吉竹幸則(フリージャーナリスト・元朝日新聞記者) 【前編】
この経過について、二つの法理を座標軸に整理してみます。 朝日は、苦し紛れに1993年、私の取材のほんの一部を記事にしたことをもって、朝日は自らの正当性の根拠にしました。「真実性の法理」は、報道機関の実務の基本です。取材の裏付けが不十分なものは、記事になりません。しかし、朝日が私の取材の一部でも記事にしたことで自らの正当性を主張するなら、私の取材は裏付け十分で、記事になるべき「真実性の法理」を満たしていたことを、朝日自身が明確に認めたことを意味します。
一方、「不利益変更法理」では、雇用主の「裁量権・人事権」の発動が、「業務上の必要性が存しない場合」「他の不当な動機・目的をもってなされたとき」「労働者に対し通常甘受すべき程度を著しく超える不利益を負わせるものであるとき」には、「濫用」に当たるとしています。雇用者の労働条件を不利益なものに変更する場合、この条件に照らして「高度な説明責任」を雇用主に課し、雇用者に納得のいく説明義務を果たしていない場合も、「不法行為・債務不履行」が成立します。
まず、私がしようとした河口堰報道は、目的の「公共・公益性」があります。何より「権力監視」が使命の朝日が、記者に課す「仕事の目標」にそうものです。その一部が記事になったことをもって、朝日が自らの「正当性」を主張したことで、私の取材に「真実性の法理」があることは、朝日、私双方ですでに争いのない事実です。
なら、その報道の大半を止めた朝日の編集権・裁量権の発動は、自らの「使命」にも背き、「業務上の必要性が存しない場合」「他の不当な動機・目的をもってなされたとき」に該当、「濫用」になります。
少なくとも、私に「信頼回復」を求め記者職を剥奪。人事・待遇で差別したのは、朝日による「不利益変更行為」です。私に対し納得のいく「高度な説明責任」があります。しかし、何も答えずと言うより、答えられなかったことで、「不法行為・債務不履行」の成立は免れません。
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