
2024年12月度のABC部数が明らかになった。各社とも部数減に歯止めがかからない。朝日新聞は、この1年間で約20万部を減らした。読売新聞は、約37万部を減らした。
中央紙のABC部数は次の通りである。
朝日新聞:3,309,247(-200,134)
毎日新聞:1,349,731(-245,738)
読売新聞:5,697,385(-365,748)
日経新聞:1,338,314(-70,833)
産経新聞:822,272(-63,548)
なお、ABC部数には、「押し紙」(偽装部数)が含まれているので、新聞販売店が実際に配達している部数とは異なる。新聞社によって「押し紙」の割合は異なるが、「押し紙」裁判で明らかになっているデータによると、販売店に搬入される新聞の3割から5割程度が「押し紙」である。従って実際の配達部数は、ABC部数よりも遥かに少ないと推測される。
【参考記事】
国策としての「押し紙」問題の放置と黙認、毎日新聞の内部資料「発証数の推移」から不正な販売収入を試算、年間で259億円に
「押し紙」問題がジャーナリズムの根源的な問題である理由と構図、年間932億円の不正な販売収入、公権力によるメディアコントロールの温床に

極右からリベラル左派まで、音律が狂ったカラオケのように中国についての見方が歪んでいる。これらの層(セクト)を形成する人々は、声高々に「反中」を合唱している。背景には、新聞・テレビによる中国報道を過信して、現地に足を運んで事実を確認したり、自力で海外の多様な情報を収集しない姿勢があるようだ。一種の情報弱者にほかならない。
2025年2月8日、TBSは、報道特集で「中国による『同化政策』…言葉をめぐって揺れる『2つのモンゴル』」と題する番組を放送した。中国のモンゴル自治区で、中国共産党がモンゴル語よりも中国語を重視する教育を進めていることを捉えて、漢族への「同化政策」だと批判する内容だった。
この番組の問題点はいくつかあるが、最も根源的な間違いを指摘しておこう。それはTBSが中国語と北京語を混同し、それを前提として自論を展開している点である。議論の前提に重大な誤解があるわけだから、番組の最初から最後まで論理の歯車がかみ合っていない。最初にストーリを組み立て、それに整合する事実だけを我田引水にこじつけたような印象がある。
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周知のように中国では中国語が主要な言語である。しかし、ひとくちに中国語と言っても、右のイラストが示すように、方言を含むさまざまな言語体系に分化している。発音も異なる。これらの言語の総称を中国語と呼ぶのである。そこで必要不可欠になるのが、共通言語であり、公用語である北京語である。多言語国家といえば、日本ではインドがその代表格のように言われているが、中国も典型的な多言語国家のひとつなのである。
インドでは英語が公用語に、中国語では北京語が公用語になっている。これらの国では、公用語が普及していなければ、国民相互のコミュニケーションが成立しない。
2024年10月、筆者は北京を訪れた。その際、現地の旅行会社が運営する観光ツワーに参加した。観光バスには、中国全土から北京にやってきた人々が乗車して、筆者がまったく聞いたことのない中国語が飛び交っていた。友人の中国人にこれらの多言語が理解できるかどうかを確認してもらったところ、まったく理解できないという答えが返ってきた。しかし、円テーブルを囲んだ昼食の席では、互いが北京語でコミュニケーションしていた。その光景に接して、わたしは多言語国家における公用語の役割を理解したのである。
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このエピソードは、中国ではいかに北京語が重要な役割を果たしているかを示唆している。北京語が話せなければ、政治参加も社会参加できない。特定の言語空間の中に閉じ込めれてしまう。日本でいう「井の中の蛙」のなってしまうのである。
こうした国の事情を考慮して、中国では小学校の低学年から、北京語のピンインや声調の習得が義務付けられているのである。中国語が多種に及ぶから、このようような教育方針が敷かれているのだ。
余談になるが、言語の普及を重視する政策は、中国以外の社会主義を目指す国々でも常識になってきた。たとえば1959年のキューバ革命の後、大規模な文盲撲滅キャンペーンが始まった。無知から脱皮して、国政への参加を促すのが目的だった。
1979年のニカラグア革命の後も、文盲撲滅キャンペーンが展開された。読み書きを習得しなければ、革命が成就しても、政治参加ができないからだ。言語の習得は、参政権を行使するために不可欠な革命のプロセスなのだ。
TBSは、「中国語による同化政策」などと難癖をつけているが、中国政府が意図しているのは、「北京語」の充実である。公用語教育はむしろ必要不可欠なプロセスなのである。
モンゴル自治区の若者だけが、「北京語」の能力に劣るとすれば、知識の習得も遅れ、平等に高等教育を受ける機会も奪われてしまいかねない。
TSBは、このあたりの事情をまったく取材していない。現地へ特派員を送り込んでいながら、中国が多言語国家であることも十分に認識していないようだ。日本人の感覚で、自分勝手な暴論を吐いているのである。
【参考記事】全米民主主義基金(NED)の「反共」謀略、ウィグル、香港、ベネズエラ・・・
2025年02月20日 (木曜日)

メディアの世界でこのところやたらと目に留まるのが、加工した画像や動画である。特にXなどSNSを媒体としたニュース報道では、加工が施されているものが、日増しに増えている。事実を正確に伝える役割を持つジャーナリズムの中に、恣意的なイメージ操作が闖入してきたのである。しかも、こうした現象は、西側メディアだけではなく、非西側メディアでも観察できる。
画像や動画の加工は、フェイクニュースの原点であり、ジャーナリズムを破壊し、最後にはジャーナリストの存在を無意味なものにしてしまう。その危険性に大半の情報発信は気づいていない。事実、国内外を問わず影響力のある人々まで、おそらくは罪悪感なく加工行為に手を染めている。
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数カ月前、あるメディアの経営者が、「わたしの媒体は、取材はしません」と淡々と話していた。取材経費が乏しい上に、スタッフの数が少ないので、現地に足を運んで取材するよりもインターネットで情報を探し、それをリライトしてニュースとして公開しているのだという。取材しない「ジャーナリズム」を社のモットーにしているのである。
別のメディア関係者も、取材よりもインターネット上の情報収集が「仕事」の主流を占めると話していた。従ってスタッフを採用する際も、ジャーナリストよりも、ネット上で情報を収集する能力が採用の鍵になる。たとえば外国語が堪能で、翻訳能力と作文能力があれば、申し分のない人材である。外国語の記事を、あたかも自社の果実であるかのようにアレンジできるからだ。
こうしたメディア状況の下で、フェイクニュースと事実・真実の区別が付かなくなり始めている。これは視聴者や読者にとっては、憂慮すべき事態である。自分たちが生活している世界を客観的な事実で再認識することが不可能になるからだ。命をリスクにかけて、紛争地帯まで足を運んで事実を確認する必用もなくなる。
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米国のUSAID(アメリカ合衆国国際開発庁)やNED(全米民主主義基金)を廃止が、世界的にトランプ政権の評価を高め、非西側メディアまでもそれを歓迎しているが、USAIDやNEDの次世代の世論誘導装置が、SNSや画像・動画の加工になることに気づいている人はほとんどいない。USAIDやNEDの戦術は、特定の組織や個人を抽出して、そこに資金を投入して、「人力」で世論運動活動を実施するものだった。
これに対して次世代の世論誘導は、不特定多数の人々が直接的なターゲットになる。USAIDやNEDの活動よりも、よりたちが悪い反共プロパガンダが、今後、圧倒的な影響力をもってわれわれの生活の中に闖入してくる危険性があるのだ。
イーロン・マスク氏がXを買収し、さらにトランプ政権に入閣した目的を再考する必用があるのではないか。ジャーナリズムは、エンターテイメントではない。

トランプ大統領が、UASID(アメリカ国際開発庁)を閉鎖した件が、国境を超えて注目度の高いニュースになっている。USAIDは、原則的に非軍事のかたちで海外諸国へ各種援助を行う政府機関である。設立は1961年。日本の新聞・テレビは極力報道を避けているが、USAIDの援助には、メディアを通じて親米世論を形成すためのプロジェクトも多数含まれている。
実際、親米世論を育てることを目的に、おもに敵対する左派政権の国々のメディアや市民団体に接近し、俗にいう「民主化運動」で混乱と無秩序を引き起し、最後にクーデターを起こして、親米政権を樹立する手口を常套手段としてきた。そのためのプロジェクトが、USAIDの方針に組み込まれてきたのである。
USAIDの閉鎖後に公開された内部資料によると、助成金を受けていたメディアの中には、米国のニューヨークタイムスや英国のBBSも含まれていた。これらのメディアをジャーナリズムの模範と考えてきたメディア研究者にとっては、衝撃的な事実ではないかと思う。
Columbia Journalism Review誌の報道によると、USAIDは少なくとも30カ国で活動する6,000人を超えるジャーナリスト、約700の独立系メディア、さらに約300の市民運動体に助成金を提供してきた。
ウクライナでは、報道機関の90%がUSAIDの資金に依存しており、一部のメディア企業では、助成金の額がかなりの高額になっているという。
トランプ大統領がUSAIDを閉鎖した正確な理由は不明だが、「小さな政府」を構築すると同時に、事業を民営化する新自由主義政策の一端ではないかと推測される。
その役割を担って入閣したのが、イーロン・マスク氏である。従ってUSAIDが閉鎖されたとはいえ、今後は、従来とは異なった形で、経済的に西側メディアを支配する政策が取られる可能性が極めて高い。本当に資金支援を打ち切れば、西側世界はスケールの大きい世論誘導装置を失うからだ。
◆助成金の支出先がコミュニスト?
UASIDによる助成金に関するニュースの中には、間違った情報も含まれている。たとえば助成金の支出先は、「左派勢力」や「コミュニスト」であったというものだ。これはUASIDの一方的な閉鎖を正当化するためのでたらめな報道にほかならない。
マスク氏自身も、Xの中で、USAIDを指して、「『非常に腐敗している』『悪だ』『アメリカを憎む急進左派マルクス主義者の巣窟』と表現している」。( Columbia Journalism Review誌)
なぜ、こんな根本的な誤りを犯しているのか? おそらくマスク氏にとって、左派やコミュニストとは、真正のマルクス主義者のことではなく、自分とは意見を異にする者のことである。マルクスやエンゲルスの著書を読んでいれば、こうした間違いはしない。だれがマルクス主義者で、だれがマルクス主義者ではないかも判別できる。
たとえ反トランプの陣営であっても、米国資本主義の枠内での改革を主張する者はマルクス主義者ではない。民主党のバーニー・サンダース氏がその典型例だ。米国共産党のように資本主義経済から、社会主義を目指す勢力がマルクス主義者である。USAIDに関する報道では、この点の区別において、大変な混乱が生じている。
◆NED(全米民主主義基金)の反共戦略
UASIDからの助成金を受け取ってきた個人や団体の大半は、「反共」の旗を掲げた右派勢力である。
たとえば、UASIDの下部組織にあたるNED(全米民主主義基金)を通じて提供された助成金の支払先は、同団体の年次報告書によると、香港の「独立」を目指す市民運動体やニカラグアの左派政権を転覆させよとしている市民運動体である。さらに同じ目的で、ベネズエラやキューバに関連した反共市民団体などである。いずれも左派勢力の転覆を目指す勢力である。
◆日本における公権力によるメディア支援の構図
USAIDを閉鎖したことで図らずも、公的機関がメディアに経済的な援助を実施する構図が、国際的なレベルで判明した。日本のメディア企業やジャーナリスト個人が、助成金を受け取っているかどかは不明(一部は明らかになっている)だが、日本には、メディア会社の収益を劇的に増やす独自の手口もある。それがメディアのタブーとなってきた新聞社による「押し紙」制度である。USA IDの内情が暴露されたこの機会に、「押し紙」について考えることは、日本におけるメディアと公権力の関係を考える上で有益だ。
日本には、政府や公正取引委員会が新聞の「押し紙」制度を黙認することによって、新聞社に莫大な経済的利益をもたらす構造が存在する。わたしの取材によると、新聞業界全体で年間1000億円近い不正な資金が新聞社に流れ込んでいる。つまりUSAIDと世界のメディアの間にある癒着関係と類似した構図が、日本の公権力と新聞・テレビの間にも構築されているのだ。
これに関しては、次の3本の記事を参照にしてほしい。
■押し紙」問題がジャーナリズムの根源的な問題である理由と構図、年間932億円の不正な販売収入、公権力によるメディアコントロールの温床に
■国策としての「押し紙」問題の放置と黙認、毎日新聞の内部資料「発証数の推移」から不正な販売収入を試算、年間で259億円に
■1999年の新聞特殊指定の改訂、「押し紙」容認への道を開く「策略」
◆メディアリテラシーの欠落
改めて言うまでもなくメディア企業を運営するためには、資金が不可欠になる。この点を逆手に取ったのが、USAIDの助成金である。日本の場合は、「押し紙」制度である。「押し紙」の黙認が生む莫大な経済的メリットが、メディアと公権力の距離を縮める。この構図を把握することなしに、報道内容を批判しても、ジャーナリズムの質の向上にはつながらない。問題の解決にはならない。
USAIDの内幕が暴露されたのを機に、再度、メディアやジャーナリズムのあり方を考えてみる必要がある。だまされてきたのは、メディアリテラシーを身に付けていないわれわれ大衆なのである。メディア企業が成り立っている経済的な諸関係を理解した上で記事を解釈した方が良い。

横浜副流煙裁判を支援する会は、今後の裁判に備えるために、カンパを呼び掛けている。それぞれ1月14日と22日に、判決があった裁判を控訴するほか、ネット上で藤井敦子さんに対する誹謗中傷が止まない場合は、新たな法的措置も検討する。カンパは弁護士費用や活動費にあてる。
最新の裁判報告(1月14日、22日に判決)については、次の記事を参考にしてほしい。
■横浜副流煙裁判、カウンター裁判で藤井敦子さんらが敗訴、検証が不十分な作田医師交付の診断書
(カンパ専用口座)
●郵便局から振込む場合
通常貯金 記号10260 番号74639951 口座名 フジイアツコ
●他金融機関から振込む場合
ゆうちょ銀行 店名 〇二八(ゼロニハチ) 店番 028 注意:店名は数字ではなく「せ行」を選択後、「ゼロニハチ」を選択してください。
普通預金 口座番号 7463995 口座名 フジイアツコ

横浜副流煙事件に関連した2つの裁判の判決が、それぞれ1月14日と22日に言い渡された。裁判所は、いずれも原告(藤井敦子さん、他)の訴えを退けた。藤井さんは、判決を不服として控訴する。判決の全文は、文尾のPDFからダウンロード可。
時系列に沿った事件の概要と、判決内容は次の通りである。
■横浜副流煙事件の「反訴」(横浜地裁)
原告:藤井将登、藤井敦子
被告:作田学、A家の3人(A夫-故人、A妻、A娘)
横浜地裁は1月14日、原告の訴えを退ける判決を言い渡した。この事件は、裁判の提起そのものが不法行為に該当するとして、ミュージシャンの藤井将登さんと妻の敦子さんが、前訴を起こしたA家3人と、それを支援した作田学医師を提訴したものである。藤井夫妻が請求された現金は、4518万円だった。俗にいうスラップ訴訟である。
藤井夫妻は、客観的根拠の乏しい診断書を根拠とした訴訟により、3年ものあいだ精神的、あるいは経済的な苦痛を受けたとして、その賠償を求めたのである。
前訴が不当訴訟ではないと裁判所が判断した根拠は、提訴に至る前段で複数の医師が、A家の3人のために、「受動喫煙症」や化学物質過敏症の病名を付した診断書を交付していた事実である。それゆえにA家の3人が、提訴するに足りる理由があったと判断したのである。
■A娘の診断書
しかし、作田医師によるA娘に対する診断書交付は、無診察による診断書交付を禁じた医師法20条に違反している。作田医師はA娘とは面識がない。インターネットによる診察も実施していない。他の医師がA娘に交付した診断書や、A娘のA夫・A妻の話を聞いて、病名を決め診断書を交付したのである。
実際、A娘の診断書は、作田医師が「倉田医師の診断書や被告A妻から問診で聞いた情報を基に」(17頁下から11行目)作成した杜撰なものであるにもかかわらず、「違法な行為ということはできない」と認定している。こうして裁判所は、医師法20条違反も不問に付しているのである。
■故A夫の診断書
故A夫の診断書にも不可解な点が見うけられる。作田医師は、診断書に「受動喫煙症」の病名を付しているのだが、A夫は提訴の1年半前までビースモーカーだった。25年間も煙草を吸っていた。A夫本人も喫煙者だったことを認めている。それにもかかわらず、作田医師は「受動喫煙症」の病名を付した診断書を交付したのである。
ちなみに、「受動喫煙症」という病名は、日本禁煙学会が独自に命名したもので、公式には存在せず、保険請求の対象にもなっていない。受動喫煙という現象は喫煙の現場で起こりうるが、その事と病状を呈することは別である。
■A妻の診断書
さらにA妻の診断書にも、「受動喫煙症」の病名を付したうえに、副流煙の発生源を1階に住む「ミュージシャン」であると事実摘示している。現場を取材して、そのような結論に至ったのではなく、「問診」の中で、患者から聞き取った内容をそのまま記述した結果か、勝手な想像である。
ちなみにA家3人の診断書はいずれも、当時、作田医師が外来を開いていた日本赤十字センターの公式のフォーマットが使用されていない。
このように作田医師が交付した診断書には不可解な部分がある。A家3人が著名な医師を過信して高額訴訟を起こしたことについては、同情の余地もあるが、作田医師の責任は免れない。4518万円の訴訟を起こされた藤井さんの側が、大変な苦痛と不利益を味わったからだ。
本来であれば、裁判所はこれらの点を重点的に検証しなければならないはずだが、判決文からは、診断書に関する問題点を詳細に検討した跡は読み取れない。疑惑の診断書を簡単に是認することになってしまった。医師が交付した診断書であれば、どのようなものでも違法性はないという恐るべき結論を示したのである。
■スラップ訴訟の法理
訴訟提起の違法性を問う裁判は、次のような法理で審理される。
「提訴者が当該訴訟において主張した権利又は法律関係が事実的、法律的根拠を欠くものである上、同人がそのことを知りながら又は通常人であれば容易にそのことを知り得たのにあえて提起したなど、裁判制度の趣旨目的に照らして著しく相当性を欠く場合に限り、相手方に対する違法な行為となるというべきである(最高裁昭和63年1月 26日第二小法廷判決・民集42巻 1号1頁参照)」
引用文の主旨は、訴訟提起に法的な根拠がなく、勝訴の見込みがないことを原告が認識していながら、あえて訴訟にふみ切った場合、訴訟そのものが不法行為に該当するという法理である。この判例でも明らかなように、訴権の濫用を認定させるハードルが高い上に、日本国憲法でも提訴権を保証しているので、過去に訴権の濫用が認定された判例は10件にも満たない。スラップ訴訟が増えている温床にほかならない。
■名誉毀損裁判(東京地裁)
原告:藤井敦子、酒井久男
被告:作田学
この事件は、1月22日に判決が下された。原告の敗訴である。
裁判の本人尋問の場で、作田医師が藤井敦子さんと酒井久男さんの名誉毀損的な発言を行ったこと対する損害賠償裁判である。法廷という限られた場における発言とはいえ、傍聴席は満員だった。しかも、暴言を吐いたのは、かくれもしない禁煙学の大家として、その名を津津浦浦にまで轟かせている日本禁煙学会の理事長、作田学医師である。まぎれもない公人である。
事件の概要については、この記事の冒頭にある「事件の概要」を参考にしてほしい。裁判所が採用した法理は、次のような論理である。
反論する機会が保障されており、当事者の主張・立証の当否等は裁判所に判断されることにより、訴訟活動中に毀損された名誉を回復することができる。このような民事訴訟の特質に照らせば、民事訴訟における当事者の表現について、相手方等の名誉等を損なうようなものがあったとしても、それが直ちに名誉毀損として不法行為を構成するものではなく、訴訟と関連し、訴訟のために必要性があり、かつ、表現も著しく不適切で相当性を欠くとは認められないといった事情により、正当な訴訟活動の範囲内と判断される場合には、違法性が阻却されると解される。」
端的に言えば、法廷では反論権が認められているうえに、発言を認定するかどうかを判断するのは、裁判所であるから、著しく不適切な発言をした場合を除いて原則的に自由闊達な発言が認められるというものである。
この点に関して、わたしは原告・酒井久男さんのケースに言及しておきたい。裁判所が、議論の前提となる事実認定を間違っているからだ。事実に基づいた発言なり評論であれば、なのを述べようと自由だが、虚偽の事実に基づいた言論活動は、重罪である。
■創作された前提事実
「事件の概要」にも記録しているように、酒井さんは2019年7月に日本赤十字センターの作田医師の外来を受診した。当時、藤井敦子さんは、夫の藤井将登さんが被告として法廷に立たされた高額訴訟で、作田医師による診断書交付に関する疑惑を持っていた。そこで酒井さんに、作田医師の外来を受診してもらい、みずからも付き添って診断書交付の現場を自分の眼で確認する計画を立てたのだ。
裁判の判決次第では、家族が経済的に崩壊しかねない状況に追い込まれていたわけだから、疑惑について確かめようとするのは当たり前の行動である。批判される余地はない。
酒井さんと藤井さんは、計画を実施に移した。診察室での酒井さんの態度について、作田医師は別訴(反スラップ裁判)の本人尋問の中で、「うさんくさい患者さんでした」、「うさんくさい人だなと思いました」、「当然、会計にも行っていないと思います」などと供述した。これらの暴言について、酒井さんは、内容証明の書面で作田医師に真意を問い合わせたが、作田医師は回答しなかった。そこで訴訟を提起したのである。
裁判の審理の中で、作田医師はこのような発言に至った理由を説明した。それによると、酒井さんと藤井さんが診察室を退出した後、診察室にたばこの臭いが漂ったので、うさん臭い人間であり、会計にも行っていないと思った。さらに診断を間違ったと判断して、事務の女性に指示して、酒井さんと藤井さんを追跡させた。
作田医師のこの弁解は、特に重要な点なので、それを裏付ける箇所を尋問調書から引用しておこう。弁護士の質問に答えるかたちで発言している。
弁護士:陳述書でも書いていただいたように、一つには診察が終わった後に男女の2人組み(黒薮注:酒井さんと藤井さんのこと)が出てったら、うっすらとたばこのにおいがしたんだと。それで事務方の方にも確認してもらって、やっぱりたばこのにおいがすると。これは、もしかしたら誤った診断書を出してしまったかもしれないと思って、慌てて後を追ってもらったんだと。ただし見つからなかったという報告があったと。こういう出来事があったことが一点でいいですか。もう一点としては、後に提出された酒井さんの診断書には、検印、割り印ね。病院の印鑑が押してなかった。この2点がまず挙げられているということでいいですかね。
作田:はい、そのとおりです。(略)
弁護士:診察した後に書類を整理していたら、たばこのにおいがしたというわけですね。
作田:はい。
弁護士:そのたばこのにおいがしたというのは、患者さんと思われる二人組が出ていってから何分ぐらい経っていましたか。
作田:まあ、3分ぐらいでしょうね。
※赤字は黒薮哲哉
作田医師は尋問の中で、自分が酒井さんに対して「誤った診断書を出してしまったかもしれないと思って」、事務の女性に後を追わせたと証言しているのである。従って、特別な事情がない限り、作田医師は酒井さんの診断記録を訂正するはずだ。
ところが作田医師が、酒井さんの診断記録を訂正することはなかった。なぜ、そのことが判明したのかと言えば、酒井さんを作田医師に紹介したユミカ内科小児科ファミリークリニックに対して、酒井さんが行った診療記録の開示により、訂正の痕跡がないことが確認されたからだ。
つまり煙草の臭いがしたから、事務員に酒井さんと藤井さんの後を追わせたというのは、この発言が法廷で争点になった後、作田医師が創作した話の可能性が高いのである。実際、喫煙者が退席して、3分後の臭いを感じ始めることなどありえない。また、その前の診察中には、臭いを感じていないのでる。
このように虚偽の事実を前提にして、作田医師は、一連の暴言の正当性を主張し、裁判所もそれを認めたのである。

福岡・佐賀押し紙弁護団 弁護士 江上武幸(文責)2025年(令和7年)1月15日
令和6年12月24日の西日本新聞押し紙訴訟の福岡地裁敗訴判決について、同月27日に福岡高裁に控訴したことをご報告します。本稿では、判決を一読した私の個人的感想を述べさせて頂きます。
なお、「弁護士ドットコム・押し紙」で検索して戴ければ、判決の内容が簡潔且つ的確に紹介されております。
* 弁護士ドットコムの読者の方の投稿に弁護士費用を心配されるむきがありますが、法テラスの弁護士費用立替制度なども用意されていますので、地元弁護士会等の無料法律相談窓口などを気軽に利用されることをお勧めします。
* 別の合議体に係属中の西日本新聞押し紙訴訟(原告は佐賀県の販売店)は、証拠調べを残すだけになっております。
📚新聞社は、社会の木鐸(注:世の中を指導し、正すひと。多くの場合は、新聞記者を指している。)としての役割を果たすことを使命としており、民主主義社会にとってなくてはならない存在です。新聞社はそのような役割と期待を担っていますので、押し紙なるものはそもそもあってはならないものです。
西日本新聞社(以下「被告」と言います。)は、明治10年3月、西南の役で騒然とする九州の一角、現在の福岡市中央区天神に誕生した「筑紫新聞」を源流とする九州を代表するブロック紙であります。読売新聞が九州に進出してきたときは、これを真正面から迎え撃った歴史と伝統を有する創刊150年を迎えんとする新聞社です。しかし、昭和40年代に全国に先駆けて押し紙を解決した隣県の熊本日々新聞社の経営姿勢と比べると、押し紙をなくそうとする姿勢が見られませんので、なんとも残念です。
*被告の押し紙政策の問題点は、昨年10月15日の「西日本新聞押し紙訴訟判決期日のご報告」と12月26日の「西日本新聞福岡地裁敗訴判決のお知らせ」で紹介しております。
📮第1の問題は、被告が販売店からの注文は書面ではなく電話で受け付けていると主張している点です。
被告は、販売店に部数注文表をFAX送信するよう指示していますが、そこに記載された部数は参考にすぎず、正式な注文は電話で受け付けていると主張しています。
被告がそのような主張をするのは、部数注文表に記載された部数と実際の供給部数が一致していないからです。部数注文表に記載された部数が正式な注文部数であれば、実際に供給している部数と一致していない理由を説明する必要が出てきます。
被告は平成11年告示の押し紙禁止規定の「注文した部数」は文字通り販売店が注文した部数を意味するとの解釈をとっていますので、実際に供給した部数が、部数注文表記載の注文部数を超えれば、直ちに、独禁法違反の押し紙が成立します。
そこで、被告は部数注文表記載の部数は参考に過ぎず、電話による注文部数が正式な注文部数であると主張せざるを得なくなっているのです。
本件原告をはじめ被告の販売店は、注文部数を自由に決める権利は認められていないため、被告から指示された部数を仕入れざるを得ない弱い立場におかれています。
今回の押し紙裁判の提訴にあたり、佐賀県の販売店の店主が電話の会話を録音していることがわかり、録音データーを再生したところ、電話で部数を注文していないことを証明することが可能との結論に至りました。私どもは、本件裁判でも、佐賀県販売店の店主の録音データーとその反訳文を証拠として提出しました。ところが、被告は私どもが思いもつかない反論をしてきました。録音の最後の方に担当の声は聞こえないものの販売店主が「ハイ、ハイ」と答えている箇所があります。被告は、この箇所で担当が販売店主に対し、「注文部数は前月と同じでいいですか」という質問をしており、それに対し販売店主が「ハイ」と答えていると主張したのです。
裁判官は電話の向こうがわの担当の声が聞こえていないのに、「注文部数は前月と同じでいいですか」といった会話がなされているとの被告の主張をそのまま認めました。あらかじめ、結論ありきの判決だったことがわかります。
🖍️第2の問題は、「4・10増減」の問題です。本件では、4月と10月に普段より200部も多い新聞が供給されています。
被告は、原告が4月と10月に200部多い部数を注文したのは折込広告料と補助金を得るのが目的であるとして、被告には何の責任もないと主張しました。被告が原告に対し、4月と10月に普段の月より200部多い部数を注文させているのは、押し紙の仕入代金の赤字を折込広告収入で補填させるのが目的です。
郡部の販売店では、4月と10月の部数がその後半年間の折込広告部数決定の基準とされています。そのため、被告は子会社である折込広告会社が、原告販売店の4月と10月の部数について普段の月より200部多い部数を折込広告主に公表出来るようにしているのです。
この折込広告料詐欺のスキームは被告が独自に考えだしたものではなく、新聞業界全体で考案したスキームだと考えられます。
この問題については、黒薮さんが2021年7月28日の「元店主が西日本新聞社を『押し紙』で提訴、3050万円の損害賠償、はじめて『4・10増減』問題が法廷へ」という記事で詳しく紹介ておられます。是非、御一読ください。
http://www.kokusyo.jp/oshigami_c/16462/
押し紙と広告料の詐欺は、手段と目的の関係にあります。私ども押し紙裁判を担当している弁護士は、広告料の詐欺の主犯は新聞社であるとかねてより公言してきました。ネット社会が普及したおかげで、押し紙問題はもはや世界的にも知られるようになっていますので、新聞社が裁判でいくら責任を販売店に押し付けようとしても、社会的にはますます信用を失うだけです。
📌私は以前、「押し紙問題で本当に恐ろしいのは、新聞社が押し紙の存在を隠蔽して責任逃れすることより、裁判所が新聞社の味方をして販売店の権利救済に背を背けていることである。」という趣旨の意見を述べたことがあります。今でも、その考えに変わりはありません。
本件判決を言い渡した3人の裁判官は、2024年(令和4年)4月1日付で、裁判長は東京高裁から、右陪席は東京地裁から、左陪席は札幌地裁から転勤してきた裁判官です。高裁管轄をこえる人事異動ですので、この人事が最高裁事務総局の差配によることは明らかです。
以前の裁判官は、和解の可能性を打診したり、双方の主張を詳細に整理して検討を求めるなど、この押し紙裁判に熱心に取り組む姿勢を示しておられました。そのような裁判官が本件裁判の担当から離れ、遠方から新しい裁判官3人が転勤してきましたので、正直やられたと思いました。
というのも、これまで、販売店の勝訴が間違いないと思われていた裁判で、判決直前で裁判官が交代して敗訴判決が言い渡された例を見聞きしていたからです。
ご存じの通り、最高裁事務総局は司法行政の一環と称して日常的に下級裁判所の動向を調査・把握しています。その中でも、国政や外交の根幹にかかわる問題については一段と目を光らせています。
憲法と日米安保条約にかかわる問題、米軍基地と軍人・軍属にかかわる問題、原子力発電所や大規模公共工事にかかわる問題等については、最高裁は裁判官会同や合同研修会を招集し、審理の進め方や判断基準の統一をはかっているのではないかと言われています。
私は、最近の押し紙訴訟は販売店敗訴の判決が相次いでいることから、押し紙禁止規定の解釈や判断の枠組みについて、最高裁事務総局の意向があらかじめ担当裁判官に示されているのではないかという疑いをもっています。
黒薮さんは、令和6年12月31日の「1999年の新聞特殊指定の改定、『押し紙』容認への道を開く『策略』」と題する記事で、平成11年に押し紙禁止規定の改定で、それまでの「注文部数」という文言が「注文した部数」に変更された件について、その背後に、当時の公正取引委員長根来泰周氏(元東京高検検事長・後に日本プロ野球コミッショナー)と日本新聞協会長の読売新聞渡邉恒雄氏の存在があったのではないかと推測しておられます。私も同感です。
http://www.kokusyo.jp/oshigami_c/18224/
この文言の変更に隠された意図・目的が、渡邊恒雄氏側から何らかの経路を経て最高裁に伝えられたのではないかとの疑念を抱いています。といいますのも、渡邊恒雄氏が読売新聞1000万部の力(注:実際は張り子の虎にすぎないことは、これまで散々述べてきたとおりです。)をバックにして、政界中枢に大きな影響を与えてきたことは本人自身も認めています。
最高裁判所裁判官の指名権を有する内閣と渡邊恒雄氏の関係、読売新聞の代理人弁護士とTMI総合法律事務所の関係、TMI総合法律事務所と最高裁判事の関係など、疑えばきりがありません。
4・10増減の問題について、判決は被告主張のとおり、原告が折込み広告収入を得るために行ったもので、被告には責任はないとの判断を示しました。私どもは、押し紙は新聞社の広告主に対する詐欺であると批判してきましたが、今回の判決はすべての責任を販売店に押し付け被告の責任を不問にしました。
刑事問題と民事問題は違うからという言い訳をするのでしょが、それは法律関係者だけに通用する詭弁であって一般社会では通用しません。
🗂️東京地裁・最高裁判所に勤務したことのある元エリート裁判官の瀬木比呂志氏は、裁判所内部や裁判官のかかえる問題について多数の本を出版されており、外部から伺いしれない貴重な情報を社会に紹介して頂いています。2017年に新潮社から発行された『裁判所の正体-法服を着た役人たち-』の帯には、「忖度と統制で判決は下る!」・「裁判所には『正義』も『良心』もなかった!」との文字が踊っています。今回の敗訴判決を一読して、まったく瀬木裁判官のおっしゃる通りだと思いました。
最近体験した読売新聞押し紙裁判の控訴審判決の言渡し期日の出来事を紹介しておきます。判決を聞くために法廷に出向いた私は、前の事件の判決言い渡しが終わるのを傍聴席に座って待っていました。言い渡しが終わりましたので、おおもむろに傍聴席から立ち上がり、原告代理人席に移動していたところ、代理人席に着く前に、裁判長が控訴棄却の判決主文を読み上げさっさと後ろの扉から法廷を出ていきました。
私は唖然として言葉も出ませんでした。社会常識に反する裁判官にあるまじき行動と言わざるを得ません。そこまでして新聞販売店側に嫌がらせをしようとする裁判官の子供じみた行動は、まさに瀬木裁判官のいう「法服を着た役人」そのままでした。
昔話になって恐縮ですが、以前は書記官より裁判官の方がふさわしいと思わせる方たちが、裁判所にはたくさんおられたように思います。しかし、最近は、裁判所全体の雰囲気がなんとなく暗い感じで、昔の自由闊達な空気感で仕事に励んでおられる書記官や事務官の姿が見られなくなったような気がします。
官僚の縦社会とはむごいものです。若い時代の資格試験の合否だけで人生が決まる世界で生きていかざるを得ない優秀な方たちが、人間性のかけらもないような上司の下で働かざるを得ないことで受けるストレスは、外部からは想像もつかない大きいものがあるのではないかと思います。(注:弁護士の世界も同じかもしれませんが・・・)
📭今回の判決を言渡した合議体の裁判長は、司法研修所の元民事裁判教官です。右陪席は元最高裁の行政・民事局付だった裁判官です。いずれもエリートコースを歩んできた裁判官で、裁判をしない裁判官あるいは判決を書かない裁判官ともいわれる裁判官です。
私どもは、西日本新聞社を相手方とする今回の押し紙裁判は、勝訴の見込みが十分あると考えて提訴しております。今回の判決を言い渡した裁判官の人事異動は最高裁事務局の差配であることは冒頭で述べた通りですので、予想された敗訴判決だったとも言えます。
裁判長と右陪席の経歴をみると、最高裁事務総局は押し紙訴訟では新聞社を絶対負けさせないとの強い決意でいることが伺えます。
しかし、裁判所の内部には、日本の裁判所は今のままではいけない、何とかしなければならないと考える人達が大勢おられると思います。最高裁なにするものぞという気概に満ちた九州モンロー主義と呼ばれた時代を蘇えらせる力が、福岡地裁や福岡高裁に残っていることを期待します。
古くは福島重雄裁判官・宮本康昭裁判官、最近では、瀬木比呂志裁判官・樋口英明裁判官・岡口基一裁判官(注:いずれも元裁判官)らが、裁判所改革の必要性を様々な方法で訴えておられます。現役の裁判官・書記官・事務官の中にも、憲法に基づき法と良心にのみ従って判決が書けるような裁判所であって欲しいと願っておられる方が多数おられると思います。
*元毎日新聞社の取締役河内孝さんの「新聞社-破綻したビジネスモデル-」(新潮新書)や、黒薮さんの最新本『新聞と公権力の暗部-押し紙問題とメディアコントロール-』(鹿砦社)などの著作を裁判の資料として使わせていただいています。ありがとうございます。
私は押し紙問題と出会い、日本社会の成り立ちや現状および将来について少しは考えるようになりました。田舎で生活していてもネット社会の広がりによって、新聞・テレビ・週刊誌・本によってしか知りえなかった世界よりもっと広くて奥深い世界があることを知りました。ありがたいことであり、また、怖いことでもあります。情報に溺れるという言葉がありますが、今後、情報の選択がますます大事になってくると思います。
最後に、本件については控訴理由書が完成しましたら続報をお届けする予定です。今後ともご支援のほどをよろしくお願いします。

渡邉恒雄氏の死に際して、次から次へと追悼記事が掲載されている。ここまで夥しく提灯記事が現れるとさすがに吐き気がする。ナベツネに「チンチンをしない犬」はいないのかと言いたくなる。
渡邉氏に関して、日本のマスコミが絶対にタッチしない一件がある。それは1999年に日本新聞協会の会長の座にあった渡邉氏が、新聞特殊指定改訂で果たした負の「役割」である。日本の新聞社にとって、計り知れない「貢献」をしたのだ。それは残紙の合法化である。残紙により大規模にABC部数をかさ上げするウルトラCを切り開いたのである。
その2年前の1997年、公正取引委員会は北國新聞社に対して「押し紙」の排除勧告を行った。同社は発行部数を3万部増やす計画を打ち出し、各新聞販売店にノルマを課したというのが排除勧告の概要である。
公取委は、日本新聞協会に対しても、北國新聞社と同様の販売政策を取っている新聞社があると通告した。公取委が「押し紙」対策に本腰を入れたのは、この時が最初である。
排除勧告を機として、日本新聞協会と公取委は、断続的に「押し紙」問題の解決策を話し合うようになった。その結論は、1999年の新聞特殊指定の改訂に至ったのである。しかし、驚くべきことに改訂の内容は、「押し紙」の量を際限なく拡大できるものになっていた。「押し紙」問題を解決するために話し合いを重ねたにもかかわらず、新聞特殊指定を骨抜きにして、合法的に「押し紙」を自由に出来る制度を整備したのである。
具体的な改訂の中味を記述しておこう。次に示すのは、改訂前と改訂後の新聞特殊指定の「押し紙」の定義である。黒の太字の部分の変化に注視してほしい。結論を先に言えば、従来の「注文部数」という用語を、「注文した部数」とう用語に変更したのである。
【改訂前】新聞の発行を業とする者が,新聞の販売を業とする者に対し,その注文部数をこえて,新聞を供給すること。
【改正後】販売業者が注文した部数を超えて新聞を供給すること(販売業者からの減紙の申出に応じない方法による場合を含む)。
具体的に何が異なるのか?「注文部数」と「注文した部数」では、どのように「押し紙」の定義が異なるのか?
実は、改訂前の新聞特殊指定には「運用細則」があり、その中で「注文部数」の定義が提示されている。それによると、ここで言う「注文部数」とは、販売店が伝票で注文した部数ではなく、新聞の「実売部数に2%の予備紙を加えた部数」のことである。たとえば読者が1000人の販売店であれば、「実売部数1000部+予備紙20部」、つまり1020部ことである。これが特殊指定でいう注文部数であって、それを超える部数は理由のいかんを問わず「押し紙」と定義される。北國新聞社に対する「押し紙」の排除勧告は、この定義に基づいて行われたのである。
既に述べたようにこの「注文部数」という用語は、1999年の新聞特殊指定改訂で廃止された。改訂後に採用された新用語は「注文した部数」だった。これは、文字通り販売店が書面で注文した部数を意味する。その中に「押し紙」が含まれていても、独禁法には抵触しない。
この用語の変更に連動して、「注文部数」を定義していた従来の「運用細則」も廃止された。さらに予備紙2%の規定も廃止した。その結果、販売店が新聞社から命じられたノルマを含む部数を新聞の発注書に書き込めば、その中にいくら「押し紙」が含まれていても、合法的な予備紙と見なされるようになったのである。その結果、残紙が大量に発生するようになったのである。
ちなみに「押し紙」問題でよく指摘されるのは、新聞社が販売店に対して仕入れる部数を指示する行為である。たとえば実売部数が1000部しかないのに、新聞の発注書には、1500部と書き込むように指示する。このような行為は、改訂前の新聞特殊指定であれば、特殊指定が定義する「注文部数」を超えているわけだから「押し紙」行為と見なされていた。
ところが改訂後は、販売店が「注文した部数」という解釈になり、「押し紙」の定義から外れる。
改訂後の新聞特殊指定で、「押し紙」と判断するためには、「注文した部数」をさらに超えた部数が搬入され、しかも、それが新聞社からの強制によって発生したものであることを販売店が立証しなければならない。
1999年の新聞特殊指定の改訂は、従来にも増して「押し紙」政策への大道を開いたのである。実際、今世紀に入ってから、「押し紙」の割合が、搬入部数の40%とか50%といったケースが報告されるようになった。
「押し紙」問題を解決するために始めた話し合いで、「押し紙」をより容易にする道を開いたのである。奇妙な話ではないか?
特殊指定改訂当時の新聞協会会長は、読売新聞社の渡邉恒雄氏だった。また、公取委の委員長は根来泰周氏だった。根来氏はその後、なぜか日本野球機構コミッショナーに就任している。
新聞の発行部数に関するギネスブックの記録も、再検証する必要がある。ギネスブックが騙されている可能性が高い。

福岡・佐賀押し紙弁護団 弁護士・江上武幸(文責)2024年(令和6年)12月25日
昨日(24日)、午後1時15分から、福岡地裁本庁903号法廷で、西日本新聞販売店(長崎県)の押し紙裁判の判決が言い渡されました。傍聴席には西日本新聞社関係者が10名程度ばらばらに座っていましたが、相手方弁護士席には誰もいないので、一瞬、原告のSさんと「ひょっとしたら」という思いに囚われましたが、予期した通り敗訴判決でした。判決文は入手できていませんので、とりあえず結果を報告します。
合議体の三名の裁判官は、昨年4月1日にそれぞれ東京高裁・東京地裁・札幌地裁から福岡地裁に転勤してきた裁判官で、裁判長は司法研修所教官、右陪席は最高裁の局付の経歴の持ち主であり、いわゆるエリートコースを歩んできた裁判官達です。
合議体の裁判官全員が同時に交代する裁判を経験したのは弁護士生活48年で初めてであり、他の弁護士・弁護団が担当している各地の押し紙裁判でも、奇妙な裁判官人事が行われていることは承知していましたので、敗訴判決の危険性は常に感じながら訴訟を進行してきました。
最高裁事務総局による意図的な裁判官人事の問題については、福島重雄裁判官、宮本康昭裁判官、最近では瀬木比呂志裁判官、樋口英明裁判官、岡口基一裁判官ら(注・いずれも元裁判官)、多数の裁判官が著作を出版されており、最高裁事務総局内部の様々な動きを知ることができます。大変、ありがたいことです。
私は、司法研修所29期(昭和52年(1977年)の卒業であり、同期には最高裁長官や高裁長官になった裁判官もいます。当時の研修所の雰囲気は、青法協弾圧の嵐は一応過ぎ去っており、教官の自宅を訪問するときは手土産を持参するようにとの指導が行われても反発するような雰囲気になることはありませんでした。実社会の経験のない世間知らずの私は、司法修習生になるとそのような礼儀作法を身につけることまで教育の一部だというくらいに受け止めていました。研修所当局による従順な修習生教育の一環であるといったうがった考えは浮かんできませんでした。
ところで、瀬木裁判官の著書『裁判所の正体』によると、29期で最高裁長官に就任した裁判官は、青法協加入の裁判官の弾圧をはじめた石田和外長官、後任のミスター最高裁と呼ばれた矢口恭一長官、司法反動の完成者と評されている竹崎博充長官の人脈に連なる人物であると書いてありました。瀬木裁判官ら最高裁中枢にいた裁判官でなければ知りえないエリート裁判官達の人脈に関する記載であり、外部のものが知りえない貴重な情報です。
私たちの期の人間は、そろそろ鬼界を控えていますので、最高裁長官や高裁長官経験者の人たちには、裁判官生活の記録を人事問題を含め後世のために残しておいてほしいものです。
特に、最高裁事務総局に対する「報告事件」なるものが存在すること自体は、明らかになっていますが、報告事件の中身と報告事件の処理ついては一切明らかにされていません。私個人として、「押し紙事件」が報告事件に指定されているか否かは是非とも知りたいところです。
日本の憲法は、裁判官の独立を保障しています。裁判官は法と良心のみに拘束され、他から干渉を受けることはありません。裁判官の判断は判決が全てであり、審理の途中で最高裁事務総局から担当書記官あるいは担当裁判官に対して、特定の事件について、その内容・審理の状況を報告させる仕組みは、裁判官の独立を侵すものであってはなりません。そのような制度は、裁判官・書記官だけでなく事務官を含めてその事実をしる裁判関係者のモラルの崩壊、士気の低下を招くことにつながると思います。
最高裁は違憲立法審査権を有しており、日本の最終国家意思を形成することができる機関です。戦後、冷戦の始まりと朝鮮戦争の勃発という国際情勢の変化により、戦前の支配体制がそのまま維持されることになりました。裁判官も戦前の問題を追及されることなく、戦後も従前通りの地位を保持することが許されました。
矢部宏治氏や吉田敏浩氏らの著作やネット情報によって、日本の政治は、在日米軍の高級将校と日本の官僚のトップで構成される日米合同委員会によって決定されているのではないかとの疑いが、広く国民に認識されるようになってきているようです。安保条約と憲法の関係について、戦後、最高裁長官とアメリカ大使が内密に協議していた事実も知られるようになっています。
最高裁は日本の最高法規である憲法の上に日米安保条約を置き、米軍基地と軍人・軍属に派生する問題については、基本的には違憲・合憲の司法判断はしないという統治行為論なる理論を生み出しています。それと、今大問題となっている「企業・団体献金」の合憲性についても、私は、最高裁の法的判断というよりむしろ高度な政治的判断によるものではないかとの疑念を抱いています。
三菱重工による「企業・団体献金」の合憲性について最高裁が合憲と判断したことに、どうしても納得できず、違和感を抱えてきました。国の政治は主権者である国民一人一人が参加して決定するもので、主権者でもない企業や団体に政治活動の自由を認め、支持する政党への献金も許されるとの判断にどうしても納得できないできました。
ところが、この問題について、最近のネット情報等により設立当初の自民党の政治資金がCIAから提供されていたことがわかり、すべての疑問が氷解しました。つまり、アメリカとしては早々に自民党の活動資金の支援を打ち切り、日本人にその肩代わりをしてもらう必要があったのです。
CIAに代わる資金の提供者が「企業・団体」であると考えれば、最高裁が「企業団体献金」を合憲と判断した本当の理由が理解できます。企業・団体献金についてはその弊害が問題となり、「政党助成金」が支払われるようになりましたが、その後も自民党は企業団体献金を廃止しようとはしません。
本件押し紙訴訟の最大の特徴は、4月と10月の定数(西日本新聞社の原告に対する新聞の供給部数)が前後の月より200部も多いことです。西日本新聞が4月と10月に、前後の月より200部も多い新聞を販売店に供給するのは、販売店の折込収入を増やすのが目的です。つまり、販売店の押し紙の仕入代金の赤字を折込広告料で補填するためにそのような措置を講じているのです。
※注釈:折込広告の販売店への定数(供給枚数)は、4月と10月の新聞の部数で決まる。4月の定数は、6月から11月の広告営業のデータとして使われ、10月の定数は12月から翌年5月の広告営業のデータとして使われる。それゆえに新聞社は、4月と10月に押し紙を増やす場合がある。このような販売政策を、販売店は、「4・10(よんじゅう)増減」と呼んでいる。
仮に、西日本新聞社の折込広告詐欺を裁判所が認めた場合、西日本新聞社に限らず押し紙問題を解決していない他の新聞社に判決の与える影響は想像もつきません。新聞を始めテレビ・ラジオなどのマスメディアに対する国民の信頼は、完全に失われる危険があります。
新聞・テレビ・ラジオ等のマスメディアに対する国民の信頼が失われれば、マスメディアによる国民世論の形成や統一は不可能となるでしょう。そのような事態を招くことを最高裁が容認することは、最高裁の政治的性格からして考えられません。
本件押し紙裁判の判決を書いた三人の裁判官が、西日本新聞社に押し紙の責任がないという結論を導くために、どのような法的判断の枠組みを考えだしているのか、その判決理由を知りたいものです。
後日、判決を入手後、この問題については検討の上、報告させていただくことにしますので、しばらくお待ちください。

福岡・佐賀押し紙弁護団 弁護士・ 江上武幸 (文責)2024年(令和6年)12月20日
11月28日(木)付西日本新聞の朝刊1面のトップに、「『国防の最前線』実感 屋久島沖墜落1年、オスプレイ搭乗ルポ」と題する記事が掲載されていました。
オスプレイは、ご承知のとおりアメリカでは「未亡人製造機」と呼ばれるほど墜落死亡事故の多い軍用機で、開発段階から昨年11月の鹿児島県屋久島沖墜落事故までに計63人が死亡しています。生産ラインは2026年に終了予定で、世界で唯一の輸入国である日本は、陸上自衛隊が17機を総額3600億円で購入し、来年6月に佐賀空港に配備する予定です。
現在、空港の整備工事が着々と進行しています。その額は社会保障費の削減分3900億円に匹敵しており、社会保障費を削り、そのお金でアメリカの欠陥機を購入するという、子供でもわかるような愚策が実行されています。
佐賀県選出の立憲民主党の原口一博衆議院議員は、もともと諫早湾干拓の堤防の開門決定に従わない国に強い不信感を感じておられ、開門しない代わりに漁業者に交付予定の100億円の基金についても、オスプレイ購入代金一機分にも満たないとして、憤りをあらわにしておられます。
原口代議士は佐賀県出身であり、鍋島藩の武士道「葉隠れの精神」に基づき、そもそも国が欠陥機であるオスプレイを1台200億円で購入するだけでなく、墜落の危険がある欠陥機に自衛官を搭乗させることに怒りを感じておられます。平の自衛官ではなく、幹部の自衛官が搭乗しろという至極まっとうな葉隠れ精神に基づく主張です。
私は、来週の12月24日午後1時15分に言い渡される西日本新聞押し紙訴訟の判決を前に、西日本新聞が1面トップに何故冒頭のような記事を掲載したのか、強い違和感を感じています。
縦の見出しには「『米中の対立の影』にじむ」と書いてあります。長田健吾記者が福岡空港でオスプレイに乗り込み、九州西方の洋上を航行する原子力空母ジョージ・ワシントンに着艦して、エマニュエル駐日大使の記者会見を受けるという筋書きです。
九州周辺の中国との緊張状態をことさら強調する内容の記事になっています。
西日本新聞社は、なぜ記者を命の危険にさらしてまでオスプレイに搭乗させ、このような記事を一面トップに掲載することにしたのか?
佐賀県を始め九州・山口各県の住民の大多数は、戦争になったら真っ先に攻撃の的になることもあって、オスプレイの配備には反対しています。それにもかかわらず、九州・山口を代表するブロック紙の西日本新聞社が、平和の訴えと真反対に軍事的緊張をあおる記事を掲載したのか、全く理解が出来ません。
平和交渉こそ強く訴えるべき新聞が、戦前の従軍記者のように、現地の軍事的緊張感を読者に訴える記事を書いているようにしか見えません。
来週の西日本新聞の押し紙訴訟の判決の結論と、この記事が何らか関連しているのではないかとの懸念を覚えましたので、急遽、投稿することにした次第です。

福岡・佐賀押し紙弁護団・ 江 上 武 幸 (2024年「令和6年」12月19日)
去る11月29日(金)、ワークピア横浜で開催された関東地区新聞労連の役員会で、「新聞の過去・いま・将来」をテーマに意見発表する機会を得ましたのでご報告申し上げます。
私は、6月に第8回横浜トリエンナーレを見学しましたが、メイン会場に足を踏み入れた途端、ミサイルが空気を切り裂く音を口真似で再現した映像作品に出合い、ウクライナやパレスチナで悲惨な戦争が続いている現実に引き戻されました。
2歳の孫を連れていましたので、大量破壊兵器を用いた無差別虐殺が行われていることが信じがたい反面、世界平和への強い政治的メッセージをもったアート作品を展示している横浜市民の皆さんの懐の深さに敬意を覚えました。
横浜は、日本で一番古い新聞が発行された街であること、熊本出身の宮崎滔天と中国の革命家孫文が出会った街であること、それに日本新聞協会が運営する日本新聞博物館があることを知りました。
京浜東北線の関内駅を下車し、日本新聞博物館に立ち寄ったところ、先生方に引率された小・中学生が社会科見学にきていました。国民の知る権利・表現の自由を保障するうえで新聞の果たしている役割の大きさが一目でわかるように全国の新聞が展示されていました。
なお、私の見過ごしかもしれませんが「押し紙問題」を扱ったコーナーはありませんでした。
日本新聞協会が、押し紙問題を意図的に社会の目から隠そうとしているとしたら、日本新聞協会に将来の戦争を阻止することを期待することはできないでしょう。
書籍コーナーで、『AIとカラー化した写真でよみがえる戦前・戦争』2020年7月・光文社新書)という本を見つけました。カラー化された少年特攻隊の写真を見ながら、なんともやるせない気持ちになりました。その中に、東京大空襲の焼野原を視察する昭和天皇を撮影した写真がありました。天皇は、その年の3月にヒトラーが愛人と服毒自殺をしたこと、4月にムソリーニがパルチザンによって公開処刑されたことは当然知っているはずです。
古来の武士道や軍人精神からすると、敗戦を覚悟した将たるものは、我が身を犠牲にして部下や国民の助命を嘆願するものです。しかし、天皇と天皇制官僚および軍人らは、「国体の護持」(すなわち戦争責任の免除)を要求して無条件降伏を遅らせ、原爆で広島14万人・長崎7万人という多くの日本人の命を犠牲にしました。そのように多くの日本人の命を犠牲にしてまで自己の延命を図った戦争責任者らの卑劣さは同じ日本人として許しがたいものがあります。三島由紀夫が自衛隊に決起を呼びかけた時の心境も同じものがあったと評する向きがあります。
横浜のすきとおった秋空のもと、山下公園の芝生を元気に走りまわる子供達や青春真っ盛りの学生たちを見ながら、せっかく世界最高の憲法を与えられた日本人が真の独立をはかることなくアメリカの支配のもとにおかれ、「日本人の日本人による日本人のための政治」を行うことが出来なかったことの無念さを感じました。
アメリカは天皇制官僚、軍人、右翼活動家などのA級戦犯を釈放し、アメリカ支配に全面的に協力させました。
ドイツ・イタリア・フランスなどのヨーロッパ諸国は、国民が自らの手で戦争犯罪者の責任を追及しました。それに比べると日本人は自らの手で天皇制官僚・軍人らの戦争責任者を処罰することも、連合国の東京裁判で、戦争責任者を追及する機会ものがすことになりました。
冷戦の開始という国際環境の変化に助けられてA級戦犯の裁判を逃れた官僚らは、さっそく新憲法の学校教材「新しい日本国憲法の話」(副読本)を廃版にして、平和・人権・民主主義の憲法三原則の教育をサバボタージュしました。その結果、日本の子供達は道徳教育と称して戦前の価値観を教えられ、憲法3原則の価値を学ぶことも知ることも十分ないまま成長せざるを得ませんでした。
親たちは子供が飢えないように一所懸命に働きながら戦後の荒廃した国土を立て直し、再び世界の経済大国の地位をとり戻しました。しかし、戦前からの古い支配者層は、日本の若者が世界に通用する人材になるための高等教育の無償化や返還不要の奨学金制度を設けることもせずに放置し、その結果、国民の過半数が中流意識をもった国から、中国・台湾・韓国・ベトナムより経済力が見劣りする貧困率の高い国に転落させてしまいました。非正規雇用・未婚少子化・高齢化世帯・ホームレス・子供食堂・災害ボランティア・生活保護受給者の急増といった寒々とした言葉があふれる日本になってしまいました。
会場の横浜ワークピアは、6月に宿泊したクラシックホテルのすぐ裏手にあり、氷川丸の向こうにはベイブリッジが見え、左手には横浜グランドマークタワーなどの高層ビル群がそびえていました。有楽町駅のガード下でみたホームレスの段ボール小屋は不思議と視界にはいってはきませんでした。
会場につき、これまでメールでしか連絡をとったことがなかった関東地区労連の役員の方々とお会いすることができました。皆さん、若い方ばかりでした。話の最後に九州出身の方がおられないか尋ねたところ、比較的年配の方が手をあげられたので少しほっとしました。
戦前、日本には1203の新聞社があったそうです。天皇制官僚と軍部は太平洋戦争に突入するために、これを55社に統合し、国論を戦争一色に染めあげることに成功しました。当時、「一県一紙」の新聞統合がなされたのを逆手にとって、全国の新聞社が一斉に戦争反対の論陣をはれば、国民世論を戦争反対に誘導することが可能だったとの見解も示されております。私もそのような気がします。
会場の新聞労連の役員の方々の若々しい顔ぶれを見ながら、近い将来、アメリカが自衛隊を米軍の補完部隊として前線に動員しようとしても、これらの若いジャーナリストの人達が戦争反対に立ち上がってくれれば、きっと戦争は阻止できるのではないかとの思いがしてきました。
私は、1951年(昭和26年)に福岡県南部の農村に生まれ、1970年(昭和45年)に地元の高校を卒業し、静岡大学から司法研修所29期に入所し、その後、郷里にもどって弁護士を開業し、今年で73歳を迎えました。すでに鬼籍にはいった高校や大学、司法研修所時代の友人・知人がいます。私もあと何年弁護士を続けられるか分かりませんが、人生とは、はかなく短いものです。
私は、戦後民主主義教育を受けて育った世代の人間です。戦後民主主義教育とは何ぞやということですが、子供たちが二度と悲惨な戦争のない平和な時代を送れるように親たちが平和の尊さを教える教育を先生方に期待したといえば大きくはずれることはなさそうです。小学校で鑑賞した木下恵介監督の「二十四の瞳」の映画がつよく印象に残っています。中学や高校時代は、戦車隊長とか騎兵隊長などとあだ名で呼んでいた軍人あがりの先生方がおられました。戦地での話をされることはありませんでしたが、二度と戦争はしてはならないとの強い思いは伝わってきました。初めて女性の手にふれたのも、高校の体育祭のフォークダンスの時が初めてでした。
「ぽつんと一軒家」という人気番組があります。人里離れた山奥に1軒だけ取り残された農家があり、両親の生活を支えながら弟や姉達を町に送りだし家を守ってきた一人暮らしの方の現在の生活が描かれています。兼業農家だった私の父親は食糧に困ることはなかったようですが、町部から着物や宝飾類を手に食料を求めて農家を訪ねてきた人たちの話をしながら、どんな時代になっても田んぼと畑だけは手放さないように常々いってました。ぽつんと一軒家に住む方も、町に出た弟姉妹のために一人残って先祖伝来の農地を守ってこられた方ではないかと勝手に想像したりします。
田舎には、若い兵隊さんの遺影を座敷に飾っている農家がたくさんあります。天皇・皇后両陛下の写真を並べて飾ってある家もありましたが、庶民にとっては天皇も皇后も他と何ら変わりのない普通の人間扱いされていました。
国境なき記者団によれば、日本の報道の自由ランキングは世界で70位です。閉鎖的な記者クラブ制度や政府や企業が日常的に経営に目をひからせ圧力をかけているのがその原因とされ、先進国では最低のランキングです。
私は、日本の報道の自由度が低いのは、新聞業界の最大のタブーである「押し紙」問題を政府に握られ、自ら解決しようともしていないからだと考えています。
日本の新聞社の経営は専売店による新聞の戸別配達によって成り立っています。販売店が購読者と契約を結び毎日読者に新聞を配達し、月単位で購読料を集金して新聞社に上納する日本独特のシステムです。販売店は本社の支援を受けながら、無代紙やサービス紙、高価な景品の提供など、なりふり構わないセールス活動を行って読者拡大をはかるような立場におかれています。本社の資金力の大小によって購読契約の成否が左右される構造です。
新聞販売の神様と評された読売新聞の務台光雄氏は、「読売と名がつけば白紙でも販売してみせる。」と豪語していたそうです。「記事の中身はどうでもいい。セールスの力で他社と競争する。」といった商売根性丸出しの営業政策です。
その跡を引き継いだ渡邉恒雄氏は、読売新聞1000万部の目標を設定し、目標を達成した後は1000万部体制を死守することを経営の史上命題としました。渡邊氏は「生涯一記者」を名乗ったようですが、1000万部を背景に政治の中枢部にまで影響力を行使し、憲法改正草案を提起したり、中曽根首相ら自民党の総理・総裁との緊密な関係を誇るなどおよそジャーナリストとは言えない政治的野心丸出しの人生を生きてきた人でした。
大王製紙元会長のユーチューバの井川意高氏は、渡邊恒雄・氏家斉一郎・堤清二3氏との東大同窓生の共産党細胞時代の交友関係を始めとして、その後の生きざまについて興味深い話を披歴してくれています。渡邉氏が、徹頭徹尾政治権力の中枢に登りつめることを学生時代から生きがいとしていた人物だったことがわかります。
私どもは、押し紙裁判で渡邊氏と長嶋茂雄氏を証人申請したことがあります。証人採用されることは期待しておらず、証人申請された事実が耳にはいれば、ひょっとしたら渡邉氏は押し紙をなくすかも知れないというかすかな期待がありました。
当時すでに、読売新聞発行部数1000万部のうち30~50%程度は購読者のいない押し紙でした。国会でも押し紙問題は再三に取り上げられており、安倍晋三氏も押し紙を知っていることは国会で認めていましたので、渡邊氏が自分は「裸の王様」であり押し紙問題は知らされていないという言い訳をすることは出来ない状況にありました。
今回、横浜に出かける前に、関東地区の読売新聞販売店の有志の方々が、公正取引委員会に対し、押し紙が50%ほどに及んでおり販売店経営が圧迫されているとして、読売に対する指導を求めた書面が私の事務所にもFAX送信されてきました。押し紙裁判やネット情報で読売新聞1000万部が張子の虎に過ぎないことが渡邉氏の存命中に社会に広く知れわたりましたので、押し紙裁判を提訴した意味は十分ありました。裁判で損害賠償は認められなくとも、読売の1000万部が虚偽であることを世間に知らしめることが出来たため、原告の方達も一矢報いることができたと前向きに受け止めていただいています。
今年は、読売新聞創刊150年ということです。1000万部が虚構の数字であることはもはや世間に明らかとなっていますので、渡邉氏が150周年記念行事でこの部数についてどのように説明されるのか興味のあるところです(注:先ほど渡邉恒雄氏が98歳の人生を閉じられたとのニュースが流れてきました)。
今回、「新聞の過去・いま・将来」というテーマで意見発表の機会を与えていただいたことから、初めて新聞の歴史を振り返ってみました。江戸時代のかわら版に始まる新聞が一貫して権力の監視下におかれ世論工作の役割を果たすよう強制されてきたこと。日本国憲法で表現の自由、取材・報道の自由が保障されるようになったにもかかわらず、GHQの占領下で新聞検閲が続き、占領終了後も、社有地の国有地払い下げやテレビの放送免許の付与、第三種郵便物、消費税の減税など、むしろ権力に積極的に接近し一体化することで新聞社の利益を優先する経営を行ってきたように思います。
戦後民主主義教育を受けた世代の人間として、マスコミに対する無条件の信頼というものを持っていましたが、それが幻想にすぎなかったことに気づき、目からうろこがとれたような気分を味わっています。
最近、失われた30年がいつ頃始まったのかについて考えることが多くなりました。さだまさしの「風にたつライオン」の「やはり僕たちの国は残念だけれど何か大切なところで道を間違えたようですね。」という歌詞と、吉田拓郎の「落陽」の「あんたこそが正直ものさ この国ときたら賭けるものなどないさ だからこうして漂うだけ」という歌詞が胸にひびきます。高校・大学のころに、全国に次々と革新自治体が誕生し、近い将来、革新政府が成立するかもしれないという時代を迎えたことがあります。
しかし、その後、革新自治体つぶしが始まり、革新政府の誕生の夢はあわと消えました。当時、新聞・テレビも革新自治体つぶしの世論工作の先頭に立ったようです。
時間の関係で失われた30年問題についての私の思いを話すことはできませんでしたが、わずかの時間でしたが最後の方で参加者の方々に対し私の期待するところを少し話すことが出来ました。
中選挙区制の廃止と小選挙区制の導入、国鉄分割民営化・郵政民営化による労働組合・野党の分断によって、自民党一党支配の政治体制の永続化が図られるようになりました。日本人の頭で考え出し、日本人だけで実行できるものではありません。アメリカ支配が揺るぐことを恐れて、日米合同委員会が意を通じて計画し実行したものと考えざるを得ません。
現在、最も危惧されるのは、アメリカの戦争に自衛隊が巻き込まれ日本が戦場になる危険性です。先の大戦で日本人約300万人、アジア人約2000万人といわれる犠牲者を出しました。日本の戦後の平和主義の原点はそこにあります。
日本人は他国の戦争にまきこまれることは絶対に避けなければなりません。どうしても戦争をしたい人がいれば、その人とその人の家族が戦場に出向くべきです。戦争反対の国民を巻き込んではいけません。
近い将来、戦争の危機が迫った場合、それを阻止する力は、新聞やテレビ等の既存のメディアに頼るほかないと考えます。政党や労働組合が分断され野党統一の展望は開けていませんので、一県一紙の地方紙とそこで働く方達によって構成されているわが国唯一というべき産業別労働組合である新聞労連の果たす役割は決定的に大きなものがあると考えます。
中央・地方を問わず政治家の質の劣化は目にあまります。国政レベルの世襲議員や、革新自治体の首長と現在の首長を比べてみただけで、そのことは一目瞭然です。地方紙が一社一名ずつ若い政治家を育てれば、「日本人の日本人による日本人の為の政治」を担う多数の政治家を輩出することが可能ではないでしょうか。そのことを最後に訴えて話を終えることが出来たことを、とても感謝しています。
私は、横浜から帰ってすぐにインフルエンザに罹患し、39度の高熱に悩まされ、最近、ようやく回復の兆しが見えたところです。文章が不正確で情緒的になっていることをあらかじめお断りします。
この問題については、渡邊氏が亡くなられたこともあり、引き続き私見を投稿していきたいと考えていますので、今後ともよろしくお願いします。

「押し紙」の回収現場を撮影した画像を紹介しよう。新聞社は、回収されている新聞は、「押し紙」ではないと主張してきた。彼らがその根拠としてきた論理は、「販売店が発行本社から補助金を騙し取ったり、折込チラシの水増しをするために、みずから注文した新聞部数なので、自分たちには責任がない」というものである。
しかし、新聞社が「押し紙」で莫大な利益を得ている事実は重い。「押し紙」がなければ、予算編成の規模も全く異なったものになる。新聞社は「押し紙」による不正取引を認識した上で、「押し紙」政策を続けてきたのである。







