1. 新興政党が台頭する中で、急がれる押し紙問題の解決、モラル崩壊の元凶―押し紙―

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2025年07月28日 (月曜日)

新興政党が台頭する中で、急がれる押し紙問題の解決、モラル崩壊の元凶―押し紙―

福岡・佐賀押し紙弁護団 弁護士 江上武幸(文責)2025年7月28日

衆議院に続き、参議院でも自民・公明の与党両党が過半数を割りました。一方、国民民主党や参政党が大きく議席を伸ばし、これに維新、れいわ新選組、日本保守党などを加えた新興勢力が、今後の政治の行方を大きく左右する存在となりそうです。

今回の選挙では、30年に及ぶ経済の停滞と、それに伴う社会全体の閉塞感に対する、若者世代の強い反発と怒りが背景にあると考えられます。

若者たちは、国民民主党の玉木代表の不倫問題、参政党・神谷氏の偏った女性観、元維新・橋本氏のハニートラップ疑惑など、SNSを賑わせた政治家のスキャンダルには目もくれず、変革への強い衝動に突き動かされているように見えます。財務省解体デモに象徴されるように、政治変革を求めるエネルギーは今後さらに拡大していくでしょう。

参政党が発表した「新日本国憲法構想案」により、この党の思想的傾向が明らかになり、既存メディアも批判的に報じ始めました。

新聞やテレビが新興政党に対し、党首や所属議員の女性問題、金銭スキャンダル、運営上の問題点などを積極的に報道するようになれば、これらの政党は、既存政党とは異なる立場から、新聞の「押し紙問題」を政治問題化し、メディアに対する強力な攻勢を仕掛けてくる可能性があります。

熊本日日新聞や新潟日報など一部の例外を除き、多くの新聞社は、押し紙による収入を前提に経営を続けているのが現状です。押し紙とは、新聞社が販売店に対し、実際に販売されない部数を強制的に仕入れさせる行為であり、これは独占禁止法に違反する不公正な取引方法で、資源の浪費であり、広告主に対する詐欺でもあります。

若者たちは新聞を購読していませんが、Google検索やSNSを通じて、押し紙の存在についてはよく知っています。新聞社がこの問題の存在を認めようとしない姿勢は、大人社会の「二面性」として受け取られ、若者から「正義を語る資格があるのか」と批判される原因になり得ます。

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黒薮哲哉氏は今回の参院選で、千葉県流山市の朝日新聞販売店前に、配達されずに放置された選挙公報の束を撮影(冒頭の写真参照)し、店主に取材しました。

黒薮氏の著書『新聞と公権力の暗部――押し紙問題とメディアコントロール』(鹿砦社)では、押し紙による新聞社の不正利益が年間約1,000億円にも上ると指摘されています。

これまでにも共産党・公明党・自民党の議員が押し紙問題を国会で取り上げ、公正取引委員会に是正を求めてきましたが、政府答弁を突き崩すには至っていません。裁判所でも多くの訴訟が提起されていますが、販売店に配達されない新聞が大量に残っている事実は認めつつも、新聞社の責任を明確に認めた判決は少数にとどまっています。

新聞社は第4の権力としての地位に安住し、自主的な是正の姿勢をほとんど示していません。

*押し紙裁判と裁判官の独立に関する問題については、別稿で詳述する予定です。

いつの時代も、若者は大人社会の不正・不条理・詭弁に鋭敏に反応し、強い憤りを抱きます。社会に出ても正規雇用に就けず、親の連帯保証で借りた奨学金の返済に追われ、結婚も子どもを持つことも諦めざるを得ない現実に、若者たちは自分の力ではどうにもできない閉塞感を感じています。

一方で、いわゆる“親ガチャ”に恵まれた二世・三世の政治家や高級官僚、大企業社員たちは、苦労もなくエリートとして迎えられ、人生を謳歌しているように見えるのです。

本来、日本が戦後に世界第2位の経済大国となった時期には、全ての若者に無償の高等教育や返済不要の奨学金を提供し、世界に羽ばたく人材に育てることも可能だったはずです。

*Googleで「親ガチャ」を検索したところ、次のような投稿が見つかりました。

「生きていくのに疲れました。親ガチャははずれ けどたくさんたくさん・・・努力してきました。努力しても親ガチャあたりの人には追い付けません。親のお陰で努力も苦労もしないでいい生活をしている人が羨ましい・・・。」

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日本は現在もアメリカの事実上の支配下にあり、名実ともに独立した国家とは言い難い状況です。この事実は学校教育では教えられませんでしたが、ネットやSNSの普及により、若者を中心に広まりつつあります。

報道によれば、今回の日米関税交渉において石破政権は、アメリカ経済に対して80兆円の投資を約束し、その利益の90%がアメリカ側に帰属するという信じ難い内容だったとされます。

一方で、日本国内では「子ども食堂」がボランティアによって辛うじて維持されていますが、その多くが資金不足で閉鎖に追い込まれています。

80兆円の投資が可能なのであれば、なぜ「子ども食堂」が国の政策として整備されないのか、なぜ奨学金返還を免除し、無償の奨学金制度を実現させないのか――。自公政権の「失われた30年」によって未来を奪われた若者の無念は、当事者でなければ想像もできないでしょう。

格差に怒り、現状打破を願う若者たちが、今回の選挙で変革への思いを投票という形で示したのだと思います。

新聞社やテレビ局の社員も、一般的に「エリート層」と見なされています。そのため、押し紙問題を棚に上げたまま、自分たちが支持する政党の立場から他党を批判する報道を行えば、理屈を超えた感情的な反発が生じる可能性があります。

そのような若者からの熱烈な支持を受けて登場した新興政党のリーダーたちは、自分たちへの批判報道に対し、これまでの政党には見られなかった強い姿勢で、押し紙問題を正面から政治課題として取り上げてくるかもしれません。

とはいえ、参政党の「新日本国憲法構想案」には、国民主権を否定するかのような、復古的・反動的な性格が色濃く見受けられます。そのような憲法草案を作成した人物や、それを無批判に支持する若者たちは、おそらく学校で日本国憲法について十分な教育を受けておらず、自主的な学習経験も乏しいのではないでしょうか。

かつて戦後すぐに使われていた文部省の副教材「あたらしい憲法のはなし」のように、小学校の段階から憲法三原則(国民主権・基本的人権の尊重・平和主義)を学ぶ教育が継続されていれば、現在とは異なる市民意識が育まれていたことでしょう。

冷戦構造の形成とともに、憲法第9条は「押し付け憲法」というレッテルを貼られ、徐々に無力化されていきました。憲法教育が意図的に軽視されてきたツケが、今になって表面化しているのです。

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失われた30年を取り戻すには、30年前の原点に立ち返る必要があります。それは決して不可能なことではありません。

かつては、社会党・共産党を中心に、アメリカの影響下から脱しようとする「革新政権」の誕生が現実味を帯びていた時期がありました。今のように少数政党が乱立する状況では、むしろ中選挙区制への回帰の方が、政権交代の可能性を高めると考えられます。

アメリカは日米安保条約の継続を望み、そのために日本に「二大政党制」を導入しました。これは、イギリス型の選挙制度を手本にしたもので、たとえ一方の政党が下野しても、もう一方が政権を担うことで、国の基本的支配構造には影響を与えないという設計です。

自民党は世襲政治家、官僚、タレントなどによって構成され、これに対抗する非自民勢力は、むしろ「非エリート」的な立場から政治家志望の若者を育成してきました。

しかし、小選挙区制の導入により、政党支部が全国津々浦々に設置され、地域社会が分断され、日本人の「和を重んじる心情」に反する状況が生まれました。

郵政や国鉄の民営化、労働組合の分断、そして社会党の瓦解など、中選挙区制時代に培われた野党連携の力はことごとく削がれました。その帰結が、今われわれが目の当たりにしている「失われた30年」なのです。

長崎県出身で元通産官僚の古賀茂明氏は、2011年に『日本中枢の崩壊』という衝撃的な著書を出版しました。それから14年が経ち、いまや中枢の崩壊は極限にまで達しています。

行政の崩壊は、財務省による森友学園問題での公文書改ざんに表れました。司法の崩壊は、黒川東京高検検事長の定年延長問題――検事総長に就任させるための異例の措置――に象徴されます。

立法府の崩壊は、憲法第9条の「解釈改憲」という脱法的手法によって具現化されました。

一体誰が、日本の中枢をここまで破壊したのでしょうか。崩壊した統治機構を立て直すには、これから数十年単位の努力と時間が必要です。

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昨年末、関東地方の読売新聞販売店の経営者らが「押し紙率は5割に達している」と訴え、その解消を求めました。また、毎日新聞は大手新聞社の中でも押し紙率が最も高いと指摘されています。

このような中で、もし新聞社やテレビ局が新興政党に対して批判的報道を強めた場合、若者たちは「自分たちの押し紙問題を棚上げにして、よくも他人を批判できるものだ」と感情的な反撃に出ることが予想されます。

そして、もし新聞社側がその反発を恐れて、「押し紙の追及を控える代わりに批判報道も控える」といった暗黙の取引を新興政党と行えば、それは民主主義の根幹を揺るがす自殺行為となるでしょう。

そのような取引が、まったくの杞憂とは言い切れません。これまでの新聞社の押し紙問題への消極的姿勢や、裁判での徹底した否認姿勢を見れば、その可能性を否定することはできません。

熊本日日新聞や新潟日報のように、押し紙問題をすでに解消した新聞社を除けば、今後、押し紙を抱えたままでは、自公政権との関係を見直すことも、新興政党に毅然とした取材姿勢を貫くことも困難です。

新聞社の経営陣は、「押し紙問題が日本の民主主義を左右する問題」であることを肝に銘じるべきです。そして、一線の記者たちが後ろめたさなく、自由闊達に取材活動を行える環境を整えるため、速やかに押し紙問題を解決するという決断を下すことが求められています。

 

先日、読売新聞と毎日新聞が「石破首相が退陣を決意」という誤報を一面トップで掲載しました。石破首相本人に直接取材もせず、なぜそのような重大な誤報が生まれたのか、非常に不可解です。昨年末には、関東地区の読売販売店が「押し紙率は50%に達する」と訴えており、毎日新聞の押し紙率が突出していることも広く知られています。

両紙がそろって「石破退陣」を報じた背景に、偶然とは思えない何らかの政治的意図があった可能性は否定できません。自民党内の特定グループが、読売・毎日に「石破おろし」の世論誘導を依頼し、その見返りとして押し紙問題の追及を見逃すよう働きかけたのではないかという推測も浮かびます。

もちろん、大手新聞社がそうした圧力に安易に屈すると考えるのは失礼ですが、仮に押し紙問題を材料に圧力をかけられた場合、果たして断固拒否できるのかという疑念は残ります。

逆に、新興政党が「押し紙問題を追及しない代わりに、批判的な報道を控えてほしい」と取引を持ちかけてきた場合、新聞社がその圧力に屈しないと断言できるでしょうか。

朝日新聞阪神支局襲撃事件は、今なお記憶に深く刻まれています。あの事件は、新聞・テレビのジャーナリズムが、時に命を懸ける尊い仕事であることを社会に強く印象づけました。