2014年09月08日 (月曜日)

フリーランスのジャーナリストや編集者、それに写真家など43名が起こしている特定秘密保護法違憲訴訟の第2回口頭弁論が、9月17日11時から東京地裁第803号法廷で開かれる。わたしもこの訴訟の原告団に加わっている。

周知のように特定秘密保護法は、国会で十分な審議を重ねることなく、昨年の12月に成立した。

この法律は、行政機関の長が「特に秘匿することが必要である」と判断した事柄を、「特定秘密」として指定し、それを取り扱う者が適正に対処する資質を備えているかを評価したり、漏えいした場合の罰則などを定めたものである。「特定秘密」に指定された情報を入手しようと試みる行為も処罰の対象になる。報道関係者にとって特に脅威なのは、情報入手に関する法的規制である。

ちなみに具体的に何が特定秘密に指定されているかも、「秘密」である。知りようがない。それにもかかわらず特定秘密保護法に違反した場合は、法廷に立たされ、最高で、10年の「ブタ箱ぐらし」の判決を受ける。

フリーランスとしてジャーナリズム活動に従事している者にとっては、取材活動に対する「合法的」な言論妨害にほかならない。施行されると、フリーランスとしての活動そのものが出来なくなる。

◇「出版又は報道の業務に従事する者」とは?

確かに特定秘密保護法では、「出版又は報道の業務に従事する者の取材行為」に、免責が与えられることになっている。しかし、問題は、「出版又は報道の業務に従事する者」の定義である。

結論を先に言えば保護の対象になるのは、新聞社やテレビ局など、いわゆる企業に所属して、記者クラブを組織している人々である。それ以外の「取材者」、たとえばフリーランスのジャーナリストやブロガーは、対象にならない可能性が高い。

たとえば公募のノンフィクション作品に応募するために、大学生が福島原発に潜入して現場の内情を曝露する。ところが原発に関する情報が、テロ防止を理由に特定秘密に指定されていた。

この場合、大学生は「出版又は報道の業務に従事する者」ではないので、処罰の対象になる。

◇自称フリーライター

一方、出版業界の片隅にいるとはいえ、一応出版実績のあるライターはどのような扱いを受けるのだろうか。「出版又は報道の業務に従事する者」とみなされるのだろうか?

わたし自身の例を紹介しよう。わたしは共著を含めると20冊を超える単行本を出版しているが、それでも「自称フリーライター」ということになっている。「自称」とは、本当はフリーライターではないという意味である。

これまでにわたしは公の場で、2度にわたって「自称フリーライター」のレッテルを張られた。

まず、最初は2009年7月だった。週刊新潮に掲載した「押し紙」問題に関する記事に対して、読売が名誉毀損裁判を起こしてきたのであるが、読売の代理人だった喜田村洋一・自由人権協会代表理事と藤原家康自由人権協会事務局長が執筆した訴状の中に次のような記述があった。被告について述べた部分である。

(2)被告株式会社新潮社(以下「被告新潮社」という)は書籍および雑誌の出版等を目的とする会社であり、『週刊新潮』を発行している。
被告黒薮哲哉(以下「被告黒薮」という)は、ジャーナリストと称している

■出典:訴状(2ページ)

「ジャーナリストと称している。」という表現には、「称しているが、そうではない」というニュアンスがある。正当な日本語では、「ジャーナリストである」と表現する。

ふたつ目のケースは、上記裁判の提訴を報じた毎日新聞の記事である。冒頭の部分を引用しておこう。

新聞の販売部数を巡る「週刊新潮」の記事は真実と異なり名誉棄損(黒薮注:「棄損」は誤字。正しくは「毀損」)に当たるとして、読売新聞社は8日、発行元の新潮社と執筆した自称フリーライター黒薮哲哉氏に約5500万円の損害賠償と謝罪広告を求め、東京地裁に提訴した。

■出典

ちなみに毎日の件に関しては、毎日新聞社の第3者機関である「開かれた新聞委員会」に抗議したが謝罪すらなかった。委員の一人だった上智大学の田島泰彦教授から個人的に謝罪があっただけだ。

新聞関係者や「人権派」の集まりであるはずの自由人権協会の関係者ですら、フリーランスを「出版又は報道の業務に従事する者」とはみなしていないのである。あるいはそのような解釈が日常の中で構築されているのである。

改めていうまでもなく、フリーランスは記者クラブから締め出されている。

フリーランスにとって、「出版又は報道の業務に従事する者」として認めてもらうためには、今回のような違憲訴訟まで提起せざるを得ないのである。

◇右翼に加担するフリーランス

余談になるが、朝日新聞の慰安婦報道に連座して、識者の中にも右翼に加担する人が増えているが、特定秘密保護法の施行が近づきなんとか自分だけは、「出版又は報道の業務に従事する者」の側に入ろうという思惑があるのかも知れない。

また、特定秘密保護法が施行されても、新聞社やテレビ局に所属していれば、安全というわけでもない。これについては日を改めて述べる。

※17日の裁判が閉廷した後、弁護士会館の5階会議室で、報告会が予定されている。だれでも参加できる。

2014年09月05日 (金曜日)

強制連行犠牲者遺骨祭祀送還協会の元会長・吉田清治氏が生前に朝日新聞に証言した内容(強制連行があったとするもの)を虚偽と判断して記事を取り消した件で、朝日新聞に対するバッシングが続いている。陰湿、かつ病的。識者もそれに加担する。このような光景はかつてなかった。

朝日報道といえば、最近、国会議員に対する裏金工作を証言した中部電力の元役員を紙面に登場させたが、こちらの方は完全に黙殺の中で色あせてしまい、それとは対照的に慰安婦問題だけがクローズアップされている。ネット右翼の面々は言うまでもなく、週刊誌もテレビも、朝日を連日のように攻撃している。

ウィキペディアの「吉田清治」の項目は、早くも次のように書き換えられた。

『私の戦争犯罪』(1983年)などの著書を上梓し、済州島などで戦時中に朝鮮人女性を慰安婦にするために軍令で強制連行(「慰安婦狩り」)をしたと告白証言を行いその謝罪活動などが注目されたが、後に日本と韓国の追跡調査から創作であることが判明し、本人も慰安婦狩りが創作であったことを認めた。吉田証言を16回にわたって記事にしてきた朝日新聞も2014年8月5日に、これを虚偽と判断して、すべての記事を取り消した。

◇証言を報道する事と証言の評価は別
シマウマやキリンなど群れをなした野性動物が、先頭を追って一斉に同じ方向へ走り出すことがある。先頭が右へ進路を取ると右へ、左へ進路を転換すると左へ。このような現象をスタンピード現象という。獣の首にカメラをぶら下げれば、現在の「嫌朝日派」そのものだ。

朝日は、「慰安婦を強制連行したとする証言は虚偽だと判断し、記事を取り消し」たことを8月5日付けの紙面で公表した。その背景にどのような力が働いたのかは不明だが、取り消しのタイミングからして、何らかの圧力があったことが推測される。

一連のバッシングにみる最大の問題は、吉田証言を裏付ける第3者の話を拾えなかったことを理由に、「嫌朝日派」が強制連行はなかったと短絡的に結論づけている点である。が、必ずしもそれは強制連行という歴史の事実がなかった証拠にはならない。証拠としては不十分だ。

もちろん吉田証言の重要さも変わらない。

それにもかかわらず、「第3者証言の不在=史実の否定」という極めてレベルが低い論理構成になっているのだ。さらにそれを史実として、早々にウィキペディアの記述までが書き換えられたのである。

強制連行が史実かどうかは、読者が他の史実とも照合しながら判断する性質のことである。吉田証言はそのための材料のひとつである。それを朝日が提供したことを問題視するのであれば、ジャーナリズムは成立しない。吉田氏による証言が行われたことは紛れもない事実であり、その内容がどうであれ関係者の証言を報じるのは、当然のことである。

証言をどう評価するかは、個々人の自由である。おそらく大半の人は、枝葉末節にこだわることなく、太平洋戦争の全体像を把握したうえで、判断するだろう。

たとえば旧日本軍の731部隊が中国で生体解剖をするために、中国人を連行した事実、中国人を使って日本刀の試し切りをした事実、さらには沖縄戦で同国民に銃を向けた事実などを知るものは、慰安婦の強制連行は韓国でも十分にありうる事態だったと推測するするだろう。少なくとも慰安婦制度と「強制」があったことはすでに定まった歴史の定説になっている。

吉田証言に関する評価を朝日がどう変更しようが、その理由説明を怠らない限り、何の問題もない。ましてそれが史実を変更する根拠になるはずがない。

◇歴史学の初歩すらわきまえず
日本の雲行きが怪しくなり始めた状況の下で、本来、ジャーナリズムがそれに歯止めをかける役割を担っているはずだ。しかし、朝日の原発裏金報道は無視して、慰安婦問題では狂信的な大騒ぎしているのが実態である。

歴史を解釈するにも、せめて歴史学の初歩をわきまえるべきだろう。短絡的なブログのレベルではいけない。

2014年09月04日 (木曜日)

第2次安倍改造内閣が発足した。政治家としての能力と実績よりも、年功序列の慣行を打ち破れないまま大臣の人選が行われたとすれば、納税者には迷惑な話だ。大臣としての箔がほしい。郷里に錦を飾りたい。そんな野心を満たしてやらなければ、内閣が持続できないようでは、〝将軍様〝の国とあまり変わらない。もともと自分の出世しか考えていないことになる。

安倍内閣(第2次)が発足したのは、2012年12月16日に行われた第46回衆議院選挙の直後である。従ってまもなく発足から2年になる。

この第46回衆議院選挙の小選挙区における投票状況を分析してみると、安倍内閣は発足当初から、支持されていなかったと推測できる。

安部内閣は小選挙区制のマジックにより返り咲いた政権にほかならない。

周知の通り、小選挙区制の議席数は300議席(当時)である。自民党の議席数、議席占有率、得票率は次のとおりだ。(出典:ウィキペディア)。

議席総数:300議席

自民党の議席数:243議席

自民党の議席占有率:81%

自民党の得票率・・・43.2%

得票率は43.2%しかないのに、議席数は全体の81%を占めているのだ。これは選挙制度そのものに重大な欠点があることを意味する。民意を正しく反映していない。議員定数の是正よりも、実は、小選挙区制の廃止の方が先決すべき課題なのである。

◇25%の支持率で81%の議席を占有
自民党の政党支持率は、時事通信の調査よると2012年11月、つまり
第46回衆議院選挙の前月の段階で25%(NHK放送文化研究所)だった。

つまり国民の25%しか支持していない政党が、小選挙区制の下では、議席数の81%を占めたのである。

なぜ、こんな現象が起こるのだろうか。それは小選挙区制の下では、いくら支持率が下がっても、他党との競争でわずかでもリードすれば、議席の獲得が可能になるからだ。

自民党の支持率が25%しかなくても、他党の支持率がそれよりも低ければ、81%もの議席数を独占できる。独裁国家の誕生につながりかねない危険な現象にほかならない。

◇小選挙区制を煽ったことに謝罪を
小選挙区制が導入されたのは、1994年、細川内閣の時代である。政権交代を実現するための手段として、マスコミも一斉に世論誘導に乗り出したが、導入から20年を経た現在、民意を国会に反映できない選挙制度である事実が数値で明らかになってきた。

反原発の声が国会に届かないゆえんでもある。住民運動が高騰しているのに、それが国政に反映されないゆえんでもある。

細川内閣が、自民党に先立って構造改革=新自由主義の導入を目指した内閣であったことから察すると、細川氏や小沢氏らが考えていた政権交代というのは、究極のところ構造改革=新自由主義の政策を自民党と競うためのものだったようだ。その結果が、現在の格差社会である。

マスコミが過去の報道に対して繰り返し謝罪しなければならないのであれば、慰安婦問題よりも、小選挙区制を煽ったメディアこそ率先して謝罪すべきだろう。騙された側にも、かなりの責任はあるが、それよりもマスコミの責任が重い。

2014年09月03日 (水曜日)

夜空に向かって突っ立ている白いスクリーンに、赤い光を放射している場を遠くから眺めると、赤いスクリーンが闇を遮っているような錯覚を覚える。幻想。あるいは虚像である。

本来、メディアの役割は、幻想を砕き、視界に入るスクリーンの色を正確に伝えることである。が、大半のメディアは、インターネットや週刊誌も含めて、広告主や権力を握る人々と協働して、偽りの像を作り出し、世論操作に手を貸している。

このような現象の典型例が日本ABC協会が定期的に公表する新聞の発行部数-ABC部数に関する「偽りのリアリティー」である。

社会通念からすれば、新聞の発行部数=新聞の実配(売)部数であるが、実際には、ABC部数には、新聞販売店に搬入されるものの、配達先の読者がいない新聞-「押し紙」(残紙)が含まれている。そのためにABC部数は実配部数を反映していないとするのが、新聞業界の内幕を知る人々の共通認識である。

たとえば次に示すのは、「押し紙」問題に取り組んでいる福岡の弁護団が2008年ごろに明らかにしたYC(読売新聞販売店)におけるABC部数と実配部数の乖離(かいり)を示す表である。左から、店名、年月、搬入部数、「押し紙」(残紙)。

YC大牟田明治(07年10月ごろ)   約2400部    約920部

YC大牟田中央(07年10月ごろ)   約2520部    約900部

YC久留米文化センター前

       (07年101月)    約2010部    約997部

※読売は「押し紙」の存在を否定しているが、ABC部数と実配(売)部数の乖離(かいり)は否定しようがない。

■出典:『「押し紙」を知っていますか?』

◇過剰になった折込広告を破棄

ABC部数=実配(売)部数という虚像が定着している状況のもとで浮上するのは、新聞社が国民に対して公称部数を偽っている倫理的な問題だけではない。副次的に次の2つの問題を誘発する。

まず、第一に折込広告に関する不正を引き起こす。新聞に折り込む折込広告の適正枚数は、ABC部数に準じて決める慣行があるので、新聞販売店や広告代理店が自主的に折込広告の受注枚数を減らさない限り、「押し紙」があれば、折込広告も過剰になってしまう。

冒頭の動画は、余った折込広告を梱包した段ボールを、新聞販売店(山陽新聞)の店舗から搬出して、「収集場」へ運ぶ場面を撮影したものである。このような動画は、マスコミに40年在籍しても撮影できないが、掲載した動画は、始めてビデオを手にした素人が60分で撮影したものである。

日本のマスコミの虚像を暴く典型例にほかならない。

なお、折込広告の搬出に使われた段ボールは、山陽新聞の販売会社により提供されていた。「押し紙」裁判の中で、この重大な事実が認定されている。

◇紙面広告とABC部数

公共広告(官庁など役所が広告主になる広告)は、ABC部数の規模に準じて、掲載価格を決める一般原則がある。次に示すのは、2008年度に最高裁が全国の新聞に出稿した広告(裁判員制度のPRが目的)の新聞社別価格である。

読売:   5千73万円(1回目)
              4千305万円(2回目))

朝日:  4千27万円(1回目)
               3千345万円(2回目)

毎日:  2千814万円(1回目)
               2千205万円(2回目)

当時は、俗に「読売1000万部」、朝日「800万部」、毎日「400万部」と言われていた。公共広告の価格も、この序列に準じている。従って「押し紙」がある新聞社は、納税者を欺いていることになる。

■出典:最高裁宛の請求書

◇日本の権力構造の歯車の一部

このように虚像をふりまくことで、新聞業界は利益を得てきたのだが、問題は、物事の実像を暴かない姿勢が、他分野の報道領域にまで影響を及ぼしていることである。

たとえば、従軍慰安慰安婦の制度そのものが無かったとする拡大解釈とウソ、携帯電話のマイクロ波は安全だとする政府見解の幇助、広告主でもある最高裁事務総局に配慮して小沢一郎裁判の虚構を暴かない姿勢、疑わしい世論調査、訴状ビジネスの隠蔽、TPPや原発のPR・・・・・

わたしは少なくとも新聞社は、日本の権力構造の歯車だと考えている。歯車に組み込まれているのは、「押し紙」問題や折込広告の水増し問題など、刑事事件になりかねない重大な汚点があるからだ。

2014年09月02日 (火曜日)

国家公務員たちが、わがもの顔に憲法や法律の解釈を変更する風潮が生まれている。改めていうまでもなく、「憲法」解釈の変更といえば、安倍内閣の面々を連想する。が、刑事事件の行方を左右する検察審査会法の解釈が大きく変更されていた恐ろしい事実は、ほとんど知られていないのではないか?

検察審査会を牛耳る最高裁事務総局が、変更を告知したかどうかも不明だ。今後、調査する必要がある。

検察審査会法の解釈変更について説明する前に、この「改悪」を発見した人物を紹介しておこう。発見に至るプロセスをたどると、偶然に偶然が重なっており、神仏に冷淡なわたしでさえも、「もしかすると、最高裁事務総局の闇を糾弾する神が、この人物に憑いているのかも知れない」と本気で考えてしまった。

7月18日の午後1時10分。わたしは前参院議員の森裕子氏が、『最高裁の闇』の著者で、旭化成を退職した後に執筆活動を始めた志岐武彦氏に対して500万円のお金と、言論活動の一部禁止を求めた名誉毀損裁判の判決を聞いた。法廷には志岐氏もいた。

判決は、MEDIA KOKUSYOで既報したように志岐氏の勝訴、森氏の敗訴だった。

その後、われわれ支援者は東京地裁のロビーに降りた。と、志岐氏が玄関の前で、足を止めてスタンドに置かれていた「検察審査会Q&A」と題するリーフレットに手を延ばして、

「2、3冊もらっていこうか」

と、言って手に取った。

この2、3冊のリーフレットは表紙は同じだが、たまたま「新版」の中に「旧版」が紛れ込んでいたのだ。

結論を先に言えば、「旧版」と「新版」を照合すれば、最高裁事務総局がやったある恐ろしい事実が見えてくる。それを解明する役割を、「最高裁の闇」を追及してきた志岐氏が、裁判勝訴の日に担ってしまったのである。

◇検察審査会法の41条の解釈変更
「森VS志岐」裁判の背景には、小沢一郎氏が東京第5検察審査会の起訴相当議決で法廷に立たされた事件がある。議決の日が小沢氏が立候補していた民主党代表選の投票日(2009年9月14日)と重なっていたために、小沢氏の支持者の間で、検察審査会を管轄する最高裁事務総局がなにか不正な策略を巡らせたのではないかという噂が広がった。

そこで調査に乗り出したのが、志岐氏と森議員だった。最終的に2人は、方針や見解の違いで決別するのだが、共同戦線を張っていた時期に、小沢検審が架空議決(審査委が架空)だった疑惑をつかむ。

その根拠のひとつが、起訴相当議決に至るプロセス違反である。

検察審査会が議決を行う場合、検察審査会は検察官に対して、意見を表明する機会を与えなければならない規則になっている。ところが小沢氏を裁いた東京第5検察審査会は、担当検察官にその機会を与えていなかった疑惑が浮上したのだ。志岐氏らは、それを裏付ける検察官の出張名簿など、数々の内部資料や証言を入手したのである。

検察審査会法の41条では、検察官による説明義務について、次のように説明している。
 

検察審査会は、起訴議決をするときは、あらかじめ、検察官に対し、検察審査会議に出席して意見を述べる機会を与えなければならない。

この法律の解釈は、「検察審査会Q&A」の「旧版」には、次のように記されていた。

 「起訴議決をするときは、あらかじめ検察官の意見を聴かなければなりません」

「旧版」の解釈を基にすれば、小沢事件の担当検察官は、検察審査会に説明に行っていないわけだから、審査員は「意見を聴いて」いないことになり、議決そのものが無効だったことになる。たとえ第5検察審査会が架空ではなかったとしても、意見を聴かずに議決を下したわけだから、不正な議決で小沢氏を法廷に立たせたことになってしまう。

そこで追いつめられた最高裁事務総局は、解釈を変更する必要に迫られたのではないか?かくて、「検察審査会Q&A」の「新版」は、次のように記述を変更している。

「起訴議決の前には、検察官に意見を述べる機会を与えなければなりません」

この解釈であれば、検察審査会が機会を与えたが、検察官がそれを断ったとしても、議決は成立する。すなわち検察官が説明を行わなくても、議決してもかまわないことになる。

法の解釈を180度変更したのである。安倍内閣をお手本にしたような結末である。

◇誰もが簡単に刑事裁判にかけられる

今後調査しなければならないのは、このような解釈の変更が、どのようなプロセスで行われたのかという点である。また、変更を官報などで告知したのか、という点も解明しなければならない。

さらに「新版」の解釈が採用されたわけだから、今後、最高裁事務総局が架空の検察審査会を設置して、検察官の「介在」なしに、架空議決を行っても、だれも気づかないことになる。最高裁事務総局のさじ加減で、だれでも刑事裁判にかけられ、最高裁の下部組織である裁判所がみずから判決を下すことになりかねない。

これでは軍事国家と代わりがない。

いずれにしても志岐氏の手に「検察審査会Q&A」の「旧版」と「新版」が同時に、しかも、森裁判の勝訴の日に手に入ったのは不思議だ。

(「検察審査会Q&A」の旧版)

(「検察審査会Q&A」の新版)

 

2014年09月01日 (月曜日)

LEDが急速な勢いで普及しているが、安全性に問題はないのだろうか? 携帯電話やスマートフォンの例に見られるように、新商品がビジネスとして成立するとなれば、安全性が疑問視されていても、マスコミは絶対にネガティブ・キャンペーンを張らない。読者からも大口広告主である電話会社からも嫌われるからだ。

かくて「安全ということにしておこう」という暗黙の了解が形成され、「偽りのリアリティ」が形成される。「押し紙」問題と同じパターンである。

冒頭の写真は、LEDを約4ヶ月にわたって浴びた熱帯魚(グッピー)の背骨が変形した様子を死後に撮影したものである。ちなみに背びれや尾びれがないのは、死を前にして体が衰弱した段階で、他の魚から攻撃された結果である。LEDとは関係はない。

注目してほしいのは背骨の変形である。完全にS字に曲がっている。

◇水草の変化、腫瘍の発生
熱帯魚の背骨が変形した原因がLEDにあるという証拠はない。何かほかに原因がある可能性もあるが、現在のところは思い当たらない。

昨年の夏、わたしは水槽の電気代を節約するために、照明を蛍光灯からLEDに切り替えた。ところが、1ヶ月後に水草が緑から深緑に変色し、3ヶ月後には、黒に近い色に変わってしまった。

新芽も発芽しなかった。 そこでLEDの使用を中止したところ、変色した水草から、正常な色の新芽が出てきた。

その後、熱帯魚の1匹に大きな腫瘍ができて死んだ。さらにその後、3匹の熱帯魚の体がかつてないほど巨大化した。3匹のうち2匹は死に、最後まで生き残った写真の熱帯魚は、ある時期から背骨が曲がり、半年後に死んだ。

◇LDEに毒性はあるのか?
背骨が変形した原因は分からない。しかし、LEDを使った後、さまざまな異常現象が起きたことも事実である。LEDが目に悪影響を及ぼすという話はよく聞くが、別の毒性がある可能性もある。今後の解明が必要だ。

LEDはすでにかなり普及しているが、安全性の検証はまだ行われていない。携帯電話と同様に、人体影響が現れるまでには、一定の時間を要すかも知れない。携帯電話の普及が始まったのは、1990年代の初頭。そしてWHOが携帯電話で使われるマイクロ波に発癌性がある可能性を認定したのは、2011年である。20年ほどの歳月を要しているのだ。

LEDも同じ道をたどるのか? ジャーナリズムはこの話題を、科学者に先行して取り上げるべきだろう。

2014年08月31日 (日曜日)

「財界にいがた」9月号が「森裕子vs志岐武彦裁判」の判決確定を報じた。【続きを読む】

2014年08月29日 (金曜日)

28日付けMEDIA KOKUSYOで紹介した資料(リンク)「朝刊 発証数の推移」の見方がよく分からないという問い合わせが次々と寄せられたので説明しておきたい。次の資料である。

■「朝刊 発証数の推移」

結論を先に言えば、この資料は、2002年10月の時点で、一般的には「400万部の新聞」と思われていた毎日新聞の実配(売)部数-実際に宅配された新聞、あるいは売れた新聞)-が実は、約250万部しかなかった事実を示したものである。裏付け資料である。

◇「朝刊 発証数の推移」の解説

資料で注目してほしいのは、左側の最下部の赤マークの箇所である。次の数字になっている。

■■・・・395万3644

この数字は、全国の新聞販売店に搬入された毎日新聞の部数を示している。

■■・・・250万9139

一方、こちらの数字は、全国の新聞販売店が毎日新聞の購読者に対して発行した領収書の枚数を表している。

両者の差が販売店で過剰になっていた毎日新聞の「押し紙」(残紙)である。その数値は、約144万部である。もっとも新聞購読料を集金できないケースもあるので、実際の「押し紙」部数は、若干少なくなるが。

2002年10月時点の「押し紙」率は、優に3割を超えていたことになる。「朝刊 発証数の推移」は、「押し紙」の決定的な証拠である。

資料の入手ルートは明かせないが、この内部資料は、MyNewsJapan、『FLASH』などでも紹介されている。

◇事実認識の問題

2002年10月から、現在までに約12年の歳月が流れている。この間に新聞離れが急激に進んだことは周知の事実である。しかし、毎日新聞社の広告局が発表している現在の部数は、332万6979部である。不自然と考えるべきではないだろうか。

この資料が外部に出たのは、2004年から2005年にかけての時期である。この時点で、毎日新聞社は、ABC部数を改めなければならなかった。

ところが「この問題はなかったことにしよう」という事になったらしく、ABC部数を下方修正することはなかった。事実を客観的に認識せずに、「みんなで」黙殺したあげく、「400万部メディア」という虚像を守った姿勢は、朝日の慰安婦問題を機に、マスコミ(一部の週刊誌も含む)が束になって展開している歴史修正主義の愚に通じるものがある。

国際的に既に史実として定着していることを変更するには、決定的な新発見が不可欠だ。それが国際社会のルールである。朝日報道の枝葉末節を取り上げて、それが全体像であるかのように描きだすのは、ジャーナリズムではない。

日本の新聞社は、戦後、戦争犯罪に対する検証も避けた。この時点でジャーナリズムの資質を失っていたのである。

◇言論統制と「押し紙」問題

なぜ、「押し紙」が問題なのだろうか。それは新聞社に経営上の汚点があれば、言論統制の道具に悪用されかねないからだ。

たとえば新聞社が反安部内閣のキャンペーンを張るとする。これに対して、たとえば公正取引委員会は、「押し紙」問題を理由に、新聞社を独禁法違反で取り締まることができる。警察は、折込チラシの水増しで、新聞販売店や広告代理店を捜査できる。さらに政府は、新聞に対する軽減税率の適用を見送ることができる。

このような構図があるから、政府は新聞社の「押し紙」政策を放置してきたのである。「押し紙」という経営上の汚点がある限り、自分たちには、ジャーナリズムの矢が向かないことを熟知しているのだ。

2014年08月28日 (木曜日)

読売新聞の部数減が止まらない。7月のABC部数は、924万8,446部で、前月比で、-3万1309部である。ピークだった昨年の11月からの減部数は、75万8994部になる。

これは50万部規模の東京新聞一社分をはるかに超える。ここ数カ月の読売部数の変遷は次の通りである。

2013年10月 9,882,625

2013年11月 10,007,440

2013年12月 9,767,721

2014年1月 9,825,985

2014年2月 9,738,889

2014年3月 9,690,937

2014年4月 9,485,286

2014年5月 9,348,149

2014年6月 9,279,755

2014年7月 9,248,446

◇「押し紙をしたことは1回もございません。」

ただ、ABC部数が本当に新聞の実配(売)部数--実際に販売している部数-を正確に反映しているか否かは、疑問がある。と、いうのもABC部数は、新聞社みずからが数字を申告し、ABC協会が抜き打ち的に公査(監査)する仕組みになっているからだ。抜け道があるのだ。

事実、ABC協会による公査(監査)は信用できないという声は後を絶たない。

実配部数の実態に関しては、さまざまな主張があり、裁判も起きている。たとえば読売がわたしと週刊新潮を東京地裁へ訴えた裁判の証人尋問の中で、読売の宮本友丘副社長は、「押し紙」をしたことは一度もないと主張している。

次の尋問調書は、読売の販売政策を強力にバックアップしてきた自由人権協会代表理事の喜田村洋一弁護士の質問に答えるかたちで、宮本氏が行った法廷証言である。

喜田村:この裁判では、読売新聞の押し紙が全国的に見ると30パーセントから40パーセントあるんだという週刊新潮の記事が問題になっております。この点は陳述書でも書いていただいていることですけれども、大切なことですのでもう1度お尋ねいたしますけれども、読売新聞社にとって不要な新聞を販売店に強要するという意味での押し紙政策があるのかどうか、この点について裁判所に御説明ください。

宮本:読売新聞の販売局、あと読売新聞社として押し紙をしたことは1回もございません。

喜田村:それは、昔からそういう状況が続いているというふうにお聞きしてよろしいですか。

宮本:はい。

喜田村:新聞の注文の仕方について改めて確認をさせていただきますけれども、販売店が自分のお店に何部配達してほしいのか、搬入してほしいのかということを読売新聞社に注文するわけですね。

宮本:はい。

(略)
喜田村:被告の側では、押し紙というものがあるんだということの御主張なんですけれども、なぜその押し紙が出てくるのかということについて、読売新聞社が販売店に対してノルマを課すと。そうすると販売店はノルマを達成しないと改廃されてしまうと。そうすると販売店のほうでは読者がいない紙であっても注文をして、結局これが押し紙になっていくんだと、こんなような御主張になっているんですけれども、読売新聞社においてそのようなノルマの押しつけ、あるいはノルマが未達成だということによってお店が改廃されるということはあるんでしょうか。

宮本:今まで1件もございません。

村上正敏裁判長は、「押し紙」は1部も存在しないという「事実」を認定して、新潮社側を敗訴させ、385万円のお金を支払うように命じた。

◇「押し紙」を認定した真村裁判の判例

東京地裁で「押し紙」が一部も存在しないという事実認定が行われた一方で、2007年には、福岡高裁が読売の「押し紙」政策を認定する判決を下し、最高裁もそれを追認している。真村裁判の判決である。判決は、次のように「押し紙」問題の核心部分をついている。

新聞販売店が虚偽報告をする背景には、ひたすら増紙を求め、減紙を極端に嫌う一審被告(読売)の方針があり、それは一審被告の体質にさえなっているといっても過言ではない程である。

このように、一方で定数と実配数が異なることを知りながら、あえて定数と実配数を一致させることをせず、定数だけをABC協会に報告して広告料計算の基礎としているという態度が見られるのであり、これは、自らの利益のためには定数と実配数の齟齬をある程度容認するかのような姿勢であると評されても仕方のないところである。そうであれば、一審原告真村の虚偽報告を一方的に厳しく非難することは、上記のような自らの利益優先の態度と比較して身勝手のそしりを免れないものというべきである。

■真村裁判・福岡高裁判決全文

また、読売の平山裁判(原審は福岡地裁)では、新聞販売店で新聞が過剰になっていた事実を認定している。その数字は、約4割から5割だった。ただし、田中哲郎裁判長は、これらを「押し紙」とは認定しなかった。

毎日新聞では、「押し紙」の実態を示す内部資料が外部に流失している。次の資料である。

■「朝刊 発証数の推移」

◇「押し紙」問題と歴史修正主義

新聞の実配部数を正確に把握することは、新聞について論じるときに、きわめて重要だ。かりにある新聞社のABC部数が500万部で、実配部数が300万部と仮定する。

この場合、500万部を前提に新聞を論じれば、議論の前提事実が誤っているわけだから、まったく無意味だ。このような議論を、仮に採点するとすれば、完全に「F」ランク(失格)である。新聞論で「押し紙」問題をタブー視してはいけないゆえんである。

ところが日本では、研究者もジャーナリストも「押し紙」が1部も存在しないことを共通認識として新聞を論じている。客観的な事実の認識から思考をはじめる姿勢が欠落している。

このようないいかげんな国民性が、従軍慰安婦をめぐる歴史修正主義の問題でも露呈しているのではないだろうか。

最新の参考記事: 水増しされた折込広告、価格設定に疑惑がある紙面広告、背景に「押し紙」-偽装部数(残紙)問題、報道姿勢にも影響か?

2014年08月27日 (水曜日)

若い女性が電車に揺られながら、膝の上に抱きかかえた幼児の頭の上でスマートフォンを操作している。慌ただしい指の動き。「熟練工」なみの指使いである。

こうしてマイクロ波を浴び続けた幼児の脳が、あるいは女性の指が、これから5年後、10年後、あるいは20年後にどのような影響を受けるのかは、まだ、よく分かってない。海外ではマイクロ波の危険性を指摘する見解が年々増えているが、日本にあまり情報が入ってこない。

マスコミによって、ほとんどが遮断されているからだ。

フランス政府は法律で、幼稚園、小学校、中学校で携帯電話を使用することや、14歳以下の子供を対象に携帯電話を広告宣伝することを禁止している。

また、イギリス政府は、16歳以下の子供の携帯電話使用を控えるように勧告を出している。8歳以下の子供については、使用禁止を勧告している。マイクロ波は、特に年少者に危険という常識が定着しているからだ。

ところが日本では規制がないどころか、学校や児童施設の近くに当たり前のように基地局が立ってる。子供のために設置したわけではないが、マイクロ波に配慮しない日本の風潮が露呈している。

わたしは、自分が在住する埼玉県朝霞市をモデルに、小学校の近隣にどの程度、基地局が設置されているかを調べてみた。

◇小学校近くの基地局数

朝霞市には、小学校が10校ある。校名は、朝霞第1小学校、朝霞第2小学校、朝霞第3小学校というように「朝霞」に数字を付すことで区別している。

調査内容は、学校の敷地から200メートル以内に基地局が何局設置されているかである。結果は次の通りだった。

朝霞第1小学校:2局

朝霞第2小学校:1局  

朝霞第3小学校 :1局

朝霞第4小学校:1局

朝霞第5小学校:1局(ビルの陰で、学校から目視できない)

朝霞第6小学校:2局

朝霞第7小学校 :4局

朝霞第8小学校:1局

朝霞第9小学校:2局(300メートル地点の局を加えると3局)

朝霞第10小学校:0局
このうち朝霞第9小学校は市の郊外にあり、学校の周辺には3つの携帯基地局がある。学校の正面玄関から150メートルの地点に鉄塔型の基地局が、80メートルの地点に電柱の先端に設置したフォーク型の基地局が、さらに300メートルの地点に鉄塔型の基地局が立っている。

3つの基地局に加えて、校舎から70メートルの地点を、高圧電線が走っている。いわば電磁波の海の中に小学校があると言っても過言ではない。

第9小学校から100メートルの地点には、保育園もある。厳密に言えば、保育園の方が小学校よりも基地局に近く、危険な状態になっている。

朝霞第7小学校は、住宅街の中の小学校で、4つの基地局は、いずれも近隣マンションの屋上に設置されている。

◇朝霞市の条例は否決

わたしは2010年に、朝霞市に対して携帯基地局の設置を規制する条例を制定するように陳情したが、公明党と自民党系会派などの反対で否決された。マイクロ波に関する知識が乏しかったことを記憶している。

 

参考:

2014年08月26日 (火曜日)

携帯電話の通信には、マイクロ波と呼ばれる電磁波(電波)が使われる。次に示すのは、マイクロ波の規制値の国際比較である。「μW/c㎡」の部分にこだわらずに、数値の違いに注目してほしい。数字が大きいほど、電磁波の密度が高い。つまり人体影響が大きい。

日本:1000μW/c㎡

スイス:9.5μW/c㎡

イタリア:9.5μW/c㎡

ロシア:2.0μW/c㎡

中国:10.0μW/c㎡

EU:0.1μW/c㎡(提言値)

ザルツブルグ市:0.0001μW/c㎡(目標値)

日本の基準値が、諸学国に比べて、箸にも棒にもかからない恐ろしい値であることが分かる。

しかし、EUの数値でさえも安全とはいえないとする専門家の報告もある。世界の著名な研究者がまとめた「バイオイニシアチブ報告・2012年度版」は、次のようにマイクロ波の危険性を指摘している。

2007年以降、携帯電話基地局レベルのRFR(無線周波数電磁波)に関する5つの新しい研究が、0.001μW/c㎡から0.05μW/c㎡よりも低い強度範囲で、子どもや若者の頭痛、集中困難、行動問題、成人の睡眠障害、頭痛、集中困難を報告している 。(監修:荻野晃也、訳:加藤やすこ)

2007年にも「バイオイニシアチブ報告」が公表されており、それ以後に、「0.001μW/c㎡から0.05μW/c㎡よりも低い強度範囲」で人体影響があるとことが分かったというのである。

なにが天と地のように著しい規制値の違いを生むのだろうか。結論を先に言えば、マイクロ波に遺伝子毒性が「ある」とする立場で規制値を決めるのか、それとも、「ない」とする立場で規制値を決めるのかで、数値に違いが生じる。

◇熱作用

マイクロ波が人体に及ぼす影響には、大別して熱作用と非熱作用がある。熱作用というのは、文字通り加熱による人体影響である。マイクロ波が電子レンジに利用される事実からも明らかなように、マイクロ波には熱作用がある。

これが人体に有害であることは、定説になっている。議論の余地がない。熱が火傷を引き起こすからだ。

かつてわたしは携帯基地局の電波を管理している総務省の関東総合通信局に基地局からどの程度の距離を置けば安全なのかを問い合わせたことがある。

その時に職員から返ってきた回答は、「1メートル」という数値だった。つまり基地局から1メートル離れれば、熱作用による人体影響は回避できるという見解だった。

◇非熱作用

一方、非熱作用とは、マイクロ波による熱作用以外の影響を指す。これにはさまざまなものがあるが、特に問題視されているのは、遺伝子に対する毒性である。発癌性だ。ほかにも非熱作用としてまさつ作用などもあるが、現在、最も問題になっているのは遺伝子毒性である。

非熱作用については、肯定する説と否定する説がある。

否定するか、肯定するかで「安全」の目安を示す基準値は大きく変わる。遺伝子毒性がないという前提に立てば、基準値の設定に際して考慮しなければならない主要な要素は、熱作用による影響だけということになる。熱作用による人体影響だけを防げば、ほぼ「安全」ということになる。

逆に遺伝子毒性があるという前提に立てば、熱作用だけではなくて、遺伝子毒性も考慮した上で、規制値を設定しなければならない。当然、ハードルが2つになるわけだから、厳しい数値になる。熱作用というハードルは、軽々と跳び越えても、遺伝子毒性のハードルは相当に高い。

日本の総務省は、マイクロ波には熱作用はあるが、遺伝子に対する毒性はないとする説を根拠として、電波の防護指針(規制値)を設定している。その結果、1000μW/c㎡というとてつもなく大きな数値になっているのだ。

これに対してEUやザルツブルグ市は、遺伝子毒性も考慮して規制値を設定している。その結果、遺伝子に影響を及ぼさないと推測される数値、すなわち0.1μW/c㎡、あるいは0.0001μW/c㎡といった低い基準値になっているのだ。

改めていうまでもなく、マイクロ波に遺伝子毒性があれば、今後、基地局の周辺で癌患者が多発する可能性が高い。海外では、すでにそれを立証する疫学調査の結果も出ている。

◇数字のトリック

ただ、総務省が1000μW/c㎡という規制値を設置しているとはいえ、実際に携帯基地局の周辺でマイクロ波の測定を実施しても、これほど高い数値になることはまずありえない。顕著な健康被害の原因になっている基地局の周辺でも、1~20μW/c㎡程度である。

それにもかかわらずなぜ総務省は、1000μW/c㎡という桁外れに高い数値を設定しているのだろうか。

答えは簡単で、数字のトリックにより携帯基地局の「安全性」をPRするためである。たとえば基地局周辺に住む住民たちがマイクロ波の危険性を危惧して、電話会社に測定を依頼したとする。そして測定の結果、1μW/c㎡という数値が観測されたとする。EUやザルツブルグ市の基準値を基にすれば、基準値を超える危険な数値だが、日本の基準値である1000μW/c㎡を基にすれば、1μW/c㎡であっても低い値ということになる。そこで電話会社は、住民に対して次のように言い訳できる。

「測定された数値は1μW/c㎡ですから、われわれは総務省が定めた基準値の1000分の1の数値で基地局を稼働させています。危険はありません。安心してください」

このような数字のトリックを知らない住民は、携帯基地局が本当に安全だと思い込んでしまう。その結果、「安心して」マイクロ波を浴び続けることになるのだ。もちろん、10年後、20年後のリスクについて考えることもない。

◇誰が電磁波問題を放置しているのか?

MEDIA KOKUSYOで繰り返し報じてきたように、基地局問題を放置しているのは、電話会社の労組から多額の政治献金を受けている政治家であり、多量の広告やCMを受注しているマスコミである。

※写真:ソフトバンクの本社。出典はウィキペディア。

2014年08月25日 (月曜日)

 

 

<偶然、「検察審査会Q&A」の一文が書き換えられているのを発見!>

7月18日、東京地裁で、「森裕子vs志岐武彦裁判」の判決があり、私達は「原告の請求のいずれも棄却する」という完全勝訴の判決を聴いた。

その帰り際、東京地裁裏玄関のロビーに設置された棚に、「検察審査会Q&A」が置いてあるのを見つけた。私達はそれを数冊持ち帰った。 その後、この「検察審査会Q&A」とこれまでに得た小沢検察審情報とを対比検討する作業を始めた。検討した結果はhttp://civilopinions.main.jp/2014/08/823a.htmlに記した。

私は、検討作業の中で、持ち帰った「検察審査会Q&A」を数冊めくっているうち、とんでもないことに気づいた。一か所だけ記述の異なるパンフレットが混じっていたのだ。【続きを読む】