2015年01月30日 (金曜日)

【29日付け記事の続】さて、「押し紙」の割合が搬入部数の60%にも、70%にもなった場合、新聞販売店の経営は成り立つのかという問題がある。「押し紙」にあたる部数に該当する卸代金が免除されるのであればまだしも、販売店の経理帳簿の上では、搬入される新聞はすべて販売店が注文した部数になっているので、支払い免除の対象にはならない。

言葉を変えると、配達していない「押し紙」の卸代金を強制的に支払わされるから、「押し売り」になぞらえて、「押し紙」と呼んでいるのである。

常識的に考えれば、「押し紙」が60%も、70%もあれば、販売店の経営は成り立たない。が、実は経営を成り立たせる知られざるカラクリがあるのだ。このカラクリこそが新聞社のビジネスモデルにほかならない。

◇新聞の商取引のカラクリ

結論を先に言えば、それは折込広告の水増しと補助金である。

まず、折込広告の水増しについて説明しよう。
新聞販売店に搬入する折込広告の適正枚数は、原則として、新聞販売店に搬入される新聞の搬入部数に一致させることになっている。たとえば搬入部数が3000部とすれば、折込広告の搬入枚数も、3000枚になる。つまり形式上は、「押し紙」にも、折込広告が折り込まれるのだ。

従って3000部の搬入部数に対して、「押し紙」が1000部あれば、折込広告も(一種類につき)1000枚余っていることになる。

そのために意外に知られていないが、「押し紙」と一緒に、折込広告も古紙回収業者の手で処分されているのである。

もちろんこうした「犯罪」は、水面下で行われているために、多くの広告主は、実態を感知していない。感知しないまま、広告代金だけは全額支払わされているのである。もちろん、これでは市場調査に基づいたPR戦略も狂ってしまう。

こうしたカラクリを前提に、折込広告で販売店が得る収入について考えてみよう。新聞1部が生み出す広告収入がかりに月額1800円とする。この1800円は、当然、「押し紙」からも発生する。

一方、新聞の卸代金が1部につき、月額2000円とする。そうすると販売店は、「押し紙」1部に付き、2000円の負担を強いられるが、同時に折込広告の代金として、1800円の収入を得る。

2000円を負担して、1800円の収入を得るわけだから、損害はたった200円だ。つまり折込広告の需要が多い新聞販売店では、「押し紙」はそれほど大きな負担ではないということになる。

◇補助金

新聞販売店に対する新聞社からの補助金は、新聞1部に付き○○円という形で行われる。補助金には、さまざまな名目があるが、新聞の商取引を説明するために、200円の補助金が1種類だけ支給されるものと想定してみよう。

補助金が200円であるから、折込広告の収入1800円と合わせると2000円になる。すなわちこのケースでは、「押し紙」による損害は、折込広告収入+補助金で完全に相殺されるのである。これらが「押し紙」制度の仕組みである。

従って、このケースで言えば、折込広告の収入が2000円を超えるような事態になると、販売店は、「押し紙」で損害を受けるどころか、より多くの収入を得る。

◇紙面広告との関係

新聞社が補助金を支給してまで、「押し紙」政策に固執する理由はなにか?

まず、第1は販売収入を増やすことである。

第2に、公称部数をあげて、紙面広告の媒体価値を高めることである。紙面広告の媒体価値は、公称部数が多ければ多いほど高くなる原則がある。

もっとも最近は、「押し紙」の存在が広告主の企業に知られるようになり、広告主が自主的に折込広告の発注枚数を減らすなど、従来の原則が通用しなくなっているが、政府広報など、公共広告に関しては、厳密に公称部数に準じた価格設定になっている。次のPDFは、最高裁がスポンサーになった裁判員制度に関する広告の新聞社別の価格である。

■裁判員制度広告の価格一覧PDF

公称部数が第1位の読売は、広告価格でも第1位になっている。

日本の新聞業界は、昔から、このような「押し紙」制度を販売政策の中に組み込んできた。その汚点を政府、公取、警察は把握している。その気になれば、いつでも摘発できる。新聞社が公権力の広報部としてしか機能できないゆえんにほかならない。

2015年01月29日 (木曜日)

新聞業界がかかえる最大の問題は、「押し紙」である。「押し紙」とは、配達部数を超えて新聞社が販売店に搬入する新聞のことである。たとえば2000部しか配達先がないのに、3000部を搬入すれば、差異の1000部が「押し紙」である。この1000部についても、販売店は新聞の原価を支払わなければならない。

かくて「押し売り」→「押し紙」となる。

「押し紙」問題は、どのように表面化してきたのか、概略を紹介しよう。

日本で最初に「押し紙」が社会問題となったのは、1977年だった。この年、新聞販売店の同業組合である日本新聞販売協会(日販協)が、販売店を対象として、アンケートのかたちで残紙(実質的に「押し紙」を意味する)調査を実施した。

その結果、1店あたり平均して搬入部数の8・3%が「押し紙」であることが判明した。これは搬入部数が1000部の店であれば、83部が「押し紙」であることを意味する。

◇読売の北田資料

1980年代に入って、新聞の商取引に関する諸問題が国会で取り上げられるようになった。1980年から85年の時期に、共産、公明、社会の3党が計15回の国会質問を行った。

このうち1982年3月8日には、共産党の瀬崎博義議員が、読売新聞・鶴舞直売所(北田敬一店主)の「押し紙」を取り上げた。質問の議事録によると、1979年1月の部数内訳は、次のようになっている。

搬入部数:1095部
実配部数: 680部
「押し紙」: 415部

注:なお、読売の宮本友丘副社長は、読売は販売店に対してこれまで一度も新聞の買い取りを強制したことはないと話している。)

5年間にわたる国会での追及にもかかわらず、新聞社が「押し紙」政策を改めることはなかった。その後、「押し紙」問題は、水面下へ隠れてしまう。

◇北國新聞事件

1997年になって、公正取引委員会は、石川県の北國新聞に対して、「押し紙」の排除勧告を発令した。独占禁止法第19条「不公正な取引方法の禁止」の適用である。勧告は次のような趣旨だった。

北國新聞は朝刊の総部数を30万部にするために増紙計画を作成して、3万部を新たに印刷するようになった。その3万部を一方的に販売店に搬入した。
さらに同文書は「押し紙」問題が北國新聞社だけに限定されたものではないことを示唆している。次の記述である。

また、当該違反被疑事件の審査過程において、他の新聞発行業者においても取引先新聞販売業者に対し『注文部数』を超えて新聞を提供していることをうかがわせる情報に接したことから、新聞発行本社の団体である社団法人・日本新聞協会に対し、各新聞発行業者において、取引先新聞販売業者との取引部数の決定方法について自己点検を行うとともに、取引先新聞販売業者に対して独占禁止法違反行為を行うことがないよう、本件勧告の趣旨の周知徹底を図ることを要請した。

この時期に北國新聞社の5人の店主が、発行本社を相手に「押し紙」裁判を起こしている。

◇販売店員からの内部告発

2000年代に入って再び「押し紙」問題がクローズアップされてくる。
ある時、わたしは栃木県の新聞販売店で働いていた男性から内部告発を受けた。自分の職場には、約4000部の新聞が搬入されるが、このうちの2000部が「押し紙」になっているという。

この話を聞いたとき、わたしは「そんなことはあり得ない」と思って取材すらしなかった。ガセネタとして処理した。ところがそれから間もなく、この内部告発がまんざら嘘ではなかったと考えるようになった。

その引き金となったのは、産経新聞・四条畷販売所(大阪府)の元店主が2002年に起こした「押し紙」裁判だった。裁判の資料を見せてもらったところ、約5000部が搬入され、このうち2000部から3000部が常時、「押し紙」となっていたことが判明したのである。

これを機に、わたしは次々と大規模な「押し紙」の実態の内部告発を受けるようになった。搬入部数の40%が「押し紙」、50%が「押し紙」という情報にも驚かなくなった。特に毎日新聞の「押し紙」が凄まじかった。

◇「押し紙」世界一

2004年、わたしは毎日新聞の内部資料「朝刊 発証数の推移」と題する資料を入手した。それによると全国にある販売店に搬入される新聞の部数は、約395万部。これに対して読者に発行される領収書の枚数は、約251万枚だった。差異の約144万部が「押し紙」という計算になる。(2002年10月時点での数字)。

その後、わたしは毎日新聞・蛍が池販売所(大阪)と豊中販売所の経営に関する詳細な資料を元店主から入手した。その結果、これら2店では、搬入された新聞の60%から70%が「押し紙」になっていたことが判明した。

たとえば次に示すのは、豊中販売所における2007年6月時点の部数内訳である。

【豊中販売所】
搬入部数:1780部
実配部数: 453部
「押し紙」:1327部

さらに毎日新聞の場合、箕面販売所(大阪)や関町販売所(東京)、新小岩北販売所などでも、「押し紙」が発覚している。手短に数字を紹介しよう。

【箕面販売所】(2005年1月)
搬入部数:1510部
実配部数: 733部
「押し紙」: 777部

現在も、「押し紙」回収を専門とした業種が産業として成立している事実から察して、同じような状況にある可能性が極めて高い。

「押し紙」は、新聞社にどのようなメリットをもたらすのだろうか?(続)

2015年01月28日 (水曜日)

イスラム国で戦死した湯川遥菜氏が設立した(株)民間軍事会社(PMC)のようなビジネスが、浮上してきた背景には、新自由主義、武器輸出の原則解禁、それに軍事大国化など安部内閣が押し進めている政策がある。

民間の軍事会社は、今後、その数を増していくと思われる。事実、湯川氏の会社も、シリア、イラク、トルコ、アフリカに支社(OVERSEAS BRANCH)を持っている。

改めて言うまでもなく、戦争に関する業務は、伝統的に国家が管轄してきた。そこに民間企業が参入してきたわけだから、戦争そのものの民営化にほかならない。

◇新自由主義とは?

ちなみに新自由主義の基本的な政策は、国家の財政を縮小することで、大企業の税負担を軽減し、国際競争力を高めることである。また、同じ目的で、弱小企業を淘汰する。さらに労働条件を国際水準に引き下げたり、司法制度を海外の基準に修正することで、海外からの投資を呼び込む。すなわち「世界一、企業が活動しやすい国」の条件を整備するのだ。

が、単に「小さな政府」をつくって、市場原理に経済をゆだねるだけではない。

公的なサービスを縮小し、それによって出現する需要を民間企業に提供することで、新市場を生み出す。その典型的例が、郵政民営化である。また、医療の公的部分を縮小して、質の高い医療は私費で行う体制である。これにより経費を削減すると同時に医療市場を生み出す。

さらに大学をはじめとした教育機関を少数のエリート育成の機関にして、その目的に合致しない学校は、補助金をカットするなどして切り捨て、公的な負担を縮小する。現在の企業には、少数エリートしか必要ないとする考え方が新自由主義者の中にあるからだ。こうした安倍政権の政策をあげると際限がない。

わたしはどこまで民営化が進むのか、暗い好奇心を抱いてきたが、結果的に軍事部門までが、民営化の方向へ向かっているとは想像もしなかった。

◇なぜ、戦争の民営化なのか?

軍事部門における民営化の典型例は、傭兵の派遣会社である。この方式は、「小さな政府」を目指す国家にとっては、さまざまなメリットがある。具体的には、

①傭兵を現地でリクルートするので、兵隊の派遣費用がゼロ円になる。

②戦死者に対して国が責任を負わないので、補償問題が生じない。

③先進工業国よりも、第3世界の方が傭兵のリクルートが簡単。

④地理的な感がない日本兵では戦力にならないゲリラ戦にも、現地傭兵で対応できる。

◇レーガン政権と新自由主義

わたしが知る限り、傭兵による戦争が本格化したのは、1980年代のニカラグア内戦である。1979年に首都を制圧したFMLN(サンディニスタ民族解放戦線)による革命政権に対して、右派が起こした内戦である。が、右派の背景には、米国のレーガン政権がいた。

レーガン政権はコントラと呼ぶ傭兵部隊を組織し、米国民に対しては、「フリーダム・ファイターズ」と命名して、その正当性を主張した。さすがにコントラの主体は、民間軍事会社ではなかったが、国家予算を削減する目的は達した。

傭兵のリクルート先は、もともと中央政府に対して民族自決の意識が極めて高かったニカラグアのカリブ海よりの地域だった。ここで傭兵を集め、米軍が直接戦闘に参加するのではなく、兵士に対して軍事訓練をほどこし、戦闘員としたのである。

レーガン大統領は、イギリスのサッチャー首相、チリの独裁者ピノチェトと並ぶ初期の新自由主義者である。そのレーガン大統領の下で、米軍の派遣は司令官とトレーナーだけに限定することで、経費を抑え、しかも、米軍に代って傭兵を投入する「代行戦略」が確立したのである。

日本も将来的には、米国と同じ方向性をもった軍事行動のスタイルを目めざす可能性が高い。しかも、コントラとは異なり、民間会社と「日本軍」の協力というモデルが出来るのではないかと推測される。

徴兵制にすると、日本人の平和意識を目覚めさせるからだ。

ちなみに米国が日本に軍事部門の協力を迫っている背景にも、米国の新自由主義政策があると見て間違いない。戦争に莫大な国家予算使いたくないからだ。

◇戦争中という認識がない

その意味では、ジャーナリズムは、今後、私設の軍事会社を監視対象にしなければならない。

しかし、日本の新聞・テレビは、(株)民間軍事会社が戦死者を出した背景を正確に伝えていない。湯川氏の死を、一般的なテロによる死としてしか報じない。確かにテロには違いないが、それ以前に、空爆や銃撃も含めて、刃物による人質の殺害も、広義の戦闘行為であることを忘れている。

今、イスラム国と日本の間で起こっていること、そのものが戦争の実態なのだ。

2015年01月27日 (火曜日)

安倍内閣が、エジプトで約束したイスラム国難民に対する2億ドルの人道支援をどう解釈すべきだろうか。イスラム国からの難民救済が主要な目的らしいが、民主主義が深く根付いていない地域や紛争地帯における資金援助は、使途が不明になることがままある。極めて慎重に実施するのが常識だが、安倍首相は軽々しく外遊中に資金援助を約束した。

資金援助の使途に疑義が生じた例を紹介しよう。典型例として紹介するのは、米国の要請で日本も「資金援助」に加わった1980年代の中米紛争のケースである。

当時、中米はニカラグア内戦とエルサルバドル内戦という2つの大きな紛争が進行していた。紛争の構図は、左派と右派の武力による政権争いである。中東のように宗教戦争の側面はない。

このうちにニカラグアでは、1979年にFSLN(サンディニスタ民族解放戦線)が首都を制圧して、左翼政権を樹立した。これに刺激されたかのように、エルサルバドルでも左派系のFMLN(ファラブンド・マルチ民族解放戦線)が、
首都へ向けて大攻勢をかけた。首都の陥落は免れないと言われたが、米国のレーガン政権が介入し、泥沼化したのである。

ふたつの内戦という状況の下で、米国が注目したのは、ホンジュラスの地理的な位置だった。この国は、ニカラグアともエルサルバドルとも国境を接している。

ホンジュラスを基地の国にかえ、そこをプラット・ホームとして、ニカラグアのFSLN政権とエルサルバドルのFMLNを撲滅する作戦が現実味を帯びてきたのである。(以下、拙著『バイクに乗ったコロンブス』から抜粋である。)

こうした状況の下で1983年、ホンジュラス軍のアルバレス将軍が米国を公式訪問した。その時、レーガン政権に対して3年間で最低4億ドルの軍事援助を要望する旨を明言している。

◇人道援助資金が将軍らの懐へ

アルバレス将軍はニカラグアとエルサルバドルの内戦を逆に利用して、米国からの資金援助をなるべく多く絞り取るようにもくろんだのだ。米軍による基地の使用やコントラ(ニカラグアの反政府ゲリラで、実質的には傭兵部隊)の温存に不快感を示すジェスチャーをすれば、援助額がたちまちにふくれあがった。

そのつけは米国政府を経由して日本政府に経済援助の要請という形で回ってきたのである。実際、1980年を境に日本からホンジュラスに向けたODA(政府開発援助)の額が増えはじめ、アルバレス将軍が米国を公式訪問した83年からは急増する。78年の政府貸付を除く援助、つまり贈与額は231万ドルだったが、83年にはそれが一挙に1096万ドルに跳ね上がった。

さて、このような資金援助は、本当にホンジュラスの経済発展に寄与したのだろうか。この点を確かめるために、わたしは1995年、中米紛争の「戦後」をホンジュラスで取材したことがある。その時、資金の不正使用をうかがわせる類似した証言をいくつも得た。

1980年代にホンジュラスの基地化が始まって以来、政治家や将軍が一夜にしてビルや農園主に成り上がった話や噂が人々のあいだで絶えなかったというのだ。ホンジュラス資料センターの調査でも82年だけで100件以上の不正行為が政府内で行われたことが明らかになっている。

つまり紛争地帯での資金援助は、軍の関係者のふところに入ってしまったり、かえって現地の住民を銃で弾圧する目的で使われることが少なからずあるのだ。

安倍首相は、18日、米国の同盟国であるヨルダンのアブドラ国王と会談し、147億円の支援を表明した。徳島新聞によると、「国際社会の脅威となっている過激派『イスラム国』への対策で協力する方針で一致した」そうだ。この資金も含めて、紛争地での支援金の使途は、厳密に監査しなければならない。

ちなみにニカラグア革命のひとつの引き金は、1972年に起きた首都マナグアの大地震の際に、海外から送られた支援金を、当時の独裁者が横領したことにあると言われている。

2015年01月26日 (月曜日)

ニュースを読み解く際の視点は、メディアが「ある事実をどのように報道しているか、を見るとともに、どのようなニュースについて伝えていないか、を見ることが重要になってくる」(故新井直之創価大学教授)。

イスラム国に関する報道で、日本の新聞・テレビがほとんど報じなかった事実のひとつに、湯川遥菜氏の職業がある。(ただし死後は、職業を公にしている)

湯川氏は、(株)民間軍事会社(PMC)という企業の設立者である。通常、軍隊に関する業務は、国家の管轄になるが、それを私企業として代行するのが、この種の会社の役割である。つまり戦争関連業務の民営化である。

公的なものを民間へゆだねることで、市場を創出する新自由主義政策の中で、PMCは誕生したと言っても過言ではない。いわば橋本内閣(1996年成立)以後の自民党が押し進めてきた新自由主義と軍事大国化の中で生まれた会社である。

安部内閣は、昨年の4月に閣議決定により、武器輸出を原則禁止から、条件付きで認めることを取り決めた。こうした軍事大国化の流れの中で、民間企業が海外の紛争地帯で、戦争ビジネスを展開できる温床ができあがったのである。

湯川氏が設立したPMCの顧問は、自民党の元茨城県議・木本信男氏である。 この民間企業が紛争地帯でどのようなビジネスを展開しようとしていたのかについての詳細は、不明だが、いつくかのヒントがある。

たとえば湯川氏がみずからのFACEBOOKで公開している射撃訓練の様子である。

   ■射撃の動画

ちなみに湯川氏は元•航空幕僚長の田母神俊雄氏とも関係があったらしく、両氏が撮影された数多くの写真が存在する。

  ■湯川氏と田母神氏の写真

◇恣意的に客観性を欠いた報道

新聞・テレビが積極的に報じない2つ目の事実は、米国とその同盟国がイスラム国に対して激しい空爆を行っている事実である。たとえば、1月23日付け「ロイター」の報道によると、米国の同盟国は、前日に25回に渡ってイスラム国を空爆している。

また、欧米だけではなく、ロシアや中国もからんでいる石油利権についても、故意に報じていない。資源の収奪という問題が隠されているのだ。民族自決権を蹂躙(じゅうりん)しているのは、「先進工業国」の側であるという重い事実がある。

なお、報道用語について言えば、日本の新聞は、イスラム国の軍隊に対して「イスラム過激派」という言葉を使っている。海外の報道は、単なるIslamic State militants(イスラム州戦士)である。

改めて言うまでもなく、イスラム国は現在、戦時下である。戦時下では、戦闘に参加する者は、敵味方を問わず、すべて「過激派」である。米国主導の空爆も、イスラム国による捕虜殺害も、同じ蛮行である。

ところが日本の新聞は、イスラム国は過激派で、米国とその同盟国は過激派ではないという間違った前提で報道を続けている。その姿勢が、「過激派」という言葉の選択にも現れている。

なお、テレビ画像の解析に関して、注意しなければならない点がある。それはイスラム国側の軍隊が、黒い覆面をしている映像が、視聴者に恐怖感を与えている点である。覆面をしている理由は単純で、敵対国側のブラックリストに顔写真が登録されるリスクを避けるためである。従って、この点を考慮して、公正中立の立場から画像を読み解かなければならない。

◇湯川氏と後藤氏の質的な違い

戦争報道では、こうした基本的な解釈を踏まえなければならないはずだが、日本の新聞・テレビは、今回の事件の舞台が戦時下にある点をきれいさっぱりと忘れている。故意にさけているのではなく、おそらく認識できていないのではないかと思う。これが安倍首相ら「戦争を知らない人々」の実態だ。

政府の対応も同じ初歩的な問題をはらんでいる。他国に乗り込んで戦争ビジネスの準備をしていた湯川氏と、ジャーナリストとして正当な活動をしていた後藤健二氏を、同一に捉えて対処しているわけだから、救出できるはずがない。

湯川氏に関しては、最初から釈放の意思など毛頭なかったはずだ。「捕虜」として認識していた可能性が高い。それゆえに裁判(後述)を予定していたのである。

イスラム国にしてみれば、湯川氏と行動を共にしていた後藤氏を湯川氏の仲間と勘違いするのは当然である。激しい空襲の下で、スパイ行為に対しては極めて敏感になっていることが推測される。これがしばしば内ゲバの引き金になったりする。それゆえにスパイ活動に対しては、極めて厳しい。

と、なれば政府は、湯川氏と後藤氏の質的な違いをはっきりとイスラム国に伝えたうえで、湯川氏の助命と後藤氏の釈放を求めるべきだった。

◇イスラム国との窓口を破壊したのは公安警察

政府は繰り返し、イスラム国との窓口がないことを強調していた。しかし、意外に知られていないが窓口はあった。少なくとも昨年の秋までは、窓口が存在していた。

結論を先に言えば、窓口は、ジャーナリストの常岡浩介氏と中田考同志社大学教授のふたりである。昨年の11月14日、常岡氏は、特定秘密保護法違憲訴訟原告団が主催した集会で講演し、その中で、次のような事情を説明した。

常岡・中田の両氏は、イスラム国から公式の招待申し出を受けた。湯川氏の裁判の通訳として、イスラム国に来るように要請があったのだ。ところが公安警察が、特定秘密保護法の「予行演習」のつもりだったのか、常岡氏の自宅を家宅捜索し、計画がつぶれてしまったのだ。

常岡氏らが予定どおりに出国していれば、事態は変わっていたかも知れない。

ちなみに紛争地帯への「人道支援」の資金は、軍の関係者が横領することが少なくない。慎重に行わなければ、かえって人殺しに資金に変質する。(続)

2015年01月23日 (金曜日)

イスラム国で拘束され生命の危機に直面している2人の日本人のうち、湯川遥菜氏のFACEBOOKには、みずからの職業を「民間軍事会社CEO」と書かれている。この民間軍事会社とは何かは、ほとんど知られていない。

結論を先に言えば、これは新自由主義の下で、戦争の民営化が進行する過程で出現する企業である。戦争に関連した諸業務を代行する企業である。

改めて言うまでもなく、公的なものを切り捨てて、民間にゆだねるのが新自由主義の基本的な方針である。それにより「小さな政府」をつくり、大企業の税負担を軽減して、国際競争力を高める国策である。公的医療を切り捨てて、民間企業に医療と福祉の市場を解放する安倍内閣の方針と同じ脈絡から、民間軍事会社も現れたのではないか。

◇背景に軍事大国化と新自由主義

日本の軍事大国化と新自由主義は、1996年に成立した橋本内閣の時代から本格化した。このうち前者について言えば、新ガイドラインの策定、周辺事態法(1999年)、テロ特措法(2001年)、イラク特措法(2003年)、有事立法(2003年)と進んでいったのだが、このうち「民間企業」が戦争に関与する温床をつくりだしたのは、民主党も賛成した有事立法である。

戦争に民間企業や自治体を強制的に協力させる体制が出来上がったのである。具体的には、高度な武器類の修理をIT関連企業にゆだねる、等。

こうした流れの中では、当然、戦争の民営化が想定される。民間企業に「戦争業務」を委託する方向性が浮上してきたのではないだろうか。行き着く先は傭兵の派遣会社の出現ではないだろうか。

戦争をビジネスにするのは、許しがたい行為である。と、いうのも直接的であれ、間接的であれ、何の罪もない人々を、銃撃や爆撃で打ち殺すからだ。国から命じられて、戦場に赴き他国の民に対して「鉄の雨」を降らせるのとは、悪質さの度合いが違う。ビジネスとしての人殺しが、戦争という名で正当化されているに過ぎない。

今回の悲劇の背景に日本の軍事大国化と新自由主義があることは疑いない。
しかも、事件を通じて、両方の政策が整合性を持っていることも明らかになった。

2015年01月22日 (木曜日)

電車で通勤・通学する人々にとっては、歓迎すべからぬニュースである。が、それを避けて通ると将来、発癌という後悔しかねない事態を招きかねない。

地下鉄の車両内でマイクロ波の測定を行ったところ、人体に悪影響を及ぼすと推測させる数値が観測された。

1月21日、午後8時ごろ、地下鉄有楽町線の社内で、わたしは高周波電磁波の測定器を使って、マイクロ波を測定した。観測された数値(6分の平均)は、 1223.6mv/mだった。この数値を国際比較するために、「μW/c㎡」に変換すると、「0.397μW/c㎡」となる。

ちなみに測定時には、座席がすべて埋まっていた。立っている乗客が10人程度。その多くの人々がスマフォなどの通信機器を使っていた。観測場所は、車両のドア付近である。

観測された「0.397μW/c㎡」をどのように評価すべきだろうか。マイクロ派の規制値を国際比較することで検討してみよう。恐るべき実態が見えてくる。

◇諸外国の規制値

ザルツブルグ市:0.0001μW/c㎡ (屋内の目標値)

EU:0.1μW/c㎡(屋外の提言値)、0.01μW/c㎡(室内の提言値)

イタリア:10μW/c㎡

スイス:6.6μW/c㎡

日本:1000μW/c㎡

有楽町線の中で観測された0.397 μW/c㎡は、日本の基準は軽々とクリアーしているが、ザルツブルグ市やEUの基準から評価すると、危険な領域とされている。

最も懸念されているマイクロ派のリスクは、遺伝子毒性である。発癌性である。ザルツブルグ市やEUは、遺伝子毒性のリスクを考慮して、極めて低い数値を設定している。

日本の規制値は、箸にも棒にもかからない。

ちなみにマイクロ波は、X線やガンマ線、さらには紫外線などと同様に「見えない」「匂わない」、おまけに被曝しても痛みを感じない。それゆえに安全だと勘違いしている人が後を絶たない。

2011年5月に、WHOの外郭団体・世界癌研究機関は、マイクロ波に発癌性がある可能性を認定している。携帯電話が普及しはじめた1990年代には、安全とされていたが、現在ではリスクがあると考えるのが常識となっている。

通勤・通学の際に高密度のマイクロ波を、1年、2年、5年、10年、あるいは20年と長期にわたって被曝した場合、人体影響を受ける可能性が高い。

2015年01月21日 (水曜日)

政治家や政策をどう評価するのかという問題を考えるとき、個々人の歴史観が決定的な影響を及ぼすことは論をまたない。政治家個人の資質により、あるいは偶然の運命により、世界は変革されると考える人(英雄史観)は、NHKが得意とする「その時歴史は動いた」のような番組を制作することになる。

「安倍首相を退陣させれば、日本は変わる」と考えるのは誤った解釈である。

一ツ橋大学名誉教授・渡辺治氏による一連の政治評論は、英雄史観とは対極の歴史観(史的唯物論)に基づいて現代の政治を客観的に分析している。

『〈大国〉への執念 安倍政権と日本の危機』(大月書店、渡辺治・岡田知弘・後藤道夫・二宮厚美)の中にある「安倍晋三個人と安倍政権-歴史における個人の役割」と題する章には、渡辺氏の歴史観が色濃く反映している。

安倍政権が、戦後政治を転換させる大国化を掲げたことに関して、マスメディアの安倍報道にも大きな特徴が現れている。メディアは、とくに安倍政権に批判的な姿勢や意見の持ち主であればあるほど、安倍政権の政治を安倍晋三個人の復古的、タカ派的体質に求める傾向が極めて強いということだ。たとえば、『朝日新聞』をはじめとした紙面の安倍評価では、安倍さえ引きづり下ろせば安倍的政治は止まると考えているふしが濃厚にみられるのだ。

たしかに、安倍政権における安倍晋三個人の果たす役割はきわめて大きい。決定的ともいえる。しかし、安倍政権の政治を安倍の思いつきに起因するととらえることは、その背景にあるアメリカやグローバル企業の要請を決定的に過小評価することになる。安倍がいなくなったところで、それに代わる政治をめざす対抗構想との担い手が力をもたなければ、政策実行のスピードを落とすことはできても、第二、第三の安倍が出てくるにすぎない点を見ていない。

政策決定の背景に安倍首相個人の意思よりも、財界が望む方向性を中心に据えた政策があるという見方である。つまり1990年代の初頭から始まった新自由主義と軍事大国化の流れが、安倍政権の政策を決定しており、安倍首相個人の極右的な言動は本流ではないとする見方である。

◇構造改革の時代-小泉政権論

このような観点から著されたものは、『〈大国〉への執念 安倍政権と日本の危機』だけではない。たとえば『構造改革の時代-小泉政権論』(花伝社)でも、政治家個人の思想と「時代の要求」について、次のように述べている。

しかし、ここで急いで付け加えておかなければならないことは、小泉は、九〇年代初頭に支配層が既存の小国主義と開発主義の政治を再編して、軍事大国化と構造改革を凶暴に始めようとした時代(黒薮注:新進党の時代を意味する)には、その遂行を担う政治家とはなれなかっただろうということである。

小泉はあくまで、構造改革、軍事大国化が第二段階に入ってその加速化が求められるにいたって初めてハイライトを浴びる政治家となりえたのである。

なぜ、ドラスチックな構想改革を断行するために、小泉議員がうってつけだったのだろか。渡辺氏は言う。

第一に、小泉は政治家の三世であり、一世の政治家のように、地元の住民の意思に敏感に反応したり後援会の維持・培養に腐心する必要はなかった。したがって、構造改革により地方や自らの支持基盤に大きな打撃と困難をもたらすことにさほど痛痒を感じることなく、「大胆に」、かつ断固として既存階層の利益を切り捨てることができたのである。

これが、小泉のもっとも得がたい特質である。自民党の安定した社会統合を支えてきた周辺部の支持基盤を冷酷に切って捨てる改革ができるのは、民主主義の下ではなかなか大変だからである。

 こうした小泉の資質は、「ブレない強さ」としていわれるが、政治家が、構造改革のような、諸階層の利益の削減を「ブレずに」やれるというのは、こうした住民の感情や利益に鈍感であることを意味する。急進的な構造改革の遂行期にはこうした鈍感な政治家が求められるのである。

歴代首相の個人的な政治信条とは別に、時の権力者たちが構築しようとしている社会のかたちが政策を決める大きな要素になるとする観点から見ると、安倍内閣が目指しているのは、小泉構造改革の後、一旦、停滞していた軍事大国化と新自由主義の流れを再び加速させることである。それを断行するに、安倍議員が適任だったということではないだろうか。

安倍首相は、日本を旧来の軍事大国に戻そうとしているわけではない。米国との連携により、多国籍企業防衛のための派兵を、ピンポイントに断行できる体制を目指しているのである。

ちなみに安倍内閣が重視している極右的な愛国心を養う教育は、国際競争の時代が求めていると考えれば説明が着く。国対抗の競争を勝ち抜くには、愛国心があった方が有利になるからだ。

2015年01月20日 (火曜日)

中日ドラゴンズや阪神タイガースの主砲として活躍した大豊泰昭(たいほう・やすあき)氏が18日、名古屋市内の病院で亡くなった。享年51歳。2009年3月に、急性骨髄性白血病を発症して闘病していた。

急性骨髄性白血病は特に珍しい病気ではないが、大豊氏が野球選手だった事実を前提にすると、病因としてあるひとつの疑いが浮上してくる。

球の速度を計測するスピード計測器から発せられる電磁波による被曝の可能性である。

スピード計測器の仕組みについては、中央大学理工学部の白井宏教授が『R25』の中で次のように説明している。
 

スピード計測器や速度違反の取り締まりに使われるオービスなどは、電磁波を利用して速さの計測をしています。静止している物体に電磁波を当てると同じ周波数で反射し返ってきますが、動いている物体に当てると、その方向に応じて周波数が変化し返ってくるのです。これをドップラー効果といい、計測器はこの周波数の差を計算して速さを出しています.。

実は米国では、自動車のスピード違反の取り締まりに使うスピード計測器が原因とみられる癌が多発している。これについて電磁波研究の第一人者である荻野晃也博士は、『携帯電話は安全か?』(日本消費者連盟)の中で次のように述べている。

◇スピード計測器の電磁波

 米国では警察官が車の中からスピード測定を行います。ハンディ-なレーダ装置でスピード測定を行うもので、ポリス・レーダーと呼ばれています。以前から、警察官にはガン死が多いというウワサはあったのですが、電磁波問題が話題になると共に、このポリス・レーダーに対する疑惑が持ち上がったのは当然のことでした。

 1991年には、米国のシアトル市で「警察官協会」の人達による「レーダー・ガン使用に反対」するデモすらあったのです。警察官OBや家族で作っている協会としても、レーダーによる悪影響が心配になったのです。その効果もあって、シアトル市はレーダー・ガンを「使用禁止」にしました。

 ポリス・レーダーはマイクロ波・ミリ波を使う速度計なのですが、手で持って測定することから被曝量が多く、以前から問題になっていました。しかも90年にカリフォルニア州の調査で、「警察関係者のリンパ腫瘍が2・69倍、他のガンが2倍」との結果が出たことや、ポリス・レーダー近くでは1mw/c㎡ 近い被曝を受けることが明らかになったのです。

 このポリス・レーダーによって睾丸ガンなどになったとの訴訟もたくさんあります。

もっともこの問題を検証する前提として、スピード計測器から発せられる電磁波により、バッターがどの程度被曝するかを確かめる必要がある。

ちなみに元読売ジャイアンツの投手・角盈男氏(57)は、前立腺癌を発症している。ピッチャー、バッター、キャッチー、審判といったポジションとスピード計測器が引き起こすガンの間に因果関係はあるのか、今後、解明されなければならない。

  ポリス・レーダー使用警察官とガンの訴訟(米国)の一覧・PDF=出典『携帯電話は安全か?』

2015年01月19日 (月曜日)

意外に知られていないが「押し紙」政策には、粉飾決算が連動している疑惑がかけられてきた。しかし、国税局はこれまで、それを問題にしたことがない。15年ほど前、わたしはこれについて販売店主に尋ねたところ、

「トラブルが起きたときは、国税の●●さんに連絡を取るように、発行本社から指示を受けています」

と、いう返事が返ってきた。国税局は、「押し紙」が誘発する経理問題をごまかして来た可能性がある。

◇「あれは『押し紙』ではなく、積み紙です」

「押し紙」とは、新聞社が販売店に対して搬入する新聞のうち、過剰になって配達されないまま廃棄される新聞のことである。たとえば、実配部数(実際に配っている新聞の部数)が2000部しかないのに、3000部を搬入すると1000部が過剰になる。この1000部が「押し紙」である。

しかし、帳簿上では「押し紙」部数は、カモフラージュされる。具体的には、実配部数(実際に配達した新聞)、見本紙、さらには予備紙として経理処理される。

従って、上記の例で言えば、新聞社が新聞販売店に搬入した3000部は、すべて販売店が自分で注文した新聞ということになる。当然、3000部に対する卸代金を支払う。

それゆえに新聞社は、新聞の押し売りは絶対していないと開き直ってきたのである。過剰になっている新聞の存在を第3者から指摘されると、

「あれは『押し紙』ではなく、積み紙です」

と、詭弁(きべん)を弄する。販売店が自分で積み上げている新聞だという主張である。

裁判所もこうした詭弁を見抜けず、新聞社の「押し紙」政策にお墨付きを与えてきた。「押し紙」は独禁法に抵触するから、新聞社は絶対に「押し紙」政策の存在を認めるわけにはいかない。

そこで押し売りではないことを示す「アリバイ」を作るために、経理上のトリックが使われる。

◇経理処理のトリック

帳簿上では、販売店に搬入する新聞はすべて販売店が注文したことになっているわけだから、当然、税の申告に際しても、それを前提としたものになる。「押し紙」が膨張させる事業税も消費税も支払うことになる。

さて、「押し紙」部数を経理処理する上で、もっとも難儀するのは実配部数として計上する新聞である。と、いうのも読者がいないことが発覚すると、粉飾決算になるからだ。かと言って、見本紙や予備紙を500部も1000部も計上するのは不自然だ。

そこで登場するのが、帳簿上(パソコン)に架空の配達地区を設定して、実配部数として処理する手口である。配達地区を設定する処理方法は、読売とYCが争った第一次真村訴訟の中で明らかになった。福岡高裁判決は、次のように架空配達区の存在を認定している。
平成11年5月ころからは、広川地区の28区域のうち26区を架空読者を計上するために利用し始めた。(甲131、原審での一審原告真村本人)

  一審原告真村は、平成13年6月当時、一審被告に対しては、定数(搬入部数)1660部、実配数1651部と報告していたが、実際には26区に132世帯の架空読者を計上していたので、実際の配達部数は1519部を超えないことになる。

YC(読売新聞販売店)の真村店主は、26区と呼ばれる架空地区を設定して、そこに架空読者を計上して、経理処理をしていたのである。

これが広く採用されている「押し紙」の経理処理の手口である。

◇「押し紙」を批判した福岡高裁判決

このような「不正」は、誰に責任があるのだろうか。販売店なのか、それとも新聞発行本社なのだろうか?

第1次真村裁判では、新聞発行本社である読売の責任が認定された。

ちなみに第1次真村裁判というのは、YC広川の真村店主が読売による改廃通告に対して、地位保全を求めた裁判である。2002年の提訴。地裁、高裁、最高裁と、販売店が勝訴したまれな例である。

読売が改廃の口実としたのが、経理上の汚点だった。虚偽を逆手に取って、それを改廃理由として持ち出してきたのである。しかし、裁判所は、こうした虚偽の背景には、読売の販売政策があることを認定したのである。

新聞に対する軽減税率の是非を考える際に、考慮すべき留意点ではないだろうか。

ちなみに真村氏は、2007年12月に最高裁で勝訴が確定した7ケ月後に、読売から再び改廃通告を受け、8月末に強制的に販売店をつぶされている。その結果、第2次真村訴訟がはじまり、現在に至っている。

読売は、何の後ろ盾もないひとりの元店主を10年以上も法廷に縛り付けているのである。それは、高校生ボクサーを世界チャンピョンが容赦なく打ちのめしている光景を連想する。審判もそれを止めようとはしない。

この裁判で読売側代理人として「大活躍」してきたのが、喜田村洋一自由人権協会代表理事である。

■第一次真村裁判の福岡高裁判決

2015年01月17日 (土曜日)

メディアをコントロールして世論誘導するための合理的な方法は、メディア企業の経営上の汚点を逆手に取って、「アメとムチ」の政策を導入することである。

新聞関係者が安倍首相と飲み食いを繰り返す一方で、新聞に対する(消費税の)軽減税率適用を求めて、選挙協力したり、政治献金を支出している事実は、すでに両者が情交関係を構築していることを如実に現している。腐敗と堕落は想像以上に進んでいる。

メディアコントロールの鍵を握るのは、経営部門への介入である。編集内容への介入は、実は枝葉末節にすぎない。この原理は戦前から変わらない。

たとえば新聞研究者の故新井直之(創価大学教授)は、『新聞戦後史』(栗田出版)の中で、1940年2月12日に内閣情報部が制作した「新聞指導方針について」と題する文書を紹介して、メディアコントロールの原理が戦前から変わっていないことを説明している。

・・幸いここに新聞用紙の国家管理制度が現存する。現在商工省に於いてはこの用紙問題を単なる物資関係の『事務』として処理しているが、もしこれを内閣に引取り政府の言論対策を重心とする『政務』として処理するならば、換言すれば、政府が之によって新聞に相当の『睨(にらみ)』を利かすこととすれば、新聞指導上の効果は相当の実績を期待し得ることと信ずる。

しかし、現在、日本の公権力が新聞社に対するメディアコントロールの最上の材料にしているものは、用紙問題ではない。軽減税率の問題でもない。意外に知られていないが、「押し紙」問題である。

「押し紙」とは、新聞社が販売店に対して搬入する新聞のうち、過剰になって配達されないまま廃棄される新聞のことである。たとえば、実配部数(実際に配っている新聞の部数)が2000部しかないのに、3000部を搬入すると1000部が過剰になる。この1000部が「押し紙」である。

肝心な留意点は、「押し紙」についても、新聞社は販売店に対して卸代金を請求している事実である。帳簿上では、「押し紙」部数についても販売店が注文したことになっているからだ。当然、消費税もかかる。読者から消費税を徴収できる実配新聞とは異なり、「押し紙」の消費税は、販売店が支払う。

これではあまりにも販売店の経済負担が増えるので、新聞関係者は新聞に対する軽減税率の適用を求めているのである。従って、新聞社が「押し紙」をやめれば、軽減税率を適用しなくても、新聞販売店の経営は維持できる可能性が高い。

と、すればなぜ新聞は「押し紙」をやめないのだろうか。その理由は、次の3点に集約できる。

①「押し紙」をやめると、販売収入が激減する。

②「押し紙」により新聞の公称部数をかさ上げして、紙面広告の価格をつり上げているために、「押し紙」をやめると、広告収入も減ってしまう。

③「押し紙」を中止すると、これまでの公称部数がウソだったことが判明して、広告主(紙面広告・折込広告)が、訴訟を起こすリスクが生じる。

ちなみに「③」に関連して補足説明するが、折込広告の適正枚数は、新聞販売店に搬入する新聞の総数に一致させる基本原則があるので、「押し紙」がある販売店では、折込広告は水増し状態になることが多い。この水増し行為で得た収益で、販売店は「押し紙」で生じる損害を相殺する。相殺し切れない部数については、新聞社が補助金を支給する。

それゆえに新聞社が補助金を中止すると、販売店は簡単に自主廃業に追い込まれる。販売店が、新聞社に対して従順になり、「押し紙」をも受け入れざるを得ないゆえんにほかならない。

これが多くの新聞社のビジネスモデルである。繰り返しになるが、新聞関係者がこうした「商法」を中止すれば、軽減税率を適用しなくても、経営が成り立つ可能性が高い。むしろ経営はよくなるだろう。

◇毎日新聞に見る「押し紙」の実態

さて、具体的な「押し紙」の実態を紹介しよう。次に示すのは、2004年に毎日新聞社から流出した内部資料である。

内部資料PDF

赤字「A」は、毎日新聞社が全国の販売店に搬入した朝刊の部数である。約395万部である。(2002年10月の時点)

これに対して赤字「B」は、販売店が読者に対して発行した領収書の枚数である。約251万枚である。

「A」と「B」の差異が「押し紙」ということになる。その数は、約144万部である。若干、購読料の未集金分があるので、数字が下がるとしても、優に搬入部数の3割以上が「押し紙」である。

「押し紙」による収益は、想像以上に大きい。新聞の原価を2000円として計算すると、「押し紙」100万部で、月額20億円の収益になる。年間では、240億円。新聞の原価を極端に低く設定し、たとえば1000円として
計算しても、年間で120億円の収益になるのだ。

「押し紙」こそが新聞社の最大の汚点なのだ。公取委が「押し紙」政策に対してメスを入れたならば、倒産する新聞社がでかねない。逆説的に考えれば、だからこそ、公権力は、「押し紙」を放置して新聞社を助け、メディアをコントロールする体制を作っているのだ。

軽減税率の問題以前に、実は「押し紙」問題があるのだ。自民、公明はこの問題をどう処理するのだろうか?

2015年01月15日 (木曜日)

2014年11月度における新聞のABC部数が公表されている。わたしが注目していたのは、読売新聞と朝日新聞の部数増減だった。

まず、読売新聞のABC部数は、1年でどの程度変動したのだろうか?

2013年11月度部数:1000万7440部 

2014年11月度部数:934万5155部

対前年同月差:66万285部減

ちなみに読売のウエブサイト「数字で見る読売新聞」は、現在(2015年1月15日)の時点でも、2013年11月の数字「1000万7440部」を表示している。「読売1000万部」へのこだわりのようだ。

これに対して朝日新聞の内訳は次の通りである。

◇朝日新聞のABC部数

2013年11月度部数:752万474部 

2014年11月度部数:704万2644部

対前年同月差:48万4830部減

両社とも大きく部数を減らしている。

社会的な要因としてインターネットの普及が背景にあると思われるが、新聞の公器性という観点から見れば、新聞社の幹部が安倍首相と飲み食いを重ねるなど、ジャーナリズム集団として、あるまじき行為を繰り返していることが、新聞そのものの信用を失墜させている可能性が高い。読者はすでに腐敗を見抜いている。

なお、ABC部数は、新聞の発行部数を示す数値なので、必ずしも発行された新聞がすべて配達されているとは限らない。搬入される新聞の約60%が「押し紙」だったケース(毎日新聞・蛍ケ池販売所。2006年12月の例)もある。

2014年度11月度のABC部数の詳細(全紙)PDF

【訂正】
 14日付けの記事で、衆院選で139人の候補者を推薦した団体の名称を日本新聞協会と表記しましたが、日本新聞販売協会(日販協)の誤りでした。日本新聞協会に対して謝罪します。