それを組み合わせることで、志岐氏が名誉を毀損したようなストーリーを構成するものだった。伝統的なSLAPPの手口である。少なくともわたしはそんな印象を受けた。

◇捏造報告書の流出の2つのルート

わたしが支援している志岐氏を被告とする裁判が結審したこと自体は歓迎する。ただ、裁判は勝敗だけが問題ではない。裁判の当事者が勝敗にこだわるのは当然だが、第3者には、勝敗よりも結論に至るプロセスの方により関心がある。

この裁判で検証しなければならない点は、改めて言うまでもなく、捏造報告書がどのようにして、検察から外部へ流出したのかという疑問である。この疑問の検証を裁判所が避けたのは間違いだ。と、いうのも検察の書面が、巷に出回ったただならぬ事実は、日本の司法の信用にかかわる根幹的な大問題であるからだ。蓋(ふた)をすれば、同じ事が再発しかねない。

既報したように捏造報告書の流出ルートは、窃盗などが行われていなければ、基本的には、次の2つしかない。

?検察が不正に外部に持ち出した可能性。

?小沢一郎氏本人か、彼の弁護団に合法的に渡った可能性。

改めて言うまでもなく、?は明らかな違法行為である。?は、捏造報告書を所持し得る者が第三者に開示していれば、公文書の目的外使用にあたり、処罰の対象になる。それゆえに裁判の場で検証することはいうまでもなく、公的な機関による調査が必要になるはずだ。

新聞は、この裁判を提訴当初からまったく報道しなかった。提訴後に報じたのは、、『ジャーナリスト』、『紙の爆弾』、ウエブサイト『MyNewsJapan』、『財界にいがた』などである。

新聞が報じなかった背景に、事件の根が深いという事情があったのではないだろうか。捏造報告書の流出事件が介在しているからだ。

が、重大な事件こそ、報じるに値するジャーナリズムのテーマではないだろうか。お行儀のいい優等生になるよりも、「冒険」も必要ではないだろうか。

この裁判に関する最新資料は、「一市民が斬る」の最新記事からリンクできる。

2014年04月18日 (金曜日)

 重要なお知らせ

MEDIA KOKUSYOの課金システムに再び以下の不具合が発生しています。

【1】購読者がネット上で契約を解除した際に、解約者のもとへ解約手続きが完了した旨のメールが送られますが、カード決済を行っている(株)イプシロンには解約の指示が伝わっていないらしく、実際には登録が自動解除されていません。同じ不具合が過去にも繰り返し発しています。

【2】新規に購読を申し込んだ際に、契約が完了したメールが新規契約者に送られます。本来であれば、カード決済を行っている(株)イプシロンにもその旨が通知され、自動登録が行われ課金状態になるシステムになっています。しかし、実際にMEDIA KOKUSYOの「会員限定」画面にアクセスして、「続きを読む 」をクリックすると、「……この続きの文章は、会員のみに提供されております。 購読契約が終了しています。」という表示が現れます。

また、新規購読契約者がログインした状態で、「全文公開」の画面にアクセスして、「続きを読む」をクリックすると、本文が消えた状態、つまりタイトルだけが表示され、その下に、「購読契約が終了しています。」と表示されます。

■PDF上記の具体画像の例

繰り返しになりますが、この種のトラブルは、過去にも発生しており、サイトを構築したGMOクラウドは、そのたびに修復作業を行ってきました。同社とは、2012年6月にサイト構築に関する契約(3ヶ月で作業を完了する契約)を結んでおり、この6月で2年になりますが、未だに契約が履行されていない状態です。

GMOクラウドは、2014年2月に契約終了を宣言しましたが、その後も同じトラブルが続いています。

ちなみにサーバーもGMOクラウドです。

MEDIA KOKUSYOとの購読契約解約を希望される方は、連絡をいただければ応じます。黒薮が手動で解約します。また、念のためにクレジット決済の状態をご確認ください。不正な課金が発生している場合は、返済した上で、GMOクラウドに対して損害賠償を請求します。

Eメール:xxmwg240@ybb.ne.jp ???? 電話:048?464?1413

2014年04月17日 (木曜日)

ジャーナリズム活動の展開方法について考えるとき、わたしは典型的な3つのモデルを思い浮かべる。NHK、読売新聞、それに中米エルサルバドルのラジオ・ベンセレーモスである。

◇公共放送モデル

念を押すまでもなくNHKは、国民から受信料を強制的(裁判の多発だけではなくて、強制執行も行っている)に集め、局を運営するための予算配分を国会が承諾し、それに従ってジャーナリズム活動を展開する。実際、NHKの籾井会長は、「政府が『右』と言っているものを、われわれが『左』と言うわけにはいかない。国際放送にはそういうニュアンスがある」と述べ、NHKには政府の「広報部」の側面があることを認めている。

従って公権力の監視機関としては、まったく機能していない。事実、2001年に安倍晋三と中川昭一の両議員がNHKの番組にいちゃもんをつけて、NHKはそれに屈している。放送史の汚点である。

ちなみに職員の待遇は、日本企業の中でもトップクラスで、庶民感覚からは程遠い。

◇興行との合体モデル

読売新聞は、日本の新聞社のビジネスモデルの典型といえる。景品を使って新聞拡販を展開し、販売収入と広告収入を増やして、新聞社経営の財政基盤とするモデルである。読売に限らず、日本の新聞社は、新聞拡販に依存して成長してきた。このような例は欧米では見られない。

特に読売の場合は、渡邉会長が社長に就任した1991年に「販売第一主義」を打ち出し、部数にこだわってきた。読売巨人軍も拡販戦略上で重要な位置を占めている。巨人軍のフアンを増やすことで、読売新聞の拡販に結びつける戦略がある。そのために読売新聞社から、巨人軍への出向人事が当たり前になっている。

通常、ジャーナリズムは、報道内容で読者を獲得する原則があるが、日本の新聞は、報道内容では十分に販売できないので、副次的なメリットを提供して、「購読者」を増やしてきた。紙面が萎縮しているのは、記者に対して活動の自由を制限しているからだ。自己規制、自粛の結果である。

◇機関紙モデル

ラジオ・ベンセレーモス(冒頭の動画参照)は、エルサルバドル内戦(1980年?92年)時に設立されたFMLN(ファラブンド・マルチ民族解放戦線)の公式ラジオ放送である。ラジオ局を支えていたのは住民である。住民の支援なくして、FMLNの存続そのものがあり得なかった。

3つもモデルの中で最もジャーナリズムの原点に近いのは、疑いなくラジオ・ベンセレーモスである。自分たちの主張を伝える媒体であるからだ。元々、ジャーナリズムは、フランス革命の時代にビラ配布というかたちで始まったと言われている。

従って景品や野球の球団を使って、「支持者」を増やす発想もない。ラジオ局が空爆で破壊されないように、放送機材を運んで、発信拠点を移動させながら、内戦の時代を乗り切ったのである。

◇「不偏不党」のウソ

ジャーナリズムは「不偏不党」の原則を守るべきだという一般論が広く普及している。しかし、実際には「不偏不党」はありえない。新聞に即して言えば、どのようなニュースを公にして、どのようなニュースを公にしないかを決めるときに、新聞社の姿勢が色濃く反映するからだ。

たとえば改憲や軍事大国化に反対する住民の動きを日本の新聞が詳しく伝えないのも、新聞社が政府よりの方針を採用しているからにほかならない。NHKが「押し紙」問題を取り上げないのも、新聞社が自分たち同様に公権力の「広報部」としての側面を持ち合わせているゆえに、防衛すべき組織であることを認識しているからだ。

わたしは一般紙よりも政党機関紙を読むことを心がけている。しんぶん赤旗、自由新報、公明新聞、聖教新聞などを読み比べると、一般紙よりも、はるかに主張の違いが分かりやすい。

わたしの知人の中には、情報収集のために、中央4紙を購読しているひとがたくさんいるが、政党機関紙を読み比べたほうが政治の動きが分かりやすい。やはりジャーナリズムの原点は、自分(自分たち)の主張を展開することである。

2014年04月16日 (水曜日)

NHKが受信料支払いを求める裁判を起こしたり、強制執行を断行するなど、強引な営業を展開している。フリーの編集者やライターでつくる労組・出版ネッツの委員長・澤田裕氏も今年に入って、8年10ヶ月分、約24万円の支払いを請求する裁判を起こされた。裁判でNHKは、弁護士の代わりに職員が原告席に着くなど、余裕をみせていた。

澤田氏が受信料支払いをペンディングするようになったのは、安倍晋三と中川昭一の両議員によるNHKへの介入をスクープした朝日新聞記事が発端だったが、裁判所はその争点化を拒否し、勝敗の行方は厳しい。

NHKは電話で澤田氏に支払いを催促し、それを録音までしていた。支払督促の対象になるのはどのような世帯なのか?自宅へ立ち入らない限り受信設備の有無は確認できないはずだが、どうやって個人情報を入手しているのか?どうすれば「理不尽な番組の押し売り」から逃れられるのか?受信料取り立てをめぐる謎に迫った。(訴状=支払督促状はPDFダウンロード可)?【続きはMyNeswJapan】

2014年04月13日 (日曜日)

4月16日(水)と18(金)に、言論表現の自由にかかわる2つの裁判の法廷が開かれる。16日は、読売新聞社が弱小な出版社・七つ森書館に対して仕掛けている著作権裁判。18日は、森ゆうこ元参院議員が、『最高裁の闇』の著者・志岐武彦氏に仕掛けている名誉毀損裁判である。

それぞれの裁判の詳細は次の通りである。

【読売VS七つ森書館】

日時:4月16日 水曜日

場所:東京地方裁判所 721号法廷

午前10時20分?12時  原告側証人・星春海さん(出版契約当時、 読売新聞社会部次長)

 午後1時30分?3時30分 被告側証人・清武英利さん(元読売巨人軍 専務取締役)

午後3時30分?午後4時  中里英章(被告代表者・七つ森書館社長)

【森ゆうこVS志岐武彦】

日時:4月18日 金曜日

場所:東京地方裁判所 530号法廷

時間:午前10:00

 ※法廷の終了後、「志岐武彦さんを支援する会」が弁護士会館503号でミーティングを開きます。だれでも参加できます。問い合わせ先は、電話048?464?1413(黒薮)まで。

◇読売VS七つ森書館?職務著作権をめぐる問題

この裁判の発端は、七つ森書館が『会長はなぜ自殺したか──金融腐敗=呪縛の検証』(読売新聞社会部。1998年新潮社刊、2000年新潮文庫)を復刊しようとしたことである。同書は清武英利氏が中心になって制作したもの。七つ森書館は、2011年5月9日に読売との間に出版契約を結んだ。

ところが本の制作が最終段階に差し掛かったころに、清武氏が記者会見を開いて、読売の渡邉恒雄会長を批判したのを機に、両者は裁判へと突入した。その影響が、七つ森書館にも及んだようだ。

読売が七つ森書館に「出版契約を解除したい。補償はお金でする」と申し入れてきたのだ。しかし、交渉は決裂。読売は、喜田村洋一自由人権協会代表理事を代理人に立て、出版契約の無効を主張して裁判を起こしたのである。

争点としては、出版契約の手続きが有効かどうかという点に加えて、職務著作権をめぐる問題も浮上している。

職務著作権とは、新聞社の場合に即していえば、ある記事を執筆した記者をその記事の著作権者と認定するのを回避して、記者が所属する新聞社を著作権者と定めるルールである。著作権法の15条1は、職務著作権を次のように定義している。

 法人その他使用者(以下この条において「法人等」という。)の発意に基づきその法人等の業務に従事する者が職務上作成する著作物(プログラムの著作物を除く。)で、その法人等が自己の著作の名義の下に公表するものの著作者は、その作成の時における契約、勤務規則その他に別段の定めがない限り、その法人等とする。

問題となった『会長はなぜ自殺したか──金融腐敗=呪縛の検証』は、読売新聞の記者たちによる執筆・取材である。しかし、単行本として刊行する場合は、単行本に即した文体や形式に改めることが多い。

新聞連載をそのまま単行本にすれば、無機質な印象が露呈して単行本としては読みづらいからだ。

詳しいことは知らないが、この本が新潮社から出版されるに際して行われた「てなおし」の過程では、清武氏の功績が大きい。このあたりを裁判所がどう判断するかが注目される。

読売勝訴により、職務著作権の適用範囲を拡大する判例ができてしまうと、新聞記者や出版社の編集者が自分の名前で本を出版する自由が侵害される危険性も秘めている。出版関係者にとっては、重要な意味を持つ裁判である。

◇ 小沢弁護団との関係は?

「森VS志岐」についての詳細は、次の記事を参考にしていただきたい。

 ■PDF『森ゆうこ元参議院議員が「一市民」に起こした恫喝訴訟が明かす「最高裁の闇」』

18日には、この事件の鍵を握るX氏(訴状にも「X氏」で登場)の陳述書が提出される予定になっている。被告の志岐氏は、問題となっている裏工作(ロシアのサーバーを通じて、発信元を隠し、検察の捏造報告書を歌手の八木啓代氏に送付した事件)について、X氏がみずからの工作であると打ち明けたと主張しているが、これに対するX氏の見解が明らかになる可能性が高い。

ちなみに捏造報告書の検察からの持ち出しルートは、次の2ルートが推定される。検察の管理体制から察して、それ以外は考えにくい。

?検察官が非合法的に外部へ持ち出した可能性。

?小沢一郎氏本人と小沢一郎弁護団(弘中惇一郎弁護士、喜田村洋一弁護士ら)に合法的に渡っていた可能性。ただし、刑事訴訟法・第281条の4により目的外使用は禁じられている。

?、あるいは?とX氏を結ぶ接点はあるのだろうか?

【刑事訴訟法・第二百八十一条の四】 被告人若しくは弁護人(第四百四十条に規定する弁護人を含む。)又はこれらであつた者は、検察官において被告事件の審理の準備のために閲覧又は謄写の機会を与えた証拠に係る複製等を、次に掲げる手続又はその準備に使用する目的以外の目的で、人に交付し、又は提示し、若しくは 電気通信回線を通じて提供してはならない。

一 当該被告事件の審理その他の当該被告事件に係る裁判のための審理   

二 当該被告事件に関する次に掲げる手続     イ 第一編第十六章の規定による費用の補償の手続    

ロ 第三百四十九条第一項の請求があつた場合の手続    

ハ 第三百五十条の請求があつた場合の手続    

ニ 上訴権回復の請求の手続    

ホ 再審の請求の手続    

ヘ 非常上告の手続    

ト 第五百条第一項の申立ての手続    

チ 第五百二条の申立ての手続    

リ 刑事補償法の規定による補償の請求の手続    

 前項の規定に違反した場合の措置については、被告人の防御権を踏まえ、複製等の内容、行為の目的及び態様、関係人の名誉、その私生活又は業務の平穏を害されているかどうか、当該複製等に係る証拠が公判期日において取り調べられたものであるかどうか、その取調べの方法その他の事情を考慮するものとする。

2014年04月11日 (金曜日)

原発には反対だが、携帯電話の基地局設置には反対しないという人が少なからずいる。その典型的な人物は、ソフトバンクの孫正義氏である。孫氏は「3・11」のあと、はやばやと原発に見切りをつけて、それを代用する新しいエネルギーの開発へ、第一歩を踏み出した。

しかし、「原発には反対だが、携帯電話の基地局設置には反対しない」という孫氏の立場は、電磁波による人体影響という観点からすると論理が破綻している。携帯基地局が発生源となるマイクロ波も、原発が発生源となるガンマ線も、同じ電磁波(放射線)の仲間である。前者のエネルギーが低く、後者のエネルギーが高いという違いはあっても、電磁波による人体影響という観点からすれば、いずれも電磁波問題である。

その電磁波が誘発する人体影響として、とかく癌がクローズアップされる傾向があるが、癌は数ある病変のひとつに過ぎない。電磁波によりどのような人体影響が現れるのかは、チェルノブイリの原発事故の後に報告されている被曝者の体調変化が参考になる。

 『チェルノブイリ被害の全貌』(アレクセイ・V・ヤブロコフ他 岩波書店)には、原発事故の後、確認されているがん以外の疾患につて次のように要約している。

(略)脳の損傷がリクビダートル(事故処理作業員)や汚染地域の住民とその子どもたちなど、放射線に直接さらされた人びとに見られた。若年性白内障、歯と口の異常、血液、リンパ、心臓、肺、消化器、泌尿器、骨および皮膚の疾患によって、人々は老若を問わず苦しめられ、健康を損なわれている。内分泌系の機能障害、とりわけ甲状腺疾患の広がりは予想をはるかに超え、甲状腺がんが1例あれば甲状腺の機能障害は約1000例あるというほど、大惨事後に著しく増加している。??

遺伝的損傷と先天性異常が、特にリクビダートルの子どもや、放射性同位体によって高濃度に汚染された地域で生まれた子どもに認められる。免疫異常と、ウィルス、細菌、および寄生虫による疾患が、重度汚染地域に蔓延している。チェルノブイリ事故によって放出された放射線に被曝した人びとの総罹患率は、20年以上にわたり依然として高い。??? ?

◇白内障から橋本病まで

ここで報告されている人体影響の一部は、携帯電話の基地局周辺で観察される体調不良とも重なっている。わたしが取材を通じて確認した人体影響のうち、引用部数と重複するものとしては、次のようなものがある。

白内障、不整脈、アトピー、皮膚のかゆみ、甲状腺の異常。

このうち白内障は、兵庫県川西市で起こったNTT基地局を撤去させる運動を取材する中で確認した。住民の一人が白内障が悪化して、手術を受けている。基地局が設置されたあと、白内障が急激に進んでいるので、マイクロ波が原因だった可能性が否定できない。

不整脈は複数確認しているが、たとえば重症の電磁波過敏症になった長野県伊那市の塩田永さんは、自宅ちかくにNTT基地局が立った後、繰り返し頻脈を体験している。

皮膚の疾患については、基地局周辺の住民から頻繁に聞き取っている。特に珍しい症状ではない。

甲状腺の異常については、知人の娘さんが、自宅近くに基地局が立った後、橋本病(慢性甲状腺炎)と診断されている。

しかし、これらの症状の原因は、電磁波だけとは限らない。そのために電磁波の人体影響についての認識を持たない人々は、電磁波以外の原因を推定する傾向がある。それが電磁波問題が表面化しにくい大きな要素になっているのだ。

特に大都会では、近隣とのコミュニケーションが乏しいので、体調の変化を自分だけの特異症状として処理してしまい、住民が結束して基地局を撤去させることを困難にしている。

2014年04月10日 (木曜日)

携帯電話やスマートフォンの普及が進むにつれて、携帯電話の基地局が増えている。会社から帰宅すると、自宅のそばに携帯基地局が立っていたといった話があとを絶たない。笑うに笑えないブラックユーモアである。

それに伴いMEDIA KOKUSYOにも携帯電話の電磁波(マイクロ波)とは何かという問い合わせが寄せられようになった。

電磁波とは、ごく簡単に言えば電波のことである。その電波とは、電気を空間に飛ばしたものである。電波はアンテナから発せられて、アンテナで受信される。アンテナがなければ、利用価値はない。

固定電話では、ケーブルを通じて情報が送られてくるが、携帯電話では、電波を通じて情報が送られてくる。

ちなみに電磁波の「電」とは、電気のことで、「磁」とは磁気を意味する。「波」は文字通り波。つまり電磁波とは、磁気を帯びている電波の性質をより正確に定義したものである。それゆえに単純に電磁波=電波と考えても、許容範囲といえる。

しかし、電磁波の存在はなかなか認識するのがむずかしい。肉眼で知覚することができないからだ。色もなければ、音も匂いもない。ビルの屋上から街を見下ろして、目の前の空間を電波が飛び交っているイメージを描くひとは、ほとんどいない。

これに対して、たとえば風は目には見えないが、街路樹が揺れたり、桜が花吹雪となって散る光景をまえにすると、風が客観的存在であることを認識できる。

が、認識の壁が、客観的存在を否定することにはならない。マイクロ波が携帯基地局と「電話器」の間に介在しなければ、携帯電話で通話できない事実は、情報を運ぶマイクロ波が客観的存在であることを物語っている。そのマイクロ波を生物、特に人間が被曝した際に現れる負の人体影響が、新世代公害?電磁波問題としてクローズアップされているのだ。

◇マイクロ波は放射線の仲間

さて、一口に電磁波と言っても、さまざまな種類のものがる。携帯電話の通信に使われるマイクロ波だけではなく、X線やガンマ線も電磁波である。と、すれば電磁波の種類は何によって分類されているのだろうか。

結論を先に言えば、それは周波数である。電波は、矢のように一直線に飛んでいるわけではない。波を打ちながら空間を進む。その波が1秒間に上下動する回数を周波数と呼び、「ヘルツ」、あるいは「サイクル」という単位で表される。

電子レンジで使われる電磁波(注:電磁波の分類ではマイクロ波)は、2500メガヘルツである。これは1秒間に25億回というとてつもない数の波が発生していることを意味する。もちろん、このような現象を肉眼で確認することはできない。 ? ちなみに携帯電話の通信に使われるマイクロ波の周波数は、第3世代携帯電話で2000メガヘルツである。電子レンジとほぼ同じだ。「携帯電話が脳を調理する」というブラックユーモアが生まれたゆえんにほかならない。

PFDの図は電磁波の分類である。改めて言うまでもなく、周波数が高くなれば、エネルギーも高くなり、周波数が低ければエネルギーも低くなる。?? エネルギーが高い電磁波のうち身近なものの代表格は、X線やガンマ線である。

X線はレントゲンに利用され、ガンマ線は癌の放射線治療に利用されている。X線やガンマ線は、医療現場で利用されているが、危険な側面があるので、医療人による厳密な管理下に置かれている。

ちなみに日本では、X線やガンマ線など周波数が高い電磁波を放射線と呼び、それ以外の比較的エネルギーが低いものを電磁波と呼んで区別しているが、欧米ではこのような区別はない。すべての電磁波は、放射線の仲間である。

電磁波による人体影響について考える場合、電磁波を2分類すると分かりやすい。電離放射線と非電離放射線である。

◇電離放射線とは?

電離放射線とは、X線やガンマ線など高いエネルギー(周波数)を持つ電磁波のことである。電磁波研究の第一人者・荻野晃也氏は、電離放射線を次のように説明している。

 太陽よりもエネルギーの高い電磁波のことを「電離放射線」というのですが、物質(人間の身体も含めて)を作っている分子や原子に含まれる電子をはねとばすほど(その現象を「電離」といいます)エネルギーが高いからです。日本ではそのような「電離放射線」を「放射線」と定義しています。これらの電磁波はエネルギーが大変強いために、細胞や遺伝子などの分子や原子をバラバラにしてしまって、その結果として発ガンの原因になったりするわけです。(『健康を脅かす電磁波』緑風出版)

これに対して非電離放射線とは、文字通り電離作用がない領域の電磁波を意味する。携帯電磁のマイクロ波もこの領域に属すと考えられてきた。日本政府や電話会社が、携帯電話の安全性を主張する根拠でもある。

しかし、最近では全ての種類の電磁波が人体に影響を及ぼすリスクがあるとする説が有力になっている。これに関して、荻野晃也氏は、『携帯電話基地局の真実』の中で、次のように述べている。

これらの電磁波のうちで、原爆の被爆者・被曝者などの研究から、「電離放射線が特に発ガンの危険性が高い」と思われてきたのです。ところが、最近の研究の進展で「電磁波全体が危険な可能性」があり、「共通した遺伝的毒性を示す」と考えられるようになってきたのが、現在の「電磁波問題」の本質だといってよいでしょう。

◇あまりにもお粗末な日本の電波規制値

既に述べたように電離放射線が危険なことは定説となっている。  現在、争点になっているのは、非電離放射線に属する電磁波(携帯電話のマイクロ波、家電や電線の低周波電磁波)などが有害か否かという点である。

政府と電話会社は、非電離放射線の人体影響を過小評価した上で、電波の安全基準を設けている。これに対して欧州は、非電離放射線にもリスクがあるという前提で、電波の安全基準を設けている。

その結果、マイクロ波の規制値についていえば、欧州と日本の安全基準には次のような信じがたい差が現れている。

日本:1000μW/cm(マイクロワット・パー・センチ)

EU:0・1? μW/cm

ザルツブルグ市の目標値:0.0001μW/cm

非電離放射線に人体影響があると考えるか、ないと考えるかで、安全基準にこれだけ大きな差が生じているのだ。かりに非電離放射線に人体影響があるという説が定まった場合、いたるところに基地局がある日本はパニックに陥る可能性がある。

それでも電話会社のために、厳しい規制値を設置しないのが日本政府である。

ちなみに世界保健機関(WHO)傘下の世界ガン研究機関(IARC)は、2001年に極低周波に、2011年5月にはマイクロ波に発癌性がある可能性を認定している。つまり非電離放射線も電離放射線も、人体に影響を及ぼす可能性があると考えているのだ。

なお、電磁波による人体影響は癌のリスクだけではない。それはほんの氷山の一角に過ぎない。それはチェルノブイリでどのような被害が発生したかを踏まえれば明らかだ。

2014年04月09日 (水曜日)

最高裁事務総局に在職した体験をもつ瀬木比呂志氏の著書、『絶望の裁判所』(講談社現代新書)は、最高裁の実態を冷静な筆づかいて内部告発している。

裁判の原告、あるいは被告になったことがある人であれば、権力を持つものにより親和的な判決を下す傾向がある裁判所の実態を肌で感じたことがあるのではないだろうか。「公正」とか、「正義」といった言葉とは程遠い。

しかし、不公平感の具体像はなにか?『絶望の裁判所』の中で瀬木氏は、判決の内容が方向づけられる不正なプロセスを暴露している。最高裁が民主主義の理念に著しく反し、この国のあり方を国策に照合しながら、「談合」や「密談」で決めてきた恐るべき実態を批判している。

具体例を3件、紹介しよう。まず、最初は次の記述である。

 その後、(私は)東京地裁の保全部というセクションに1年間所属した。  ここでも一つおかしなことがあった。国が債権者(申立人)となる仮の地位を定める仮処分命令事件について、国(法務省)が、事前に、秘密裏に、裁判所に対して、その可否、可能であるとすればどのような申立てを行えばよいのかを事実上問い合わせ、未だ仮処分の申立すらない時点で、かなりの数の裁判官たちがそれについて知恵を絞ったのである。

こうした行為は、入試のカンニングと同じである。「出題者」に事前に答えを教えてもらうのであるから、法務省と最高裁が結託して不正を働いたことになる。

もうひつと類似した例をあげよう。

重要なことなのでほかの例も挙げておくと、ずっと後のことであるが、東京地裁の多数の部で審理が行われている同種憲法訴訟について、同様に事前談合に類した行為が行われたことがある。裁判長の定例会議におけるある女性裁判長の提案により、裁判長たちが秘密裏に断続的な会合をもち、却下ないし棄却を暗黙の前提として審理の進め方等について相談を行ったのである。(略)  こうした不正は、裁判の基本的な公正を害する行為なのだが、おそらく、日本の司法においては、さまざまな場所にさまざまな形で存在するのではないかと思われる。

◇米国との密約で決めた砂川事件判決

さらに安倍内閣が持ち出している集団的自衛権の憲法解釈問題を機に浮上している砂川事件の最高裁判決の内容が、米国との密会で決められたことを『絶望の裁判所』は暴露している。

砂川事件とは、1957年に東京都砂川町(現立川市)の米軍基地拡張に反対するデモ隊が基地内に入り、7人が逮捕された事件である。『沖縄タイムス』(電子版)の解説によると、「東京地裁は駐留米軍は『戦力の保持』に当たり、憲法9条に違反するとして無罪を言い渡した(伊達判決)」。

この事件の裁判は、不思議なことに高裁をスキップして、地裁から直接最高裁へ送られた。最高裁は一審判決を破棄した。裁判決は、「『わが国が存立を全うするために必要な自衛措置を取り得ることは国家固有の権能の行使として当然』と述べた」。(『沖縄タイムス』)

この判例を根拠に安倍内閣は、現行憲法(9条)の下でも、集団的自衛権は限定的に容認できるとする論理を持ち出している。しかし、「砂川事件は駐留米軍の違憲性が争われたもので、集団的自衛権を問題にしていたわけではない」。(『沖縄タイムス』)

かりに集団的自衛権を部分的に容認したものであるとしても、『絶望の裁判所』によると、判決内容を決めるプロセスで不正が行われた。当時の最高裁長官・田中耕太郎氏とレンハート駐日米公使、さらにはマッカーサーが密約会談で判決内容を決めたという。この問題にふれた次の記述を引用しておこう。

 二〇一三年に広く報道されたところ(四月九日付朝日新聞等)によれば、田中耕太郎第二代最高裁長官が、米軍基地拡張反対運動のデモ隊が境界柵を壊し数メートル基地内に立ち入ったとして起訴されたいわゆる砂川事件の一審無罪判決(一九五九年[昭和三四年]三月三〇日東京地裁判決)に対する最高裁への跳躍上告事件(同年一二月一六日最高裁大法廷判決。破棄差戻し、全員一致。なお、この跳躍上告は、後記マッカーサー大使の示唆に基づくものといわれている)に関し、同年七月に、共通の友人宅で面談したレンハート駐日米公使に対し、「判決はおそらく一二月であろう。〔最高裁の審議では〕実質的な全員一致を生み出し、世論を揺さぶる元となる少数意見を回避するようなやり方で〔評議が〕運ばれることを願っている」と伝えていたという。

また、田中長官は、判決に先立ってマッカーサー駐日米大使ともやはり非公式の会談を行い、判決の見通しを示唆していたという。いずれも機密指定を解かれた米公文書により判明した事実である。

これらは、最高裁大法廷判決の内容と見通しに関する、かなりの程度に明確な事前のリーク、それも政治的な意図に基づくところの、外国高官に対するリークである。

「元東大法学部長」で「商法、法哲学の学者」であった人間が、最高裁長官になると、こういうことをやっているのだ。この学者にとって、「法哲学」とは、「学問」とは、一体何だったのだろうか?しかし、これが、日本の司法の現実、実像なのである。

2014年04月08日 (火曜日)

『新聞協会報』(2014年1月14日)は、新聞を読むことが子供の知力の発達を促すとする観点から、新聞の優位性をPRする記事を掲載した。タイトルは、

新聞読む子供、正答率高く

学力テスト 文部省分析 閲読習慣と相関関係

と、なっている。この記事によると、「新聞をよく読む児童・生徒ほど全国学力・学習状況調査(全国学力テスト)で正答率が高かった」ことが「文部科学省の分析で明らかになった」という。記事の冒頭には、次のような記述がある。

文科省が公表したクロス集計結果によると、小6国語Aでは、新聞を「ほぼ毎日」読んでいると答えた生徒の正答率は69.4%、「週に1?3回」は67.0%、「月に1?3回」は63.1%、「読まない」は59.3%だった。新聞を頻繁に読む生徒ほど、正答率が高かった。

 中3国語Aでも「ほぼ毎日」が80.3%、「週に1?3回」80.0%、「月に1?3回」77.6%、「読まない」75.4%だった。

 算数、数学でも同じ傾向だった。小6算数Bでは、「ほぼ毎日」読む児童は「読まない」児童より、正答率が9.7ポイント高かった。中3数学Bでも8.8ポイント高い。文科省初等中等教育局の八田和嗣学力調査室長は「新聞などで培った言語力は、問題文の理解に役立つだろう」と話す。

注意深く記事を読むと、新聞をPRするために、不自然な論理をこじつけた記事であることがわかる。このような記事を掲載した背景には、新聞に対する軽減税率適用の是非をめぐる議論が、今後、高まることが予測される中で、新聞協会が新聞の優位性をPRする戦略にでた事情があるようだ。

が、新聞協会が情報源とした文科省実施の調査は、科学的な視点を欠いている。情報源となる調査そのものが非科学的なので、記事もずさんなものになっている。それでもあえて記事掲載に踏み切った背景に、新聞協会のあせりがかいま見える。

まず、学力向上と新聞を読む行為の関係を調べるためには、その前提として調査対象を同程度の学力の児童・生徒に限定しなければならない。その上で新聞を読むグループと読まないグループに分けて、一定の期間を経た後に学力テストを実施して、成績を分析しなければならない。

さらに同程度の学力グループを対象として、たとえば新聞を読んだグループと夏目漱石の小説を読んだグループに分けて、一定の期間を経た後に成績の変化を分析しなければならない。

教育問題の専門家にアドバイスを求めれば、他にもたくさん基本的な留意点の誤りがあるかも知れない。

◇ あいまいな結論

『新聞協会報』の記事では、「新聞読む子供」は学力試験の正答率が高いといことになっているが、逆説的に考えると、もともと学力が高く文字に親しむ習慣があるから、新聞を読む習慣が身に付いた可能性もある。実際、同記事の最後の方に、とってつけたように次のような記述もある。

アンケートでは学校側にも生徒への指導方法を尋ね、国語で「さまざまな文章を読む習慣を付ける授業」を行った学校の方が、生徒の平均正答率は高いとの結論が出た。

ところが『新聞協会報』では、「新聞読む子供、正答率高く」にすり替えられているのである。善意に解釈すれば、「さまざまな文章を読む習慣を付ける授業」が学力を伸ばすので、新聞を国語の授業に取り入れるべきだと言いたいのだろう。

◇ 知力の発達

が、こうした単純な学力観は、根本から間違っている。  1977年に出版された『知力の発達』(岩波新書)という本がある。37年前に出版された本である。

わたしは発達心理学の専門家ではないので、断定的なことは言えないし、間違っている可能性もあるが、おそらくこの本が出版されたころから、学力観が大きく変化しはじめたのではないかと思う。

わたしがこの本を記憶しているのは、当時、小学校の教師をしていた父が、この本に強い感銘を受けていたからだ。

かつて教育界では、「知力生得説」が絶対視されていた。知力は生まれながらに決まっていて生涯を通じて変化しないとする説である。そのために知能指数が過信されていたのである。

ところが『知力の発達』によると、知力というものは、外界との交わりの中で常に変化していくとする発達心理学の最新の理論を紹介していた。「外界との交わり」とは、具体的には、次のような状況である。

Aさんは冤罪で逮捕された。不幸しにてAさんは法律がまったく分からない。そこで冤罪を立証するために、弁護士や支援者の話を熱心に聞いて、法律の本も読むようになった。その結果、自分で冤罪を立証できるようになった。

Bくんは算数の勉強よりも、野球に熱心だ。算数はできないが、野球に関しては、主なメジャーリーガーの打率まで記憶している。

「Aさん」、「Bくん」の例は、自分の内部にある強い関心事(興味)をベースとして外界に働きかけ、並ならぬ知識を獲得した例である。

これらの例から分かるように、知力というものは、自分の関心事と常に結合しているものであって、静止的なものではない。従って新聞に関心がない小学生に新聞を「押し付け」ても、知力の発達を促すことは期待できない。

知力というものは、外界との交わりの中で変化するものであって、個々人の関心事と密接に結びついている。新聞を読んだから発達するとか、小説を読んだから発達するといった単純なものではない。

新聞が小学校や中学校の国語教育の教材として本当に適切なのかを、文科省と新聞人は再考する必要があるのではないだろうか?

余談になるが、野村進著『脳を知りたい』には、小学生で『源氏物語』を読みこなしたが、その後、勉強嫌いになってしまい、『源氏物語』の内容も忘れてしまったというエピソードが紹介されている。小学生の興味と『源氏物語』がマッチしていなかったのだ。

2014年04月07日 (月曜日)

『しんぶん赤旗』(3月27日付け・電子版)が、安倍内閣が消費増税に反発する世論を抑えるために政府広報に12億6000万円を支出していたことを報じている。

同紙によると、「政府広報はテレビスポット、新聞・雑誌広告、新聞折り込み広告、ラジオCM」のほか、「インターネット上の広告にあたるウェブバナーや駅貼りポスター、コンビニ有線放送CM」など、「あらゆる階層にいきわたるように広報を展開した」という。

政府広報を受注したメディア企業各社に対して12億円6000万円がどのように配分されたかは不明だが、この支出には不適正な要素がある。改めて言うまでもなく、それは新聞の紙面広告の価格が、実態のない部数データに基づいて決められているために、不当に高い広告費を手にした新聞社が存在する可能性である。周知のように紙面広告の価格は、ABC部数(印刷部数)に準じて決められる。

たとえば、次に例として示すのは、代表的な公共広告のひとつである最高裁がスポンサーになった公共広告でみられる支払い配分の実態である。

■PDF公共広告の価格と部数の関係データ

ABC部数が全国1位の読売がトップで、以下、朝日、毎日、産経の順番になっている。ABC部数の序列も同じである。

◇再販制度と1999年問題

しかし、安倍内閣とマスコミの関係は、単に政府広報を通じた金銭の支出だけではなない。すでに周知の事実となっているように、安倍首相とマスコミ関係者は、繰り返し会食を伴った密会を開いてきた。

もっともこうした職務を担当しているのは、記者としては箸にも棒にもかからず、どちらかといえば、ある時期からジャーナリズム活動を逸脱して、みずからの生きがいを社内での「出世」に見出した異能分子と呼ばれる人々であるが。     さらに公権力とマスコミの関係者は、マスコミの巨大な影響力を国策のPRに活用したいという公権力側の思惑と、新聞ビジネスに国策の援護を得たいというマスコミ側の思惑が合体して形成されることもある。新聞社と政界の関係に限定すれば、この種の関係が典型的に現れている分野は、再販問題と消費税の軽減税率問題である。

まず、第一に再販制度(新聞特殊指定)をめぐる両者の関係を検証してみよう。再販制度の撤廃論は、構造改革=新自由主義の「改革」が徐々に始動しはじめた1990年代の初頭から浮上してきた。規制緩和を進めるという自民党政治の大枠の中で、再販制度を撤廃する案が公正取引委員会から出されたのである。

当初、新聞再販の撤廃は免れないといわれた。しかし、新聞業界は、新聞販売店の業界団体である日本新聞販売協会を通じて、多額の政治献金を支出するなどして、最初の危機を乗り切った。1998年のことである。

その翌年(1999年)に国会は前代未聞の事態に陥った。具体的にそれが何であるかについて、辺見庸氏は、『私たちはどのような時代に生きているか』で次のように述べている。

じつは僕、しきりに「一九九九年問題」と言っているんですが、これはある意味で戦術的な言い方です。九九年の諸問題は、もちろん、ここに至る長いプロセスがあって、突然に降ってわいてきたわけではないですから、結果だけを論じることはできないのです。

ともあれ、僕としては九九年問題の重大性を最大限強調したい。年表で言えば、ここはいちばん太いゴチックにしておかないとまずい。それも私としての責任であるわけです。ほかの人たち、表現者、マスコミ、政治家、一九九九年の夏に立ち会ったすべての人たちの責任を問いたい気持ちもないではないのですが、僕はさしあたり、私個人の身体的年表のなかで私の責任を考えようと思ってるんです。

象徴的には、この年の第百四十五通常国会で成立した「周辺事態法」、「盗聴法」、「国旗・国歌法」、「改正住民基本台帳法」を、私は私の内面との関係でかつてなく重大視している。これらがこの国の短、中期的未来に向けた法制的かつ思想的租型になることは、私の表現行為にとって耐えがたい圧迫なのです。つまり、これらの国家主義的浸透圧を、私の身体はとても不快に感じている。

◇小渕恵三・新聞販売懇話会会長

辺見氏が言及しているように、第145通常国会で、「周辺事態法」、「盗聴法」、「国旗・国歌法」、「改正住民基本台帳法」が成立したのである。しかも、新聞もテレビも、これらの法案に対して抵抗することはなかった。

この時の首相は小渕恵三氏である。読者は、この時期に小渕氏がどのような立場にあったかをごぞんじだろうか。ほとんど知られていない重大な事実がある。

実は小渕首相は、再販問題で政治献金を支出するなど政界工作の先頭に立ってきた日本新聞販売協会の陳情窓口である自民党新聞販売懇話会の会長だった。再販問題で新聞人に恩を売ることに成功した自信が、第145通常国会における強引な国会運営に繋がった可能性も否定できない。

再販問題で新聞人が再び危機を迎えたのは、2006年である。この時も新聞は、大々的に新聞紙面で再販維持をPRしたり、政界工作を展開した。

その結果、同年の4月19日には、日本新聞協会が本部を置く東京・内幸町のプレスセンターに総勢250人の国会議員が終結し、新聞人と親睦を深めるという、およそジャーナリズム企業の常識では考えられない珍事が起こった。席上、社民党の福島みずほ党首は、 「そうそうたる国会議員の勢揃いで本会議場が移動したような気がする」(『新聞通信』)  と、挨拶した。

この2回目の再販危機は、結局、山本一太議員や高市早苗議員が、新聞特殊指定を取り扱う権限を公取委から取り上げる法案を準備することで決着した。両氏が新聞業界から政治献金を受けていたことは言うまでもない。

■参考記事:山本一太議員 新聞業界から3千万円献金、見返りに露骨な業界保護活動

◇新聞に対する軽減税率  

それから8年後、新聞に対する軽減税率の適用をめぐり、かつてと同じ構図が現れている。2012年度には、新聞業界から160名を超える国会議員に対して、政治献金が支出された。

■参考記事:新聞業界が新聞に対する軽減税率求め大規模な政界工作、289の地方議会から安倍首相宛の意見書?

これに対して、安倍内閣は新聞社に対して政府広報を発注する。加えて、非公式の「宴会」で情を深める。当然、飲み食いの席で新聞に対する軽減税率の問題も話題になっている可能性が高い。

こうした状況の下で、新聞社は安倍内閣の「広報部」になるのか、メディアとしての独立性を保つことを選ぶのかを迫られている。親密な関係になって紙面で国策をPRすれば、政府広報の収入が確保できるだけではなく、再販制度という既得権を維持できる。また、新聞に対する消費税の軽減税率が適用される公算も高くなる。

一方、ジャーナリズム企業としての独立性を保った場合、どのようなリアクションが起こるのだろうか。あくまでも推測になるが、まず、新聞社が第一に狙われるのは、「押し紙」問題である。「押し紙」は独禁法に違反するので、公取委は簡単に新聞社経営にメスを入れることができる。

さらにABC部数に多量の「押し紙」が含まれているために、過去に設置した紙面広告の価格が不適切とみなされ、最悪の場合は刑事事件になる可能性がある。

ちなみに「押し紙」を排除すると、新聞社の販売収入と広告収入は激減して、新聞経営は破綻しかねない。

◇経営上の汚点

こんなふうに日本の新聞社の経営構造と新聞社の「異能分子」の行動を解析してみると、新聞研究者や評論家が、新聞報道の内容をいくら批判しても解決策にはならないことが分かる。日本の新聞がジャーナリズムの役割を果たせなくなった原因は、記者個人に能力がないからではなく、新聞社のビジネスモデルそのものに客観的な欠点があるからだ。

逆説的に言えば、政府をはじめ日本の公権力は、新聞社の経営上の汚点、具体的には、「押し紙」問題や広告料金の不正などの問題を把握し、その犯罪性を小出しにする一方で、宴会を通じて親密な関係を築くことで、新聞報道を牛耳っているのである。

新聞紙面の批評は、誰にでもできる。しかし、紙面をいくら批判しても、「見解の相違」でかたづき、新聞社はまったく痛痒を感じない。今後、「押し紙」や広告料金の不正にメスを入れない限り、辺見庸氏がいう「1999年問題」が再来することは間違いない。