高齢者切り捨ての実態が顕著に、抗精神剤で患者を眠らせる長期療養型病院の実態、小泉構造改革=新自由主義が招いた悲劇
病院での不自然死が報告されるようになった。点滴に毒を混入させて高齢者を殺したケースや、真夏の病室にクーラを設置せずに患者を死なせたケースなどが人々の暗い好奇心を刺激している。とはいえ、それも氷山の一角なのかも知れない。
メディア黒書にも病院の実態を告発する情報が寄せられた。告発者本人から事情を聞き、事実の裏付け資料を提示してもらった。その結果、その知られざる実態が浮かび上がってきた。小泉構造改革の中で医療を市場原理に乗せてから10余年、いま医療現場でなにが起きているのだろうか。
内部告発から見えてくるのは、高齢者が長期療養型病院に入院した場合、患者の希望に反して「治療」よりも、死期を早める方針が取られるケースがある事実である。その背景に高齢者を切り捨てる国策がある。
◇離床への意欲は強かったが・・
告発者のAさん(女性)は、父親の死が納得できずに、入院先だった東京都のY病院と折衝を重ねてきた。情報開示させたカルテや看護記録が医療への不信の裏付けとなった。
父親の佐々木元(仮名)さんは、平成29年4月1日になくなった。享年76歳。直接の死因は急性呼吸不全である。元さんはもともと間質性肺炎を患い、最初に慶應病院で診断を受けた。そこで入退院を繰り返した後、多摩病院に転院した。さらに平成28年8月25日に長期療養型のY病院に移ったのである。そしてそこで生涯を終えた。
転院してきた時に病院が作成した「入院相談フェイスシート」(平成28年8月25日作成)によると、元さんの身長は170センチ、体重は68.5キロだった。疾患名は、間質性肺炎である。既往歴として、慢性心不全と狭心症が記されている。
Aさんが転院当時の状況を語る。
「車椅子で生活していましたが、食欲もあり元気でした。上半身は普通で、自分で起き上がったり、動かすこともできました。離床への意欲も強かったので多摩病院のリハビリの先生からY病院へ転院して、リハビリを頑張るように言われたのです」
◇病室に死の静けさ
しかし、Y病院へ入院した後、寝たきりになる。その原因のひとつは、病院が投与をはじめた2種類の抗精神剤だとAさんは考えている。抗精神剤の服用と連動するように、元さんは活力を失い、ベットのうえで静かに横たわる状態になったのだ。看護記録によると、時々、大きな声を出したことなどが記されているが、おそらくは発作的なもので、それにより他の患者に迷惑をかけたという性質のものではない。
抗精神剤は統合失調症の患者などに投与され、精神の高ぶりを押さえる作用がある。そのために抗精神剤を投与されると、活気が失せる。傍目には、無気力になったようにも感じられることもある。暴れる患者には、多量投与される。
統合失調症とは別の病気の患者に対しても、抗精神剤が使われることは特に珍しいことではない。実際、元さんも多摩病院で少量の抗精神剤の投与を受けていたという。それがY病院へ転院して多量になったのだ。Aさんは、2種類の抗精神剤が本当に必要だったのか疑問を感じている。Aさんが言う。
「時々、父親を見舞っていたのですが、自分の父親だけではなく、同じ病室の他の患者さんらも同じような静かな状態で、ベッドに横たわっていました。あまりにも静かなので、異様な光景に見えました」
それぞれのベッドの上で呼吸はしているが、病室に死の静けさが漂っていたのだ。
病院は元さんに対する酸素吸入も減らした。「入院相談フェイスジート」によると、必要な酸素量は、「3ℓ」だったが、看護師による看護記録によると、たとえば9月30に次のような指示が医師から出ている。
「Dr指示により、0.3ℓから2ℓへ」
本来、「3ℓ」が必要なのに、0.3ℓに減らしていたのである。露骨な不自然死、あるいは医療事故の疑いを残さないために、酸素の量を若干増やしたのではないだろうか。元さんの病状が回復へ向かった結果、酸素量を極限にまで減らしたのであればともかく、元さんの病状は悪化していたのである。
◇摂食燕下(えんげ)障害
抗精神剤の過剰な投与によって起こる副作用のひとつに摂食燕下(えんげ)障害がある。Aさんが言う。
「父にも摂食燕下(えんげ)障害が現れました。そのめに禁食になったのです」
看護記録によると、病院は10月8日に最初の禁食を決めている。不自然に感じたAさんは、せめて水ようかんでも食べさせようと看護師に許可を求めた。しかし、許可は下りなかった。
「痰の吸引が出来なくなるから、ひと口の水ようかんもダメだと言われたのです。それでもお願いすると『何を考えているのか!』と怒鳴られました。病院の夜間の看護体制が40人の患者さんに対して看護士が1人でしたから、こうした処置が取られたのでしょう」
元さんの血圧は異常に低かった。たとえば10月22日は、「BP 77/58」とある。上が77で、下が58である。意識も朦朧としていたと推測される。同じ日の記録に次のような記述もある。
「呼名に開眼するが刺激していないとすぐ閉眼してしまう。BP低めであるが脈の緊張良好」
禁食になれば、当然、点滴で栄養補給しなければならないが、それも十分には行われていなかったようだ。Aさんが言う。
「父が餓死してしまうと看護士に泣いて訴えても、主治医が連休で他の医師では対応できない、と断られました。捕液も4日間していなかったので、お願いしましたが、これも主治医の不在を理由に断られました。仕方なしにわたしが少しだけ水を飲ませました。輸液を開始したのは、それから5日後でした。禁食は12日にも及びました」
◇不自然な身長についての記述
元さんの体重は入院してから急激に減ったという。平成29年1月7日のカルテによると、体重は49キロ。転院から体重が20キロ近く減ったことになる。カルテには記録されていないが、Aさんによると入院直後から、元さんは骸骨のように痩せてしまったという。
さらに不思議なことに、カルテには元さんの身長が156センチと記録されているのだ。入院時は170センチであるから、約4カ月で14センチも縮んだことになる。常識的にはあり得ないことだ。一体、何があったのだろうか?Aさんが次のように推測する。
「激減した体重とのバランスを取るために156センチと偽りの記録をしたのでしょう。身長が156センチで体重が49キロであれば不自然さはありませんから」
ちなみに元さんの急激な体重の減少に関して、看護記録には、次のような記述が残っている。
「奥さま、長女さま、ナースステーションにこられ、あばらが出ていてびっくりした、栄養状態が悪いのではないか?」
Aさんは元さんを転院させることや、自宅へ連れ帰ることも考えたが、病人を動かすのは危険だと主治医にいわれたので、それも断念した。こうして元さんは、まっしぐらに死への道をたどる。そして4月1日に亡くなったのである。
◇諸悪の根源である構造改革=新自由主義
入院から死まで約7カ月。カルテから次のようなプロセスが確認できる。
1、大量の抗精神薬を投与する。同時に酸素の吸入量を減らす。
2、抗精神薬の副作用として、摂食燕下(えんげ)障害が起きる。
3、禁食にする。餓死に至る。
病院は早く看取れば看取りの報酬も入るし、入院患者が増えて回転率が上がれば利益になるし、院内でも療養病棟と一般病棟で移動させるとその都度収益が入ります。つまり市場原理に組み込まれているのである。Aさんが言う。
「自分で十分に父を看護できませんでした。それが心残りです」
新自由主義の下で、金にならないものは、全て切り捨てられる時代に突入しているのである。