1. 裏千家千玄室大宗匠お別れの会に参加して

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2025年12月06日 (土曜日)

裏千家千玄室大宗匠お別れの会に参加して

執筆者:福岡・佐賀押し紙弁護団 弁護士 江上武幸(2025年12月1日)

去る11月27日(木)、京都宝ヶ池の国際会館で開かれた裏千家前家元の千玄室さんのお別れの会に参加しました。白い菊が敷き詰められた献花台の上に千玄室さんの大きな写真が飾られており、参列者は入り口で手渡された一輪の菊を献花台に捧げ、102歳でこの世を去られた大宗匠の生前を偲びご冥福をお祈りしました。

千玄室さんは、太平洋戦争中、特攻隊に配属され厳しい訓練を受けてこられたこと、特攻機の下で茶をたてて仲間を見送ったこと、茶を飲んだあと皆立ち上がり故郷に向かい「おかあ~さ~ん」と大きな声で叫んだこと、出撃した仲間はひとりも生きて帰らなかったこと、待機命令が続き生きて終戦を迎えることができたことから、身をもって命の大切さと平和の尊さを知り、茶を通じて世界中に戦争の愚かさを訴え続けてこられてきたことなどで、社会に広く知られています。

私は、大学時代に茶道部に所属していた次男の勧めで地元のお茶会に顔を出したことが縁で、裏千家久留米支部の男子成年部「悠遊会」のメンバーに加えてもらい、正月に京都で開催される茶会にも参加し、間近に千玄室さんの姿を拝見する機会に恵まれましたので、お別れの会にも参加させていただくことにしました。

会場の出口には当代の千宗室さんが立っておられ、献花を終えた一人一人に目礼しておられました。

次の間の広い部屋には、102歳の生涯をたどる時代ごとに区分された写真が掲示されており、特攻服姿や東西を問わない世界の指導者たちに一椀の茶をふるまう姿が強く印象に残りました。

帰りの新幹線で、お別れの会の様子を放映している夕方のニュース番組を次男が携帯で見せてくれました。そのひとつに、亡くなられる2か月ほど前に取材した映像の一部を紹介したニュースがありました。千玄室さんは、そこで次のように話しておられます。

「(毎年欠かさず沖縄の慰霊祭に参加していたことについて)もうこれが最後やと思う 僕も もう102歳やからね 『千中尉ここでご無礼します』と」

そして、最後に残された言葉が、

「もうとにかくね 日本はね 80年前のことなんて 誰一人わすれていますよ もう 情けない日本にならないでください ほんと」

という言葉でした。

今も、ウクライナやパレスチナでは幼い子供たちの命がたくさん奪われています。せっかくこの世に生まれてきた奇跡の命が無残にも殺されている。なんと愚かで理不尽なことでしょうか。

日本はドイツやイタリアと違い、日本人自身の手で戦争責任者を追及することはできませんでした。東西冷戦の勃発とともに戦前の支配者層はアメリカ支配の手先としてそのまま生き残り、結果、今のような無残な姿の日本にしてしまいました。

太平洋戦線では5万人のアメリカ人青年が犠牲になったといわれています。その家族が日本および日本人に対する抑えがたい怒りから日本人をジャップと呼び、アメリカ政府に対し日本をいつまでも属国扱いすることを求めたとして不思議ではありません。

ドイツ・イタリアでは、まがりなりにも、アメリカ軍と協力してヒトラー・ムッソリーニの軍事独裁政権を倒す戦いを民間で組織したレジスタンス運動がありました。また、同じ白人国ということもあり、アメリカは両国には完全な独立を認めました。

しかし、日本は治安維持法の弾圧法制と、町内会・部落会・隣組・国防婦人会・青年団等の隅々まで張り巡らされた相互監視体制により、ヨーロッパに見られるようなレジスタンス運動は組織されませんでした。それどころか、広島・長崎の原爆被害者約24万人・東京大空襲被害者約10万人・沖縄戦被害者約18万人、全体で約300万人の犠牲者を出しながら、なおかつ、当時の支配層は本土決戦・一億総玉砕を叫び、それをあおったのが今につながる当時の新聞・ラジオでした。

戦後、真っ先に制定された国民主権と戦争放棄を宣言した日本国憲法と、財閥解体を目指した独占禁止法も、朝鮮戦争を契機に東西冷戦のもとで日本列島を反共の砦として再軍備させることに方針を転換したアメリカと、その手先になるのと引き換えに命拾いした戦前の指導者たちによって、たちまち骨抜きにされることになりました。

中学生向けの「新しい憲法の話」の教材が廃刊になったことは、以前触れたとおりです。

それにもかかわらず、私たち70代の世代の者は、かろうじて「二十四の瞳」、「にあんちゃん」等の映画に象徴される戦後民主主義の時代の空気のもとで教育を受けることができました。「青い山脈」に描かれたような青春時代を過ごすことができました。

久留米に帰って、「千玄室」でユーチューブを検索したところ、亡くなられる2か月ほど前に収録された一時間近いMBS毎日放送のインタビュー動画を見つけました。

千玄室さんは「今でこそ話せるが」と前置きして、背の高かった自分に対して、大型輸送機を操縦して南方戦線に飛び、残っている高級将校たちをひそかに内地に帰還させるよう命じられたことを話されました。

その秘話と「情けない日本にならないでください。」という言葉に込められた千玄室さんの気持ちを推察するに、特攻出撃を命じられ「おかあーさーん」と叫んで死んでいった若者たちの無念の思いが晴れる日が来るだろうか、それとも再び同じ過ちを繰り返すことになるのではないだろうかといった複雑な思いに駆られています。

千玄室さんは戦前・戦中・戦後の日本と世界の歴史の生き証人として、102歳の人生の最後の締めくくりに、私たち日本人一人ひとりに対し、「老いも若きも先の大戦の悲劇を二度と繰り返さないようにしっかりやれ」と叱咤激励されて旅立たれたような気がします。

合掌

以下の動画(ユーチューブ)をネット検索されることをお勧めします。

*「千玄室さんお別れ会『お茶で平和を』」(MBSライブ・4分13秒)

https://youtu.be/Qk30wd-QgyQ?si=CRdPzm682BEgPkDm

*「千玄室さんインタビュー全録 今があってこそ未来ある」(MBS NEWS・59分)https://youtu.be/oN6ZAJhSFBE?si=g2yVZiCayTkFi4-v

写真出典: Wikipedia