2014年06月23日 (月曜日)

吉竹幸則(フリージャーナリスト・元朝日新聞記者)

「官僚も、ジャーナリズムも、そして裁判所までが! 無駄な公共事業を追及し続けた記者の見たものは、そのすべてが壊れたこの国の姿だった」。私の著書「報道弾圧」(東京図書出版)の帯に書いた文章です。

「公共事業は諸悪の根源」シリーズは、そのダイジェスト版です。現行憲法15条で、官僚・政治家は、「国民全体の奉仕者」と定めています。しかし、シリーズ①―④「長良川河口堰に見る官僚の際限ないウソ」では、官僚・政治家が利権に目がくらみ、「国民全体の奉仕者」には程遠く、いかに壊れていたかを報告しました。

ジャーナリズムは、21条で定める「表現の自由」を国民に発揮してもらうため、情報提供する「奉仕者」、21条の担い手です。しかし、⑤―⑭「ジャーナリズムでなくなった朝日」で報告したように、派閥腐敗で壊れていました。自浄作用が働かないまま、「人々の知る権利」に応えず、「権力監視」という基本的な責務さえ放棄したのです。

この国が何故、1000兆円もの借金を抱え、超高齢化社会の中で身動きが取れなくなったのか。もう読者の皆さんは、嫌と言うほどの具体的事実をもって原因をお分かり戴けたのではないかと思います。

今回から、私が朝日に対して不当差別で訴えた損害賠償訴訟の成り行きについて、報告して行きます。結論を先に言えば、この裁判で私は敗訴しました。判決では、「取材不足があったから、記事にならず、朝日に不当性はない」と言うものでした。

◇絶望的な日本の裁判所

しかし、あれだけ証拠で固めた取材です。「取材不足」など、あろうはずがありません。どうしてこんな判決が出されたか。これから始まる「デッチ上げまでした司法」シリーズは、その具体的な経過報告です。

政治家・官僚、ジャーナリズムがこの国で果たさなければならない憲法上の役割・使命は、前述の通りです。では、司法、裁判所・裁判官の役割・使命とは、何でしょう。当然、14条「法の下の平等」により、国民に等しく「基本的人権」を保証し、32条で認められた国民の「裁判を受ける権利」を守ることにあるはずです。

審理を尽くすことで事実を公正・公平に見極める。侵害が明らかなものは、速かに権利の回復を図る…。司法に課せられた社会的役割です。しかし、今の司法、裁判所は国家権力への従属を強め、その基本的な機能が壊れ、裁判官の職業的倫理観・良心さえ失せてしまっているのです。

戦前、治安維持法の下、この国には人々の思想まで取り締まる特別高等警察(特高)が作られました。権力者・軍部に異論を唱える人々を、「デッチ上げ」で「国賊」に仕立て上げ、社会から追放したのも特高です。牢獄での過酷な生活で、命を落とした人も少なくありません。当時の司法・裁判所は特高の活動を追認する罪を犯しました。

戦後司法は、その反省から出発したはずです。しかし、私の訴訟では、裁判官自らのデッチ上げで私を敗訴にしました。官僚・政治家、ジャーナリズム同様、司法にも戦前の反省などさらさらなかったのです。むしろ、特高でなく裁判官自ら率先してデッチ上げに手を染めたことで、戦前よりはるかに悪質になっています。

裁判官による「デッチ上げ」は、いくらなんでも…。私が敗訴になったのには、実は別の要因があったのではないか。素直な方の中にはそう思われ、にわかに信じられない人も、おられるかも知れません。

でも、①―⑭を連続して読んで戴いたこの欄の読者は、「官僚の際限ないウソ」も、「ジャーナリズムでなくなった朝日」も、もう十分具体的事実をもって認識されたと思います。司法についても、私の報告を読み進めて戴ければ、いかに司法が壊れているか、具体的事実をもってお分かり戴けるはずです。

◇権力監視の高い壁

これから報告するのは、中世の暗黒裁判を彷彿させるあまりに露骨な裁判官自身によるデッチ上げ判決の実態です。地裁、高裁、最高裁がグルになってやったとしか、私には思えません。権力の腐敗を暴くのは、悪い記者。その活動を止め、政権になびく新聞経営者なら、何としても擁護する…。そんな国家権力の意志が働いたのかも知れません。

皆さんにとっても他人事ではないはずです。権力者の意向に逆らい、まともに権力を監視しようと思えば、私と同じ仕打ちに遭うことになるからです。もはや裁判所は人々の人権を守る最後の砦ではありません。守ってくれるどころか、権力の手先になり、皆さんを排斥する側に回ります。

そのため、権力者を恐れて「良心の自由」さえ行使出来ず、沈黙を守る人たちが増えれば、ジャーナリズムの権力監視機能はますます衰退します。「憲法の番人」であるはずの司法が壊れるとは、権力者の思うままに社会が操られ、ブレーキ役不在の社会になることを意味します。

さて、いつも言っているように、ジャーナリストは論ではなく事実の伝達者です。今回の前置きはこれくらいにして、裁判官はどんなデッチ上げをしたか。私の裁判経過を具体的に報告して行きたいと思います。

◇名古屋地裁に朝日を提訴

私は定年前、「もはや、裁判で決着する以外にない」と何度も朝日に言い続けたことは、前回までに書きました。好き好んで裁判に訴える訴訟マニアでないことも、これまでの経過から理解して戴けていると思います。私が実際に名古屋地裁に訴えたのは、定年から半年経った2008年7月のことでした。

サラリーマンは会社を離れて、初めて見えてくるものもあります。ジャーナリストたる者が、国家機関である裁判所に判断を仰ぐのは邪道…。これも私自身が一番良く認識していたことでした。少し頭を冷やし、本当に裁判以外に方法はないか、考えてみる余裕も欲しかったのです。

それに私には、司法記者経験があると言っても、所詮、裁判には素人です。真剣に取材活動をするジャーナリストの権利を守り、メディア経営者に二度と人々の「知る権利」を侵害させない…。訴訟沙汰にする以上、絶対に負ける訳にはいかない大事な裁判です。

幸い私には。司法記者時代から、親しくしていた弁護士も大勢いました。法曹の知識・ノウハウも借り、法律的な枠組みを、時間をかけてきちんと組み立てておく必要もあったのです。

ジャーナリストは、政治的中立性が求められます。誤解を受けないために、私がこの訴訟で助言をお願いしたのは、政党色もなく理論家としても知られるある高名な弁護士でした。

「最近の裁判官は肝っ玉が小さい。君が憲法論を振り回すと、裁判官は最高裁の顔色を見て、出る判決も出ない。出来るだけ裁判官を恐れさせないよう、これまでの最高裁判例を踏襲。当たり前に勝てる論理を組み立てよう」。これがその弁護士からのアドバイスでした。

◇名誉毀損認定のプロセスとは?

前回までは河川工学の難解な話を書いてきました。今度も大変恐縮です。皆さんに法学の世界に付き合って戴こうと思います。

私は司法試験の勉強などしたこともありません。しかし、報道と労働に関するものでは、私のような頭の悪い司法記者レベルでも常識に属する二つの定着した最高裁判例があります。報道で最も一般的に知られているのは、1966年の最高裁判例です。

「民事上の不法行為たる名誉毀損については、その行為が公共の利害に関する事実に係り、もっぱら公益を図る目的に出た場合には、摘示された事実が真実であることが証明されたときは、右行為には違法性がなく、不法行為は成立しないものと解するのが相当であり、もし、右事実が真実であることが証明されなくても、その行為者においてその事実を真実と信ずるについて相当の理由があるときには、右行為には故意もしくは過失がなく、結局、不法行為は成立しないものと解するのが相当である」

何とも分かりにくい文章です。整理すれば、メディアが報道しようとする内容に「事実の公共性」「目的の公益性」があり、「事実が真実と証明された時」(「真実性」)や真実の証明まで出来なくても取材の経過から、「事実と信じられる相当の理由」(「真実相当性」)で裏付けられているならば、原則、名誉毀損などの違法性を問われないとしています。3要件をまとめて、「真実性の法理」とも呼ばれています。

いくら「報道の自由」があると言っても、この基準・法理を満たさない報道は、取材相手から訴訟を起こされます。報道機関でも「真実性の法理」を満たすか否かで、記者の取材を記事にするかどうか判断しています。つまり、報道機関の実務上の基本・基準にもなっている最も基礎的で、重要な判例です。ジャーナリストでなくても、ご存知の方も多いのではないかと思います。

◇何を根拠に「不当配転」を認定するのか?

労働訴訟では、経営者の人事発令が「不当配転」か、否かについて争われた「東亜ペイント事件」判例がよく知られています。最高裁は1986年、この事件の判決で、憲法27条「労働権」、労働基準法3条「均等待遇」を基に、次のような判断を示しています。

「雇用主には雇用者に対し、人事、査定などの裁量権が存在する」。しかし、「業務上の必要性が存しない場合」「他の不当な動機・目的をもってなされたとき」「労働者に対し通常甘受すべき程度を著しく超える不利益を負わせるものであるとき」には、雇用主の「裁量権の濫用」に当たる、と言うものです。

さらに、雇用主が雇用者の労働条件を不利益なものに変更する場合、この3条件に照らして抵触していないか、「高度な説明責任」を雇用主に課しています。つまり、雇用主が行った人事・査定について合理性があるか否か、雇用者側に納得のいく説明義務を果たしていなければ、やはり「不法行為・債務不履行が成立する」との判断です。

「不利益変更法理」とも称され、労働法の世界では、最も基礎的で有名な判例です。雇用主が持つ裁量権をもって行った人事・査定が不当か否かで争われる労働訴訟では、常にこの概念が基礎となり、様々な形に応用されて適用されています。経営者の人事権・裁量権に逸脱・濫用がないかを判断する基本的な尺度と言ってもいいでしょう。

◇トナミ運輸内部告発訴訟の判例

弁護士から法律的なヒントさえもらえば、取材し論理を組み立てるのは、記者の得意分野です。調べていくと、二つの判例・法理を組み合わせ、私のケースにぴったりの判例が見つかりました。富山地裁が2005年に出した「トナミ運輸内部告発訴訟判決」です。

運輸業界の闇カルテルを、新聞社、国会、公正取引委員会などに内部告発したトナミ社員がその後30年間、会社から報復として個室に隔離されたり、雑務しか与えられず、低賃金に据え置かれことが発端です。社員は、雇用者としての権利回復を求め、トナミ運輸に損害賠償訴訟を起こしました。

判決では、社員の告発について、報道に適用される「真実性の法理」を念頭に、「告発した内容に『真実性、公益性、目的の公益性』がある。内部告発は正当な行為で、告発までに十分な内部努力をしなかったとしても無理からぬところであり、法的保護に値する」と認定しました。

その上で、「不利益変更法理」の考え方に沿い、「雇用者は、仕事・能力に応じ、正当・公平に評価を受ける『期待的利益』を有している。会社の措置は、『合理的な裁量の範囲内で人事権を行使すべき義務』に違反した『濫用』に当たる」として、トナミは社員に対し、逸失利益と慰謝料として多額の損害賠償をするよう命じています。

この判決がきっかけとなり、内部告発者を法的に保護する「公益通報者保護法」が作られ、朝日に限らず、コンプライアンス委員会が各企業に設けられたことでも知られる有名な判例です。何より朝日自身が、いつも通りの高邁な論調で、この判決を紙面で高く評価しています。

◇訴因は、「ブラ勤」と人事・査定・昇格・昇給の差別

私のケースとは、「内部告発」が「報道弾圧に対する会社への異議申立て」に入れ替わっただけ。ブラ勤を命じられ、人事・査定・昇格・昇給で差別されたことまで、ほぼそっくりです。

敢えて違いを言えば、トナミは運送会社です。社員にとって、「内部告発」は「仕事の目的」とまでは言えません。だから「告発行為」そのものをもって、「仕事上の成果」としての「期待的利益」を求めることは出来ません。

しかし、ジャーナリズムである朝日の使命は、「権力監視」です。記者には、それを「仕事の目標」として課しています。私の長良川河口堰取材は、治水上、堰を建設する必要もないのにも、権力者である官僚がウソを重ね着工に漕ぎ着けたことを幾多の極秘資料を入手し、余すところなく裏付けるものです。

つまり、私の取材は、朝日が記者に求めている「仕事の目標」そのものなのです。上司が私の記事を止めなければ、確実に「権力監視」が成就。無駄な公共事業はストップし、税金をドブに捨てるようなこともありませんでした。本来は雇用主である朝日が求めている仕事で「成果」を出せば、その分評価を受ける「期待的利益」が付け加わって当然です。

しかも私は、編集局長、社長、コンプライアンス委員会にも実名で訴え、ジャーナリズム本来の使命におとる行為を是正するため、「十分な内部努力」もしています。ですから私は、少なくともトナミ社員以上に、正当に評価されるべき「期待的利益」があり、朝日に多額の損害賠償を求めることが出来ることになります。

◇トナミ訴訟を下敷きに書面を作成

「名誉毀損」については、最高裁は、1986年の判決で、「人の品性、徳行、名声、信用等の人格的価値について社会から受ける客観的評価である名誉を違法に侵害すること」と、定義付けています。つまり、「不名誉なこと」を相手から社会に公表され、社会的評価を下げられた場合に成立します。

私は司法記者時代、訴状、準備書面は飽きるほど多く読んできました。「真実性の法理」「不利益変更法理」「名誉毀損」の定義を踏まえ、トナミ訴訟を下敷きにすれば、司法に半素人でも、自分で訴状を書き上げる作業は、そう困難なことではありません。というより、書き始めてみると、私が朝日のコンプライアンス委員会に出した提訴状をパソコンから取り出し、裁判用に少し手直ししていくだけで十分でした。

もう一度、このシリーズ①―⑭、長良川河口堰取材で私が解明した事実と、朝日が記事を止め、その後私が受けた人事・待遇差別と朝日の説明を想い出してみて下さい。

1962年 建設省は、治水ための必要浚渫量を「1300万トン」、利水からの必要量を「3200万トン」と算出。極秘の「長良川河口堰調査報告書」を作成。

 1968年 建設省は「治水」、「利水」を区別することなく、「治水・利水に必要な浚渫量は3200万トン」として、閣議決定に持ち込む。

1972年 「河口堰建設事業」の一環の長良川川底の土砂を浚渫する事業開始(1990年までに900万トンの浚渫と地盤沈下で300万トンの同様効果)。

 1976年 安八水害発生。建設省は水余りの中、「治水のために、堰建設は不可欠」と大宣伝を始める。

1984年 安八水害のデータから、コンサルタント会社に依頼して、長良川の最新の現況粗度係数を算出。マニュアルではこの値で直ちに治水計算しなければならない。しかし結果は、最大大水時の水位は完全に安全ラインを下回り、「治水のためには堰不要」との結論になる。公表せず、ひた隠しにした。

1988年 木曽三川の改修100年記念事業として『木曽三川~その流域と河川技術』を発刊。頭隠して、尻隠さずで、安八水害のデータで算出した本物の「長良川の現況粗度係数」を掲載。

1989年 岐阜県は、建設省から渡された72年の河床データと「計画粗度」で計算した水位シミューレーションをパネルにして県庁正面に掲げ、「堰を造らないと、洪水の心配がある」と、住民を説得。

1990年2月 建設省が記者会見。計算根拠を明らかにしないまま、「現況の長良川は最大大水時、水位は安全ラインを1メートル弱上回り、洪水の危険がある。治水のためにあと1500万トン以上の浚渫が必要で、堰は不可欠」と説明。

1990年3月 私たちが取材で、『河床年報』を要求。「不等流計算」され、結果が露見するのを恐れた建設省は、さらなる取材対策のために、新しい「粗度係数」の算出にとりかかる。

1990年4月 新しい「粗度係数」の値を作り上げる。「4.9」の日付でペーパーを作成。この係数で計算すると、安全ラインを上回り、「堰必要」との結論にひっくり返る。

1990年6月 私たちが取材。建設省は「待ってました」とばかり、新しく算出した「粗度係数」のペーパーを示し、「この係数が正しい」として、堰建設の論拠とする。

◇朝日・名古屋本社社会部長が原稿を没に

――以上が、1990年4月、「学者一人の計算に頼って大丈夫か。建設省も役所である以上、無茶なウソをつくとは思えない。もう一度、建設省がどのような計算をし、記者発表をしたのか、これまでのルートを通じて、内情をさらに深く探れないか」との社会部長の指示に基づき、同年6月末までの補強取材で私が解明した「建設省記者会見の手の内」です。つまり、記者の取材でウソがばれそうになると、新たなウソを積み重ねる官僚の「際限ないウソの系譜」です。私が記事にしようしたのは、この内容です。

しかし、当時の私の上司、朝日・名古屋本社社会部長は、私が書いた原稿をボツにしました。建設省極秘資料により完全に裏付けの取れている取材です。ジャーナリズムの基本原則、日常業務に照らして部長がこの原稿を使わないまともな理由など説明出来る訳もありません。

とっくの昔から内定していた東京・政治部への転勤をいいことに、「おめぃは転勤だから、後任に引き継げ」と言っただけ。どこに取材の欠陥があり、記事に出来ないのか。その理由は一切説明していません。

東京でも記事を止められた後、私は1992年、豊田支局に左遷されました。支局在任中、名古屋・編集局長に記事の掲載を求める異議申し立てをした時も、局長は「社会部長やデスクを説得しろ。私は知らない」と逃げ回っただけです。

名古屋・社会部長が代わった1993年末、やっと私の取材のほんの一部が記事になりました。しかし、この時も前述のウソの系譜を書いた大半の続報は、記事にならないままでした。「何故、続報が記事にならないのか」と、担当デスクに聞いても、下を向いて肩を震わすだけだったのも、この欄の読者ならとっくにご承知だと思います。

一方、豊田支局左遷以降、人事・待遇差別も始まりました。通常3、4年、最低でも5年に次の級に昇格、給料も上がります。しかし、私は5級に8年滞留。記者職も剥奪され、1999年から5年間、来る日も来る日も読者から山のように寄せられる苦情を処理する名古屋・広報室長に留め置かれました。

◇「その話は時効だ。時効」

2004年には、名古屋本社代表に「ヒラでいいから」と記者への復帰を願い出ました。しかし、「記者に戻りたいなら、編集局に信頼回復せよ」と拒絶され、その後、2008年まで全く仕事のないブラ勤。1999年から2008年定年までの8年間も3級滞留が続き、年俸大幅ダウンの連続です。

報道弾圧をめぐり、私と朝日との第2ラウンドが始まったのも、この「信頼回復」との言葉が引き金でした。名古屋代表の説明では、私が長良川河口堰報道を復活するよう1992年、当時の編集局長に異議申し立てた行為が、「信頼回復」を求められ、記者に復帰出来ない理由だと言うことです。

当然、記事になるべきものをしなかったのは、朝日の方です。私は「読者に信頼回復すべきは、私か朝日か」と問いました。しかし、代表は答えに窮し、最後に返って来た言葉は、「その話は時効だ。時効」だけでした。

不祥事続きの2005年、私は株主総会質問をちらつかせて改めて社長に回答を求めました。やっとやって来た社長側近は、1993年に私の取材のほんの一部が記事になったことを捉え、「君は記事を止められたと言うが、記事になっている。もう決着済みの問題だ」と、子供だましの回答が返って来ました。

この朝日の言い分は2006年、私がコンプライアンス委員会に提訴した時も、同じでした。私はその度に、「記事にしたことで、朝日が正当性を主張するなら、記事にならなかった期間、私が記事にするよう異議申し立てした行為も正当と言うことになる。

何故、この申し立てをもって記者職を剥奪されるのか」「私が『信頼回復』を求められる『決着』とは、いかなる『決着』か」と、理由を問い続けました。しかし、定年までたったの一度のその答えは、朝日から返って来ていません。【後編へ】

2014年06月17日 (火曜日)

新聞に対する軽減税率の適用を求めて、新聞関係者が度を超えた政界工作を展開している。4月1日付けの『日販協月報』によると、3月7日に東京で開かれた日販協政治連盟の通常総会には、次の国会議員が参加した。

注:『日販協月報』は新聞販売店の同業組合である日本新聞販売協会の会報。

注:日販協政治連盟は、日販協の政治団体。

高市早苗(自民党政調会長)

丹羽雄哉(自民党新聞販売懇話会会長・元読売新聞記者)

漆原良夫(公明党新聞問題議員懇話会会長)

山谷えり子(自民党新聞販売懇話会事務局長)

■出典:日販協月報(4月1日)?応援に駆け付けた国会議員あいさつ

新聞業界が目指しているのは、消費税率が10%にアップされる際に、現在の8%から5%への引き下げを勝ち取ることである。8%の据え置きではない。

◇知的インフラ=新聞購読の幻想

軽減税率をめぐる一連の運動で、新聞関係者が口をそろえて主張している内容は、新聞離れが進むと「活字文化や知的インフラの崩壊」を招くというものである。なかには、日本人の知的水準が高いのは、宅配により新聞が普及しているからだという意見もある。

わたしに言わせれば非科学的で、主観的な論理である。知力とは何かという定義があいまいなうえに、何を根拠に新聞が「知的インフラ」の基礎だと結論付けたのかさっぱり分からない。これでは酒に酔って奇論をぶちまけるのと同じだ。

必ずしも記憶力=知力ではない。昔はそんなふうに考えられていた。が、今はむしろ知力=思考力=創造力と考えるのが、世界の常識になっている。新聞を読むから、「知力」が発達するという考えは、論理が飛躍している。

書かれた内容がダメな読み物は、読まないほうが無難。新聞に頼っていたのでは、消費増税、法人税の引き下げ、混合医療の導入、TPP参加、改憲などの政策が、アベノミックス「第3の矢」であることにすら気づかない。

ウォルフレンの著著に『民は愚かに保て』と題するものがあるが、今、安倍首相が進めているのが、新聞・テレビを利用したいわゆる「愚民政策」にほかならない。

 

■参考記事:MyNewsJapan】「新聞に軽減税率」推進の公明党から、新聞社系印刷会社に14億4千万円――新聞社は“公明新聞・聖教新聞の下請け印刷会社” 

2014年06月16日 (月曜日)

6月7日付けのSankeiBiz によると、新聞に対する軽減税率の適用を認めるべきか否かの政策決定をめぐって、超党派の国会議員たちが、適用の方向で運動を展開しているようだ。同ウエブサイトは、次のように議員の動きを伝えている。

新聞や書籍の普及を進め活字離れに歯止めをかけたいと、公益財団法人「文字・活字文化推進機構」と図書議員連盟、活字文化議員連盟、子どもの未来を考える議員連盟の4団体が6日、国会内で集会を開き、消費税率引き上げに伴う軽減税率の導入と新聞、書籍、雑誌への軽減税率適用を求める緊急アピールを採択した。

集会には自民、公明、民主、日本維新の会などの国会議員や業界関係者など300人超が集まった。

■出典

一方、インターネット上の「国民投票」によると、96%の人が適用に反対している。

■参考:インターネット国民投票

もっとも「インターネット国民投票」は、投票者の全員がインターネットの利用者であるから、旧世代のメディア?新聞に否定的な立場を取る人が多い事情を考慮すると、この数字が必ずしも国民全体の意識を正確に反映したものであるとは言えないが、しかし、大半の国民がインターネットの利用者であることからすれば、やはり一定の傾向を示していることは間違いない。

まもなく新聞をめぐるこの議論にも、結論が出るだろう。

◇議論の前提として「押し紙」問題の検証を  

わたしは新聞に対する軽減税率の適用には、反対の立場を取っている。それは次のような理由による。

?新聞が消費増税の導入を煽ってきた事実。

?新聞業界が「押し紙」問題を隠している事実。

?新聞業界が折込サギを隠している事実。

?と?を改めるだけで、新聞販売店の経営は改善する。また、?と?は刑事罰の対象となる汚点なので、政治家、警察、それに公取委がこの問題を逆手に取れば、新聞とその系列テレビ局に、暗黙の言論統制をかけるための道具になりかねない危険性がある。新聞が公権力の批判をすれば、その報復として、公権力は?と?を合法的に取り締まる可能性が高い。これでは国民に対して真実を報道できない。

このような裏事情を知らない情報の受け取り手である国民は、恣意的な情報により世論誘導されかねない。

?新聞業界が政治家に対して多額の政治献金を行っている事実

?新聞人と安倍首相が会食を行っている事実

?一部の新聞社が、対抗言論に対して裁判を多発させるなどの方法で、「言論弾圧」とも解釈できる暴挙に走っている事実。

軽減税率をめぐる議論の前提として、まず、「押し紙」問題と折込チラシの詐欺を検証する必要がる。

◇ 広告主と国会議員にダイレクトメールを

「『押し紙』&折込チラシ詐欺の専門サイト」 は、文字通り、「押し紙」問題と折込サギを告発するサイトである。わたしがこのサイトを立ち上げた目的は、広告主や国会議員に日本の新聞社がかかえる構造的な問題を直接伝えることである。

新聞・テレビを盲目的に擁護している自民、公明、民主、日本維新に対抗して、わたしは大口の広告主企業を中心に、「『押し紙』&折込チラシ詐欺の専門サイト」をPRしていこうと考えている。もちろん、国会議員にもダイレクト・メールで、このサイトの存在を知らせる予定だ。

新聞がジャーナリズムを逸脱した根本的な原因は、「押し紙」と折込チラシ詐欺を柱としたビジネスモデルの誤りにある。新聞ジャーナリズムは、新聞社の経営構造の上に立脚しているわけだから、その土台に決定的な欠点があれば、それを修正しない限り、「再生」することはできない。

重大な問題を声を大にして知らせるのが、ジャーナリズムの役割である。

2014年06月15日 (日曜日)

 

2014年5月24日13時〜 ロフトプラスワン?ウエスト(大阪市)

【出演】志岐武彦氏、黒薮哲哉氏

2014年06月13日 (金曜日)

いまや民主国家では常識になっているのが情報公開制度である。これは、役所が保持する文書(たとえば、自治体の経理関係資料、議会の議事録など)の開示を住民が求めた場合、プライバシーや個人情報など若干の項目に抵触しない限りは、原則的に全面開示に応じる制度である。

■参考:情報公開法

情報公開請求は、国民の権利として法律で認められているのである。

ところが情報公開のルールが、裁量により堂々と踏みにじられているという声が上がっている。しかも、開示を請求してから、実際に役所が資料を開示するまでにかなりの時間を要す場合がままある。わたしも最高裁に対して、繰り返して情報公開を請求してきたが、開示まで半年ぐらいを要す。

民間企業であれば、1日で片づける作業を、のらりくらりと半年、あるいはそれ以上の時間を費やしてやっているようだ。しかも、肝心な情報を隠してしまう例が後を絶たない。

◇検察審査会のOB会  

情報開示の求めを裁量で処理した結果、思わぬ「ミス」から役所の信用を完全に失墜させた具体例を紹介しよう。この件に関する資料を提供して下さったのは、市民オンブズマンいばらぎの元副会長・石川克子氏である。

 ■石川氏が情報公開請求した資料:全国検察審査協会連合会の役員名簿

 ■請求先:最高裁

全国検察審査協会連合会(全検連)というのは、検察審査会で審査員(有権者からくじ引きで選ばれる)を務めた人々のOB会である。肝心の審査プロセスでは、審査員の名前も審査の開催日も告知しない秘密に徹した運営をしていながら、不思議なことにOB会を作り、定期的に大会を開いている。ツアーなど娯楽にも余念がない。これでは守秘義務どろこではないだろう。

※検察審査会の管轄は、最高裁事務総局である

今年の大会は、5月26日に熊本市の「熊本ANAクラウンプラザホテル・熊本ニュースカイ」で開かれ、来賓として、日弁連の村越進会長も駆けつけている。

東京第5検察審査会の小沢検審で「架空議決」の疑惑が浮上していることは、MDKでも繰り返し報じてきた。石川氏が、全検連の役員名簿を開示するように求めたのは、検察審査会の実態を調査することが目的ではないかと思う。

◇非開示にした名前が広報紙に登場していた

石川氏の請求どおり、役員名簿は開示された。しかし、みごとな「黒塗り」のオンパレードだった。だれが全検連の役員を務めているのかは、完全に隠蔽されたのである。

■参考:黒塗りにされた開示資料

役員名は個人情報には違いないが、公人でもある。さらに滑稽なことに、最高裁の広報紙に全検連の高野武会長が実名で登場していたのだ。次のページである。

■参考:対談の全文

このような実態を踏まえて、石川氏は2つの問題点を指摘する。

1.裁判所の広報紙には全検連会長の氏名と顔写真を掲載しておきながら 情報公開開示文書の役員名簿は真っ黒にして出すのは整合性がない。

2.高野武氏は、2014年5月時点で全検連の会長であるということ。 裁判所の協力団体の代表氏名をなぜ黒塗りにするのか理解できない。

2014年06月12日 (木曜日)

今年に入ってから、路上で警察に職務質問をされたという話があちこちから聞こえてくる。こんなことはかつてはなかった。安部政権がスタートした後に、顕著になってきた現象にほかならない。昨年12月に、特別秘密保護法が成立したのちに浮上した現象である。

しかも、その職務質問のやりかたが、スパイを連想させる尋常を逸したものになっている。昨日(11日)、東京のJR池袋駅の地下で、たまたま職務質問の場面を目撃した。

地下道を歩いているとき、前方から、ジーンズとTシャツという身軽な服装の男性ふたりが近づいてきた。どこでもみかける若者である。このうちのひとりは、準スキンヘッド。とても警官とは思えない。むしろ「プ―太郎」のイメージがあった。

当然、わたしは気に留めることもなかった。と、二人は突然に申し合わせたように速足でひとりの青年に近づいた。ポケットからさっと何かを取り出すと、青年に示して、

「警察の者ですが・・・」(後はよく聞き取れなかった)

警察手帳を示したのである。

11月6日には、東武東上線の成増駅(板橋区)で、2人の制服警官が外国人に対して、登録証明書を示すように求めている場面を目撃した。その数日前には、わたし自身が朝霞市内で自転車に乗っていたところ、パトカーの警官に呼び止められ、自転車の登録の確認を求められた。

自分自身が体験したり、目撃した限り、警官が横柄な言葉づかいをすることはなかった。極めて紳士的な態度を示す。しかし、警察が市民を厳しく監視するようになっていることは紛れもない事実である。

◇読売防犯協力会

警察による市民の監視活動は巧妙になっている。実は、防犯を口実に、新聞販売店を通じても防犯活動は行われてきた。読売防犯協力会のケースは、MDKで繰り返し取り上げてきたが、見過ごせない問題なので、再度、検証してみよう。

読売防犯協力会は、読売新聞販売店と警察が協力して、防犯活動を展開する 制度の母体である。新聞配達や集金に携わる新聞人が、配達時や集金先で「あやしげな人間」をみかけたら、警察に通報するシステムになっている。

同協会のホームページによると、活動目標は次の4点である。

?1.配達・集金時に街の様子に目を配り、不審人物などを積極的に通報する

?2.警察署・交番と連携し、折り込みチラシやミニコミ紙などで防犯情報を発信する

3.「こども110番の家」に登録、独居高齢者を見守るなど弱者の安全確保に努める

4.警察、行政、自治会などとのつながりを深め、地域に防犯活動の輪を広げる

読売防犯協力会と覚書を交わしている全国都道府県の警察は次の通りである。

■覚書を交わした警察のリスト  

◇朝日も警察に協力

読売以外の販売店も警察に協力 ? しかし、警察との協力関係を構築しているのは、読売新聞販売店だけではない。日本新聞協会そのものが、警察との協力関係を奨励し、読売以外の新聞販売店も同じようなことをやっている。具体例を紹介しよう。

?東京都板橋区に新聞販売店で組織する板橋新聞販売協同組合という組織がある。この組合(販売店)も、地元警察と協力して防犯活動に取り組んでいる。この活動に対して日本新聞協会は、2007年、地域貢献大賞の奨励賞を贈っている。(参考記事)  

?また、北海道のASA手稲東部、ASA発寒、ASA稲穂、ASA八軒、ASA西野に対しても警察と協力して地域パトロールなどの活動を行ったとして、地域貢献大賞・奨励賞を贈っている。読売だけではなくて、規模こそ小さいが朝日も同じことをやっているのだ。(参考記事)

?さらに2008年には、「警察署の防犯活動に長年にわたり協力」したとして、京都新聞洛南販売所の松井憲昭所長に地域貢献賞を贈っている。(参考記事)

◇非常識な警察と新聞社の関係

しかし、警察との協力関係を構築しているのは、読売新聞販売店だけではない。日本新聞協会そのものが、警察との協力関係を奨励し、読売以外の新聞販売店も同じようなことをやっている。

そもそもジャーナリズム企業は、公権力を監視するのが役割である。ところが日本の場合、新聞社と巨大権力?警察が協力関係にあるのだ。新聞関係者には、それが「異常」という認識がないようだ。それ自体が常識では考えられないことである。

新聞社と警察が特別な関係を構築している状況の下で、新聞社が取材で得た情報の漏えいをどう防ぐのかも疑問が残る。

2014年06月11日 (水曜日)

熱帯魚にLEDを照射し続けたところ腫瘍ができた。わたしが自宅で飼育している熱帯魚の水槽にLEDを使ったところ、4カ月で水草が黒くなってしまったのに続いて、熱帯魚の一匹に腫瘍ができたのだ。水草の異変については、今年の1月17日付けMDKで既報した。

これは実験ではなくて、わたしが電気代を節約するために、水槽の照明を蛍光灯からLEDに切り替えた結果、たまたま観察された現象である。

腫瘍の大きさは、7ミリ程度。死んでから写真を撮ろうと思っていたが、腫瘍が進行して体が弱ったのが原因らしく、他の熱帯魚から攻撃され、ちょうど腫瘍の部分を咬み取られ、死んでしまった。

◇体調不良の訴え  

いまや照明の主流となっているLEDであるが、同時に危険性も指摘されるようになっている。携帯電話と同様に人体影響についての研究の進展よりも、普及のスピートの方が早い。   ? 2010年8月26日付け日本経済新聞は、「法の“空白地帯”でLEDトラブル、札幌市 」と題する次のような記事を掲載した。

急速に普及し始めたLED(発光ダイオード)照明。ところが、性能を定めた規格や基準の法整備が追い付いていない。庁舎内の蛍光灯をLED照明に交換した札幌市役所で今春、象徴的なトラブルが起こった。

札幌市が市役所の執務室や廊下にある約9000本の蛍光灯を直管型LED照明に取り換えたのは2010年3月のこと。その直後、一部の職員が「目が疲れる」「気分が悪い」といった体調不良を訴えた。市がアンケート調査した結果、「業務に支障がある」と答えた職員が7.4%に及んだ。

■出典=日本経済新聞

◇高度経済成長の時期に空白になった奇形植物の研究

しかし、LEDに関する安全性の検証は、ほとんど行われていないのが実情である。その背景に電気メーカーに対する政治的配慮があるのではないか。研究が禁止されているわけではない。が、このような研究を大学人が続けると、広義の構造改革の中で行われた大学「改革」により、裁量による補助金をカットされる危険性がある。従って研究者は、敢てこのような分野には切り込めない。

安全性に関する研究は、国策の影響を受けやすい。

■参考:大学評価による補助金算定方式

先日、わたしは国立国会図書館のコンピューターで、「奇形植物」に関する記事を検察した。その結果、驚くべきことに、確か6件しか表示されなかった。しかも、日本が経済成長のレールの上を走り始めた時期(1950年代後半)から、2004年までの間が、ほぼ空白になっていたのだ。

たとえば1950年の8月に『採集と飼育』という雑誌が奇形植物の特集を組んでいる。記事の中では、すでに奇形の原因として環境要因が指摘されているのに、1974年11月の『科学朝日』のグラビア記事「道路に沿って増える奇形植物」を例外として、その後、2004年の週刊金曜日に掲載された加藤やすこ氏の記事までが、空白になっていたのだ。

奇形の原因として、環境汚染が指摘されると、経済成長を優先する国策に支障をきたすから、研究者らも「自粛」したということではないだろうか?

改めて言うまでもなく、わたしは自宅の照明をすべてLEDから蛍光灯に戻した。

2014年06月10日 (火曜日)

MEDIA KOKUSYOで、疑惑の「デパート」として繰り返し報じてきた東京第5検察審査会(以下、第5検審)が、福島原発訴訟に「介入」している。

福島原発訴訟の不起訴に対して、原告ら約6000人が不起訴撤回を求めておこなった「審査申立」を、疑惑の第5検審が担当している事実をご存知だろうか。

◇検察審査会の「闇」

検察審査会というのは、「検察」の名前を付しているが、最高裁事務総局が管轄する機関である。役割は、検察が不起訴にした事件で、異議が申し立てられたときに、起訴が相当かどうかを審査し、結論を出す機関である。

審査員は、有権者から「くじ引き」で選ばれる。

起訴相当の判断が下された場合は、検察が容疑者を再調査する。その結果、再び不起訴という結論になれば、申し立てを行った者は、再度、検察審査会に審査を申し立てることが認められている。そして審査委員たちが2度めの起訴相当の判断を下した場合、検察の方針とは無関係に、容疑者は強制起訴される。

その典型例が小沢一郎氏である。小沢氏は、陸山会事件で検察の取り調べを受けた後、不起訴になったが、検察審査会への審査の申し立てがあり、第5検審が担当した。そして「審査員」らが2度にわたって起訴相当との判断を下したために、強制起訴されたのである。

ところが起訴が決定した日と、小沢氏が立候補していた民主党代表選の日(2010年9月14日)が重なったために不信感をいだいた志岐武彦氏(『最高裁の罠』の著者)らが、情報公開制度を利用して、膨大な内部資料を入手し、第5検審の実態を調べたところ、帳簿上でしか審査員が存在しなかった疑惑が浮上したのである。

情報公開された資料の整合性を専門家をまじえ、綿密に検証する中で、「架空の審査会」であったことを推論するに十分な証拠が浮かび上がったのだ。

審査員が存在しなかったということは、最高裁事務総局か、検察審査会の事務局が自分で、起訴か不起訴を決めて容疑者を法廷に立たせ、裁判官が判決を書くという茶番劇がまかり通ることになる。戦後民主主義の評価にかかわる大問題が浮上したのである。

第5検審にかかっている重大疑惑の詳細については、後述するとして、福島原発訴訟が第5検審に割り当てられるまでの経緯を簡単にたどってみよう。

◇福島原発訴訟の経緯

2012年6月11日:1324人が福島地検の第1次告訴を行った。

2012年11月15日:13,262人が福島地検の第2次告訴を行った。

2013年9月9日:福島地裁が東京地検に事件を移送し、東京地検が不起訴を決めた。

「移送」とは、事件の担当を他の地検へ変更すること。つまり福島地裁では扱い切れない大問題ということで、東京地検へ移送した可能性が高い。移送が誰の指示によって行われたのかは不明。

2013年10月16日:東京検察審査会に、3名が審査申し立て

2013年11月22日:東京検察審査会に、5737名が審査申し立て

◇東京検察審査会  

東京検察審査会には、1部から6部がある。そして福島原発訴訟の審査申し立ては、いわくつきの第5検審に割り当てられたのである。

第5検審には、具体的にどのような疑惑がかかっているのだろうか。以下、過去の記事の重複(紫文字の部分)になるが、引用してみよう。[紫文字]

【1】すでに述べたように、検察審査員は有権者から選ばれる。その意味では、裁判員を選ぶ裁判員制度に類似している。ところが委員を選ぶパソコン上の「くじ引きソフト」が、いかさまであることが判明している。これはあえて「いかさま」と断言してもほぼ間違いない。

森裕子氏が国会議員の職権で「くじ引きソフト」を調査したところ、手動で委員候補の名前や年齢が入力でき、しかも、くじ引きが終了した時点で、候補者名が全部消える仕組みになっているのだ。もちろん候補者を恣意的に「不適切」と決めつけて、排除することもできる。その記録も残らない。

この驚くべき仕組みは、森裕子氏の『検察の罠』(日本文芸社)に詳しい。

つまり検察審査会の「くじ引きソフト」を使えば、恣意的に委員を「選べる」のだ。『最高裁の罠』で志岐氏が指摘しているように、その気になれば、架空の審査員を選び、架空の起訴議決を下すこともできる仕組みになっているのだ。

改めていうまでもなく、架空の審査員を選んだり、架空の起訴議決を行うのは、最高裁事務総局の監督下にある検察審査会事務局である。つまり最高裁事務総局が、容疑者を「起訴」して、裁判所が有罪の判決を下すことが、理論上、可能になっているのだ。これは軍事裁判に等しい。

小沢一郎氏に対する起訴議決は、架空だった可能性が極めて高い。少なくとも、そんなふうに推論できるだけの十分すぎる裏付け資料がある。

【2】小沢一郎氏の事件を担当したのは、東京第5検察審査会(第5検審)である。この第5検審は、新設である。次に述べるように、「新設」の事実は極めて重い意味を持つ。

2008年1月22日付け『日経新聞』によると、当時、全国の検察審査会を50ヶ所廃止するものの、大都市部には14ヶ所増設する再編案が発表され、2009年5月までに実施される予定になっていたという。

小沢事件が所属した第5検審は、新設の検察審査会である。なぜ、新設の検察審査会が割り当てられたのだろうか。この「謎」は、委員の任期が6カ月で、2分の1が半年ごとに交代する規則に照らし合わせると解ける。

委員の2分の1が半年ごとに交代するのであるから、既存の検察審査会では、「くじ引きソフト」で架空の委員を選ぶことができない。残留する委員がトリックに気付くからだ。架空の委員を選ぶためには、どうしても、新設の検察審査会を設置する必要があったのだ。

第5検審が架空で、小沢氏に対する起訴議決は架空だったという推論の根拠のひとつである。

ちなみに都市部で検察審査会の増設が行われた時期は、小泉構造改革で格差社会や貧困が深刻になり、自民党が政権崩壊の危機にさらされていた時期である。民主党の台頭が予測されていた。

そして、既に述べたように、2009年5月までに新設の検察審査会の運用が始まる計画になっていたのだ。この「2009年5月」とは、どのような時期なのだろうか?

民主党政権が誕生する4カ月前である。つまり政権を取る可能性が強くなっていた民主党対策として、検察審査会が新設された可能性も否定できないのである。ちなみに、小泉内閣の下で発足した司法制度改革推進本部の本部長は小泉純一郎首相だった。

■司法制度改革推進本部の本部員

小沢氏は、第5検審に割り当てられ、鳩山由紀夫元首相(不起訴)は、やはり新設の第4検審に割り当てられた。

福島原発訴訟の容疑者が起訴される可能性は、ほとんどない。不起訴を前提にして、最高裁事務総局が、この事件を第5検審に割り当てた可能性が高い。

2014年06月09日 (月曜日)

日弁連が設けている政治団体から、政界に対して総額850万円の政治献金が行われていたことが分かった。

昨年の11月に公開された2012年度の政治資金収支報告書によると、日弁連の政治団体である日本弁護士政治連盟は、総額850万円の政治献金を自民党、民主党、公明党、みんなの党、「国民の生活が第一」、それに日本維新の会の6党に所属する約100名の議員に支出している。

献金先の大半は、議員が支部長を務める政党支部の住所になっているので、調査しなければ、議員名を特定できないが、実名が明記されている有力議員は次の方々である。

えだの幸男(民)

菅直人(民)

岡田克也(民)

山花郁夫(民)

仙石由人(民)

平野博文(民)

稲田朋美(自)

太田昭宏(公)

漆原良夫(公)

平沼赳夫(維新)

献金の名目は、いずれも「寄附」である。詳細は次のPDFの通りである。

■政治資金収支報告書

◇ 遠のくスラップ禁止法

献金の目的を特定することはできないが、一般論からいえば、献金元の業界に有利な政策を望んで、金銭を支出する。法的に違法性はないが、政治倫理の問題にかかわるあるまじき行為である。国民の側からすれば、献金が原因で人権をないがしろにする法律を施行されたり、必要な法律の成立を妨げられることにもなりかねない。

たとえばスラップを禁止する法律の制定を求める一定の世論があるが、政治献金を受けた政治家は、この種の法律の制定には尽力しない可能性が高い。名誉毀損訴訟で「稼ぐ」弁護士が存在するからだ。スラップ禁止法は、「訴訟ビジネス」の敵にほかならない。

名誉毀損裁判は、「訴えた者が勝ち」と言われるほど、原告が有利な法理になっている。そのために高額の名誉毀損訴訟の「請負人」になり、収入を得ている弁護士もいる。もちろん、こうした「訴訟ビジネス」は、モラルが欠落した一部の弁護士の得意分野であるが、弁護士人口が増えすぎた現在の状況の下で、今後、稼ぎ口になる危険性がある。

参考記事:政界進出狙う宇都宮健児氏、日弁連も政界へ献金 献金先の政治家同士で国会質疑の茶番劇も 

◇請求額の高額化  

名誉毀損裁判の賠償請求額や賠償額が高額化していることは周知の事実である。たとえば最近では、ユニクロが文春に請求した2億2000万円の訴訟やレコード会社31社が作曲家・穂口雄介氏に請求した2億3000万円の訴訟などが起きている。その他、武富士、オリコン、読売といった企業が個人に対して5000万円、1億円といった規模の高額訴訟を起こしてきた。

わたしの場合は、読売(渡邊恒雄主筆)から総額で約8000万円を請求された。

文章表現にはトリッキーな要素があり、たとえば新聞は「1億円の賠償金を請求した」と書くが、次のような表現に置き換えた方が、異常な実態がピンとくる。

 一億円のお金を現金払いするように要求した。

まるでヤクザの世界である。全財産をよこせ、ということである。それをネクタイを締めた「知能犯」が、やっているだけのことだ。

このような実態になったひとつの原因は、広義の新自由主義=構造改革の柱として浮上した司法制度改革だった。国境なき時代の国際スタンダードに合致させ、多国籍企業(特に米国)を誘致するための条件づくりのなかで、司法制度改革が行われてきたのだが、その中で高額訴訟を正当化する論理が登場したのである。

2001年6月に発表された司法制度改革審議会意見書にも、賠償額の高額化の必要性を述べた記述がある。

損害賠償の額の認定については、全体的に見れば低額に過ぎるとの批判があることから、必要な制度上の検討を行うとともに、過去のいわゆる相場にとらわれることなく、引き続き事案に即した認定の在り方が望まれる(なお、この点に関連し、新民事訴訟法において、損害額を立証することが極めて困難であるときには、裁判所の裁量により相当な損害額を認定することができるとして、当事者の立証負担の軽減を図ったところである。)。 ?

? ところで、米国など一部の国においては、特に悪性の強い行為をした加害者に対しては、将来における同様の行為を抑止する趣旨で、被害者の損害の補てんを超える賠償金の支払を命ずることができるとする懲罰的損害賠償制度を認めている。しかしながら、懲罰的損害賠償制度については、民事責任と刑事責任を峻別する我が国の法体系と適合しない等の指摘もあることから、将来の課題として引き続き検討すべきである

◇弁護士懲戒請求  

日弁連が弁護士懲戒請求に対して、極めて消極的であることは言うまでもない。参考までに次の記事を参考にされたい。

喜田村洋一弁護士に対する懲戒請求 日弁連が黒薮の異議申立を棄却 ずさんで舌足らずな決定書の文面

2014年06月06日 (金曜日)

他人の書いた文章を学問的に分析し、言葉じりを捉えては、やれ「名誉毀損だ」、やれ「プライバシーの侵害だ」、やれ「肖像権が侵された」と理屈をこね、「1000万円のお金を払え」、「いや、その表現は5000万円だ」と、高額訴訟をふきかけてくる弁護士が増えている。勝訴を請け負いますと言って、訴訟を勧める。そして訴状には、「回復が不可能なほど心の傷を負った」といった幼稚な誇張・慣用表現を散りばめる。

こんな風潮が日本に生まれたために、言論・表現の自由の幅がどんどん狭まっている。ある意味では、戦前よりも言論が萎縮している。

次に引用するのは、戦前に太宰治が書いた「如是我聞」と題するエッセイである。われわれの世代よりも、よほど自由闊達な精神が読み取れる。志賀直哉を批判した文章であるが、かりに志賀が生きていれば、弁護士が志賀邸を訪れて、「先生、ひとつ裁判をやりましょう。勝訴を請け負います」とひそかに話を持ちかけるのではないか。無論、志賀がこんな話に乗るはずがないが。

或る雑誌の座談会の速記録を読んでいたら、志賀直哉というのが、妙に私の悪口を言っていたので、さすがにむっとなり、この雑誌の先月号の小論に、附記みたいにして、こちらも大いに口汚なく言い返してやったが、あれだけではまだ自分も言い足りないような気がしていた。いったい、あれは、何だってあんなにえばったものの言い方をしているのか。

普通の小説というものが、将棋だとするならば、あいつの書くものなどは、詰将棋である。王手、王手で、そうして詰むにきまっている将棋である。旦那芸の典型である。勝つか負けるかのおののきなどは、微塵もない。そうして、そののっぺら棒がご自慢らしいのだからおそれ入る。(略)

この者は人間の弱さを軽蔑している。自分に金のあるのを誇っている。「小僧の神様」という短編があるようだが、その貧しき者への残酷さに自身気がついているだろうかどうか。ひとにものを食わせるというのは、電車でひとに席を譲る以上に、苦痛なものである。何が神様だ。その神経は、まるで新興成金そっくりではないか。(略)

「暗夜行路」  大袈裟な題をつけたものだ。彼は、よくひとの作品を、ハッタリだの何だのと言っているようだが、自分のハッタリを知るがよい。その作品が、殆んどハッタリである。詰将棋とはそれを言うのである。  何処がうまいのだろう。ただ自惚れているだけではないか。風邪をひいたり、中耳炎を起こしたり、それが暗夜か。実は不可解であった。まるでこれは、れいの綴方教室、少年文学では無かろうか。それがいつのまにやら、ひさしを借りて、母屋に、無学のくせにてれもせず、でんとおさまってけろりとしている。(略)

太字の箇所を事実摘示だと主張して、提訴するのが、名誉毀損裁判である。

※青の太字は黒薮が印した。

ちなみに高額名誉毀損訴訟の流れを作ったのは、新聞業界からも献金を受けていた公明党の漆原良夫議員である。参考までに次の一文を引用しておこう。

私は過日の衆議院予算委員会で、メディアによる人権侵害・名誉毀損に対し、アメリカ並みの高額な損害賠償額を認めるよう森山法務大臣へ求めました。  善良な市民が事実無根の報道で著しい人権侵害を受けているにもかかわらず、商業的な一部マスメディアは謝罪すらしていません。  

これには、民事裁判の損害賠償額が低い上、刑事裁判でも名誉毀損で実刑を受けた例は極めて少なく、抑止力として機能していない現状が一因としてあります。  私は、懲罰的損害賠償制度を導入しなくとも現行法制度のままで、アメリカ並みの高額な損害賠償は可能であると指摘しました。これに対し、法務大臣は、「現行制度でも高額化可能」との認識を示しました。

出典:http://urusan.net/akahige/akahige1405.htm

「如是我聞」は『もの思う葦』(新潮文庫)に収録されている。

2014年06月05日 (木曜日)

新聞の発行部数が不透明な問題は、昔から取り沙汰されてきた。新聞販売店へ搬入される新聞に、「押し紙」(偽装部数)が含まれているために、実際に配達されている新聞部数は、外部からでは分からない。

読売には「押し紙」が1部も存在しないことを裁判所が認定した判例(東京地裁・村上正敏裁判長)もあり、日本にあるすべての新聞社が「押し紙」政策を続けてきたとはあえて断言しないが、新聞業界の慣行になってきたことは、紛れもない事実である。

さもなければ「押し紙」専門の回収業が産業として成立するはずがない。

不透明な新聞の発行部数により不利益をこうむるのはだれなのか?それはほかならぬ広告主である。公共広告の場合は、納税者が間接的な広告主ということになる。

紙面広告の掲載価格は、新聞の発行部数により決定する原則がある。特に公共広告の場合は、この原理が厳密に守られている。次のデータは、最高裁が2010年に広告代理店・電通から受け取った裁判員制度の新聞広告の請求書である。これを見ると発行部数と価格の関係がよくわかる。広告のサイズは、15段(全面)である。掲載回数は各紙とも2回。

読売新聞:1億510万円

朝日新聞:  8962万円

毎日新聞:  6274万円

産経新聞:  3090万円

■オリジナル資料PDF=ここをクリック?

業務を請け負った広告代理店は、すでに述べたように電通である。同社からの最高裁に対する請求の総額は、地方紙を含む他メディアを総計する約6億5400万円である。

◇「押し紙」率36%を示す決定的証拠 ?

「押し紙」の決定的な証拠を示そう。次に紹介する資料のタイトルは、「朝刊 発証数の推移」。資料上にわたしが記した赤と青のマークに注目してほしい。

■朝刊 発証数の推移

赤:全国の毎日新聞販売店へ搬入される新聞部数を示している。約395万部である。

青:「発証」とは、販売店が読者に発行する新聞購読料の領収書である。約251万枚である。

つまり395万部が販売店に搬入されているのに、領収書は251万枚しか発行されていないのだ。両者の差異にあたる144万(部)が、「押し紙」である。率にすると36%である。 この数字は2002年10月のものである。12年前のデータであるから、新聞離れが急速に進んでいる現在の時点では、さらに「押し紙」が増えている可能性が高い。

このように疑問点が多い公称部数をベースにして、公共広告の代金が支出されているのである。

これでは日本の政治を本気で批判できるはずがない。「政府広報」に徹せざるを得ないのである。

2014年06月04日 (水曜日)

冒頭の動画は、MEDIA KOKUSYOで何度か紹介したことがある「折込サギ」の実態を撮影したものである。「折込サギ」、あるいは「折り込めサギ」とは、新聞に折り込む契約を交わしたチラシ(折込広告)の一部を、秘密裏に廃棄する行為である。料金を徴収しているので、サギにあたる。

このような行為の温床となっているのは、新聞社のビジネスモデルである。  販売店へ搬入される新聞の部数と折込チラシの受注枚数を一致させる原則がある。たとえば販売店に2000部の新聞を搬入する場合、折込チラシの受注枚数も2000枚になる。

◇素人が2時間で撮影

ところが販売店に搬入された新聞は、すべて配達されているわけではない。ABC部数をかさ上げするために、実際に配達する新聞部数を上回る部数を販売店へ搬入するのが半ば慣行化している。こうして過剰になった新聞を「押し紙」という。

すべての新聞社がこのような商慣行を採用しているわけではないが、半ば慣行化しているというのが一般的な見方だ。俗にいう「新聞の闇」である。

上記の例でいえば、たとえば販売店に搬入される2000部の新聞のうち、配達されている部数が1200部とする。このケースでは、800枚のチラシが水増し状態になる。そこでこれらのチラシをタンボールに詰め込んだり、新聞で包装して、古紙回収業者に引き渡すことになる。

冒頭の動画は、山陽新聞の販売店で、段ボールに梱包した折込チラシを搬出する場面を、元店主が撮影したものである。撮影時間は準備も含めて2時間。このような画像は、問題意識がなければ、テレビ局に40年勤務しても撮れない。それを素人が2時間で撮影した。

なお、画像中の段ボールを、山陽新聞の販売会社が提供していた事実が、店主が起した「押し紙」裁判の中で認定されている。

参考押し紙」&折込チラシ詐欺の専門サイト