2014年12月24日 (水曜日)

LEDと人体影響の関係を示唆するブログがMEDIA  KOKUSYO以外にもあることが分かった。それを紹介する前に、簡単にこれまでの経緯を振り返ってみよう。

東北大学大学院の研究グループが、青色LEDに殺虫能力があることを12月初旬にイギリスの科学誌「Scientific Reports」で発表した後、MEDIA KOKUSYOの次の記事にアクセスが殺到した。

LEDを4ヶ月浴びた熱帯魚の背骨がS字型に変形、原因不明も重い事実

アクセス数は1週間で20万件に迫り、フェイスブックの「いいね!」は2万4000件を超えた。

当然、さまざまなリアクションがあった。フェイスブックの書き込み欄に記された読者からのコメントは45件。その大半は科学的な根拠がないというものだった。

ところがLEDで熱帯魚が病気になったという報告が、今年の9月の段階ですでにネット上で公開されていたことが、読者からの情報提供で分かった。次のブログである。

■LEDライトを購入するも熱帯魚は死ぬは水草は枯れるは散々だった話 

◇環境問題では被害の事実が優先

環境汚染の問題を考える際、最も大事なのは、異変が発生した事実である。科学的根拠ではない。と、いうのも科学的な根拠が研究室の中で解明されるのを待ってから、対策に乗りだすとすれば、それまでに被害が拡大してしまうからだ。それゆえに予防原則を採用して、被害が発生している事実が重なった場合は、すぐに対策を取らなくてはならない。

科学的な根拠を解明することは大事だが、時間を要する。新しい製品が商品化された後に、ようやく安全性の検証がはじまるのが普通だ。

その典型例は、携帯電話に使われるマイクロ波である。携帯電話の普及が始まったのは、1990年代の初頭である。当時、マイクロ波の危険性を指摘する研究者は極めて限られていた。

WHOの外郭団体・世界がん研究機関がマイクロ波に発癌性がある可能性を認定したのは、20年後の2011年5月である。「危険」が判明するまで20年もの歳月を要しているのだ。

LEDの危険は、東北大学や岐阜薬科大学の研究で、ようやく指摘され始めた段階である。これから10年後に、あるいは20年後に、どのような健康被害が問題になるかは分からない。眼の疾患だけではすまない可能性の方が高い。

◇1月に実験をスタート

なお、前出の記事、「LEDを4ヶ月浴びた熱帯魚の背骨がS字型に変形、原因不明も重い事実」は実験に基づいた記事ではない。たまたまLEDを放射したところ熱帯魚に腫瘍や奇形が発生した事実を述べたに過ぎない。

しかし、来年の1月から、LEDのブルーライトを被曝した魚と被曝しなかった魚を比較する実験に着手する予定にしている。定期的にMEDIA KOKUSYOで報告したい

2014年12月23日 (火曜日)

総務省が公表した最新の政治資金収支報告書(2013年度分)によると、日弁連の政治団体・日本弁護士政治連盟から、依然として国会議員に政治献金が支出されていることが分かった。

支出先には、山本一太、世耕弘成、森まさこ議員らが含まれている。また、公明党の地方本部に対して献金が行われていることも分かった。

献金の目的は不明。

ちなみに現在、問題になっている高額訴訟の引き金を作ったひとりは、公明党の漆原良夫議員である。2002年5月、「赤ひげ」と題するブログで、次のように述べている。

 善良な市民が事実無根の報道で著しい人権侵害を受けているにもかかわらず、商業的な一部マスメディアは謝罪すらしていません。

  これには、民事裁判の損害賠償額が低い上、刑事裁判でも名誉毀損で実刑を受けた例は極めて少なく、抑止力として機能していない現状が一因としてあります。

 私は、懲罰的損害賠償制度を導入しなくとも現行法制度のままで、アメリカ並みの高額な損害賠償は可能であると指摘しました。これに対し、法務大臣は、「現行制度でも高額化可能」との認識を示しました。

当時は司法制度改革推進本部のトップに小泉首相を据えて、広義の構造改革=司法制度改革が始まったばかりの時期だった。それから10年が過ぎ、スラップが大きな問題になっている。訴訟ビジネスが横行している。スラップは、国会でも何の問題にもなっていない。

献金先の議員と政党は次の通りである。

◇献金先の議員と政党

藤田幸久(民主):5万円
北神圭朗(民主):5万円
世耕弘成(自民):10万円

溝手顕正(自民):5万円
衛藤晟一(自民):5万円
川上義博(民主):5万円

小川勝也(民主):10万円
鈴木寛(民主):10万円
米山隆一 (維新):10万円

林芳正(自民):10万円
いそざき陽輔(自民):5万円
松野信夫(民主):10万円

岡崎トミ子(民主):10万円
吉田はるみ(民主):5万円
大河原雅子(民主):10万円

島村宜伸(自民):10万円
古川俊治(自民):10万円
水野けんいち(みんな):10万円

谷ひろゆき(民主):5万円
山本一太(自民):10万円
辻泰弘(民主):10万円

宇田こうせい(減税日本):10万円
愛知治郎(自民):10万円
森まさこ(自民):10万円

公明党東京都本部:10万円
公明党埼玉県本部:10万円
公明党大阪府本部:5万円
公明党京都府本部:5万円
公明党神奈川県本部:10万円
公明党愛知県本部:10万円
公明党香川県本部:5万円

政治資金収支報告書PDF

2014年12月22日 (月曜日)

米国とキューバが国交回復へ向けて動き始めた。

これから両国が話し合いに入るわけだから、最終的にどのような形で関係が改善されるのかは分からないが、このような動きの背景には、国際政治の勢力図が大きく変化した事情がある。

オバマ大統領による人権重視の姿勢や人道主義が今回の決断を生んだのではない。ラテンアメリカ全体と米国の力関係が決定的に変わってきたことが根底にある。

周知のように米国は、1959年のキューバ革命の後、1961年からキューバとの国交を断絶した。経済封鎖も断行し、現在に至っている。また、CIAがカストロ主将の暗殺計画を巡らせるなど、キューバの左派政権を排除する動きを延々と続けてきた。

ところが今世紀に入るころから、米国の裏庭といわれてきたラテンアメリカで政治地図が塗り変わりはじめる。次に示すのは、現在の南アメリカ(スペイン語・ポルトガル圏)における各国政府の政治姿勢を色分けしたものである。赤表示が左派、あるいは中道左派の政権である。

コロンビア:フアン・マヌエル・サントス

ベネズエラ:ニコラス・マドゥロ

ペルー:オジャンタ・ウマラ

エクアドル:ラファエル・ コレア

チリ:ミチェル・バチェレ 

アルゼンチン:クリスティーナ・フェルナンデス・デ・キルチネル 

ボリビア:フアン・エボ・モラレス・アイマ 

パラグアイ:オラシオ・マヌエル・カルテス・ハラ

ウルグアイ:ホセ・ムヒカ

ブラジル:ジルマ・ヴァナ・ルセフ

ラテンアメリカの中でも南米は、左傾化が典型的に現れている地域である。
赤で示した国々がキューバと親密な関係にあることは言うまでもない。特にベネズエラとキューバの間には強い連帯がある。

中米のニカラグアとエルサルバドルも左翼政権で、キューバとは極めて親密な関係にある。つまりラテンアメリカでは、キューバの孤立はほぼ解消しているのだ。

◇海外派兵と経済封鎖

前世紀まで米国はラテンアメリカに対して、海外派兵を繰り返してきた。あるいは1973年のチリの軍事クーデターに典型的に見られるように、CIAによるクーデターや軍部への支援などで、左翼政権転覆を企ててきた。

こうした軍事介入とセットになっていたのが経済面で孤立化をはかる政策だった。わたしは1985年に内戦中のニカラグアへ行ったことがあるが、この国も米国による経済封鎖に苦しんでいた。たとえば商店は、極端に物品が不足していた。隣国・エルサルバドルでは、どこでも販売されているコカコーラが、ニカラグアでは不足していて、空き瓶を持参しなくては売ってくれない。

さらに米国は、ニカラグアの隣国ホンジュラスを基地の国にかえて、「コントラ」と呼ばれる傭兵部隊を組織し、新政権の転覆を企てていた。FSLN(サンディニスタ民族解放戦線)が政権の座にいる限り、戦争と飢えはなくならないという暗黙のキャンペーンを繰り広げて、反政府勢力を広げていったのである。

その結果、FSLNは、1990年の大統領選で敗北して政権を失う。みずからが打ち立てた議会制民主主義のルールに従って、野に下ったのである。しかし、今世紀に入って本格化したラテンアメリカ全体の左傾化の中、2006年にFSLNは再び政権を奪還し、現在に至っている。

◇LAへの軍事介入の歴史

次に示すのは、第2次大戦後に米国がラテンアメリカに対して実施した主要な海外派兵、あるいはクーデターの一覧である。

■1954年 グアテマラ

■1961年 キューバ

■1964年 ブラジル

■1965年 ドミニカ共和国

■1971年 ボリビア

■1973年 チリ

■1979年 ニカラグア内戦

■1980年 エルサルバドル内戦

■1983年 グレナダ

■1989年 パナマ

なかば当たり前に行われていたラテンアメリカへの軍事介入が、今世紀になってからは公然と出来なくなっている。ラテンアメリカ諸国の連帯が強固になり、キューバの孤立もほぼ解消された。この地域全体が米国の裏庭ではなくなったのだ。

こうした状況の下でラテンアメリカに急接近しているのが、中国とロシアである。たとえば2014年の7月、中国の習近平主席がブラジル、アルゼンチン、ベネズエラ、キューバ、の4カ国を訪問している。

その際、ブラジルは中国との間で、ビジネス、科学、技術、防衛、教育、航空路線など、実に54分野にわたる戦略的提携を結んだ。

ロシアのプーチン大統領がウクライナ問題でEU諸国からの食料に対して輸入禁止措置を取った際に、新しい輸入元になったのもブラジルだった。

参考記事:安倍首相がトリニダード・トバゴへ乗り込んだ本当の理由

◇キューバに市場を求める米国

もともとソ連が崩壊して冷戦が終結したとき、米国が新市場を独占するのではないかとの見方が有力だった。しかし、世界はそういう方向へは進まなかった。米国は「世界の警察」にはなったが、経済は必ずしもそうはならなかった。

東ヨーロッパは、EU寄りになった。ロシアも上海協力機構などを通じて、米国よりも、むしろ中国に接近した。さらに世界の人口の大半を占める第3世界で民族自決の波が台頭してきた。その典型がラテンアメリカである。米国を中心とした世界は、ゆるやかに崩壊へ向かっているのである。

こうした状況の下で、米国がキューバに対する経済封鎖を続けるメリットがあまりなくなってきた。キューバに対する経済封鎖に、ラテンアメリカ諸国からの批判も強い。それを無視すると関係が悪くなる。かといって、それをかつてのように軍事介入でつぶすこともできなくなっている。

キューバの経済状況は、決してよくないが、経済封鎖が持続しても、将来的には改善していくことは間違いない。

これに対して米国はキューバに新市場を求めている。オバマ大統領の善意が、対キューバ政策の見直しに繋がっているのではない。

世界の政治地図が変化してきた現れである。

2014年12月20日 (土曜日)

新刊、『ルポ 電磁波に苦しむ人々-携帯基地局の放射線』が発売になりました。

原発のガンマ線による人体影響は周知になっていますが、最近、同じ放射線の仲間であるマイクロ波(携帯電話の通信に使用)の危険性も否定できなくなってきました。本書は、携帯基地局の周辺で起きている健康被害や生態系の破壊を取材した本です。

また、なぜ、基地局問題が放置されているのかを、政治腐敗の観点から指摘しています。

【販売】すでに書店に配本されています。アマゾンでは25日から発売です。

  ■目次PDF

2014年12月19日 (金曜日)

読売ジャイアンツが、同球団の元代表・清武英利氏(64)に対して損害賠償などを求めた裁判の判決が、18日、東京地裁であった。大竹昭彦裁判長は、清武氏に対して160万円の賠償を命じた。清武氏の反訴は棄却した。

判決を読んでいないので、論評は避けるが、読売がらみの裁判には、ある著しい特徴がある。読売の勝訴率が圧倒的に高いことである。

読売弁護団には、護憲派の喜田村洋一・自由人権協会代表理事ら、有能な弁護士が含まれていることも、勝率が高いひとつの要因だと思われるが、社会通念からして不自然な判決があることも否定できない。

その典型は、読売新聞販売店(YC)が2001年7月に、地位保全を求めて起こした裁判(仮処分申立て、後に本訴)だった。この裁判は、2007年12月に、YC側の勝訴判決が最高裁で確定した。ぞくに「真村裁判」と呼ばれる訴訟である。

判決の中で、はじめて読売の「押し紙」が認定されたこともあって関心を集めた。

ところが判決確定から半年後に、読売が再びYCに対して改廃を通告し、一方的に新聞の供給を止めた。その結果、YCの店主は、再び裁判を起こしたのである。それ以外に抵抗する方法がなかったのだ。これが第2次真村裁判である。

しかし、YC店主も弁護団も、勝訴の自信をみせていた。と、いうのも前訴で最高裁が店主の地位を保全していたからだ。実際、仮処分を申し立てたところ、すんなりと地位が保全された。仮処分の2審、3審、4審(特別抗告)も店主の勝ちだった。

ところが仮処分の審理と並行して進めていた本訴では、店主が全敗したのである。このうち控訴審(福岡高裁)で店主を敗訴させた裁判官は、なんと仮処分の2審で、店主を勝訴させた木村元昭氏裁判官だった。

木村裁判官は、仮処分の2審で店主を勝訴させた後、那覇地裁に異動になった。ところが第2次真村裁判が始まると、福岡高裁へ異動になり、第2次真村裁判を担当したのである。そして店主を敗訴させた。

わたしの手元に木村氏が書いた2つの判決があるが、読み比べてみると、同じ人物が書いたとは思えない。(拙著『新聞の危機と偽装部数』)

◇最高裁における読売裁判勝敗表

次のPDF資料は、最高裁判所に上告(あるいは上告受理申し立て)された裁判のうち新聞社が上告人、あるいは被上告人になった裁判の勝敗表である。このうち赤点で示したのが、読売関連の裁判である。

これを見ると、読売を相手に裁判をしても、勝ち目がないことが分かる。表示した資料の中で、唯一の例外は、①である。読売が上告(受理申し立て)を行ったが、「不受理」になり敗訴が決定している。

②は、上告人も被上告人も黒塗りで隠してあるが、実は上告人が読売で、被上告人がわたし「黒薮哲哉」である。こうした情報公開の仕方そのものが尋常ではない。なぜ、最高裁が読売に配慮するのか分からない。

最高裁における勝敗表PDF

この裁判は、MEDIA KOKUSYO(当時は、新聞販売黒書)の記事に対して、読売と3人の社員が、2230万円の金を支払うように求めて、2008年に起こしたものである。読売の代理人は、喜田村洋一・自由人権代表理事だった。

地裁と高裁は、わたしが勝訴した。これに対して、読売は上告受理申し立てを行った。そして最高裁は、PDF資料にあるように、高裁判決を差し戻す判決を下したのである。これを受けて東京高裁の加藤新太郎裁判長は、わたしに対して110万円の金を払うように命じたのである。

ちなみに加藤氏は、少なくとも2度、読売新聞に登場している。

◇想像力が欠落

わたしは数々の裁判を取材してきたが、裁判官には、想像力に乏しい人が多い。全員ではないが、想像力が欠落している人が多い。

自分が下す判決が、裁判の原告、あるいは原告の人生をどのように変えてしまうのか、想像できないのだ。わたしは判決により、離散した家族をいくつも知っている。人生が無茶苦茶になった人もいる。

受験を柱とした日本の学校教育は、想像力のない人間を増やしている。自分が書く判決の先に、被告や原告のどのような生活が待ち受けているのかが見えていないのではないだろうか。

2014年12月18日 (木曜日)

小沢一郎議員(当時は民主党)に対する検察審査会(以下、小沢検審)による起訴相当議決(2010年9月14日)が、最高裁事務総局による架空議決だったのではないかとの策略疑惑が浮上して約4年になる。

この問題は、当初、週刊誌が盛んに報じていたので、記憶している読者も多いと思うが、実は現在も調査は続いている。わたしも会員になっている「最高裁をただす市民の会」(志岐武彦代表)は、9日、会計監査院に対して、調査を求める要望書を提出した。調査項目は、以下の2点。

①小沢検審には、本当に審査員はいたか?

②経理書類の再検証。

「市民の会」は、小沢検審が架空であったと推論するに十分な裏付けを入手している。そのなかで、経理上のさまざまな疑惑も浮上している。

なぜ、経理疑惑なのか?
架空議決を行うには、審査員も架空にしなければならない。しかし、帳簿上は、架空の審査員に対しても、旅費や日当を支給する必要が生じる。その結果、架空審査員には、必然的に不正経理が連動してしまうのだ。

◇事件の背景

発端は、小沢一郎氏が2010年に東京第5検察審査会(以下、第5検審)の議決により、強制起訴に追い込まれ、最終的には無罪になった件である。メディアでも大きく報道され、喜びを露呈した小沢氏の映像はわれわれの記憶に新しい。

ところが第5検審の起訴議決には、当初から不可解な点があった。起訴議決を行った日が、小沢氏が立候補していた民主党代表選の投票日と重複したのだ。故意なのか、偶然なのか、いずれにしても不自然さを払拭できない。

そのために、何者かが「小沢排除」をたくらみ、なんらかの裏工作を行ったのではないか、という噂が広がったのだ。特に小沢氏の支持者の間で、小沢検審に対する漠然とした不信感が広がった。

ちなみに検察審査会は、「検察」という名前を付しているが、検察の組織ではなく、文字通り「検察」を「審査」する最高裁事務総局の機関である。 従って小沢氏の支援者らが抱いた不信感は、最高裁事務総局に向けられたものだった。

調査の先頭に立ったのは、志岐武彦氏、石川克子氏(市民オンブズマンいばらぎ)、それに森裕子議員だった。が、見解の相違から、森氏は志岐・石川の両氏と決別した。しかし、ある時期まで協力関係を維持して、3氏が調査の成果を上げたことは紛れのない事実である。

◇どのような疑惑があるのか?

調査では、次のような疑惑が浮上した。

有権者から審査員を選ぶPC上のくじ引きソフトが、デタラメだった。検察審査会の事務局が手動で審査員候補を入力したり、削除できる仕組みになっていた。しかも、PC上のくじ引きが終わった後、データの跡を残さないシステムになっていた。

架空審査員の設定を可能にする仕組みが構築されていたのである。これは森氏が議員の職権を使って調査した結果だ。森氏の『検察の罠』に詳しい。

検察審査会が議決を下す前には、担当検察官が、みずからの意見を述べる機会を与えるルールになっている。(検察審査会法41条)しかし、担当検察官の出張記録を情報公開制度を利用して入手し、検証したが議決前に担当検察官が出張した記録は見当たらなかった。

情報公開制度を利用して審査員の旅費支払いの実態などを調べたところ、小沢検審では、検審当日ではなく、後日にまとめて経理処理が行われていたケースが複数あることが分かった。これについて経理を担当した東京地裁を追及したところ、「資金がショートしたから」と返答している。常識的にはあり得ないことである。

 本当に審査員がいれば、できないはずの経理処理である。

2012年7月30日、森議員は国会で、小沢検審には本当に審査員が存在したのかどうかを問うた。森議員の質問に応じて、会計検査院が調査に着手した。

会計検査院は、全国11の検察審査会の会議に「平成二十三年(2011年)5月から7月までに出頭したとして旅費等が支払われている189人に調書を直送」し、旅費の受け取りの有無を確認した。

1年後に結果が出た。回答は146人からあった。これを根拠に会計検査院は、審査員は存在していたと結論づけたのである。

ところが後に調査上の重大、かつ滑稽(こっけい)なミスが発覚する。確かに会計検査院は、調査を実施したが、小沢検審の時期は調査対象から外していたのである。この事実を石川克子氏が、資料の精読で発見した。

小沢検審が疑惑の対象になり、小沢検審についての調査を求められていながら、肝心の小沢検審は除外して調査し、「問題ない」としたのである。

なお、疑惑はほかにもある。次のPDFが疑惑をまとめたのもである。

 調査報告「小沢検察審査会」架空議決の8つの根拠

◇鳩山検審でも裏金疑惑

今回、「市民の会」が提出した要望書は、上記「③」と「④」の調査を求めたものである。全文は次の通りである。

会計審査員に対する要望書の全文PDF

なお、鳩山検審でも裏金疑惑を推論するに十分な証拠が見つかっている。これについても、調査を求める要望書が提出された。

参考記事:鳩山検審に架空審査会の疑惑、いわくつきの請求書で浮上した裏金づくりの舞台裏、志岐武彦氏が新事実を指摘

 

2014年12月17日 (水曜日)

第47回衆議院選の投票結果は、日本の政治のゆくえを予測する顕著な特徴を示した。自民党と共産党の対立構造が明確になったのである。

次に示すのは、過去4回の総選挙で記録された比例区における自民党と共産党の得票数と得票率の比較である。比較対象として比例区を採用したのは、小選挙区制の下での投票は、「なるべく当選の可能性がある候補者へ」という選択肢をする人が多く、支持政党を調査する上では、適切ではないからだ。

比例区における得票数と得票率が、より正確に国民の支持政党の傾向を示している。

【自民党】
2009年衆議院選 1881万 (26.7%)自民→民主へ政権交代
2012年衆議院選  1662万 (27.6%)民主→自民へ政権交代
2013年参議院選 1846万 (34.7%)
2014年衆議院選  1765万 (33.1%)

【共産党】
2009年衆議院選 494万(7.03%)
2012年衆議院選  369万(6.1%)
2013年参議院選 515万(9.9%)
2014年衆議院選  606万(11.4%)

数字を見ると、2013年の参院選を境に、自民党と共産党が得票率をのばしてることが分かる。両党とも支持者を増やしている客観的な事実が確認できる。自民党が議席を維持してきた背景には、小選挙区制のメリットもあるが、それだけではなく、実質的に支持層を増やしているのである。

今回、2014年の衆議院選は、投票率が50.9%だったこともあって、得票数に関しては、自民党は2013年の参議院選よりも81万票減らしている。これに対して共産党は、低投票率の下でも、87万票増やしている。共産党が台頭してきた事実が数字から読み取れる。

◇今後すすむ2極化、自民VS共産

なぜ、このような傾向が現れてきたのか?
答えは簡単でアベノミックスを進めることを希望するのであれば、自民党へ、逆にアベノミックスの中止を希望するのであれば、共産党へという判断基準が広がったことである。

維新の党は、11.94%(2013年)から15.72%(2014年)へと得票率を増やしているが、これはアベノミックスに対する批判票には違いないが、「右からの批判」である。「金の無駄づかいはやめ、もっと急進的に構造改革=新自由主義を進めてほしい」という人々が投じた票である。

民主党も、得票率を増やしているが、これは自民党の対抗馬としての期待のあらわれだと思われる。もともと民主党は、構造改革=新自由主義の推進派で、左派よりも、右派に近い。しかし、中道左派と勘違いしている人がかなり多い。

こんなふうにみていくと、アベノミックスを進めるのか、それとも止めるのか、あるいは誰がアベノミックスを推進して、誰がアベノミックスに抵抗するのかの分岐点が、今回の選挙で明確になった。

◇ラテンアメリカにおける新自由主義の失敗

ラテンアメリカでは、1980年代に世界銀行と国際通貨基金が債務返済を口実として、新自由主義=構造改革を押し付けた歴史がある。が、完全に失敗。1990年代の終わりから、ベネズエラを筆頭に、次々と左派政権が誕生した。日本も同じような経過をたどる可能性がある。

そもそもアベノミックスとは、何か?端的に言えば、これは新自由主義=構造改革のことである。大企業の負担を軽減して、国際競争力を高めることを主眼としており、そのために①法人税の引き下げ、②消費税の引き上げ、③公共事業の縮小、④福祉・医療の切り捨てと地方への丸投げ、⑤「役所」のスリム化、⑥有望産業の育成、⑥教育のスリム化とエリートの養成、⑦司法制度を国際基準にする、などの政策が行われる。

これらの政策をドラスチックに進めると、国民が「痛み」を伴う。そこで公共事業などで税金をバラマキながら、①~⑦を達成していこうというのがアベノミックスである。

急進的な新自由主義=構造改革を断行したのは、改めていうまでもなく、小泉内閣である。小泉構造改革の不満が、民主党政権を生み、その民主党政権が新自由主義=構造改革へ回帰し批判の的になった。政権に復帰した自民党が、次に打ち出したのがアベノミックスという変形した新自由主義=構造改革である。

が、本質的な部分はなにも変わらない。

2014年12月16日 (火曜日)

◆吉竹幸則(フリージャーナリスト・元朝日新聞記者)

安倍政権の進める安保政策に、民主も維新も本格論争を避け、まともな争点にならないまま、総選挙で自民が圧勝。そのどさくさに紛れ、特定秘密保護法が施行され、集団的自衛権容認の実質改憲に基づく国内法の整備が今後、急速に進んで行く。

しかし、その先にこの国はどんな姿に変貌するのか。それを垣間見れる極めて興味深い記事が選挙中に朝日新聞に掲載されていた。記事を読み解けば、実は集団的自衛権とその運用を覆い隠すための秘密保護法がいかに危険か。改めてその実態が、私にはくっきり浮かび上がって見える。

◇朝日に掲載されたナイ・米元国防次官補のインタビュー

記事とは、朝日の12月8日付け朝刊。その日の朝日デジタルに発言内容の詳細も掲載されているジョセフ・ナイ元米国国防次官補(現ハーバード大学教授)のインタビューだ。

ナイ氏は知日家であるとともに、率直な発言をすることでも知られている。クリントン政権下では冷戦後の日米同盟の在り方を考える「ナイ・イニシアチブ」を策定。現在、ケリー国務次官に助言する米外交政策委員会のメンバーでもある。オバマ民主党政権で日米軍事同盟の運用を決める上で、最も影響力のある重要人物の一人だ。

だからこそ、彼の語る言葉の一言一句は、米国だけでなく米と蜜月関係にある安倍政権の今後の軍事戦略の方向性を知る上で、見逃せない。

朝日本紙と朝日デジタルの掲載内容と合わせて読むと、ナイ氏は、朝日のインタビューに答え、4点にわたり重要なことを語っている。記事を読んでいない方のために、もう一度再録して見よう。

◇辺野古移設に慎重なナイ氏の真意

1点目は、米軍が使用する普天間飛行場の辺野古移転について、「沖縄の人たちが辺野古への移設を支持しないなら、我々は再考しなければならない」と、沖縄の人たちの民意も考え、慎重な立場を表明している。

米国内の軍事関係者の間でも最近、辺野古移転について異論が出ていることはすでに一部ではささやかれていた。ナイ氏の発言はそれを裏付けるものである。

しかし、それは沖縄の人たちの悲しい戦争体験や、戦後、米国の軍事基地が集中し、その犠牲にされて来たとの思いからの沖縄世論を配慮してのものと言えないことが、次の2点目の発言からよく分かる。

ナイ氏は、辺野古移設にこだわらない理由についてこう述べている。

「中国の弾道ミサイル能力向上に伴い、固定化された基地のぜい弱性を考える必要性が出て来た。卵を一つのかごに入れておけば(すべて割れる)リスクが増す」

つまり、米国としては万一、中国との全面戦争になった時には、在日米軍基地の7割を沖縄に集中させていることが、軍事戦略上のリスクと分析。その点から辺野古への移転が、中国の脅威に対する米軍強化にとって、必ずしもプラスにならないことを認識し始めているのだ。

次に3点目だ。

「日本のナショナリズムです。日本がいわゆる『普通の国』になっていくにつれて、日本の米軍基地が減って日本の基地が増えていくはずです。日本列島のより多くの米軍基地が日本の基地となり、米国と日本の部隊が一緒に配置されるかも知れません」

これを踏まえナイ氏は4点目として、将来の在日米軍の姿を次のように語っている。

「固定化された米軍の基地を置くより、(巡回して)異なる場所にいる方が日本のナショナリズムの観点からも問題が少ないし、中国が弾道ミサイルを使おうとしても、より難しくなります」

◇狙いは日本列島全体の米軍基地化

朝日のナイ氏に対する記事は、ここまでだ。インタビューした記者には、せっかくナイ氏が話をしてくれたことに対し、これ以上踏み込んで書くことへの遠慮があったのかも知れない。

しかし、ナイ氏の発言をもう一つ踏み込んで解釈すれば、何故、安倍政権が集団的自衛権の容認を急ぎ、秘密保護法を整備したかの真意も透けて見える。このインタビューから読み取れることを、私なりに解釈してみたい。

1、2点目から分かることは、ナイ氏をはじめ米国の軍事当局者は、沖縄の米軍基地を、万一、米中全面戦争が起きた時、対中国攻撃の最前線基地として位置付けていることだ。

米中全面戦争と言うことは、最悪の場合、核戦争を意味する。米国としては当然、それを想定して軍事戦略を練っている。米国本土を標的とする核兵器を積まれた中国の大型ミサイルを叩くために、「いざ開戦」となれば沖縄の基地から核兵器を積んだ爆撃機が飛び立つ想定になっているのだ。

3、4点目でナイ氏が言うのは、その重要な基地が沖縄に集まっているなら、「中国の弾道ミサイル技術の能力向上」で、米国が中国の核基地を攻撃する前に、中国から沖縄に集中的な先制攻撃を受ける。

その結果、重要拠点の沖縄基地は無力化されたなら、中国から米本土への核攻撃を自由に許すことになるのではないか、との懸念である。米の軍事専門家がこう発言する以上、沖縄に中国攻撃に備えた核兵器が隠されていると見るのも、当然の結論かとも思う。

次にナイ氏は、「日本のナショナリズム」の高まりに言及。日本国内の米軍基地は少なくなり、自衛隊基地にとって代わられると予測する。しかし、それは米国が危機感を抱く事態ではない。もともと米国自身がその方向性を日
本に仕向けて来たものでもあるからだ。

何故なら、米国は2001年9月11日の同時多発テロ以来、頭に血が登り、対タリバンのためにアフガニスタン攻撃を仕掛け、2003年にはイラク戦争も始めた。しかし、ことごとく成功せず泥沼化。米国は多くの若者の命を戦場で散らせ、多額の軍事費負担で消耗して来た。

特にブッシュ・共和党政権の軍事優先政策の反省から生まれたオバマ政権としては、極東に多くの兵力も多額の軍事費も投入する余力や大義名分も失くしている。日本の自衛隊に極東の軍事力の肩代わりを要求してきていることから、安倍政権が「ナショナリズム」を高揚させ、日本の自衛隊が国内基地を拡充し、米軍と提携していく政策は、米国にとって願ったり、かなったりなのだ。

そこにナイ氏の思惑が透けて見える。「米国と日本の部隊が一緒に配置され」、米軍基地が自衛隊基地と一体化すれば、中国有事の際には、全国に散らばっている自衛隊基地から、核兵器を積んだ米軍の爆撃機が中国本土に攻撃に出られると見るのだ。

つまり、「固定化した」沖縄基地より日本本土に散らばる自衛隊基地を、在日米軍が(巡回した方が)、沖縄の基地軽減に繋がるとともに「中国が弾頭ミサイルを使おうとしても、より難しくなる」と見るのだ。

しかし、それは今の米本土防衛任務を担う沖縄基地の役割を日本列島に点在する自衛隊基地全体に広げて引き受けさせることを意味する。

◇米国本土を守る盾にされる日本の国土と国民の命

前述の通り、ナイ氏は民主党の極東戦略の最も有力なブレインだ。以前から米国はこの線に沿って極東軍事の将来の方向性を定め、日本にもそれに沿う防衛戦略を立てるよう求めて来たのも間違いないだろう。集団的自衛権容認の閣議決定後、順調に日米協議が始まったことからも、ナイ氏の描く構想に沿い米国の思惑通り、事態は進行していると見ていいだろう。

安倍首相は、靖国参拝や歴史認識で中国や韓国の国民感情を害し、反発を強めた。それをテコに何も知らない若者も煽って日本の「ナショナリズム」を高め、国民の間に集団的自衛権容認の機運を醸成した。それが何故か。ナイ氏の話と重ね合わせると、安倍首相の真意も透けて見える。

安倍首相の唱えてきた「ナショナリズム」は、一般的に定義される本来の「ナショナリズム」とは、少し趣が違うのだろう。米国の要求に沿い、「自衛隊基地と米国基地との一体化」のためには、集団的自衛権の容認が不可欠だ。そのために必要以上に中国や韓国、北朝鮮を敵視し、その脅威を強調したかったに違いない。

総選挙での自民圧勝を受け、いよいよ集団的自衛権容認と日米協議に基づき、国内法の整備が急ピッチで進む。その最後の目標は、ナイ氏の思惑通り自衛隊と米軍の部隊と基地の一体化だ。

米中本格戦争に突入すれば、日本本土の自衛隊基地から核を積んだ米国の爆撃機が中国に向かい、自衛隊機がその護衛を引き受ける日米共同作戦も十分想定出来る。そうなれば、米国本土の前に、まず中国から日本本土に容赦のないミサイル核攻撃始まる。日本列島の国土と国民の命は、米国本土の盾にされ、広島、長崎をはるかに超える被害が出て、間違いなく日本全体が焦土化する。

「米国は日米安保条約で日本を守ってくれている。だから集団的自衛権を容認して自衛隊が米軍に協力するのは当然だ」との意見もよく聞く。私も厳しい国際情勢の中で、日米安保を今すぐ廃棄出来るとは思わない。

しかし、ナイ氏の発言通り、米国もしたたかな自国の国益に沿い、極東有事の際に、中国などの攻撃から米国本土を守るための基地提供を日本に求めているのが、今の日米安保の本質だ。

一方、日本も経済発展優先の国益に沿い、隣国とむやみに争わず、米国の過剰な軍事要求をかわすため盾にしたのが、米国が戦後プレゼントしてくれた憲法9条だ。しかし、安倍氏はこの盾を取り払い、自ら外堀を埋めたのが集団的自衛権の容認である。それが果たしてこの国の国益なのか。もう一度、この国の人々はナイ氏の言葉を読み解き、直面する事態の大きさを直視して欲しい。

◇人々は日米軍事戦略の実態を知らされなくていいのか

安倍政権が、集団的自衛権の容認とセットで進めたのが、秘密保護法だ。国民の「知る権利」が根こそぎ奪われる法律だ。私もフリージャーナリスト42人と東京地裁に違憲訴訟を起こしている。しかし、その判決すら待たず、選挙中に施行された。

この法律は、何が秘密か分からないまま、秘密に近づいただけで罰せられる極めて理不尽な内容だ。狡猾な官僚が、自分たちの天下りなど都合の悪い情報まで明確な基準もないまま、秘密にされるのではないかとの疑念もある。

でも、安倍政権が間違いなくこの法律で守ろうとする本丸は、この「防衛機密」、つまりナイ氏が対中国戦争で想定する日米軍事協力の細目である。

日本列島全体が米国本土の盾になり、国民の命も国土も消えてなくなりかねない危険な内容だ。これを知らされた上で、「ふだん米国に守ってもらっているのだから」と日本国民の総意で、この政策を選択するのなら、それはそれでやむを得ない。しかし、全容を国民に知らされないまま、事態が進行して行っていいのだろうか。

私が想い出すのは、1971年、日米で結ばれた沖縄返還協定で、「基地撤去に米国が沖縄の地権者に支払う土地現状復旧費用400万ドルを日本政府が肩代わりする」をされる密約を、西山太吉・元毎日新聞記者が掴んだことを発端とする外務省機密漏えい事件だ。

秘密保護法が施行されても、当初は国民の監視があり、政府もしばらくは拡大解釈は避け、慎重に運用するだろう。しかし、対中国の「防衛機密」は違う。沖縄密約をスクープした西山元記者は、司法権力により男女問題にすり替えられ、国家公務員法(守秘義務)違反の疑いで逮捕、起訴され、一審では無罪になったものの、高裁で逆転判決。最高裁も有罪を確定させている。

背景には、西山氏のスクープした肩代わり密約の先に、非核三原則があるにも拘わらず、沖縄に核兵器を持ち込むことを政府が容認したとされる核密約があったからだとの説が有力だ。だからこそ、西山氏のスクープで核密約に焦点が当たることを恐れた政府が、男女問題にすり替えてでも西山氏を逮捕、記者生命を奪ったと考えられるのだ。

今度も、日米軍事行動の具体的な密約内容が明るみに出そうになれば、「報道の自由を守る」などは反故。他の問題はさておいても、政府は何としてでも理由をつけ、秘密を洩らした側も、報道しようとした記者も秘密保護法違反で逮捕し、社会からの隔離を図るに違いない。

自民圧勝の選挙結果を受け、安倍政権がナイ氏の構想に沿い、極めて危険な日米連携軍事行動にアクセルを踏み込もうとしているこの時期に、私は改めて問う。国民の命と財産に関わる極めて重大な政策・情報が、「防衛機密」との一言で、「国民に知らされなくていいのですか」「国民は知らなくていいのですか」、と…。

≪筆者紹介≫ 吉竹幸則(よしたけ・ゆきのり)
フリージャーナリスト。元朝日新聞記者。特定秘密保護法違憲訴訟原告。名古屋本社社会部で、警察、司法、調査報道などを担当。東京本社政治部で、首相番、自民党サブキャップ、遊軍、内政キャップを歴任。無駄な公共事業・長良川河口堰のウソを暴く報道を朝日から止められ、記者の職を剥奪され、名古屋本社広報室長を経て、ブラ勤に至る。記者の「報道実現権」を主張、朝日相手の不当差別訴訟は、戦前同様の報道規制に道を開く裁判所のデッチ上げ判決で敗訴に至る。その経過を描き、国民の「知る権利」の危機を訴える「報道弾圧」(東京図書出版) 著者。

2014年12月15日 (月曜日)

東北大学大学院の堀雅敏准教授の研究グループが青色LEDを昆虫に当てると死ぬことを発見した。この研究結果は、12月9日付けの英科学雑誌「Scientific Reports」に掲載された。

青色LEDの安全性を考える際の基本的な視点は、電磁波の安全性に関する考え方がどう変化してきたのかという点である。電磁波とは、簡単に言えば電波のことである。厳密にいえば、電波が磁気と磁場を伴っている形状を描写した表現である。従って「電磁波=電波」と考えても許容範囲である。

電磁波問題とは、科学の観点から言えば、人体が電磁波に被曝した際の人体影響の検証である。

電磁波には様々な種類がある。電磁波の分類基準になっているのが、1秒間に打つ波の数、ビート数(厳密には、周波数)である。周波数の違いにより、電磁波の種類は分類されている。たとえば、

送電線は、東日本で50ヘルツ(50ビート)。

第3世代携帯電話のマイクロ波は、2ギガヘルツ(20億ビート)。

周波数が高くなると、波は小刻みになり、その結果、波長も短くなる。それに伴いエネルギーも高くなる。

LEDは、上図に示した赤の部分「可視光線」の領域に該当する。つまりエックス線や紫外線ほど周波数は高くはないが、携帯電話や家電に比べるとはるかに高い。

◇青色LEDだけではなく、赤色と黄緑色の調査も

電磁波は、従来から周波数の低いものは安全で、高いものは危険と考えられてきた。実際、家電を恐がる者はいないが、誰もが原発のガンマ線に対しては恐怖を抱いている。遺伝子を壊してしまうからだ。

ところが最近になって、周波数の大小、あるいはエネルギーの大小とは関係なく、すべての電磁波に毒性があるという考えが有力になっている。

実際、北里大学の宮田幹夫名誉教授らがまとめた『生体と電磁波』は、この点について次のように指摘している。

極低周波から超高周波まで、人工電磁波も生体へのダメージは大きく、身近にある場合は障害を生じる。放射線と電磁波はメカニズムが異なるが、同じように体内にフリーラジカルを生産し、DNAを破損してがんの原因を作る点では、同じような環境汚染源としてみることができる。

※日本では、放射線と電磁波を分類しているが、欧米では放射線(Radiation)で統一されている。

また、荻野晃也博士は、『携帯電話基地局の真実』の中で次のように述べている。

 最近の研究の進展で「電磁波全体が危険な可能性」があり、「共通した遺伝的毒性を示す」と考えられるようになってきたのが、現在の「電磁波問題」の本質だといってよいでしょう。

東北大学の発見は、従来は「安全」と思われていた領域の可視光線にも毒性があることを裏付けた。最近、有力になってきたすべての電磁波(放射線)に毒性があるとする説の正しさを裏付ける結果となった。

現在は、青色LEDが危険で、赤色LEDと黄緑色LEDは安全とされているが、後者についても、念のために詳しく調べる必要がある。短期被曝では影響がなくても、長期被曝で影響があるかも知れない。

報道資料:青色光を当てると昆虫が死ぬことを発見

 

2014年12月10日 (水曜日)

新聞研究者の故新井直之氏は、『ジャーナリズム』(東洋経済新報社)の中で、報道の見方について、次のような方法論を展開している。

新聞社や放送局の性格を見て行くためには、ある事実をどのように報道しているか、を見るとともに、どのようなニュースについて伝えていないか、を見ることが重要になってくる。ジャーナリズムを批判するときに欠くことができない視点は、「どのような記事を載せているか」ではなく、「どのような記事を載せていないか」なのである。

映画字幕翻訳家・戸田奈津子氏が加齢黄斑変性という目の病気になっていることを公表した。病名こそあまり聞かないが、近年、急激に増えているそうだ。全盲になるリスクも高い。

この加齢黄斑変性の原因のひとつをご存じだろうか。実は、3人の日本人がノーベル物理学賞を受賞したのを機に、マスコミが歓喜の大合唱を続けている青色LED(ブルーライト)である。

最初に開発されたLEDは、赤色LEDである。1961年のことだ。次に1968年になって、黄緑色LEDが開発された。そして、1993年に、今年のノーベル物理学賞受賞者である赤松勇教授と天野浩教授が、青色LEDを開発したのである。

皮肉なことに、危険性が指摘されているのは、赤色LEDでもなければ、黄緑色LEDでもない。青色LEDが危険視されているのである。厳密に言えば、ノーベル賞の受賞前の時期から、危険視されてきた。

しかし、日本のマスコミはノーベル賞の受賞者と一体になって、「日本人はやっぱりすごい」といわんばかりの提灯記事を連日掲載し、青色LEDが普及する過程で生じる健康被害についてはほとんど報じない。

具体的に青色LEDには、どのようなリスクがあるのだろうか。

◇青色LEDと健康被害

青色LEDと関連があるとされている病気の代表格は、すでに述べたように、
加齢黄斑変性である。

目をカメラにたとえるなら、角膜はフィルター、水晶体はレンズ、網膜はフィルムのようなもの。私たちは、外界で散乱している光をフィルターやレンズで屈折させ、網膜に集めることで初めて「モノを見る」ことができます。ところが、紫外線やブルーライトのような強い光は、角膜や水晶体で吸収されず、ストレートに網膜に達してしまいます。

たとえば、「太陽の光を直接見てはいけない」と言われるのは、強烈な光によって網膜がダメージを受けてしまうから。また、たとえわずかでも、紫外線やブルーライトを浴び続けると、網膜の中心部にある「黄斑」がダメージを受け、加齢とともに増える眼病「加齢黄斑変性」の原因になる場合があります。(出典:ブルーライト研究会)

岐阜薬科大学の研究グループは、今年の6月に英国の学術誌 Scientific Reports青色LEDの危険性を指摘する論文を発表している。次のPDFが日本語のサマリーである。

日本語のサマリー

さらに睡眠傷害も指摘されている。

 眼の専門家に聞く、LEDディスプレイから出る「ブルーライト」は何が悪い?

さらに、青色LEDを4か月熱帯魚に放射したところ背骨が変形したという報告もある。。

 【黒書】LEDを4ヶ月浴びた熱帯魚の背骨がS字型に変形、原因不明も重い事実

このように多くの専門家が健康被害を懸念している。ところが業界団体は、すでに安全宣言を出している。ビジネスに結び付けることしか頭にないからだ。

ノーベル賞はいうまでもなく、ほとんどの賞には政治的な影響力が加わっているとみて差し支えない。

 

2014年12月09日 (火曜日)

◆吉竹幸則(フリージャーナリスト・元朝日新聞記者)
安倍首相は「重要な政策では国民の声を聞く」として、解散に踏み切りました。しかし、憲法9条の実質改憲である集団的自衛権容認、憲法21条「表現の自由」の基礎である国民の「知る権利」を否定する特定秘密保護法の制定で、なぜ、「国民の声」を聞く解散に踏み切らなかったのでしょうか。まさに「まやかし解散」、「まやかし政権」と言わざるを得ません。

「アベノミクス解散」と称したことから、政治評論家の中には、したり顔で小泉首相当時の「郵政解散」になぞる向きもあります。しかし、根本的に違います。小泉首相は曲りなりにも、「官僚機構の財布」と言われた「郵貯資金」に手を付けようとしました。

勿論、自民党の既得利権擁護派の抵抗勢力、官僚機構、官公労やそれをバックにした野党まで反対の大合唱。その中で解散権を行使するのは、国民の声を聞くためにも当然の成り行きだったと思います。

しかし、アベノミクスは今のところ、日銀がお札を刷って貨幣価値を下げただけ。当然、その分インフレ・円安にはなりました。しかし、消費税で懐に入れた金を使って、ダムなど無駄な公共事業を既得権益層にバラまいただけです。公共事業予算は、民主政権時代の5兆円が10兆円に増えています。

しかし、私が解明した長良川河口堰のように、無駄な公共事業は金食い虫、「諸悪の根源」です。今、必要なのは、官から権限もお金も取り上げて民に回し、経済を活性化することです。

◇特定秘密保護法の違憲訴訟

しかし、安倍政権のやっていることは、国民から消費税増税でまきあげたカネを官に供給しているだけです。民間の成長分野に資金や政策が回らなければ雇用も賃金も伸びず、経済が浮揚するはずもありません。

安倍政権では、口先だけで本格的な規制緩和、既得権の整理もしていません。勿論、こんな分野に本格的に手を付ければ、小泉政権の時のように、大きな抵抗に遭います。

抵抗勢力との対決で政治が動かない事態に直面、民を活性化する具体案を示し、国民の意志を問うと言うなら、まだ解散の大義名分はあります。しかし、その熱意も感じられないまま、700億円もの費用をかけて解散では、民の生活は細るばかりです。

こんな解散のどさくさに紛れて、「言うべきことも言えず、知りたいことも知れない」と人々からも強い不安が出ている秘密保護法が、12月10日に施行されます。秘密法をめぐっては、私も含むフリージャーナリスト43人が東京地裁に違憲訴訟も起こしています。しかし、その司法判断も出ていないのに、強引な施行に私は大きな怒りを感じています。

11月19日には、東京地裁で私たちの違憲訴訟の第3回口頭弁論が開かれました。多くの支援者が傍聴に詰めかけてくれ、地裁で一番大きい103号法廷が満杯になりました。その勢いに押されてか、裁判長は次回以降、原告の陳述も認める方向になり、今後、論戦が展開されます。

しかし、翌20日、静岡地裁で開かれた藤森克美弁護士の秘密法違憲訴訟では、傍聴人が少ないのをいいことに、実質審議もまともにせず、裁判長は強引に始まったばかりの裁判の打ち切りを画策しました。

法廷で取材をしていた司法記者はたった2人しかいません。私が司法記者をしていた時代には、違憲訴訟なら私に限らず司法記者クラブに所属していた各報道機関の記者全員が、法廷で取材するのが当たり前でした。こんな所にも若い記者の劣化を感じます。

裁判長は、藤森弁護士の抵抗でもう1回の審理を行うことを渋々認めました。しかし、年内にこだわり、何とか早く審理を打ち切りたいとの意図が見え見えでした。これではまともな判決は期待出来そうもありません。今の裁判所はこの通り、傍聴人・報道機関の監視が言い届かなければ、権力迎合。何でもしたい放題です。

12月1日には、横浜地裁で市民団体による違憲訴訟が始まりました。ぜひ、皆さんによる司法監視、違憲訴訟原告団に対する支援をお願い致します。

◇裁量権の濫用

さて、「公共事業は諸悪の根源」シリーズは今回で18回目。戦前回帰した司法の実態を報告する「デッチ上げまでした司法」の4回目です。

前回のこの欄で、名古屋地裁の裁判官が私の陳述さえ許さず、一度も論戦・証拠調べもせず、実質審理なしに結審。1948年に制定された日本新聞協会の「編集権声明」の2項のみを都合よく取り出し、読者・国民の「知る権利」などそっちのけの朝日の主張を鵜呑みにした判決を出したところまで報告しました。

裁判官は「編集権は新聞経営者にある。記者がどんな取材をしようとも、紙面に掲載するか、しないかは、経営者の裁量権の範囲」。つまり、経営者の勝手であり、記者には何の権利もないと、私に敗訴を言い渡したのです。

今回はここからです。

◇知る権利に応えることは記者の責務

本シリーズ⑮でも書いたように朝日の経営者が守るべき編集方針、つまり「行動規範」では、「国民の知る権利に応えるため、いかなる権力にも左右されず、言論・表現の自由を貫き」「市民生活に必要とされる情報を正確かつ迅速に提供」「あらゆる不正行為を追及」「特定の団体、個人等を正当な理由なく一方的に利したり、害したりする報道はしません」「言論・表現の自由を守り抜くと同時に、自らを厳しく律し、品格を重んじなければならない」と定めています。

仕事の目標として等しく朝日が記者に求めているのは、「記者行動基準」です。「記者の責務」として、「記者は、真実を追求し、あらゆる権力を監視して不正と闘うとともに、必要な情報を速やかに読者に提供する責務を担う。憲法21条が保障する表現の自由のもと、報道を通じて人々の知る権利にこたえることに記者の存在意義はある」としています。

私の長良川河口堰報道は、「治水のために堰が必要」と言うのは、建設省自らの行政マニュアルと極秘資料に基づいて、全くのウソであることを読者に知らせるものです。読者の「知る権利」に応えるのは、「記者の権利」と言うより「責務」です。私が記者の「責務」を果たさなければ、朝日に責任を問われます。しかし、この「責務」を果たそうとして記者職を剥奪され、ブラ勤にされる理由は全くありません。

一方、朝日の経営者は、私の河口堰報道を止めました。これは自ら定めた「行動規範」の「国民の知る権利に応える」すべての項目に反します。

◇「報道実現権」とは

不当差別などで争われる労働訴訟の基礎的な最高裁判例「不利益変更法理」では、経営者に人事や査定について広く裁量権を認めています。

しかし、憲法27条「労働権」、労働基準法3条「均等待遇」を基に、雇用主が行った裁量権が正当か否か、具体的事実を精査することを求め、「業務上の必要性が存しない場合」「他の不当な動機・目的をもってなされたとき」「労働者に対し通常甘受すべき程度を著しく超える不利益を負わせるものであるとき」には、雇用主の「裁量権の濫用」で、「不法行為・債務不履行に該当する」、と判断基準を明示しています。

私の主張した記者の「報道実現権」とは、新しい記者の権利を確立するなどと言う大袈裟なものではありません。労働基準法3条「均等待遇」に基づいて経営者が等しく課した仕事の目標なら、それを達成し、その成果に基づいて公正・公平に評価を受ける雇用者全員が等しく持つ権利に過ぎません。記者の仕事は「報道」ですから、「報道実現権」と称したまでです。

雇用主が特定の雇用者のみ、明文化した仕事の目標を達成することを妨害し、不当配転すれば、具体的事実・経過に照らし、「業務上の必要性が存しない場合」「他の不当な動機・目的をもってなされたとき」に該当し、「労働者に対し通常甘受すべき程度を著しく超える不利益」を負わせたと判断出来れば、「不利益変更法理」上、「不法行為」「債務不履行」が成立するのは当然です。

しかし、名古屋地裁判決は、「編集権は新聞経営者にある」として、濫用の有無について、具体的事実に基づいた審理すらしていません。

事実審理を避けるためのカラクリは、前回のこの欄で詳しく説明したように、私の主張する記者の「報道実現権」が、裁判では最初から認められるはずもない「就労請求権」であるかのようなすり替えでした。「報道実現権」の法的根拠が労働基準法3条「均等待遇」であることを、私が書面で何度も詳しく主張したにも拘わらず…です。

明らかに最高裁判例「不利益変更法理」の判例に反する子供騙しのインチキ判決です。もちろん私は、即刻、名古屋高裁への控訴を決意しました。

◇「雇ってもらいたければ、黙っていろ」

名古屋高裁での控訴審は、2009年7月でした。弁論に先立ち、私は弁護士と控訴状作りに追われました。一審と同様、私が原文を書き、弁護士に直してもらう作業です。ジャーナリストである私が書く控訴状なら、ありきたりのものでは、意味がありません。弁護士の賛意も得て、次の言葉から入りました。

「司法記者は、『世間の論理』『国民感情』にも根ざし、分かりやすく、判決を評論するのが、その任務でもある。裁判に半素人としての控訴人が、『司法記者』として、原判決の『解説』を命じられたとするなら、『判決は、旦那の言うことは絶対であり、番頭や丁稚がどんなに苦労して仕事をしても、その成果を実現するのも、させないのも旦那の腹次第・勝手であり、文句を言う奉公人は、庭掃除でもしておけという封建的主従関係の是認に基づいている』という書き出しから始めるしかない」

かつて朝日は、社内で「村山商店」と言われていました。創業者・社主である村山家に番頭、丁稚のように仕えるのが、社員の役割という意味でした。いかに外に向って自由で進歩的な論陣を張っても、内部は封建体質そのもの。自虐的に語られてきた言葉でもありました。

社員は自分たちに分け与えられたわずかな株式を持ち寄り、信託委員会を作って社主家に対抗。呪縛から逃れ、社主家以外から社長、経営陣を擁立し、対抗しました。近代的な報道機関の形態を名実ともに整えたと、誇らしげに語られた時代もあったのです。

しかし、企業体質は、そう簡単に変わるものではありません。本欄「ジャーナリズムでなくなった朝日」で詳しく報告したように、社主家の影響力が大幅に削がれても、派閥の領袖にとって代わられただけのことです。番頭や丁稚からの批判には、「雇ってもらいたければ、黙っていろ」と言わんばかりの商店体質から脱皮していないのです。地裁判決は、朝日の封建体質を是認するものです。到底是認できるものではなく、こんな言葉から入ったのです。

◇取材経緯を詳述

私の主張する「報道実現権」は、「均等待遇」に基づく権利で、「就労請求権」ではないことをはじめ、コンプライアンス委員会への提訴権の侵害の判断も漏れていることなど地裁判決の不当性を、逐一、念を押して主張しました。

地裁で審議を尽くしているなら、争点も絞られ、整理出来ます。控訴理由はそれほど長くなくても済むのです。しかし、何の実質審議もしていない以上、私は最初から主張をやり直すしかありませんでした。弁護士も、高裁に地裁のような意図的なインチキ判決の余地を与えないよう、しっかり書きこんだ方がいいという意見でした。

取材経過をもう一度詳述し、私に「取材不足」がないことも念を押すと、控訴理由書は50頁の長文になりました。私が何を主張したか。これ以上書かなくても、本欄の読者なら自明のことだと思います。

一方朝日は、私の主張について「一審の蒸し返しに過ぎない」と、極めて短い書面を出して来ました。具体的に書き込めば、一審同様、馬脚が現れます。「触らぬ神に祟りなし」だったのでしょう。

◇書面を読まずに判決を書いた疑惑

こうして1回目の口頭弁論を迎えました。普通は、控訴人、被控訴人、双方の主張を改めて聞き、今後の審理手順・日程などを決めます。ところが、裁判長から耳を疑う言葉が出たのです。何も審理せず、突然、判決日を2ヶ月後の9月2日に指定したのでした。

私は、せめて本人陳述だけでもさせるように、何度も懇願しました。でも一審同様、裁判長は頑として受け付けません。私がなお求めると、「あなたは書面で詳しく主張しているではないですか。これ以上、何を話すことがあるのですか」と逆に尋ねられました。

確かにその通りではあるのです。しかし、一審では、私の書面をまともに読んだ形跡はありません。同じことが繰り返される不安があります。「きちんと法廷の場で説明したい」と主張しました。しかし、裁判長は、「今度は、しっかり書面は読まして戴きますから」と答えました。

朝日で記事に出来なかった長良川河口堰をめぐる建設省のウソの全容。法廷の場を借り、世間に明らかにすることで、ジャーナリストとしての私の責任の一端を果たそうとも考えていました。それが裁判を起こす私の動機の一つでもあったのです。しかし、これではそれさえも出来ません。

ただ、裁判長が「今度は…」という限り、一審は証拠をまともに読んでいないことを言外で認めたのも同然です。裁判長の表情は、地裁のとげとげしさとは打って変わり、にこやかでした。

高裁は、陪審も含め、裁判官は3人です。あまりに露骨な不当判決は出来ないはず、とその時は考えていたのです。不当差別訴訟で一審のように具体的事実の審理は何もしていない判決は最高裁判例・不利益変更法理に明確に反します。もともと私の頭には、高裁はもう一度地裁に差し戻し、事実審理からやり直させる判決が出るのは当然との思い込みもありました。

それなら、弁論は1回で済ましても不思議ではありません。地裁での差し戻し審で、事実審理が出来ます。私も、改めて法廷で取材の全容を世間に明らかすることも可能です。なら、これ以上食い下がっては、高裁の心証を悪くするだけです。後から考えれば、私の思い込みは甘過ぎました。しかし、その時はそんなお思いで渋々ながら、裁判長の指揮を受け入れたのです。

こうして判決日を迎えました。判決は、私の「差し戻し」の予想は見事に裏切られ、「控訴棄却」。一審に続く私の敗訴です。司法記者時代、外したことのない判決予想を2度続けて外すとは、私の勘も衰えたものです。またも、首をひねりながら、書記官室で判決文を受け取りました。

高裁の判決文も、地裁同様、当事者双方の主張をまとめることから始まります。判決文では、「報道実現権」についての私の主張をこうまとめていました。
「いわば『仕事目的実現権』ともいうべきもので、普通の労働者には認められない『記者』特有の,特殊な人格権に基づく権利である」

一体、私が何処で、「『記者』特有の、特殊な人格権」と主張したのでしょうか。何度も「普通の労働者に認められる『仕事目的実現権』の一つ」と主張したのは、本欄の読者ならよくご存知のはずです。冒頭から私の主張さえ、180度逆にデッチ上げられているようでは、先に何が書かれているか、私は不安に駆られました。

急いで、私が地裁の判断を不当として高裁に見直しを求めた争点部分を、どう判断したのか、先を読み進めました。問題の「就労請求権」について、高裁の判断はこうでした。

◇判決に反論はなかった

「労働者が就労することは、使用者が賃金を支払うことに対応する基本的な義務であって、労働者は使用者に対し、当然には就労請求権を有するものではない。そして、控訴人主張の報道実現権は、控訴人が取材活動をして得た情報を基に作成した(これが就労に該当する。)原稿を、記事として新聞に掲載することを求める権利であるというのであるから、その権利の内容からして、就労請求権を超えるものといわざるを得ず、そのような権利が労働契約上,当然に生ずるものとは解し難い」

何のことはありません。一審判決をそのままコピーしただけです。どこを探しても、「『均等待遇』に基づく権利」との、私の主張に対する答え・反論はありませんでした。さらに、判決は次のように続いています。

「控訴人は、被控訴人において、控訴人の仕事の成果を受領すべき義務があるかのようにも主張する。しかしながら、仮に,被控訴人に控訴人のした仕事の成果を受領すべき義務があったとしても、そのことと、被控訴人が当然にそれを記事として新聞に掲載する義務を負うかどうかは、次元を異にする事柄である」

「記者が作成する記事原稿ないし取材結果は、新聞事業の経営管理者等が編集権を行使して報道内容を編集するための、いわば素材に過ぎないものであり、その素材を編集して記事として新聞に掲載して報道すべきか否かについては、編集権を有する新聞事業の経営管理者等が決すべき事柄である。したがって、被用者である記者は、新聞事業者に対して、自己が作成した記事原稿等を、新聞記事として報道すべきことを要求する権利を有するものではなく、これを有するとすることは、新聞事業者の有する編集権を侵害し、ひいては新聞報道の自由を阻害することともなる場合があると解され、この点からも、控訴人が被控訴人に対して報道実現権なる権利を有するものとは解しえない」

「控訴人は、記者の報道実現権を侵害することは、国民の知る権利を侵害することになるから、新聞経営者、編集責任者には、被用者である記者の、一定水準に達した、正当、かつ、合理的な仕事の成果を、受領すべき義務、あるいは責務を、一般企業の雇用主以上に負っていると主張する。しかしながら、新聞記者が国民の知る権利に奉仕することを任務と自覚して、誠実に職務を果たすべきことは当然であるが、それであるからといって、記者は、新聞事業者に対して、記事原稿や取材結果を記事として新聞に掲載することを要求する権利を有しておらず、新聞報道の内容を編集する権利は新聞事業者にあり、個々の新聞事業者の編集方針に従って編集された、種々、様々な新聞報道によって、国民の知る権利が充足されているものと解するのが相当である」

「記者の記事原稿が一定水準に達したものであるかどうかは、編集権を有する新聞経営者やその委任を受けた編集責任者が判断すべき事柄であって、これらの者の判断が適正なものであったかどうかは、最終的には、読者である個々の国民が判断すべきものである。新聞報道される以前の素材に過ぎない記事原稿が、一定の水準に達しているかどうかを裁判所が判断することは、場合によっては、それ自体、報道の自由を侵害することにもなりかねず、その意味でも前記の事柄についての判断は、性質上司法判断にはなじまないものというべきである」

◇記者には何の権利も認めず

高裁も、地裁同様、新聞経営者の編集権、裁量権は絶対であり、記者には何の権利もなく、裁判所も口出し出来ないと言っているに過ぎません。

何度も言うようですが、「記者が国民の知る権利に奉仕することを任務と自覚して,誠実に職務を果たすべきことは当然である」と、私も考えています。新聞が「個々の新聞事業者の編集方針に従って編集」されるということも、間違いありません。一般論としては、確かに「報道の自由を侵害」しないためにも、「司法判断」は出来るだけ最小限にとどめた方がいいと、私も考えています。

しかし、どんな新聞でも「編集方針」の最初に,「国民の知る権利」に奉仕することを掲げています。記者も経営者も「国民の知る権利に奉仕することを任務と自覚して、誠実に職務を果たすべきことは当然」で、記者の「報道実現権」も経営者の「編集権」も本来協調的だと、私は一貫して主張して来たことも、本欄の読者ならご承知のはずです。

記者には「誠実に職務を果たす」義務があっても、新聞経営者にはないとでも高裁は言いたいのでしょうか。経営者が「編集方針」を逸脱・濫用するなら、「国民の知る権利」はないがしろにされ、「新聞報道の自由を阻害することにもなる場合がある」というのが、私の指摘です。しかし、これに対する裁判所の答は、判決文をくまなく探しても見つかりませんでした。

もちろん国家権力ではなく、「編集責任者」の「判断が適正なものであったかどうかは、最終的には、読者である個々の国民が判断すべきもの」です。しかし、戦前、「微力な経営者」が軍部の圧力に屈し、真実が覆い隠されました。国民は報道が「適正なものか」判断するすべもなく、悲惨な戦争に突き進んだのです。「編集責任者」が報道弾圧して、新聞に記事が掲載されないなら、読者・国民は何をもって「適正なものであったかどうか」判断すればいいのか、裁判所に教えて戴きたいと、私は思いました。

高裁も地裁同様、戦前の報道弾圧社会を理想として、記者の「報道実現権」は絶対に認めないと独断と偏見、強い決意で判決文を書いたとしか、私には読み取れません。判決文に対する私の日本語読解力が貧しかった故かは、「読者である個々の国民」である本欄の読者に「判断」して頂ければと思います。

◇高裁判決に見る論理の矛盾

しかし、ここまでは、まだ序の口だったのです。

判決では、何の事実審理もしなかったにもかかわらず、「被控訴人に、どのような記事を新聞報道するかについて編集権や裁量権が認められるとしても、被控訴人が控訴人の取材結果を報道しなかったことは、編集権ないし裁量権を濫用したものであると主張するので検討する」として,「証拠によれば、以下の事実が認められる」と、こう事実関係に踏み込んで来たのです。

本書の読者ならお分かりの通り、もともと私が問題にしていた裁判の焦点は、「報道実現権」があるかないか、「編集権」が唯一絶対かという抽象論、言葉の遊びではありません。突き詰めれば、具体的事実を編集方針に照らして朝日の「編集権・裁量権」に「濫用」があったかどうかという問題です。当然、この点が1審から審理の中心にならなくてはならなかったはずなのです。

高裁は、やっとこの点に踏み込みました。私に「取材不足」がなかったことには、絶対の自信があります。負けるはずもありません。しかし、事実審理や証拠調べもせずに、何を根拠に高裁がどう判断して、私を敗訴にする根拠にしたのか、不安に駆られました。裁判所の事実認定を、少し長くなりますが、そのまま採録させて下さい。

判決文の核心部分PDF

高裁判決の唯一の収穫は、私の出した証拠から(ア)の通り、建設省の「治水上、堰は不可欠」は全くのウソ。ありもしない水害があたかも起きるかのように、住民・国民を脅し、巨額の国民の血税を注ぎ込んで、無駄な公共工事を完成に漕ぎ着けたことを、真正な事実として認定したことだけでした。

しかし、ここまで本欄を読み進められた読者なら、判決の事実認定がどこか変。なぜ私が、裁判所に出したこの部分の書面を本欄に長々と採録したかについても、とっくに気づかれていると思います。

最低限、裁判官は判決文に自分が何を書いたか。それ位の日本語は、自分で理解出来る資質を備えた人のみがなる職業です。しかし、陪審も含めた高裁のこの3人の裁判官は、自分の書いた日本語さえ、自分で理解出来ていません。

高裁判決(ア)では、私の取材結果から裁判官はすでに、「建設省が長良川で想定している最大大水時においても、その水量は安全水位以下に収まり」と認定しています。

ところが、(イ)で一転、「最大23センチメートルのオーバー」の水位図について、デスクが信憑性に疑問を持ち、私に追加取材を命じたと事実認定しています。すでに(ア)の結果が分かっているのに、デスクはわざわざ「最大23センチのオーバー」の水位図を持ち出して補強取材をさせる必要があったのか。そもそも(ア)と(イ)の水位図を取材した時系列は、どうなっているのか。自分の書いた日本語を自分で理解出来る裁判官なら、最低限その点だけでも疑問を持ち、矛盾に気付くはずなのです。

◇役所の無茶の全容

もう一つ言えば、裁判官は「政府は,長良川河口堰建設にあたり,治水,利水を区別することなく3200万トンの浚渫が必要との閣議決定をしたが,……」以下を、(ア)で認定しています。

しかし、これこそ裁判官が(イ)で事実認定した「朝日新聞の責任で前記計算を明らかにすることは,危険が大きすぎる」として、建設省が「どのような方法で計算をし、記者発表をしたのか」、「これまでのルートを通じてさらに深く探れないか」と、デスクが探るように求めた「役所の無茶な嘘」の全容にあり、私が解明した中身です。

つまり、(イ)で記事にするため朝日から私が求められた条件は、すでに(ア)の段階で解明させていることぐらいは、裁判官でなくても、普通の日本語能力を備えた人なら、すぐに分かる話です。(ア) が分かっていて、どうしてデスクが(イ)の指示をする必要があったのか、これも当然湧く疑問です。

私たち記者の世界では、取材結果をつき合わせ、矛盾ばかりが浮き上がると、「なぜ」、「なぜ」、「なぜ」と頭の整理がつかず、とても記事など書けたものではありません。取材を一からやり直し、疑問を解いてから記事を書きます。事実、私は取材の深化で浚渫土砂量の疑問を感じ、一から見直しました。その結果、当初から治水のための浚渫土砂量は、3200万トンでなく1500万トンであることを見抜けました。疑問さえ解かず、そのまま判決文を書く裁判官の神経を疑うしかありません。

法廷を開き、私の陳述や証拠に基づいて事実さえまともに解明しておけば、こんな矛盾に満ちた判決文は書きようがなかったはずなのです。事実は、もちろん本書の読者ならお分かりの通りです。

◇意図的に事実を捻じ曲げる

真実は次の通りです。私が、「平成2年(1990年)6月頃までに」、「取材を完了し」、「新聞記事とすることを求めた」事実は、確かに(ア)で間違いありません。しかし、(イ)にある「デスクらが,控訴人の原稿を検討し」、「最大23センチメートルのオーバー」の水位図について、補強の「指示がなされた」のは「6月」でなく、「4月」です。

私はデスクから指摘された「疑問点」を「クリアする」「補強データ」である建設省極秘資料を、「4月」から「6月」の間に入手、最終的には建設省がひた隠しにしていた水位図は、「23センチオーバー」ではなく、「最大大水時においても,安全水位以下に収まる」水位図であることまで解明して「取材を完了」。デスクが出した「様々な疑問点」「役所の無茶な嘘」の手口のすべてを解明し、「払拭」したからこそ、記事化を求めたのです。このことは、私が裁判所に出したいくつもの書面・証拠で、繰り返し何度も明確に書いています。

つまり、高裁の裁判官は、私の提出した証拠資料に基づき(ア)の通り、私の解明した取材内容を的確に書いているのですから、全く日本語を読めない人ではないようです。なら、(ア)と(イ)の時系列を全く逆にして認定しているのは、私を無理やり敗訴にする目的で意図的に事実を逆にするデッチ上げがなされたとしか考えられません。

高裁が(ウ)の認定根拠にした私の編集局長への直訴文にも、どのようにデスクの指摘した疑問点を、「4月」から「6月」までの間に「払拭」したか、(ア)に至る経過はすべて具体的に書いています。それをまともに読んだだけでも、(ア)より(イ)が時系列として先であることはすぐに分ります。この点からも、裁判官の恣意・デッチ上げは明白です。

また、高裁は、(エ)で「平成5年(1993年)、控訴人の署名入りの解説記事」が「掲載」されたことをもって、朝日が報道弾圧していない根拠にしています。しかし、この記事は(ア)の取材結果に基づくものです。

記者の書いた原稿が「記事」として成り立つ「一定水準」を満たしているか、新聞社の実務の基準も「真実性の法理」です。もし、(ア)の段階で私に「取材不足」があり、「真実性の法理」を満たさず、「一定水準」に達しないとの理由で記事にならなかったとするなら、「平成5年」にも記事になるはずもありません。

記事になったのなら、(ア)の段階で私には「取材不足」はありません。「真実性の法理」を満たす「一定基準」に達した原稿であったことの何よりの証明・証拠です。

ならば、「国民の知る権利に奉仕する」ことが「編集方針」の朝日が、この時点で記事にしなかったのは、朝日自ら定めた「行動規範」「編集方針」の「逸脱」であり、「編集権」の「濫用」です。マスコミ判例の初歩の初歩「真実性の法理」をまともに理解している裁判官なら、当然このことの気付き、朝日には、自らの「編集方針」を逸脱する「濫用」があったと認定、不当性の根拠にするのが、真っ当な判決文というものです。

ちなみに実際の事実に沿い、(ア)と(イ)の時系列を逆にして、高裁の論理の組み立てをそのまま使ったらどうなるか。判決のこの部分を、私が裁判官になったつもりで書き直してみましょう。結論は、次のように変わります。

◇事実に基づいた判決はこうなる

「1990年4月の社会部デスクの(イ)の指示に基づき、控訴人の6月までの補足取材結果は、(ア)の通りである。水理計算(不等流計算)に関するデータも、建設省の内部計算と一致し、抜け落ちはない。デスクに指摘された疑問点がすべて払拭されていることは、控訴人が補足取材で入手し、原審最終段階で提出した証拠によっても確認出来る。

よって掲載が見送られる合理的な理由はなかった。このことは、この時の控訴人の取材資料に基づき、平成5年(1993年)、その一部が記事になり、建設省もこの記事の信憑性を認めざるを得なかったことからも裏付けられる。

控訴人が平成5年に記事になるまで、編集局長らに、記事にするよう何度も求めたのは、読者・国民の『知る権利』に奉仕することが『責務』(「朝日新聞記者行動基準」)の控訴人にとって、やむにやまれぬ行為である。

このような記事の掲載を認めなかったばかりか、記事掲載を求める控訴人に行為に対し、『信頼を損ねるもの』として、記者への復帰の道を閉ざし、人事、昇格、昇給でも定年まで差別を拡大した被控訴人の措置は、編集権、人事権の行使として相当なものと認め難く、本件証拠上、裁量権の濫用は明らかである」

この通りです。真正な事実によって認定すれば、私の勝訴しかありません。高裁は私を無理やり敗訴にする恣意的判決を書くためには、(イ)(ア)の時系列を(ア)(イ)に入れ替えるデッチ上げをするしかなかったことが、これでお分かり戴けたと思います。

高裁の不当な判決文はまだまだ続きます。しかし、ここで今回の紙数も尽きました。次回は露骨なデッチ上げ高裁判決の不当性をさらに明らかにすることから始めたいと思います。ぜひ次回も、お読み戴ければ幸いです。

≪筆者紹介≫ 吉竹幸則(よしたけ・ゆきのり)
フリージャーナリスト。元朝日新聞記者。名古屋本社社会部で、警察、司法、調査報道などを担当。東京本社政治部で、首相番、自民党サブキャップ、遊軍、内政キャップを歴任。無駄な公共事業・長良川河口堰のウソを暴く報道を朝日から止められ、記者の職を剥奪され、名古屋本社広報室長を経て、ブラ勤に至る。記者の「報道実現権」を主張、朝日相手の不当差別訴訟は、戦前同様の報道規制に道を開く裁判所のデッチ上げ判決で敗訴に至る。その経過を描き、国民の「知る権利」の危機を訴える「報道弾圧」(東京図書出版)著者。

2014年12月08日 (月曜日)

総務省が公表した政治資金収支報告書(2013年度、最新)によると、新聞業界から、自民、公明、民主の議員に政治献金が支出されていることが分かった。献金元は、新聞に対する軽減税率の適用を求めて、日本新聞協会と共闘体制を取っている日本新聞販売協会(日販協)の政治団体である。

献金回数は、述べ48件。献金額の第一位は、改憲派の先鋒である高市早苗議員への80万円。第2位は、読売新聞の記者である丹羽雄哉氏の60万円。

軽減税率を選挙公約にかかげている公明党に対する献金も記録されている。

詳細は次の通りである。

◇献金の一覧賞

野呂田芳成(自民) :6万円[2月8日]
漆畑良夫(公明):20万円[2月8日]
自由民主党奈良県支部連合会:10万円[3月22日]

清和政策研究会(自民):10万円[3月22日]
丹羽雄哉(自民):60万円[3月22日]
おくの総一郎(民主):5万円[4月4日]

中川雅治(自民):10万円[4月18日]
野呂田芳成(自民) :6万円[4月18日]
大島理森(自民):6万円[4月18日]

清和政策研究会(自民):10万円[5月2日]
清和政策研究会(自民):10万円[5月2日]
中山泰秀(自民):8万円[6月4日]

高市早苗(自民):20万円[6月4日]
中川雅治(自民):6万円[6月17日]
菅義偉(自民):6万円[9月20日]

中山泰秀(自民):6万円[10月7日]
斎藤鉄夫(公明):6万円[10月18日]
とよた真由子(自民):6万円[10月20日]

吉田おさむ(民主):6万円[11月11日]
小坂憲次(自民)6万円[11月21日]
中川雅治(自民):8万円[11月21日]
高市早苗:60万円[11月21日]
そのほか、5万円の寄付金が自民、公明、民主に議員に対して支出されている。

出典:政治資金収支報告書PDF

新聞販売の業界団体を通じた献金とはいえ、政治家に新聞社経営を頼らなければならない状況の下では、純粋なジャーナリズム活動は展開できない。メディアコントロールの常套手段は、経営上の汚点を逆手に取って、「恫喝」することである。紙面そのものをいくら批判しても、「見解の相違」で片付くので、ほとんど効果がない。

冒頭の写真:販売店で多量に余った新聞(「押し紙」)の回収風景。資源の無駄づかいとの批判が高まっている。